武芸を極める時、初めて手にしたのは両手剣だった。
それは私の御家に代々受け継がれてきた宝剣、靖王伝家の存在を知っていたからであり、それを初めて見た時から自分は両手剣を持つことになると意識してきた。しかし、それは程なくして挫折する。盧植塾時代、白蓮を相手に武芸の鍛錬を積み重ねてきたが、当時から賊退治で幽州を駆け回ることもあった白蓮に私は手も足も出せずにいた。何千、何万と剣を振り続けても白蓮は軽々と私の剣を弾き飛ばし、容赦なく私のことを地面に叩き伏せた。これが半年も過ぎた頃合いで、私は幾ら努力を積み重ねたところで白蓮には敵わないことを認める。世の中には才能がある。白蓮は確かに英傑の器であり、私は明らかに凡人に過ぎない。現在では白蓮は幽州の刺史となっているにも関わらず、私は役人にもなれずに未だ流浪の身を続けている。
この立場の差が、お互いの才能の差を如実に表していた。
私ではきっと白蓮には敵わない。
どれだけ鍛錬を重ねたとしても、勉学に励んだとしても、白蓮と同じ場所に立つ事は難しい。
だから私は自分の無力を自覚し、無知を知る努力を続けてきた。その過程で双剣を持つようになり、奇をてらった武芸で初見殺しだけを極める。真っ当では敵わないから、常に擬態と奇策を意識する。王道とは程遠い、邪道と呼ばれる道こそが私が生きるべき道なんだと信じた。
卒業時、白蓮との最後の一騎討ち。初めて見せる双剣の奇術を以て、白蓮を初めて降したことがある。ポカンとした顔を浮かべる白蓮に私は歓びを噛み締めた。それは詐術にも近い手口だった。それでも一太刀、浴びせることができたのが嬉しかった。こんな私でもやり方次第では手が届く事を知った。それからも私は双剣の鍛錬を続けて、まあ少なくとも賊徒を相手にするには困らない程度の武芸を身に付けることができた。
鳳統には政務の、公孫越には軍務の引き継ぎをしながら地平線の遥か先にいる旧友の姿に想いを馳せる。
白蓮は頑張っている、なら私はもっと頑張らないといけない。と気合を入れ直した。
†
自分の才能に自覚のない輩ほど手に負えない存在もない。
此処は幽州広陽郡、薊県。私、公孫賛。もとい白蓮は青州平原国から送られてきた情報に目を通しながら溜息を零した。
桃香がいる、あの底抜けのお人好しがいる。あの物好きな善人は、青州刺史が賊相手に斃れて不安定なった土地を見過ごせず、幽州から青州へと移動したようだ。風鈴先生が洛陽に戻った後、どうしているのか気に留めていたが――結局のところ、根っこの部分は何も変わっちゃいないようだ。今では平原の戦姫、常山の趙子龍と並び称される程の活躍を見せているのだから呆れ混じりの溜息が零れる。
私塾時代、常に私を目標に目指し続けてきた少女。ぶっちゃけた話、傍迷惑も良いところだ。私は幼い頃から武芸や勉学に励んでいただけで、そこまで突出した才能がある訳でもなかった。桃香よりも成績が良かったのは、彼女よりも長く勉学や武芸に励んでいた貯金があっただけだ。後ろから猛追してくる桃香に追い立てられるように努力し、私塾の卒業まで逃げ切っただけに過ぎない。それに卒業時の一騎討ちで初めて見せられた双剣、初見殺しに近い形だったが敗北してしまっている。
戦場で鍛え上げられた桃香の剣技は今頃どうなっているか。あまり勝てる気がしなかった。
「才能って言葉は嫌なもんだなあ……」
ふと呟いた言葉に妹の一人、
絡むと面倒そうだったので、黙して書類処理に精を出した。
青州の臨時統治の件、後で徐州刺史の陶謙にも話を詰めなきゃいけない。それはそれとして幽州刺史として烏丸対策も講じないといけない。幽州は大陸北部にある土地で冷害の影響を強く受けている、故に食料問題にも手を付ける必要があった。嗚呼、もうやることがいっぱいで目が回る。
政務を全て放り出して、遠駆けに出掛けたい気分だ。
†
引き継ぎ作業を終えて、町の今後を鳳統と公孫越の二人に託した。
その際に町の住民からは、これからも私に統治して欲しいって嬉しい言葉も頂けた。流石に幽州から正式な役人が派遣されたにも関わらず、居座るような真似もできないので丁重に断った。元々、自分の領土にするつもりなかったし、不法占拠とかいう賊紛いの行動を起こす気にもならない。代わりに鳳統と公孫越のことを民衆に周知させて、彼女達は信じられる。と引き継ぎが滞りなく行えるように尽力した。劉備様がそう言うのであれば、と民衆に納得を得たところで私は幽州に戻ることになる。
青州に来たのは食い扶持を得る為に過ぎない。平原国で起きた事を報告するついでに、少し情けない気もするが、旧友の白蓮を頼って仕事を紹介して貰いたいな。とかそんな疚しい気持ちもあっての決断だ。
そんな自分に嫌気が差すけども、白蓮と久しぶりに話をしたいのも本当だから、と自らに言い聞かせて足を進める。
「あの子、可愛かったなー」
幽州への帰路、その道中にて。隣を歩く柳香が、そんなことを口にする。
あの日から彼女はずっと鳳統にちょっかいを掛けに行っていたようであり、お気に入りのぬいぐるみ持ち歩く子供のように膝上に乗っけている姿が散見されていた。その間、私と顔を合わせる機会が少なくなり、それがちょっと気に入らなかった。でもまあ夜は必ず同じ部屋、同じ寝台に潜り込んでくることに優越感を覚えながら心を落ち着ける。
面倒臭い女だって自覚はあるから口には出さないけども、ちょっと皮肉の一つや二つは口にして良いと思った。
「もしかして柳香って少女趣味?」
それは思っていた以上に棘のある言い方になった。キョトンとした顔を浮かべる親友に、しまった、と思ったけども遅かった。
「あれあれ、もしかして嫉妬しちゃった?」
柳香はにんまりと口の端を歪めながら挑発的に問いかけてくる。
思っていたのと違う楽しげ反応。でも、なんか面白くない。ぷいっと顔を背けた時に「あれ? ちょっと可愛すぎない?」と親友が呟いたのは聞かなかったことにした。そのまま、ずんずんと前に進むと柳香は慌てて追いかけてくる。痴話喧嘩は士気に関わります、という戯志才の言葉も無視した。青州平原国に残ったのは鳳統と公孫越の二人であり、幽州までの旅に同行するのは、まあ柳香は勿論として、戯志才も一緒だ。というよりも戯志才の部隊に同行させて貰う形になっている。平原国に残る二人とは違って、戯志才には平原国で集めた情報を持ち帰る役割を担っていたようだ。
そういえば、と思い出したように戯志才が質問を口にする。
「劉備殿が訓練した兵達は皆、貴女に付いて来たがっていたようですが置いて来てよかったのでしょうか?」
構わないよ、と私は返す。
今の私は流浪の身だ。兵達が付いて来たとしても養えないし、それにあれだけの兵達を引き抜いては町の防衛に支障が出る。実際、兵達が申し出た時に公孫越は顔を引き攣らせていたし、鳳統はあうあうと困ったように身を縮こまらせていた。だから、これで正解。まだ私には誰かを養えるだけの力はない。柳香だけで手いっぱいだ。
戯志才は、欲のない御人です、とはにかんでみせた。だから私は、そんなことはないよ、と否定しておいた。
だって私はきっと誰よりも欲深い、そんな気がする。
そして、そうして、そんな呑気な道中を楽しんでいると――ふと遠くの方で喧騒が起きているのが見えた。
どうやら商隊が襲われているようだ。戯志才を見れば、今すぐに動き出す気配はない。まあ彼女の立場を考えると無理もない。遠征中、こんな小競り合いに巻き込まれて部隊を消耗しては後々致命的な事態に発展しかねない。それに助けたせいで無駄飯食らいの同行者が増える可能性もある。そして何よりも考えなくてはならないことは、同じような事態が起きた時、これから先も助け続けなくてはならないのか? ということだ。そういう事情を換算すると彼女が直ぐに動き出せないのは理解できた。
だから此処は身軽な私が動き出すのが良かった。
「劉備殿、お待ちください!」
戯志才の声を無視し、喧騒に向けて駆け出した。
私は彼女の指揮下にはない。ただの同行者、そして何時でも切り離して良い御身分だ。
だから心の思うがままに走る抜けられる。
その途中、擦れ違い様、柳香が強い意思を込めて私を見つめていた。
大丈夫、危なくなったら逃げる。
柳香を独りにするつもりはない、絶対に生きて帰る。
それは親友との約束だった。
†
近頃、増えたと云われる頭に黄巾を巻いた賊徒。
特徴的なのは、通常の賊徒よりも統率が取れており、戦い慣れているという点だ。
それでも構わず、私は双剣を両手に握り締めた。私は彼らが嫌いだ。やっていることは賊徒と大差ないくせに、御立派な大義だけは声高らかに掲げている。力なき思想に意味はなく、思想なき力に意義はない。御前達の身勝手でどれだけの人が悲しみ、辛い想いをしてきたと思っている。それは仕方ない事だったのかも知れない。しかし、だからといって見逃す理由にはならない。どれだけ苦しくても、辛くても、それが誰かの為であったとしても、それは情状酌量の余地があるというだけの話だ。今、新たに不幸な者が生まれようとしている。どちらを優先するかなんて自明の理であった。独善、大いに結構。偽善と罵られようが、私は私の信じる道を行く。その為に力を欲した、そして得た! 守るべきを守る為、私は無慈悲に双剣を振り回すのだ。
草原を駆ける、一切の後退を許容しない前傾姿勢。地面を蹴り上げて、何処までも真っしぐらに放たれた矢のように突っ走った。
「……あ〜ん、なんだ……ぐあっ!」
そして斬る、そうと決めたなら躊躇はない。
慈悲の欠片も許さない。そうと決めたなら妥協なしに駆け抜けるのが選択に対する自分自身へのケジメだ。急所を狙い穿つ、最悪でも再起不能。そういう戦い方を選んだのは自分だ。血飛沫が上がる度に命が果てる感触が手に残る。血錆で止まりそうになる肉体を、魂を、精神を振り払って次の一人を殺し切る。私の能力では峰打ちは出来ない、そう選択して決めたのは私自身だ。守るべきを守る為、誰か一人を確実に守る為、その為に特化させたのが今、私が持つ武技であった。鍛え上げる、折れぬ心を持つ為に。鍛え上げる、強靭な魂を持つ為に。鍛え上げる、鉄を打つように、幾重にも、幾重にも、幸いにも熱に困る事だけはなかった。
そして見つけた、二人の少女を中心に護衛達が荷車を護っている。
足に力を込める。地面を蹴り、更に加速させる。返り血を浴びる事も厭わず、赤い液体を撒き散らしながら包囲網を突破し、そして背後に振り返った。双剣を左右に広げるように構える。背中に居る少女達を庇うように立ち塞がり、賊徒達を睨みつけた。殺意を向ければ敵は臆する、正直、殺意を持つことは難しい。見ず知らずの相手であれば、尚更だ。だから私は覚悟を決める。相手を殺してでも守りきる、と双剣の切っ先を敵に向けた。
血気逸る相手が飛び出してきたところを双剣で斬り伏せる、その勢いに押されるように襲い掛かってきた二人の賊徒を最低限の動作で急所を穿った。それだけで、私から賊徒が間合いを遠く置いた。
とはいえだ、このままでは埒が明かない。
あと一人、後ろを任せられる誰かが居れば、切り込めるのだけど……
「オオオオオオオオオオオッ!!」
その時、鬨の声が上がった。
援軍か? そうだろう、見ずとも察する。
戯志才が動いてくれたようだ。
次々と賊徒が逃げ出すのを見届けてから安堵の息を零す。
どうやら切り抜けることができたようだ。ただ、振り返ると商隊の被害が大きいことがわかる。必死に交戦した跡が見られる、人死にもある。そして荷物も半分以上が奪われてしまっていた。そして商隊の代表らしき二人組の少女が荷馬車近くで縮こまっている姿を確認し、その可哀想な姿が放っておけずに声を掛けた。
「……大丈夫だった?」
微笑みかけた少女達が恐怖の感情を抱くのは、どうやら私も含まれているようだ。
私が綺麗に殺し切れるはずもない、今は頭から血を被っている状態だ。
私達は天に誓った。生まれた日は違えど、死す時は同じ日、同じ時であること真名を賭けて誓っている。