魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
空を飛べるようになっても。
見上げた空は青くて、深くて。
どこまでも遠くに感じるけど、届くような気がして目いっぱいに背伸びをする。山の空気はしんみりとしていて、でも普段は感じられない鼻につんとしたくさみが混じっていた。
「これが硫黄のにおいなんだねっ」
石造りの道。日本的な造りの屋敷が立ち並ぶ街並みには、ゆらゆらと立ち上る暖かそうなモヤがあちこちにあって。なのはは、それが覚えたての”硫黄のにおい”と呼ばれるもので、毎年鼻に香る温泉のにおいだと思い出した。
海鳴温泉。
ゴールデンウイークの高町家恒例行事、一泊二日の家族旅行先。だけど今年は、家族だけの旅行というわけではなくて。肩には、ユーノとその首にさがったビー玉状態のレイジングハートがいて。
「実は硫黄って無臭なんですよ、知ってました?」
「リュウカ水素のにおいを“硫黄のにおい”っていうらしいですよ」
「そうなの? 二人とも物知りねぇ」
「にゃはは……」
振り向いた先には、アリサとすずかが母の桃子と一緒に歩いていて。
その後ろではファミリーカーから荷物を取り出した姉の美由希。父の士郎がその大きなボストンバッグを背負うと「はい、ちゅもーく」と二、三手を叩いて。
「それでは高町家家族旅行! inなのはフレンズを開催いたします!」
いえーい、と。
はしゃぐアリサ、手を叩くすずかと顔を合わせながら。
なのはもこみあげてくる気持ちを拍手に変えた。
今年は、アリサとすずかという大切なお友達との初めての旅行で。ユーノという新しい友達を伴っての初めてのお泊り旅行だったから。きっと楽しいことが起きる、と。心がはしゃいでいたからそうせずにはいられなかった。
「羽目を外しすぎないよう楽しむこと。なのははユーノくんの面倒をしっかり見ること」
「はーい」
すると士郎は満足したのか大きく頷くと、宿泊先の大きな宿を指差して。
「よーし、なのは式で行くぞ! では宿泊先へ、突撃――――」
「ラブハート!」
「や、やめてよ~」
空を飛べても。
空へ飛んでいきたくなるほどの恥ずかしさはどうにもならないんだなぁ、と。なのはは足の遅さを恨めしく思った。
ガラガラガラ、と。
背の高い戸を目いっぱいに引き開けて、アリサが先陣を切っていく。
なのはも、すずかの手を引いて湯気の中へと駆け込む。肌を撫でる暖かい空気、気が落ち着く香りが胸に通るようで、なのはは両手を広げた。
「うわぁ、ひろーい」
「きれいだねー」
大浴場はその名の通りに大きかった。
運動場のように広い開放的な空間には、岩に囲まれた湯だまりがあちこちにあって。右手を見れば木造りの置けが積んであり、左を見れば冷たい水が入った水槽と、その向こうには清潔なシャワー空間が広がっていた。
ちらほらと親子らしきヒト、おばあさんやお姉さんが見受けられて。そういえば全裸だった、と。なのははタオルを体に巻き付けて、仁王立ちするアリサの後ろへと急いだ。
「体洗って、さっさと入るわよ!」
「うん、そうだね」
「あれ、流しっこしないの?」
すると後ろから姉の美由希がそんなことを言いだして、アリサは首を傾げた。
「流しっこって?」
アリサはすずかは、顔を見合わせてお互いに首を傾げた。
「三人で一列に並んで、前のヒトの背中を洗うんだよ」
「そうそう、終わったらみんなでクルッと一回転して、洗ってない人の背中をゴシゴシーって」
ねー、っと。美由希と顔を見合わせる。
なのはもお風呂場で美由希とよくやっていたことだったから。最近は一緒にお風呂に入ることも少なくなって、懐かしい思い出になりつつあった。ちょっと寂しい思い出になりつつあったけど。
「うし! それいくわよ!」
楽しい思い出はこれからつくっていけばいいのかもしれない。
アリサがノリノリで風呂椅子を並べ始めたから、なのはも木の桶を人数分持ち寄る。
「美由希さんも一緒にね」
「えーあたしはいいよ、恥ずかしいし」
「いいですから」
ゴシゴシ、と。
美由希も引き込んで、電車の車両のように一列に並んで泡立てていると。
「そういえば恭也さんは? 忍さんもいないし」
背中の痛みが止まって。
アリサが手を止めて、なのはは伝え忘れていたことを思い出した。
「お兄ちゃんは大学の友達と遊びに行くんだって。忍さんも一緒にって聞いたよ」
「そうなの? お姉ちゃんは大学のことで外せない用事があるって」
「へぇ~……」
美由希が重たく息を吐き、体を流して。
ギラリ、と。アリサが美由希をチラ見した気がして「そいつは変ねぇ~」と茶化すような声を出したから。なのはは嫌な予感がした。
「潔さって、オトコらしさだよね~。つまりはそういうことでしょ、なのは」
「勘ぐりすぎだよ、アリサちゃん。言い方が違っただけだよ」
一本筋が通っていて、隠し事や曲がったことを嫌う恭也に。
ひょっとしたら私の性格はお兄ちゃん譲りなのかも、と。共感を覚えたなのはだから、それは単なる伝え方の違いに過ぎないと思えたけど。
「でも、お姉ちゃん。恭也さんと一緒とは言ってなかったよ」
すずかは思った通りだというふうにうきうきと言い放って。
「ほらー。オンナが隠すってことは。やっぱそういうことよ!」
アリサが念を押すように言い切ったから。
ガタンっ、と。
姉の美由希が風呂椅子を押しのけて「露天風呂いってくる!」と。濡れタオルを男らしく背負って行ってしまった。それ以上は聞きたくない! という感じで。
「アリサちゃん、あんまり意地悪しちゃダメだよ。すずかちゃんも」
体の泡を流す二人は、お互いに微笑みを見合わせた。まるでいたずらに成功したクラスの男子みたいに、大人びいた二人らしくない姿だったから。
「旅行だからって浮かれすぎもよくないよ! お姉ちゃんにはちゃんと謝ってよね、けっこう繊細なんだから……」
ちょっとだけ声に力が入ってしまって。
やっちゃった、と思って。なのはは恐る恐る二人を見つめ返してみれば、いつもの二人に戻っていて。口元を抑えて控えめに笑っていて。
「なのはちゃんも美由希さんもわかりやすい。ごめんね、意地悪して。美由希さんにも後で謝りに行く」
「そうやってstraightな方がなのはらしいわよ」
「ストレート……?」
何事もなかったようにシャワーで体を流し終えて、立ち上がっていたから。
アリサのネイティブな発音の意味を、ちゃんと理解できなかった。
「真っ直ぐで素直ってことよ。悶々とため込むよりは、素直に吐き出した方が楽なんだから」
「思ったことを思ったまま表現できるのって、なのはちゃんのいいところだから。そういうなのはちゃんでいて欲しいなって。……あまり、無理しないでね」
だけど、言葉の意味するところがわかったから。
なのはも体を流し終えて立ち上がる。
「なんか、ずっと心配させちゃってるね」
最近は、いつも気にかけてもらってばかりで。いつも通りのつもりなのに、いつも通りにできていないのかもしれなくて。
ごめんねと言いたかったけど、すずかが歩きだしていて。
「謝る必要なんてないんだよ、なのはちゃん」
「謝るぐらいなら正直に話しなさいよ。話さないのなら―――――」
ザブン、と。アリサが持っていた手桶が水槽に浸かり切ったから。
「アリサちゃん! それはマズいよ!」
「こうなんだから!」
肌を打った冷や水に悲鳴を上げてしまって。
心臓と一緒に引き締まった体で浸かる温泉は、一段と気持ちよく感じた。
その日は、あっという間に過ぎていった。
温泉を出てすぐの運動場では卓球台があって。
「な、なのはに負けた……」
「卓球じゃないけど、体動かすのはちょっと練習したからね。今日はすずかちゃんにも勝てるかも!」
「簡単には負けないよ」
離れの小屋にはカラオケ施設があって。
「すずかちゃん、すごーい! 92点!」
「バラードは高い点とりやすいんだよ」
「たまには気分変えなさいよ! 女はロック! Rock ‘n’ Roll!」
ロビーの売店に寄ってみて。
「お土産どうしよう、温泉まんじゅうがいいかな」
「30個入りのコレがいいんじゃない? クラス全員分あるし」
「あとキーホルダーも、三人一緒にね!」
お部屋ではトランプを広げて。
「なのはちゃん、ダウト!」
「にゃ、にゃはは。バレちゃった」
「ホント、わっかりやす」
その日は目いっぱいに遊び倒して。
暗くなったばかりのお部屋では、アリサとすずかがもう寝息をたてていて。
布団に包まれる中で、なのはは思った。
「……ストレート」
真っ直ぐ。素直に。
思ったことを、思ったまま正直に。
伝えられるだろうか。
言葉にできるかわからないけど。悶々とした気持ち、整理すらできていない心を、フェイトと名乗る女の子に伝えられるだろうか。あの瞳の奥に届けられるかはわからなかったけど。
「伝えてみせる」
そのために、魔法の練習をしてきたから。
ひとつ心が決まった気がした。
そうして、深夜。
ジュエルシードの強い鼓動が感じられて。
ジュエルシードとは別の小さな波動が紛れていて。
なのはは魔法の杖を手に取り、溜め込んだ力を込めて起き上がった。
――――――――――――――――
日付が変わろうかという時刻。
バサラは昼間の冷めやらぬ余韻のままに歩いていた。夜遊びをする大学生や、羽目を外した酔っ払いで賑わうビル街の裏路地を、ギターを背に練り歩いていた。
「悪くねぇ」
その日のステージは、なかなかのものだった。
大観衆を前にした久々のステージに。機材の揃った最高の音響空間に。自身のハートに応えた小さなオーディエンスに。バサラは久方ぶりの充実感を噛みしめつつも、どこからともなく湧いてくる衝動を抑え切れずにいた。
まだまだ歌い足りなかった。
疼きが収まらなかったから出歩いてみた。
「悪くはねぇが」
物足りなかった。
大型連休だからか。深夜帯とはいえ人通りはかなりのものだったが、ぶつける相手が見当たらなかった。大きすぎる余韻をぶつける相手が見つからなかった。
判断基準なんて曖昧なものだった。
心の赴くままに、バサラが惹かれたものにぶつけたいだけだったから。
なにか感じたものがあるならば、その辺に突っ立っている白髭の蝋人形でも構わない。その辺の野良猫でも。非行少年でも。電柱にでも歌いつけていただろうが、今はそういう気分ではなかった。
今は、もっとデカいモノにぶつけたかった。
欲を言えば、怪物や物の怪の類。かつて呆れさせてしまったオーディエンスにぶつけたかった、今なら満足させてやれると確信していたから。
しかし、騒がしい声が耳をかすめてバサラは笑った。
「いるじゃねぇか、聴かせ甲斐のあるヤツがよ」
少し先、路地の角に。
喧嘩をする細い男とたくましい男。対極の二人、激しく口論しながら叩き合うオーディエンス候補がいたから。バサラは目の前の事しか見えなくなっていて、特注のエレキギターを構えた。
「殴り合いなんかじゃスッキリしねぇだろ」
取っ組み合いをする二人はお互いに夢中で。通りを往く酔っ払いたちも、喧嘩をチラ見はするが気には留めていなかった。彼らは、バサラのことを気にも留めていなかった。
だからこそ、やりがいがあった。
「ハートに風穴を空けてやるぜ」