桃香放浪伝   作:にゃあたいぷ。

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第二篇.義勇軍②

 夢を見た、懐かしい夢だ。

 

 墨を擦る音が重なる、墨の香る部屋の中で門下生が水を張った硯に墨を擦りつけていた。

 部屋には三人座れる長机が幾つも用意されており、右隣には少し地味な顔付きの少女が気楽に構えており、左隣ではまだ講義も始まっていないにも関わらず、眠たそうに欠伸をする少女が椅子に座っていた。そんな二人に挟まれる私は、特に身構える訳でもなく、左隣の少女が眠らないように体を揺すりながら講義の時間を待ち続ける。

 二十人近い門下生が気を張り詰める中、ガチャリと部屋の扉が開けられた。

 

「皆さん、お揃いのようですね」

 

 なんとなしに落ち着いた雰囲気を持つ大人の女性。

 私塾の講師を務める彼女の名は盧植、字は子幹。そして真名を風鈴と云った。ついでに云っておくと私の両隣に座っているのは白蓮と柳香、気さくで真面目なのが白蓮で、ずっと先程から眠たそうにしているのが柳香だ。こくりと舟を漕いだ柳香の肩を揺する。それでもまだ眠気に抗えない柳香に、後で今日の勉強した範囲を聞いてくるんだろうな、とか思いながら溜息を零した。

 今は柳香のことは置いておき、前を見る。今日の講義は、漢王朝の法律に関する内容のようだ。

 黒板を文字の羅列が埋め尽くす様子は確かに見ていてうんざりすると思うし、風鈴先生の声は優しくて落ち着いているから少し眠たくなる気持ちも分からないでもない。いや彼女は講義の前から舟を漕いでいたから関係ない、何の為に私塾に来ているのか疑問に思うこともある。とはいえ、こんな有様でも試験になれば平均以上の成績を収めるのだから不思議なものだ。

 反対側に座る白蓮は真面目な顔付きで風鈴先生の講義を聞き入っていた。彼女は何かと要領が良くて講義を聞くだけで大まかな内容を掴むことができた。その上、彼女は実家でも武芸の鍛錬に励んでおり、その中でも馬術は大人顔負けの腕前を誇るのだと云う。基本的になんでもできるのが白蓮という人間だった。事実、この盧植塾で最も高い成績を持つ生徒は白蓮という話だ。

 そして私は平凡の域を超えることはできない、どれだけ頑張ろうとも白蓮に勝てる分野は一つとしてなかった。

 

「桃香、柳香の奴を起こさなくても良いのか?」

 

 白蓮に脇腹を肘で突かれるも私は黙って首を横に振る。

 

「どうせ今起こしても変わらないだろうし……あとで私が面倒を見てあげるから良いよ」

 

 柳香という人間は黙って話を聞くという行為が苦手だった。

 要領を掴むのが得意な白蓮は集団で行う講義でも必要以上に知識を身に付けることができるが、どうにも柳香は延々と話を聞き続けるだけの講義は肌に合わないようだ。それは決して話を聞くのが苦手という訳ではない。会話という形を取れば、意外と頭の回転が早く、内容をよく覚えていたりする。

 おそらく彼女には聴講という形式があっていないのだろう。

 

「桃香も大変だな」

 

 白蓮は半ば呆れた笑みを浮かべながら他人事のように告げる。

 

「こいつが未だに落第にならないのは間違いなく桃香のおかげだな」

 

 とはいえ、と白蓮が続ける。

 

「こいつが来てから桃香もしっかりするようになったからお互い様かな?」

 

 もう、と小声で怒ると白蓮は平謝りをして返す。

 そして講義が始まって間もなく、器用に座りながら眠る柳香のことを二人で見やった。

 今日もまだ平穏な日々が続いていく――――。

 

 

 目覚める、懐かしい夢を見た。

 まだ温もりが残る布団を名残惜しみながら這い出る。寝汗の染み込んだ衣服を着替えて、改めて周りを見渡した。何時も傍に居てくれる存在が居ない。少しの不安、仄かな寂しさを肌に感じ取りながら部屋を出る。確か昨日は宿屋の主人の好意で部屋を貸して貰っていた。部屋に寝台は二つ用意されていたが、冬場、肌寒い時期の旅路では寒さを凌ぐ為に柳香とはよく抱き締め合いながら夜を過ごした。その習慣から夏場でも添い寝することが常になっている。なんとなく距離を置いてると不安になる。だから旅先では孤独感に苛まれることも多く、初めて歩く町ではお互いに手を握り合いながら歩くことも少なくない。彼女が視界に居ないということは、それだけで半身が失われたようで不安だった。

 トントントンと階段を降りた先に柳香はいた。宿は二階建てになっており、二階は宿泊施設、一階は食堂、夜は酒場となっていた。その食堂の台所でトントントンと包丁捌きを見せているのは柳香だ。給仕服に前掛けを付けており、食材を切り分ける傍、手慣れた様子で鍋の味を確かめる。旅先での食事は柳香が担当することが多かった。私は戦えないから、と力仕事以外の雑事を率先して熟してくれる。どれだけ歩いても、雨に打たれたとしても、彼女は自分の仕事を私に譲ろうとはしなかった。

 理由を問えば、桃香には元気でいて貰わないと守ってくれる人が居なくなるでしょ? と何時も笑顔で答えてみせる。

 

「あ、桃香。朝御飯はもうちょっと待ってねー」

 

 ひらひらと手を振りながら手早く料理を作り上げる。

 それは朝食と呼ぶには量が多い。これからずっと歩きっ放しになるんだから元気を付けないとね、と云われて、昨日までの出来事を思い出した。今日は賊徒を追撃し、退治する為に出陣する日だった。るんるんと広い台所で料理を作る柳香の姿を今暫く目に収めてから食堂へと足を運んだ。作戦は立てた、やるだけのことはした。後はもう天に祈るだけだ。

 柳香が運んでくれた朝御飯はいつもと同じく美味しくて、ほっと安心する。

 

 朝早くに町を発ち、兵士と民草を率いての行軍となった。

 何処に賊徒が潜んでいるかは、斥候に出した町の兵士によって割れている。行程は日帰り、そこまで難しい行軍ではない。双剣を腰に差して、前を見据える。もうそろそろ敵が見えてくる頃合いだった。

 隣には柳香が控えており、何時も変わらずへらへらと笑っている。

 本日、彼女には民衆を率いて貰うことになっている。町の守備兵を纏めていた将は先の襲撃で死んでしまった為、今、兵の指揮を執れる者が町にはいなかった。そこで白羽の矢が立ったのが柳香だ。彼女には民衆を使って、囮として賊徒を引きつける役割を与えていた。本当は嫌だった、何故なら柳香には自衛する術を持っていないのだ。そんな危険な役割を親友に与えたくはなかった。しかし、それは町を守る兵達にとっても同じ話、彼らが民衆を囮にする決断をしたにも関わらず、私だけが親友を安全な場所に避難させて良いはずがなかった。それでも町の復興とか適当な理由を付けようと思ったのだけど「私が指揮を取った方が成功するんでしょ? なら任せてよ」と柳香が皆の前でにへらと笑うものだから断ることもできなかった。

「それじゃあ、そろそろ分かれよっか」と賊徒の姿を確認したところで柳香が私の傍を離れた。

 

「……死なないで」

 

 背を向ける親友に告げる。

 

「そちらこそ、うっかりで死なないでよ?」

 

 そういうと彼女は何時もの気楽さで民衆を率いていった。

 不安だな、胸がはち切れそうになる。どんどんと遠くなっていく柳香の背中を見送り、私は私のやるべきことをする為に兵を伏せさせた。こんなことは思ってはいけないと分かっているけども、今の私には町一つよりも柳香一人の命の方が惜しかった。

 どうか死なせないで、無事を祈ることしかできない自分がもどかしくて仕方ない。

 

 果たして、囮は上手く行ったのか。結論を云えば、上手く行き過ぎた。

 

 柳香の武器は舌先三寸だ。

 民衆達の先頭に立った柳香は賊徒達を巧み煽り、そして思いっきり馬鹿するように笑い立てた。その事に我慢できなかった賊徒は弓を射かけ、これに柳香は「おお怖い怖い、これだから馬鹿は困る! 口で勝てないから力で屈服させようとする。己を馬鹿だと自分で暴露しおったわ!!」と更に大きな声で笑いながら「それ逃げろ、馬鹿が来るぞ!!」と民衆に撤退を促した。弓が射かけられる中、逃げろ逃げろ、と柳香が囃し立てる。その小馬鹿にした態度に賊徒達は全力で民衆、もとい柳香を追い掛けた。この状況において、尚も柳香は殿を務めて「馬鹿が射つ矢に当たるものか、それこそ馬鹿話だ!」と更に煽り立てる。

 黄色い頭巾に真っ赤な顔、その賊徒の勢いと云ったら、それこそ怒涛と呼べるものであった。

 

「ああもう、やり過ぎだよ!」

 

 思わず口から漏らす程、どうか無事に、そして早く逃げて来て、と内心で願い続ける。

 逃げ出す民衆の最後尾に賊徒が取り付くかどうかといった頃合いで、私は我慢できずに突撃の指示を出した。本来であれば、もう数分待つべき場面、しかしもう耐え切れなかった。突出する、少しでも早くに柳香を助けるために全力で疾走する。民衆と擦れ違って、伏兵を置き去りにして、ただ一人、敵陣の中へと突撃する。二振りの剣を振り回した。幽州の名工に鍛え上げられた双剣、風鈴先生に卒業祝いだと贈られた代物で思う存分に暴れ狂った。襲い来る敵賊徒の急所を次々と切り裂き、血飛沫を上げながら柳香を目指して駆け抜ける。十の頸を飛ばして、二十の屍体を地面に叩き伏せる。全身全霊を以て、立ち塞がる敵を切り刻んだ。

 情け容赦は必要ない。賊徒千の命よりも、民衆五百の命よりも、ただ一人、柳香の命の方が重かった。

 

「あーあ、また汚れちゃって……いや、うん嫌いじゃないけどね……血って洗うの大変なんだよ?」

 

 そして辿り着いた、柳香は困ったものを見るような目で笑ってみせる。

 

「……でも、まあ……今回は、助かった……かな?」

 

 よく見ると若干、虚ろな瞳。柳香は寄り添うように私に倒れ込んだ。その背中には五本の矢が刺さっている。

 

「柳香……ッ!」

 

 荒い息を漏らす親友の体を片手で抱き止める。

 それを隙と見たのか、襲い来る賊徒の首をもう片方の手で刎ね飛ばした。周囲を睨み付ける、牽制……のつもりはない。明確な殺意を込めて、賊徒全員を睨みつけた。私は力が欲しかった、守るべき存在を守る為に力を欲した。何時か夢で見た、自分自身のように後悔はしたくなかったから苦手な武芸にだって自ら進んで鍛錬を続けてきた。我を通す為には力が必要だ、声を上げるだけでも力を必要とする。そんな世の中だから私は力を必要とした。

 ごめんね、と謝しながら柳香を優しく地面に寝かせる。そして敵を見た。

 

「此処から先は死地と……ッ!」

「桃香、駄目だよ?」

 

 俯せに倒れたまま、柳香が声を掛ける。

 

「君には、そういうのは似合わない……怒ってくれるのは嬉しい、けど……私は、そんな桃香の姿を、見たくないかな……?」

 

 ならどうしろって……!

 押し問答を続ける前に賊徒達が束となって襲い掛かってきた。私は咄嗟に柳香を庇って双剣を振るい続ける。ぶち撒けたい怒気を抑え込みながら、ただ柳香を守る為に屍の山を積み重ねた。安らかに逝けるよう急所だけに狙いを定める。

 そうやって守り続けている内に兵達が追いつき賊徒を押し返す。

 

 しかし、そんなことよりも私は柳香の安否の方が心配だった。

 

 

 




愛紗と鈴々と出会うエピソードがなくなっているせいで、二人に大義を語り聞かせる場面が抜けてる桃香さん。善人な桃香は二人との旅路で築かれたもので、本来は結構、私情を優先する子って印象が強い。
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