ヒント:使えるモノは何でも利用することが生き残るコツだ。
第1話 ようこそ、すべての愛と罪の集まる地へ [▲]
……パオ――――ンンン――――ンンンン……。
ゾウの鳴き声……?
少しして……それとも長い時間が経ったのだろうか……?
うだるような暑さと、耐えきれない喉の渇き。はてしなく疲れていながらも、おとなしく寝ていられなくなった私は、泥のような眠りから目を覚ます……。
どこか、埃っぽい場所に、寝そべっている……。
着ている服は水をかけられたように濡れている。それでも汗がじわじわと次から次へと流れ出てきては、重力に従って地面に落ちていく……。
絶え間なく噴き出る汗のせいで、顔と、露出した腕と脚の、砂まみれの肌。
例の動物の鳴き声が……近くや遠くから、断続的に聞こえてくる。
風変わりなモーニングコール。
(……それにしても喉が渇く……)
口の中がひどく砂っぽい。唾液で口の中を湿らそうとするが、乾いてくっついたままの唇。歯で砂利を噛む、不愉快な感触。顎の骨を伝わる耳障りな音。
――ああ、なんて暑いんだ……。日陰のここは、風通しも良いけれど、外のむわっとした昼の暑さが、ここまで入り込んでくる……。
……外? 外ということは、ここは建物の中らしいが……。
らしい、とは……?
……おかしい……おかしいぞ……ここはどこか、何故ここにいるのか、ということも含めて、
自分の両手を目の前に持ってきて、じっと見る。
……こんな手、私は知らない……。
初めからぼんやりと存在していた不安が、確かな形になって、包帯を真っ赤に染める血のように……頭の中にじわりと広がっていく。
心臓の鼓動が速さを増す。
速まる呼吸を抑えて、私は考える。土埃まみれの汚れた顔を両手で触り、砂がまみれの髪の毛を撫でる。……いつまで経っても拭い切れない違和感……。
この顔は、
……そんな馬鹿なことがあるか……自分のことをすっかり忘れてしまうなんて……。
これは夢か? ……未知の世界にポツンといる……未知の自分……。
全て白昼の悪夢に過ぎず、「現実の私」は自分の寝室のベッドの上にいるのでは……?
……いや、不幸にも?間違いなく、これは夢ではない。
不明瞭な記憶とはうって変わって、明晰な現実感……鮮明な感覚と冷静な思考が、この世界が非現実であることを否定させる。
こう頭だけで考えていても、しょうがない。
思い切って上体を引き起こすと、体中の骨がバキバキと悲鳴をあげる。
イヤな音が身体を伝わって耳へ届く。肩甲骨や背骨、腰など、長らく床と接していたらしい部位の、骨と筋肉がきしむ音。首や腰を動かすたびに覚える鈍痛と不快感……。
では、私はずいぶん長い間、この場所で寝ていたのだろうか……?
(ここは建物の中……? その出口から熱い日差しが差し込んでいる……。昼か……?)
思い切って立ち上がると、下半身に奇妙な違和感……。……前々からうすうす気になっていたが、
ショートパンツの内側に手を入れてみると……出っ張ってないどころか、むしろ
私は大変なショックを受けた!
逆に胸の方には、大きな脂肪のカタマリが……ない? いや、あるにはあるのだが、たいへん薄い……。がっくり!
なぜ自分の体の構造*3に対して、ここまで衝撃を受けるのか……? 自分の性別に対する違和感の理由は不明だが……そのことばかりを、独りで考えていてもしかたがない。
気を取り直して身の回りを見渡す。
今まで私が寝転がっていた場所……そこはこじんまりとした「部屋」の床だった。
そばの床には、かつて何本もの鉄格子があったらしい丸い穴が、いくつも並んでいる。
唯一のドアを開けると、隣接する洋式便器のような陶器製の物体があった。しかし、それはからからに干からびている。貯水槽らしきものから垂れ下がる鎖を引くと、赤錆びた水がチョロチョロと流れた。
再び「部屋」に戻って、あたりを見る。殺風景さに似つかわしくない動物の絵が描かれた壁……。だが、ひどく荒廃している様子……。
鮮やかな色づかいのタイルが使われていたらしい床は、大部分が剥がれて、打ちっぱなしのコンクリートが顔を見せる。出口に近づくほど、大量の乾いた土埃で赤茶色になっている。
ティンガティンガ*4風の動物が描かれた壁は、だいぶ損傷が激しく、ほとんど崩れかけている箇所すらある。元々はビビッドな色使いであったらしい、強いデフォルメが施された動物たち……全身が色あせて朽ちかけの、ゾウやカバ、シマウマ達が、大きな目をこちらに向けてくる。大の大人でも一瞬ギョッとするような不気味さ……。
出口や換気用の小窓の付近に目を向けると、そこは外からツタ植物が入り込み、それもかなり繁茂している。よく見ると、枯れた古いツタが相当な量ある。どうやら長期間、自然に晒され、手入れされないままになっていたようだが……。
私は「独房」の出口へ向かった。
そこにあったものは……小ぶりの簡易的な陶器製の洗面台と、鏡。おそるおそる蛇口のレバーをキュッとひねる。表面が劣化し黒く錆ついたレバーは、案外軽く回って……しばらくすると……やった! 水が出てきた! こちらでもまた、赤茶色の水が大量に出た後、透き通った綺麗な水が滝のように勢いよく出始めた! 太陽の光を受けて、キラキラと水しぶきが輝く!
だがこの水道水、はたして衛生的なのか、飲料水として適しているのか……一瞬そう逡巡したものの、意外なほどすぐに理性と嫌悪感は吹き飛び、我慢できなくなって、小さな洗面台のシンクと蛇口との間に頭をねじ込む。私の後頭部で蛇口を抑えられて、行き場を失った水道水が、噴水のように水平にほとばしる。
頭にたっぷり水を浴びて、髪の毛と顔の土埃を落としてから、顔を上に回してごくごくと喉を鳴らして水を飲む。その二つの行動を、まるで動物の習性のように、何度も、何度も、繰り返す。
動物のような水浴びをひとしきり楽しみ、暑さと渇きで干乾びていた頭と体に、潤いを与えることができた。
ついでにこのまま服を脱いで行水をしたかったが、さすが躊躇われた。なにしろ自分の置かれている状況が不明なことを考えると、あまりリラックスすることもできない。もしかしたら、この水だって貴重なものなのかもしれない。下着まで汗びっしょりで汗臭くてたまらないのだが、まあ我慢だ……。
落ち着いた私は、自分のことをさらに考える余裕が生まれた。
私は目の前の鏡を見た。洗面台の鏡は割れて半分以下の大きさになっており、四隅のひとつに、三角形の破片が固定されて残っているのみ。
外から乾いた土埃が入ってきて吹き付けるのだろう……赤茶けた土の塊がカビのように表面にくっついていていて、鏡としての役割を果たさないほど。
私は水を手ですくって鏡にかけて、シャツを脱いで折り畳んで鏡を吹く。
割れた鏡面の奥、逆光でうす暗い鏡面に現れたのは……肩の高さより下ぐらいの長さの亜麻色の髪を、水で滴らせた少女……。汗まみれで、土で汚れて、疲れ切って、ひどく怯えた顔。灰色の瞳……。
人種はよく分からない……。
このとおり、思考は日本語によるものだが……鏡の中の人物は、
……まるで身に覚えがない。
全く記憶にない顔……これが私の……?
おそらく歳のほどは、十代半ばくらい……だと思う。
身長は……洗面台の高さなどと比較すると、平均的な中学生くらいの、少女の背丈や体格だと思われる。
次に自分の衣服や所持品を詳しく調べることにした。
キャンバス地のスニーカーに、ウールや綿、化繊の混紡の厚手の靴下。
上下の女性下着。デニム生地のショートパンツ。黒と白のボーダー柄シャツ。薄手の夏用ジャケット。厚手の耳当てつきのキャップ。
全体的にサイズが大きめだが、ウェストや袖にはボタンやベルトがついており、ある程度のサイズ調整が可能だ……。
どれも動きやすく耐久性に優れ、地味な色合い……アウトドア用、あるいは軍用払い下げ品の衣服だろうか?
そばには、防水用のビニール製の内張りがされたバックパックと、肩掛けの小さなバッグ(昔の学生がつかうような
かばんの中にあった物品は以下……予備の靴下が一足。ステンレス製の
現金類や身分証、文明の利器の類は皆無だ。また、衣服や所持品には、ブランド名やイニシャルなどの、身元の手掛かりになるような文字は一切な無い。
あとは……一枚の大きな布……これには紐と
ここでいくら探索して自問自答していても、「私」に関する答えは出ないだろう。
私は、原始人よりは少しましな程度の持ち物をまとめたのち、強い日ざしを避けるためにコートを羽織ってから、トイレの外に出ることにした。
さて、部屋を出るとサバンナであった。
さわやかな風。まぶしい太陽。
「シャバの空気は旨ぇ……」
……つまり外は、あの動物図鑑やドキュメンタリー番組などで見るような、雄大なサバンナのあの風景なのであった。
青い空と、枯れたような色の草原を、一直線に隔てる水平線。まばらに生える草むら。点在するアカシア*6。
このサバンナのような場所は……どこだ? 外国だろうか? アフリカなのか?
とりあえず、日本にはこんな場所があるはずが……いや、サファリパークのテレビCM*7のような……。
遠くを見ると、地平線にそびえる山々……。
一番大きな山の山頂がキラキラと淡く、七色の虹の色*8に輝いているような……。
山(山頂部が噴火口になっている……?)から、虹色の角ばった輝く物体が上へと上へと飛び出して、鍾乳石のような構造物を形成している。あれはビスマス結晶*9に似ている。
あれはブロッケン現象*10なのか? いや、あれは山で見られる現象だから違うか……。それとも火山の噴出物のようなものなのかな? ……遠くは細部がぼやけて*11いて、よく分からない。……あの怪現象については、とりあえず放っておこう。
突然、ぞっとするような視線を感じた。遠くを見つめていた視線を下ろして、近くの地面を見た。
その時初めて――いつからかは分からないが――すぐそばの地面に「それ」があったことに気が付いた。
異形の五つ眼とハサミ*12が私を見つめている……。
頭の五つの「眼」のそれぞれの眼の下には「柄」のようなものがある。それによって
また幅広の「顎」の大きさは、ヒトの掌大のサイズほど。縁の内側には、植物のトゲを思わせる同じ形のキバが生えている。
食虫植物「ハエトリグサ」……あるいはパン屋のトングか……。
いや、狩猟罠の「トラバサミ」……というのが最も適切な例えかもしれない。そのガマ口が「鼻」によって、五つの眼のそばに、地面からにょきっと飛び出しているのだ。
そしてその「物体」の、サバンナの青空を映したかのような
五つの眼がギョロギョロと四方八方を向いて辺りを観察している。「顎」のほうは、真昼のサバンナの風に揺られてフラフラ動いている。
……なんなんだ、これは? 植物なのか、それとも動物……?
深海に潜む海洋生物のような、顕微鏡のレンズの中に棲む単細胞生物のような……。まるで、子供の落書きが現実化したような、開けっぴろげの不気味さ、グロテスクさ……。
いや案外、愛嬌があって……。いや、やっぱり全然無いような……。
とにかく「それ」に実在性を感じ無かった私は、軽率にも……好奇心の赴くままに、「それ」をもっと観察しようと、自ら近づいていってしまった……迂闊にも。
突然、私の頭を狙って口吻を真っ直ぐに突き出す一撃! まったくの予備動作無しで放たれる奇襲!
だが、何とか致命傷を避けることはできた……。といっても私が取った行動は、身を引っ込めて両手で頭をかばうという、本能的な反射行動にすぎず……。
頭に直撃していれば、バナナや柑橘類の皮を剥くように簡単に、鋭利な顎の歯によって顔面を丸ごと削ぎ取られていただろう……。そのかわりに――
左の前腕から先が、その触手の「顎」に食いつかれている。
「うおおおぉッ!!
傷! 血! 左腕の傷口からの出血! 顎の食い込んだ腕の皮膚が、安手のビニール素材のようにたやすく破れて、ぎりぎりと広がっていく穴! 壊れた万年筆から赤インクが噴き出すように、粘性のある赤い液体が乾燥した大地へ滴り落ち、すぐに大きな黒い染みになる。
同時に
オキシドール*13を傷口にかけた時の泡のように、虹色の気体が立ちのぼっている……!?!?
なんなんだこれは?
鈍器で腕を叩かれるような激痛が続く。むせかえるような鉄の臭い。
混乱。後悔。焦燥――。
意識が混濁する私を「触手」で引っ張って、
まずい! 地面に転がされるのは!
猫ぐらいの大きさの……エビのような形の生き物?
だが、
五つの「眼」は、頭部の上側にくっついている。
あのゾウムシのような長い口吻が、犬の
私が先ほど見たのは、体を地中に隠し
「野郎……!! 離しやがれッ!!」
小さな体躯からは想像もできない
そのまま立ち上がりたいところだが、そうはさせまいと「顎」が食らいついた私の左腕を……敵は強靭な力で振り回す!
「くそォっ!! 化け物ッ……!!」
地面に落ちていた大きめの石を、右手でとっさに掴む! 左腕の「顎」に、何度も何度も思い切り叩きつける!
だが、外れない……! 「顎」が硬いのだ!
左腕を力いっぱい引っ張り、どばどばと血が溢れる傷口を観察する……。
大きな「顎」のキバは、私の上腕と手首の骨・腱まで喰い込んでいる!
顎は二枚貝のようにガッチリと閉じて、腕を引っ張ると鋭い痛みが走る。
少なくない出血量……。手首の動脈*14が傷つけられたか……!?
「汚ねぇ口を開けやがれッてんだよッ!!」
握り込んだ石を叩きつけ続けるが……打撃の衝撃で自分の右手のほうがだんだん麻痺してくる。
とうとう振りかぶった拍子に、付着した血で滑ってすっぽ抜けて、石が遠くへ飛んで行ってしまった。
右手の掌底や鉄槌*15で打撃を続ける!
さらに肘*16を回して「顎」に打ちつける攻撃!
だが、この
頭突きを食らわせると、自分の額のほうが割れそうでフラフラになる。
……くそっ、これではらちが開かない*18
……発想を変えるんだ!! どうすれば……!!
左腕に食らいついた「顎」を引き剥がすのを諦め、私は敵の「身体」を攻撃することにした。
化け物の「鼻」を右腕に巻きつけ、上半身の体重をかけて引っ張って「本体」をこちらへ引き寄せてようと試みるが……。
だが力いっぱい引っ張っても、相手はしっかり踏ん張って、その体はびくとも動かない。猫程度のサイズのくせに、大型犬くらいのパワーはあるように思える。しかも、私の腕に巻き付けた「鼻」をさらに締め上げて、逆に私のほうを引っ張って引きずろうとする!
いったい何分……いや、ほんの数十秒程度だろうか?
戦いが続き、消耗する私は、とうとう完全に地面に引き倒されてしまった。
完全に仰向けの……まずい体勢!
ほとんど抵抗らしい抵抗ができない!
両足と右腕で踏ん張ろうとするも効果が無い!
くそ……左腕は……もう麻痺して痛みが無くなってきた。
いっそのこと、この左腕が引き裂けてしまえば、自由にもなるのだが……。やはり怪物の「牙」が完全に骨の間まで食い込んでしまって……!!
右手で地面を掻きむしるが、指の爪は剥がれ、指先の肉が裂け、赤黒い五本の線が砂地に残るのみ。
固い砂利の上を引き回されて、出血量が著しい。
体重の13分の1*20の……どれぐらいを失った? 一升瓶*21に近い量の血が流れたと思う……。
大地の赤黒い染みが、着実に失血死*22を形作りつつある……。
なんとか立ち上がらなければまずいのだが、「怪物」の力は強力すぎて、いいように地面を転がされるがまま……!!
こいつは……獲物をこうやって弱らせてから……喰うのか……。
意識が朦朧としてくる。ここで気を失ったら、本当に一貫の終わり……。
クソッ……!
わけも分からず死ぬ……そんなのゴメンだッッ!!
「ざっけんなッ!! お前なんかにっ!! 喰われてたまるかァッ!!」
私は
「……食べられるために、生まれたんじゃないっ!! こうして!!
だが、どうすれば……!? どうすればいい!?
薄れゆく意識の中で、私は考える。
……こいつの「顎」の「外側」は丈夫だが、
ふと見ると、地面に
転げまわるうちに、バックパックのサイドポケットの中に入れていたのが、飛び出してしまったのか……。
それを掴み上げる。これでヤツの「顎」をこじ開ければ……!! いや、無理だ……がっちりと左腕に食い込んで、わずかばかりの隙間すらない……。
……いや、
大きな「
自分の左前腕の肉……。先割れスプーンの鋭利な先端を、
麻痺して痛覚がない腕の肉。ヤツに噛まれたままさんざん引きずり回されていたおかげで、長く引き裂かれた傷口。それをさらにフォーク部分でえぐって開き、前腕のピンク色の肉の中へと、力いっぱい押し込む……。
死ねばもろともだ!!
そんなに私が喰いたければ、片腕をくれてやる……ついでに
先割れスプーンが、左腕の肉を突き破り、その勢いで「顎」の内部へ突き刺さる感覚。
最後の晩餐だ。
ヤツの顎の「内側」を、左腕ごしにひたすら刺す。何度も何度も刺す。
刺激臭のする青い体液と虹色の結晶が、「顎」からよだれのように流れ出てくる。
五ツ眼の怪物が初めて怯んだ。
おぞましい叫び。
生物の声とは思えない、無機質な、作業機械の警告音のような。それでいて人間の声のような感じもする。甲高くて耳障りな電子音。生理的嫌悪感。
五つの眼がバッテンのようになった――というと、可愛げがあるように聞こえるが、痛みへの神経生理的反射で瞳孔に亀裂が入って、十字の形になったという印象……。
目の中の十字架。耐えきれない責め苦を受けている表情に見える。
攻撃は効いているはず……!!
それでも、こいつは食らいついた「顎」を離さない……!!
生まれたての小鹿のようによろけながら立ち上がりながら、私は考える。
ヤツのほうが力はあっても、体重ならこちらのほうが圧倒的に上だ。
……痛みで悶える怪物の「鼻」を右腕でしっかりと掴んで……後ろに倒れ込む!
……その勢いで、こちらへ飛んでくる「怪物」の本体!
飛んできた「怪物」の「鼻」の上に倒れ込んで、逃げられないように全身で押さえつけ、頭でも胴でも、手あたり次第にめちゃくちゃに足やヒザで蹴りつける。
五つある「眼」が潰れ、白濁した液体が飛び散る。
大顎の中から「げぇっ」と、重油じみた空色の液体が流れ出す……。内臓が破裂したのかもしれない。
例の虹色結晶が、怪物の体液から大量の煙となって出てくる。
私と「怪物」の血と肉と、すべてが混ざって、ものすごい臭いがする。
私は思わず吐き戻す。
砂の大地に広がる黒い染み。胃液ではない……血だ。
地べたを転がって戦っているうちに、内臓を打ったのだろうか……?
わたしの体液からも、虹色の煙が立ち上る。
すると、糸が切れたように私の体中から力が抜けていく。
右腕も足腰もそれまでの力を失って……。
……ダメだ……ここで、力尽きてしまっては……。
だが……意識が……途切れていく……。
その場にどさっと仰向けに倒れ込んだ。
眠い…………。
…………暗くて…………見えない…………。
寒い…………。
生生生生暗生始 死死死死冥死終*23
澄んだ青い空。
昼下がりの風が心地よい。
ここは……。
少女が……空を飛んでいる……。
天使が宙を舞っていた記憶……。それが私の最後の――
流れる川の中に、私は仰向けに浮かんでいる。
「……起き………………セ……リア…………傷は……った……から……」
水面に出した顔に、天使がその顔を近づけてくる。
少女の顔、青い目、赤い髪、獣の耳……!?
「――さっさと起きなさいよ……」
透き通った声。
先ほどから、陽の光は穏やかで、涼しげな風がどこからともなく吹いて、顔に当たる。とても快い。
これが死*24か?
天使はラッパのような声*25で、目を覚ませと私に命令した。
しかし私はひどく疲れていた。
そしてそのまま、心地よい惰眠に身を任せることにした……。
「……起きないなら、このままアンタを食べちゃうわよ。がぉ~う……」
それはさすがに困るな、と私は思った。
突然に、天使は自分の唇を私のそれに重ねる…………口づけの、とても甘い味……。
……私の喉に、甘い乳と蜜が流れ込んでくる。
「――ぶぉっほえぁぇッッ……!」
気道に乳と蜜が流れて*26溺れた私は、咳き込んだ。
「やぁ~っと起きたわね。……もう、ダメかと思ったじゃない」
目を覚ますと……やはり
「アンタ、ねぼすけね~」
彼女の言う通り。
急な目覚めゆえか、思考がぼんやりとしている。
木陰に横たわる私。太陽が眩しい。風が爽やかである。
「げほっ……げほっ……」
咳き込むと、口から、びちゃびちゃと虹色の液体が垂れた。
「……あなたは天使ですか? ここは天国でしょうか?」
開口一番、思っていたままのことを尋ねた。
「はあ? なにそれ? 違うわよ、その『てんし?』って、何だか分からないけど……ここは『ジャパリパーク』よ。あたしはカラカルキャットのカラカル*27」
「ジャパリパーク……カラカル…………」
ジャパリパーク……遠い昔にその言葉を聞いたことがあるような……懐かしい響き……。
獣の服の少女は、そっぽを向いて、本物の動物のように地べたでゴロゴロし始めた。
……自分の今置かれた状況を……私は脳細胞を総動員して考える。
記憶を探る。
さっきの部屋の中で目覚めた私。記憶喪失……。
外へ出ると、「怪物」に襲われて……。
私はがばっと跳ね起きた。
「あっ! あ、あの怪物は!? 化け物っ!? 眼が五つの、伸びる顎を持った化け物!!」
「ああ、アンタが戦ってた『セルリアン』のこと。
獣の服の少女……カラカルが振り向いた方向には、先ほど私を襲った「怪物」――彼女いわく「セルリアン」の、死骸が横たわっている。
その青い身体は、液状の様相を呈している。死骸の全身から、例の「虹色の結晶」がしゅうしゅうと音を立てて噴き出て気化している。
高い気温のせいで、もう腐敗が始まったのだろうか……。
「あれは……カラカルさんが、ヤツを倒してくれた……」
「ん? 違うわよ。……アタシがトドメを差したけど、その時にはアイツもう死にかけてたから」
「私が…………」
「アンタ、すごいわねえ! あんなに傷だらけになって、根性あるわ! ど~みても強そうには見えないのに!」
カラカルがびっくりした調子で、私を褒めた。
膝を折り曲げて前かがみになって、興味しんしんといった面持ちで私を見つめるカラカル。
「そ、その姿勢*28はちょっと……」
「ん? 何の話よ?」
彼女は隠そうともしないので、正直目のやり場に困る。心臓の鼓動が速くなる。
……なぜこれほど、同性の身体に対して必要以上に意識してしまうのだろう?
視線を下へ向けると、自分の左腕の……手首から前腕の中ほどにかけて、大きく裂けたような傷口が見える。だが、それは古傷のように塞がりかけているのだ!
「……アッ! 腕の傷が……!?」
あの怪物「セルリアン」に噛まれて……自分でも武器を突き刺して……かなりの重傷を負ったはずの左腕。
その裂けんばかりであった傷口が、今はもうかなり塞がり始めている!
……太陽の角度*29は、最後に覚えていた時より20~30度ほどしか動いていない……つまり、あの戦いから1、2時間しか経っていないはず! まるで、まだ白昼夢を見ている気分だ!
「……確かに、左腕に大ケガをしたはず……」
「ああ、あれ痛かったでしょ……。もう治りかけだけど、大丈夫? あたしの『サンドスター』で傷を治したから。よく効くでしょ~? 前にもらったのの最後のヤツだけどね」
彼女の言う「サンドスター?」とは、
「あとは、『先生』が教えてくれた通り……こうやって傷口を押さえて*30……」
彼女は両手を私の左腕の上に置いて、まるでネコのように、揉むような動きをする。
「それにサンドスターの余ったのを、さっき飲ませてあげてたから。疲れも取れたでしょ!」
カラカルは、小さなボトルを私に見せる。アンプルやバイアルのような、見たこともない形状の、硬質プラスチックでできた容器。そのフタが乱暴な力で取り外されていて、中身はカラッポである。
彼女は、ネコの首輪のようなチョーカーを指先で引っ張って私に見せてきた。
首輪には、小さなプラスチック片がぶら下がっている。「サンドスター」容器は、そこにつけていたらしい。
「アンタが起きないから、こうやって飲ませてあげたの」
そう言ってカラカルは、私の顔に大きく開けた口を近づけて、肉食獣を思わせる長い犬歯を見せた。最初は天使などと思ったが、童話にでてくるような悪魔*31のようである。
私は起き上がって正座する。
こちらの作法に気を遣ってか、あるいはただ単に真似をしたかっただけか、向こうも同じく正座した。
「ありがとうございます……私の命の恩人です。本当に。カラカルさんがいなかったらと思うと……」
「いいってことよ~! 『なーばり』で襲われている子を見つけたら、助けるのは当たり前だもの」
あっけらかんと答える。
カラカル……彼女は、このサバンナの地元の住民なのだろう。
日本語を喋っているが……私自身と同じく、人種がよく分からない。
猛獣に襲われた人間を助けるのに慣れている……地元のレンジャーのような立場の人間だろうか?
自分の「ナーバリィ?」(日本語の「縄張り」に由来する用語か?)というのは、担当地区のことか?
気分が落ち着いてくると、カラカルの服装の違和感が気になりだす。
その猫のような恰好……。
赤い髪……頭上には、先端に房が付いた黒い「猫の耳」がある! ウェイトレスの制服*32のような、白いブラウスと赤色のミニスカート、手袋とソックス。極めつけにお尻には尻尾がついていて、風で左右気ままに動くのだ!
「カラカル」という、彼女と同名の「アフリカに生息するネコ」をモチーフにした衣装に見える。
……現地の部族の民族衣装……と呼ぶには現代的すぎる……。
ではやはりこのサバンナで、動物たちに紛れる「カモフラージュ」用スーツか何かなのだろうか……?
カラカルは地べたでうつ伏せになって、腕を組んだ姿勢になって、私を見つめる。
何だよその姿勢? あなたは猫か?
いや、ここは外国っぽいけれど……ここには、そういう文化が?
「落ち着いてきたようだから聞くけど……。アンタ、この辺では見かけないカオよね。昨日のサンドスターの噴火で生まれた子? 火山から出たサンドスターで、まだ辺りが少しキラキラしてるでしょ?」
香箱座り*33のカラカルが言う。
「サンドスター」は、ハミガキみたいな名前*34だが、どうやら薬の名前ではないらしい……。
化学物質の一種なのか? それに「生まれる」とはどういう意味だ?
「あっ、つまりね
……理解できない。
「サンドスター」が火山性鉱物であり、ある種の生物の生命維持に必要不可欠な物質であるのは分かるが……。
目を凝らして観察すると、たしかに周囲には、虹色の結晶のようなものがかすかな煙となって、あちこちからほのかに立ち上っている。太陽の日差しが強くて今まで気が付かなかった……。
これが「サンドスター」か。私が先ほど飲ませてもらったものも、腕の傷を治した薬も。
記憶を探ると、あの「セルリアン」の噛みつきを受けた時や、ヤツを攻撃した時に、傷口や血液から同じような虹色の「サンドスター」が、気体のように立ち上っていたのを思い出す。サンドスターは、特定の生物の血液中にも含まれる必須成分? ミネラル*35のようなもの?
……私の体にもそんなものが存在し、私の傷を治した……?
「アンタは何のフレンズ? 動物だった時のキオクはある?」
カラカルがわけのわからないことを尋ねる。
私は困惑した。
……いや、さっきからその「フレンズ」って言葉、なんなんだ? フレンズ――友達――英語から由来する専門用語らしい。あるいは、何かの隠語か? 当たり前のように言われても……。
カラカルの要領を得ない発言を、私はとりとめなく考えた。
……考えていると、急に尿意に襲われた。
「あの……話の途中なんですが、ちょっと失礼します……トイレに行きたくて……」
「『といれ』って何?」
カラカルはサラリと言った。
……いや、彼女は日本語を喋るが、ここがアフリカあたりの外国なら……つまり、
「いや……あの、木みたいな建物がトイレなんだけど……まあ、あの、平たく言うと……ちょっと、オシッコに……」
「ああ、トイレって木の穴のこと。オシッコなら、その辺の砂場ですれば?」
カラカルは事も無げに言った。
女の子の言うセリフかそれ……。ワイルドライフすぎひん……?
困惑する私に対して、彼女は背中をピンと立てて「三角座り」のようなポーズをして見せた。
い、いや……やり方とか、スカートの中とか、見せなくていいから……。
うぐぅッ……そんなこと言ってるうちに……膀胱さんのガマンの限界が……。
ダム放流の前触れのサイレンが、頭の中で鳴り響く。やばいッ……!
私は焦ってトイレに駆け出す。半ズボンを下ろす準備をしながら……。
いかん、汗で張り付いて脱げない。
あ、間に合わないや。出まーす。
それは、今まで蓄積されてきた疲労からか、緊張感から解放された安心からか、あるいは、
ふー……。
きもちいいー。あはは~、風が涼しいや。
空気が乾燥してるから、気化熱で下半身がよく冷えるなー。
「アンタはオシッコを脚にかけるのがすきなフレンズなのね。ラクダのフレンズ?」
おうおう、なにいってんだこいつ。コッチは下半身と自尊心の堤防が決壊しているというのに。
慰めのつもりか。
あ、やば。
腹の音がぎゅるぎゅると鳴る。
汗でお腹が冷えてきたら、
もしやさっき飲んだ水が悪いのか……。
「えー! なになに! そっちも脚にかけるの? アンタはコアラのフレンズ? パップが――」
じゃかあしい!
こうして私とカラカルとの出会いは、
「……先ほどは大変お見苦しい姿をお見せしました」
下半身に関する個人的な問題が解決したあと、私はカラカルに言った。
なお私の名誉のため言っておくが、つまり間に合ったということである……。
ふぅ。
ちなみに「紙」が無かったので、「水」による、インドやイスラムの「伝統的な洗浄方法」を採用した。
不浄であるとされる「左手」を使って、よく水洗いするのである……。なんだかロクな目に合わないな、私の左手……。
それにしても、もう左手の握力がかなり復活しているらしい。「サンドスター」の異常なまでの回復力。
下着なども水道水で軽く洗っておく。排泄された尿はほぼ無菌状態と言われているので、これは精神衛生上の問題だが。
衣服に付着した血もざっと水洗いして、元通り身につけておく。こうすれば服は太陽光や体温で自然乾燥だろう。
なお、樹木の「葉っぱ」を持ってきてもらって「紙の代わり」に使用することも考えたのだが、思いとどまった。肌がかぶれたり、中毒を起こすような植物かもしれないからだ。
現地住民のカラカルに「外の木の葉っぱは毒は無いのか」と一応聞いたが、「
この下痢も、幸いなことに一時的な体調不良や疲労困憊によるものらしくて良かった。張り詰め続けた緊張が解けたこともあったのだろう。
……もし感染症による下痢だったら、脱水症状等の重篤な症状に陥っていたところだ。
「水の流れる音がしたけど、いったいアンタ何したの?」
用事を済ませた私に、カラカルが尻尾を振りながら聞いてくる。
やはり、彼女は「トイレ」という概念を知らないらしい。
外国の乾燥したサバンナ地帯では、そういう事もある……のか?
さらに、私が洗面台で手を洗おうとすると、「ええええー!! 水が湧いた!? すごい、まほうみたいね!!」などと驚いていた。
流水をバシャバシャと手で叩いて遊んでいる。
あの、カラカルさん……私、手を洗いたいです。お願いだから邪魔しないで……。
……だが、どういうことだ? 彼女はこの辺の住人じゃないのか? 現にこうやってここに存在する、トイレも水道も使ったことが無いのか?
……そういうことは、あとでゆっくりと聞くとしよう。
今は、もっと優先すべき行動がある。野生動物より凶悪な「セルリアン」などという怪物(カラカルいわく、色々な種類がいるらしい)がいる……。
「敵」に対抗するためには、
私は洗面台の「割れた鏡」に、スプーンをねじ込んで取り外す。接着剤で簡易的に固定されていただけだったので、簡単に外れた。一辺が十数センチほどの三角形の、手のひら大のサイズの鏡の破片。これはきっと役に立つと思う。
さらに、水筒にたっぷりと水道水を入れておく。
私は外へ出て、手ごろな大きさの石を拾い集めて、予備の靴下の中に押し込む。靴下の口をキュッときつく縛っておく。これは即席の武器「ブラックジャック*37」だ。
カラカルは、そんな私の行動をチラチラと見ながら、木の上で
……彼女は何者で、一体何を考えているのだろう……?
上記の作業中、私は以下のような質問をした。
「自分の記憶が無いのだが、それに関して何か知らないか?」
「この『ジャパリパーク』はどこにあるのか?」
「あなたはどこの何をしている人なのか?」
「あなたは日本人*38なのか?」
カラカルの回答は――
「あたしもあまり動物の時の思い出がないのよ。そういう子のほうが多いわ」
「パークは『うみ』という水場の中にあるらしい」
「あたしは『さばんなちほー』で暮らしてるフレンズ!」
「『ニホンジン』て何? 食べ物? 『しんりんちほー』の『ニホンジカ』なら知ってる」
などと……何とも呑気な口調で、非常に反応に困る答えが返ってきた。
ところで、彼女の言う「フレンズ」とは、「ジャパリパーク住民の自称*39」らしい。
さて、
この「部屋」は、古い金網に囲まれている。
サバンナの「避難場所」とでも呼べるような隔離スペースだ。
防護フェンスは錆び付いてはいるものの、私が掴んでガシャガシャと揺らしてもビクともしない程度の強度はある。さすがに大型動物の突進には耐えられそうにないが……。
柵の入口には錠前や
入口が開けっ放しなので、さっきの猛獣「セルリアン」なども入り放題。とても安全とは言えない。
いつまでも、ここにこうしているわけにはいかない。
避難所内を捜索すると、つる植物に覆われた「公衆端末」があった。錆びた金属製の防護蓋を開けて、機能が使えるかどうか試してみたが……。半ば予想していたことだが、何の反応もなかった。
ピクトグラムによる注意書きが描かれている。カンヅメやペットボトルの絵や、「スター・オブ・ライフ*40」が描かれている。
どうやら、非常食や薬品が、端末に同時敷設されたボックスに備蓄されているらしいが……。だが、やはりというか、描かれた常備品はそこには無い……。
またボックス付近にはAED*41や包帯・止血帯など救急用品を収納する金属製ケースが設置されていた。が、これも中はもぬけのカラであった。
しかし中に割れたガラス*42の大きな欠片が何枚か残っていたので回収しておく。
加工して「シャンク*43」にするなどの使い道がありそうだ……。
カラカルが木の枝からぴょんと、ひとっ飛びで降りる。
すごい身体能力……! まるでレンジャー部隊や、パルクール*44選手! いや、それ以上……!?
「まあ、ずいぶんいろいろ集めたわね。全部持っていくつもり?」
近寄ってきた彼女が尋ねる。
その口調は別段責めるような調子ではないし、皮肉でも無いように思える。
「はい。すみません……泥棒になってしまうのは、気が引けますが……」
これから先、何があるか分からない。用心のためだ、持ち物は多ければ多いほうがいい。
捨てていくのは
だが、私の行為は平時であれば、窃盗か器物破損か……何らかの罪に当たるだろうから……今は非常事態とはいえ、やはり気が咎める。
「どろぼう……? って、元々だれの物でもないでしょ……? ……あっ、べつにね、あたし、怒ってるわけじゃないのよ、アンタがオモチャにもならなそうなガラクタを集めてるから、気になっただけ」
……謝ろうと思ったら、なんだか気を遣わせてしまった。
「それにしても……」
話題を変えるようにカラカルが言う。
「アンタ、何も覚えていないんでしょ。自分の名前も分からない。……名前が無いと不便よね。あたしが名前をつけてあげようか?」
それは自分でも思っていたことだ。現地に馴染むような、適当な名前をつけてくれるのであれば、非常に助かる。私は、ぜひお願いします、と頼み込んだ。
「アンタは……けものの耳や尻尾が無いのが珍しいわよね……。『ふーど』が無いから、ヘビの子ではないし。翼もないから、鳥の子でもない」
彼女はまたおかしな話をした。
「ウム! 『ミミナシ』という名前は、どうかしらっ?」
「きゃ、却下……。お経書き忘れて耳無くなりそうですし……」
「え、え~? 何のことよ? ……『なまけものてき』ってのは!?」
「な、なんじゃそりゃ……」
「むむ、わがままね~。……ねえ、アンタが背中につけてる『それ』は何?」
「……バックパックとか、リュックサックかな……?」
「じゃ、『ばっくぱっく』って名前は?」
「へ、変じゃないですかね……?」
「そうかしら?
「……それじゃ、アンタは何かいい考えは無いの? 自分が
そう言われて、私は……半ば無意識にこう答えた。
「……あの、『ハナコ』という名前はどうでしょうか?」
「『ハナコ』か。変わった名前ねえ。それ、何か意味があるの?」
「……仮の名前だったり、誰だか分からない人のことも、そう呼びますね」
「へえ、そうなの。ピッタリじゃない。じゃあ決まりね。よろしく、ハナコ」
……なんだかよく考えると、動物の名前っぽくもあるな、と私は思った。
ヤギとかウシとか。
「んで、ハナコ、これからどうするの?」
カラカルが聞いた。
「いえ、とくに何も考えていないです。どこにも行く当てはないし……これから、どうしたらいいでしょうか?」
「そうね……ちょっと行ったところに、フレンズが集まる『むら』があるんだけど、一緒に行かない? そこに行けば水場もあるし、『ジャパリまん』も食べられるわよ」
「ありがとうございます、カラカルさん。ぜひお供させて下さい」
助かった、現地住民の集落が近くにあるらしい。
利用可能な水源があるうえ「ジャパリマン?」なる食べ物が入手できるという。ついて行かないという手は無い。
「命を救ってもらったうえに、何から何まで……本当にありがとうございます……」
「ええ~、よしてよ~、照れくさいわね」
我々は「さばんなの村」に行くことになった。
ふと見ると、私が殺したあの怪物「セルリアン」が、半分溶けたような姿になっていた。例の「サンドスター」の煙が立ち昇っている。
天へ昇って、土へ染み込んで、消えていく屍……こいつは一体何なんだろう? この「ジャパリパーク」の生態系で、「セルリアン」はどういう役割を担っているのであろうか?
「……こいつには、かわいそうなことをしたかもしれない」
「え? どういうこと?」
カラカルが怪訝な顔をして尋ねる。
「実は、元はと言えば、私が不用意に近づいたから、こいつは襲ってきたみたいで……。適当な距離を取って、逃げていれば、殺さないで済んだかもしれないな、と……」
自衛のためとは言え……不注意に接近した私も悪いのだ。
私は、何も残すこと無く消えていくセルリアンのことを哀れに思った。
「土は土に、灰は灰に、塵は塵に――*45」
「なにそれ? まほうのじゅもん?」
「そうですね……土から生まれたものは、土に還って……。今度会うときには、仲良くなれるようにって……」
「……ハナコはヘンなフレンズね。ずっと眉をつり上げて、冷や汗流して……難しい顔して、色んなこと考えて」
カラカルはそう、出し抜けに言った。
「何も知らないかと思ったら、色々な事を知っている。何もない所から水を出したり止めたりしたり、変なガラクタを集めだす。自分がめちゃくちゃにしたセルリアンのことを、かわいそうだとか言い出す……ハナコ、アンタは一体何者なの?」
「『何も分からないけもの』なの、『頭のいいけもの』なの? 『怖いけもの』なの、『優しいけもの』なの?」
何もかも見透かしているような青い瞳。
暑さによるものではない、冷たい汗が頬を流れ落ちる。
それは私にまつわる問題だけではなく、「ヒト」とはと何か、「人間」とは何か、と問いかけているように思えた。
この大自然と融和して暮らす、彼女たち「フレンズ」から、私のような「文明人」への疑問……「お前は何者なのか?」……。
だが、そう聞かれても、私は何も分からない。
私という存在が、この世界に受け入れられてもいい存在なのか……。
「……んんん、ゴメン! そんなこと聞いても、分からないわよね。なんにも分からないから、そうやってハナコは、こわい顔をして、ずっと悩んでいるんだもの。ゴメンなさい」
カラカルは大きく息を吐いて、そう謝った。
……自分では気が付かなかったが……周りから見て、私はそれほどまでに「こわい顔」をしているのだろうか? そんなに「せっぱつまった顔」をし続けていたのだろうか?
「まあ、『むら』のフレンズにはアタマのいい子もいるから、きっとハナコの助けになってくれるわよ。それに……」
カラカルは言葉を続ける。
「あそこの、暗い場所の中で生まれて。何にも分からなくて、死にそうになって……。きっと『ここは、すごくいやな、なんていやな所なんだ』って思ったかもしれない。でも、そうじゃないのよ。このジャパリパークには、そりゃあ、いやなことや悲しいことだってあるけれど……。でも、それだけじゃなくて……。たくさん、楽しいことも、嬉しいことも、気持ちがいいことも、あるんだって。あたし、ハナコに、教えたいの。他のフレンズも、みんな良い子だから……。だから、私と、一緒に行きましょう? ね?」
彼女はあまり、言葉を慎重に選んで喋るのが上手な人ではなくて、全てを言うのに時間がかかったけれど、その素朴な気持ちが言葉の端々から伝わって来た。
そして……いたずらに言葉を重ねるよりも、この手に限る! とばかりに、泥や血で汚れた身なりの私を、彼女はぎゅっと抱きしめてくれた……私を受け入れる、柔らかい身体。カラカルの綺麗な長い赤い髪は、太陽の匂いがした。
……いつのまにやら、まるで母親に甘える子供のように……彼女の「
私は泣いていた。
このペースでは、本当に脱水症状になりそうだ。
全く、老廃物の排出器官が著しく忙しい日である。
それから、ふと眺めると、あの「セルリアン」の死骸は消えていた。ほんの少しばかり「サンドスター」の虹色の結晶が、線香の煙のように立ち昇っていたが、それもやがて、サバンナの心地よい一陣の風がびゅうっと吹くと、かき消えていった。
この世界に生まれて、何も残さずに消えていったセルリアン。
……お前は、何のために生まれてきたんだ?
この世界に
哀れな奴らだとは思うが、しかしせっかく生まれたこの体……死んで蘇らせてもらったこの肉体……お前らに捧げるつもりは無い!
私自身や、彼女達本当の愛をもつ「フレンズ」達を襲うなら……いくらでも返り討ちにしてやる、セルリアンども!
私は、
ヤツらの目玉に喰らいついてでも……絶対に生き残ってやるッ……!!
【参考資料】
◆Special Story:雄と雌が決まる仕組み 魚から鳥,哺乳類まで - JT生命誌研究館
https://www.brh.co.jp/publication/journal/024/ss_1.html
◆オスの存在理由、実験で証明される|WIRED.jp
https://wired.jp/2015/06/15/sexual-reproduction/
◆Tingatinga - Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Tingatinga
◆キリンとアカシアの攻防 - 川崎悟司 古世界の住人
https://ameblo.jp/oldworld/entry-11155698053.html
◆サバンナ・アカシア(Acacia tortilis)- ぱんさのマイナー植物園
http://www.mirai.ne.jp/~panther/acacia/
◆アカシア・トルティリスという樹種 - JICA 国際協力機構
https://www.jica.go.jp/project/kenya/005/news/20151001_07.html
◆富士サファリパークCM - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nYY7282od-s
◆虹の色数の話 円環伝承 雑学考
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/zatu/18.html
◆只見町のブロッケン現象|只見町公式ホームページ|福島県
https://www.town.tadami.lg.jp/tourism/natural/000819.html
◆空気遠近法とは? - コロコロのアート 見て歩記&調べ歩記
http://korokoroblog.hatenablog.com/entry/kukienkinhou1
◆脈拍は、一般に橈骨動脈で測定するのはなぜ?|看護roo!
https://www.kango-roo.com/sn/k/view/2470
◆人間の手は「殴る」ために進化したってホント? J-CASTニュース
https://www.j-cast.com/2016/08/19274979.html?p=all
◆人間の手は、他人を殴るために進化した!! エキサイトニュース
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201510_post_7692/
◆拳の正義 ~殴り合いは人類の進化に影響を与えたか? - Ameba News
https://news.ameba.jp/entry/20130103-314
◆【身長・体重】中学生の平均【男子、女子、学年別】 陸上平均タイムネット
https://rikujou-heikin.net/archives/754.html
◆出血量と生命|家庭の医学|時事メディカル
https://medical.jiji.com/medical/027-0004-99
◆いろいろな動物の香箱座りまとめ もふもふちゃんねる。
http://blog.livedoor.jp/mohumohuch/archives/2582661.html
◆まるで巨大な猫!動物園のクマが「香箱座り」withnews
https://withnews.jp/article/f0180613001qq000000000000000W08u10101qq000017499A
◆猫は肉球から汗をかいている?知られざる体温調節の方法とは? – ねこびあ
https://tetoan.com/cat-trivia/sweat/
◆救命救急のシンボルマーク「スターオブライフ」 介護タクシー案内所
https://caretaxi-net.com/column/8072/
◆ある意味究極のDIY、刑務所の囚人たちがこっそり作ったモノいろいろ - DNA
https://dailynewsagency.com/2014/01/15/creative-ingenuity-prison-inmates-4wm/
◆創世記(口語訳) - Wikisource
https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#第3章