ちょこちょこやっていくう
夜になっても人通りの減らない大都会、東京府の浅草を三人の男女が疾走していた。人々がゆったりと歩く町中で明らかに場違いな行動をしているにも関わらず誰も彼等を気に留めない。いや、
「珠世さん!愈史郎!こっちです!」
実の妹が収納された木箱を背負う鬼殺隊の少年、竈門炭治郎はすぐ後ろにいる二人に声を上げる。
「ええ、やはりあの男の血の匂いで間違いないようです。段々と強くなっていく……!」
鬼の女性、珠世は対象者を惑わす血鬼術「惑血」を行使しつつ返答し目的地へと急ぐ。
「おいお前!珠世様を気安く名前で呼ぶな!あと俺も呼ぶな!!」
そして唯一人話の論点がズレた言動を炭治郎に投げかける鬼の少年、愈史郎はしかめっ面をしながらも己の主人が転ばないように気を配っていた。
彼等が知り合ったのはつい先程。鬼となった者にも「人」として接し助けようとしている炭治郎に感化された珠世は、苦悩している彼に救いの手を差し伸べた。男性は彼女が保護する事になり、互いに話をするため禰豆子と共に愈史郎に連れられ二人の隠れ家に案内された。そして少し落ち着いた所で対談が始まろうとした直後であった……
「あの鬼」の血の匂いがしたのは。
『ッ!?!珠世さん、この匂い…!!』
『……!まさか、あの男が傷を!?』
両者並外れた感覚で異変を察知する。それは禰豆子も愈史郎も同様であり、禰豆子に至っては額に血管を浮かべ殺気立っている。
『匂いの強さからして深手を負ったみたいですね。貴方以外の鬼狩りが戦闘を仕掛けたのかもしれません。しかしなんと無謀な…』
『そんな、此処に任務で訪れているのは俺と…おれと、、』
その瞬間咄嗟に思い浮かんだのは、一人の笑顔が印象的な青年。うどん屋の周辺を探しても見当たらなかったので、話していた洋菓子屋に立ち寄っているのかと思っていたが、まさか……
『…ッ、俺は匂いがする場所に向かいます!多分俺の知人も其処にいる!』
『馬鹿か!相手はあの鬼舞辻だぞ!もっと冷静に『向かいましょう』…なっ、珠世様!?』
『今宵、負傷したのはあの男にとって誤算に違いないでしょう。そこを上手く利用すれば何か収穫があるやもしれません』
冷静に状況を把握する珠世に諭され、渋々ながらも納得した愈史郎も加えて……急遽鬼舞辻無惨の血の匂いを辿る事になったのだ。そして現在、目指していた場所はもう目の鼻の先であった。
(よし!あそこだ)
嫌悪感すら感じる匂いが一際濃厚に鼻を刺激する。目的地に通じる最後の曲がり角を過ぎると、遂に匂いの根源に辿り着いた。その場所には———
「…………え?」
ーー
鬼舞辻はおろか、誰かが争った形跡さえも見られない。辺りの人々も異変は見られず何食わぬ顔で町を往来している。だが此処であの鬼舞辻が負傷したのは確かだ。証拠に今も嗅覚に優れた者でしか分からない血の匂いが強く残っているからだ。炭治郎達は周辺を素早く散策し、やがてもう一つの血の匂いがすることに気が付いた。炭治郎にとってそれはあまりにも身に覚えがあり……
(やっぱり宗次郎さんだ…!何処に行ったんだ!?)
「珠世様、これはやはり…」
「…一足遅かったようですね。
突然顔を上げ、ある一点を見据える珠世につられ炭治郎も目で追うと、そこにはとても狭い路地があった。入り口は闇で包まれ先が全く見えず、不気味な雰囲気を放っていた。
(何だろう、嫌な予感がする…)
気のせいでは無い。遠目から見てもあそこに入れば二度と戻ってこれないような感覚に陥る自分がいる。それに辺りの人々は不自然過ぎる程にあの路地を避けている。まるで何者かによって無意識に操作されているように…
「気付きましたか?あの路地は明らかに
空間を歪める……そんな想像すら出来ないような事象を簡単にやってのける血鬼術。炭治郎は鬼という生物の恐ろしさを改めて全身で感じ取っていた。だが決して臆さず、前へと進む決意を固める。雲隠れした鬼舞辻も宗次郎も、この結界内の何処かにいるかもしれない。
(大丈夫だ……あの人は俺なんか足元にも及ばないくらい凄く強い。必ず生きている!!)
「…行きましょう」
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♦︎
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路地の奥に形成された広大な結界。其処は正に複雑に入り組んだ回廊であり、上下左右の区別がまるで無い。
ーーダンッ!!!!
無限にも等しい広さを誇る回廊の一部分、大きな着地音を立て間髪入れずに再度大きく跳躍する一体の鬼の姿があった。その眼球には鬼舞辻無惨直属の配下の証である「数字」が刻まれており、そこらにいる有象無象とは純粋な強さの格が違う。
「はぁっ…ぐ、、こんなの…聞いてない!」
まさにその事態が起こっていた。深く
(っ、何故…!私達の方が有利だったのに!!)
下弦の"肆"零余子は内心で叫ぶ。一体どうして、つい先程まで追い詰めていた筈の鬼狩りから距離を取らなければならないのか。いや、そもそも何故自分が此処で戦う羽目になってしまったのか?絶望に打ちひしがれ、これまでの一連の流れが走馬灯の如く脳裏に浮かび上がる。
それは遡ること数刻前————
♦︎
「ここは……何処?」
突如琵琶のような音が鳴り響き、気付けば全く見覚えの無い場所に立っていた。和風の居間や階段、城の内装を引っ掻き回したような複雑な構造をしている。天井を見上げても夜空は見えず、全方位同じような光景が延々と広がっている。
異様な空間に呆気に取られていると、また琵琶の大きな音が耳の奥まで届いた。その瞬間、両隣に新たな二体の鬼が出現する。
「なっ……」
「…何だ?この場所は……」
どちらも面識は無いが、両者共に眼に数字が刻まれているので…自分と同じ十二鬼月だろう。やはり何が起こったのか理解していない様子だ。
(下弦の"陸"と"参"ね。下弦の"伍"を除いて序列の低い者から集められている…?)
何故この場所に下弦の鬼の半数が集められたのかを疑問に思うや否や、再び琵琶の音がこの空間全体に鳴り響く。何者かが琵琶を鳴らすことで対象を移動させている…もしくは空間そのものを捻じ曲げている?どちらにせよ、並の鬼が使うような血鬼術では無い。まさか上弦の鬼なのか……。
思考を繰り返している内に再び移動した。先程より見晴らしが良く、大広間のような場所だ。周囲を見渡そうと視線を上げると————
「…揃ったようだな」
「!!!!!?!」
ーー鬼舞辻様!!!?
その存在を視界に入れたと同時に、頭を垂れて平伏する。他の二体も言わずもがな、主の前でそれ以外の姿勢など考えられない。
「面を上げよ」
指示を受けゆっくりと顔を上げる。普段通りの西洋風の出で立ちをした御姿、そのすぐ後ろには自分達を移動させていたと思わしき琵琶を抱えた女が控えている。しかしその女に意識を向ける余裕など、零余子達には全く無かった。理由は単純……
「………」
(……?…………!!)
…と、ここで零余子は、鬼舞辻の首元の異変に気付いてしまった。
(なっ……刀傷!?)
間違いない…僅かだが、刀で首を斬られた跡がある。信じられない、まさか——————
「——私が鬼狩りに後れを取ったと、そう言いたいのか?」
「……ッ!!!!」
その言葉の矢先は、隣にいる下弦の陸。首筋の傷を見た時の己の思考が露呈したことを悟った下弦の陸はみるみる内に血の気が失せていく。恐怖で震える身体を前へ突き出し、必死に弁明をせんと羅列が回らない口を動かす。
「いっ、いえ!!決してそのような事は思っておりません!俺はただ、その傷により貴方様の御身体に支障が出るのではと危惧し『何故私が貴様の如き矮小な存在に気を遣われなければならない?』っ、お、お待ち下さ、、ごバぁア!!!!」
鬼舞辻の身体から伸びた異形の触手が真横に座している下弦の陸の上半身を抉り取った。断末魔と共に大量の血飛沫が上がり床を段々と朱色に染めていく。
「…っ、」
思考を読まれてしまうと察知した零余子は、先程咄嗟に己の舌を噛み切っていた。予想を遥かに超えた激痛に思わず顔を歪ませるが、その痛みが原因で何も考えられなくなる状態になる事こそが狙いであった。こうでもしなければどうなっていたか……想像しただけで胃がきりきりと痛む。
下弦の陸を喰い終えた鬼舞辻は、恐怖におののく二体を睨みつけ重々しい声で話し始めた。
「浅草に
「「仰せのままに!」」
有無を言わさぬ声色で出された命令に秒で再生させた舌を使い二つ返事で了承すると、女が再び琵琶を構え直し甲高く音を鳴らした。
ーーーーーーー
ーーーーー
ーー
…移動したと同時に感じる人の気配。あの御方が仰っていた鬼狩りで間違い無い。どうやら琵琶女が浅草の結界内に送ってくれたらしい。
「……はぁ…」
あの重々しい空気から解放され、束の間の安堵感を覚える。乱れた呼吸を落ち着いて整えてすぐさま状況把握へと移行する。
「何故だ…何故"伍"ではなく"
「…五月蝿い。少し黙ってて」
耳元で大声を出す下弦の参に不快感を抱き舌打ちをする。下弦の伍だけが除外されたのはあの御方のお気に入りだったから、
既に一人欠けてしまったが、下弦とはいえ十二鬼月三人がかりで一人の鬼狩りを殺せという普通では有り得ない命令。あの御方がその鬼狩りを「脅威」と見做したのも同然だ。目の前では思考するのも憚られたが、首筋を負傷させたのも同一人物で間違いないだろう。
正直手強いどころの話ではない。方法は不明だが
(ああ、不安だ…)
今まで「柱」などの自分より格上の相手からは逃げようと考えていたのに、主人直々の命令とあらば戦う以外の選択肢は無い。それ以前に、下弦の陸と全く同じ事を考えていたのが見抜かれている可能性もある。奇跡的に見逃してもらえただけなのかもしれない。
いずれにせよ、鬼狩りに勝利して首を持ち帰らなければここで一生を終える事になる。
(……やるしか、ないのね)
覚悟を決めた零余子は下弦の参へ視線を移す。その手首には少量の血が付いており傷を再生させた跡があった。この男も自傷行為で咄嗟に思考を遮断させたのだろう。判断力は充分にある。
「ねぇ、どんな血鬼術使うの」
「…何だと?」
「手の内を見せ合うのよ。その方が連携取りやすいでしょ?」
「…そうだな、分かった」
互いの血鬼術を説明し終えると、手短に役割分担を決めて遂に戦闘を仕掛ける準備が整った。
「———!」
相手もこちらに気付いたようだ。この距離感で勘付いている時点で、並の鬼狩りでは無い。己が斬る対象を見つけたからか、不気味な笑みを浮かべたその青年は刀を握り直すと、トーン、トーンと軽く跳躍し片足を一定の感覚で床に打ちつけ始めた。
ただならぬ雰囲気を感じた二体は余計な思考を省き、たった一人の敵に全神経を集中させる。
「俺が接近して迎撃する。手筈通り後方支援は任せた」
「…ええ」
数秒の沈黙の後—————
下弦の参と鬼狩りの姿が掻き消えたと同時に、殺し合いは始まったのであった。
♦︎
役割は単純、近距離に特化した血鬼術を使う下弦の参は鬼狩りと接近戦を繰り広げ、零余子は遠距離から血鬼術で下弦の参の位置を錯乱させる。そして隙があれば自分も接近し攻撃を行う。
数の有利を生かして鬼狩りを圧倒していた。血鬼術を纏った腕で首を刎ね飛ばさんとする下弦の参の一撃を間一髪で躱したり、鞘受けで強引に弾き返したりと防戦一方だ。鬼狩りが反撃しようにも辺りには零余子が作り出した無数の幻影が存在しており、あちらの斬撃が届く前に幻影の中へ飛び退くと鋭利なその刃は虚しく空を切る。この幻影は元の対象とほぼ同じ動きをするが故に簡単には見分けが付かない。そしてもう一体の鬼、即ち零余子自身の闇討ちも警戒しなければならない。
三つの影と大量の幻影が凄まじい速度で広大な空間を跳び回り、激突する衝撃の余波だけで構造物が爆音を立てて崩れていく。
ーーこれは殺せるかもしれない。
零余子と下弦の参は息をつく暇もない攻防の中、頭の片隅でそう確信した。この鬼狩りは既に
それでも相手が本調子でないのは幸いだ。このまま逃さずに猛攻を繰り返せば必ずボロが出て隙を見せる。其処を突けばおしまいだ。人間は鬼と違って非常に脆いのだから。零余子と下弦の参は動きを更に速める。一刻も早くあの御方に鬼狩りの首を差し出し、自分達はまだ役に立つと証明しなければならない。こんな所で終わるような器では無いのだと。焦りを闘争心に変え、ただ我武者羅に目の前の敵を削っていく。
「—————!!!!」
そして遂に零余子達の願いが届いたのか、幻影に紛れた下弦の参の跳び蹴りを防いだ鬼狩りが後方へ吹っ飛び足場に着地した瞬間、ガクン!!と大きく体勢を崩した。これを見逃す手は無い。
下弦の参は即座に詰め寄り、今まで以上に禍々しい瘴気を纏った腕で止めの一撃を鬼狩りの首目掛けて放った。
————獲った!!!
特大の血鬼術による衝撃波を離れた場所から眺めていた零余子は思わず拳を握り締め歓喜に浸る。あの不安定な体勢では絶対に避けられない、確実に仕留めた。
(やった…"半透明の刀"の鬼狩りを私達だけで倒した!)
今までの鬼狩りで最も手強かったが、これでもう安心だ。下弦の参が落としたであろうその首を回収するべく、零余子は軽い足取りで爆発の中心地に接近する。血鬼術により周囲に放たれた大量の瘴気を腕で払い進んでいくと、
そこには想像通り———————
一つの