魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
心臓がバクバクと落ち着かなくて。
なのはは後ろを振り向いてみるけど、木々の合間に人影はなかった。
「はぁ~」
アリサとすずかが追ってきていないことを確認して、なのははほっとする。
危なかった、と。誤魔化すことが苦手だから、アリサに押し切られてしまえば魔法の事を話してしまっただろうから、と。
なのはは、乱れた息を整えながら土の上を歩いていくと。
「なのは、こっち!」
茂みの奥に小さな影を見つけて駆け寄った。
「ユーノくん!」
「ジュエルシードはあっちだよ。ついてきて」
ユーノの後ろについていくうちに胸の中のざわめきが次第に強く、速く鼓動を刻んでいくのがわかる。ジュエルシードの胎動、魔法の鼓動、怖い感覚に近づいていくのがわかる。手に汗がにじんで、息苦しくなっていくのがわかる。
それが振動に変わったのは、なのはが目的地に着いた直後のことだった。
「発動した!」
青白い光と共に。
ビリビリと肌から肉へ、肉から内臓へと浸透してくる震えに備えて、なのははレイジングハートを起動する。白い魔法の服が、イヤな感覚から守ってくれるから。
「こいつ、大きいよ!」
「うん!」
光の塊が丘のように盛り上がっていき、それが次第に暴走体としての形状をかたどっていく。
アフリカ象よりも大きい生物。
毛並み模様を邪に変貌させた獣。
トサカのように逆立った頭髪に、鋭い牙と爪を携えた怪物――。
現われたのは、アウトロー気取りのパンク・ロッカーを模した巨大な猫。
アインと呼ばれる巨大な猫がそびえたっていた。
「えぇ……」
どういうことなの、と。
なのはが言葉を口にするよりも前に。
「 」
猫が、吠えた。
雄たけびが敷地内に轟くのを見上げて、なのはは耳をふさいだけど。
瞬間、ユーノの足元に緑色の魔法陣が展開され、景色から色が削げ落ちていく様に、なのはは恐怖した。
「なに、これ……!?」
空の青色も。
木の緑色も。
土の茶色も。
すべてが黒か白の濃淡へと枯れ落ちていった光景に、なのはは怖くなった。
「結界を張った」
猫の雄叫びが色のない世界に轟く中で、ユーノは確かに言った。
どういうこと、と。なのははレイジングハートから手を緩める。
「≪封時結界≫。この中で起きたことは、すべて外の世界には影響しない」
「つまり?」
「どれだけ暴れても、どれだけ叫んでも、どれだけ壊しても。なのはの友達は気づけない。友達の家は壊れない」
「いい魔法だね」
なのはは心の底から思った。怖いとは思ったけど、それならなんの心配もしなくていいから。
レイジングハートに力を込めて、目の前に集中する。
「なんで、あの猫は叫び続けているんだろう?」
隣でユーノが首をかしげたことに、なのはは「違うよ」と思ったままを答えた。
巨大化した猫――アインは、ニャーという音を残しながら絶叫を続けていた。頭を上下に振りながら、声調に高低をつけながら。あれはまるで……。
「歌だ」
「猫が、歌……?」
そんなばかな、と。ユーノは頭を抱えていた。
なのはもちょっとだけそう思う。だけど、アレはそういう感じ。見たままの感想なんだけど、ユーノはどうにも納得がいかないらしくて、抱えた頭をガンガンと前足で叩いていた。
「……この際、なんでもいいや!ともかく早く封印を!」
「でも歌う子をひっぱたくのはダメだよ!」
少なくともアインに悪気はなくて、しかも友達の愛猫だから。傷つけるわけにはいかなかった。傷つける魔法を使いたくなかった。
でも結界だっているまでも持つわけじゃないと思えて。このままの状態が続けば、すずかのお家がめちゃくちゃになってしまうから、なのはは悩んだ。
どうすればいい。
言い聞かせることはできるのだろうか。でもあんなに頭を振って声を上げ続けるところに、どうやって声を届ければいいのか。どうやれば猫と話し合いができるのか。
「だけど、あのままにしておけば、何が起こるか……」
ジュエルシードは、自分勝手に願いを膨れ上がらせる魔法の石。だから、このままで済むはずがないというユーノの考えになのはも頷いた。
「アインちゃんが、あのままじゃ……。すずかちゃん、心配しちゃうから」
どうしよう。
人間の言葉が通じない動物に、どうやって伝えよう。
考える。
どうやって気持ちを伝えるか。
考えて、思い出す。
――――――歌は、ハートだぜ。
「そうだ……!」
四年前の、あの体験。
魔法の体験、
傷つけない魔法の力。
「歌には、歌だよ」
「な、なのは。なにを言って……?」
誰にも聞かれることのない結界の中、ユーノ以外になのはを見ているヒトはいない。
なら、思いっきり歌おう。伝えよう。
「すずかちゃんが、心配するよって」
息を吸う。
恥ずかしい気持ちはあるけど、気を引くことはできるはずだから。
ここにアインを心配する人がいるよ、と。わかってもらえると思ったから。
「アインちゃん! 私の声を―――――」
「なのは! 危ない!」
だけど、ユーノの驚きになのはは反応できなくて。
なのはの声を追い越していったのは、背後からの黄色い閃光。白黒の中に走った電気のような光が、直後に猫、アインの体に衝突して。
「 」
悲鳴が上がる。
歌でも雄叫びでもなく、痛いという訴え。
「魔法!」
ユーノの声が耳に届くよりも先に、なのはは閃光の出どころへ振り向いていた。
そこには。
色の落ちた世界の中に、色があった。
静かな黄色に、黒い衣服。
同じ年頃の女の子が、色のない森の中、細身の枝に留まっていた。まるで鳥のように。
なのはは、言葉が出てこなかった。
声にならなった。
距離があっても、見えてしまったから。
その瞳。
たおやかな黄金の女の子の目に、色がないこと。
色のない瞳が見えてしまったから。
「なのは!」
ユーノの声に引き戻されて。
女の子の口元が小さく動くと、黄色い魔法陣が出現したことに気が付いたなのはは。
「レイジングハート!」
『Flier fin. Setup.』
なのははアインと黄色い少女の間へ飛び上がっていた。
飛行魔法≪フライアーフィン≫によって、足に羽が生えたなのはの体が浮きあがった。練習通りに。
『Protection.』
次いでレイジングハートが、なのはが必要としていた魔法を展開してくれる。
それは桃色の盾。
黄色い光の槍が、なのはの目の前、展開した防御魔法≪プロテクション≫に突き刺さり、霧散したのを見届けて着地する。これも練習通りにできた。
なのはは、前回の苦い体験をしっかりと見つめ直した。
魔法をちゃんと使えていれば、魔法を理解していれば怖いことにならないという教訓を得たから。練習してきた成果が出てほっとする。そして練習して、勉強してきたからこそ気づけた。
「同じ魔法だ……」
黄色い槍は、なのはが使う魔法にそっくりだった。レイジングハートと一緒に使う魔法と同じ様式。なのはの胸の内から湧き出る力と同じ波動。つまりは――。
「――――同系統の魔導士」
ガサリ、と。なのはが考えたことと同じ答えが降り立った。
距離にして数十メートル。
太い枝に確かな質量をもって、黒いマントをはためかさせて降り立った黄色の女の子が呟いた。その手に、レイジングハートに似た黒い杖を握って。
「ジュエルシードの探索者か」
なのはは、女の子の問いなのかすら怪しい決めつけた言葉に反応できなかった。
目が合ってしまったから。
その色のない瞳と。
蓋をしたような瞳と。
女の子と瞳を絡めてから、どれだけ時間が経ったのか。
とても長い時間が過ぎたようで、一瞬の時間の後。
「――――なんで」
なのはの口から出たのは、それだけになってしまった。
「バルディシュ」
『Photon Lancer.』
女の子の杖から出た黄色の光が、再び痛めつけるための魔法が放たれたから。
なのはが反応する間もなく、それはアインに悲鳴を上げさせた。
「ダメだよ!」
なのはは、頭上にいる女の子の前に飛び上がっていた。
「傷つけちゃダメだよ! なんとかなるから! 魔法なんか使わなくたって」
だけど、女の子はなるで歯牙にもかけなくて。
「バルディシュ」
『Scythe form.Setup.』
レイジングハートに似た杖。バルディシュと呼ばれた女の子の杖が形態を変える。
先端部に、黄色い三日月の刃を伸ばした形態。
死神の鎌。
なのはは、ゾッとした感覚から後ろに飛ぶ。
しかし、後退して開いたはずの距離すら含めて、女の子は直進してきた。なのははレイジングハートを両手で構えて、女の子の魔法の刃を受け止める。
「なんで、こんなことをするの!」
鍔迫り合い。
杖と杖を挟んで、なのはは女の子を睨みつける。睨みつけたかった。
「――……なんで、そんな」
悲しそうなの?
辛そうな目をしているの?
蓋をしたような瞳をしているの?
なのはは、なんだか涙が溢れそうになるのを堪えて、女の子をなんとか押し返そうと力を込めた。だけど返ってきたのは、のれんに腕押した感覚で。
「ふっ」
女の子は押し付けていた鎌を引いて、自らの手を中心に杖――バルディシュを回転させて。
「――ッあ!」
脇腹に痛みが打ち付けられた。
なのはは、衝撃から飛行魔法の乱れを自覚する。
高度が下がりつつ中で見上げてわかったのは、柄の部分で打ち付けられたのだという事実。しかし認識したと思ったら、女の子の姿がブレた。まるで陽炎のように。
「ダメだ、なのは! もっと動いて!」
ユーノの言葉が耳をかすめて、なのはは身をよじる。
高度を上げて方向転換。
だけど進行方向には、黒い影がすでに杖を構えていて。
―――――ザグリ、と。
鋭い痛みが胸を裂いた。
身体じゃなくて、胸の内側が真っ二つにされたような神経痛。
次いで、地面に擦り付けられてのホンモノの体の痛み。落下ではなく不時着による痛み。レイジングハートが、緩やかに降下してくれたからこその軽度の痛み。
「立ち上がらないで」
直後、頭の上に威圧感があった。
身体が、動かなくて。
折れそうなほど、細い脚が目の前にあった。
見上げようとするも手に痛みが走った。
レイジングハートが蹴っ飛ばされた痛み。
「動かないで」
身体は、動かない。
その後の事を、なのはは見ていることしかできなかった。
女の子がアインに強烈な魔法を放ったところを
アインが悲鳴を上げて悶えるところを。
女の子がジュエルシードを封印するところを。
女の子が去ろうとするところを、見ているだけなんて、できなくて。
「まって……!」
なのはは、痛む体をなんとか立ち上がらせた。
黄色の女の子は、動かない。
眠るように横たわる猫、アインを見下ろして動かない。
「なんで、ジュエルシードを。あなたは……」
訊かなければならないことがたくさんあって。
考えがまとまらなくて……。
だけど女の子は背を向けて、どこかへ行ってしまいそうだったから。
「あなたの、名前を教えて!」
なのはは、声を張り上げた。
精一杯に。
なぜ名前を、と。自分でも疑問に思った。
でも訊いておかなければならないと思った。なぜかわからないけど、そうしなければならない気がしたから。そうしなければ、涙がこぼれそうだったから。
すると女の子は足を止めて、その瞳を向けてくれた。
向けてくれたと思って見つめ返したら、弾かれたように目を逸らされて。
「フェイト」
小さいけど、しっかりと聞こえた名前だけを残して、飛び立ってしまった。姿を隠してしまった。逃げられてしまった。
「なのは!」
地面に崩れ落ちそうになった体を、ユーノが魔法の力で支えてくれて。
なのはは、思った。
「どうすれば、あの子に追いつけるかな」
とても速くて、とても巧い少女に。
逃げていったフェイトという名前の少女に。
「魔法の練習をすれば、あの子に追いつけるのかな」
持っていかれたジュエルシードを取り返すために。
理由を知るために。
あの瞳の奥の秘密を知るために。
フェイトに追いつければ、言葉を交わせると思ったから。
「うん。なのはが望むなら、僕は協力するよ」
魔法の練習をしよう。
今度は、ただ使えるだけじゃなくて。
フェイトという女の子に、追いつけるように。
言葉を交わせるように。
――――――――――――――――
「忍お嬢様」
日が暮れ始めた頃。
忍は名残惜しくも、恭也に絡めていた腕を解く。ほっとしたような吐息が耳に入ったが、気にしないことにして。
「どうかしたの?」
「熱気バサラ様がいらっしゃいました」
「バサラが来たのか!」
恭也の弾むような声に、忍も気持ちが上向くのが分かった。しかし、メイドの後ろには誰もいなかった。招き入れなかったのか咎めようとも考えたがすぐに思い出す。
バサラはそういう男だったと。
「私が出るわ」
忍は、恭也を待たせて門の方へ足を進めた。
「いらっしゃい、バサラ」
開いた門の外。空を見上げていたタンクトップ姿のバサラは「よう」といつものように手を挙げた。
「正直、来てくれるとは思わなかったわ」
「そりゃあな」
バサラがそっぽを向いているのを見て、話しに聞いた昨晩のやり取り、恭也とレイのやり取りを思い出す。きっと、レイに行けと言われて足を運んでくれたのだろう。バサラは、レイの言うことだけはしっかり聞き入れる男だったから。
「恭也は――――」
バサラが何事かを言おうとした時。
「どこで“お花摘み”してきたのよ!」「なのはちゃん! お手洗いなら近くにあるのに……」「違うの! 意味を知らなかったの―――――」
子供の騒がしい声に「キュー」とか「ニャー」という鳴き声までもが紛れて、バサラは声をひっこめてしまったようだった。
「とりあえず上がりなさいよ、ちょっと騒がしいけど」
「いや、いいよ」
代わりにバサラは紙の小包を押し付けてきて「これ、恭也と一緒に食ってくれ。ケッコー旨いんだぜ」と。受け取ってみると、それはほのかに温かくて、袋には商店街の肉屋≪よしおか≫の銘が打たれていた。たぶんコロッケだろう。
「恭也へのお返し?」
恭也が帰国祝いにケーキを送ったこと。その際に入れ違いになったこと。大学の講義申請に関わる書類を届けたこと等々。
そのあたりの話は、恭也がため息を交えながら嬉しそうに話していたから。
「そんなところだ」
バサラはそれだけを告げると踵を翻した。
「恭也には会っていかないの?」
「邪魔する気はねぇよ」
バサラは、冗談めいたふうに言うと「じゃあな」とポッケに手を突っ込んだ。
その後ろ姿は、どこか小さくて。
放っておけなくて。
「バサラ!」
振り向いてくれたバサラに、忍は正直に叫んだ。
「ライブ、よかったよ。感動した!」
ライブの熱気を忘れないうちに伝えておきたかったから。忍は柄にもなく叫んだ。熱気バサラの、そんな後姿を見たくなかったから。バサラに、そんな姿をさせたくなかったから。
すると。
バサラは笑ってくれた。
「当たり前だろ」
大人のように。
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海の向こう。
地平線の向こうへ落ちていく夕日が赤みを増していく。
バサラは、その行方をじっと見つめた。
「行っちまったな」
肌を撫でる澄んだ風を受けて。
凪いだ海を眺めながら。
バサラは海沿いの道を歩いた。