魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
『はい、母さん!』
「へぇ」
心臓が考えられないほどにドキリと跳ねて。フェイトが恐る恐る顔を上げるとそこには記憶の中でしか観たことのない母の姿があって、動悸が高鳴りに変わった。
視線の先には。フェイトの魔法の杖――人工知能を備えたインテリジェンスデバイス≪バルディッシュ≫を起点に映し出されるホログラム映像を見つめるプレシア・テスタロッサの姿があった。
フェイトの母親がいた。
記憶の中の母の姿がそこにはあった。クレヨンで一生懸命に描いた家族の絵を褒めてくれた時のような、柔らかく包み込んでくれる母の微笑みがあった。
「フフ」
母の柔らかな瞳には、フェイトの姿が映っていた。映像の中の
フェイトは唇を噛んだ。
堪えるために。
自分だけが母の瞳を独占している、まっすぐに見つめてもらえている。フェイトは、こぼれそうになる涙を必死に堪えた。大好きな母を、困らせたくなかったから。
でも、我慢なんて無駄だった。
「――――え?」
ふわりと、フェイトの肌を暖かいものが覆った。
体温。他人のぬくもり、人肌のぬくもり、肉親のぬくもりが肩を温めてくれていた。寄り添って一緒に海の絵本を読んた時の――遠い記憶の中にしかなかったあの母の匂いがすぐ近くにあって。
だけど、ここは記憶の中という感覚の世界ではない。
現実という外の世界、リアルな感触の世界。
「よくやったわ、フェイト」
耳元で、求めていた声が呼んでくれたから。
求めていた言葉と一緒に、自分の名前を呼んでくれたから。
「か、母さん……!」
フェイトは涙を抑えきれなかった。
我慢しなきゃ、我慢しなきゃ、と。頑張ってまぶたを閉じても止まらなくて。むしろ溢れてきて。抱きしめられている、包まれている感覚が、身体の奥底から涙を溢れさせているようで。
手が震えた。
震える手で迷った。フェイトは迷った。
抱きしめ返していいのか。母の大きな体を目いっぱいに抱きしめ返していいのか、迷った。嫌われはしないか、鬱陶しいと思われないか、痛がらせてしまうんじゃないか。
でも、やっぱり。
我慢なんてできなくて。
フェイトは怖がりながらも、震える手に力を込めて。
「でもダメ」
抱きしめた腕は空を切った。
見上げれば、そこにはいつもの母の姿があった。いつもの冷ややかな瞳があった。いつもの教育道具が握られていた。フェイトの“間違い”を正すための鞭が。
「――――ッあ!」
肉を裂く痛みが破裂音とともに弾けて。
フェイトは倒れた。いつもの、我慢できる痛みがジンジンと残って。腹に伝う床の冷たさが思い出させてくれたのは、これが現実だという事実。これが母の愛だという認識。痛みこそが愛だという“
「全然ダメ」
鋭い痛みが、もう一度背中に走って。
「それじゃあまるでダメなのよ、お話にならないの。わかる?」
わからなかった。
なにがダメなのか、フェイトにはわからなった。
わからなかったけど、わかることはあった。正しいのは母で、間違っているのは自分だということ。わかることは、自分が間違った結果を持ち帰ったということだけだったから。
「……はい、母さん」
わかります、と。
反省しています、とわかってもらいたくて。
フェイトは、せめて立ち上がらなきゃと腕に力を込めたのだけれど。
「なんで奪い尽くさなかったのッ」
背中で肌と空気が破裂して、フェイトは悲鳴を堪えられなかった。立ち上がれなかった。
パァン。破裂音がもう一度繰り返されて。
「アナタよりも先に集めていた魔導士なら! もっと持っているはずでしょ! もっと、もっともっとたくさん、ジュエルシードを持っているはずでしょう! なぜすべて奪わなかったの!」
母の言葉が鞭と共に背中を打って。
それが収まる頃には、フェイトは朦朧としていた。眩暈に支配されていた。赤く燃えるような背中の痛み、神経の爛れが、涙で滲んだ視界を朦朧とさせていて。
「あぁ、ごめんなさい。フェイト、ごめんなさい、お母さん嬉しくて。アナタが勝ったのに、ごめんなさい。あぁ、ごめんなさいね」
すぐ近くにしゃがみ込んでくれた声に、フェイトはすぐに微笑み返す。
やっぱり心配してくれているんだ、と。母さんは頑張ったことをわかってくれているんだ、と。嬉しさを伝えたかったから。
「……うん、わかるよ。母さん」
「わかってないっ!」
ドスン、と。焼けるような背中が鈍重な何かに潰されて。
苦しくて、涙がにじんで、信じられなくて。フェイトは見上げた。
「か、かあさ……ん……」
「アナタは何もわかってない! 私の事をなにもわかっていない!」
そんなことないのに。違うのにと伝えたくてフェイトは手を伸ばしたのだけれど、母の意識はもうここにはなかった。フェイトの母親はバルディッシュに格納されていた青い宝石を見つめていた。
「――――ジュエルシード」
熱かった背中が急に冷え込んでしまうほどの声に、フェイトは体がびくりと震えるのを自覚する。けれど、振り向いてくれた母の顔は穏やかで。
「あれを全て集めた時、アナタは私を理解できるの。私はあなたを理解してあげられるの。 わかる? わかるわねっ! わかっているのね……――――良かった」
フェイトは、頷く以外にできることがなくて。
痛む体を引きずって、母に背中を向けるしかなくて。
せめて、お土産のケーキを食べて欲しいとは言えなくて。
「さあ、いってらっしゃい」
フェイトはテーブルに置かれたバルディッシュを手に取って、その横で忘れ去られただろうお土産の箱を流し見て、大好きな母のもとを去った。次のジュエルシードを探す準備をするために、与えられた部屋に向かった。
涙は、流れなかった。
――――――――――――――――
扉が静かに閉ざされて。
プレシアは椅子に腰を下ろして、バルディッシュに記録されたデータ――フェイトの行動記録を再生する。そこに映る記録の数々を観てつくづく思う。
「――……こんなことでは」
ダメだ、と。ため息が漏れる。
手元のジュエルシードは8個。ジュエルシードの収集は想定に近いペースで行われていたが、プレシアは反省する。フェイトに対して冷静でなかったことをプレシアは後悔した。
「もっと、上手く扱う必要があるというのに」
プレシアは、拠点の外――自らの領域外で活動可能な唯一の戦力に対する扱いを反省した。
鞭ばかりを与えては忠誠心が低下する。だからといって飴を与えすぎては気力を損なってしまう。プレシアがフェイトに求める理想は“背水の陣”。フェイトが欲する無条件の愛を失いかねないという恐怖心、一つのミスが全てを失うという研ぎ澄まされた精神状態。
しかし実際は異なる。
持ち帰ったジュエルシードは必要数には到底届かず。だというのに満足気で。素人同然の魔導士を圧倒できず、ジュエルシードの略奪を行わなかった。そんなことなどまるで考えていなかったというふうに……。
次の機会があるという気の緩みを含む――それがフェイトの精神状態だと認識していた。
「それにしても」
プレシアは、映し出された戦闘記録を観て戦慄した。
「驚異的、ね」
白いバリアジャケットの魔導士。
高町なのはと名乗った子供に。
その成長速度と戦闘能力に。
初戦はフェイトが圧倒した。
当然だ。高町なのはの動きは素人同然なのだから。飛ぶことができて、魔力弾を撃つことができるだけのカカシにしか過ぎなかったのだから。
しかし次戦、僅か一週間が経過しただけでそのぎこちなさが消えた。さらに一週間後の都市部での戦闘では稚拙とはいえ戦略を組み立て、フェイトの動きを読み切り、自身の土俵での戦いに引きずりこもうとした。
高町なのはが勝負を焦りさえしなければ。初動でみせた戦略を徹底していたならば、勝敗はわからなかった。
「ジュエルシードを奪い取る、最後のチャンスだったかもしれない……」
次戦はどうなるかわからなかったから。
だからこそ、プレシアは苛立った。
「なぜ、こうも上手くできない……」
プレシアは頭を掻きむしりたい衝動に駆られるが、擦り減りつつある理性でなんとか圧し留める。震える右手をテーブルに叩きつける。
とん、と。最初は軽く。
どん、と。次は少し強く。
まだ痛くないからもう少し強く。
まだ痛くないから。
まだ、まだ、まだ、と。
何度も、何度も、何度も――――。
「――――なぜ?」
右手の皮膚から滲む血。
熱い肉と骨から伝う痛みから、プレシアは実感する。
自分が自分でなくなりつつあるという自覚。
感情の抑制が効かない。理性が効かない。
プレシアには自覚があった。
「なぜ冷静でないの! 私は!」
思考にまとまりが欠け、閃きは冴えず、感情がぐちゃぐちゃで。
ガリガリと音がした。
頭を掻き毟っていた。
魔力炉心と次元空間航行機能の連結作業が芳しくないこと。脳構造の再生論、特に記憶領域と感情処理領域の連結理論の構築に行き詰っていること。次元震を起点とした次元空間越境理論の最終式が埋まらないこと……。
考えねばならないこと、やらなければならないことがまるで進まない。前に向かっているはずなのに逆走しているような焦りが、後から後から押し寄せてくるようで。
「なぜ最適を実行できない!」
フェイト・テスタロッサに対して。
プレシアは苛立ちをテーブルに打ち付けた。
曲がりなりにも自らの血肉を受け継いだ出来損ないが思うように動かないことに。思うように動かすための最適を実行できない自分に。母親の仮面を被る事すらためらう自分に怒りを覚えた。
「なぜアレが私の前にいるの!」
最愛の遺伝子を受け継いだはずのフェイトが憎かった。
プレシアは抑えきれない憤りを、再びテーブルに打ち付けた。
最愛の顔で。
最愛の声で。
自身を母と呼ぶフェイトが目の前に立つことを許せないでいた。すぐにでも消し去ってしまいたかった。二度と目の前に現れないように、叩き潰してしまいたかった。
「なぜ上手くいかなかったの!」
最愛の思い出を与えたはずのフェイトが“フェイト・テスタロッサ”として生まれてきたことをプレシアは呪った。フェイトの生まれを呪い、フェイトを生み出した自分が、許せなかった。
「こんなはずじゃなかったのにっ!」
だから打ち付けた。
痛みが紛らわせてくれるから。
血が飛び散っても。心地よい痛みが消え去っても。胸の底から絶えることなく湧き上がる憎しみを叩きつけた。
『〈Hey Everybody!〉』
神経を逆撫でる耳障りな音が聴こえるまでは。
プレシアは顔を上げた。
垂れ流しになっていたフェイトの行動記録。なおも再生される映像に目を向けていた。
『〈光を目指せ! 踊ろうぜ!〉』
ネオン街の一角で、ギターを弾く男の姿が映っていた。
それはバルディッシュによる映像記録。フェイトの手の甲に格納されているバルディッシュが見上げた先には、目をつむり、リズムをとってメロディーを口ずさむフェイトの姿があって。プレシアは頬杖をついた。
「……お笑いね」
鼻を鳴らした。
「下品なセンス……。退廃的で品性の欠片もない野蛮な音」
あの紛い物にはお似合いね、と。プレシアは鼻を鳴らした。時代錯誤の公害さながらの音質。観客のむさ苦しい合いの手。フェイト・テスタロッサの呑気な表情に――。
「目障りよ」
夜闇とネオンのコントラストが目障りだ、と。そう思い込んでプレシアは映像を切った。
魔力弾を飛ばして、再生用の機器を打ち壊す。
室内には静寂が戻り、プレシアはようやく背もたれに寄りかかることができた。一息つくことができた。
力の入らない目をさまよわせると、テーブルの上には血しぶきが飛び散っていて、それらを避けるように置かれた箱――ケーキのシルエットが装飾された紙の箱――に気が付いた。気が付いたけど、目には留まらなかった。
「…………歌、ね」
両手の痛みが戻ってくる中で、プレシアは呟いた。
なんて不摂生で古めかしい街並みなの、と。
プレシアは深く被ったフードの下で悪態をつく。
時刻は夜。
サブマリンストリートと呼ばれる大通り。街往く一般人と似たような服装に身を包み、目深にフードを被ったプレシアは歩く。通りの端を静かに、見慣れぬ街を観察しながら。
プレシアはもう一度ため息をついた。
地球という次元世界、その文明レベルの低さに。
排ガスが充満した息詰まる空気。砂利と泥を固めて作ったのだろう平らでない歩道。四方八方から耳に入る耳障りな喧騒。そして、なにより。
「いい加減になさい!」
「だっでー! サーキュレンジャーがいいのォ! アレが欲しいのっ」
「アンタがわがままを言うと、お母さん困っちゃうの!」
自分の子供に対して。
まるで子供のように怒鳴る母親に。
「……なんて世界なの」
自分なら、我が子を感情のはけ口に使うなどとはしない。
自分なら、我が子の声に耳を傾けるのに。
自分なら、我が子の望むものを与えることができるのに。
自分ならば――――――。
自分なら――――と。
渦を巻いて深まっていく苛立ちがふと止まって。
「――……なぜ」
私のもとには愛する我が子がいないのか、と。なぜ、あの紛い物しかいないのか、と。プレシアは苛立った。
――――フェイト。
思い浮かぶのは影落ちた向日葵、澱んだ黄色。
アレは他人。アレは紛い物。肉に血と神経を通した人間でないもの、娘になり損ねた形だけの粘土。慰めにもならないできそこない。生きた廃棄物。
思い浮かべたくもないその姿を忘れようと。時代遅れながら清潔に飾られたショーウィンドウに目を逃がしてみる、鼻に香る芳ばしい甘さに気を紛らわせようと試みるが。油のようにこびりついた汚れは拭いきれず。むしろ拭うほどに伸びて広がっていくようで……。
「ねぇ、あの人……」
「きっと危ないヒトよ」
そんな言葉が聞こえたから、プレシアは手の痙攣を抑えつけながら足を速めた。
いつ以来かの羞恥心を抱いて。
プレシアはぼやいた。
「なぜ、私はここにいるの」
敵情視察。
そんな名目がいの一番に浮かんだ。フェイトが敗れるという危機感がきっかけ。プレシアはそう記憶していたが、思い返してみて違和感があった。
白い魔導士――高町なのはが、いくら魔導士としての資質に優れようとも所詮は成り立ての子供。大魔導士とまで呼ばれたプレシアから見れば大した脅威ではなかった。ほんの一手か二手。フェイトに力添えをすれば事は済む程度の問題。敵情視察などまるで意味のない行為に過ぎないのだから。
思い返してみれば。
昨晩の反応――次元空間に張り巡らせた
「〈Come On People〉」
だから、アコースティックギターのメロディーが聴こえたのは、偶然だと思い込んだ。
「〈感じて欲しい〉」
気が付けばそこは木々の向こうにビルがみえる街中の広場で、まばらな街灯のもとに浮き彫られたひとつの人影だけが目に入った。
「〈今すぐ わからなくていいから〉」
ギターを弾く男の影、誰一人として聴き手のいないメロディーだけが漂っていて。
プレシアがなんとなしに足を進めると、男は顔を上げた。
陰影で見え隠れするその表情。その丸メガネの奥には笑みがあって、何の悩みも垣間見えない幼稚なそれが不愉快だったから。
「なによ、ジロジロと」
プレシアは押しのけるつもりで睨み返してみたが、男はまるでほくそ笑むように喉を鳴らした。
「吐き出したいのなら聞いてやるぜ、おばさん」
「お、おばッ……!」
「なんもかんもが気に入らねぇ――――そんな顔してるぜ、眉間に皺ばっか寄せてよ。そんな気分じゃ、ガキにだって怒鳴り散らしちまうだろうぜ」
男がずけずけと言うものだから、散々だとプレシアは頭を抱えた。
今日はどうにも調子を乱されてばかりだと、狂いっぱなしだと。憤りを魔法に変えて、男二叩きつけてしまいたかった。息の根を止めてやろうかとも思ったが自制する。些細な魔力反応をきっかけに、荒事に発展することは避ければならないのだから。
だから、せめて口だけでも。
「……む、無神経の猿というのは救いようがないわね。自省という人間にのみ許された特権を持たないのだから」
「うだうだと取り繕うなよ。正直に言うモンだぜ、すっきりしてェんだろ?」
「客を前にして、カネにもならない駄弁を弄する……。ステージのない四流ミュージシャン様々ね。その煤けたギターは飾りなの?」
男は悪ガキのように鼻を鳴らすと「言うじゃねぇか」とギターを抱えた。ギラギラとした瞳で不敵に、真っ直ぐに見上げてきた。
だからプレシアも。二度と演奏などできないよう散々にこき下ろしてやる、と。その奇妙な自信を完膚なきまでに打ち砕いてやる、と睨み返してやった。
「――その
すると、やはり男は笑った。癇に障る顔で。
子供のように揚々と、何も知ろうともせずに。
「聴いてくれ。≪SUBMARINE STREET≫」
けれども、その後の事。
弾きだされたメロディーと目を伏せた男の表情はまるで真逆だった。流れるメロディーには子供のような粗暴さはなく、表情には若さゆえの濁りは微塵も含まれていなかった。
真水の如く澄み切ったサウンドが、胸にじんわりと染み入ってくるようだった。胸の濁りが薄められるようで、あるいは入れ替えられるようで。洗われるような気分だったから。
プレシアはただ立ち尽くした。
演奏を続ける男の前に。
――――母さま。
演奏に見え隠れする思い出の彼女を前に。
「――――……アリシア」
なぜ、その名が声に浮かんだのか。
なぜ、その姿が目に浮かぶのか。
――――母さま。
陽のもとの向日葵、澄み切った黄色。なぜその姿、その声、そのぬくもりが音色の合間に見え隠れするのか。鮮明に思い出されるのか、プレシアにはわからなかった。
ただ、気分は悪くなかった。
幻と言えどもも。リビングではしゃぐその姿、庭の隅でいじけるその姿、ソファで眠りにつくその姿が心を洗ってくれるようだったから。
――――母さまっ!
乱暴な足音までもが聞こえて。
プレシアは次第に強く、早まって迫りくるそれに振り向いた。
白いワンピースを着た快活な黄色がそこにはあって。
暗がりから浮かび上がったその姿。それは朧気な幻ではなく、実体を持っていて。プレシアはその名を呼ぼうと息を溜めたけれど。
「こらー!」
演奏に割って入ってきた影。
男に飛び掛かっていった影は――プレシアと男の間に入ってきた金髪はまるで別人だった。吊り上がった目に耳を突く声。服装もよくよく見ればワンピースに似てはいたがそれではなく。
「こんな暗いとこでなにやってんのよ! またオンナのヒト泣かせて!」
「人聞き悪いこと言うなよ」
「アタシはまだ許してないんだから、大人しく叩かれろ! アタシがたまたま通りかからなきゃなにしてたか――――」
「ア、アリサちゃん……」
男に詰め寄る金髪の子供と、それをひらひらとあしらう男の姿。さらには金髪を制止する青髪の子供までもが現れて。そこにはプレシアを知る人間は誰もおらず、プレシアが知る人間も誰一人としていない。
それを自覚して、プレシアは自嘲した。
「フフ、こんなところにいるわけないのに」
――――死んだ人間に逢えるわけがないのだから。
そんなわかりきったことをどうして今になって理解できたのか。どうして今理解できたのか。その理由をプレシアは探す気にはならなかった。
「これから取り戻すのだから」
なぜなら、そう心に決めてここまで来たのだから。
だから、プレシアは言葉にする。
「なかなかだったわよ、あなたの歌」
子供の間から顔を出した男は、そうだろうというような顔をしていた。
「勘違いはやめなさい。……気晴らしになったというだけよ」
「また来いよ。次はもっと感動させてやるぜ」
プレシアは鼻で笑うと、首を横に振ってみせた。
次などと、それはあり得ないことだから。
「ねぇ、貴方」
だから、正直に言葉にする。
「娘のために、死んでくれるかしら」
これは宣言。
娘にもう一度逢うための決意。思考をさび付かせる泥を洗い流してくれたお礼。泥の底に沈みかけていた覚悟を、もう一度新たに持つことができた事への感謝の気持ち。
男は、首を傾げた。
「なに言ってんだ」
「わかる必要はないわ」
その頃には、すべてが更地になっていることだから。
誰も彼もが、いなくなっていることだから。
娘以外は、いらなかったから。
「さようなら」
その場に居た誰もを置き去りにして、プレシアは拠点へと帰還する。地球の外、次元空間の狭間に隠した≪時の庭園≫へと。
「バイオレンスね」
血に塗れたテーブルには、剥げ落ちた皮までもがこびりついていて。床には手を振り回した時に飛び散ったのだろう血痕が点在していた。
まぁいいわ、と。プレシアは椅子に腰かける。
「〈いつか本で読んだ 遥か遠い星の〉」
耳に残った一節。
男の歌の一節を口ずさんで。
「〈透き通る海に お前を連れてゆこう〉」
かつて娘に本を読んであげた時に、そんな約束をしたことを思い出してみて、不意にテーブルの上にあるケーキの箱が目に留まった。たしかフェイトが持ち帰ったもの、お土産だとか言っていたとプレシアは思い出す。
これは、利用できると感じた。
だから拠点内部にフェイトが残っていることを確認して、思念通話の回線をつなぐ。
なんですか母さん、と。小さな声が返ってきたから。
『フェイト、私のもとへ来なさい』
プレシアは努めて冷静に、だけど娘に接するように声を柔らかくして。
『ケーキを、食べましょう。――――……一緒に』
久しぶりに、他人のために紅茶を淹れた。
甘い方がいいのかと砂糖を添えて。
バサラのロンリーライブのお歌は以下の通り。
聴いてみてください。
曲名:MY SOUL FOR YOU
歌手:FIRE BOMBER
作詞:K.Inojo
作曲:福山芳樹