魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
その日も、熱気バサラは海を目指していた。
住宅街を抜けると海が一望できた。真っ赤な太陽は既に地平線に差しかかっていた。なんとなしに足が早まる。見慣れた公園を横切り、観光用に舗装された海沿いの街道に出る。
ぱらぱらと人の通りがあった。住宅地に近いからかペットの散歩中の若人、散歩中の老夫婦、鬼ごっこをする子供等々。和やかな風景が広がっている中に、バサラは思いがけないシルエットを見つける。
ちんまりとした身長に細身の肩幅。小柄な印象とは裏腹の、その胸中が滲み出ているかのような自信に満ちた佇まい。誰かが来ることを待ち望む後姿。髪の両脇をくるりと纏めたその子供は、裁縫箱ほどの大きさの――――CDラジカセを手にぶら下げていた。
誰の邪魔も入らないいつもの岩場まではまだ距離があった。たまにはここで歌うのもいいか、と。バサラはその子供の元へ向かうことにした。
「よう、俺の歌を聴きに来たのか」
子供――高町なのはは振り向くと「いいえ」とはっきりと答えた。以前ならば申し訳なさそうに控え目に頭を下げた少女は、自信を持ってCDラジカセの電源を入れた。
「今日は、私の歌を聴いてください」
――――――――――――――――
「やるじゃねぇか」
歌い終えたなのはの前で、バサラは口元に笑みを浮かべていた。
手が震える、息が上がる、顔は熱くきっと真っ赤だろうとう自覚があった。しかし、なのはは当然だと思えた。自惚れとか安堵というわけではない、胸の中は達成感で満ちていたから。
「バサラさんのおかげでわかったんです。歌を創ることの意味、どうして歌うのかって――……この歌は、自分なりに答えを出したつもりです。それから、何度もレイジングハート……あっ、メロディーを作ってくれたヒトなんですけど、何度も練習に付き合ってもらったんです」
首から下げた待機状態のレイジンハートが胸を張るように点滅する。仮想シミュレーション訓練と同じ要領で、レイジングハートと一緒に自室で練習を重ねてきた。
「それで、繰り返す中でずっと伝えたいあの娘のことを想って、ちょっとずつ思い描いた形に近づくことができたんです。自分がここにいて、あの娘がいて―――あの娘と向き合えたから、ここまで形になったんです」
歌うという行為は不思議だとなのはは思う。
フェイトと交わした言葉、フェイトと見つめ合った時間。メロディーに声を重ねる度に、想いが言葉に変わっていく。歌声がサウンドに変わる度に、フェイトの感覚がクリアになっていく。フェイトの想いが身近に感じられるようになる。
「上手く言葉にできないんですけど……。歌ってそういうことなのかなって、感じました」
「いいンじゃねぇか、それで」
お前がそう感じたのなら、と。言葉にはしないけれど、後に続くのはそんな言葉なんだろうなと、なのはは理解する。なんとなく、わかってしまう。
バサラは、嬉しそうに微笑んでいた。
「だから“その時”が来たら、後はぶつけるだけだぜ。忘れんなよ、歌は――――」
「ハート! ですよねっ!」
バサラはきょとんと目を丸くした。けれども、その年相応の表情は次第に緩んでいき、自然のあるがままを慈しむような心安い微笑みに変わっていくと。
「わかってるじゃねぇか」
なのはの頭の上に無造作に置かれた手は大きくて、すべてを包み込むほどに暖かく心強かった。それは何度も体験したことのある身近な感覚に似ていた。
――――お父さんみたい。
胸の奥にじんわりと熱が滲む。心臓の鼓動が全身に満ちていく。体の隅々、毛先に至るまでがピリピリと熱を帯びていく。
――――――今なら、なんでもできる。
強く、そう思えた。
なのはは離れていくバサラの手を名残惜しく思う。けれど、なんとかできると強く思えた。成功とか失敗とかそういう問題ではなく、“なにか”を”〝なんとかできる”と、漠然とした感覚だけど心の底からそう確信できた。
「ところでよ、後ろのヤツは何か用でもあるのか?」
バサラの視線はなのはの背後を眺めていた。その方向には、夕焼けという逆光を背負った大人の女性がいた。
「あっ、そうでした」
歌うことに頭がいっぱいですっかり忘れていたことがあった。バサラに会わせて欲しいと、そうお願いされて一緒に海辺に来た人がいたのだと。なのははそうバサラに説明して、女性を招く。
女性はなのはの隣まで来るとにこやかに微笑んだ。
「初めまして、熱気バサラさん。リンディ・ハラオウンと申します」
「おう。んで、何の用だよ、おばさん」
なのはは心臓が跳ねるのを自覚する。
「や、やだなぁ、バサラさん。リンディさんはお姉さんですよ、この間会ったクロノくんの」
リンディの外見は十代後半から二十代前半というところ。クロノもまた外見から察するに同年代だろうとなのはは察していた。苗字が一緒なわけだから親戚関係というわけではない。そうなると姉弟というのが一番しっくりくるわけで、若い女性をおばさんなどと呼ぶのはあまりにもあんまりだ、と。
しかし、なのはの耳に入ってきたのはリンディの楽し気な笑い声だった。
「おばさんで合ってるわ、なのはさん。私、クロノの母親なのよ。聞いてなかった?」
「はっ、初耳です……」
「あら。なら黙っていれば、なのはさんの中ではずっと“お姉さん”ってことになってたのね、私。……でも驚いたわ、私の年齢を一目で見抜いちゃう人ってなかなかいないのよ」
「……悪いけどよ、あんまり時間がねぇんだ。手短に頼むぜ」
バサラはちらちらと夕日に目を送っていた。きっと日没の瞬間を眺めたいのだろう、バサラにとってその時間が何か特別な意味をもっていることはなのはも理解していた。
リンディに目を送ると、彼女はたおやかに微笑んだ。
「≪Fire Bomber≫の熱気バサラさん。少し、貴方の事をお聞かせ願えないかしら」
対して、バサラの眉間には皺が寄った。
「ファイヤー……ぼんばー?」
「アメリカにいた頃の彼のバンドグループの名前よ、なのはさん。もっとも活動期間は一年に満たないし、二年半前に解散しているのだけれど、ね」
意外だとなのははバサラを見上げると、その横顔は「まぁな」と、どこか不機嫌だった。
なのはの知らない人々との時間、なのはが知らないバサラ。それはちょっとだけ受け入れ難い、と。なのはもまたちょっとだけ胸に違和感を覚えた。
リンディはお構いなしに続ける。
「バサラさんは、レッドカーペットの上はお嫌い?」
「……なんのこったよ」
「世界のアーティストが表彰される舞台のことよ。貴方が中心にいたバンド、その元メンバーが受け取った栄光の場所に、なぜ貴方がいなかったのか。ずっと疑問だったの」
バサラはどこかうんざりしたように耳を傾けていた。
「貴方の事、最初に見かけたのは三年前、アメリカ国の音楽番組だった。アメリカ国にいながら日本語で歌うグループ、最初は目新しさが売りの新人ミュージシャンってことで出演しているものだと思ったわ。だけど貴方たちの演奏を聴いて考えを改めた、貴方たちのサウンドには眩しさがあった、モニター越しでも光り輝く未来が見えたわ。素晴らしい演奏でした」
するとリンディは一枚のCDケースを取り出した。
「次第に地方局のラジオやテレビ番組での露出が増えていき、≪Fire Bomber≫のファーストシングルは発売三日でオリコンチャートの一位を飾った。私も一枚持っているのよ≪Assault Love Heart≫、歌詞は英語に変わっていたけれど、私、この歌でファンになっちゃったんですよ」
すると、バサラが「嘘つけ」と呟いたのが聞こえたが、リンディに何かを問い詰めようという気はないのだろう、むきつけに口をはさむことはなかった。
「それから更に注目を浴びるようになったけれど、貴方はメディアの取材を断り続けたそうですね。ラジオやテレビに出演しての演奏も同様に……。当時はその事について他のメンバーと相当揉めていたそうですね」
「……まぁな」
「そしてシングル発売から半年後に突如として解散。貴方は業界から姿を消し。他のメンバーは新たにグループを結成し、つい一年前にサウンドアワード賞を受賞したと記憶しています」
「さ、サウンドアワードって、あの……!?」
年に一度、国際映画賞と同じ時期、同じ場所で表彰される栄光。世界最高のバンドグループが受賞する地球上で最高峰の音楽賞。それを、バサラが受け取っていたかもしれない、と。なのはは羨望の眼差しで見上げるが、バサラは子供のように口を尖らせていた。
「らしいな。俺にはカンケ―ねぇ」
「ええ、そうですね。貴方は富と栄光を得ることを拒否した。ただ一人、バンドグループから脱退した。だから気になるのです。貴方が〝ミュージシャンとしての栄光”よりも何を優先したのか。もしも貴方が願い事を持つとしたらなんなのか――――知りたいのです」
「バサラさんの、望み……?」
この世界には幾千、幾万もの人たちがいて。
見渡せる光の数だけ。
いろんな人が、願いや想いを抱いて暮らしている。
初めて夜空を飛んだ時に感じたこと。
“熱気バサラ”もまたその光の一つで――――。
「熱気バサラさん。貴方の望みはなんですか?」
リンディは問う。
なのはもまた問いたい。
――――バサラさんは何の為に歌っているの?
何が、熱気バサラの強烈なサウンドの源になっているのか。ジュエルシードの騒動に紛れたバサラの歌声、ジュエルシードの暴走体に向けられたバサラの歌は何を思っての事なのか。
バサラは海を眺めていた。
ここにはない何かを眺めるように。
ここにはいない誰かを想うように。
そして漏れ出るように、その唇が小さく蠢く。
「アイツだ」
それが何を指しているのか、なのはは視線を追ってみる。
その先には沈みゆく太陽と、地平線にじわじわと広がりつつあった黒い雲。ザワザワと波が高くなりつつあった海を眺めるその眼差しは、ギラギラと輝いているようだった。
「嵐が、来るぜ」
―――――――――――――――
「ひとまずは完成形といったところかしら……」
≪時の庭園≫中央工房にて、プレシアは椅子に背中を預けた。
プレシアの周囲を覆う、無数の立体ディスプレイのそれぞれには“進行中”を意味するミッドチルダ文字が表示されていた。大型演算装置が音もなく駆動する。室内の壁一面に設置されたモニターには仰々しいプラント施設がう映っており、幾多のロボットアーム、作業用ゴーレムがプログラム通りの作業に取り掛かっていた。
全ての作業が終了する頃には、次元空間を超えるために必要な強度と出力を備えた航行機能を獲得するだろう。もっとも完成までには、順調に工程が進んだとしても半月程度の時間が必要ではあったが。
「残す問題はジュエルシードのみ」
プレシアは工房中央に設置されていた人間大の円筒ガラスケースを眺めた。ガラスのように見える外装は電磁波や魔素を遮断する加工が施された超硬ガラスであり、大小さまざまな無数のパイプが繋がれていた。それは真空管に似た働きを備えた解析機器であり、内側に安置されているのは、フェイトが持ち帰った9個のジュエルシード。
プレシアは手元に立体ディスプレイを呼び出し、解析機器の各種表示計を表示する。次いで昨晩から繰り返しているあるシミュレーション結果に目を通して、プレシアはため息をつく。
「……やはり、たった9個では必要なエネルギー量を得られない。第97管理外世界に散らばった残りの二つを手に入れても足りないとなると、なにがなんでも時空管理局側のジュエルシードを手に入れなければならない」
しかし、そのような強硬策を完遂するには戦力が余りにも足りていない。
「予備兵力がないわけではないけれど、エースの差が絶望的ね」
次元空間航行艦船を所有し、プレシアの警戒網を潜り抜けて地球という第97管理外世界に現れたということから、敵は執務官という高ランク魔導士を有する≪次元航行部隊≫に違いない。
有事に本局から派遣される一般的な武装局員レベルならば物の数ではない、フェイトの実力ならば殺傷設定を用いて確実に仕留めることが可能だろう。しかし執務官クラスの魔導士となればフェイトには荷が重い相手。魔力と素質という点では引けを取らないが技術と経験は段違い――当然だ。フェイトの魔導士としてのキャリアはまだ二年を過ぎた程度なのだから。一方的に嬲られはしないだろうが勝負と呼べる戦いになるかはわからない。
それに、高町なのはの存在もあるのだから正面切って白兵戦を挑むのは避けるべき――それがプレシアの結論だった。
「何らかの取引材料があれば良いのだけれど、手元にはない。……移送戦と同じように管理局の次元航行船に奇襲をかけてみるか。事が上手く成れば次元航行部隊全局員の命と引き換えにジュエルシードを要求できる」
プレシアは時空管理局所属時代にコピーして作成したデータベースから、次元航行艦船の設計データを引き出し、仮想マシンにシミュレートする。次いで仮想シミュレータに近隣の次元空間を再現し、プレシアは攻撃シミュレートを実行――――想定通りの結果に肩を落とす。
「この案は却下ね。次元航行船の装甲を抜く武装はこちらにはない。私の次元跳躍魔法でも、一時的な機能障害が関の山。……地球の現地住民を人質にするのも効果は薄いわね。時空管理局の方針からして、管理外世界の中で完結した事象に積極的に関与するとは考えにくい。現地住民の被害に目をつむる可能性は高い」
生半可な取引材料では時空管理局が譲歩することはない。管理外世界の住人程度ならば――さすがに一つの次元世界そのものとなれば事情は変わってくるだろうが――簡単に見切りをつける。人の命など容易に切り捨てる。時空管理局にとってロストロギアとはそれほど価値あるものだと、技術開発局長だったプレシアは理解していた。
もっともプレシアはジュエルシードにそれ以上の価値を見出しているのだが。
どれだけ人がいなくなろうが、どれだけ次元世界がなくなろうが、プレシアはジュエルシードを手に入れるだろう。プレシアは希求した、渇望してる。ジュエルシードを渇望し続けるプレシアは思考する。
プレシアは目をつむる。
どうすれば手に入れられるか。どの要素をどの用途でどのように動かすか。全ての要素を整理し、今一度考え直そうと自身の内側に意識を向けたところで、プレシアは思いついたように顔を上げた。
「少し、休憩しましょう」
脳にも休息は必要だ。
そう考えたプレシアは完遂したプログラムを選んで終了する。立体ディスプレイのいくつかを消して席を立つ。そういえばとコンソール脇、空になったマグカップに手を伸ばすが、プレシアはそれをやめた。
「……会いに、行こうかしら」
自らの癒しとなる存在はたったひとつしかない。プレシアはその場には不要なマグカップを置き去りにして部屋を出る。
プレシアは赤いカーペットの上を歩く。
そこはミッドチルダの近代的な設備には程遠い前時代的な通路であった。植物をモチーフとした装飾が成された石造りの柱が立ち並ぶ、高い天井にはシャンデリアにも似た照明、壁にはバラを象った窓枠が等間隔で配置されていた。
そんな長い通路の先にある木造りの重厚な扉を目指して、プレシアは一歩一歩を自分の足で歩く。
別に、歩く必要などなかった。飛行魔法ならばほんの数秒で、転移魔法装置を用いれば一瞬で移動を終えることができるのだから。しかしプレシアは想い、歩く。
科学技術で構成された最新設備ではなく、天然素材による過去の建築物の再現。かつては窓の外に手入れの行き届いた庭園を眺めつつ、娘の手を引いて歩いた通路。娘がのびのびと駆け周り、その笑顔を追った過去を想いながらも、それが過ぎ去ったものでないという確信がプレシアを前に進ませる。
通路の先にはこれまでの天然素材にはない、人工的な金属肌の扉があった。プレシアがその目前に立つと、周囲に隠されていた無数のセンサーが起動する。人体に無害の各種光学センサーがプレシア・テスタロッサを識別すると、空気が抜けるようなモーター駆動音に合わせて扉が開く。
『母さん』
途端、胸の奥に響いた子供の声にプレシアは肩を震わせた。が、その動揺はすぐに収まる。プレシアの指、指輪を待機状態とする通信用デバイスがその相手―――フェイトを立体ディスプレイに表示する。
――――つくづく不愉快な子。
扉の先に待つ最愛を阻むように、フェイトの鬱蒼とした面持ちが表示されたのだから。吹き飛んだはずの疲労が再び纏わりつき、軽かった気持ちが苛立ちを含む。
しかし、定時連絡以外でのフェイトからの通信ということはおそらく緊急事態。その上、≪時の庭園≫外で独立して活動可能なフェイトの意欲を削いではならない、と。プレシアは努めて微笑みをつくると同時にひとつの疑問に首を傾げる。
フェイトの表情は晴れない。
通信の度、プレシアの前にでてくるフェイトは満面の笑顔を見せる。子犬がめいっぱいに尻尾を振って主人を迎えるような依存心を。しかし今、プレシアの目の前にはそれがない。
「どうしたの、フェイト」
フェイトの表情は能面のようだった。少なくとも喜びの色は見えない。落ち込んでいるのか怒っているのか、そもそも感情が現れているのかも定かでない。
しかし、フェイトはその疑問には答えない。
『時空管理局からメッセージだよ。第97管理外世界で無差別に振り撒かれている思念通話……』
報告は結論から簡潔に。その教えに従ってフェイトはメッセージを再生する。
心配――――しているわけでもないプレシアもまた些細な問題だと再生された音声に意識を向けることにした。
『フェイトちゃん、聞こえる? 高町なのはです。……今日は提案があって連絡しました。お互いに持っているジュエルシード9個。その全てを賭けて、あなたともう一度ぶつかりたい。“負けを認めた方が、勝った方に全部のジュエルシードを渡す”。そういう条件でなら、会ってくれるかな。――……前に、フェイトちゃんが言ったとおりだよ。言葉だけじゃ伝わらない、きっと伝えきれないから。もう一度、ぶつかろう。二日後の朝5時に……えっと、指定する座標に来てください。待っています』
音声データが終了すると同時に、第97管理外世界のとある位置座標が表示される。そこは海岸沿いの街道。住宅街からは距離があり、人の手の入らない山々に面している。夜でなく朝を指定したということから“現地住民の目につかない位置”を選んだというより、“逃走経路が限定される地形と時間帯”を選んだという印象を受ける。
「間違いなく、時空管理局からのメッセージね」
フェイトが、時空管理局からと断定したのも頷ける。
もしも、高町なのはが提示する条件を鵜呑みにするならば、プレシアは最後の障害を超える機会を得たということ。ジュエルシード収集を完遂できる最後の好機が到来したということになる。
別の観点から考えれば、時空管理局はプレシアが欲する条件を的確に提示してきたということであり、フェイトがその場に赴いたならば時空管理局は必ず何らかのアクションを起こすということを意味する。つまりはリスクとリターンを明確に提示した誘い……。
『母さん、どうするの?』
「もちろん受けるわ」
なぜなら、プレシアにはあらゆる意味で時間がないのだから。ジュエルシードが時空管理局本局に持ち帰られるようなことがあれば収集は困難を極める。しかし今なら。管理外世界を舞台に、いち次元航行部隊を相手取るだけならば不可能ではない。
だからこそ、プレシアは命ずる。
「フェイト、これが最後のチャンスよ。高町なのはと戦い、勝ちなさい」
高町なのはとの勝敗によってジュエルシードの行方が決定するなどとは考えられない。しかし、執務官に匹敵する魔導士を無力化することで、後の展開が有利に進むことは間違いないのだから。
すると、画面の向こうでフェイトは頷いた。
深く、重く、飲み込むように。
『――……よかった』
その唇が小さく動いた。
ほっと息ついたように、けれど小さく息を吸いその表情が強張ると。
『私、やるよ。必ず母さんの望むものを手に入れてくるから……。言われたことを、言われた通りにやってみせるよ』
虚ろな表情に、強い意志を秘めた瞳があった。
『見ててね、母さん。私、勝つよ』
フェイトは、笑わない。
一歩退けばそこは絶壁の崖であるかのように。息詰まり、行き詰まり、生き詰まったような。他に寄る辺はないという覚悟を確信させる表情。
プレシアは哂った。
―――――これなら、使える。
望んでいた背水の心得を負うフェイトに。母親としてではなく、プレシア・テスタロッサとしての内心が表情に漏れてしまったが、それをすぐに手で覆い隠す。興奮を覆い隠す、心を鎮める。
「フェイト。私は、貴女を愛してあげられるわ……」
偽りではなく、本心から思う。
少なくとも残りの二日間。時空管理局と高町なのはとの決戦の刻までという期間限定でならば、それを本心としても構わない、と。プレシアはフェイトに微笑む。
―――――――――――――――
時空管理局との決戦における作戦は詳細を詰めた後に伝えるということで、フェイトとの通信を断ったプレシアは扉の奥に進む。
工業用配管や大口径の耐薬品用チューブが敷き詰められた室内は薄暗い。四方の壁は決して枯れることのない花々で飾られ、息苦しさを感じさせない高い天井には月光を思わせる青白い照明がポツンとあった。
プレシアは部屋の中央へと足を進める。そこには十数本にも及ぶ大口径チューブにつながれた5メートル程の高さがある透明なガラス管が佇んでいた。暗がりのため中身は伺えないが、何らかの液体で満たされているようだ。
プレシアがガラス管を見上げると、センサーが反応して管内の照明が点灯する。
「あぁ……」
なまめかしい声を上げるプレシアの目の前、ガラス管の中にひとつの裸体が姿を現す。金色の長髪と幼い四肢は力なく漂っている。それはフェイト・テスタロッサに酷似していながら、フェイト・テスタロッサよりも更に幼い――おそらく幼稚園児程度の年齢の少女の姿。
「もうすぐ、もうすぐよ。アリシア……」
プレシアはガラス管に眠るアリシア・テスタロッサに縋り付く。ガラス越しの逢瀬、今はまだその手で抱きしめることはできない。
そう、今はまだ……。
「もうすぐ、貴女に会える。貴女をこの手で抱きしめることができる。……共に行きましょう、失われた次元へ。貴女を取り戻すことができる約束の地――――」
『母さま』
耳を撫でた声に、プレシアは咄嗟に顔を上げた。ガラス管の中を見上げるが、そこには瞳を閉じ、抜け殻として漂うアリシアの姿しかなかった。
プレシアは胸の奥のリンカーコアに意識を向ける。奇妙な波動が感じられた。有機的な胎動を含むが人間のものではない。心臓の鼓動のように感じられる波動は、機械のように定期的な鼓動を刻んでいる。
「この無機質な感覚は、ジュエルシード……?」
何か異変があったのかもしれない、と。
プレシアは中央工房へと向かおうと身を翻す。
そして目を見開く。
ぞわりと背筋に走る刺激に肌が泡立つ。
プレシアは思わず後ずさった。
『海で、待っててね』
目の前に存在する、金色に輝く髪の毛を両脇で結んだ幼い女の子の姿に、プレシアは後ずさり、しかし手を伸ばした。途端、その姿は霧のように霧散してしまう。
目の前に確かに存在した姿。
胸の奥に残る暖かい感覚。
記憶の奥底に眠り続けるその存在感。
「――――……アリシア、なの?」
プレシアは再度ガラス管を眺める。
そこには今なお眠り続けるアリシアの姿があり、ジュエルシードの波動は今なお強まっている。ガラス管の外には出ていない、つまりは幻を見たのだ。プレシアはそう納得することにしてジュエルシードの元へ――中央工房へ向かう。
――――何かが、起ころうとしている。
そんな予感を、強く抱きながら……。
※ミレーヌちゃんやビヒーダさんは地球には存在しません。