魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
血のように赤い空。
鬱屈と生い茂る木々。
あたりに飛散する目を覆いたくなる粘体。
――――夢。
それを観る彼女は思う。
これは夢。日常にはない、夢の世界の出来事。
『誰か』
そうでなければ、倒れ伏す少年の痛々しい姿を受け止められないから。
赤く濡れた少年の声が、聞こえてしまっても。
『僕の声を聞いて。力を貸して……』
ピリピリと心臓のあたりを震わせるか細い声が、聞こえてしまっても。
『魔法の力を』
これは夢だと、思っていた。
ありえないもの。
現実でないもの。
自分が出会うことのないもの。
だけど――。
『誰か……僕の声を――』
「――――――俺の!」
割り込んできたそれ。
「俺の を――――」
この夢の世界にあった、現実の彼女が求めていたもの。
「俺の を聴けェ!」
目が覚めるほどの轟きで、彼女は――高町なのははベッドから飛び上がった。
――――――――――――――――
早朝の空。
突き抜けるような青く澄んだ空が、なのはは大好きだった。
「もしも……」
もしも空が飛べるなら、見上げた先にある奇麗な空を飛んでみたい。
もしも魔法というものがあるのなら、鳥のように空を飛んでみたい。
そんな風に考えてしまったのは、夢のせいかもしれない。
『夢にはね。その人が無意識のうちに望んだものが出てくるんだって』
先日、読書家の友達が言ったことを思い出す。
無意識とは心の底に隠れたもの。
望んだものとは心に思い浮かんだこと。
背中合わせのふたつの言葉が、なのはにはピンとこなかった。けれど、もしも友達の言葉通りに考えてみるなら。つまり、あんな怖い夢をみた自分は……。
「けっこう危ない子なのかな……」
いまにも落ちてきそうな真っ赤な空。折れて散らばる草木。大きくて怖い、形も定かではない怪物。そして、血のような――――。
いけない、となのはは頭を振る。夢の光景を振り払う。
ちょっと夜更かしをして、ちょっと怖い夢を見ただけ。気分が沈んでいただけだから。
だから、なのはは口ずさむ。怖い気持ちを追い払うために。
「〈お前の胸にもラブはぁ~と!〉」
幼い頃の、魔法の体験を。
間もなくして、いつも利用する通学バスが脇を通り過ぎていった。それがちょっと行った先の、いつも利用するバス停に停車したのを目にして。
なのはは髪の毛が乱れるのも気にせずに、通学バスに駆け込んだ。
バスの最奥の席に腰かける二つの色を見つけて、なのはは疲れが吹っ飛んだ気がした。
「おはよう。アリサちゃん、すずかちゃん」
同じ学校の、白い制服に身を包んだ二人の友達。
「おはよ!」
快活な金色の髪を揺らし、アリサ・バニングスがいつものように席をズレると、その空いた場所になのはいつものように腰掛けた。
「おはよう、なのはちゃん。今日は危なかったね」
落ち着いた青色の少女、月村すずかに、なのはははにかんだ。
空を見上げながら歌ってきたからなどと。お子様のような理由で遅れたなどとは口が裂けても言えなかったからだ。
「どーせ、『空が青いなぁ』ってぼーっとしてたんでしょ」
「そ、そんなんじゃないよ! 三年生にもなって、そんなぼーっとなんて……」
「ひょっとして歌ってたから? なのはちゃん、歌好きだし」
もう、バレバレであった。
さすがは親友。なのはは「にゃはは」と二人の間で肩を丸めるしかなかった。
「それで、二人ともちゃんと考えてきたんでしょうね? 社会科の」
「“将来の夢”について?」
「あっ」
そうだった、と。なのはは心臓が跳ねるのを隠し切れなかった。
「ほら、ぼーっとしてるから」
「……≪うたうま☆スペシャル≫観てたら、忘れちゃってて」
≪新人ミュージシャン集結! ニュースターを見つけるのは君だ!≫の謳い文句でおなじみの、月一放送のテレビ番組。昨晩はその2時間スペシャルがあったのだ。
「なのはちゃん、好きだもんね。その番組」
「うん! 番組途中でサプライズ乱入もあるから、目が離せなくって」
「だからって、宿題を忘れちゃダメでしょ!」
「い、いまからやるから!」
たしか宿題のプリントは鞄の中にあったはず、と。なのはが鞄をまさぐると。アリサの「もー」というため息が聞こえた。
「すずかはどうなの? やっぱお姉さんみたいな科学者?」
「うん、すごく興味あるよ、工学とか。そういう進路を選びたいって書いてきた」
すずかがプリント用紙をとりだしたのを見て。
なのははその中身に目を細めた。そこには希望する進路から将来やってみたいことまでがびっしりと丁寧な文字で書き綴られていたから。
「すごーい!」
なのはは声が大きくなるのを抑えられなかった。具体的に書き綴られた将来の夢、それを実現するための現実的な進路と努力の方向性等々……。
端の端まで読み込みたかったなのはだったが、すずかが「恥ずかしいよ」とプリントをひっこめてしまったのでそれも叶わなかった。
「なのはは、やっぱりお店を継ぐの? 喫茶≪翠屋≫の二代目?」
「うーん」
名残惜しさを抑えて想像してみる。
喫茶店のマスター。なのはは、そんな自分を想像してみるけど、頭の中で形にならなかった。想像できなかった。
「今は、そんなつもりじゃない、かな。家族の力になりたいとは思うけど……」
「じゃあミュージシャンとか? なのはちゃん、よく歌ってるもんね。〈とつげき、らぶはー〉って」
「リコーダーも満足に吹けないのに?」
「もーやめてよ! 考えてないって!」
ミュージシャンになりたいなどとは、冗談でも思っていなかった。
それならばまだ“両親が経営する喫茶店を継ぐ”ほうが実感が持てる。兄も姉も、喫茶店とは別の道を模索しているようだし、両親のことを考えれば、なのはにとっては一番しっくりくる将来像ではあった。
「ただ――」
ただ、その前に。
“将来の夢”を考えるよりも前に、やりたいことがあった。
「会いたい人がいる、かも」
意外、だったのだろう。
アリサは目を丸くして「だれに?」と覗き込んできた。
「魔法を見せてくれたヒト」
なのはは、思い起こす。かつて自分の世界を変えてくれた、魔法のような体験をくれたヒトを。鼓動に焼き付いた、炎のような熱気を。
その記憶、その体験のすべてを思い起こそうとしたなのはだったが、口にした言葉を思い返してはっとする。
しまった、と。
「ま、魔法使い? ……なかなか、Fantasticね」
アリサは風船のようにほっぺたを膨らませていた。口元に手を当てて、面白がっていた。
「ち、ちがうって! 私の世界を変えてくれたヒト――――あっ」
感じたことを、感じたままに言葉にしてしまうのは悪い癖なのかも、と。なのはは熱くなった顔を手で覆う。見られたくなかったから。
うしし、と。アリサのいやらしい声になのはは身構えるが、攻撃は別方向からやってきた。アリサと逆サイドから、なぜかすずかが身を乗り出してきたのだ。
「それって、どこのヒトなの? だれなの?」
すずかのそれが茶化すようには思えなかったから、なのははすずかに目をやった。
「そ、それがね。どこにいるのか、どんな名前なのかもわからなくって……」
「じゃあ、どんなヒト?」
「んっと……すごいヒト。見た目はね、お兄ちゃんと同い年ぐらいのヒトで。タンクトップで、ちっちゃい丸メガネで、こう髪の毛がボワーって逆立ってて――」
「なのは! そいつぜったい変態よ!」
「絶対違うよ!」
たしかに変な人だとは思ったけど、と。つい言ってしまうと、アリサはやっぱりと勝ち誇ったように腕を組んだ。
なのははそれをやめさせようとアリサの腕にしがみつくと「それって」と逆方向、すずかが息をためたのが聞こえた。
「もしかして――“運命のヒト”」
振り向けば、頬を赤らめておずおずと告げたすずか。
なのはもまた、すずかの考えていることがわかってしまった。別にそんなつもりはないのに、なのはは顔に熱が入ってくのが分かった。恥ずかしいという気持ちだけど、さっきとはどこか違う熱の入り方で。
「ははぁ~ん、なのはぁ~」
アリサまでもが、そんな勘違いに伝染していたから。
「だから違うってばぁ~!」
――――――――――――――――
高町なのは。
私立聖祥大付属小学校3年生。
年齢、9歳。
幼い頃の――あの魔法のような体験から、すでに四年もの月日が経っていた。
名前も知らない異質な男のヒトとの、魔法の夜から四年。
なのははすぐに思い知る。
宿題のプリントが白紙のまま、問題の授業に臨まざるを得なくなることを。
なのははまだ知らなかった。
その日。
拾うことになるフェレットのような存在。
“現実の魔法”と出会うことを。
なのはは知ることができなかった。
その日。
高町なのはが、空を見上げていたその時。
彼女が住む街で、件の男が同じように空を見上げていたことを。
海鳴駅。
通勤と通学時間が重なる雑踏の中に。
タンクトップと小さい丸メガネをかけた男。
年季の入ったギターを背負った男。
風に揺れる、燃えるように逆立った髪をした男が。
「俺を呼ぶのは、誰だ」
海鳴の空を見上げていたことを、高町なのははまだ知らない。