魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
『やぁ、ユーノ・スクライア。その後の経過はどうだい?』
頭上に現れたクロノの声に、ユーノは昼食後の眠気を噛み殺して編みかごベッドからのっそり身を起こす。なのはの自室、編みかごベッドが置かれた学習机脇に出現した24型テレビのほどの画面――物理的な幅や厚みのない立体ディスプレイ――に映るクロノの面持ちはやたら上機嫌に思えた。
「どういうことですか」
『君がどういった扱いを受けているか気になったものでね、
「全くです」
センシティブな問題を掘り返すのはセンスがないとユーノは頷いて見せた。
なのはが動物形態であることを知っても以前と変わりなく――流石に着替え時などは退出を求められるが――扱ってくれているとはいっても、ユーノの負い目が消えたわけではないのだから。
壁掛け時計を見上げると12時50分を指してた。
「それで、どういったご用件で? 定時連絡にはまだ早過ぎますし、いつものオペレーターの方はどうしたんです?」
『君に伝えておかねばならないことがあってね、ついでに定時連絡も兼ねることになった。……そちらを先に済ませておこうか」
クロノは手元のコンソールを二、三操作する。立体ディスプレイの端に、ここ一週間で見慣れた録画中を示すマークが表示される。
定時連絡。
これは事件当事者として、その日の出来事を報告する――という名目の、生存確認のための定時連絡である。というのも事件の真っただ中においては、事件当事者は身の安全を確保するために時空管理局の保護を受けるものだ。しかしなのはがそれを拒否したため、せめて無事かどうかの申告はしてくれということで、定時連絡の時間が設けられたのだ。
『どうだい、高町なのはに変わった様子はあるかい?』
「いいえ、先日と変わりなく。今朝から友人と買い物に出かけるなど、魔法に関わることのない日常を送っています」
『朝晩と以前まで日課にしていた訓練は?』
「趣味の時間に変わりました」
クロノはふむと頷いた。
『報告は耳にしているが信じられないな』
「なにがです?」
『彼女の心変わりだよ』
クロノは思案するように目を伏せた。
『二週間で1093回。彼女の執着はレイジングハートが構成したシミュレーション回数、そこでシミュレートされた仮想敵が物語っている。――……何故、高町なのははフェイト・テスタロッサに執着したのか。それほどの強い執着が何故、僕たち時空管理局との接触を境にばったり途絶えてしまったのか』
執着が薄れた。ユーノにはそうではないという確信があったが、クロノが再度コンソールを操作したためにその様子を見守ることにした。
新たにディスプレイに表示されたのは整然と並んだデータの一覧。見覚えのある表示形式からすると、レイジングハートの計測機器から出力された戦闘および訓練記録だとユーノは判断する。
『敗北がきっかけではないだろう。勝負は紙一重、次を考えるには申し分ない決着だった。僕個人としては、魔導士としてのスタイルと使用する魔法プログラムの構成からしてなのはの方が有利だと判断している。次の戦闘があるならば十中八九、心身が万全の高町なのはが勝つだろうさ』
ユーノは頷く。
なのはの才覚と実力を間近で体感してきたからこそ、クロノの考察が正しいと信じられる。それはなのは自身も自覚があるだろう。自惚れではなく聡明だからこそ認識できる事実として。つまりクロノの考察通り、勝てないから諦めたのではない。諦観ではない転換――。
「……そのきっかけ、か」
『心当たりがあるのかい? ユーノ・スクライア』
ユーノにはわかる。
なのはがフェイト・テスタロッサに敗北した夜、ユーノはなのはを独りにした。大きなショックを受けていたようだったから、なのはには落ち着く時間が必要だと判断してのこと。だけど独りにできないという配慮から、ユーノはなのはの動向を陰から見守ることにしたのだ。
そして、なのははアリサ・バニングスと衝突し、奇妙なミュージシャンに出会った。
きっかけというのならば、間違いなくそれだとわかってはいたが、ユーノは「いえ」と首を横に振る。そこで起きただろう“なにか”を厳密な言葉として定義し、明確に伝達できるとは思えなかったから。
クロノはそうかと頷いてデータを格納した。
『では引き続き――といっても明日までになるが、彼女の動向を見守って欲しい。以上、本日の経過報告を終了する』
ディスプレイの録画マークが消えると同時に、ユーノの頭には疑問が浮かぶ。
「明日まで……?」
『そうだ』
これまでの定型文には存在しなかった期限とその意味。クロノの余裕のある表情からユーノは理解する。
「それが、今回の要件ですか」
クロノはまるで弟を褒める兄のような笑みでもって肯定を示した。次いでディスプレイに表示されたのは見覚えのある黄色――フェイト・テスタロッサの姿と、何らかの周波数領域を示しているだろう小刻みに上下するグラフだった。
『犯人逮捕の目処が立ったのさ」
「フェイト・テスタロッサの?」
『あぁ。先日、野良のジュエルシードと引き換えに彼女の魔力サンプルを入手出来てね、レイジングハートの記録と共に現在解析中だ。明日には追跡手段が確立されるだろう』
追跡手段。
現行犯逮捕という受け身の対応ではなく、犯人追跡という攻勢に出るということ。つまりはフェイト・テスタロッサを探し出し、どこまでも追うことのできる手段の確立。わざわざ表示したグラフも加味すれば、その索敵手段の推察は容易だった。
「なるほど、魔力波動のトレースですか」
クロノの笑みに自信が含まれたのが見て取れる。
魔力の源≪リンカーコア≫は物質的な形態を持たないが、遺伝等の先天的な資質として備わる内臓器官の一種であると考えられている。
有機的な特性を備えたリンカーコアには個々人によって異なる性質――すなわち個性が現れる。例えば放出される魔力の色。なのはの魔力光は桃色、フェイトは黄色、ユーノは緑色といった具合にである。同じくリンカーコアを発生源とする魔力波動にもそういった個性が表れる。
『如何に魔力を隠蔽しようともリンカーコアの波動までは止められまい。人間が心臓の鼓動を止められないようにね』
脳が電気信号――脳波という形でバイタルサインを発するようにリンカーコアもまた固有の波動を発している。それは魔力と異なり完全に隠蔽することはできない上、指紋のように生まれた頃から変わることのない個体固有の振動サイクルが存在する。
つまるところ追跡手段とはそれの探知。魔力波動を感知する特殊なシステムを用いて、波や振動のサイクルから個人を識別し、その居場所を特定するといこと。
「それなら確実ですね」
ユーノには経験があった。
ひと月ほど前のこと。なのはの頼みで、最初の暴走体に襲われただろう“誰か”の無事を確認してみせた際に使用したのがそのシステム。
レイジングハートに搭載された簡易システムでさえ、海鳴市内約25万人――リンカーコアを持つ人間は極少数ではあるが――の中から特定の個人を探し出すことができたのだ。時空管理局の設備ならば、日本中に存在する全ての生物の中からたった一人の個人を探し出すことも可能だろう、と。
そして考え至る。
なぜフェイト・テスタロッサの追跡手段確立を伝えるのか。その理由にユーノは至った。
「……つまり、回答期限というわけですか」
『そういうことになる』
ジュエルシードを中心に起きた今回の事件、その全ての解決を時空管理局に委ねるか否かの回答。言い換えるならば、ジュエルシードの所有権を放棄して時空管理局に引き渡すという承諾書へのサイン――引き延ばしてきたその期限が来たのだと。
ユーノは自身の眉間に皺が寄るのを自覚する。
『僕とて悪意をもって期限を突き付けたわけではない、ユーノ。君はスクライア一族の発掘責任者で、僕は時空管理局の執務官なんだ』
「わかっていますよ。お互いに立っている場所が違った、それだけです」
スクライア族と時空管理局はビジネス関係にある。名目としては“発掘されたロストロギアの悪用を防ぐため”となっているが、実際は利害の一致による金銭取引。スクライア族は発掘したロストロギアを厄介ごととして抱え込まず生計のために売却したい、管理局はロストロギアという強力な技術を管理・研究したい。互いの利害関係が一致するからこそ成立するビジネス。
ビジネスである以上、互いに自己利益の最大化を図るのは当然の認識であった。その一つがスクライア族によるロストロギアの移送。ロストロギアの発掘と所有権の売却に付加価値をつけるというもので、管理局側から支払われる金銭は増えるが、移送の際に発生する不慮の出来事に関する責任は当然スクライア族が負うことになるというもの。
「移送の不手際を肩代わりしてもらうのです、ジュエルシードをお渡しするのは当然の代償考えています」
『そう言ってもらえると助かるよ。ユーノ・スクライアとしては受け入れ難いだろうが、よろしく頼む』
クロノは申し訳なさそうな表情を崩さなかった。魔法世界の秩序を保ち、民衆を守る側のクロノとしては、この取り決めをどこか不当だと感じているのだろう。彼は噂以上に高潔なのかもしれないと感じて、ユーノは口を開いていた。
「いえ、クロノ執務官は誤解していらしゃる」
ユーノが承諾書にサインをしない理由は、クロノが考えているような“フェアでない取引”が原因ではない。誤解を解いておかねばならないとユーノは感じていた。
「スクライアの発掘責任者としての僕は、承諾書にサインをすることを迷う理由がありません。なんせ高ランクのロストロギアであるジュエルシードが、得体もしれない勢力に狙われ、利用されようとしているのですから」
万が一にでもロストロギアが悪用されるようなことはあってはならない。かつて滅びた文明の遺跡や遺産に触れ、その高度な技術力の脅威を知るスクライア族だからこそ実感している。だからこそ、無謀を承知で地球に散らばったジュエルシードの捜索にひとりで臨もうとした。
「僕が承諾のサインをしない理由はひとつです」
しかし、ユーノはひとりではなかったのだ。
ロストロギアの危険性よりも優先すべきものができてしまったのだ。
「僕は“高町なのはに助けられたユーノ”としての判断を尽くしたいと考えています」
――――必ず、お礼をするよ。僕にできる限りのお礼。
勝手な約束だったのかもしれない。
けれど、なのはの無償の助力がなければユーノは命を落としていた、この場に存在してはいなかったのだから。時間が欲しいとなのはが思っているのならば、その意に沿うようにしたい。それが今のユーノの行動原理になっていた。
『君は素直だな』
クロノは恥ずかし気に頬を掻いた。ユーノもまた目を伏せたい気持ちに駆られるが、クロノが居直るように息を吸ったので我慢する。
『繰り返しになるが明日には全ての準備が終わる。……執務官としては推奨できないが、もしも。もしも、もう一つの選択肢を提示するというのなら、それについても明日―――』
「ユーノくん! 見て見てっ!」
部屋の扉が勢いよく開け放たれた。引き締まりかけた空気に飛び込んできたのは、どこか様子の違うなのはだった。なのははクロノが映る立体ディスプレイを目にして、はっとして扉を閉めて声を潜めた。
「クロノくんもいたんだ、お久しぶり」
『や、やあ、ご機嫌だね』
クロノは挙動不審に身を揺すっていた。
何を照れているんだとユーノは眉を顰めたが、なのはの姿を眺めて納得した。
「どうしたんだい、なのは。その格好……」
なのはの雰囲気がいつもとまるで違ったのだ。
いつもの明るく快活なイメージの服装ではなく、しっとりと奥ゆかしい印象。ブラウンという落ち着いた色彩のタートルネック、袖はふんわりとした七分丈。なのはが見せつけるようにくるりと体を回転させると、花柄のロングスカートがふわりと靡いた。
「すずかちゃんが選んでくれたんだよ。どう?」
「……すごく、大人っぽいよ」
ギャップ萌えという言葉を街中で聞いたことがあるが、そういうものだろうか。ユーノは心臓の大きな音がなのはに聞こえないかと不安になったが、なのはは満足したらしく既にドアノブ側に手をかけていた。
「お話し中みたいだからもう行くね。今日は帰り遅くなるから、ゴハンはお父さんから貰ってね」
じゃあねとなのはは部屋を出て行ってしまった。
張り詰めた緊張が、まるで運動会のゴールテープのように切られてしまった……。それをもう一度張り直す気にもなれず、男二人、言葉にできない妙な沈黙が残った。スキップのリズムで階段を駆け下りていく足音、それが消えてからよくやくクロノが動きだした。
『じゃ、じゃあ、僕も伝えるべきことは伝えた。そろそろ失礼するよ……』
「はい……。それじゃあ明日、また――――」
『クロノくん落ち込まないで!』
しかしクロノは再び固まってしまった。立体ディスプレイの向こう、クロノの後ろから定時連絡の担当女性オペレーターの声がそうさせた。
『なのはちゃんの映像、ちゃんと記録しといたから! いつでも見れるからねー!』
「えっ……!」
『エイミィ! 誤解を招くような――――』
そうしてプッツリと映像が消えてしまった。
「僕にも……」
送ってほしいと言いかけてユーノは我に返る。受け取ろうにもレイジングハートはなのはが持っているんだった。……なによりも僕は何を言おうとしているんだ、と。
――――――――――――――――
「あら、恭也。もう帰るの?」
午前の講義を終えて、三段重ねの弁当箱を抱えた忍は意外そうな面持ちをしていた。
恭也は勉強道具一式をしまい込んだリュックを背負う。
「ああ、明日本番でな。新曲の練習が足りてないんだ」
「いいの? 中間考査来週よ」
それは午後の講義を
「必修科目は問題なくいけるからな、他は休み中、ひとりでなんとかするさ」
忍は「そっか」と、まるで歌うことしか頭にない男に向けるような笑みを浮かべると、そういえばというふうに天井を仰いだ。
「中間考査。バサラは……来るわけないよね」
「もう一度、声ぐらいはかけておくさ」
「お願いね。それとこのお弁当、一人じゃ食べきれないからよかったら持っていって」
「ありがとう。みんなで食べさせてもらうよ」
恭也は両手で抱えるほどのそれを受け取る。
すると忍は満足したのか、踵を返した。
「恭也。明日、楽しみにしておいてね」
どういうことだ、と。恭也が尋ねる時間もなく忍は教室を出て行ってしまった。その答えを、恭也は翌日になって理解することになる。
◇
恭也はヘッドフォンをとる。手ごたえのないシリコン製のドラム練習パッドのつまらなさを嘆きたくなったが、厚い壁を隔てて歓声が上がったためにそんな意識を手放す。こめかみから伝汗を拭って顔を上げれば、BAR≪シティ・セブン≫のマスターであり、キーボード担当のレイが眉をハの字にしていた。
「恭也君、リズムが早くなってるぞ」
「すみません」
何の面白みもない灰色の天井を見上げて深呼吸をする。リズムが早まるということは自身が平常心ではないということだから、少しでも気持ちを落ち受けるために。
しかし、ホールから漏れ出てくる歓声にそれは妨げられた。
「さては緊張してるな」
そう笑ったレイはホールへつながる分厚い壁をそっと開いた。
隙間から演奏中ステージが伺える。見る角度を少し変えれば観客の熱狂ぶりがあったが、それは恭也が上がるいつものステージの時と様子が違った。二十代から四十代という常連の顔ぶれは少なく客層はもっと若い。中高生ぐらいの、それも女性客が多いように感じられた。
「今回は名の売れたバンドが入ってるからな。おかげてホールは満杯だが、ゴールデンウィークのステージに比べれば大したもんじゃないだろ」
現在開催中のライブはBAR≪シティ・セブン≫で開催される三か月に一度の、恭也が初参加する大イベント≪サタデーナイト・ライブ≫。十組を超えるバンドグループが集まり、それぞれ1~3曲のパフォーマンスを入れ替わりに行っていく、いわゆる対バン方式で行われている。
今回は人気バンド≪ジャミングバーズ≫という若い女性の間で知名度のあるバンドグループが参加しているが、恭也の懸念はホールを埋めるそんな観客に対するものではない。多少の緊張は感じるが、心身が乱れるほどではない。
懸念があるのは自身の腕前……。握っていたドラムスティックに力が入る。
レイは理解したというように、まるで父のような微笑みを浮かべた。
「じゃあ、新曲が原因だな? 昨日は上手くやれたじゃないか」
「ドラムパートの見せ場が多すぎるんですよ。ただでさえ練習量が足りてないのに……」
中間考査への対策との両立。
それが難しかったのだ。
恭也は勉学に特別優れているというわけではない。関心はむしろ薄い方だった。武術に打ち込む人生を歩むつもりでいたのだが、両親と忍への義理と愛情から、恭也は努力の末に国立大学への入学を勝ち取ったのだ。大学での講義も同様だった。講義には熱心に取り組み、最低限の日々の学習を継続してきた。
それとの両立が、上手くいったという自信がなかったのだ。
恭也はもう一度楽譜に向かい合う。出番までに一つでも二つでも練習を積み重ねる必要があると、もう一度ヘッドフォンを耳にかけたのだが、プツンとヘッドフォンのコードが引き抜かれた。それをやったのはレイだった。
「出番まで二十分はある、外の空気を吸ってきたらどうかな」
恭也はレイに手を掴まれる。衣服を掴む程度の力だったが、芯のある力強さを感じた。そしてドラムスティックを取り上げられ、替わりに持たされたのは120円だった。
裏口を出て、階段を上る。
そこまできてやっと風にあたることができた。トラックが精々一台ぐらいしか通れないような狭い道路を挟んで向かい側に自動販売機があった。恭也は硬貨を投入すると、いつも購入するスポーツドリンクのボタンを押す。
ペットボトルの蓋を捻り口をつける。乾いた喉に心地よさが染み込んでいく。
「……ふぅ」
一息ついて、恭也は夜道を眺めた。
等間隔に並ぶ街灯の下、路地裏は人影一つ見当たらず閑散としていた。それもそうだろう。なんせほんの100メートルも歩けばそこは住宅街。この辺りの主要な通行人である学生らは、土曜日の夜ともなればいるわけがないのだから。
恭也は心を空っぽにするつもりでぼんやりしていたのだけれど、そこに入り込むように黄色い人型が目に入った。こまめに足を止めては振り返る子供――長すぎる金髪を頭の両側で結んでいることからたぶん女の子だろう――の姿は、何かを探しているような素振りに見えて、恭也はそちらへ足を進めた。
「どうしたんだい? 道に迷ったのかな」
少女の肩が小さく震えた。不審者を警戒するように、少女はゆっくりと振り向いてきた。
驚かせてしまったかと恭也は努めて笑みをつくると、少女の面持ちがほのかに緩んだ。
「あッ、いえ……」
少女は首だけでなく両手までもを振ったものだから、恭也はじゃあどうしてと口を開きかけるが、答えは少女が持っていた一枚のチラシにあった。
≪サタデーナイト・ライブ≫のチラシ握られていた。
意外だった。まさか外国人の少女までもが興味をもってくれていたとは。恭也は気分の高揚を感じたが、それも一瞬のこと。なぜなら、少女のお目当ては自分たちではないことが、チラシを見ればすぐに察することができたのだから。
チラシに大きな文字で記されたバンド名。今回サタデーナイト・ライブに参加する目玉バンドグループ――――。
「さては≪ジャミングバーズ≫目当てだな」
「えぇ、その……。はい……?」
やはりかと恭也は納得する。
今回のイベントの顔役≪ジャミングバーズ≫。
アイドル顔負けの美男美女三人ずつ、計六人で構成されるポップ路線バンドグループ。隣街を中心に活動するローカルバンドだが、最近は地元テレビ局のニュース番組の主題歌を務めるなど徐々に知名度を上げてきている、中高生に人気のインディーズバンドだ。最近は昭和の歌姫リン・ミンメイの名曲をカバーしたらしい。
目の前の外国人の少女は、妹のなのはと同年代といったところだがひとりの様子。親御さんが一緒でないことから秘密にして来たのだろう。微笑ましいものだと恭也はつい目を細めてしまう。
「この路地を出てすぐ右手がBAR≪シティ・セブン≫だ。店内奥の階段を下れば会場があるから、その入り口で入場料を払えばいい」
恭也はそう言い切ってから少女に視線を戻すと。
少女は合った視線をさまよわせてから何かを口ごもったが、黙って頷くと従うように走り去っていった。
「……懐かしいな」
まるで、昔のなのはのようだと恭也は目を細めた。少女の姿が、なのはが気持ちを言葉にすることを躊躇うようになってしまった時期。父親が事故に遭った頃のなのはの姿に重なったものだから。
笑顔をつくってはいたが、明らかに無理をしていた。そんななのはに、恭也は何度も声をかけた。さみしくないか、辛いことはないか、俺にできることはないか、と。
その度になのはは何かを言いかけるが、笑顔をつくると決まって一言「大丈夫だよ」とどこかへ逃げていったものだ。
そんななのはの姿を取り払った四年前の出来事。恭也が遠目に眺めることしかできなかった奇跡。ブランコで項垂れる妹のなのはを、たった一度の出会い、たった一曲の歌で変えてしまった男の姿を思い出す。
それを羨ましいと思うこともあった。
そして、今またそう思った。
「俺にも、できるのか……?」
観客席へ向かっただろう金髪の少女の後姿を眺めて、恭也は気持ちが引き締まるのを自覚した。
◇
「よう。遅かったな、恭也」
楽屋に戻ってみれば、パイプ椅子に腰かけたバサラの姿があった。チューニングを終えたのだろう、ジャランジャランとあてもなくギターを鳴らしていた。
「遅かったのはお前の方だ、出番次だぞ。本番前のリハーサルもせずに、合わなかったらどうするんだ」
「どうにでもなるさ」
恭也は「だよなぁ」と想定通りの答えに納得させられて、愛用のドラムスティックを手に取る。
バサラはいつもこうだ。練習を軽んじているわけではないのだろうけど、本番前の打ち合わせをなんとなくで決めてしまう。その時の気分でどうにでもしてしまう。
そんなことを意識してしまったからだろう。
恭也は、ふと思ってしまった。
「お前ってさ、何考えて客前で歌ってるんだ?」
恭也がステージで演奏する理由は“もっと上手く演奏したい”から。ドラムを叩くのは楽しい、けれど叩くだけでは物足りない。古くから語られるような名ロックバンドのように、もっと上手く、苛烈でありながら繊細なビートを演奏できるようになりたい。そういう衝動があったから。
バサラはどうなのだろうかと訊いてみたのだが。
「歌いてぇから歌う、それだけだ」
相変わらず言葉が足りない男だと恭也は頭を掻いた。知りたいのは客前で演奏する動機。だのに気分がすべてというような物言いはどういうことだろうか、と。恭也は頭を悩ませようとしてやめる。例えバサラの中に答えがあったとしても、それが理解できる形で表現されるとは思えなかったから。
訊いた自分が間違っていたと恭也は気分を引き締める。ステージ側から合図が来たのだろう、レイがホールへ続く扉に手をかけていたからだ。
「恭也、今日のオーディエンスは一味違うぜ」
「だろうな」
なんせ、ホールを埋める観客のほとんどが≪ジャミングバーズ≫という主役目当て。バサラも含めてほかの出演者なんて端役でしかないのだから。扉の向こうで上がる歓声は主役を受け入れるための準備。主役が快く舞台に上がれるよう、ホールを温めているだけの作業でしかない。
だからといって手を抜こうなどとは考えていない、と。恭也は深呼吸をする。
「恭也」
開かれた扉の前で、バサラは立ち止った。
「思うままにやれよ。それが歌だ」
そう言い残して、バサラはレイの後に続いた。
「……上手くやろうとするなってところか」
たぶん、そういうバサラなりの励ましなのだろう。やっぱり言葉の足りない男だと思った。しかしそれが良いのかもしれない。気負うなと言われて気持ちが軽くなるわけがないのだから。
「――――よし」
恭也は扉をくぐり、熱い空気に包まれる。
ステージに上がると、暖かい拍手と賑やかしの歓声や口笛が迎えてくれた。ステージを照らす照明という逆光の向こうに、とりあえず拍手をしておこうというような観客が見渡せた。
――――生温い。
そう思ってしまうほどに熱を感じられないが、気にはならなかった。ホールの右奥に視線を送れば、観客に紛れて手を振る忍の姿があった。逆サイドには先ほどの黄色い少女の姿があって、むしろ胸の奥は熱く燃えるようだった。
バサラがスタンドで固定されたマイクを手に取った。
「ハートをビンビンにしてやるぜ」
観客はやはり煮え切らない拍手で応えた。
振り向いたバサラに恭也がいつでもいけると頷くと、バサラは再度観客を見渡した。
「いくぜ、≪Power To The Dream≫!」
そして恭也は、ドラムスティックを振った。