「おかえり。誠ちゃん」
「……」
2号室に入ってくるなり、誠ちゃんは僕が持っていたタブレット端末を奪い取った。
「あら」
「それ、私の。勝手に見るな」
「ごめんごめん」
ヒラヒラと手を振ってみせる。日常的に隙を見て勝手にいじってるなんて知れたら、張っ倒されるな。誠ちゃんはタブレット端末に映し出されている光景を眺め、眉をひそめた。
「……幸村と仁科?」
「なんか恵ちゃんの部屋で話してるね。僕はそこは注視してなかったからよくわかんないけど」
「……」
誠ちゃんは素早くヘッドフォンを装着した。5号室の様子をアップにする。警戒した様子だけれど……何か分かったのかな。しばらくして、彼女はヘッドフォンを外した。盛大に舌打ちをする。
「……屑が」
「どうしたの? もしかして、次に仕掛けるのは二人とか?」
「いや……あいつら、天羽そっちのけで私を狙ってる」
険しい顔の誠ちゃんに、思わず頭を抱える。そうなっちゃったか……残念。誠ちゃんは使える存在だったのに。放っておいても粉雪ちゃんを守って、僕以外の人にあの子が殺されるのを防いでくれる存在だったのに。やれやれ、と僕は肩をすくめる。
「誠ちゃん、ちょっとやりすぎたんじゃない? 誠ちゃんのやり方じゃ、恨み買うのも仕方ないって」
「……私は正義だ。正義のためなら、何やったって許される」
「過激だね」
「そうでもしないと理想の世界はつくれない」
「理想の世界……ねぇ」
誠ちゃんから目を逸らし、虚空を見つめる。理想の世界なら、僕たちにもある。そして僕たちの理想の世界をつくるのに、黒組は必要不可欠だ。『一族』の手を借りることになっちゃうけど……自業自得、とも取れるよね。口元を嫌な笑みが彩るのを自覚する。『一族』が用意した黒組というシステム。それがまさか自分たちの首を絞めることになるなんて、奴らは思わないはず。そして、その未来は確定だ。僕が失敗するはずがない。僕は生まれ変わったんだ。あの時とは違う。
「……で、誠ちゃんはどうするの?」
「決まってる。迎え撃つ」
誠ちゃんは拳銃を手に取り、低い声で言い放つ。
「私の邪魔をする奴は、理想の世界に、いらない」
――その瞬間、空気が凍ったような気がした。
◇
「――っ!!」
思わず、跳ね起きた。
あかりはベッドの上で荒い呼吸を繰り返す。全身が嫌な汗でぐっしょりと濡れている。前髪の端からぽたりと雫が垂れた。ぜぇぜぇと荒い息を吐きながら、あかりは夢の中のように震える。
――あぁ、また、あの夢か。
おうちにいた時も、ミョウジョウ学園に来てからも、何度も繰り返し見た夢。嫌というほど繰り返した夢。思い出したくないのに、頭は勝手に記憶を引きずり出す。
放置された生ゴミの袋。飛び回る蠅。異臭がする布団。おうちを満たすお酒の匂い。
「うっ……」
腕に押し付けられた煙草の熱さ。空っぽの冷蔵庫。軋む骨。じくじくと痛む痣。
「いや……」
飛び交う罵声。浴びせられる怒号。食器用洗剤の味。丸一日正座させられて痺れる膝。
「いやっ……」
――私があなたを産んだなんて、思いたくない。
思わず、耳を塞いだ。だけど幻聴は嵐のように脳裏を冒す。何も考えられない。脳みそが沸騰しているようだ。呼吸が浅い。体温が急激に下がっていく。
「はぁ、はぁ、はぁっ……」
夢うつつのような足取りでベッドから降り、歩き出す。真っ暗な部屋の中、電気をつけることも忘れ、鞄の中を漁る。そして、目的のものを引きずり出した。
――巨大な、出刃包丁。
おうちにあったそれを、数年前にこっそり奪い取った。かつてはこれで肌を切られたこともあったけれど、今は私の番。傷つけるためじゃなくて、助かるために使ってる。
あかりは助かりたい。あかりは逃げたい。
――ただ、それだけ。
◇
「今日の授業はこれで終わりだ。台風来てるからな、寄り道しないでまっすぐ帰れよ!」
帰りのホームルームが終わり、溝呂木先生が教室を出ていく――と、恵サンが立ち上がった。その手の中にあるものにウチは目を凝らす。アレは封筒……でも、白い。目を細めながらさらに観察して……思わず目を見開いた。
な……なんか、『果たし状』とか書いてあるんスけど!
「恵サン、何するつもりなんスか?」
「御影さんを、殺します」
声をかけられて振り返ると、赤茶色のミドルロングが揺れる。その瞳は真っ直ぐだけれど……妙に、暗い。無機質な表情を見返し、ウチは思わずたじろいだような声を出す。
「え、咲サン? 粉雪ちゃんじゃなくて、誠サンを?」
「はい」
「ふ――ん……そうなったんスかぁ」
まぁ、わかってたけど。あの人のやり口じゃ、敵作らない方がおかしい。
「ま、構わないっスよ。ルール的に黒組生徒同士の諍いはオッケーなんで。ご自由にどうぞー」
咲サンには片手を振ってみせ、恵サンの方に視線を戻す。彼女は誠サンに果たし状を投げつけ、すぐに背を向けた。そのまま、誠サンに視線を向けもせずに去っていく。
「……上等」
誠サンは果たし状を指で挟み、恵サンの後ろ姿を見送った。それに咲サンもついていく。面白いことになりそうっス。
「誠サン、なんスかそれ?」
「こっちくるな」
「いいじゃないっスかぁ。冷たくしないで下さいよオオオオ」
と言いつつ後ろから果たし状の中身を覗き込んでみる。わぁ、意外にも達筆っスね恵サン。綺麗な、それでいて力強い毛筆が、和紙の上に踊っている。
果たし状
貴殿との決闘を申し込む。
今夜九時、体育館にて待つ。
10年黒組 幸村恵
10年黒組 仁科咲
「わーお、本格的な果たし状じゃないっスか!」
「……どうでもいい。受けるだけ」
そう言って誠サンは鞄を引っ掴み、悠々と教室を出ていく。余裕なもんっスね。ウチは彼女から視線を外し、ウチはあかりサンの方に視線を向けてみる。彼女は机に向かい、一生懸命に何かを書いている。きっと誠サンがいない隙を見計らっているつもりなんでしょうね。だからって、殺せるとは限らないけど。そんなことを思いながら観察していると、彼女はぴょこんと立ち上がり、粉雪に駆け寄った。
「粉雪ちゃん粉雪ちゃん」
「……武藤さん?」
怪訝そうな顔をする粉雪ちゃんの傍に千花サンが寄り添った。彼女は差し出された赤い封筒を奪い取る。
「……予告票、ですか」
「そう! 今夜9時に分校舎においで。じゃあね、待ってるからね!」
「ちょっと貴女、私からも話が――」
千花サンは何を思ったか呼び止めるけれど、あかりサンはさっさと行ってしまう。深く溜め息を吐き、千花サンはその後姿を見送った。
「……千花さん」
「ええ……細かい話は今夜聞きましょう。大丈夫、貴女は私が守り抜きますから」
険しい顔で歩き出す千花サンと、それを追う粉雪ちゃん。いやァ、面白くなりそうっス。ウチは最後に残った一人――最高にはた迷惑な樹サンに視線を向ける。
「樹サンは、何かしないんスかァ?」
「勿論僕も動くよ……首を洗って待ってるといいよ。君たちの栄花物語に幕を下ろす時は、もうすぐだよ」
怪しい笑みを浮かべながら樹サンは言い放ち、鞄を掴むと、教室を出ていく。その後姿を見送りながら、ウチは笑いをこらえていた。
いやァ……面白くなりそうっス。ウチはいつも通り、高みの見物といきますか――!