魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
「つくづく思うよ。なぜ人間は目に見えるモノしか信じないのだろうね」
同じ目線からそんなぼやきが耳に入って。青白い街灯がごまかすように点滅してはくれたけど立場上無下にもできず、ユーノは「はぁ」と頷いてみせた。
「君のパートナーのおかげで、現地住民を無為に巻き込まずに済んだ――その点に関しては感謝しているよ」
そんなふうには見えませんが……、と言えるわけもなく。ユーノは高町家の二階――なのはの自室を眺めて小さくため息をつく。窓にはまだ明かりがあって、なのはが来るまではまだまだ時間がかかりそうだったから。ユーノは改めて隣にいる少年に愛想笑いを返す。
「おかげで僕はイタい子供扱いさ、正義の組織
いかにも育ちがいいといった風体の、年の頃は10歳かそこらの少年。青みがかった黒い髪に黒い瞳。黒いロングコート型の
彼こそが次元世界の秩序を保つ超組織≪時空管理局≫所属の高位魔導士であり法の執行者。弱冠14歳の≪執務官≫。天才――クロノ・ハラオウンその人である、と。
「たしかに僕は子供だ、見た目はね。だが中身は違う。僕は自分の力を律してきた! どれほど残虐な犯罪者を前にしようとも自らを律して厳格に法を執行してきた。責任ある組織の一員としてね。だというのに―――――」
≪時空管理局 執務官≫。
警察権と検察権、双方の権能の行使を認められた“法による秩序”の執行者である。無論、それら強権の行使を許されるためには相応の能力――武装勢力を制圧可能な魔導士としての力量、中立公平な立場から法を適用できる知識と成熟された倫理観――が求められるわけだが。クロノ・ハラオウンはそれらの基準をなんと11歳という若さでクリアして執務官に就任。以後、数々の難事件に立ち向かい解決に導いてきた。
魔導士としての高度な戦闘技術。データを根拠とした堅実な捜査能力。事件当事者らの情状を酌みつつも公平な法的判断を行使するその度量……。その能力と実績が認められ、執務官就任から僅か二年後には、世界規模の犯罪に対処するエキスパート部隊≪次元航行部隊≫に配属されるに至った、と。
故に天才。
次元世界に知らぬものなし。
「『子供の君にはわからないだろうけど、大人になればいずれわかる』ってね。そもそも僕はごっこ遊びをしているわけじゃないっ、責務を果たそうと――――」
しかしながら実物の彼は噂に反して実に世俗的で――年齢に比して幼いように思えた。魔力の源であるリンカーコアに感じる力は紛れもなく本物ではあるが、目の前にいるのは癇癪を起こした子供となんら変わらない。言葉の質が異なるだけで、なのはやその友達と大差ない普通の子供……。
「あげく僕の頭をこねくり回して! だっ、だきっ……締め上げて! おかげで僕は撤回の機会すら――――……あっ、いや」
不意に目が合って。
クロノは頬を掻いた。
「すまない、誰かを責めたかったわけじゃない。久しぶりにあんな扱いを受けたものでね、熱が入ってしまった。……ちょっとしたトラウマなんだ」
「トラウマ、ですか」
「肩書に見合わない年齢なものでね、色々とあるんだよ。君と同じさ、ユーノ・スクライア」
クロノは道に人がないのを確認すると手元に立体ディスプレイを開いてみせた。中空に浮かぶ電子画面にはミッドチルダ文字がズラズラと並んでいく。レポート形式で羅列された文字群には見覚えのある固有名詞が日時と共に記されており、それらに垣間見える≪ユーノ・スクライア≫という直筆サインからユーノは理解する。
これは自身が発掘に携わった遺跡、遺物に関する報告書なのだと。
「過去の経歴を拝見させてもらった。その年齢からは考えられない素晴らしい実績だよ、大人顔負けで勘違いしてしまうほどにね! 我ながら生年月日の確認を怠ったのが悔やまれるよ。……いや、すまない。僕は冷静だ。……――――そうそう、商談における交渉術も見事なものだった。だが、その度にこちらの担当官が君に無礼を働いたこと、この場を借りて謝罪させて欲しい。申し訳なかった」
「ご配慮、痛み入ります。……ですが、自分を客観的に見せつけられるというのは気持ちのいいものじゃないですよ。記憶にない部分だとなおさら」
会話や通信記録を文字起こししたのだろう。当時の発言が秒単位で記録されており、管理局施設内での行動もまた事細かに『通路で会った誰々と数十秒間会話をした』などという具合に記されていたのだから……。
「ただの商談記録だよ、そこまで深い情報はない。それに交友関係から近日の行動歴、家系図から各種遺伝的要因までを赤裸々に突き付けられるよりはずっとマシじゃないか」
「罪状がついてまわりそうなラインナップですね……」
「罪状がメインのラインナップだからな」
声を上げて無邪気に笑うクロノだったが、やはり相応の権力はもっているようで。ユーノも同じように笑うほかなかった。なにが彼の逆鱗に触れるかわからないのだから。
「いってきまーす」
「アリサちゃんに忘れ物を届けたらすぐに帰ってくるのよ」
すると玄関の開閉音と共に飛び出してきたなのはに、クロノは「来たか」とディスプレイを収めて足を進めた。ユーノには、その横顔がやけに厳めしく見えたものだから。
―――――なのはが危ない!
なのはの嘘がクロノの憤りに繋がったというのならば、憤りのはけ口がなのはに向かうことは想像に難くない。クロノの立場から考えたのならば至極当然の心の動きではあった――――が。
なのはが嘘をついた。
自分自身を偽る、嘘を演じるという行為は常人の精神に多大な負荷をかけるもの。日本という文化圏においては、特に高町なのはにとって嘘偽は悪徳も悪徳。なのはは嘘偽りを嫌う。嘘をひとつ演じる度に、なのはの神経にどれほどの負荷がかかったかは想像も及ばない。
そのなのはが嘘をつかざるを得なかった。察するにそれは断腸の思いだっただろう、と。ユーノにはなのはの嘘が軽率で悪意あるものとは到底思えなかった。だからこそなんとかしなければならないと、身を投げるつもりで天才執務官の後を追ったが……。
「遅かったね。その箱は何だい?」
「お母さんが作ったプリンです。ユーノくんの恩人と聞いたものですから、気持ちだけでもと」
「礼を言うのはこちらの方なんだ。肩肘張らずに招かれてくれればいい」
しかしクロノの対応は客人を迎えるように大人びいたもので。紳士的であることには違いないが見様によっては軽薄でさえあったものだから、ユーノは奥歯に力を込めた
「……随分とお優しいですね」
「なにか言ったかい?」
「執務官殿はフェミニストでいらっしゃると。そう言いました」
クロノはきょとんとしていたが、その向こうに見えるなのははまた様子が違い、目が合うとよそよそしく会釈をしてきたものだから。
もしかして、見えないところでクロノ・ハラオウンがなにかしたのではないか、と。ユーノは憤りをもってクロノを押しのけてどうしたの?」と声をかける。すると、なのはは伏し目がちに口を開いた。
「あの、こちらの方は?」
その言葉が誰を指しているのか、ユーノには理解できなかったが、しかし問わずともなのはの瞳は物語っていた。なのはの言葉はクロノに向けられていたが、そのおどおどとした瞳には金髪の少年の姿――つまりはユーノ・スクライア自身の姿が映っているのだから……。
「ひょっとして、僕のことかい……?」
なのはがコクリと頷いて。
好奇と困惑が織り交ぜられた、豊かな色を宿したなのはの視線は間違いなく自身を指していて。ユーノはなのはの顔がいつも以上に近くに感じられて思い至る。同じ目線で会話をすること、それ自体が新鮮なことだったのだと。地面から見上げて会話をしていたこと、それが常だったことに思い至って。
クロノの引きつった目つきが、突き刺さるようにどぎついもののように感じられた。
「まさか、君……。いや、確かに動物形態を解くよう勧めたのは僕だが……」
ユーノは肝が冷えていくのを自覚する。名前を伝えることがこれほど怖いことなどかつて経験がなかった、バレないで欲しいと切に願った。思案の合間に変化していくなのはの表情が、ギロチンを吊るす縄のように心もとなくて。しかし――。
突然のアラーム音になのはがハッと顔を上げて、クロノがニヤリと口角をつり上げた。
「――――おっと、呼出だ。修羅場はまた今度、二人っきりの時にでもやってくれ。僕にも立場というものがあるのでね」
クロノが周囲を見回してから何かしらの合図すると、クロノの足元に淡い魔法陣が展開された。同じようなそれが自身となのはの足元にも浮かんで、体が引っ張られるような感覚が次第に強まっていく。
「そろそろ行こうか。≪次元空間航行艦船 アースラ≫へ」
――――――――――――――――
バサラと一緒に夕焼け空を見送って、街にぽつぽつと光が眺められる頃。
胸の奥に感じる魔法の力が、ロウソクの火のように揺らめいた。大きな背中を隔てた向こうから、なのははそんな感覚を覚えた。
「違う……?」
クロノ・ハラオウンと名乗った男の子がたじろいだのだ。クロノは信じきれないといった面持ちだった。
「ああ、人違いだ」
「しかし、信号の発信源は彼女を指している。彼女の手にあるデバイスは救援信号の発信源、レイジングハートだ」
――――レイジングハートを知っている。
ユーノを探していて、レイジングハートの事を知っている。二人――というべきではないのかもしれないけど――を結ぶ特別な要素は一つ。つまり、クロノは魔法を知っているんだ、と。そこまで考えが至って、なのはは首を傾げた。
「アースラのオペレーターは優秀でね。使用者はユーノ・スクライア、性別が男性であることは登録された機器情報と照合済みさ。しかし、実際にデバイスを持っている彼女は女性だ」
「見りゃわかんだろ」
なのはが知る限り、魔法に関わっているヒトはユーノとレイジングハート以外にはフェイトとアルフだけ。新たな魔法の関係者であるクロノはユーノを探しているようだが、顔見知りというわけではない。一方的に知っているだけなのだから、もしかしたらフェイトの関係者――言い換えるならば、なのはを敵として認識する側なのかもしれない、と。なのはは想像してみて、そう決めつけるのは間違っていると直感した。
「だから! 一目見て直感したというんだ。貴方がユーノ・スクライアではないのかと。貴方と彼女の魔力反応は並ではない」
クロノから感じる魔法の力が攻撃的でないから確信できた。フェイトとアルフと対峙した時のような五感に針刺されるような感覚――敵意というものをまるで感じないのだから。
「ちょっとまってください!」
だから、言葉が通じると思えて。なのははバサラの前に出た。バサラは普通のヒトなのだから。魔法使いではなくて、守らなきゃいけない普通のヒトなのだと感じるから。
「このヒトは関係が―――」
「顔写真はないのかよ」
けれど、クロノの視線は頭上のバサラから離れていなかった。クロノはバサラの言葉を飲み込むように繰り返して。バサラは兄、恭也のように微笑んでいた。
「登録がどうとか言うなら顔写真ぐらいあんだろ。ユーノなんとかの免許証とかよ。……なんだ、忘れてきたのか?」
「ああ、僕はとんだ間抜けだった。本局のデータベースにはある。間違いなく存在するが、手元の資料にはなかった。エイミィのヤツ――――……いや、彼女は仕事関係でお茶目なんかしない。僕が見落としていたのか……?」
「こいつなに言ってんだ。なのはの知り合いか?」
なのはの知り合いか。
なのはの知り合い――――。
なのは―――。
「―――え?」
鼓膜を揺さぶった音。頭の中で反響する自分の名前が、何か特別なものを帯びたように思えて。なのはは聞こえてはいたけど、言葉の意味するところまで考えが及ばなかったから。
「だからさ、お前の知り合いならよ、わかるだろ。こいつが何言って――――」
「きっとそういう設定なんですよ!」
とっさに考えを言葉にして、それが思ったよりも大きい音になってしまったから。なのははしまったと顔に火が付きそうになったけど、バサラは「どういうことだよ」と興味深そうに屈んでくれた。距離が、さっきよりも近くなった。
「ク、クラスの男の子にもいるんですよ。あんなふうに自分の世界をつくっちゃう子……」
これはウソじゃない。実際にクラスにはそういう子がいるから。ただ単に目の前の男の子にそのケースを当てはめただけで“そうなんじゃないかなぁ”という単なる予想を言葉にしただけだから、と。どうしてかバタバタして落ち着かない心臓を抑え込んでみたけどまるで効果がなくて……。
するとバサラは「そういうもんか」と立ち上がっていた。
「誤解を招く言い方はやめてくれ、僕は現実のことを言って――――待ちたまえ、どこへ行く」
「好きなことするのはいいけどよ、遊ぶなら明日にしな。母ちゃんが心配するぜ」
途端、クロノの身体が身の毛もよだつというように大きく震えた。
「待て! 僕は責任ある組織の一員だ、遊びではない。撤回したま――――こらっ! 頭を掴むな!」
「ガキはガキだろうが。もう日は沈んでるんだぜ、気をつけて帰れよ」
ぐわんぐわん、と。クロノの頭を掻き混ぜるようにひとしきり撫でると、バサラは街へ続く夜道へと行ってしまった。ふつふつと煮えるような感覚が、クロノから発せられていた。
「待て、撤回したまえ! 関係者なんだろう!?」
「違うんです!」
だから、なのははクロノの身体にしがみついた。
ジュエルシード騒動の合間に感じたバサラの感覚は戦うモノのようには到底思えなかったから。クロノの決めつけが間違っていると信じたかったから。怖い思いをバサラにさせたくなかったから。なのはは魔法に関わるモノを近づけたくなくて、証明しようと思った。
「く、くっつかないでくれ!」
「あのヒトは関係ないんです! バサラ――……バサラさん!」
だから、なのはは確信したくて声を上げた。
なんだよ、とバサラは振り向いた。
「魔法って、知っていますか」
すると、バサラは頷いた。
「聴きてぇなら一曲
それだけが全てのように、それ以外は考えられないというふうに言い切って。押さえつけていたクロノから脱力を感じたから、なのはは首を横に振った。
「今日はもう遅いので、また今度お願いします!」
「ああ、じゃあな」
去り行くバサラを眺めていて、ようやく立ち直ったのだろうクロノが肩を大きく落とした。
「なにを言ってんだ。あの男は……」
「バサラさんは魔法なんて知らないの。無関係なの」
クロノは納得できないというように眉間に皺を寄せていた。
けれど事実なのだから受け止めて欲しい、と。そうであってほしいと思ったし、事実そうなのだから、と。なのはは嬉しさのままにクロノの手を引く。
「案内するよ、クロノくん! ユーノくんのところへ!」
◇
≪次元空間航行艦船 アースラ≫。
クロノの話によると、時間の流れとか空間の位置がズレた世界同士――次元世界間を行き来することのできる船だそうで。内装はまるで近未来SFのように先進的で、でも華やかさのない実用的な世界だった。無機質な金属肌の壁が延々と続く。足元を照らすことだけが目的の青白い光が通路の端にあるだけで。
「クロノくん、どこまでいくの?」
「ここまでだ」
すると先導するクロノがようやく足を止めて。その目の前で、取っ手もセンサーらしき凹凸も見当たらない壁面のような扉が音もなくスライドすると、SF世界に似つかわしくない懐かしい田舎のおばあちゃん
「艦長、お連れしました」
「ご苦労様、クロノ執務官」
SF世界とは異なる、なのはにとって身近な空間。見慣れた疊の一室がそこにはあって、奥にはしとやかに座す大人の女性の微笑みがあった。
「≪時空管理局 次元航行部隊 提督≫リンディ・ハラオウンです。初めまして、ユーノ・スクライアさん。高町なのはさん。どうぞ、お上がりください」
「履き物は脱いでくれ、この部屋は少々勝手が違う。艦長のこだわりなんだ」
「うん。畳に土足はよくないもんね」
これまでの無機質な空間にはなかった小石が敷かれた玄関口と木造の段差。金属の壁に囲まれたSF空間の中に和風空間が収まっているのだから。
「そういう文化なのよ、なのはさんの日本では。さぁさ、お上がりになって」
「はい、失礼します」
「お邪魔します―――あっ」
ところが玄関は学習机程度の広さしかなく靴を脱ぐのも一苦労で。息が合いすぎてしまったのか、隣り合う金髪の少年――ユーノと肩が触れ合うようにぶつかってしまった。
ごめん、と。咄嗟にお互いの声が小さく混ざって。ユーノと目が合うけれど、彼は伏し目がちにうろついた視線をやはり伏せてしまって。
「お、お先にどうぞ……」
思い出されるのは日常のこと。フェレットの友達と過ごした日常、一緒にお風呂に入って、ご飯を食べて、魔法の練習をして、着替えたり汗を拭いたり。その時に、ユーノがいたことを……。
「う、うん」
でも横にいるのは人間の男の子。フェレットではなくて人間、同い年ぐらいの友達で、目を合わせていられなくて。なのはは促されるままに部屋に上がると。
「そろそろ許してあげたらどうだい?」
座敷に上がったクロノが苦笑した。
「お二人とも、どうかしたの?」
「事はシンプルですよ、艦長。ユーノ・スクライアは変身体質だった、それがわかっただけです」
「そ、そういうことです、はい……」
「あら。ユーノさん、気を楽にしていいのよ。なのはさんは怒っていないみたいだし」
まるで怒られる前の小学生のように、ユーノは肩を丸めていて。ユーノの瞳が、見つめ合った時のフェイトのようにいたたまれないものを含んでいるようだったから。
「そうだよ、恥ずかしい気持ちはあるけど……。怖がらないで、ユーノくん。私、怒ってないよ」
「ありがとう。……ごめんよ、なのは」
「お許しを頂けたのならこれ以上謝るのは返って失礼なものよ、ユーノさん。さて、美味しいお茶菓子もいただいたことだし、お茶と一緒にいただきましょう」
目の前に出されたのはなのはが贈った喫茶≪翠屋≫のプリンと、急須で入れただろう湯気が漂う緑茶。けれども、その横に添えられたのは二つの瓶。どういうわけか角砂糖とミルクだった……。
「あの……」
「ふふ、遠慮せずに」
まるでお手本を示すかのように。リンディはあろうことか五つの角砂糖と小鬢一杯のミルクを湯呑みへと落とし込んでぐるぐると掻き混ぜた。
「なのは。お茶ってああいうものだったっけ?」
「あ、味は好き好きだから……」
声を潜めるユーノは納得したのか、思い切りよく小鬢のミルクを傾けた。透明な緑茶が白く濁っていく様は気味が悪くて、なのはは試そうという気にもならず飲みなれたストレートの緑茶を口に含んだ。すっと鼻に抜ける茶葉の香りが頭をスッキリさせてくれた。
「事態のおおよそはすでに聞き及んでいます」
ちょうど湯呑みから口を離したタイミングで、リンディ息ついたままに顔を上げた。
「所属不明魔導士によるロストロギア収集……。お二人の勇気ある決断と行動が、犯罪の完遂を防いだのです。時空管理局の代表としてお礼申し上げます」
「そ、そんな……。ありがどうございます……」
なんだか大それた褒められ方で。なのはの胸に、賞状をもらった時のような充足感と気恥ずかしさが一緒に押し寄せてきたのだけれど。
「頭を上げてください、お礼申し上げたいのは僕の方です」
隣で慣れない正座をするユーノは申し訳なさそうに眉をハの字にしていた。
「救援信号の件です。管理外世界へ放り出した信号が管理局に届く可能性は限りなくゼロに近かったのです。よくぞ信号を受け取ってくれました、よくぞ来てくださいました。本当にありがとうございます……!」
「そ、そんなことしてたんだ……」
ここ最近、自分の事でいっぱいいっぱいだったから。ユーノくんはユーノくんでいろいろと力を尽くしてくれていたんだなぁ、と。なのはは心の中でユーノに頭を下げた。気づけなくて、手伝えなかったことを申し訳なく思った。
するとクロノは首を横に振った。
「実を言うと、信号を拾ったのは我々アースラではない。別の艦船だ」
「ユーノさんの救援信号に応えるよう本部から指令が下ったのです。直後の調査によって、遺失物管理番号≪J0908942≫の移送船ロストを確認。並びに第97管理外世界――なのはさんの世界から発せられた特定の指向性を持った次元世界間通信のみを妨害する断層ノイズの存在を確認し、本件の事件性が認められため急行した次第です」
事件――。
わけのわからない単語に紛れたシンプルな単語がひっかかって。たしかにジュエルシードは怖くて危ない事件を引き起こしてきたけど、それはあくまでファンタジーなものだと。人間が人間を叩いたり殴ったりするものとは違うものだと感じていたけれど、それが違うのだと突き付けられているようだった。
黄色い彼女の姿が頭をよぎって。
「ユーノくん……」
嫌な予感がして。どうしようもないと思ったけどユーノに助けを求めてみたけれど。ユーノは困惑の表情を浮かべたが、なにか得心がいったというふうに「あぁ」と頷いた。
「断層ノイズというのは次元の海に自然発生する磁気嵐のようなものでね。次元空間が荒れて通信が難しい状態になるんだ、それが断層ノイズだよ」
「現在発生している断層ノイズは人為的なものだ、それも念入りな調査を行わねば自然発生したそれと区別がつかないほど高度に偽装された、ね」
ユーノの解説に続いたのはそれが偽装されたものだというクロノの重い声で。
偽装。偽物の装い、ごまかし、事件性……。不穏なワードばかりが耳に残って。ロストロギア――ジュエルシードを奪い去っていったフェイトの、その瞳が思い起こされて。
「――……それを、フェイトちゃんがやったんですか」
「可能性は高いとみるべきでしょうね」
リンディの返答は、わかりきっていたことだった。
「今回の事件、並々ならぬ魔導士が関わっているのは疑いようがないのです。レイジングハートさんの記録映像から断ずるに、フェイト・テスタロッサさんの魔導士としての能力はクロノ執務官に匹敵します。……調査を前にして言うべきではないのでしょうが、ジュエルシードを集めている以上事件の関係者とみるべきでしょう」
「もしも――――」
わかりきっていたことではあったけれど、漏れた言葉を止めることはできなかった。
これから訊くのは、すでにユーノから聞き及んでいた答え、明確な事実。なのはも本当の事だと直感していることだったけれど、訊かずにはいられなかった。
「もしも、そうなら。どうなっちゃうんですか……?」
「フェイト・テスタロッサを本件の容疑者として拘束することになる。ロストロギアに関わる犯罪は程度に関わらず大きな危険性を孕んでいること。加えて、フェイト・テスタロッサの君たちへの対応を見るに強硬手段は避けられないだろうね」
淡々と。
紙面のニュースを読み上げるようにクロノが告げたから、なのははそれが管理局側のスタンスなのだとはっきりと理解することができてしまった。それが傍から見たフェイトに対する客観的な見方なのだと、わかってしまった。知っていたことなのに。
「幸いなことに本部から武装局員二個小隊を配備された、優秀な局員だ。僕もいる。……ユーノ・スクライア。高町なのは。これまで、君たちはよくやってくれた」
「――――えっ?」
抑揚をつけて。
先生がクラスの委員長を労うように。責任を全うしたことを褒めるようにクロノが言い切ったから、なのははその意味するところを理解したくなくて、でも訊かないでいるわけにもいかなくて。
「……どういう、ことですか?」
リンディは母のように微笑んでいて。
クロノは兄のように頼もし気な顔つきだったから。
「後は、任せて欲しい」
なのはは。
それで、終わりなのだと。
理解できてしまった。
――――――――――――――――
街灯にひっついた時計が夜の八時を回った頃。
人目の及ばないビルとビルの合間に、二つの人影が転送された。
「本当に、ここでいいのかい?」
「はい、友達がいますので」
クロノに頭を下げたなのはは、そのまま手を振って別れた。
なのはが携帯を開くと一件の不在着信があった。≪アリサちゃん≫の表示、着信時刻は≪20:06≫。ほんの数分前。なのはが事前に
“アリサに忘れ物を届ける”という名目で両親から外出の許可を得た以上、なのはとしてはそれを嘘にしたくなかった。嘘をつくのはどうあっても辛いこと、だからこそ全くの嘘にするわけにはいかなかったからこその待ち合せ。
「なのは」
サブマリンストリートの雑踏に紛れるようなユーノの声。なのはは足元に連れ添ったフェレット姿のユーノに返事をすると。
「レイジングハートは捜査協力のために今晩はアースラにお泊りだから。さっき貰ったカード型デバイスを肌身離さず持っていてね」
「うん、代わりのデバイスなんだよね」
「カード型デバイスには魔力を隠す機能が備わっているから。フェイトに襲われないためにも、ね」
ユーノのそれは、万が一という程度の可能性の話であった。
なのはが保有していたジュエルシード。その所有権はすでにアースラに移っている。言い換えるならば、なのはにしてもフェイトにしても、戦う理由などない。なのはとフェイトの接点は、失われたのだから……。
「―――――納得、していなんだね」
ユーノの声だけが、なのはの耳に残った。
「うん」
なのはは頷いた。
「ジュエルシードは管理局が集めてくれる。だから、魔法にはもう関わらなくていいんだよ。君が怖い思いをする必要はないんだ」
「うん、ユーノくんの気遣いはとっても嬉しいよ」
怖い思い、辛い思い、苦しい思いをした。なのはにとってそれは事実で、ユーノの優しさが身に染みるようであった。
「でもね、このままじゃ終われないの。このままフェイトちゃんとさよならしたら私、一生忘れられなくなる」
蓋をしただけの透明な瞳。鉄仮面を貼り付けた無垢な表情。胸の奥に抱えた、耐えられると勘違いしてしまう耐えきれない痛み――――。
フェイトから感じたすべてが、なのはにはどんなときでも鮮明に、生々しく思い起こすことができてしまう。今でも、それは変わらなかったのだから。
「まだ私はなにもやっていない。本当に私がやりたかったこと、フェイトちゃんに私をぶつけていないから。このままじゃ、死ぬまで後悔し続けちゃう」
ユーノは声を発しなかった。口を開きはしたが逡巡の内に閉じていた。言葉を探して、見つからなかったとでもいうように目を伏せた。
なのはは心の中で謝った。
街中の喧騒の中をしばらく歩いて、≪頑固堂≫の大きな看板が遠目に眺められる頃。なのはは見慣れた活発な金色を見つけた。けれど彼女は待ち合わせ場所から遠のいているようで、小道へ入り込んでいったのが見えた。
「……アリサちゃん?」
「なにかに気づいて、走り出したって感じだったね」
「行ってみよう」
小道の先。サブマリンストリートの中心部に孤立する広場にアリサの金色がみえた。暗がりに光るように、街灯を反射する彼女の髪は、彼女自身を表現しているといって差し支えないほどに目立つものだった。
慌ただしい様子だった。なのはは上がった息を整えつつ広場に踏み入ってみた、そこには知らない大人の後ろ姿と。街灯の下でギターを抱える熱気バサラ、彼に掴みかかろうとはしゃぐアリサの姿、そのアリサを止めようとするすずかの姿を視認することができた。
「彼女、ケンカしているのかい?」
「あれは違うよ」
喧嘩ではなく、注意が転じてじゃれ合いになったというところだろう、と。なのははそう感じた。
アリサはバサラに対して良い感情を抱いていない。というよりは、抱いてはいるけれどそれを認められないというところだろう、と。なのはにはそう見えた。なぜなら、アリサが本心から嫌っている相手ならばそもそも怒鳴りつけようとさえしないだろうから。喧嘩するなんてバカらしい、相手にするのもアホらしい。そういう対応を心得ているのがアリサ・バニングスなのだから。
「アリサちゃん、また勘違いしてる……」
だから、なのはは推察した。アリサが早とちりしただけなのだろうと。バサラが悪いことなどするわけがないと憧れているからこそ、アリサの感情的な一面が悪い方に発揮されただけだろう、と。
だから、なのははアリサの勘違いを正そうともう一度足を速めた。怖くない怒鳴り声に段々と近づいていくうちに、見慣れない人影――バサラを見下ろしていた大人が踵を翻した。
フードを被った人影は、一歩一歩を踏みしめるようであった。街灯に照らし出されたシルエットはシャープな女性の影。大人の女性、長髪の麗人、切れ長の目――。近づくにつれて女性の姿形が鮮明になっていくうちに、なのはは人影とすれ違った。
無警戒に。
そして、なのはは振り向かずにはいられなかった。フードの奥に除く瞳が垣間見えてはっきりと感じられてしまったから、なのはは心底震えた。
その蓋をしたような瞳に。
蓋をして、誰も寄せ付けないように気持ちを底に沈めて。誰も彼もを撥ね退ける硬い光を宿した瞳に。胸の奥を圧し潰しかねない息詰まる波動に、なのはは震えた。
背筋が。
心臓が。
胸の奥に訴えかけてくる感覚に、なのははこわいと感じた。生まれて初めての恐怖を覚えつつも、なのはは女性の後姿から目を逸らせなかった。
「―――――……フェイト、ちゃん?」
遠ざかる女性の瞳が、フェイトの瞳を想起させたから。
纏う空気。
香る匂い。
その顔つき。
そのどれもが似ているようで似ていないのに。その瞳が帯びた感覚が、あまりにもフェイトに似ていたものだから。あまりにも似ているのに、より過激で悍ましいもののように感じられたものだから。
なのはは遠ざかるその人影を見つめ続けた。
カード型デバイスを握り締めてバレないように。暗がりに身を置いて感づかれないように。研がれていく胸の奥の感覚を悟られないように、息を殺して眺め続けた。