魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
錯綜する感情の波が、フェイトの心を狂わせて。
「待て!」
背後で叫ぶイタチに振り返ることなく、赤いオオカミ――アルフは退いた。
主人との感情のラインに、切迫した信号が絶え間なく押し寄せ続けるから、アルフは展開していた攻撃魔法を捨てて急いだ。主人のもとへ一心に駆けた。
最近のフェイトは不安定だった。
穏やかで、優しくて。冷静で、辛抱強くて。誰よりも強いフェイトが、いつからかバランスを欠いた。心が不安定だった、安定しなくなっていた。
きっかけは嵐の日。
奇怪な男を前にしてフェイトの感情にノイズが生じ始めた。ただ、どういう理由でそうなったのかまではアルフにはわからなかった。感情で繋がっただけの使い魔にはわからなかった。
けれど、昼間の偵察時。
ジュエルシード収集の邪魔をしたという白い魔導士をフェイトと共に眺めていて、フェイトの心が一層に乱れたことと無関係ではないと思えた。家族と友人に囲まれた白い魔導士に、フェイトが心を乱したことをアルフは知っていた。嵐の日とは違ったノイズで。それがどういう感情か、何を考えてそうなったのかまではわからなかったが、その時、やるべきことは決まった。
白い魔導士は自らの手で抑え込む必要がある、と。
そのためにアルフは先手を打ったが、分断された。白い魔導士の使い魔、ユーノと呼ばれたイタチの狡猾な魔法にしてやられた。主人たるフェイトと、白い魔導士を二人っきりにしてしまった。
そして、フェイトが狂った。
心が大きく乱れた。
だから退いた。
やられてしまったのではないか、と。主人が辛酸をなめる結果に終わったのではないか、と。ジュエルシードの反応が消えて、その場から遠のいている主人――フェイトの元へと急ぎ、やっとのことで合流した。
そこはすでに街中で、現地拠点からは少し距離のあるところだった。
アルフは人間の姿に変化する。大人が行き交う夜の繁華街に釣り合う大人の女の姿になって、高くなった視野で街中を見渡せば、目的もなくうろつくようなフェイトの後ろ姿を見つけて。
「どうしたんだい、フェイト」
声をかけるも反応はない。
前に回ってみて、フェイトの目がようやくアルフを捉えて。アルフは言葉を繰り返してみるが、フェイトは再び目を伏せてしまって。
「どうもしないよ」
ウソだ、と。アルフは吐き出したかった言葉を飲み込む。
見るからに消沈しているフェイトの心境がはっきりと見て取れたけど、主人がそんな言葉を望んでいないとも感じてしまったから。
「そういえば晩御飯まだだったね。ちょっと買ってくるよ! フェイトは先に帰ってて!」
――――独りになりたい。
フェイトのその気分がわかってしまう。感情で繋がった使い魔たるアルフにはわかってしまったから。アルフは深夜の街へと走った。
――――――――――――――――
アルフを見送ったフェイトは、それまでと同じように人ごみに紛れた。
心地よかった。
誰かがいるのに、誰もが自分を見ていないこの場所が。独りでいるよりも孤独なこの状況が。理由もなく安心感をくれる気がして、フェイトはゆらゆらと足を動かす。
フェイトは怖かった。
こわかった。
同い年ぐらいの、白い魔導士。
その真っ直ぐな瞳がこわかった。
「なんで……?」
見つめられることがこわかった。
目を合わせることがこわかった。
見つめ合うことがこわかった。
記憶の中に、そんな経験は一度もなかった。
たぶん、一瞬でも。
きちんと向き合ってしまえば、逸らせない。きっと変えられてしまうから、逃げ出してしまった。目的であるジュエルシードを確保して、白い彼女から逃げた。
「――――なにが」
変えられてしまうのか。
それはわからなかった。ひどくモヤモヤしたモノで、たぶん重いモノだけど、はっきりと形や名のあるモノとは思えなくて。
だからこそ、こわかった。
これ以上、白い魔導士と相まみえたくないと思った。
「 !」
沈んでいた意識を裂くように。
耳を突くような騒音が聴こえて、フェイトは我に返って足を止めた。
路地の角から細身の男が尻もちをつきながら姿を現して、そこへガタイのいい男が間髪入れずに殴りかかったから。目の前で、大の大人が取っ組み合いを始めたから。
フェイトはそれ以上進めなかった。
ほかにできることもなかったため。拳を固めて叩き合う容赦のない喧嘩を、フェイトはこれ以上ないくらい冷静に見ることができた。
「……怖くない」
暴力など脅威にすら感じなかったから。怖いなどとは全く思えなかった。先の白い 魔導士の魔法と、あの瞳を思い出せば酷く矮小なものに思えたから。
なぜ目の前のことが怖くなくて、白い魔導士のことがこわいのか、わからなかった。魔法の実力よりも、あの瞳がこわい理由がやはり思い当たらなかった。
だから見つめていたのだけど。
不意に、ガタイのいい男の真っ赤な目が、邪魔だというようにフェイトに向けられて。目が合って、見つめ合ってみてもやっぱり怖くなかったから、フェイトはそれ以上の興味を持てなくなった。
「帰ろう」
アルフが待っている拠点へ、と。
また、ジュエルシードを探し集めるためにフェイトは身を翻した。
その時だった。
「〈さぁ始まるぜ Saturday Night!〉」
背筋に怖気が走った。
角の向こう、見えない向こうから歌が聞こえて。
「な、なんだぁ……?」
困惑する男の声を覆いつくす騒音じみた音楽が聴こえて、フェイトは振り向いてしまった。
「〈Let’s Stand Up! ビートを感じるかい〉」
そこには。
角を挟んだ向こうには、嵐の中にいた男のヒトが立っていた。
嵐を見つめていたその瞳、その横顔が見えて。
フェイトは息を呑んだ。
二人の男へ向かってギターを弾いていた男のヒトに対して、自分に向けられていないはずのその瞳に固まってしまった。金縛りにあったように、磔にされたように。
「お、おい……。こっち見てるぞ」
「見世モンじゃねぇぞ、イッちまってんのか!」
二人の男は喧嘩を止めて、ひどく困惑していた。
そうだろうとフェイトも思った。
男のヒトは、何をするでもなくただただ歌っていた。歌うばかりで、楽器を弾くばかりで。喧嘩をしていた男二人を見つめて、その場に居続けるばかりだったから。
「なんだ、路上ライブか!?」「いいじゃん! 二次会ここにしようぜ!」「いいぞぉ、兄ちゃん!」「ヘイ! ヴィバディ!」
男のヒトの音に誘われるように、通りを往く大人たちが集まってきて。喧嘩をしていた男二人はすっかり気力を削がれたようだった。
「どけよっ!」
ガタイのいい男が大人たちをかき分けてその場から離れていき、後に残った細身の男は、男のヒトの音楽を一身に浴びていて。まるでカラスに囲まれた虫のように怯えきっていて。
「気味わりぃよ!」
まるでアリやクモのように地面を這いながら駆けだしていった。
「おい、待てよ! まだ俺の歌は――――」
細身の男までもが逃げて行って。
千鳥足の大人に囲まれた男のヒトが「なんだよ」とぼやいたように見えた。声は聞こえなかったが、その後ろ姿はそう語っているようだった。
フェイトはほっとした。
歌が止んで、男のヒトが別の方を向いていたから。
だが、それはつかの間の安息にしかならなかった。
不意に、男のヒトの体が向きを変え始めた。
振り向こうとしていた。
フェイトのいる方を。
ドキリ、と心臓が跳ねて。
フェイトは男のヒトの死角、路地の角にぴったり沿うように体を隠した。男のヒトが振り向く前に、見つからないように隠れた。反射的に。
――――……なんで?
疑問が頭に沸いて、答えがみつからなかった。
白い魔導士と対峙した時に似た感覚だけど、姿を晒していないからかそこまでこわくは感じない。嫌な気持ちは湧いてこなかった。なのになぜ、と考えてみたが。
「……まだいるじゃねぇか、聴かせ甲斐のあるヤツがよ」
男のヒトの声が自分に向けられた気がして。
気のせいだとは思ったけど。
フェイトは息が詰まるような錯覚に襲われて。路地の影から騒々しい大人の集団へ意識を集中してみる。顔を出すのはこわかったから、聞き耳を立ててみて。
軽快な音楽が、始まった。
「聴いてくれ! ≪PLANET DANCE≫!」
観客から、言葉にもなっていない歓声が上がって。
フェイトは動きだせなかった、固まってしまって。
「〈何もかも! 流されてしまう前に!〉」
だけど、不思議なことに。
嵐の日のようなこわい感覚はなかった。
路地の角の向こうにある得体の知れないモノが。男のヒトの意識と音楽が自分に向けられていないからだろうか、と。フェイトは考えてみたけど、やはり顔を出すことをためらった。体が動くようになっても、動きたくなくなっていた。
「〈Hey! Everybody! 光を目指せ!〉」
すぐに帰らなきゃと思った。
アルフが待っているから、気を使わせてしまったから、心配させてはいけないと考えたから。……――――でも。
でも、男のヒトのメロディーと。
その歌と――――。
「〈Hey! Everybody!〉」
「ヘイ! ヴィバディ!」
歌と一緒になって合いの手を入れる観客の声を。聴いていたいと、思ってしまって。
「……不思議」
だから、フェイトは人垣に近づかないように。
誰の視界にも入らないように、耳を澄ませた。
「いいぞ! 兄ちゃん!」「ノーモーワッシンタイム!」「さたでーないとふぃーばー!」「俺も若けりゃなぁ」「かっこいー!」
大人たちの乱痴気騒ぎは気にならなかった。
それもまた歌の一部になっているようだったから。
「〈No More Wastin Love! 愛を無駄にするな!〉」
陽気なギターの音色に。
楽しそうな男のヒトの歌声に。
「〈おまえだけを誰かが見つめてるはず〉」
沸き立つ観客の合いの手に。
フェイトは耳を澄ませて。
「――――へーびっ、ばでぃ」
こんな感じだろうか、と。
口ずさんでみたら。
すっと胸が通るような気分になれて。
そんな気分は久しぶりだったから。
フェイトはその場にとどまることにした。
瞳を閉じて、耳を澄ませて。