舞台上で、琉牙ちゃんと咲ちゃん、そして千花ちゃんが向かい合っている。それを眺める粉雪ちゃんと由紀乃ちゃんはじっと眺めていた。僕はそれを反対側の控室で見つめる。不意に、ぽつりと由紀乃ちゃんが口を開いた。ワイヤレスイヤフォンを通し、盗聴器越しの声が流れる。
「……ねえ、粉雪」
「どうしたの?」
「粉雪は、さ。どう思う?」
咲ちゃんが前に出る。彼女の剣と千花ちゃんの剣が交わる。
どこか遠くを見たままで、由紀乃ちゃんはぽつぽつと語りだした。
「ウチ、許されない罪を犯したんだ。大切な人の家族を、殺しちゃった。それでもウチは、その人と一緒にいたいの。たとえ許されなかったとしても。……でも、その人はきっと、ウチを許してはくれない」
由紀乃ちゃんの瞳は一周回ってどこか澄んでいる。彼女は不意に粉雪ちゃんに視線を向けた。あどけない笑顔のままで、ナイフを振りかざすように。
「――粉雪ちゃんも、罪人なんだってね」
「……えっ?」
舞台上で咲ちゃんが倒れ、千花ちゃんと琉牙ちゃんが向き合う。わずかに声を硬くする粉雪ちゃんに、由紀乃ちゃんは顔を近づけた。
「樹に聞いたよ。ウチと同じように、大切な人を何人も殺したって……」
「そんな……っ、わたしは」
そこまで言って、彼女は不意に言葉を止めた。大方、父も母も姉も弟も妹も、そして親友も、自分のせいで死んだ……なんて思ってるんだろうな。けれど、由紀乃ちゃんは沈黙をどう捉えたのか、それは知らないけど、続ける。
「ねぇ……粉雪なら、どうする? 殺したり、操ったり。決して許されない罪を犯して、最悪殺されるかもしれなくて、それでもその人が好きなら。……やっぱり、操っちゃう?」
「……わたしは、そんなことしない」
「えっ?」
……おや、意外。イヤフォン越しの声に、思わず目を見開く。本当に自覚がないんだねぇ……可哀想に。
そんな僕の物思いをよそに、粉雪ちゃんは続ける。
「わたしは、違うよ……わたしは、わたしの気持ちを、伝えるだけ」
◇
……オレは、どうすればいい。
舞台上の由紀乃を見つめながら、歯を食いしばる。
そもそも、どうしてこんなことになってしまったんだ。
出会ったときは、普通の娘だったはずだ。明るくて、女の子らしくて、見るからに普通の少女だった。少なくとも、オレにはそう見えた……それなのに。
思わず頭を掻きむしる。普通に見えた由紀乃。それすらもすべて、嘘だったのか? いや……そんな感じはしなかった。普通に見えた笑顔も、開き直るような言葉も、縋るような声も。全部、全部、「瀬川由紀乃」という人間なんだ。
いや――思い返してみろ。どこかおかしいところはなかったか? 浮かべた笑顔が、どこか悲しそうだったことはないか? 気まずそうに俯いてしまったことは? 後になって考えてみれば、次から次へと浮かび上がる証拠。何故、気づけなかったんだ。
そして――気づけなかったオレに、彼女を殺す権利なんて、あるのか?
そこまで考えたところで、最後に見た笑顔が脳裏をよぎる――どこからどう見ても、普通だった笑顔が。それを皮切れに、次から次へとフラッシュバックする。普通の少女としての、由紀乃との時間。髪色、瞳、由紀乃の声、笑った顔……それと交錯するのは、歪な笑顔、開き直るような言葉、必死に縋りつく体温……。
「うっ……」
頭が割れそうに痛む。悲鳴を漏らしそうになって、危うく堪える。舞台上の由紀乃から一度目を逸らし、オレは荒く息を吐いた。
そして、改めて彼女を見据え、ぽつりと呟く。
「……兄貴、ごめんな……オレには、無理だ」
オレは、由紀乃を殺すことなんて、できない……迷ってる時点で、オレの負けだ。
なら、由紀乃の全てを受け入れよう。たとえ許されない罪だったとしても、二人で……二人なら……。
◇
次のシーンで最後。これが終わったら、琉牙は答えを教えてくれる。
――ウチのこと、許してくれるよね?
そんなことを思いながら、ウチは部隊の真ん中に進み出た。そして膝を突き、薬が入っているという設定の瓶を見つめる。透明な液体が、照明を浴びてキラキラと光った。
ジュリエットはこれで救われるはずだった。けれど不幸が重なり、叶わなかった。でも、ウチは救われる。何の確証もないけれど、そう思う。
「あぁ……この薬を飲んだら、私はどうなってしまうの?」
台本の台詞を追いかけながら、笑顔がこぼれるのを抑えきれない。
「もし神父様が私をだましていて、この薬は本当は毒だったとしたら? あるいは、薬の効き目が早く出すぎてしまったら……私はどうなってしまうの? ううん、神父様を信じて。ロミオが私を待っているわ。ロミオ、ああ、ロミオ。さあ、ひと息に、あなたのために――!」
そこまでそらんじて、瓶を唇に押し付け――思わず、吐き戻しそうになった。
熱い……熱い熱い熱い。喉が、食道が、胃が、焼けきれそうに熱い。まるで煉獄の炎の中に放り込まれてしまったかのようだ。痛い、熱い、苦しい。死んでしまいそう。
「い……や……っ」
「ゆき……じゃない、ジュリエット!」
琉牙の声。なんとか劇の体裁を保とうとしているみたいだけど、今それどころじゃないよ。口パクで『助けて』って伝えても、間に合わないなんてわかってる。でも、助けを求めずにはいられない。
痛みが、熱さが、意識を侵食する。脳みそが徐々に焼け消えていくようだ。
――あぁ、これが、報い、なの?
不意に脳裏によぎったそんな信号を最後に――すべてが暗転した。
◇
「……何も、何も、間違ったことなんてないのに……どうして、上手くいかないんだっ」
わけがわからない。何がどうなっているんだ。同じことばかりを考えながら、上の空で台詞をそらんじる。
由紀乃の見開いた瞳から、一筋の涙が落ちる。その唇は紫色に染まり、顔色は死人のように白い。指は勝手に彼女の首に伸びていた。脈を確かめようと、肌にそっと触れる――冷たい。人肌にしては、あまりにも。急速に体温が奪われていったようだ。一体、どうして……。
「――ジュリエットの望みは、ロミオ、あなただったんス」
――と、由紀乃の身体に誰かの影が落ちる。見上げると、神父の格好をした走りが十字を切りながら歩み寄ってきていた。その表情はどこか沈痛だ。人が一人、死んでしまったかのように。
「これは……どういう、ことだ?」
「ジュリエットはロミオ、貴方と結ばれるために、薬を飲んだ……」
「そういうことじゃないッ!」
気づくと走りの胸倉を掴み上げていた。しかし走りは動じずに、どこか悲しそうな声で告げる。
「……でも、なんのミスか、薬が毒にすり替わっていたようなんス。誰の陰謀なのか……もしくは、ジュリエットが自殺してしまったのか……」
「……そんな……そんな……」
思わず胸倉から手を放し、崩れ落ちる。
「でも、これだけは確かっス……ジュリエットの本当の望みは、ロミオ、貴方だったということ」
「……由紀乃……」
――すべてはオレの過ちだ。どうして気づけなかった? どうして答えを先延ばしにした? あらゆる間違いが積み重なって、自殺という最悪の結果を招いてしまった。
この罪を償う方法は――一つしかない。
小道具の短剣を取り出す。刃に指を滑らせると、血が流れた。どこですり替わったのかは知らないが、僥倖だ。誰の陰謀でもいい。利用させてもらおう。
「ジュリエット……オレたちはこれから、いがみ合いのない世界で幸せになろう」
「――待つっス!」
走りの制止も、最早遅すぎた。
何故か本物にすげ変わっていた短剣を、迷いなく心臓に突き刺し――絶叫しそうなほどの痛みと、破裂しそうなほどのあらゆる感情の渦の中で、オレは由紀乃の傍に倒れ伏した。