魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~   作:どめすと

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『祈ることは無力なの?』

 

「なのはちゃん、大丈夫かしら」

 

 恭也が大学ノートを畳んだのを見計らったように。

 開店前のBAR≪シティ・セブン≫。客のいない木目調の店内、そのカウンター席に腰かける忍が眉をしかめた。大学ノートに目を落としながら、ペンを持つ手を動かさないでいた。

 

「課題は終わったのか?」

「茶化さないでよ。どうなの?」

「なんのことだよ」

「すずかが心配してるの。最近、なのはちゃんの元気がないって。恭也なら、何か知ってるんじゃないかなって……」

 

 忍の憂いに、恭也は心当たりがありすぎた。

 

「様子が変なのは知っている」

 

 ユーノの散歩と称しての早朝の出歩き。食事時の沈黙、連絡があるとはいえあまりにも遅い帰宅時間。夜は生活に必要な行動を終えるとすぐ部屋に籠り、翌朝まで顔を見ることはない。

 

「元気がないのも知っている」

 

 目の下に刻まれたクマ、生気のない顔色。張りのない声調……。それがここ最近の恭也の妹――ゴールデンウィーク以来の、高町なのはの常になっていた。

 

 顔を合わせるたびに、あるいは刻々と悪化していくなのはの異常は、家族全員が心を悩ませていることだったが。

 

「だけど俺には、なのはに何があったかはわからない。踏み込むつもりも、手を貸すつもりもないよ」

 

 恭也はそれらを静観することに決めていた。

 恭也だけではなく、両親も美由希も静観することにしていた。家族会議でそういう取り決めを交わしていたから。

 

「薄情なんだね」

 

 自身の選択が、他者から見ればそのように感じられることも恭也は覚悟の上だった。忍の非難の視線は当然だと納得できた、が。

 

「なのはが望んでいないんだ」

 

 忍は、やはり眉をしかめた。

 

「声かけても大丈夫の一点張りで、瞳の奥に闘志があった。なのはは、なんとかしようともがいている。家族も友人も立ち入っちゃいけない領域に踏み込んで、なのはは真剣になっている」

 

 なのはに対して大丈夫かと声をかけてみて、なのはが大丈夫と答える限り。なのはの瞳がそう応える限り、恭也は静観することに決めていた。それが筋だと、恭也は信じていたから。

 

「なのはちゃんが拒否するから何もしないって……。それ、言い訳にしてない?」

「それは違うよ、忍」

 

 何もしない(・・・)などと、消極的な言い訳に使っているのではない。

 拒否ではなく拒絶。家族でさえ、何もやってはならない(・・・・・・・・)という強制力。なのはの”大丈夫”にはそういう意地が込められていた。

 

「なのはの心の芯に関わる事だ。他人が踏み込んじゃならない、なのはの尊厳に関わる問題なんだよ」

「尊厳……」

 

 忍は不快感をあらわにした。

 憤りを理性で抑え込んでいるその感情を、恭也もよく理解できた。父、高町士郎の口からそう聞かされて、同じ感情を抱いたから。

 

「……なのはちゃんはまだ子供だよ」

 

 家族の――小学生の妹が明らかな異常を抱えていながら、何もしない兄など許されるわけがないのだから。当の本人たる恭也にも、忍の義憤はよく理解できた。

 

「しかし、ひとりの人間だ」

 

 しかし、剣術を通して勝負の世界に身を置く恭也は、なのはの尊厳――心の向かう先を案じていたから、忍に共感すれど頷くことはできなかった。

 

「もしも他人(オレ)が手を貸したら、なのはは一生負い目を感じ続ける。望まれない助力は、消えない負い目を縫い付けることになる。なのはは、そういう苦悩を抱えちまっている」

 

 もしも他者の手によって解決されたとしても、それはなのは自身の問題の解決には繋がらない。負い目が残る。“乗り越えられなかった壁”として、消えない負い目を背負い続けることになる。試合に勝って勝負に負けるとはそういうこと。

 

 他人が手を貸して、壁を取り除けたとしても。

 なのはが抱える苦悩の解消に直結しない。

 

「だから、俺にもお前にも。すずかちゃんやアリサにも、どうすることもできないんだよ、忍」

 

 尊厳の問題とはそういうこと。

 こだわり、あるいは意地と呼ばれるもの、言い換えるなら信念と呼ばれる部分に関わる問題。なのは自身の手によって解決されなければならない問題とはそういうことだったから。

 

 忍は、納得できないようで「でも」と口を開いたが。

 

「悩み事のない人間なんていないさ。……ほら、淹れ立てだ」

 

 目の前置かれたティーカップから、芳ばしいコーヒーの香りが鼻をくすぐって、忍は「ありがとうございます」と小さく会釈をした。

 

「真剣に悩むのはいいが、深刻に悩みすぎることはない。恭也君の妹さんなら、なんとかするさ。きっと」

「簡単に言わないでくださいよ、マスターさん」

「忍さん、心配する気持ちはよくわかる。しかし、恭也君の言う事ももっともだ。俺も、長いこと同じような経験をしている」

 

 レイの神妙な面持ちに、忍は口を閉ざしていた。

 

「バサラも、恭也君の妹さんと同じなんだよ」

「同じ、ですか?」

 

 忍が首をかしげて、レイは頷いていた。

 

「バサラもまたもがき続けている男だ。壁にぶち当たって苦しみ続けているんだ」

「バサラが、苦しんでいる……」

 

 恭也にとって、それは予想外だった。

 確かに、ゴールデンウィーク前にそういう素振りはあった。しかしそれは一時の事で、バサラ自身の内側ですでに解決され、完結されたたものだと恭也は考えていたから意外だった。

 苦しみ続けているなどと。その苦悩も、その原因も。忍と顔を見合わせてみても全く見当がつかなかったからだ。

 

「俺は幼いバサラを連れて各地を転々としていた。新天地に着くたびにバサラは喜び、歌い――――その度に失望しているようだった。飽いてるようにも見えた。そしてとうとう、バサラはアメリカという世界を体験してわかっちまったんだ。バサラの”求めるモノ”が、この世の中にはない、と」

 

 バサラの望み。

 バサラが求めるモノ。

 バサラの苦悩。

 

「要領を得なかった胸のつっかえが、大きな壁だったことに気が付いたのさ」

 

 それは、一緒に演奏をしてきた恭也にも考えの及ばないもの。言葉を交わしていたはずの恭也にすら想像のつかないもので。

 

「それでもバサラは歌い続けている。壁に向かって。求める“なにか”に辿り着くために。“なにか”を引き寄せようともがき続けている」

 

 だけどバサラがもがいているというのは、なんとなく理解できる。四年前も、今も。常にどこかで歌い続けているバサラの姿からは、そういう気迫を感じるから。

 

「もっとも、バサラが何を感じて何を考えたかなんて推測でしかないがね、バサラの考えなんて誰にもわからない。……しかし、バサラならなんとかできる。どこかに到達できる。俺はそう信じている」

「俺がどうしたんだよ」

「きゃっ!?」

 

 忍が思わず上げてしまったのだろう声に。

 裏口から入ってきたのだろうバサラは目を丸くして、手に提げていたビニールの包みをレイに差し出していた。

 

「内緒話だったか? ほら、レイ。買い出しのモンだ」

「ああ――――」

 

 助かる、と。

 レイが言い切るのも待たずに、バサラはステージに立てかけてあった相棒のエレキギターを手に取っていた。そのまま出口へと向かっていたから、恭也は「おい」と講義の要点を書き留めたノートを掲げる。

 

「出かけるのか? 講義ノート持ってきたんだが」

「俺の歌を聴きてぇってチビッ子がいてよ、一曲やってくるぜ。悪ぃな」

「人気者だな」

 

 そういうことなら、と恭也は必須科目の講義ノートをしまうと。

 

「まって、バサラ」

 

 忍のそれに、バサラは再度立ち止まった。

 

「もしも悩みを抱えた子がいたら、バサラならどうする?」

 

 忍は、やはり納得がいっていないようだった。

 

「話を聞いてやるに決まってんだろ」

「じゃあ、もしも。悩みを訊いて、その子が話そうとしなかったら? その子が意地を張って頑なに話そうとしなかったら?」

 

 バサラは一息だけ間をおいたが。

 

「なら、好きにさせりゃいいだろ。意地があるなら好きにやらせてやればいい。きっと、なんとかしちまうだろうぜ」

 

 恭也は、自分の考えが間違っていないのだという後押しを得られたような気がしてほっとするが。忍は、ムキになったように「じゃあ!」と声を荒げた。

 

「その子が悩みに圧し潰されちゃったら! ……バサラならどうするの?」

「そん時は、俺の歌を聴かせてやるよ」

 

 即答。

 

 常人が一番心を悩ませる可能性を、バサラは一蹴した。それでどうにかなってしまうと当然のように言い放ったから、忍は頭を抱えていた。

 

「まったく……」

 

 冗談でもなんでもなく、真剣にバサラが言い切ったから。バサラのそれでどうにかなることを、恭也は知っていたから。実際にこの目で見ているから、心の底から頼もしく思えて。

 

 バサラが「じゃあな」と店を出ていったのも見送ってから、忍はやっと顔を上げた。

 

「理解できない……!」

「時には信じてやることも大切なんだよ、忍さん。バサラなら悩みを抱えていたってなんとかできる。そう思えるだろう? 同じように信じてあげればいいんだ。恭也君の妹さんなら、きっと大丈夫だって」

 

 確かに、と恭也は忍の肩に手を置いた。

 バサラならどんな悩みだって、きっとどうにかできてしまう。自分で勝手にどうにかなってしまう、と。恭也には想像できた。

 同じように。

 なのはならなんとかできると思えたから。信じられるから、恭也は頷けた。

 

「忍。俺たち部外者にできることは、祈る事だけだ」

 

 なのはの領域は、なのはが望まない限り侵してはならない。

 だから、なのはが自分の力で壁を乗り越えることを祈る。その挑戦がうまくいくことを信じて、祈る。

 

「そういうものなの……?」

 

 忍の心配事は、恭也にもよくわかる。

 壁にぶち当たって、立ち直れず、折れてしまうのもまた人間の常だったから。”自分の内側”だけが”世の中のすべて”だと殻にこもってしまうのが、人間なのだとわかっているから。

 

 だから想定する最悪が実現してしまったなら、その時もまた見守り、祈るしかない。

 

常人(オレたち)には、祈る事しかできないんだよ」

 

 なのはが再び壁に立ち向かう意志を持てることを。

 なのはが顔を上げるきっかけが現れることを、祈るしかない。

 

 人間の殻を打ち壊すことのできるきっかけ。

 常人には考えも及ばない非凡なる”なにか”が現れることを。

 

 

 四年前のように。

 あの夕暮れ時の公園における奇跡。

 作為ではなく、偶然と偶然が引き合わさって生まれる奇跡を。

 祈るしかない――――。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

『遺失物管理番号≪J0908942≫、移送責任者≪ユーノ・スクライア≫から≪時空管理局≫へ。≪第97管理外世界≫より≪ミッドチルダ≫ヘ。応答を願います』

 

 デバイスを通して信号を発信するも。

 対象へ届いた感覚がないことからユーノは何度目かの信号を停止する。

 

「ダメだ、届かない」

 

 ジュエルシード収集の救援を求め、通信を開始してすでに五日が経過した。

 正確には、時空管理局という超巨大組織への救援信号を発して、それが世界と世界を結ぶ間――次元空間に漂うノイズに阻まれて五日間を浪費していた。

 

「地球から管理世界への通信が阻害されているのか……」

 

 時空管理局本拠地≪ミッドチルダ≫をはじめとして、時空管理局勢力下の≪管理世界≫への通信が届かない現状。レイジングハートの通信機能のみを抽出した分離体(簡易デバイス)を用いても届かない通信に、ユーノは焦りを募らせていた。

 

「このままではいけないのに」

 

 次元空間に張り巡らされているノイズは、≪管理世界≫への指向性を持った通信のみを阻害する性質を持っていた。それが指し示すことは、容易に想像がつく。

 

「フェイト……」

 

 ジュエルシードを狙う敵によって阻まれているのだと。

 あの黄色い魔導士。ゴールデンウィーク以後、すでに二度、ジュエルシードを持ち去っていった敵。なのはとユーノに接敵することなく、ジュエルシードへと先回りして持ち去ったなのはの敵によって妨害されているのだと、容易に想像ができた。

 しかし、その仮定には疑念が付きまとう。

 

「これだけ大規模の通信妨害を、長期間にわたって持続させること……」

 

 個人の力で可能なのだろうか、と。ユーノは思考する。

 

 確かにフェイトの魔法技術は高い。見た目の年齢を考えれば天才と称するにふさわしい技術を備えている。それは事実だが、起きている事象を個人が実行するのは不可能だと確信していた。なぜなら広域通信妨害を長期間行うエネルギー源。その出力をフェイトの小さな肉体で賄うこと――個人が発揮できる魔法の力で賄うことなど不可能なのだから。

 

 故に、考えられる可能性は二つ。

 

「高度な魔法設備を備えた拠点を持っているのか。それとも、背後に巨大な組織が控えているのか……」

 

 仮に後者ならば、ユーノの責任の範疇を超えた事案になりかねない。

 だからこそ時空管理局への接触、救援要請を一刻も早く届けなければならなかった。

 

 だからユーノは、通信を阻害されない世界へ。通信先を≪管理外世界≫へとシフトして、念を飛ばす。なるべく持続するように、なるべく遠くまで届くように。

 

『遺失物管理番号≪J0908942≫、移送責任者≪ユーノ・スクライア≫から≪時空管理局≫へ。≪第97管理外世界≫より≪ミッドチルダ≫ヘ。応答を願います』

 

 これはいうなれば、ビンに詰めた手紙を海に放り投げることと同義。どこへ流れるか、誰に拾われるかもわからない電波を飛ばす。

 藁にも縋る思いだったが、それ以上の手段が取れない。唯一無二の正当な手段を封じられている現状での最終手段だったから、賭けるほかになかった。

 

 

 しかし、悪いことは重なるもので。

 

「――――これはっ!?」

 

 飛ばした思念に割り込むように。突如、ジュエルシード発動の波動が感じられて。ユーノはなのはに思念通話を飛ばし、すぐに現場へ駆けた。フェイトに先んじられないために。

 

 

 

 

 

 そして息を呑んだ。

 

 

 

「なのは……!」

 

 見上げた先。

 炎の衣が削げ落ちていく眩い光景の先。

 

「これで、10個だね」

 

 悶え、喘ぎ、堕ちていく火の鳥を眺めて。

 ジュエルシードの暴走体。火の鳥を模したそれがスズメの姿を取り戻したのを見下ろしながら、なのはがぼそりと、まるでタイムリミットが近づいているように告げた。

 ユーノは小さいけど、はっきりと聞こえたそれを聞き流せなかったから頷く。

 

「う、うん。これでジュエルシードは手元に10個になった。……すごいペースだよ」

 

 これで3個目。

 この五日間で、3つのジュエルシードを封印するに至った。そのペースに加えて、今この時。ジュエルシード発動から封印までのその速度が、驚異的だった。

 

 ユーノがジュエルシードの反応を感じて、現場に駆け付けるまでの時間が10分弱。その間に――――おそらく、ユーノがジュエルシードの反応を感知するよりも以前から。なのはは行動を開始して、暴走体を撃墜したのだから。

 

 ユーノが見上げた先。

 枝の上に立ちつくす女の子――高町なのは。

 その虚ろな瞳に映る炎の残滓が、ユーノの不安を掻き立てる。

 

「残りの11個」

 

 小さな唇から漏れた言葉が、ユーノの不安を掻き立てた。

 

「そのうち6個は、フェイトちゃんが持っている」

 

 なのはは、変わった。

 フェイトとの戦いを経てから、なのはは変わった。以前よりも、魔法の訓練に力を注ぐようになっていた。限界だった以前よりも、限界を超えて力を磨いていた。

 

 ユーノはためらいを抱きながらも、訊かねばならないという出所も知れぬ責任感から口を開く。

 

「……わかるの?」

「わかるよ」

 

 なのはは音もなく枝から降りて、魔法の防護服≪バリアジャケット≫を解除していた。

 

「胸の中の感覚がね、鋭くなっているの。だからわかる」

 

 抑揚のない声、遠くを見つめる瞳。

 ユーノには、それがたまらなく不安で、辛かった。

 

「今度は、届くから」

 

 息が詰まったようななのはの声が、心臓を抉るようだったから。

 

 なのはは変わった。

 

 なのはは笑わなくなった。

 歌わなくなってしまった。

 

 心を強くする魔法の言葉を失くしたみたいに。

 笑顔と一緒に、失くしてしまった。

 前に向かう意志にのみ身を任せて、心を失くしてしまったように、魔法に邁進するようになってしまった。病的なまでに。

 

 

 だから、ユーノは願った。

 祈った。

 

「そうだね。届くよ、きっと」

 

 なのはの本気が、フェイトに。

 ユーノの救援信号が、時空管理局へ届くことを。

 ユーノは祈った。

 

 

 否応なく進んでいく時間。

 

 

 ここに至って。

 なにもかもがうまくいくように。

 ユーノには、祈ることしかできなくなっていた。

 

 

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