桃香放浪伝   作:にゃあたいぷ。

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前話のサブタイ変更しました。


第十二篇.幽州へ

 心地よい暖気、窓から入る風が心地良かった。

 墨香る執務室にて、私は筆を片手に大きな欠伸をする。目の前には書類の積み重なる執務机、幽州刺史になってから処理する横から積み重ねられる紙束だった。代わり映えしない文字列に羅列された数字、それが朝から晩まで続く訳だ。気を可笑しくしない方がどうかしている。

 本来、私は武官だ。戦働きで昇進を繰り返すことで幽州刺史に抜粋された。だから統治は本業ではない。そうであるにも関わらず、慣れぬ政務に時間を取られる日々が続き、槍を持つ時間よりも筆を持つ時間の方が長くなった。ついでに云えば、馬に跨る時間よりも、椅子に腰を掛ける時間の方が多くなった。何処も彼処も似たような話があるとは思うが、政務を携わるようになってから最も嬉しかった贈り物は、業物の武具や馬具ではなく、私の体格に合わせて設えた最高級の椅子であったりする。この武人にあるまじき価値観の変化が少し切なく思えることがある。

 最早、体の一部になりつつある椅子の背凭れに体を預けて、ふうっと溜息を零す。

 

 私、公孫賛は戦場に生きる者だ。それでも、ここまで書類を溜め込むことは少ない。

 

 民衆の大規模な叛乱。

 誰が呼んだか黄色の布を頭に巻いていることから黄巾党、公的には賊として扱われているので、役所勤めの間では黄巾賊と呼ぶ事が多い。その黄巾賊が最も活発に活動しているのが青州であり、青州軍を返り討ちにし、州刺史の首を取ったことで無法地帯へと成り果てた。大陸中が黄巾賊の対応に追われて余裕のない状況、朝廷からも形だけの出兵によって放置されることになった青州の為に戦力を捻出できたのは、幽州軍と徐州軍だけであった。とりあえず今は青州を二分割する形で幽州刺史の陶謙と話を付けている。

 とはいえ幽州軍は漢王朝の北壁としての役割を担っており、異民族の侵略から大陸を守る必要がある為、多くの戦力を青州に持っていく訳にはいかなかった。徐州軍も陶謙が病に臥せることが多くなり、出せるのは義勇兵を主体にした軍勢という心許ないものであった。

 青州の統治に費やされている兵力は、徐州軍が五千に加えて、幽州軍の三千。そして援軍として官軍が二千の計一万となる。対する青州黄巾賊の規模は既に数万、あるいは十万にも届くと云われている。日に日に数が膨れ上がる黄巾賊を相手にするには、余りにも兵の数が足りていなかった。統治というのも名ばかりであり、実際のところ、青州に巣食う黄巾賊に攻め込む時に必要となる拠点を維持し続けているだけに過ぎない。

 そんな絶望的な状況下、光明と呼べるものが出没したのは先日のことだ。

 

 現地に残る将兵が、民衆と共に黄巾賊を返り討ちにした。

 一度目は偶然だと思った。しかし二度、三度と続くに連れて、確信する。

 青州には、民草の希望と成り得る存在が居る。

 

 報告書には二人の存在。平原の戦姫、常山の趙子龍。

 

 接触しなくてはならない。そう判断した私は現地に追加の部隊を送ることを決断する。

 精鋭の騎馬隊を五百騎、確実性に定評のある妹に戯志才を伴わせて、現地の情報を仕入れてくるようにと遣わせる。

 そして今日、漸く戻ってきた。

 

「姉さーん、戯志才さんが帰ってきたよー」

 

 妹の黄連(ふぁんれん)からの連絡を受けた私は山積みになった書類を机の下に隠してから部屋に通すように言い付けた。

 先に戯志才からの報告を受けること数十分、遅れて入ってきた待ち人に視線を向ける。

 

「久しぶりだな、玄徳。風鈴先生のところを出て以来か?」

 

 劉備玄徳、嘗ては緩い空気を纏っていた彼女は――雰囲気をそのままに風格だけを大きくしていた。

 今はもう勝てる気がしないな。少なくとも書類漬けで鈍った腕では、戦場で鍛え上げられた彼女の武技に敵うとは思えない。そして、仮にも幽州刺史である私を前にしても胸を張り、気後れすることもなく、それでいて謙虚に拝礼をしてみせる姿に人としての大きさの違いを感じ取った。私塾時代から自分を追い詰める奴ではあった、しかし此処まで成長していたとは思っていなかった。ふと脇腹を見やる。大怪我を負ったと聞いている。傷口を焼いて塞ぎ、三日三晩、激痛に魘され続けていたとも聞いている。そして今もまだ完治していない。それをおくびにも出さず、威風堂々と立つ姿に――少し嫉妬した。今や彼女の格は私個人よりも大きいということが嫌でも理解させられた。それでも気後れするつもりはない、少なくとも私は幽州を代表する者として此処に座っている。幽州刺史という立場と肩書きが、私の格を押し上げてくれる。

 だから私も胸を張って、先ずは言うべきことを告げる。

 

「平原の件、州刺史として礼を言わせて貰う。大したもてなしもできないが、客人として歓待させるからゆっくりして行ってくれ」

「ううん、別に構わないよ。生きるのに必死だっただけだから」

 

 生き残るには誰かに必要とされる存在になる必要があった。

 そう告げる旧友に少し胸が疼いた。詳しい事は知らないが、私塾を卒業した後、彼女の身に何が起きたのか情報として知っている。端的に言ってしまえば、彼女の故郷は賊に襲われた事で廃村になった。その後で行方知れずとなった旧友二人を探す為に、あの手この手と手を打ったものだ。

 数ヶ月が過ぎて、賊に巻き込まれて殺されたか、連れ去られたか、諦めかけていた時に平原の戦姫の噂を聞いた。

 生きていたのだ、と嬉しく思う反面で焦燥感もあった。遂に世の中が劉備玄徳を知ったのだ、と。瞬く間に平原の戦姫の名は青州に広まった。青州の民草は二分されている。今の御時世に絶望し、黄巾賊に身を堕とすか。平原の戦姫、もしくは常山の趙子龍の活躍に、もう少し頑張ってみようと抵抗し続ける者達が居る。

 早い内に劉備を平原に戻す必要がある。骨休めをさせた後、何かにかこつけて青州に送り返す必要がありそうだ。

 ……立場が上がると友人すらも道具のように扱うことを考えてしまうから嫌になる。

 

 世間話でもするように二つ、三つと言葉を交わした後に、そういえば、と同席していた妹の黄蓮が口を開いた。

 

「徐州の方では、天の御使い御一行様が訪れたみたいだね」

「天の御使い? 管路の予言だったか?」

 

 問い返すと黄蓮は頷き返した。

 

「天の御使い……?」

 

 劉備は首を傾げると眉間に皺を寄せる。

 

「どうした? 玄徳がそんな顔をするなんて珍しいな」

 

 そんな旧友に不思議に思って問いかけると彼女は顰めっ面のまま答える。

 

「……ううん、大した事じゃないよ。でも、なんかね、敵な気がする。いや、敵だった、かな?」

 

 その言葉に、はあ、と気の抜けた返事をするしかなかった。

 劉備は決して勘の鋭い人間ではない、どちらかといえば鈍い方だ。真っ直ぐな瞳でじっくりと相手を見極めようとするから正確ではある。しかし此処にはいない何かに対しては勘が働くことはない。それが少しもの珍しかったものだから、この出来事は記憶の片隅に刻めることになった。

 ああ、そういえば、と連れているはずの旧友のことを問いかける。

 

「憲和ちゃんも元気だよ。ああ、でも……」

 

 劉備は困ったようにはにかんで、続きを口にする。

 

「伯珪ちゃんの事だから、もう調べてると思うけど……憲和ちゃんに故郷の事は言及しないであげてね」

「ふむ、玄徳。君の両親が賊に殺された事は知っている。そして恐らく玄徳が賊を討ち倒した」

 

 答え合わせをするような感覚で問いかけると劉備は無言で頷き返した。

 

「……それだけじゃないんだな?」

 

 劉備ははにかんだまま、暫く何も答えなかった。

 

「これは他言無用でお願いだよ」

 

 そう言うと旧友は故郷を賊に襲われた時の話を掻い摘んで答える。

 要所でぼかされる言い方に私は深く溜息を零し、そして此処には居ない旧友のことを思い浮かべる。

 そして、もう一度溜息を零す。今の御時世では、珍しくもない話だ。

 

 

 水滴が肌を伝って、滴り床に落ちる。

 白い湯気が篭る浴室にて、私の前で裸体を晒すのは親友の柳香(簡雍)だ。

 恥じらうように私を見つめて、怯えるように身を震わせる。柳香(りゅうか)は肌を晒すのを極端に嫌う傾向にあった。まるで猫のように風呂を嫌う彼女の衣服を無理やりに脱がせて、今は背中を晒させている。「桃香(劉備)、どうしても駄目?」と振り返り横目に懇願する親友に「駄目」と私は満面の笑顔で答える。放っておくと彼女は着ている衣服を脱ごうともしない。だから旅の途中であっても、こうして面倒を見てあげる必要があった。泡立てた手拭いが彼女の肌に触れる度にピクリと身を跳ねさせて、もう止めよう、と涙目で懇願するように私の事を見つめてきた。そんな彼女は妙に色っぽくて、なんというか少し唆られる。唾を飲み込んで、嫌がる彼女にも容赦なく肌を擦った。宝石を磨き上げるように、時間をかけてじっくりと丁寧に汚れを落とす。その際に彼女の口から零れる情けない悲鳴も、最早聞き慣れたものであった。

 昔から、こうではなかったと認識している。少なくとも私塾時代、身嗜みには人一倍に気を使っていた印象だ。私もよく別嬪さん、と言われることはあったが、柳香は少し違っている。親友は人の目を惹く美しさを持っていた。今は見窄らしい姿を好むことが多く、綺麗とか、可愛いとか、そう取られるような行動を意図的に謹んでいる。

 それでも少し体を磨けば、きめ細やかな肌が晒される。思わず指先を這わせたくなるような美しさであり、それをもう皆の前に晒されない事が少し勿体無く、私の前にだけ晒される事がこれ以上ない贅沢にも感じられた。私塾時代、よく男性が劉備派か簡雍派、少数の公孫賛派で騒いでいたのを覚えている。公孫賛派を名乗る者達は、妙に熱意が強かったので旧友は少し怯えていた。

 懐かしい過去を思い返していると「ふえぇ……」と柳香が更衣室に逃げ出そうとしたので後ろから抱き締める。そして、前の方も丹念に洗い尽くしてやった。今の彼女は少し臭う、そして私も同じく臭っているはずだ。決して良いとは思えないはずの臭いを嗅ぎながら、この際だからと何時もよりも丁寧に時間をかけた。親友はギュッと目を閉じて、小動物のように身を震えさせている。

 お湯を流してもいないのに水音がする、彼女の股下から白い湯気が立つ。柳香は脱力しきった体を私に預けて、うぅっ、と目尻から涙を零しながらキュッと唇を結んだ。その姿があまりにも可愛かったので、なんとなしに目元から流れ落ちる雫に舌を這わせる。ピクリと身を震わせるが抵抗はない。こういう時、彼女はただ耐え忍ぶだけになる。また汚してしまった箇所を手拭いで拭って上げながら、涙を舐め取り続ける。

 それは浴槽に浸かってからも続けて、そして二人して逆上せてしまった。

 

 翌朝、ぐったりとした柳香の姿に苦笑する。

 丹念に体を洗ってあげた翌日の柳香は、いつもこんな感じだ。ちょっと体を動かした程度では起きないので、少し間近で彼女の寝顔を確認してから、ふりふりっと手を振ってみる。すると少し煩わしそうに身を捩ったので、邪魔しちゃったかな? と苦笑い。行ってきます、囁いてから部屋を出る。

 手頃な木剣を二振り持ち出して、中庭へと向かった。鍛錬を欠かすことはしない。まだ怪我は完治していないが、強く擦ったりしなければ血が出ない程度には回復している。本調子には程遠いが、体を動かすのに支障はなかった。私は剣を持った、為すべきことを為せるように。自分の意思を曲げない為に、私は力を欲した。私は自分の信じる道はまだ分からない。でも、真っ直ぐに前を向いて歩きたい、と思っている。

 だから、せめて自分を信じられる道を歩みたい。そう思って、私は今日も剣を振る。

 

 

 

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