読み返したときに第九篇.水鏡女学院の問題児にミスがあったので修正しておきました。
そのついでに、ひっそりと時系列を整理しました。
此処は執務室。墨を擦る音、筆先が紙を擦る音、そして承認と否認の判子を押す音が絶え間なく続いている。
処理せど処理せど、減る気配を見せず、逆に増えているようにすら錯覚する魔法の書類束。その内容は現場で処理すれば良いじゃん、と思うようなくだらない内容から機密に関わる重要書類まで多種多様だ。というよりも執務室の半分を埋め尽くす書類の山々に重要書類と取るに足らない書類が一緒くたにされている現状は色々と拙い気がする。
これまで脇腹の傷が治るまで、という約束で旧友の書類仕事を手伝っていたが、こうも毎日のように修羅場っていると完治し切っているとはなかなかに言い出せない。というか私が抜けてしまうと旧友が過労死してしまいそうで怖い、ついでに執務が滞って幽州が傾いてしまいそうで怖い。そもそも根本的に解決しなくてはならない問題がある気がする。親友の
そんなある日のこと、旧友の
「黄巾党という言葉に聞き覚えはないか?」
黄巾党? 繰り返す私に、伯珪は静かに頷き返す。
「近頃、多くなった大規模な民衆の叛乱には必ず、黄巾党。もしくは黄巾族と呼ばれる組織が付き纏っている」
誰が呼んだか黄色の布を頭に巻いていることから黄巾党。散発的な叛乱と呼ぶには共通点が多く、扇動の仕方が戦略的である事から民衆の突発的な叛乱という訳でもない。裏で民衆をまとめている者が居ることは明白だと彼女は告げる。
「まあ尤も首謀者の見当は付いていないようだがな」
それでも何処に首謀者が潜んでいるのか見当は付いているらしい。黄巾賊の叛乱は中国全土で行われているが、中でも活発な動きを見せているのが河北四州であり、その中でも最も怪しいのが青州とのことだ。
「それで私は青州に行って、何をすれば良いのかな?」
問うと旧友は「物分かりが良いなあ」と何故か寂しそうに笑ってみせた。
伯珪が幽州刺史として私に頼んだのは二つだ。ひとつは青州の治安維持、もうひとつは首謀者の調査。勝手に村を治めていた私の言えた義理ではないが、青州の治安に口出ししても良いのかと問い掛ければ、青州刺史は既に亡くなっているよと旧友に返された。無法地帯のまま放っておく訳にもいかない為、今は臨時で徐州刺史と共に青州を治めているようだ。「そもそも妹達を送ったのは私だ」と言われてしまって、ああそうだった。と思い改める。
こういったところで抜けてしまうのは、今も昔も変えられない。
「でも私のような田舎娘が治めちゃったら不満とか出るんじゃない?」
不安を口にすれば、旧友は鼻で笑ってこう告げた。
「平原の戦姫に治めて貰うんだ、不満なんて出るはずがなかろうさ。あと今の責任者は私だし」
戦上手と政は繋がらないと思うんだけどなあ。
「……あと、私達が出て行っても本当に大丈夫?」
「
「たぶん無理だと思うなあ」
私が愛想笑いをすると、だよなあ、と旧友は項垂れるように机に項垂れた。
そのまま十五分程度、眠りこけてしまった彼女を起こせなかった私のことを誰も責めることはできないと思う。
三日後、私は五十の兵と五つの荷車を連れて城を出た。
目的地は青州の平原。供に連れているのは
私は一人でも乗馬できるけど、柳香はそういう訳にもいかない。私の丁度、後ろにある馬車で糜姉妹の姉の方を膝上に置いて、その頭を撫で続けている。
「うんうん、やっぱり抱き心地が素晴らしい。やっぱり抱き締めるなら小さな女の子だね」
「あのー、暑苦しいから離して欲しいんですけど?」
「それじゃあ次は
「え、嫌です」
「じゃあ、やっぱり
「うえー。
なんか釈然としない。やっぱり柳香は少女趣味なんじゃないかな? かな?
†
薄暗い書庫にて、
青州平原国、今のところは安定している。数週間に一度、黄巾賊が攻めてくる事はあるけども散発的な攻撃だったから事なきを得ている。町の防衛設備も整って来たし、なによりも此処には名高い幽州の騎馬隊が駐屯しているのだ。それを白馬義従として名を知られる公孫賛の妹、公孫越が率いているのだから正に鬼に金棒であった。きちんと防衛設備を活用することができれば、たとえ一万の賊徒が襲って来ても負けることはない。平原の戦姫と名高い劉備も戻ってくる予定だ。彼女なら安心して後を任せる事もできる。
今、作成している引き継ぎの書類も彼女ならきっと役に立ててくれるに違いない。そう信じて、現状を事細かに書き込んでいった。
数ヶ月の野外学習、しんどくて辛い思いばかりをして来た気がするけど、今にして思い返してみると嬉しい事や楽しい事も多かった。書籍を読み漁るだけでは識ることができないことばかりで、それは確かに私を成長させている。此処でやらせてもらった都市運営も良い経験として蓄積されているに違いない。
それはそれとして私は一度、水鏡女学院に戻らなくてはならない。あそこには私の半身とも呼べる親友が居るし、水鏡先生とも話したいことがたくさんできた。かといって、無責任に現場を離れるつもりもない。立つ鳥跡を濁さず、という言葉もある。
この最後の仕事を完遂し、後腐れなく青州を去るつもりだ。
「おぅい、
立場的には平原太守に位置する公孫越が私を呼んでいる。
ひょこっと書庫から顔を出せば、「ああ、やっぱり此処に居たか」と笑顔を返される。
ここ数ヶ月の付き合いで彼女との会話も、大分と慣れてきた。
「お前に客が来たんだ」
「私に、ですか?」
首を傾げる私に、そうだ。と彼女は首肯する。
誰だろうか? あんまり露出するのは好きじゃないので、ほとんど政庁から外に出ていないのだけど。
もうちょっと詳しく話を聞くと、相手は私の事を知っているらしい。
「私、青州の友人は居ないはずですが……」
「水鏡女学院と名乗っていたよ」
「えっ、本当……!?」
誰が来たのだろう、もしかして朱里ちゃん?
いや、そうでなくとも水鏡女学院の生徒なら大体が顔見知りだ。
久しぶりに会う知己の誰かに胸を高鳴らせる。
正直、ちょっと心細かったのだ。
「今、客間で待たせているよ」
「はい、ありがとうございます!」
丁寧に御辞儀をして、とたとたと駆け足で向かった。
朱里ちゃんかも知れない、という淡い期待が歩みを速める。
そして客間の扉を、叩きもせずに開け放った。
「やあ、
その中に居た問題児を見て、そっと扉を閉じる。
うん、私は何も見なかった。うん、私の知り合いなんて最初から居なかった。
何度も頷き、自分に言い聞かせて、書庫へと戻る。
「おい、待て、待つんだ。それが先輩に対する態度か?」
扉が一人でに開こうとしたので、思いっきり蹴飛ばした。
「ぎゃあっ! 手が、手がッ!」
「いいえ、私は何も知りません。何も見ませんでしたし……」
「だから手が挟まって、ぎゃああああああッ!!」
どうにも、この扉が立て付けが悪いようだ。何度蹴っても閉じてくれない。なんか虫の囀りが聞こえる気がするけど、私は虫が苦手なので中に入りたくない。見たくもない。穢らわしい、視界に収めただけでも目が腐る。誰だ、こんなところに汚物を入れたのは。ガンガンと蹴り続けること数分、流石に疲れてきたので現実逃避を止めて足を下ろした。
「あわわ……初めまして、蛆虫野郎。どうして片手を抑えているのです?」
「お、お前……」
「あら可愛い子、これが貴女が言っていた後輩? へえ、貴女には勿体無いわね」
水鏡女学院きっての問題児である徐庶の他に、もう一人、綺麗なお姉さんが同席していた。
私は人見知りであったはずなのに、パッと明るい笑顔を作ることができた。
「ようこそいらっしゃいました。私は鳳統、字は士元。気軽に士元と呼んでください」
「おい、ちょっと待て。そこまで流麗な物言いは
「なんで孔明ちゃんの真名を勝手に口にしているの?」
「真名を交換しているとこを見てただろうが――いだっ! 脛を蹴るのは、あぐッ! やめ――いぎッ!!」
「私は
寇芙蓉と名乗った女性は、私が爪先で蛆虫の脛を蹴り続けても和やかな笑顔を浮かべている。
どうやら彼女は、この蛆虫の性根を知っているようだ。私が手を差し出すと快く握り返してくれた。
「あの蛆虫とはどういう関係で?」
「身請けされたのよ」
ふぅん、と地面に転がる蛆虫に冷ややかな視線を送る。
どうやら彼女もまた、この問題児の犠牲者のようだ。きっと止むに止まれぬ事情があったに違いない。そうでもなければ、こんな蛆虫に付いて行くことなんてあり得ないのだ。推し量るに余りある。
そうなると話を聞くは、誠に遺憾ながら問題児からになる。
「それで徐庶先輩、私に何の用です?」
「……後で覚えておけよ?」
「あわわ……そんなに凄まれても困ります……」
「お前、煽り能力高くなったなあ? 朱……いや、孔明も悲しむぞ」
「それで何の用です?」
これ以上は顔も見たくなかったので話を促せば、蛆虫は咳払いをひとつ、気を取り直すように語り始める。
「路銀が尽きそうだったので、少しの間だけでも公孫賛とこの世話になろうと考えてな。それで道中、お前の名前を聞いたから学友の好みで紹介状を書いて貰おうと思って来た」
へえ、ふぅん、蛆虫が公孫賛の下に?
正直な話、彼女のことを紹介したくはない。だって恩を仇で返すようなものだし……でも、困った事に彼女は水鏡女学院でも最優の一人に選ばれるほどの頭脳の持ち主であった。きちんと彼女が働くのであれば、公孫賛の力になってくれることは間違いない。しかし、その利点を鑑みても欠点の方が多い気がするのも本当だ。とりあえず公孫越に顔通しだけしておこうか、勝手に追い返してもそれはそれで不義理になりそうだ。
あっ、でも彼女が此処に居てくれるのなら引き継ぎ作業はもっと簡略化しても良い気がする。
「丁度、此処に妹の公孫越様が居るから……えっと、顔合わせまではしまひゅ……」
言い残して公孫越を呼びに向かう、そのついでに制作中の引継ぎ書類も抱えて客間へと持ち込んだ。
「それで彼女が水鏡女学院の鬼才の一人と?」
「はい、我が名は徐庶、字は元直。是非とも我が頭脳を公孫賛殿の助けになればと思って馳せ参じました」
「士元が認めるなら能力に心配はない。丁度、彼女が荊州に帰るところだったので助かるよ」
背筋をピンと伸ばして、礼儀を尽くす徐庶の姿に私と寇芙蓉が白い目を向ける。
人間性に問題があるとは伝えている。それでも頼らなくてはならないのが、公孫賛勢力における文官不足の辛いところだった。幽州を足掛かりに少しでも河内に近付きたい人が多いので、仕方ないといえば仕方ない問題だった。
公孫越と蛆虫が握手を交わしたところで、私は持ち込んできた引継ぎ書類を徐庶に手渡す。
「……ふむ、これは至れり尽くせりで私の手のつけようがないな」
ぱらぱらっと書類を捲っただけで、その事が把握できちゃう先輩の頭脳がちょっと妬ましくもあり、憎たらしくもあった。
「えっと……今後は先輩に相談してくださると間違いはないかと……」
後は先輩に丸投げして、さっさと水鏡女学院に帰ろう、そうしよう。いそいそと帰り支度を始める為に客間を出ようとすれば「待った」と徐庶に呼び止められる。
「これはまだ途中だろう? 立つ鳥跡を濁さず、という言葉もある。せめて完成させてから行け」
先輩の優れた才覚が本当に、本当に憎たらしかった。