「私は糜竺だよ! 東の徐州から来ましたー!」
「私は、糜芳って言います。よろしくお願いしまーす」
二人を助けた夜。
合同の陣地を張った私達は改めて隊商の代表である糜姉妹の自己紹介を受ける。
とはいえ二人と話しているのは私ではなくて――
「元気の良い挨拶をありがとね。私は簡雍、そして二人を助けてくれたのが劉備だよ」
――誰に対しても人当たりの良い親友、柳香が対応してくれている。
どうにも血塗れで登場したことが二人にとっては衝撃的だったようであり、柳香から紹介を受けた今もまた恐れ混じりの視線を向けられる。仕方ないとは思うけども釈然としない。命を賭けて頑張ったのは私なのに、懐かれているのは柳香なのだ。鳳統の件もそうだが、少し柳香は役得が過ぎる。
そうして不貞腐れていれば、膨らませた頰を指先でツンツンと突かれる。
「何?」
「拗ねないでよ、夜は一緒に寝てあげるからさ」
「何時も同じ布団なんだけど?」
最初に添い寝を懇願したのは――いや、明確に言葉として聞いた訳ではないのだが、二人で町を出立した夜に柳香が身を寄せてきたのが始まりだ。それから先は何かしらの理由を付けては添い寝をするようになり、理由に困らない冬季が過ぎる頃には当たり前になっていた。あー、とか、へー、とか、ちょっとマセた目をした糜姉妹に見つめられる。
「それでね、えっと……劉備さん?」
先程よりも若干、落ち着いた態度の糜竺……たぶん、糜竺に話しかけられる。
「私達の荷車、取られちゃったの……」
気不味げな上目遣いに面倒な気配を感じ取りながらも黙って耳を傾ける。
「旅先で売ろうと思った荷物や食料は八割方、持って行かれちゃった」
糜竺の言葉に「たぶん山の向こうにいるって聞いた賊だと思うんだけど」と糜芳が付け加える。
「お金もね、もっともっといっぱいあったんだから。あの軍資金で御先祖様みたいにおっきな事をしようと思ったのに」
しゅん、と気落ちする糜竺の姿に頭を掻きながら柳香を見る。
だか親友は今回のことに口出しする気はないようで、期待と諦観が入り混じった目を私に向けるだけだった。こういう時、どういう訳か彼女は選択を私に委ねることが多い。それは信頼のようにも感じられ、ただ楽しんでいるだけのようにも思えた。
疎ましげに柳香を見つめ返してから思案する。
「劉備さんって、あの平原の戦姫なんでしょ? 取られた荷物を取り返すの、手伝って!」
「もちろん、御礼はちゃんとするから! ……取り返した御金からだけど」
あまり乗り気ではないことを察したのか二人が捲し立ててきた。
少しだけ真剣に考えてみる。彼女達の出身地と姓名で思い付くのは、幽州糜家だ。それは千に及ぶ食客を抱えて、万を超える奴婢を従える豪商の一族。その財力は絶大であり、幽州を中心に多大な影響力を持つと言われている。
だから彼女達に恩を売る事には、多少の無茶を通すだけの価値があった。
と、ここまで考えてみたが、最初から私個人が手伝う分には構わないと思っていたりする。
損得を考えるのは、理由付けの意味合いが強い。無条件に救いの手を差し伸べるのは、優しいように見えて、それはとても残酷な事だと理解している。誰かを助ける事、助けられる事を当たり前にしてはいけない。それはきっと誰もが不幸になる道のりだ。偶然、目の前で誰かが困っていた時、気紛れで手を差し伸べるのは良い。それは巡り合わせが良かった、というだけの話だ。頼られるのも良い。
ただ私なら助けてくれて当然だ、と思われるのは話が違ってくる。
(それに隊商の被害も大きいみたいだし……)
私が助けを渋る、最大の理由がこれだった。
賊徒に襲われた隊商は半壊しており、護衛も半数以上が怪我を負っている。そして彼女達を襲った賊には心当たりがあり、最近になって出没するようになったという山の賊徒だ。青州軍が築いたまま何年も放置していた砦を拠点としており、私も下手に手出しができなかった相手でもある。単純に砦を攻め落とすには戦力が足りない。私が天下に比肩する者がいない豪傑であれば、話も早いが、残念ながら私の武勇は凡百の域を超えない。そして私には柳香がいる。彼女を危険な目に遭わせる事は極力避けたかった。
だって、この前も怪我を負わせてしまったばかりだし。
「反対です」
なにより戯志才がそれを許さない。
「賊の討伐は、この辺りに駐屯する幽州軍に任せるべきでしょう。我々が優先すべきは薊への到着のはず」
彼女には立場と責任がある。
通りがかり、それも見ず知らずの少女の為に軍を動かす理由には足りない。
故に幽州軍の助けを借りる事はできない。
「そんなぁ……!!」
糜芳……たぶん糜芳が悲痛の声を上げる。
「……戯志才さん、なんとかならないかな?」
今にも泣き出してしまいそうな顔で戯志才を睨む二人の姿が、少し居たたまれなかったから駄目元で問いかける。
「なりません」
ばっさりと、短く切り捨てられた。
戯志才の立場と責任を理解できる私は「あっ、はい」と返す他にない。
それで納得できないのは、勿論、糜姉妹である。
「さっきは助けてくれたじゃんかー!」
「あれは目の前で起きていた為で、行軍の障害を排除したに過ぎません」
「それとどう違うっているの!?」
「我々は御役目を背負って、此処に居ます。言ってしまえば、賊退治は我々の役目ではありません」
これも正論、彼女達の役目は青州の情報を幽州に持ち帰ることにある。
砦に籠る賊を退治するには、それ相応の装備が必要であるし、飢饉の今では兵糧にも余裕がある訳ではない。
こんなのは片手間でやる仕事ではないのだ。
「近くの街までの警護は引き受けますが……それ以上の問題の解決は、駐留軍への相談をお勧めします。幽州刺史の名代としての口添え状は用意出来ますし、それに徐州の糜家の名を添えれば、駐留軍も邪険に扱う事はないでしょう」
その戯志才の対応は妥当で、むしろ温情的だった。今の漢王朝を鑑みれば、これ以上ない条件とさえ云える。
しかし、だからといって、それで相手が納得できるかと云えば――――
「うぅぅ……戯志才さんの馬鹿ーっ!!」
――そんなはずもないわけで、糜姉妹は泣きながら走り去ってしまった。
あらら、と二人の背中を見届けた後、ふと戯志才の方を振り返る。
その時、彼女は何故か探るような目を私に向けていた。
「…………ふむ。まあ、仕方ありませんね」
そう呟くと彼女は誤魔化すように眼鏡の位置を直す。
「明日も早いですから、早めに休んでくださいね」
その言葉は取ってつけたように素っ気ない。
「それでどうするの?」
その場に取り残された私に話しかけて来たのは柳香だ。
彼女は私の手を取ると「とりあえず休を休めなきゃね」と天幕まで引っ張られた。
軽い食事を摂り、俯せになった私の背中に柳香が乗っかる。
「んー、凝ってるなー」
そして凝り固まった筋肉を揉み解される。
柳香に按摩して貰うのは結構多い。戦えない自分に出来る事、と覚えた技術の一つであり、意外と気持ち良かったりする。ただ油断すると変な声が出ちゃって恥ずかしいから、今回のように翌日に疲れを残してはいけない時にだけして貰うようにしている。それで余裕がある時は、このまま変な所を触られたりする。でも今回は少し違っていた。
体を重ねるように抱き締められる、そして耳元に息を吹きかけるように囁かれた。
「……私、桃香には、あまり危険なことをして欲しくないな」
柳香は私の扱いを心得ている。
「このまま薊に行っちゃおうよ。誰も桃香を責めない、それが正しい事なんだよ。桃香は傷付かない、私も安全で良いことしかない」
彼女は私を誘惑する、もう良いんだよって。
人を堕落させようと囁きかける。
揺さぶる声は妙に色っぽくて、胸の奥が切なく疼いた。
「……大丈夫、もう決めてるから」
最初から行動は決めている、後は覚悟を決めるだけだ。
柳香に背中から降りて貰って軽くなった体の関節を動かした。
うん、気分は上々で調子も良い。
さあ行こうって柳香に振り返れば、彼女は少しだけ寂しそうに目を細める。
「……うん、そうだね。それでこそ桃香だ」
微笑む、その顔は、何処となく切なげだった。
天幕の外に出ると隊商が停泊していた付近が騒がしくなっていた。
足を運んでみれば「ほら、準備急いでー!」と糜竺の威勢良い声が響き渡った。どうやら出立の準備を進めているようだ。
まあ、これは予想通り、簡単に諦められる子だったら私も助けようとは思っていない。
「糜竺ちゃん、糜芳ちゃん。これ、どうしたの?」
我ながら白々しい態度で問い掛けると「あっ、劉備さん!」と糜竺が笑顔で応えてくれた。
「あのね、私達でね、取られた荷物、取り返しに行くの」
糜芳の言葉に「その数で?」と試すように問い返す。
砦を落とすには戦力不足、それが分からない二人ではない。やはり、ここで正解なのは近場の駐屯軍に助けを求める事なのだ。それで商品や軍資金が目減りする事もあるかも知れないが、命の安全には代えられない。
そんな私の質問に、二人はむっとした態度で答える。
「その数でもなんでもだよ」と糜芳が告げる。
「商人にとって、商品は命の次に大事だもん!」と糜竺が続いた。
私を睨む二人の瞳は眩い輝きを放っていた。
命の次に大事、でも諦めきれない。彼女達が命を賭けているのは商品ではない。窮地の最中にあっても挫けぬ想い。その原動力となっているのは、きっと夢なのだろう。彼女達が言っていた「御先祖様のように大きな事がしたい」という言葉。それはつまり、自分の手で何かを成し遂げたいという意志だ。賊徒に奪われた商品には、彼女達の夢が内包されている。だから諦められない、諦め切れない。そこで諦めてしまえば、胸に抱いた想いが嘘になってしまいそうだから諦める事ができない。
冷静に考えると愚かだ。でも、強いな、と感じた。助けたい、と改めて思った。
「行くなら夜明けまでに出発しないとね」
告げた言葉に二人は目をぱちくりとさせる。
そして糜竺と糜芳が違いを見合わせた後、「劉備さん!」と泣きながら飛び掛かってくる。
急なことで二人を受け止め切れず、そのまま地面に押し倒された。
「桃香だって好かれてるじゃん」
糜姉妹に乗っかられて起き上がれない私を、柳香は愉快そうな顔で見下ろしてくる。
いや、助けてよ。親友。