魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~   作:どめすと

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『やっぱり、来てくれた。 前編』

 

「ひどい荒れようね」

 

 未だ太陽も顔を出さない、早朝にも届かない深夜。アースラ管制室に充満するタイピング音に紛れたリンディの呟きに、デバイスの最終チェックを終えたクロノが顔を上げる。

 

 リンディは、砂糖をどろどろに溶かし込んだ緑茶を手に持ち、艦長席から大型モニターに映る海辺の光景を興味深そうに見つめていた。

 大粒の雨が散弾のように、あるいは連射砲のように絶え間なくコンクリートを叩く。潮気を含む風に打ち付けられる海辺の木々は葉を散らしながら震え、路上には空き缶やらビニール袋などの小物から、大きい物では自転車までもがゴロゴロと転がり往く。

 

 エイミィもまたいくつかの小型モニターを見比べていた。

 

「現時点、地球の観測台は平均風速20ノットを記録しています。今はまだ木々が音を立てて揺れる程度ですけど、この台風はまだまだ成長するみたいです……。計算上、三時間後には海辺の木々が根こそぎ吹っ飛んでいっちゃうみたいですよ」

 

 第97管理外世界、海鳴市には台風が上陸しつつあった。

 二日前、太平洋上に突如として発生した二つの台風が、互いの勢力を害することなく引き合うように列島を北上するコースを取っていた。それは周辺海域において過去に例がない異常気象であり、そもそも台風発生に至るまでの科学的プロセスが確認されていない異常事態として取り沙汰されていた。

 リンディは、それらが記された現地の報道情報を眺めながら顎に手を当てる。

 

「バサラさんの言葉通りになったわね」

 

 なぜ、その男の名が出てきたのか。

 その意図を図りかねたクロノが艦長席の横に付く。

 

「熱気バサラは事件には関係がない。実際にその目で確かめたと、そうおっしゃったのはリンディ艦長でしたが……」

「ええ、クロノの報告通り、彼はリンカーコアを先天的に備えただけの、魔法とも敵対勢力とも無関係の現地住民だと。私もそう認識しました。――……でも、ジュエルシードとは無関係ではないわ」

 

 それは単なる直感というわけではないのだろう。

 なんせアースラの全指揮権を担うリンディの言葉だ。捜査官として数々の実績を持ち、また魔導士としても優れた力量と感性を備えている。リンディの言葉は様々な要因を考慮しつつ、その優れた感性によって導き出されたと考えて差し支えない。

 クロノは無下にもできずふむと形だけ頷いた。

 

「……つまり、この台風は熱気バサラがジュエルシードに願った為に発生した、と」

「ええ。彼はおそらくジュエルシードに巻き込まれている。だからこそ、彼の願いを知りたかったの」

 

 リンディは湯呑を手に取って口を付けながら、もう一方の手でコンソールを操作する。すると表示されたのは過去数年分の英語表記のスクラップ記事やニュース映像の数々。その端々には、特徴的なまでに髪の毛が逆立った青年の姿があった。

 クロノはなんだか真面目に取り合う気になれず、記事を読み飛ばして解像度の粗い映像の隅に映る熱気バサラを眺めた。

 

「グループ脱退後のバサラさんの行動は常軌を逸している。過激派デモの運動の中心へ、あるいは街中の銃撃戦、あるいは銀行強盗犯の現場、果てはギャング同士の抗争の中心部へと自らの足で飛び込んでいるの。まるで危険を求めるように……」

「その場で起きている争いを、己の手で解決するためとも考えられます。……若さ故の万能感ですかね」

 

 ある映像では、熱気バサラは武器も防護服も身に着けず、警察と犯人の間に割り込む位置から何事かを叫んでいる。監視カメラの映像ゆえ音声データは無いが、どうせ話し合いで何でも解決できるという浅はかな考えから、銃撃戦を止めるよう声を上げているのだろうとクロノは推察する。

 

「でも彼は独善的(ヒーロー・シンドローム)というわけではないわ。彼と実際にお会いしたからわかる。彼は、むしろの他人の機微に聡く、共感的な青年でした。私の嘘も見抜かれていたようですし」

 

 実年齢のことですか? と。クロノはわざわざ見えている地雷を踏むのも馬鹿らしいと考えを飲み込む。リンディとバサラの会話記録を振り返ってみれば、熱気バサラが口を挟んだ箇所は、リンディが現地の音声記録媒体(CD)を取り出した時。

 

「……熱気バサラのファンを騙った事ですか?」

「ええ。全くの嘘ではないのだけど、過去の音楽番組を調べ返すまで思い出せなかったわけだから当然よね。……ともかくジュエルシードの“声”に従うのならば、この嵐がなぜ生まれたのか、何が起きようとしているのか。バサラさんの過去の言動や行動の中に答えがあるはずよ」

 

 クロノは小さく溜息をつく。

 確かな根拠がない以上、それはあくまで想像に過ぎない。執務官の立場と責任を負う身としては、確たるデータも証言もない想像を素に行動するわけにはいかない。それは提督としてのリンディもまた同じはずだ。

 

「石の声などと、バカげた話です。魔力波動が偶然音と同じ周波数を持ったのかもしれないと、ローレンス氏はそのようにおっしゃっていたではないですか。第一、古代の技術で造られたとはいえ、アレはただの物。意識や自我があるわけではない、快不快すら感じることもない。膨大なエネルギーを秘めただけの石っころでしかないのですよ」

「データ上では、そういうことになるわね」

 

 まるで、それ以外の要因が真実を物語っているような物言い。

 クロノはそれを良しとするつもりはないが、台風というジュエルシードによって引き起こされた事象が、フェイト・テスタロッサの犯行を支援するものとも思えなかったために諫言を飲み込むことにした。

 

「まぁいいでしょう。事件も直に終わります。アレがどういうものかは、いずれ判明することでしょうから」

「この要因が、事件に影響しなければいいのだけれど……――――あら、来たみたいよ」

 

 リンディの手元に立体ディスプレイが表示されると同時にアラームが鳴った。その管制室への入室者を知らせるアラームにリンディはすぐさま許可を出す。

 すると室内に履いてきたのは、既にバリアジャケットを展開した高町なのはと、動物形態のユーノ・スクライアであった。

 

「おはようございます」

「やぁ、なのは。ユーノも、よく眠れたかい?」

「ええ、お陰様で」

 

 二人は作戦前夜からアースラ入りしていた。 

 台風の影響でなのはの学校が休校となったのが幸いした。台風接近中の深夜に自宅から抜け出すのは家族に間違いなく禁止されるということで、なのはは友人の家に泊まる――台風で学校が休みなのに不謹慎だと、兄に叱られたが無理矢理承諾を取り付けたらしい――ことにして、アースラで一夜を過ごしたという状況だ。

 そのおかげで、昨晩は念入りに作戦を詰めることができたわけで。クロノは眠気を感じさせないなのはの前に立つ。

 

「昨晩の打ち合わせ通り、時空管理局は君の一騎打ちを静観するという方針で行く。問題ないね」

 

 すると、なのはは「うん」と軽く頷いた。

 

「ユーノ、現地での時封結界に関しては君に一任することになるが……」

「問題ありません。契約通りに、時空管理局はフェイト・テスタロッサには不干渉というスタンスでお願いします」

「もちろんだとも。我々時空管理局が動くのは君たちの決闘が終わった後……。つまりは、高町なのはとフェイト・テスタロッサの決着を見届けたその後。決闘の間は、何が起ころうと手出しはしない」

 

 それはジュエルシードの所有権を巡る、スクライア族代表のユーノ・スクライアと時空管理局代表リンディ・ハラオウンとの間に交わされた新たな契約。現地協力者である高町なのはが提案した約束であった。

 

「へぇ、これが嵐の海なんですね。……エイミィさん、画面端の文字はなんなんですか?」

「風の勢いとか速さを表してるんだよ、地球の単位とは違うけどね。……こういう海を見るのは初めて?」

「はい、台風の時って海に近寄っちゃいけないことになってて……」

 

 そのなのははというと、エイミィの横で「ほぇ~」と間の抜けた声を上げながら荒れる海を物珍し気に眺めていた。なのはとユーノが提案し、フェイトが承諾した戦いの時刻まではあとわずか。だというのに、なのはは日常の一幕を切り取ったようにリラックスしている……。

 

「……彼女はアレで大丈夫なのか、ユーノ」

「気負過ぎよりは断然いいと思います。……しかし、よくこのような身勝手なお願いを聞き入れてくれましたね」

「なぁに、時空管理局としてもメリットがあるから承諾したのさ。あわよくば、フェイトという高ランク魔導士を無力化してくれるというのだからむしろ断る理由は少ない」 

「……万が一があれば、ジュエルシードはフェイトに奪われるというだけですからね」

 

 ユーノは首に下げたカード型デバイスをちらつかせる。それはなのはらが集めたジュエルシ―ド9個を保管する、時空管理局が用意した保管用の専用デバイスだった。

 

「その万が一さえも利用できる。デバイスには発信機としての機能を埋め込んである。万が一の時には彼女らの本拠地を探知して乗り込んでみせるさ」

 

 万が一とは言ったが、フェイトの裏にいる人物に辿り着くためには必要な手段だろうとクロノは思う。

 フェイト・テスタロッサを拘束しても、彼女の裏にいる人物には辿り着けない。それは第97管理外世界に時空管理局の存在を察知していながらも、フェイト・テスタロッサを現地に滞在させ、かつ増援を送り込んだ痕跡がないことから推理できる。

 

――――フェイト・テスタロッサはジュエルシードを集める人柱に立たされたに過ぎない。

 

 フェイトだけが窮地に陥ったところで黒幕が姿を現すことはない。しかし、なのはが所有するジュエルシードを手に入れられる公算在りという状況になれば動きを見せるだろう。ジュエルシードを確実に手に入れられるという状況になって黒幕ははじめて姿を現すはずだ。

 

 二人には伝えないが、なのはとジュエルシードはいわば撒き餌。確実にフェイトをおびき寄せ、黒幕が注視する状況を作り出せるという明確なメリットがあるからこそ、クロノは契約を承諾したのだ。

 聡明なユーノも感づいているのだろう。眉間には皺が寄っていたが、それをすぐに微笑みで覆い隠した。

 

「期待しています、クロノ」

「それはこちらのセリフだ、ユーノ。――――さて」

 

 クロノは懐からカード型のデバイスを取り出して起動する。時空管理局の量産型ストレージデバイス≪S2U≫、それが杖の形状に変わり、クロノはバリアジャケットを纏う。

 

「僕は先に行くよ。既に敵方の動きがあるかもしれないし、現地待機中の小隊も指揮官がいなければ動くに動けまい」

 

 お気をつけて、と。背中から聞こえた声に手を上げて応えたクロノは、そのままなのはの名を呼ぶ。するとモニターから顔を上げたなのはと目が合った。

 

――――やはり、気を抜きすぎだな。

 

 緊張感の程度は集中力に直結する。過度なものは駄目だ、意識ばかりが先を行き肉体が追いつかない。軽度なものも同様に、体は動いたとしても意識が浮ついていては話にならないのだから。

 なのはの現状は後者。杖を握る手は添えられているように緩く、その表情は年相応に無垢であり、なのはは「どうしたの?」と首を傾げていた。

 

 クロノは発破をかけるつもりで息を吸う。

 

「なのは、君は強い。君には魔道士としての希有な素質がある。努力に裏打ちされた高度な戦闘能力がある。それらを惜しみなく発揮できればフェイト・テスタロッサにも勝てる、僕はそう判断している。……期待しているよ」

 

 すると、なのはは何か困惑したように視線を彷徨わせたが「ありがとう。クロノくんも頑張ってね」と微笑した。まるで自分には関係ないことのように、どこか他人事を思わせるよそよそしさがあった。

 だからこそ、クロノはようやく納得した。

 

「ああ、先に行くよ」

 

 クロノは転送ポートに足を向ける。

 

 一昨日、なのはがフェイトとの一騎打ちを申し出た時の神妙な声、あれは軽い気持ちから飛び出たものではない、重みがあった。そして今現在の彼女は、そこから自らを切り離した状態――――つまりは切り替えている状態。充実した気力を散らさないための待機状態なのだと、クロノは納得できた。

 

 おそらく。

 その時が来れば、彼女はシミュレーション訓練に没頭したような集中力を発揮して、フェイト・テスタロッサに臨むだろう。

 

――――僕も、やるべきことをやらねばならないな。

 

 クロノは任務前の緊張感を抱えて転送ポートに踏み込む。転移先の座標を指定すると、間もなくしていつもの浮遊感が全身に広がり、クロノは第97管理外世界へと移動した。

 

 

 

 

 

 

 クロノは決戦の地――なのはらがフェイトを待つ街道から離れた山中、木々の茂みの間に隠れた横穴に降り立つ。そこは仮の現地拠点。そこには魔力反応を探知する段ボール大の機器と、アースラに繋がる簡易転送装置が設置されていた。

 クロノはそこで待機中の武装局員、計12名に目配りする。

 

「では我々一個小隊は引き続き山間部に身を隠して待機となる。高町なのはの援護が主目的となるが、場合によってはアースラ待機中の部隊と合流して敵本拠地へ強襲をかけることになる。……フェイト・テスタロッサとの約束の時刻まで1660秒。各自、引き続き警戒を続けてくれ。魔力隠蔽(リミッター)機能も切るなよ」

 

 洞窟内に軍隊さながらの返事が木霊するが、そのうち魔力反応探知機を操作する局員が「クロノ執務官」と声を震わせた。

 

「北北東10km先に微弱ながらジュエルシードの反応を感知。間もなく暴走状態に入ると思われます」

「このタイミングでか。……ヒトが足りていないのに、厄介だな」

 

 それは人数ではなく質の問題。

 ジュエルシードのような高ランクのロストロギアの暴走を抑える――封印する――には相応の魔力量を必要とする。その目安は、魔導士の実力に応じて付けられる資格(ランク)――魔導士ランクで判断するならばA相当の魔力総量を必要とする。

 

 現時点のアースラ陣営には、その目安量を満たす魔導士は三人しかいない。AAA+ランク認定を受けたクロノ、AAランク相当のなのは、そしてAA+ランクのアースラ艦長のリンディである。

 ユーノ・スクライアもまたAランク相当の魔力容量を持つが、第97管理外世界との環境的な相性から本来の能力を発揮できないとのこと。彼が単独でジュエルシード封印に臨むのは無謀だろう。

 

「仕方がない、僕が出よう」

 

 クロノは即座にそう判断を下す。

 なのはにはフェイト・テスタロッサを誘い出す導という役割がある。アースラの総指揮権を持つリンディに関しても、現作戦段階においては現場に赴くほどの緊急性はないのだから。

 クロノは脇に控えていた小隊リーダーに振り向く。

 

「小隊の指揮権を一時、ロメル小隊長に委ねる。僕が戻るまでに事が起こった場合、高町なのはを含む現地住民の安全を最優先してくれ」

 

 いかにも軍属といった厳つい風体のロメルが堅苦しい敬礼でもって応えるのを見て、クロノは深く、満足気に頷いた。

 

 クロノは彼らを信頼していた。

 ジュエルシードの封印に向かわせないことから想像できるだろうが、彼らの魔導士ランクは決して高くはない。せいぜいがCランクであり、封印処理を行うには出力不足であった。

 

 だが、それは彼らの能力が著しく劣っているというわけではない。

 第一に、彼らは空を飛ぶことのできる魔導士だ。そういった適性を持つ魔導士は、時空管理局全体を見渡しても希少な存在だ。

 第二に、現在アースラにいる二個小隊は、様々な次元世界で荒事に対処してきた歴戦の部隊である。小隊という一つの集団として纏まったのならば、AAランク相当の魔導士たるフェイト・テスタロッサにさえ引けを取らないという確信があった。

 

 要は適材適所。彼らの連携・判断能力はジュエルシードの封印には適さない代わりに、敵対者の無力化という重要な役割に活かせる。

 だからこそ、クロノは強い信頼感を持って北北東を見つめることができた。

 

「では、頼む」

 

 

 

 

 

 

 時空管理局の存在はフェイト・テスタロッサに感知されている。それはフェイトの魔力痕跡の調査に向かった際、現地に降り立った時空管理局員に対して発されたある波長が物語っている。その波長とはエイミィが発見した、巧妙に隠蔽された探査系魔法の痕跡だった。

 そのためクロノは魔力隠蔽(リミッター)機能を解除し、堂々と飛行してジュエルシードへと向かう。高ランク魔導士である自分がジュエルシードの封印へ赴くことで、敵方の注意を引くことができると考えたからだ。

 

 

 そうして。

 現地上空に到着したクロノは眉を顰めた。

 

 

『       』

 

 地上から登ってくる振動波。それは小型歯車が高速回転することで生じるような、それでいて動物的な威嚇音だった。ジュエルシードは既に暴走状態として現地生物を取り込んでいた。

 その形態は蛇。九つの頭を持つ大蛇として、広々とした神社にジュエルシードは顕現していた。

 

「――――……なぜだ」

 

 クロノは激しく風に揺れる木々の合間に覗くその姿に苛立ちを覚えた。ジュエルシードの暴走体ではなく、その燃えるように逆立った髪型の青年に。

 

「なぜ、あの男がここにいる……!」

 

 ノースリーブの風変わりなライダースーツに身を包み、メタリックボディのエレキギターを肩からぶら下げた、丸眼鏡を鼻に乗せた青年に。

 

「待ちわびたぜ、この時をよォ……」

 

 牙を剥き出しにした九つの頭部が警戒態勢を取る真正面に、その男は仁王立ちする。逃げも隠れもせずに武器を構えるでもなく、映像の中にあったような無防備な姿のまま、男はギャンとギターを掻いた。

 

 

 

「行くぜ、蛇野郎! 俺の歌を聴けェ!」

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 雲はまるで倍速で再生されているように流れていく。海は泡立つほどに荒れている。雨が(つぶて)のように囂々と打ち付ける。木々は葉を散らしながら激しく揺らめいている。気持ちが沈んでしまうような光景が広がっていた。

 

「でも」

 

 なのはは胸に手を当てる、心臓は熱を帯びていて、その奥にある魔法の感覚は澄んでいた。リンカーコアの感覚に意識を向ける。周辺の特異な魔力反応に意識を伸ばす。

 

 山中に潜む12個の微弱な感覚。時空管理局の魔法使いが12名、事件の黒幕に対応する為に隠れていると聞いていた。だからそっちは心配ない。

 住宅地の方向にも力を感じた。大きな神社がある場所、10分ぐらい前に発動したジュエルシードの感覚が小さく穏やかに変わっていく。クロノの魔力反応とバサラの感覚が近くにあることから、そっちも心配はいらないとわかる。

 そして、感じ取る。

 

「――――……来た」

 

 近づいてくる胸の奥の痛み。

 剃刀に擦切られた、でも針で突かれたようなジクジクした痛みを感知する――いや。以前に感じたよりも冷たく、膿んだような気持ち悪さがあった。暗い所に閉じ篭り、堪えようのない痛みに奥歯を噛み締め、膝を抱えたまま沈んでいくような錯覚を覚えて、なのははその方向を眺めた。

 

 海岸線に沿って黄色い光が近づいてくる。それが風の速さで近づいてきて、舗装された道路へと降り立った。

 まず赤いオオカミのアルフが警戒心を露わに、次にフェイトが無警戒に着地する。その纏う黒い外套は騒々しくはためき、黄色く輝く髪は雨に濡れ、その奥に隠れた瞳は、黒く濁っていた。

 

「フェイト、ちゃん……」

 

 透明に透き通っていたはずの瞳は見る影もない。

 蓋の奥から溢れる泥――胸が張り裂けそうになる負の感情で濁りきっていた。ぐちゃぐちゃだけどなんとか形を保っているような危うさが、なのはには痛いほどに理解できた。

 

「……なのは、任せたよ」

 

 ユーノの声に、なのははいつの間にか溢れていた涙を拭い払う。足元のフェレット姿のユーノに「大丈夫」と答えて、なのはは自身の目に力を籠める。今日が嵐で良かった。ずぶ濡れのおかげで涙は雨に紛れてしまうから。

 

「おはよう、フェイトちゃん」

「指定の時間に来た。ジュエルシードはどこ?」

 

 フェイトは淡々と告げた。

 ほかのことは何も考えたくない、そういう感じだった。

 

 なのはは足元に控えていたユーノに視線を送る。ユーノは「ここにある」と時空管理局から渡されたジュエルシード移送用のデバイスを起動すると、中空に9つのジュエルシードが現れる。それは魔法の力からして紛れもなく本物で、フェイトの瞳が鋭く細まる。

 

「確認した。……こちらも、バルディッシュの中に格納している」

「ウソはダメだよ」

 

 ピクリと、フェイトの肩が震えた。

 

「何を、根拠に……」

「わかるよ。だってフェイトちゃん、すごく嫌そうな顔してたもん」

 

 どんなに濁っていても、素直な眼差しは物語っているから。

 

 するとフェイトはバルディッシュを持つ手に力を込めて周囲を伺い始めた。

 たぶんジュエルシードを賭けた戦いはできないと思い込んでしまったのだろう、異変を感じればすぐに逃げてしまうといった警戒体勢をとっていたから、なのはは首を横に振る。

 

「でも、いいよ」

 

 その心配はないんだよ、と。

 フェイトは目を見開いた。困惑、信じられないという驚愕。しかしそうであってほしいと縋り付くような面持ちだったから。そうだよ、と。なのはは安心を伝える為に頷く。

 

「私に勝ったら、ジュエルシードをユーノくんから受け取っていいよ」

 

 条件は変わらない。

 望むものは目の前にあるのだと。

 だから、この場に留まって欲しいと。

 

『Scythe form.Setup.』

 

 するとバルディッシュの平坦な音声と同時に魔力刃が展開される。フェイトは表情を固めていた。暗く沈んだ瞳で睨んでいた。疑いもせずに大鎌を構えていた。今にも飛び掛かってきそうな、そういった焦燥感が滲み出ていた。

 しかし、隣のアルフは一歩前に出ると「何が目的だい?」と怪訝に目を細めた。

 

「アルフ……!」

 

 邪魔をするなと言わんばかりに、フェイトの声には苛立ちがあった。

 アルフはそんな主人を押しのけて警戒心を露わにしながら前に出てきた。それは自分を疑ってのものではないと、なのはは察する。アルフの視線は辺りに散っていた、つまりは罠――時空管理局を警戒してのことだろう、と。

 

「目的って程の事じゃないの、アルフさん。……ユーノくん」

 

 なのははそのままユーノに視線を送る。するとユーノはすかさず足元に魔法陣を展開する。雨風が収まり、景観が灰色に変わる。アルフは咄嗟に身構えたが、それが単なる封時結界であると察したのか別段の行動は起こさなかった。

 雨と風が消える。視界と聴覚がクリアになった。 

 

「これは、お願いなの」

 

 するとフェイトは髪をかき上げて見つめてきた。

 雨に濡れてへばりついた前髪の奥から、その濁った瞳が剥き出しになる。その表情は石のように色がないけれど、その瞳は黒い。

 絵の具の色を次から次へと混ぜ込んだように、いろいろな気持ちがぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、でもやるべきことをやらなきゃいけないという強がりで蓋をした瞳。

 

 その蓋の奥に、届けなきゃいけない。

 そんな蓋はいらないと伝えなきゃいけない。

 本当の気持ちに、届かせなきゃならない。

 

 そのために、やらなきゃならないことは一つ。

 

「フェイトちゃん、私の歌を聴いて」

 

 何が変わるかはわからない。

 何を変えられるかわからない。

 

「お話しなんかしなくていい。逃げないで、私の(ハート)を聴いてほしいの」

 

 でも、かつての自分が感じた何かを、フェイトちゃんにも伝えなきゃいけない。過去の自分(フェイトちゃん)の辛さを、何とかしたいと思うから――――。

 

 なのははフェイトの瞳を見つめ返して、真っ直ぐに言い切る。そしてレイジングハートの特殊プログラムを起動する為に杖を掲げようとした途端――――フェイトの口元に笑みが浮かんだ。

 

 

「フフ……」

 

 

 その色っぽい声が、フェイトの口から漏れたものとは思えなかった。けれども、フェイトの唇はそんな形に変わっていた。まるで誰かを真似ているように、フェイトは目を細めた。

 

「いいよ、聴いてあげる。好きにやればいい、好きなだけ歌えばいい。私は逃げない、真正面から受け止めてあげる」

 

 なのはは思わず後退る。

 フェイトには、以前街中ですれ違った大人の女性、フェイトと似た瞳をした女性を彷彿とさせるこわさ(・・・)があった。背筋のもっと奥を駆け上る悪寒、ぎりぎりと胃を締め上げるような気持ち悪さが、フェイトの目には宿っていた。

 

 その瞳が、不意に閉じられる。

 

「その代わり――――」

『Blitz Action.』

 

 バルディッシュの機械音声を合図に、フェイトの姿が金色の尾を引いて掻き消える。

 それが高速移動魔法だと察してなのはは身構える。杖状態のレイジングハートを体に密着させ、背後からの奇襲を―――――受け止める。

 

 

 

「―――  」

 

 

 魔力刃の切っ先が頬を掠めて。

 なのはは息を飲んだ。

 

 

 遅れて剃刀が滑った後のジンジンとした痛みが生じた。張りのある皮膚から溢れた血がぷっくりと膨らんでいく熱、それが音もなく頬を伝う。

 血が、流れたのだ。

 

 目の前には、脳が痺れるほどの眼差しがあった。

 ギラギラと燃えていながら、色暗い濁りを含んだ本気の眼差し。後には引けない、もう前にしか進めないという不退転の光。あの大人の女性を彷彿とさせる、直視できない程の重圧を振りまいて。

 

 

 

 

「ジュエルシードは貰っていくっ!」

 

 

 

 

 フェイトは、牙を剥いた。

 

 

 

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