魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
いつものバイオリン教室が、嫌になるほど長く感じても。
制服姿のアリサは冷静だった。
窓の外を流れるネオンの眩しさを目障りに思える程度には、アリサは冷静だった。
「ねぇ、アリサちゃん」
揺れのない車内で、隣に座るすずかの声が聞こえる程度には冷静だった。
「明日じゃ、ダメなの」
「ダメ」
きっと困った顔をしてるだろうな、と。声だけですずかの表情がわかってしまって。アリサはすずかと目を合わせないように窓の外を見つめた。今にも噴火しそうな感情を飛び火させたくなかったから。
「話そうともしないなら、突き止めてやるしかないじゃない」
なのは自身はなにも語らないけど。
放課後になるとなのはがどこかへ出かけていることは、クラスメイトの目撃証言から確実で。夜になると自室に籠りっきりになるという話は、なのはの姉の美由希からこっそり聞いたから疑いようもなかった。
何かをしているのは間違いないのだから。
「突き止めて、どうにかするしかないじゃない」
だから、今晩。
なのはの自室に飛び込んでやる。何をしているのか自分の目で確かめてやる。なのはを苦しめているものの正体を暴いて、なんとかしてやる、と。
アリサは、それが正しいことだと信じていた。
「……アリサちゃんの気持ち、よくわかるよ」
すずかも同じように考えてくれている、と。確信してアリサは車内に顔を向けると、心配が見て取れるすずかの表情があって。
「なのはちゃんを、どうにかしてあげたい。助けたいって、そう思う」
「すずか……」
ごわごわと上ってくるざわつきが和らいだ。頼もしく思えた。すずかも協力してくれるならどうにかなると心強かったから。
だけど、それも束の間で。
すずかは首を横に振った。
「……でも、強引すぎるのは良くないよ」
「強引じゃない! 何度も我慢した!」
学校で顔を合わせるたびに。
すずかの家でのお茶会でも。
図書館見学でも。
温泉旅行中でも。様子が急変しても。
アリサは、訊きだしたいという欲求を抑えて。なのはの疲れの原因、悩みの原因をなんとかしてあげたい気持ちを、ずっと我慢してきた。
「我慢して、我慢して、どんどん悪くなってるのがわかるの」
アリサは、頑なに言葉にしようとしないなのはをこれ以上放っておけなかった。見ていられなかった。自分たちならなんとかできると信じているから。
「もう我慢はおしまいだから。なのはに、私のハートをぶつけてやる」
――――ハートが伝わらないのって。伝えることもできないのって、すごく辛いことだよ。
なのはの言葉を借りるなら、もう辛い時間は終わり。
アリサはもう胸の内側をさらけ出すことを決めていたから、すずかとはもう話すことはないと窓の外へ視線を逃がす。自分ひとりで何とかするしかないとわかってしまったから。
「――――えっ?」
けれど、アリサは声を漏らしてしまった。
もう話すことなんてなかったのに。
流れる景色の中に見つけてしまったから。
夜の海鳴市ビル街に子供を見つけて。その場に似つかわしくない見慣れた人影を見かけてしまって。その小さく丸まった背中が路地の角を曲がっていったから。
「待って! 車止めて、早く!」
アリサは車を止めさせる。
飛び出した歩道。
会社帰りのサラリーマンの合間を縫ってアリサは追う。
項垂れながら路地裏へ姿を隠した親友。
高町なのはの後を追った。
――――――――――――――――
灰色の空を飛んでいるみたいだった。
足場がなくなったみたいにフラフラしていた。ちゃんと地面を踏みしめて歩いているのに、真っ直ぐに歩けているはずなのに。体中の感覚がフワフワと拠り所を失くしたみたいに漂っていて、気持ち悪い。
「……なんで」
そもそも、気持ち悪いという感覚すら曖昧で。
体の感覚がどんどんと鈍感になっていて、シャープだった胸の奥の感覚までもが泥をかぶったように鈍重になっていて、きちんと歩けているのかわからなかった。
「どうしてなの」
身体の芯、胸の真ん中に空いた穴。気持ちの真ん中に空いた穴がふさがらずにいた。暖かいとか寒いとか、気持ちいいとか痛いという感覚が感じられなかった。僅かに残っていたそれまでもが、抜け落ちてしまって。
ひとつの後悔だけが、残っていた。
「なんで、届かなかったの?」
シミュレーションでは完璧に対応できたはずのフェイトの攻撃、立ち回り、速度に。これまで培ってきた魔法の力が届かなかったこと。全力でぶつかったのにちっちゃなミスばかりで、実力で及ばなかったこと。フェイトの瞳に色がみえたのに、フェイトが望んだ力で応えることができなかったこと。
そればかりが頭の中にあって……。
「なんで、なの……」
フェイト。
胸をじくじくと刺すような痛みを、耐え続けている女の子。終わりのない辛い気持ちを感じさせるその瞳に、どうして届かなかったのか。なにがいけなかったのか、考えようとするけど。
「どう、して」
悲しくないのに、涙が出てきて。
堪えようとすると唇が震えて。
鼻っ面が熱くなってきて。
息が思うようにできなくて。
胸に充満する嫌な寒気が、神経をザワつかせるから――。
「なんでダメだったのっ!?」
ぺちん、と。
コンクリートの壁に思い切り叩きつけた手が間の抜けた音を発して。でも、手は真っ赤になって痛くて。痛みが、神経を和らげてくれるようだった。
寄りかかったコンクリートは冷たかった。
もう、ダメだと思った。
なにかが閉じていくように、動きたくなくなっていた。
誰かに今の自分を見られたくなかった。
見せられないから。
「お家、帰れないよ」
お父さんとお母さんに見られたら。
お兄ちゃんとお姉ちゃんに見られたら。
きっと心配させてしまう、と。
「アリサちゃんとすずかちゃんにも、会えないよ」
昼間の学校でのことが、思い浮かぶから。
もう今まで通りにできないから。
「すずかちゃんには、悪いことしちゃったなぁ」
一緒にお昼を食べたのに。おいしくなかっただろうなぁ、と。
「アリサちゃんは、今度は怒るだろうなぁ……」
一生懸命我慢してくれていたのに、訊かないでいてくれていたのに。今顔を合わせたら、きっとアリサちちゃんらしく真正面から大きな声で問い詰めてくるだろうなぁ、と。
簡単に想像がついて――――。
「なのはッ!!」
幻聴が、聞こえて。
それは幻聴ではなくて、はっきりと耳の奥を震わせた声が聞こえて。
なのはは涙を拭う。現実の事だったから。いつも通りを装わなければならなかったから、ままならない呼吸をなんとか圧し留めて振り向く。
「なのはっ!」
通りを背にして、制服姿のアリサが肩で息をしていた。ギラギラと目を光らせて、どしどしと近づいてきて。なのはは、肩に熱い力を感じた。
アリサに掴みかかられていた。
「……ア、アリサ、ちゃん」
「何があったの!?」
じっと燃えるような瞳が、すぐ前にあった。
真剣なまなざしが、真っ直ぐに見つめてきて。
「な、なんにもないよ」
なのははすぐに目を逸らしたけど。
「ウソ! 目が真っ赤だった! 泣かされたの!? 誰にッ、何があったの!」
「な、泣いてなんかないよ!」
声が震えてしまって。
肩を掴む力が、一段と強くなって。
「なのは! アタシの目を見てよ!」
「放してよ……」
すぐにでも逃げ出したかった。
魔法の事、今の気持ちを秘密にしなければいけなかったから。いつも通りにできないから。見つめられたくなくて、なのはは身をよじるけど、肩にかかる力は強くなる一方で。
「アタシって頼りないのっ!? 悩みがあるんでしょ! 困ってるんでしょッ!? 話してっ! 力になるから! ぜったい――――」
「放してよッ!」
振り払おうとして腕を振ったら、アリサを押し倒してしまって。
アリサは尻もちをついて俯いてしまって……。
「ご、ごめんっ……!」
なのはは逃げたかったけど、傷つけてしまったから。
よろめいたアリサの傍に膝をついたけど。
「だ、大丈――――」
アリサの手が、襟元に掴みかかってきて。
「ア、アタシの……」
アリサの震える声に、力を感じた。
「アタシの気も知らないでッー!」
グイっと、体が浮き上がって。
アリサに持ち上げられるように立ち上がっていた。
「なんで言ってくれないのッ!」
燃えるような瞳に、真っ赤な色が備わっていて。
涙をいっぱいに溜めていて。
その視線が胸に刺さるようで、なのははまっすぐ見つめ返せなかった。
だけど、アリサは覗き込んできて。
「なんで頼ってくれないのッ! なんで伝わらないのッ! そんなにヒトリがいいのッ!? 自分勝手、卑怯者っ!」
だけど、その言葉。
「ア、アリサちゃんだってっ……!」
その言葉が、これまでの頑張りを無駄だと言っているようで。時間の限り魔法の練習をして、頑張ってジュエルシードを探して、いつも通りに学校の事も塾の事もしっかりやってきたのに、心配かけないようにしてきたのに。
わかって、くれなくて。
「私の気持ちもわからないくせにッ!」
手を止められなくて。
アリサの襟を掴んでしまって。
「私だって一生懸命やったの! 心配させたくなかったのに! 自分勝手じゃないッ! なんでわかってくれないの!」
「じゃあ、言いなさいよッ!」
パチン、と。
音が聞こえて、頬に熱が残って。
「あっ、ごめッ……。なの、は……」
手を振り切っていたアリサがしまったという顔をしていて。
痛くないのに、目頭にこみあげてくるものがあって。
もう止まらなかったから。
「イヤだよッ!!」
同じように、アリサをひっぱたいてしまって。
アリサは目を丸くしたけど、すぐに鋭く目を細めて。
「 !」
泣きながら、掴みかかってきたから。
反撃されたから、なのはもやり返してしまって。
掴み合って。
ひっぱたいて。
ひっぱたかれて。
止まらなくなってしまった。
痛かったけど、止まらなくて。
「や、やめてよ! 二人とも!」
すずかの声が聞こえて。すずかまでもが、来てしまって。止めに入ってくれているのに、でも手が止まらなくて。もう止められなくて、でも……。
だけど。
なのはは、この状況に覚えがあった。
頭によぎった記憶。
小学校一年生の頃の、すずかの髪留めを、アリサが取り上げようとした時の事。
当時。なのはは、アリサをひっぱたいたことを思い出した。今みたいに。その後も同じで、取っ組み合いになって、止めに入ってきたすずかが泣き出してしまった。
そんな記憶を、思い出して。
その後のことが、思い出せなかった。
聴こえてしまったから――――。
「〈Let’s GO! 突き抜けようぜ〉」
どこからともなく。
アコースティックギターの音色が聴こえて。
なのはは、記憶の底を掘り起こされるような感覚に襲われて。力が抜けていくのがわかった、穏やかになっていくのがわかった。鼓動が高鳴るのがわかって。
なのはは、手を止めていた。
聴き入ってしまって。
「〈May Be! どーにかなるのさ〉」
懐かしい歌。
でも、昔聴いた激しくてポップで鮮烈なものではなくて。耳を撫でるように穏やかな音色、波立つ心をなだめてくれる柔らかい歌声で。
「〈愛があればいつだって〉」
小学生よりも前、もっと昔の記憶にささやきかける音楽。
「〈俺の歌を聴いて 簡単なことさ〉」
なのはは、掴みかかるアリサが気にならなくなっていた。
そんな気分はどこかへ行ってしまったから。
なのはは、振り向いていた。
音色の向こう側へ。
アコースティックギターを抱えた男のヒト。
「〈ふたつのハートをクロスさせる なんて〉」
兄と同じぐらいの年頃の男のヒト。
「あっ――」
タンクトップ姿で。
ちっちゃい丸メガネをかけた。
髪の毛がボワーっと逆立った男のヒトがいた。
その懐かしい姿に。
その澄んだ色をした瞳に。
そのメロディーに。
思い出すことができた。
なのはは、思い出した。
「〈悲しみと憎しみを 撃ち落としてゆけ〉」
なのはとアリサがたたき合いを始めて、すずかが泣きだして。なのははどうしたらいいかわからなくなってしまって、困ってしまって。手を止めてアリサとやるせなく顔を見合わせた――その後のこと。
「〈おまえ、の……ムネにも……らぶはぁ~〉」
「な、なのはっ……!?」
その後。
なのはは、歌った。
「〈真っ直ぐ受け止めて デスティニー〉」
あの時。
なのはは、授業で習った≪カエルの歌≫を歌ったことを思い出した。
みんなで一緒に歌えるように、と。もうケンカなんてしないよ、と。なのははわかってもらいたくて、みんなが知ってる歌を歌った。そうしたらアリサも一緒に歌い始めてくれて。すずかも、最初はおろおろしていたけど、一緒になって歌ってくれて。
「そう、だった……」
歌い終えたら。
みんな泣き止んでいたことを。
思い出して。
なのはは溢れるものを止められなくなっていた。
「うっ、あぁ……!」
声までもが漏れてしまって。
「ど、どうしたの、なのは……!?」
アリサがおろおろして。
悪いことなんてないとわかってほしいから、なのはは首を横に振るけど、止まらなくて。
「うわあぁあぁぁぁ」
泣いてしまって。
子供みたいに、涙が止まらなくて。
「〈何億光年の彼方へも〉」
「なのはを泣かせて! アンタだったのね、変態帽子オトコ!」
アリサが、男のヒトへ跳びかかっていって。
誤解なのに。
でも嬉しくて。
でもとめられなくて。
熱いものがこみあげてきて。
「〈突撃ラブハート!〉
「〈とつげき らぶはぁ~と〉」
声が重なって。
思い出した。
戻ってきたから。
心と体が、戻ってきた。
その感覚を思い出せた。
どこかへ消えていた熱気が戻ってきた。
昔のように。
夕日の公園でのように。
世界が、開けた気がした。
なにかが、変わった気がした。
彩りを取り戻すことができた。
――――まるで魔法のように。