「はぁ……っ」
「千花さん、大丈夫?」
「大丈夫に見えますか? 全く……」
両手を額に当て、深く溜め息を吐く千花さん。このところ、彼女はどこか苛立っているように思える。千花さんの目的は知ってるから……わたしにも気持ちは、わからなくもないけれど。
3号室にいるのは、わたし、千花さん、そして御影さん。いつもの作戦会議。御影さんはブロック菓子を齧りながら、千花さんを一瞥する。
「見つからないな。仇」
「ええ……瀬川さんも京極さんも違ったんでしょう?」
「違った。ミョウジョウ学園のシステムは、ハッキングしてある。瀬川と京極の情報は、見た。瀬川、京極ともに、組織に属している形跡は、なし。残りの連中も、洗ってはみた……けれど、幸村と仁科を調べ終わったところで、エラー。武藤と五十嵐、走りの情報は、知り得なかった……幸村と仁科は、シロ。犯人が、いるとすれば、武藤、五十嵐、走り、のうちの誰か」
「……そうですか」
千花さんは顔を上げない。俯いたまま、ワントーン低い声で呟く。
「つまり、麻姫様の仇は、その三人のうちの誰かということですね」
「そうなる」
簡潔な御影さんの言葉に、千花さんはようやく顔を上げた。青い瞳がわたしを捉える。薄い唇が開き、懇願するような声が溢れだした。
「粉雪さん……貴女は人の死を厭います。けれど鍵守一族の掟は、貴女も知っていますよね?」
「う、うん」
鍵守一族の掟。それは、楓宮一族を命を懸けて守ること。そして楓宮一族の者が死んだ暁には、その原因を命がけで排除すること。その掟を全うするために、千花さんは黒組にやってきた。鍵守一族にとって、その掟は命よりも重いもの。千花さんはそっと跪き、わたしの瞳をじっと凝視する。……その後に続く言葉は、予想できた。唇を引き結び、わたしは千花さんの言葉を待つ。
「どうか私に、麻姫様の仇を――殺す許可をください」
膝の上で拳を握り締め、俯く。
私は人が死ぬのが嫌い。自分のせいで人が死ぬのは、もっと嫌い。でも、麻姫ちゃんはわたしのせいで死んだ……わたしがいなければ、彼女は死ななかったはずなのに。千花さんが復讐に走ることも、きっとなかったはずなのに。……命を狙われているのに死んでほしくないだなんて、勝手なエゴかもしれない。それでも、わたしは普通に生きたかった。お父さんもお母さんも、お姉ちゃんも弟も妹も、麻姫ちゃんだって、皆生きて笑い合いたかった。『一族』も《女王蜂の力》も関係なくて、大切な人が次々と死んでいくこともない、何も知らない普通の女の子として。
でも、と顔を上げる。わかってる。それが叶わないなんて。
だからこそ――千花さんを強い視線で見返し、口を開く。
「わたしは、大丈夫だから。わたしのことは気にしないで」
死は辛い。死は悲しい。死は嫌だ。だけど、わたしは笑顔を浮かべる。はっと目を見開く千花さんの手を取り、わたしは陽だまりのように笑う。
「――千花さんには、千花さんの心のままに生きてほしいな」
「……っ、粉雪さんっ」
心のままの言葉に、千花さんは不器用に笑う。そして、わたしの手をそっと握り返してくれた。
◇
『どもっスーあかりサン。元気っスかー?』
不意にスマホの画面が立ち上がり、鳰ちゃんの顔が大写しになった。あかりはお人形遊びの手を止め、スマホを手繰り寄せる。
「あかりは元気だよー。どしたの鳰ちゃん?」
『ちょっとした確認事項っス。あかりサン、もうすぐ予告だしそうな雰囲気だったんで。成功報酬の希望伺っとこうと思いましてー』
「……それなら、決めてるよ」
すっと笑顔が消えるのを自覚する。あかりの目的は、絶対に果たさないといけないもの。果たさないと、これ以上は生きていられないもの。
「――あかりを、逮捕して」
『……え、何スか? ドマゾっスか?』
「どまぞ?」
聞き覚えのない言葉。脳裏にはてなマークをたくさん浮かべつつ、あかりはゆっくりと首を横に振る。
「よくわからないけど、多分違うよ」
『まぁ、そっスよねー。あかりさん、両親から虐待受けてるっしょ?』
「……なんで、知ってるのっ!?」
何気なく発された言葉。思わず目を見開き、鳰ちゃんに詰め寄る。全身が震える、呼吸が浅くなる、体温が急激に下がっていく。そんなあかりを落ち着かせるように、鳰ちゃんは大きく両手を振った。
『ちょ、落ち着いてくださいよやりづらいなー! ウチは裁定者っス! 裁定者っスから、いろいろ知らないとやってらんないんスよ!』
「嘘、嘘っ、誰にも言わなかったのに、なんでっ!」
『あーもー、だから落ち着いてくださいって! ほ、ほら、深呼吸深呼吸!』
……鳰ちゃんの言葉に、あかりは胸の前で強く手を握り合わせ、素直に深呼吸する。何度かそれを繰り返したのち、そっと手をほどいた。
「……もう大丈夫。落ち着いたよ」
『よかったっス。じゃあ、本題に戻るっスよ』
そう前置きし、鳰ちゃんは再び口を開く。
『しかしまた何で逮捕されたいなんて、珍妙な望みを持ったんスか?』
「それは、ね」
俯き、今までにされてきた仕打ちを思い出しながら、小声で語り出す。
「さっき、鳰ちゃんが言ったとおりだよ。あかりは、パパとママに虐待されてるの」
――あんたなんか産まれなきゃよかったのに。ママの叫びが脳裏に木霊する。同時に全身の痣が一斉に悲鳴を上げた。唇を噛んで泣きそうになるのを耐え、口を開く。
「ママは水商売で働いててね。本当のパパはお客さんの一人で、あかりは間違ってできた子供でね……今のパパとは血がつながってないの。パパは普通のお仕事をしてるんだけど、普段からママじゃない女の人と遊んでるみたいで」
『それであかりサンのお母さんは、ストレスをあかりサンにぶつけてるってわけっスか』
「そうだけど、それだけじゃないの。元々お金があんまりないのもそうだし、ママの心の病気もそう」
『へー……親いるってのも大変なんスね』
そう呟く鳰ちゃんは、興味のない教科の問題を目の前に出されたときみたいな顔をしてる。もしかして鳰ちゃん、パパとママいないのかな――そう聞こうとしたけれど、鳰ちゃんが先回りして口を開いた。
『てか、それと暗殺と逮捕されたいっての、どう結びつくんスか?』
「あのね、パパもママもひどいことするから、あかりは逃げたいの。ニュース見てたら、人を殺した人が捕まってたから、そうすれば、あかりも捕まるのかなって。でも……なかなか捕まらなくて、逃げられなくて」
『まぁ日本の警察は無能っスからね。それは仕方ないっス。……っていうかあかりサン、両親殺せば一発だったんじゃないっスか?』
鳰ちゃんの言葉は、他の暗殺者たちにも何度も言われた。とっても普通の発想。だけど……あかりは、そっと首を横に振る。
「ママもパパも、ひどいことするけど、根っこは悪くないと思うの。きっと、二人に罪はないの。だから、殺せない」
『ふーん……その割に、自分が助かるために人を殺すわけっスかぁ』
嘲笑うような声に、息が詰まる。何も言えずただ震えるあかりに、鳰ちゃんは見下げきった視線を向ける。
『――あかりサンも大概、歪んでるんスね』