『貴女が私の守護者?』
初めて会ったときのことを思い出す。
それは春の日差しが降り注ぐ午後のことだった。母に連れられ、彼女のもとに赴いた小学生の私は、彼女の姿に一瞬で目を奪われた。
栗色の豊かな巻き毛。意思の強そうな栗色の瞳。桜色を基調とした美しいドレス。少し高めの、心地よく響く声。
『はい……鍵守千花といいます。よろしくお願いします』
『千花ちゃんね。私は楓宮麻姫。よろしくね』
彼女はそう言って、ふわりと微笑んだ。
その日、私は彼女に一生仕えると決めた。
蝉がうるさかった夏の日、私は初めての仕事を終えた。
初めて刺した人の感触は醜悪で、震えが止まらなくて。こんなこと辞めたいとすら思った……そんな私を麻姫様はそっと抱きしめて。その温もりは、今でも覚えている。
『大丈夫だよ。私がついてるから、何も怖くないよ』
ーーあの日以来、私は仕事を辞めたいと思ったことはない。
中学に入っても、私は麻姫様に仕える日々を送った。
天羽粉雪に出会ったのは中学二年生の時。二学期が始まってから初登校してきた粉雪に、麻姫様は嬉しそうに声をかけた。すぐに彼女らは仲良くなり、私を含めた三人で話すことが増えた。
ーー高校に入って少しした頃、あの事件は起こった。
三人で行った映画館に、私たち以外の観客はいなかった。当時大流行した国民的映画にもかかわらず、である。……本当ならその時、気づいておくべきだった。
ストーリーも佳境に入った頃、音もなく十数人の集団が入ってきた。彼らは皆一様に白い仮面をつけていて、未だに正体は分からない。
『天羽粉雪はどこだ?』
仮面の言葉に、真っ先に反応したのは麻姫様だった。
『ーー天羽粉雪は、私だよ!』
その言葉にどれほどの覚悟が乗っていたのか……今となっては、もうわからない。
仮面の集団が動くと同時に、私は刀を抜いた。そのまま数人を倒し、麻姫様を襲おうとした数名に刃を向ける。しかし、それすらも囮だと、気付けなかった。
ーー気付いたときには、もう手遅れで。
どの仮面にやられたかも分からない。目で見るより前に頭が惨状を理解して。涙で視界が滲み、死因すらも当時はわからなかった。時間が止まったように錯覚されて。聴覚も機能を停止して。
ーーすべてを失ったのだ。
◇
「なんですって……?」
「そのまんまの意味ッスよ。あの集団の一人、楓宮麻姫を殺った張本人が黒組にいるってことッス」
走りの言葉は、にわかには信じられない。あの集団の一人が、ここにいる?
「……それは、何者ですか? 何故、黒組に」
「そこまでは流石に教えられないッス。まぁ知りたきゃ粉雪ちゃんを殺すことッスね」
それが、正しい。頭ではわかっている。けれど……。
答えが出せずにいると、走りはおどけたように問うた。
「あっれぇ? 昨日あんだけ殺る気満々だったのに、おかしいッスねー。なんかあったんスか?」
「……関係ないでしょう。黙っていて下さい」
……こいつ、どこまで知っているかわからない。警戒すべきだろう。
走りが再び口を開こうとする前に、私は席を立つ。走りが追いかけてくる気配がするけど、無視だ。
◇
鳰ちゃんと千花ちゃんが行っちゃったのを確認すると、僕は席を立ち、教壇に立った。
「い、五十嵐?」
かけられた声を無視し、教壇を両手をつくと、皆を見渡す。全員の視線が僕に集中するのを感じながら、僕は口を開いた。
「ーー降りるなら、今のうちだよ?」
「……どういう、ことですか?」
咲ちゃんが震える声で問う。対し、僕は笑みを深め、言い放つ。彼女らにとっては残酷な、しかし僕にとっては至極当たり前の真実を。
「君たちに、粉雪ちゃんを殺すことはできないよ」
「はぁ? 何それ、どういう意味?」
怒ったような由紀乃ちゃんの言葉。それに動じることなく、僕は続ける。
「そのまんまの意味だよ。粉雪ちゃんを殺すのはこの僕だ。君たちには、どう足掻いても無理。……だから降りるなら今のうちだよ。引き返せなくなる前に、ね」
「あぁ……誰が降りるって?」
そんな言葉とともに、恵ちゃんが椅子を蹴立てて立ち上がった。そのまま余裕なさげに叫ぶ。
「悪いが、こっちだって生活かかってるんだよ!! 降りろって言われてはいわかりましたって、誰が言うか。いいか、アタシは何があっても降りない。お前になんと言われようともな!!」
……ありゃりゃ、逆効果かぁ。恵ちゃんの言葉に呼応するように、琉牙ちゃん、悠奈ちゃん、暦未ちゃん、あかりちゃん、蓮ちゃん、咲ちゃんが続ける。
「そうだぜ……オレにも大切な人がいる。そいつのためにも、オレは黒組で勝ち抜かなきゃなんねえ。イキるのはいいがほどほどにしとけよ!」
「悠奈にだって夢があるんですぅ! そのためには、あの人に一歩でも近づくためには黒組は必要なの! だから黙っててくれるぅ?」
「あたしだって組織の命運がかかった任務任されてるんだよ! そう簡単には降りないからねっ」
「あかりにだって、どうしても叶えたいことがあるの。なにがなんでも叶えなきゃいけないことがあるの! だからあかりは降りないよ。絶対!」
「……大切な人の命がかかってるんだ。私は降りない。絶対に」
「私にだって……大切な人との未来がかかってるんです!! 降りるなんてできない……そんな半端な覚悟で、暗殺者なんてやってません!! 愚弄しないでくださいっ!!」
その言葉を最後に、沈黙が落ちる。射抜くような視線が僕をナイフのように貫く。空間に凄まじい殺気が充満する。でも……睨むだけじゃ、痛くもなんともない。
ふっと笑って、僕は水風船に触れるように、そっと沈黙を破った。
「……そっか。君らにも君らなりに、それぞれ事情があるんだね。でも」
同情はするよ。でも、僕にも大切な使命がある。
「僕の結論は覆らないよ。せいぜい頑張りな。水の泡に帰す運命の努力をすればいいよ。何も知らない哀れな人形として、踊っていればいいんだよ」
「ーー上等だ。その傲慢な目ん玉、ひん剥かせてやる」
恵ちゃんが中指を立てるのと同時に、僕は笑って教壇を降りた。