申し訳ありません。
御先祖様みたいな大きなことをしてみたい。
その想いがゆるっとふわっとしていることは分かっている、それでも求めずには居られない。御先祖様が築き上げて、先祖代々が守り続けていた御家を継ぐ事が嫌な訳ではない。それが大切だってことは分かっている、御家が私に受け継がれることはきっと誰もが羨むような幸運であり、それを蔑ろにすることは先祖の皆様方に失礼っていうだけではない。きっと徐州糜家に関わってきた全ての人間に対して無礼なんだと思った。
だからこそだ、私には今しかない。
私は徐州糜家を継ぐ為に幼い頃から英才教育と呼ばれるものを受け続けてきた。奴婢と従業員、合わせて一万人を抱える商家の当主として必要となる知識は勿論、心構えから交渉術に至るまでを叩き込まれている。あとは実践を経験するだけの段階で、もう数年も過ぎれば徐州糜家に所属する何処かの店舗の運営を任される予定だ。そうなってしまえば、もう私は自由に身動きが取れなくなる。だから今しかない。今の私が何処まで通じるのか知りたかったのだ。
これが贅沢な話で、とんでもない我儘だってことは分かっている。家柄や血筋も含めて、私という存在が象られていることは理解している。それは切っても切り離せない縁であり、私が私である以上、捨てることなんて決して出来ない。少なくとも私が軍資金として、せっせとお金を集める事ができたのは徐州糜家の基盤があっての事だし、護衛の皆が付いてきてくれるのも徐州糜家の信頼があっての事だ。その事は理解しているつもりだ。
それでも等身大の自分で何処までやれるのか試してみたかった。
故に私、
幽州刺史を務める公孫賛は、異民族に対して排他的な側面を強く持っている。
その為か幽州には目新しくて、面白そうな物が少ない。それでいて幽州は年柄年中、異民族と戦争を続けているような土地である為に物資も少なかった。徐州から遥々と幽州まで来たというのに、これではあまり来た価値がない。物資を持ち込むには良いが、買い手も貧しているので高値で売り捌くのも難しそうだ。なんとも商人泣かせな土地だった。
がっくりと肩を落としながら街を散策する。
そういえば異民族との宥和政策を推し進めていた劉虞も幽州刺史の候補に上がっていたんだっけ? 結局、定期的に戦功を立てる公孫賛を州刺史にすることで、漢王朝の武威を内外に示す。とかいう政治的
そうして歩き回っていると物珍しい衣服を着込んだ少女を見つける。
「うげー、ゲロマズー。お茶の淹れ方、一つもわかんない訳ー? こんなの初等部でも学んでるっつーの」
少女は茶店で赤い舌を突き出しながらペッペッと唾を吐き捨てる。
その素行の悪さには目が行かず、周りとは違う雰囲気を纏う彼女に惹かれるように歩を進めた。彼女と似た衣服の感性を持つ者は他にも居た。しかし彼女が持つ仕草や立ち振る舞い。加えて、きめ細やかに編まれた衣服が目に付いた。見たこともない布地に、見たこともない技術が詰め込まれている。彼女は何処から来たのだろうか。纏う雰囲気は漢民族ではなく、しかし異民族からもかけ離れているように思えた。特徴的なのは長くて尖った耳、それに頭に付けた角の装飾品だった。ふらり、ふらりと惹き寄せられるように歩き、気付けば、少女が訝しげな顔でじっと私のことを睨み付ける。
あっ、と正気に戻った時にはもう遅い。
「なんだてめー! 今こっち睨んでただろ! あーん!?」
少女は背中に付いた蝙蝠のような翼をバタつかせながら私に言い寄ってくる。
威嚇されているのだろうか? いや、そんなことよりも……間近で見る彼女の衣服は、やはり私が知っているものよりも数段上の技術が使われており、それでいて精巧だ。装飾品の加工にもムラがほとんどないように見える。とりあえず落ち着かせないと、って考えて彼女の顔を見ると肌が思っていた以上に瑞々しくて綺麗だった。この至近距離になって、初めて化粧を使っていることに気付いた。素面でも充分に美しいはずなのに、もっと綺麗になりたいという飽くなき探究心。それでいて、子供のあどけなさを損なわない自然的な化粧の施し方をしていた。
金の匂いを嗅ぎ取った私は、掛けるべき言葉を瞬時に考え、選び取る。
「美味しいお茶なら用意できるけど?」
すると少女はキョトンとした顔を浮かべて、にんまりと悪戯っ子に似た笑みを浮かべてみせる。
「あれあれ〜? もしかして私って誘われてる? 誘われちゃってる?」
上機嫌にケラケラと笑う少女に、とりあえず首肯する。
「……まあ、ちょっと幼いけどもいっか。現地妻の一人や二人、作っとかないと姉貴には追い付けないしー」
そう言うと少女は席を立ち、美味しいお茶に御一緒するわ、と私のすぐ横を歩き抜ける。
擦れ違い際、鼻先を掠める甘い香り。なんだか頭の中が、ぽやっとして、彼女の背中に誘われるように、ふらりと歩を進める。
ああ、そういえば、と彼女は意地悪っぽい笑顔で振り返る。
「先ずはねー、貴女の名前を教えてくんないかな?」
「私は……糜竺……字は、子仲……」
「違う違う、私が知りたいのは名前じゃなくって……って、糜竺? 韓馥が言ってた糜家? やっぱりあたしは道に迷ってなんていなかった!」
少女はギュッと両手を握り締めた後、私の瞳を覗き込んできた。甘い香りに脳が痺れる。
「ねえ、貴女の真名も教えてくれない? いいでしょ?」
でも真名は大切な人しか教えちゃいけないものだ。ふるふると頭を振って、キッと目の前の少女を睨み付ける。
「その風貌から察しが付いていたけど、貴女って異民族? 此処で真名を軽んじると最悪、死ぬからね」
「げっ、もう解けちゃったの? あ〜あ、此処の人達ってかかりが悪いなあ……」
ぶつくさと肩を落とす少女は、改めて私の手を取り、あざとい笑顔を浮かべてみせる。
「ねえ、御茶をしよって言ったのはそっちでしょ? なら早く連れて行ってよ」
随分と都合の良い小娘だ。しかし、また甘い香りがして、すぅっと憤っていた気持ちが落ち着いてしまった。
「んー、それは良いんだけど……えっと?」
「私は張郃、って今は名乗ってるよ。字は儁乂……だっけ? まあいっか、とにかく行くよ」
「あ、ちょっと待って……」
止める間もなく、張郃と名乗る少女が歩き始める。それに合わせて、手を繋がれた私も引っ張られた。不躾な奴だ、と思いはしても彼女のことが不思議と嫌いにはなれなかった。ひらひらと動く蝙蝠の翼、随分と精巧な造りだ。もしかして根元から生えていたりとかするのだろうか? まあ、そんなこともあるのかも知れない。異民族って獣耳が付いてたりとか、尻尾が付いてたりとかするみたいだし、にゃあにゃあ煩かったりとか。つい翼に触れたくなる欲求を抑えていると、ピタリと彼女が足を止める。振り返り、そして問い掛ける。
「ここで良い?」
そこは茶屋だった。しかし茶屋は茶屋でも出会い茶屋だ。実家は商家だし、そういう商売をしているけども――カアッと赤くなる顔を抑えることができなかった。
「なななな……なにを考えてッ!!」
「なにも? 密会するには持って来いでしょ?」
「……はえ?」
コテンと首を傾げると「あれあれ〜?」と張郃は楽しそうに笑ってみせる。
「もしかして……そういうこと、考えちゃった? 糜竺ちゃんってませてるねえ?」
ケタケタと肩を揺らす彼女に「もう!」と私は憤慨して先に店へと上がり込んだ。これ以上、主導権を握らせる訳にはいかない。入り口で待ち構える店員に小部屋を一つ、借りようとすれば「いつもの」と横から張郃が割り込んできた。店員は少しぼんやりとした様子で「畏まりました」と金銭も受け取らずに鍵を手渡してくる。少女は手慣れた様子で鍵を受け取り、クルクルッと指で鍵を回しながら二階へと上がる。その後ろを追い掛けた。
「ねえ今のって?」
「ん? ……あー、あれね。先払いしてるのよ、うん。何時も通ってるしね」
面倒臭そうに説明する彼女に色々と思うところはあったけど、ふと甘い香りがして、まあそういうものなんだろうと思うことにした。二階に上がると女性の嬌声が耳に入る。至る所から肉を打ち付ける音と荒い息遣いが聞こえてきた。嫌でも沸き立つ想像に、否応なしにこわばる肉体。胸の動悸に足が動かなくなった。「ん?」と慣れた様子の少女が振り返る。そして私の様子を見て、少女は甘い香りを漂わせながら「ここまで来て逃げるってのはなしだからね?」と獲物を見るような目で私のことを見つめて来て、そっと私の手を取った。怖くないよ、と耳元に囁かれる。安心して、と吹き掛けられる言葉に身震いする。怖い、気がする。でも、逆らえない。
「全部、私に任せてくれたら良いからね?」
そう言われて連れ込まれた部屋には大きな寝台が一つあり、甘い匂いのする香が焚かれていた。ぼんやりとしながら想うのは、先程、張郃が出していた匂いの方が良かったなあ、とかそんな事だった。少女は寝台に腰をかけると、妖艶な指使いで私を手招きする。逆らうことなんて、できなかった。ふらふらと惹き寄せられる。淫靡な指先が私の顎に触れる。そのまま彼女の胸元に惹き寄せられて、ぎゅうっと頭を抱き締められる。甘い匂いがする、甘ったるくてピリピリと脳が痺れる。
「ねえ、貴女って糜家の御嬢様なんでしょ?」
顔を彼女の胸元に押し付けながら首肯する。
「天の御使いの事とか知ってること、教えて?」
そこから先のことはあまり覚えていない。
気付いた時には部屋に一人、寝台に寝かされたまま取り残されていた。掛け布団から這い出ると裸で、寝台の側に置かれた台座には綺麗に折り畳まれた衣服が置かれてあった。まだ頭の中がぼんやりとしている。色んなことを聞かれた記憶がある。此処が幽州と教えた時は、何故か憤慨していた記憶があるけど、ずっと肌を撫でられてた記憶だけが強く残っている。お互いに服を脱いで、そして、それから……数時間前までの痴態を思い出して、ボンッと頭の中が沸騰した。嗚呼、と誰も見ていないのに両手で顔を覆い隠す。何故、どうして、あんなことを私は! 終わってしまったことを後悔しても遅くって、ただ、もう、ひたすらに悶え苦しむだけだった。
出会い茶屋を出る、ぽけっとしている。先程までの非現実的な出来事が、まるで夢のようだ。むしろ夢であって欲しいと強く願う。しかし寝台に落ちていた彼女の赤色の髪がそれを否定する。あー、とか、うー、とか、そんな鬱陶しい声が止まらなかった。悶々とする想いを抱えながら街中を歩いていると「あ、こんなところにいた」と
「もう探したんだからねー」
顰めっ面を見せる妹を見て、私は無意識に生唾を飲み込んでいた。
それは普段、意識することのない視点だった。ちゃんと肌の手入れをしているんだな、とか、ちょっと化粧をしていたりするんだな、とか。くりっとして大きな目とか、可愛らしい口元とか、呼吸をする度に膨らむ胸元とか。柔らかそうなお腹、縦筋の付いたヘソ、恥ずかしげもなく晒される肩と脇、そして背中。長い橙色の髪からチラリと見せるうなじとか、えっちぃな。って、そう感じてしまった。家族に、それも最も近しい妹に、そのような目を向ける背徳感に胸が疼いた。そんな目で見ているにも関わらず、妹は何もわかっていないかのように可愛らしく首を傾げて見せるのだ。
ちょっと熱っぽい? とか、そんな言葉を口にして、だから私は言ってしまった。
「ねえ、今日って確か湯浴みができる日だったよね?
「そうだけど?」
「ならさ、一緒に入ろ。そして洗いっこしよ?」
何時もやってることじゃない。
そう言って笑う妹に、そうだったね。と私は誤魔化すように笑った。
そして、悟られないようにペロリと唇を舐める。
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