日本刀と出刃包丁、二つの刃が交錯し、激しい剣戟の音が響く。何度目かの打ち合いで武藤を突き飛ばすと、私は言い放った。
「諦めなさい、武藤さん。貴女に勝ちの目はありません」
「やだよっ。あかりは絶対あきらめない。あかりは助かりたい、それだけ!」
武藤は叫びながら再び駆け出した。出刃包丁が鈍い光を放つ。その腕から血が流れ、床を赤く汚した。いや、腕だけではない――首から、脚から、全身から血を流しながら、彼女は爛々と光る瞳で攻撃を続ける。振るわれる刃をあっさりと回避しながら、私は考えていた。
――強くはない。攻撃は単調だし、動きも雑だ。けれど、そのタフネスには目を見張るものがある。まるで、今まで延々と傷つけられ続け、耐性ができてしまったかのように。
――そうなると、倒すのは厄介だ。
続く攻撃を回避し、肩口を深く切りつける。それでも彼女の動きは止まらない。胸元を狙った一撃を避け、背後を取り、その背中をばっさりと切り裂いた。噴き出す血潮を避け、膝を突く彼女の正面に回ると、首元に刃を突きつける。
「――まだ、やりますか?」
「……やるよ。千花ちゃんに私の気持ちなんて、わかりっこないものっ」
元々大きな武藤の瞳が、更に見開かれる。よく見るとその瞳は血走っていた。鬼のような表情で、噛みつかんばかりに彼女は叫ぶ。
「千花ちゃん、延々と怒鳴られながら、飽きるまで殴られ続けたことはある? 食器用洗剤を無理矢理飲まされたことは? 一晩中家に入れてもらえないで、真冬の玄関前で震えてたことは?」
悲痛な声で語られるのは、わかりたくもない話のオンパレード。後ろで粉雪が息を呑む気配がした。声色から判断するに、おそらくそれは事実……。
「何も知らないのに、何も知らないのに、邪魔しないでよ! 逃げたい、助かりたい、あかりはただそれだけなのに。どうして? どうして邪魔するのっ!」
血走った瞳から、粘性の涙が零れ落ちた。狂った猛獣のような絶叫が耳を満たす。確かに、彼女が置かれた境遇は悲惨だ。同情するに余りあるものだろう。
しかし――と、私は刀を鞘に納めた。諦めたと思ったのか、武藤は無邪気な笑顔を浮かべる。けれど。
「――だからといって、私が譲ってあげる義理はありません」
「え……っ」
「私は粉雪さんを守ると決めました。同情はしますが、私は自分たちより貴女を優先して助けてやれるほど、お人好しではありません」
「そんな……っ!」
大きな瞳がみるみる光を失っていく。身をよじり、叫び出そうとする彼女だが、容赦をするつもりはさらさらない。刀を鞘ごと抜き放ち――首筋めがけて思い切り振り下ろす。
「……っ……」
――武藤の全身から力が抜け、倒れ伏した。
手早く彼女の生存を確認すると、私は粉雪に歩み寄る。
「粉雪さん……大丈夫ですか?」
「……」
「……粉雪さん?」
粉雪は座り込み、ただじっと俯いていた。そっと歩み寄り、視線を合わせる。粉雪は私の瞳を弱々しく見つめながら、消え入りそうな声で呟いた。
「ねえ、千花さん……わたしは、たくさんの人に死を望まれてる。わたしが死んだ方が幸せになる人だって、たくさんいる」
「……ええ」
頷く私に、粉雪は弱々しい笑みを浮かべ、どこか自嘲するように呟いた。
「それでも生きたいと願う、わたしはおかしいのかな? わたしは……」
「――ッ!!」
気づいた時には手が伸びていた。乾いた音が響き、私は粉雪の頬を打ったことに気付く。粉雪は青い瞳を見開き、私を見返す。
「……千花、さん?」
「麻姫様は、貴女が生き延びることを望みました」
今、私にできることは、思いの丈を伝えることだけ。粉雪の瞳を真っ直ぐに見返しながら、私は言葉を紡ぐ。
「私も同じ気持ちです。私は貴女に生き延びてほしい。死んでほしくない。だから、守るのです」
「……千花さん」
「忘れないでください。貴女が生き延びることを望んでいる人が、ここにいることを」
震える粉雪の手を取り、温めるように両手で包む。その手ははっとするほどに冷たくて、強く握らずにはいられなかった。いつの間にか、私は彼女が生き延びることを心の底から望んでいた。麻姫様と同じように――あるいは、彼女を超えるほどに。
粉雪の青い瞳が潤む。彼女は繋いだ手とは反対側の手で涙を拭い、笑顔を浮かべる。その笑顔は輝かんばかりに透明で――あぁ、やっぱり私は彼女を守りたいんだと、改めてその想いを噛み締めた。
◇
「頼む、アタシの……アタシたちの……悲願、を……っ」
幸村さんの声を遮るように銃撃音がこだまする。彼女の全身から力が抜け、反応が完全になくなった。それを、私はどこか無機質な瞳で眺める。到底信じられない……幸村さんまで、殺されるなんて。嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ……。
「……何をしてる? 私を、殺すんじゃないのか?」
幸村さんを殺し、御影さんは緩慢な動作で私に銃口を向ける。その問いは余裕故か、他の意味があるのか。わからないし、わかりたくもない。
斧を取り落としそうになり、耐える。震える手で切っ先を御影さんに向けた。それを眺め、御影さんは引鉄を引く。私はそれを斧に当て、御影さんに肉薄する。
怖い。怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。きっと私も殺される。目の前にいるのは人の皮をかぶった悪魔だ。人の心なんて、彼女にはない。
「――だから、私が、殺さなきゃ!!」
自分を叱咤するように絶叫し、私は斧を振りかぶる。御影さんが回避しようと動いた瞬間――その動きを見切り、斧を振り下ろした。
――ガン――……ッ、と鈍い音がした。頭蓋が割れ、血と脳漿が溢れだす。
御影さんは数歩後ろに下がり……そのまま、仰向けに倒れ伏した。長い前髪が浮き上がり、一瞬見えた灰色の瞳は……驚愕の色に見開かれていた。思わず斧を取り落とし、私は立ち尽くす。
「御影さん……これが、報いです」
聞こえてはいないだろうけれど、私はその亡骸に語り掛ける。
「あなたは自分勝手な正義を人に押し付けて、私の大切な人を殺した……それが、あなたの罪。殺されても、文句は言えません」
パンッ、パンッ、パンッ、パンッ、パンッ
手を打ち鳴らすような音が聞こえ、振り返ると、奇妙な格好をした少女が現れた。アシンメトリックな緑髪。片腕が半袖、片腕が長袖の白いブラウスに、ノーネクタイ。黒のミニスカートとニーハイソックス、茶色のローファー。そして、妙に爛々と輝く、琥珀の瞳。
「……五十嵐さん?」
「お疲れさま。これで君は復讐を果たせたね。でもって」
その瞳が不意に細められる。どこかおかしい――そう思う間もなく、五十嵐さんは片腕を伸ばした。窓の外で閃光がひらめき――照らし出された、半袖から伸びる腕に、私は目を疑った。
「――君も、これで用済みかな」
「っ!?」
黒い。何度見返しても、その腕は人肌と思えないほどに黒い。どういうこと? まるでわけがわからない。金縛りにあったように動けない私に、五十嵐さんは聖母のように微笑みかけ――その腕が形を変える。爪が伸び、形が変わり。まるで化け物の頭のように。
「五十嵐さん……それは……」
「――じゃあね?」
黒い腕が緩慢に振れる――それを認識した刹那、腕が伸びた。まるで彼女の腕に宿る化け物が、私を喰らおうとしているかのように。
その牙が真っ直ぐに、私の胸元めがけて振り下ろされ――。
そこから先は、記憶がない。