夏が終わり、残暑も薄れ、燃えるような紅葉が木々を彩る。
無事に退院し、私は久しぶりに教室にいた。新しい左手を一度強く握り、開く。最近の義手は優れているもので、普通の人間の肌や爪と寸分違わぬものができている。義手の訓練はまだ継続して行う必要があるけれど、日常生活は何事もなく行うことができるようになったため、ひとまず退院ということになった。
教室にいるのは私、粉雪、走り、そして溝呂木先生。彼は彼でいろいろと考えているようだが……そんなことを考えていると、溝呂木先生は教壇に立ち、口を開いた。
「流石の僕もわかるよ……黒組に何かが起きてることくらいは。正直、力不足で焦ってるよ。去年もそうだったけれど……一体、何をどうすればいいのか」
「あっははー」
「いや……先生は、悪くない、ですよ」
「ええ」
実際、溝呂木先生に罪はない……この黒組という異常なクラスに配属されてしまっただけで。しかし「去年もそうだった」ということは、二年連続で黒組の担任をしているということだろうか……それはそれで可哀想だけれど、私にできることは何もない。
「でも先生は、こういう時こそ先生としての本文を全うしなきゃいけないと思うんだ。だから今まで通り、授業を続けるよ。黒組は一年制のクラスで、進級じゃなく卒業だと聞いてる……だから、ここにいる三人で、卒業しよう!」
果たして、それは叶うだろうか。走りが暗殺者ではないという保証はない。わからないけれど……せめて、私と粉雪は、卒業しよう。
授業が終わり、溝呂木先生が教室を出ていく――と、不意に走りが立ち上がった。教壇に立ち、不気味な笑みを見せる。
「――業務連絡っス。今夜0時、本校舎タワー1908教室で、真オリエンテーションがありまっス。黒組の真実について知りたい者は参加のこと!」
――黒組の、真実。そういえば黒組はどこかおかしかった。本当に粉雪を殺すつもりなら、こんなゲームじみたやり方は取らないはずだ。何か、裏がある……はず。しかし、黒組の裏には、何が隠されている?
「とか言って、粉雪ちゃんはもう知ってるっスよねー?」
相変わらずニヤニヤと笑いながら、走りは頭の後ろで手を組む。粉雪に視線を向けると――彼女は俯いたまま、何も言わない。語りたくないことなのだろうか……なら、無理に問いたださない方がいいだろう。どちらにしろ、今夜にはすべてわかることなのだ。
◇
「――ようこそ。真オリエンテーションへ」
零時。私たち二人を出迎えたのは、裁定者たる走りだった。彼女が巨大ディスプレイを手で指し示すと、茶色の髪をしたスーツ姿の女性が映し出された。
「まずは黒組の主催者にしてミョウジョウ学園の理事長、百合目一よりご挨拶がございまァす」
『こんばんは、天羽粉雪さん、鍵守千花さん。百合です』
どんな苗字だ。だが、そこは突っ込むべきではない気がする。
『まずはお祝いの言葉を。貴女がたは見事、黒組の試練を突破したわ。おめでとう』
「……ありがとう、ございます」
控え目な拍手の音が響く。俯いたまま、粉雪はどこか複雑そうに礼の言葉を口にした。しかし、私が欲しいのはそんな言葉ではない。
「そんなことはどうでもいいのです。聞かせてください……私たちは黒組で、何をさせられていたのです?」
私の問いに、拍手の音がぱたりと止んだ。理事長……百合は読めない笑みを浮かべ、口を開く。
『鍵守さん、貴女は「イニシエーション」って知ってるかしら?』
「イニシエーション……通過儀礼、ですか?」
『そう。私たち『一族』の女子は、十五歳になれば必ず受けなければならない試練。これは天羽粉雪の
「『一族』……」
そういえば、五十嵐もその言葉を口にしていた。『一族』を滅ぼすと繰り返していた彼女のことを思い出す。つまり、粉雪もその『一族』の一員で……ミョウジョウ学園も『一族』の手により運営されているということか。
『同じひとつの血から分かれた無数の家々……私たちは世界のどこにでもいて、世界のあらゆる資本と権力を握っているの。そして、その群れを束ねるのが女王蜂よ』
「女王蜂……?」
『そう。「一族」の女性だけに稀に発現する、特殊なカリスマ能力を持つ者……その力は
何を言っているのかわからない。そんな異能の持ち主が何万人もいてたまるか。そう思ってちらりと粉雪に視線を向けるが……彼女は俯いたまま、何も言わない。
『粉雪は強力な
「違う……っ」
絞り出すような声に振り返ると、粉雪は百合を強い視線で見つめていた。必死に声を絞り出し、彼女は女王蜂を否定する。
「そんな力、わたしにはありません……女王蜂なんて関係ない……わたしは、そんなつもりで生きてきたことは今までに一度もない! 操るとか、支配とか、関係ないのに」
『……なら、どうして12人もの暗殺者を退けられたの?』
その言葉に粉雪は再び俯いた。その頬に冷たい汗が流れる。
『貴女を今日まで生かすために払われた多くの犠牲。貴女の胸の中には彼らはずっと存在しているようだけれど……』
「お願い、やめて……」
『彼らは幸せよねぇ。貴女のために命を投げ出すことができるのだから。貴女の父親、母親、姉、弟、妹、そして親友……』
「麻姫様を愚弄するなッ!」
――気付いた時には、私は叫んでいた。粉雪が弾かれたように顔を上げ、走りが目を丸くする。唯一、読めない笑みを浮かべたままの百合を私は睨みつけた。声に殺気が宿り、私は刀に手をかける。
「確かにあの人は、粉雪のために命を投げ出した……自らを犠牲にした。粉雪が生き残ることが彼女の望みであることも、最早疑いようはない。だが、貴様の言葉はあのお方を愚弄しているようにしか受け取れないッ! 今すぐ撤回しろ。楓宮一族の人間を愚弄した暁には、鍵守一族全てを敵に回すと知れッ!!」
「アンタこそっ! 理事長に手を出したらウチが許さない。三途の川まで追いかけ回して、絶対にウチが止めを――」
『鳰さん、おやめになって』
百合は読めない笑みを浮かべたまま、走りを制する。その言葉に、噛みつきそうな勢いだった走りは憮然とした表情のまま、一歩下がった。百合は私に向き直り、読めない笑みのままで謝罪の言葉を口にする。
『……気に障ったかしら。ごめんなさい。けれど粉雪のために多くの人々が命を投げ出してきたことは事実……粉雪さん、貴女は今まで幾度となく命を狙われてきたわね。それでも貴女は今日まで生き延びてきた。それ自体が、貴女は特別だという証拠よ』
「違う……違い、ます……私にはなんの力もない。特別なんかじゃ、ないから……!」
「ちょ、粉雪ちゃん!」
走りの制止も聞かず、粉雪は駆け出した。そのまま教室を出ていく。それを追おうとして、私は踏みとどまった。今は、一人にしておいた方がいいかもしれない。
『鍵守さん、貴女は何か欲しいものはある?』
不意に問いかけられ、振り返る。百合は変わらず読めない笑みのまま、私を誘う。
『粉雪を勝利に導いた貴女も、黒組の勝者として認めましょう。望みの報酬を言ってごらんなさい』
「……」
『あぁ、別に今ここで答えを出す必要はないわ。必要になったら言ってちょうだい。望むままの報酬を用意させるわ』
その言葉を最後に、巨大ディスプレイから光が消える。走りはニヤッと微笑み、優雅に礼をした。
「――それでは、真オリエンテーションを終了いたします」