炊煙が収まる頃、真夜中の闇夜に紛れて崖を下る。
賊徒達は糜姉妹から奪った食料で盛大な宴を催すと、酒を呷っては歌って騒いだ。道端で倒れる者が続出する中、誰も酔い潰れた者達を助けようともせず、残る者達は宿舎の中へと入って行った。残る見張りも仲間内でちびちびと酒を嗜んでおり、気が緩んでいることが分かる。つまり、今が攻め時だ。しかし焦りもまた禁物だった。闇夜に紛れて、と簡単には云ったが、手元や足元が見えない中での崖下りは正に命懸けだ。時折、崖に吹き込んでくる風に怯えながら慎重に、さりとて着実に崖を降る。手足を滑らせる事があれば、その時点で命は終わると考えた方が良さそうだ。それで一人が死ぬだけなら、まだ良い。最悪なのは奇襲が露見することだ。落下中に悲鳴を上げれば、賊徒に私達の存在を気付かれる。仮に悲鳴が上げなかったとしても、落下の衝撃で敵に気付かれてしまう可能性が大いにあった。
なので奇襲は少数の精鋭で行っている。柳香には安全な場所に居るように告げて、糜姉妹には城門前まで護衛達を移動させるように言いつけた。しかし二人は言うことを聞かず、奇襲に参加することを選んだ。とはいえ意外にも二人は逞しく、崖を降りるのに苦労する様子はなかった。
崖を降り始めて半刻後、私は城壁に着地する。
そのまま影の深い場所を音なく駆けて、一閃。双剣の切っ先を見張りの喉に差し込んだ。唐突だったに違いない。見張りは驚愕に目を見開いた後、憎悪を込めて私を睨みつけてくる。そして開いた大口から声の代わりに血を吐き出した。それを最後に力尽きたように倒れる賊徒を私は優しく受け止めて、地面に音を立てないように寝かせる。次は、と少し離れた場所にいる見張りの賊徒を見つけて、彼の左側に小石を投げて、その反対側にある塀から賊徒に駆け寄った。小石が床を打つ乾いた音、敵が左側に振り返った。その死角から喉を切り裂き、後ろから見張りの体を抱える。そして、また、ゆっくりと地面に寝かせる。
さて、近場にいる賊徒は、これで居なくなったようだ。
「はえ〜、劉備さん、凄い……」
「うん、まるで忍者みたいに格好よかったよ」
遅れて降りてきた糜竺と糜芳が、そんなことを口にした。
「さて、これからどうする?」
隊長格の男に問われて、私は答える。
「先ずは城門を開いて外にいる味方を中に招き入れる。これは糜竺ちゃんと糜芳ちゃん、そして隊長さんにやって貰うよ」
「分かった、それでお前はどうするんだ?」
その問いに、私は双剣を握り締め直す。
「私は敵の大将格を殺してくる」
糜姉妹を含めて、心配そうに私を見つめてくる護衛達に緩い笑顔を浮かべてみせる。
「これが終わったら酒でも飲もうね」
さて、急がなくてはならない。
まだ崖を降り切っていない者がいる中、私は一人で城壁の階段を駆け下りる。敵大将の目星は付けていた。複数の怯えた顔の女性が、関所の中心にある政庁に連れ込まれるのを確認し、大量の食事と酒が運び込まれたのを見ている。闇夜に身を隠し、道端に転がる賊徒の首を切り裂きながら政庁を目指す。時に邪魔になりそうな賊徒を排除して、道すがら殺した数は五十を超える。二十を殺した辺りで数は適当だが、少なくとも五十は殺しているはずだ。
そうして政庁に辿り着いた頃、城門の方が騒々しくなっていた。
†
昼間、賊徒に襲われていた時には、手も足も出なかった隊商の護衛だったが、今回は大活躍のようだ。
城壁の上では糜竺と糜芳の二人が賊徒相手に奮闘しており、片や手鼓、片や旋棍、舞うような動きで城壁を守る賊徒達を次々と鎮圧していった。勢いのままに突き進む二人の背後を固めるのは糜家の護衛一同で、糜姉妹が討ち漏らしたり、気絶させるまで至らなかった残敵を片付けている。
この調子なら、城門を開くのも時間の問題だ。準備は良い? と後ろを振り返れば、奇襲に参加できなかった護衛の皆様が意気込むように頷き返してきた。彼らとて糜家の護衛、商品を奪われた怨みを持っていたのだろう。うん、これなら必要以上に鼓舞する必要もない。舌先三寸、余計な口出し火事の元。良い流れの時は、既に出来上がっている流れに乗るだけで良い。城門が開き始めるのを確認した護衛の一人が、突撃の指示を出す。雄叫びと共に関所内へと突撃する護衛一同、その背中を追いかけるように私も関所内へと足を踏み入れた。
私は桃香と違って、戦闘では役に立たない。邪魔にならないように周囲に気配を溶け込ませる。私は蟻、私は空気、私は雲。居ても居なくてもどうでも良い。皆からは木偶の坊と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういう存在に私はなる。それこそが私のできる処世術だった。
城門を潜り抜けた時、糜竺と糜芳の二人が城門前まで降りてきていた。
「あ、簡雍じゃん。城門、落としちゃったー!」
「やっほー、奇襲ってすごいねー!」
両手を振って出迎えてくれる二人に、私は周囲を見渡しながら話しかける。
「うんうん、凄いよ。二人が無双する姿は下から見させて貰っていたよ」
「そうでしょー」
「もっと褒めても良いよ?」
「二人の戦いっぷりは二匹の蝶が舞うが如し、戦場に舞姫が舞い降りたかと錯覚するほどさ」
でれっでれの笑顔を浮かべる糜姉妹、その年相応の姿は美しいと云うよりも可愛らしかった。美辞麗句も程々に、先程から見かけない人物について問い掛ける。
「ところで桃香……劉備は何処に居るの?」
ああそれなら、と糜竺が関所の中心に向けて指を差した。
「途中で別れたよ」
「確か、大将格を倒しに行くとか言ってたよね?」
うんうん、と頷き合う二人を視界の端に駆け出した。
気付いた時には飛び出していた。たった一人で敵大将を倒しに行っただって? 私を置いて? ふざけるな、という想いが半分、行かないと、という焦燥感が半分、背中から私を呼び止める声を振り切って、敵陣奥深くへと踏み込んで行った。背中に担いだ一振りの剣、武器を扱えない私には無用の長物だけど、決して投げ棄てることが許されないものだ。見届けなきゃ、そして、もし仮に桃香が死ぬようなことがあれば、私も死ぬ。生きる理由はない、此の世に未練もない。死んでも許される。
それが桃香との約束だ。
†
糜姉妹は無事に城門を開けることができたようだ。
とはいえ敵に見つからず、というのは無理だったようで護衛達の鬨の声が聞こえてくる。今頃、関所内へ突入したところだろうか。これには流石の賊徒達も目を覚まし、なんだなんだ、と寝惚けた様子で続々と賊徒が周辺の建物から姿を現した。中には全裸、下半身を隠さずに姿を現す輩もいる。嫌悪に憤る心を抑えながら身を潜める。賊徒達が武器を片手に城門の方へと向かうのを見送り――よし、と敵の親玉がいる政庁へ乗り込もうと物陰から身を晒す。
そして、ばったりと出くわした。
「あっ? なんだてめえは?」
「――ッ!」
咄嗟に振り抜いた双剣を男が持った大斧で軽々と受け止められる。
そのまま力押しで強引に大斧を振り抜かれた。押し返された体は空高く打ち上げられて、地面に叩き付けられる。ぐへぇっ、と情けない悲鳴が零れる。受け身を取れなかった。落下の衝撃で離してしまった双剣を握り締め直して、痛む身体を鞭打って横に身を転がす。ついさっき私が叩き付けられた場所に大斧が叩き付けられて、砂が舞い上がる――咄嗟のことに対応できず、砂煙を吸い込んで咳き込んでしまった。ゲホッゴホッと咳を立てながら、尚も追撃を仕掛けてくる男の大斧を辛うじて受け流しながら体勢を整えようと試みる。しかし大斧を軽々を振り回す男の猛撃に耐え切れず、横薙ぎの一撃を双剣でまともに受け止めてしまった。ミシミシと骨が悲鳴を上げる音を感じ取った、次の瞬間には体が地面と水平に吹っ飛ばされていた。木造の薄い家屋の壁を突き破り、全身を襲う激痛に身を埋める。クソッ、強過ぎる。寝ている暇はない、と悲鳴を上げる肉体に鞭打ち、辛うじて両足で立ち上がる。双剣は片方、落としてしまったようだ。小刻みで荒い呼吸、痛みを和らげる為にも深呼吸を試みる。
そうして体勢を立て直している内に、突き破った壁から男が部屋に乗り込んできた。
「ん、よく見りゃ良い女じゃねえか」
男は下卑た笑みを浮かべると見せつけるように大斧を構える。
「良いな、その眼も、腕っ節も良い。俺の子を孕む権利をくれてやる」
ふざけるな、と云う想いを押し殺して意識を集中させる。
真っ当には勝てない。私には氣の才能があまりなく、膂力という面においては他者に劣っている。だから小細工を要することだけが私の生き残る道だった。双剣は目眩しに過ぎない、詐術に過ぎない。私が本当に強ければ、こんな小細工等せずに真っ向勝負で敵を粉砕できるはずだ。だが、それができないから私は小細工を弄する。しかし、それを恥に思う真似はしない。生死を賭けた戦場で、そんな甘っちょろい考えは持つ方が恥だ。全身全霊を以て戦うという事は、全存在を、自負も尊厳も全てを賭して戦うという事は、全てを出し切るという事は――そういう事じゃない! 思考しろ、そして集中しろ。常に最善を尽くし、敵の裏を突け、思考の死角から刺し殺せ。体が痛い? 呼吸が保たない? 大丈夫、それで動けなくなるような鍛え方はしていない。常に最悪を想定して鍛えてきた、何時でも好条件で戦えるとは限らない。好き好んで戦場に立った人間が、体調が悪かったなんて言い訳はできない。
状態が最悪に近い時こそ、思考を回せ。そして基本に立ち直れ、今までやってきたことは裏切らない。
「ほう? まだ戦う気か?」
「…………って来い」
「ん?」
思ったよりも損傷が激しい、声が上手く出せない。それでも意志を強く保つ為に肺と喉を酷使した。
「かかって来い、相手になってやる!!」
男は獰猛な笑みを浮かべると大斧を担いで突っ込んできた。
「行くぞ、小娘ェッ! 手足の一本や二本は覚悟するんだなぁッ!!」
剣は想いをぶつける為のものではない、想いを乗せて振るものだ。
しかし武器には所有者の体格に適した大きさと重さがある。風鈴先生に贈られた双剣は片手で振り回す事を目的にしている為、両手で使うには軽過ぎた。それでも今、持つ武器がこれしかない以上、最善を尽くすしかない。この御時世、万全で戦える事の方が珍しい。ないものねだりをするよりも、今できることを考えた方が有意義だ。
袈裟に振り落とされる大斧を、剣の腹を滑らせるように受け止めようとして――ピシッという嫌な音を感じ取った。咄嗟に距離を取るべく飛び退いたが、追撃の横薙ぎからは逃れ切れず、不安要素の残る双剣の片割れで受け止める。手応えは弱かった。砕けた刀身に混じり、鮮血の飛沫が視界にチラついた。距離を取るべく、後方に大きく跳躍した両足で地面に着地し、そのまま、膝に力が入らずに体が崩れる。傷は、浅いか? 敵が持つ大斧の切っ先には血肉が付着しており、私の脇腹からは血が止めどなく溢れ出る。
深呼吸、握力はまだ残っている。刀身が半分以下になった剣を両手に握り直し、ゆっくりと体を持ち上げる。
「もう勝負は付いたろ?」
「……こんな日が来ることは分かってたよ」
「死ぬぞ?」
その問いに、気付けば笑みを浮かべていた。
心は自分でも驚くほどに穏やかで、死は想像していたよりも恐ろしいものではなかった。視界が靄がかって見える、思考は鈍い。意識は少し朦朧としていることを自覚した。そして、これはもうどうしようもないことを理解する。きっと私は此処で死ぬ、どうせ死ぬなら自分の意志を曲げるような真似はしたくなかった。最後まで自分らしく戦い抜こうと覚悟を決める。
心残りがあるとすれば、それは柳香の事だった。
「……ごめんなさい」
つい呟いてしまった言葉。惜しい女だよ、と男は心底残念そうな声色で零すと大斧を上段に構えた。唐竹割り、もしくは兜割り、確実に私を殺しに来る一手に私も構えを取り直す。互いの視線が交錯し、相手が駆け出した。次の瞬間、ヒュンと刃が風を裂く音がした。
「桃香ッ!!」
目の前で地面に突き立てられた両手剣、見覚えのある剣身。確か、これは――――、
「それを使ってッ!!」
――聞き慣れた声、導かれるまま咄嗟に両手を伸ばした。
あと一歩、敵が間合いに入ったと同時に振り落とされる大斧。よりも疾く、余力を振り絞った一撃は、ふつ、という音と共に凶刃を断ち切る。手応えはほとんどない、さりとて切ったという感覚だけは辛うじて残っている。それは偶然だった、もしくは奇跡だった。地面に埋まっていた切っ先が体良く引っ掛かり、まるで居合いのように剣筋が閃いたのだ。大斧の刃の部分が両断された事に、男の双眸が驚愕で見開かれる。その隙を逃さない。宝剣、靖王伝家を振り被り、相手の肩口から逆側の腰まで斬り裂いた。鮮血が吹き出す、それを避ける余力はない。返り血を受け止めながらも相手を睨み付ける。まだだ、あと一手ある。相手には、まだ数秒の時が残されている。
油断なく、数歩だけ間合いを取り、いつ攻撃を仕掛けられても良いように迎撃の準備を整えた。
「……はんッ、可愛くねぇな…………もっと、こう、喜べよ……」
男は強がるように笑って、前のめりに崩れ落ちる。
勝った、のだろうか? ピクリとも動かない敵を見て、ふっと気が緩み、全身から力が抜け落ちた。思えば、ずっと脇腹から血が流れ続けている。右側面の腰から下の衣服が血で、真っ赤に染まっていた。ああ、うん、これは血を流し過ぎている。意識は朦朧とし、視界は再び霞み始める。このまま死んでしまうのだろうか。
ごめん、柳香。私は貴方に――出来る事なら一人でも――――、
「……私が、楽に死なせると思うな」
柳香、たぶん柳香が火を灯した薪を片手に持っている。
彼女が何をしようとしているのか察し、きつそうだなあ。と苦笑いを浮かべる。そんな私を気にも留めず、柳香は淡々と脇腹付近の衣服を剥ぎ取り、篝火から取った薪の先端を容赦なく傷口に押し付けてきた。
じゅうっと直に肉を焼かれる感覚、その苦痛に耐えきれず意識を手放した。
賊の頭領。恋姫原作では愛紗と鈴々を相手にして、一合も持たずに倒された人物。
という設定で本作では書かれている。