SB69に引きずられる魂が救い出されました。
水鏡女学院には問題児がいる。
その者は留年に次ぐ留年、そしてまた留年を積み重ねるような落第生であり、今年もまた意気揚々と留年しようとしている。これには好々先生の愛称で知られる司馬徽も「好々」と返す事ができず、卒業できる頭脳はあるのに一向に女学院を出て行こうとしない不肖の弟子に頭を悩ませていた。
問題児の名は徐庶、字は元直。真名は
彼女は、当代随一の戦略家である諸葛亮、当代随一の戦術家である鳳統。と稀代の天才足る二人に勝るとも劣らない頭腦の持ち主ではあるのだが、この徐庶と云う人物。好々先生を以てしても助走を付けて拳で殴る程に性格がクズかった。彼女は決して善良な人物ではない、しかし悪徳に生きる人物でもない。クズと表現する他にない、粉うことなきクズである。煮ても焼いても食えず、毒にも薬にもならないような、ただただクズなのが彼女という人柄であった。近頃、司馬徽は心労から体調を崩す事が増えたが、それは決して年齢ではなく、九割方、名前も呼びたくない彼奴のせいだと確信している。人類の倒すべき悪、と呼ぶには大仰過ぎるが、しかし、もし自分に倒すべき相手がいるのだとすれば、それは彼女の事なのだと運命すら感じる程である。
彼女は毒にも薬にもならぬ故、女学院の可愛い生徒が影響を受けない事だけが救いといえば救いであった。
†
同門からは万年留太郎と陰口を叩かれる私は、徐庶と云う。
別に男という訳ではない、歴とした女である。ただ万年留子と呼ぶには、些か趣が足りないように思うし、万年留花子では少々くどく感じられた。故に語感が良く、それなりに字面も良い万年留太郎で落ち着いたのだと考えられる。さて、万年留太郎という仇名が示すように私は水鏡女学院の最高学年を四度、留年を繰り返した経歴を持つ。その為、私は女学院の院長を務める司馬徽、つまり水鏡先生の呼び出し常習犯でもあった。
今日も今日とて水鏡先生に叱責を受けた身の上、院長室を出る直前に見た先生の窶れた顔に「嗚呼、こんな私の為に時間を費やさなければならないなんて、とてもかわいそう」とか思ったり、思わなかったりする。今日に至るまで耳に
近頃、白髪が増えてきた水鏡先生の頭皮を心配しながら廊下を歩いていると、ひょこっと幼い見た目の少女が私の前に姿を現した。
「元直先輩、良い加減に講義に出たら良いのでは?」
水鏡先生の怒声を聞きつけたのか、心配するように、少し軽蔑を込めた目で私を見つめてきた。
そんな可愛らしい後輩に私は溜息一つ、わかってないな、と肩を竦めて答えてのける。
「そうは言うけどね、孔明。朝起きるのは辛い。人生における最大の苦行は早起きであり、最大の幸福は二度寝であると私は断言できるよ」
そう言うと、今度は少女の方が溜息を吐き捨てる番になった。
「先輩は素晴らしい頭脳を持っているのに、どうしてこうも残念なんでしょうか」
天は才を与える相手を間違えました、と可愛い後輩は天を仰いだ。
先輩に対する敬意が欠片もない少女の名は諸葛亮、字は孔明。世の中にはもっと実直で素晴らしい方が幾らでもいたはずです、と彼女はわざとらしく泣き真似をしてみせる。ちなみに私が留年を続けている理由に成績は関係ない。成績が低い者は退学という手続きを取るのが当学院であり、そんな環境で私が四年も留年を続けていられるのは私が有能である証左であった。事実、私が留年した四年間で水鏡女学院の卒業生に首席が出ておらず、空席になり続けている。その原因が私にあるというだけで、如何に私が天才染みているのか分かるはずだ。
可愛い後輩の悪愛を笑って聞き流す度量を見せつければ、孔明は呆れるように肩を落とす。
「……やっぱり毎朝、私が起こしに行った方が良いのかな?」
そんなことを呟いて真剣に考え込む彼女に、私は肩を竦めて苦笑する。
孔明、彼女は水鏡女学院を代表する俊才と評判を持っている。それもそのはずで卒業するには六年間もの年月が必要とされる当女学院を僅か二年で卒業しようという天才児であった。四年間、空席だった首席にも手が届くのではないかと期待されており、恩師、水鏡先生からも「水鏡女学院創設以来の頭脳」と高い評価を受けている。流石は四年前までは女学院創設以来の頭脳と呼ばれていた私と同じ渾名を持つだけの事はある。
この事を孔明に教えたら凄く複雑そうに眉を顰めた、解せない。
「私と孔明ちゃんが知恵を絞っても先輩の性根を叩き直す方法が思い付かないよ……世の中には解決のしようがない無理難題があるという不条理を嫌でも思い知らされるね……?」
おずおずと孔明と同じ物陰から姿を表したのは鳳統、字は士元。
人見知りが強く、いつも何かに怯えるように身を震わせる。そんな臆病で頼りなさそうな彼女ではあるが、これで孔明と比肩する頭脳の持ち主と云うのだから油断ならない。恩師が言うには「天にすらも手が届く二人の内一人」とのことであるが、それも私という天才の中の天才の前では霞むことになる。
私から見た彼女は小動物的仕草が愛くるしい愛玩的可愛さを持つ少女に過ぎなかった。
「だ、駄目だよ、士元ちゃん。先輩の為にもしっかりと考えなきゃ……諦めたら、それで終わりなんだよ?」
「先輩なら退学になっても苦にしない、と思う……何処にでも仕官できちゃいそうだし……」
「そ、それはそうだけど……やっぱり卒業はして欲しいよ、先輩と一緒に卒業もしたいし……」
孔明ちゃんは優しいね。そう告げる声色は優しくて、私を見つめる瞳は冷ややかだった。
「この先輩を改心させることよりも世の中を正す方が簡単だと思うな……」
「それは分かってるよ、士元ちゃん。たとえ、この青空が黄色に染まることがあっても先輩の性根は直らないよ」
水鏡先生曰く、大陸史を代表する二人から見放された私は、特に気にすることもなく空を見上げる。
今日も良い天気だ、と。
「そういえば、士元。社会勉強は幽州だったんだよね?」
「あ、はい。水鏡先生が病で倒れたと聞いて戻ってきたけど……軽い症状でよかったです。なんでも心労が祟ったとか……」
「心労とはいけないな。好々先生の名に疵が付く」
そう云うと鳳統はじとっとした目で私を見つめてくる。
「今日も良い天気だ」
最後、呟けば、鳳統の視線が更に曇った。
†
可愛い後輩の為、三日も休まずに出席した私は一週間の休息を取った。
それでまた水鏡先生に呼びされることになり、几帳面な私は恩師の顔を立てる為にも院長室まで足を運ぶのだった。仕方なく。私のような人間にも慈悲の心を忘れないとは、水鏡先生も酔狂な御人である、水鏡だけに。ちーっす、と気心の知れた相手の家に遊び行くような調子で院長室に上がり込むと水鏡先生は、ここ数年で一度も見せたことがないような気持ちいい笑顔で出迎えてくれた。それはもう逆に不気味に感じてしまう程にだ。故に直感する、あっこれって冗談で済まされないやつだな、と。
そそくさと無言で回れ右をする私に「待ちなさい」と柔らかい声色で呼び止められる。その柔和な笑みからは、どういう訳か有無を言わせぬ迫力を纏っていた。
「あなたを今年で卒業させます、というよりも良い加減に女学院から出て行きやがれ」
我が恩師は唾を吐き捨てるように言い放った。
「ま、待ってください、恩師。我が水鏡女学院では院長の特別な許可がない限り、一年間で三分の二以上の出席、週に一度の休日を抜いて、約二百四日以上の出席が認められない限りは留年にすると定められているではありませんか! 詳しく云えば、教科一つに対して、四分の三以上の出席も必要とされていたり、例外として飛び級制度があったりしますが……このような特例は認めるべきではありません、女学院の規範が乱れる原因になりませなせんよ!」
「そういう規則はきちんと理解した上で守らないところが本当に可愛くないわね、ふてぶてしいとは貴方の為にある言葉よ」
恩師との付き合いも早六年と長いもので、今となっては気心が知れ過ぎて好々先生と呼ばれた面影はない。最早、体裁を取り繕うことすらも止められてしまっている、嘆かわしい事に。
「一年生から最高学年に飛び級してから苦節の五年、遂に先日、正確には一週間前の時点で貴方は卒業に必要な出席日数を満たしたわよ。おめでとう、わーぱちぱち」
抑揚のない声で手を叩く恩師の口元は笑っているにも関わらず、その目に光はない。
「そ、そんな馬鹿な!」と私は声を荒げた。
「まだ一年間の出席日数の余裕は百六十日近くはあるはず……ッ!」
「ええ、だから、この五年間で一年分の出席日数を満たしたのよ」
「そんな校則は……いや、まさか……ッ!」
この一週間、私は食事と洗身以外で部屋から出ずに引き篭もり続けていた。その間、誰も私を呼び出しに来ず、優雅な一時を過ごしていたことを思い出す。数日に一度、部屋まで押し掛けてくる孔明が一度も来なかったのだ。
「この一週間で校則を変えた、貴方が卒業できるように……卒業できる能力を持ちながら留年をした者に限り、出席日数は累計で換算すると……ッ!」
「それこそ馬鹿な! 保守的で頭の固い貴方に、そんな柔軟な対応ができるなんて……もしかして、恩師。貴方ではない?」
そうだ。この一週間、女学院で唯一、私を慕っている後輩が一度も顔を合わせなかった。
「は、謀ったな、孔明ッ!?」
「貴女相手には巧遅よりも拙速の方が効果的、孔明の言った通りね。今の私は気分が良いから先の暴言は聞き流してあげます」
「……働かずとも手に入る清潔な衣服、美味しいご飯、快適な宿舎という極楽浄土を手放さなくてはならないだと……くっ、この徐元直ともあろう者が相手を見誤るなんて耄碌したものですね!」
「私利私欲だけで誰かを殺めることは悪徳なのでしょうが、貴女を殺めることだけは私利私欲であっても善徳になる気がして仕方ないわね」
「働きたくないでござる! 働きたくないでござる!」
もう駄々を捏ねるしか手段をなくしてしまった私に、恩師は呆れた様子で大きく溜息を零す。
「この女学院に無料飯を食わせる余裕なんてありません。そもそも留年なんていう制度が施行されたのは貴女が初めてなのよ?」
ふと思い返されるは、初めて水鏡女学院に訪れた時のことだ。
最初こそ齧る親の脛がない寮生活に嫌気が差していたが、何も言わずとも女学院から支給される衣服に「働かずに食う飯は美味いか?」と嫌味を言われずとも出される御飯。そして幾ら書籍を読み耽り、引き篭もっていても文句を言われない私室。衣食住の整った快適な学園生活に私は数日と保たず、くるりと手首をひっくり返す事になった。嫌がる娘を力尽くで女学院に放り込んだ両親の事を少なからず恨んでいた私も、思わず心から感謝してしまうほどだ。
これから先の六年間、悠々自適な引き篭もり生活を過ごし続ける。そんな決意の下に作成した人生設計が狂ったのは一年目の成績発表の事だ。ちょっと私は天才過ぎたので? 年末試験で全問正解しちゃったのだ。追加で受けらせられた抜き打ちの試験でも、どや顔で全問正解してやれば「もう貴女には教えることはありませんね」と水鏡先生からのお墨付きで最高学園まで飛び級させられてしまった。
いや、待てよ、と。ちょっと待ってよ、と。皆が祝福する中で最高学年に繰り上げさせられた私は生まれて初めて、本気の勉学というものに励んだ。そして留年をする為にありとあらゆる工作活動に勤しんだ。
そして今がある。五年間、私が守り続けた場所が今、脅かされている。
「……いや、しかし、恩師よ」
だが、まだ何か手はないかと口を開いたが、恩師の広げた手によって阻まれる。
「さっさと出て行けっつってんだよ、穀潰し」
取り付く島もないとは、正にこのことだ。
†
あれから更に一ヶ月が過ぎて、私の荷物が全て燃やされていた。
卒業したのだから出席する必要はないと開き直っていたのがいけなかったのだろうか。それとも恩師からの小言を聞き流し続けていたのがいけなかったのだろうか。五年間で築き上げたコネを活用しながら寮の一室に居座り続けること一ヶ月、可愛い後輩の鳳統が食事に誘って来たので部屋を出て、昼食のついでに将棋も指していると部屋に置いていた荷物を全て中庭に持ち出されて、気付いた時には家具ごと燃やされていた。兵は拙速を尊ぶ、またしてもしてやられたようだ。戦うまでもなく勝敗は決した、対策を取る暇も与えない迅速な行動は兵法のお手本だった。
指示を出したのは我が恩師、主導したのは諸葛亮ようだ。中庭で呆然と立ち尽くす私に、諸葛亮は松明を片手に意気揚々と駆け寄ってくる。潤んだ瞳、熱っぽい吐息、そして口元は光悦に歪ませている。どうやら愛しの後輩は、何かいけない扉を開いてしまったようだ。私の後を追いかけてきた鳳統が変貌した幼馴染の様子に、ひえっ、と私の後ろに隠れてしまう程度には不気味だった。
諸葛亮は太腿を擦り付けながら、はうっ、と息を零して私に擦り寄る。
「そういえば先輩とは真名を交換していませんでしたよね?」
松明を片手に持ったまま私を腕を取り、ギュッと抱き締めてくる。身の危険を感じて、下手な抵抗もできなかった。
「これでお別れになるのも寂しいので、真名を交換しましょう」
愛しい後輩の上目遣いからの懇願に逆らえるはずもない。
「あ、ああ、そうだな。私は珠里だよ」
「はい、私は朱里です」
ふるふると震える鳳統を背中に庇いながら引きつった笑みを浮かべる。諸葛亮はやる時はやる女だ、下手に逆らってはいけない。
この後、私は女学院を出る準備を整えるまでの間、と期限を決めて、諸葛亮と鳳統の部屋に泊めてもらう事になった。そして、地面に体が引っ張られる、とか、今日は風水的に日が悪い、とか、あの手この手の限りを尽くして、二週間もの時間を稼いだ後、恩師が部屋に乗り込んで私を簀巻きにした。そして牛車に放り込まれた私は隣町まで運ばれる事になる。
最近、面白い恋姫二次作品の新作が出ていて嬉しいです。
うちの作品を読んでいる読者なら以下の作品は追いかけても損はないと思います。
「幻想の果てに届きし願い」
正統な二次創作って感じの内容です。
呉√の一刀が記憶を失った状態で呉√を再走、兎にも角にも文章力が高い。やばい。
惚れ惚れする。
「法考直は間違えられない」
ありそでなかった益州の物語。
うちの作品群を読める方なら肌に合うかなといった感じ、続きが待ち遠しい。
「西方の姦雄」
涼州、韓遂の物語。
内政というよりも政治の側面が強く、立場とか、内情とか丁寧に書き連ねてくれる。
こういった背景を丁寧に書いてくれる作品、大好きです。
「真・恋姫無双~黒狼伝~」は追いかけていただけに復活、嬉しいです。
あと、ここから先の数話程度、徐庶の物語。