魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~   作:どめすと

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『やっぱり、来てくれた。 中編』

 

「……なぜだ」

 

 住宅街の端にゆったりと構えられた神社。木々が生い茂る広々とした敷地を一望できる上空から、クロノは偏頭痛に似た困惑を覚えていた。

 

 気象状況と時間帯を加味すれば、今この時、住宅街の端にある神社に人気(ひとけ)があるはずがない。この街の住人がそれほど冒険的でないことは事前の調査で判明している、それは間違いない。

 だというのに。

 

「なぜ、人がいる……」

 

 今この時でさえ、気を抜けば体が押し流されてしまう程の風圧を感じる。風はまだまだ強くなると各種メディアが報じている、エイミィもそのように判断した 。昨晩からは地域の避難警報まで鳴っている。

 だというのに。

 

「なぜ、あの男がここにいる」

 

 第97管理外世界に残る三つの内一つ。そのジュエルシードによって構成された暴走体を前に、熱気バサラは立っていた。

 

「あの男は、何をやっているんだ……?」

 

 神社を覆う木々の隙間をうねり這う大型の蛇。体表を覆う鱗はその一枚一枚が子供の頭程もあり、九本もある首の径は電柱を十数本束ねたという程、その全長は葉を散らし揺れる木々に覆い隠され伺い知れない。

 大蛇と呼ぶにはあまりにも巨大。その剥き出しの牙を前に、熱気バサラは全身にリズムを刻んでいた。肩から下げたギターを弾きながら喉を震わせていたのだ。

 

「〈Let's Dance 星たちも歌う〉」

 

 激しい風に掻き消される事もなく、クロノの耳に歌声が届く。メロディーが聴こえる。熱気バサラは這い迫る首をギリギリで交わし、肩から下げたギターを鳴らしている。

 

 そう。

 熱気バサラは、歌っていたのだ。

 

「……わけがわからないぞ」

 

 クロノはようやくその行動を理解するが、意図が読めなかった。

 大型魔法生物が存在せず、かつ魔法技術の存在しない世界の現地住民ならば、その巨大な質量を持った怪物が牙を剥いたのならば逃走或いは闘争を選択するもの。それが理性と本能から生じる当然の行為のはずなのに。目下の男の行為はそれらとは合致しない。

 

「〈一瞬だって長くできる! 翼を振ったら Rock 'n' Roll〉」

 

 熱気バサラは這い迫る大蛇の体当たりを紙一重で避ける。互いの体が掠めたかどうかという最小限の回避行動を、ギターを弾く手を止めることなく歌声を乱すことなく歌い続けながらやってのけた。

 大蛇の行動を冷静に視認しなければできない回避、理性無くしては不可能な行為……。つまり、熱気バサラは自らの意思で主体的に行動している――歌っている――と理解できる。

 

「奴は、恐れを知らないのか」

 

 クロノは地上を見下ろす。

 大蛇が駆け抜けた地面は、アクセルを目いっぱいに踏み込んだダンプカーが通過したように、草の一本も残さず大きく抉り取られていた。その巨大な質量から生み出される物理的な破壊力は、人体を破壊するのには余りにも足り過ぎている。

 

 濃厚な死の予感。

 

 魔法を扱えない人間ならば誰しも予感できてしまう破壊力を前にしても、熱気バサラに怯えは伺えない。恐怖というネジを外した狂人の類とも勘ぐってしまう程に、熱気バサラは再び大蛇の突進を避けた。先と同じように、闘牛士さながらの瀬戸際のステップで。

 

 その一瞬、垣間見えた熱気バサラの表情は――笑っていた。無邪気に、遊び戯れるような、そんな顔つきだった。

 

「……そういうことか」

 

 クロノの脳裏に、熱気バサラの行為に対するひとつの仮説が浮かぶ。

 これまでに対応した犯罪者の中には興奮を求めて危険に走る中毒者が存在した。身の危険に興奮を覚え、痛みに悦びを見出す異常者。スリルと快楽を等価とする脳内麻薬中毒者。

 

――――熱気バサラは、ジュエルシードの暴走体という超常的な暴力を前にすることで快楽を得るアドレナリン中毒者ではないのか。

 

 身を翻す度に垣間見える熱気バサラの表情は明るい。危機感もなく浮かれているように見受けられることから、クロノはとりあえず結論付けて結界魔法を起動する。

 

 神社を中心に半径一キロメートルの時封結界を展開。同時に一帯の雨と風は消失したが、熱気バサラもジュエルシードの暴走体も反応を示していない。互いが互いに夢中といった様子。

 

「どういう男なんだ、全く……」

 

 比倫無き集中力だ、素晴らしいとでも称えてやろうかとも考えたが自重する。熱気バサラは犯罪者ではなく管理外世界の現地住民でしかないのだから、クロノは嫌味を言う暇すら惜しむように息を吸う。

 

「そこの――――熱気バサラとかいう男! 危険だ、退がりたまえ!」

 

 クロノは時空管理局執務官として避難を促しつつ、射撃魔法の対象を大蛇の各頭部に設定する。

 熱気バサラの身のこなしは格闘技経験者のように優れているが、暴走体と密接に絡み合うその距離では攻撃の余波に巻き込んでしまう危険性は高いと考えて警告を発した。

 しかし変わらず、熱気バサラに反応はない。

 

「〈明日を駆けるラブハート!〉

「遊んでんじゃない、逃げるんだ! 軽傷じゃ済まないぞっ」

 

 非殺傷設定の魔法弾ならば、リンカーコアを含めた神経痛程度の被害で済ませることができる。しかし暴走体の巨躯に接触した場合、あるいは攻撃の余波によって飛散した木々の破片や砂利や石にでも打たれたならば、バリアジャケットのない人間ならば裂傷や骨折、打ち所が悪ければ命も危うい。

 

「〈ときめきと微笑みをバラまいてゆけ!〉」

 

 だというのに、熱気バサラはクロノを一瞥しただけで歌い続けていた。大蛇と見つめ合い、踊るようにステップを踏みながら、熱気バサラは歌う。

 

 目下で繰り返される奇行。

 時間が流れていく。作戦開始時刻まではもう900秒もないというのに、知性もない暴走体程度に時を浪費するわけにもいかないとクロノは動く。

 

「……警告はしたぞ」

『Stinger Snipe.』

 

 クロノは過去の事例から導き出した、ジュエルシード暴走体の魔法への抵抗力を考慮した上で、射撃魔法≪スティンガースナイプ≫を生成、射出する。

 

『          』

 

 声帯を持たない大蛇は、大口を上げてのた打ち回る。

 一筋の青白い光が尾を引いて大蛇の頭部へ着弾、その首筋をぱっくりと切り裂き、そのまま二本目の首筋目掛けて走る。

 

 優れた魔導士は、状況に合わせて適切な魔法を選択し、応用することで魔法の効力を最大限に発揮させるもの。それが師の教えであり、クロノの矜持でもあった。

 ≪スティンガースナイプ≫はそのような矜持から導き出した最適解。その魔法特性は貫通と誘導。複数の目標を、一発の魔力弾という少ないリソースで無力化可能な誘導制御型射撃魔法であったのだが……。

 

「むっ」

 

 魔法の効力に、クロノは眉を顰める。

 ≪スティンガースナイプ≫は二本目の頭部を両断し、三本目の頸部を辛うじて寸断したところで淡く消えてしまったからだ。

 クロノはすぐさま事態を理解する。

 

「魔力弾の減衰が想定以上だと……」

 

 貫通特性を持つ魔力弾は、対象を経るごとに込められた魔力が減衰し、その残量がゼロになった時に消失する。クロノは計算上の必要最低限度ではあるが、暴走体を沈静化するのに充分な魔力を込めたはず……。

 だというのに、それが九つの目標の内たった三つで霧散したということ。それが物語るのは暴走体の魔法への抵抗力が、目の前の個体は過去の事例に比べて明らかに高いということ……。

 

「ジュエルシードの力が増しているとでもいうのか」

 

 一体、どういった理屈で……と。思考に没頭しかけたクロノだったが、既にそんな状況にはないと再度杖を構える。

 

『    』

 

 暴走体は何が起きたのかを理解したのだろう、頭を失った頸部のそれぞれが痛みにのた打ち回り、木々を薙ぎ払い地面を抉る。無傷の頭部はその全ての眼で、クロノに敵視を集中してきた。

 クロノはわざわざ敵の距離に入ってやる理由もないと射撃魔法を起動するが。

 

「なにしやがる、アイツは俺の観客(オーディエンス)だぞ!」

 

 しかし。地上から上ってきた怒号にクロノは魔法の発射を躊躇う。

 なぜならば、熱気バサラがいたからだ。抉れた地面を踏みしめて見上げてきていた。先ほどのように無反応というわけではなく、声にビブラートを利かせることなく、ギターを弾く手を止めていた。

 その眼差しは、マグマのような熱気を含んでいた。

 

「なにを、言っている……」

「コイツはノリノリだったんだ、なんで撃ちやがったッつってんだよ!」

「のっ、のりのり?」

 

 誰が、と。

 尋ねる必要もなく熱気バサラは行動で語っていた。熱気バサラは、まるで巨大な蛇を庇うようにクロノと大蛇の間に仁王立っていたのだから。

 

「わからねぇのか。コイツは、俺の歌を聴いたんだぜっ」

 

 わかる訳がない。だからなんだというのだ、と。クロノは飛び出しかけた言葉を飲み込む。頭を過ぎったかつての言葉に、むっと唇を引き締める。

 

――――ガキはガキだろうが。

 

 以前もそうだった。

 目の前の男は他人の話をまともに取り合わず、自分のペースへと強引に引き込む手合い。訳の分からない理屈に一々言葉を返していては前に進まない、と。クロノは執務官としての責任感から口を開く。

 

「貴方は、危ないところだったんだぞ! 辺りを見ろ、木々は折れて木造の建築物も全壊している。ああいう被害をもたらすんだ、アレは」

「だからこそ、撃つんじゃねぇ」

 

 どういう理屈だ、と。クロノは浮かんだ思考をなんとか飲み込み、のた打ち回る暴走体を指さす。頭を失った頸部には、淡い魔力光が生じていた。

 

「見ろ、暴走体は再生を始めている。また暴れだす前に、早く逃げるんだ!」

「だからこそ演奏()るんだろうがっ」

「だからっ、僕に任せればいいと言っている! アレが危険だということは子供でもわかるはずだ、自分の命で遊ぶんじゃない!」

 

 大蛇が悶える度に地響きが鳴る。身を振るたびに樹木は折れ、整然と佇んでいた庭石が破砕される。破片は散弾銃のように飛散し、石造りの参道や被害を逃れたと思われた木々を抉り打つ。

 当然、暴走体はそういった被害を気にかけない。そこに感傷は存在しない。

 

「アレは幻覚でも何でもない、実体ある現実だ。人間を傷つけることなどアレには造作もないこと、嵐と同変わらない災害なんだ。アレには理性も感情もない、与えられた指向性に沿って無心に力を振るうだけの、ただのマシーン―――――」

 

 

――――違うっ!

 

 

 瞬間、空気が震えた。

 地響きさえも掻き消す程の、心臓を直接打ち付けるような赤い感情の発露に、クロノは思わずたじろいでしまう。困惑からではない、恐怖とも違う。熱気バサラのその眼差しに、クロノは息を飲む。

 

「アイツは! あの蛇は俺のサウンドに応えたんだ、俺の歌を待ってたんだぜ。だから、撃つんじゃねぇ」

 

 真剣で、理性ある眼差し。

 今は亡き父を彷彿とさせる、過ちを叱りつけられるような清らかな光を宿した瞳。有無を言わせない迫力に息が詰まるが、クロノとしても折れるわけにはいかなかった。なぜなら、クロノ・ハラオウンは執務官なのだから。

 

「ならば、お前は死ぬぞ! ―――――ほら来た」

「なにっ……」」

 

 暴走体の尾が大きく振りかぶられる。

 声に反応した熱気バサラが大きく跳び退いた次の瞬間、その場に大質量の尾が落下する。泥が跳ねて大地が揺れる。十数メートルは離れていた神社の鳥居が崩れ落ちる。

 クロノはデバイスを握る手に力を込めた。

 

「面倒な事を……」

 

 大蛇の頭部は七つに再生したばかりか、その頸部に攻撃性を発現させていた。身の回りに群がる(ニンゲン)を叩き落とす目的なのだろう、各頸部に無数の触手――小型の蛇――を成形し、弾丸のような速度で撃ち出してきた。

 

「退がれ、熱気バサラ!」

 

 クロノは再び魔力弾を生成、射出して、熱気バサラに迫る触手を撃ち落とす。

 熱気バサラは苦虫を噛み潰した表情を見せたが、構っている暇はない。

 

「歌うのはステージの上で充分だろう、スリルが欲しいならそういう遊びをやればいい! 邪魔をするなっ!」

 

 クロノは迫りくる触手と頭部を躱しながら、近接魔法で対処していく。

 触手は斬り落としていってもすぐに再生してしまう。その全てに対処して魔力を浪費するわけにもいかない。かといって素通りして熱気バサラに傷を負わせるわけにもいかない。となれば、やはり触手と首を落として敵意を引き付けつつ、隙を突いてジュエルシード本体を探索、無力化する他ない。

 クロノはそう方針を固め、暴走体へと接近。

 

「――――まずは、一本」

 

 すれ違いざまに暴走体の頭部を斬り落とす。暴走体はクロノを明確な脅威と認識したのだろう、その視線と触手の攻勢がクロノに集中する。

 

「やはり目の前の脅威にしか反応しない、か」

 

 暴走体に思考する知能はない。その確信を持ったクロノは、暴走体の視界に熱気バサラが入らない位置取りをキープする。それだけで熱気バサラの安全は確保されるのだから。

 そして、また一本。もう一本と暴走体の首を切断した時の事。

 

「  」

 

 遠くで、唇が動いたように伺えた。

 大蛇を挟んだ向こう側、熱気バサラが顔を上げたのだ。その意地を通すような厳めしい面持ちのまま、その力強い足取りで泥を跳ねのけて、軽快なメロディーと共に大蛇へと向かっていく。

 そして、大きく息を吸った。

 

 

「撃ち合いなんざくだらねぇぜ、俺の歌を聴けェ!」

 

 

 熱気バサラは眉間に皺を刻んだままに歌い始めた。空気が振動し、音がメロディーとなって時封結界内部に充満していくのと反比例するように、クロノに迫る触手が力を失っていく。

 

「……なんだ?」

 

 異常を察知したクロノは距離を取り、事態の急変を飲み込む。大蛇の五本の頭部、その眼球計10個から発せられる視線のすべてが熱気バサラに注がれていたのだ。

 

「〈俺の歌を聴けば 簡単なことさ〉」

 

 暴走体を一気に無力化できる好機ではあったが、クロノはそれを躊躇う。

 

「〈ふたつのハートをクロスさせる なんて!〉」

 

 大蛇は息を殺していた。

 二つの眼球で注視することで視覚的に。先端が二股となっている舌を頻繁に出し入れして嗅覚的に。空気の振動を肌で感じることで聴覚的に。

 熱気バサラに意識を集中しているようだった。好奇心か、はたまた警戒心の現れなのかはわからない。しかし、確かに熱気バサラを見つめている。口を開き、喉を震わせる熱気バサラに、大蛇は釘付けだった。

 

「歌を、聴いているとでもいうのか?」

 

 呟いてみて、クロノはそれを否定する

 ジュエルシードの暴走体に知能はない、知性はないのだ。取り込んだ現地生物の当初の願望に沿って、それ以外の要素に左右されることなくジュエルシードが主導して力を振るう。そこに情緒はないのだから、歌を聴いて攻撃をやめるなどとは考えられない、と。

 ところが、地上の男は見解が違うようだった。

 

「〈夜空を駆けるラブハート!〉」

 

 熱気バサの表情は喜びの色を帯びていく。そして、彼がまるで観客へのサービスに向かうような気軽さで一歩踏み出した途端、大蛇は弾かれたように身を仰け反らした。

 

 

『       』

 

 

 大蛇はガラガラと耳障りな騒音を立ち昇らせる。

 それは紛うことなく、迫り来る脅威へと発する威嚇音。一本しかない尻尾から、かつてない警戒音を生じさせながらも、口を大きく開けてのた打ち回りだしたのだ。

 

「――――いけない!」

 

 クロノは焦りのままに≪スティンガースナイプ≫を生成する。そこには先に放ったものとは比べ物にならない魔力を込めてしまった。後の大捕り物を考慮すれば不要な浪費であったが、制御している暇はない。

 今まさに熱気バサラへと向かう首へと即座に射出する。

 

『   』

 

 クロノの狙いを違うことなく≪スティンガースナイプ≫は熱気バサラへ迫る大蛇の頭部を両断、そのまま別の頭部へと狙いを変えて転身する。

 しかし切り落とされた頭部は、慣性の法則に従って進行方向へと――――熱気バサラへと真っ直ぐに落ちていく。熱気バサラは既に背を向けて逃走の動きを見せていたが、遅かった。

 

「うおおおぉぉ――――」

 

 熱気バサラは持ち前の身体能力で直撃を免れた。

 頭部本体の直撃を免れはしたが、ほんの数メートルという距離。熱気バサラの背後に落下した巨大な質量によってもたらされた振動によって熱気バサラの体は浮き上がり、飛散物がその体に突き刺さっていき、地面へと頭から突っ込んだ。体が勢いのまま転がっていく。

 

「しまった!」

 

 クロノは熱気バサラへ足を向けたが、露わになったジュエルシード本体の反応から冷静に優先順位を組み替える。最後に切り落とした頭部から排出されたジュエルシード、再生を防ぐ為にすぐさま封印処理を施してS2Uへと格納、それからうつ伏せのまま地面に伏した熱気バサラへと駆け寄る。

 

「おい、無事か! 熱気バサラ!」

 

 クロノは熱気バサラの頭が揺れないよう、その体を丁寧に仰向けにひっくり返す。そしてS2Uの救急機能を起動して熱気バサラの容態をスキャンしてみて、胸をなでおろす。

 

「軽い脳震盪、か」

 

 命に別状はなく後遺症も残らないただの失神。

 暴走体頭部の落下地点が幸いした。土の地面に落下したために、見たところ怪我らしい怪我はない。精々、肘を擦りむいたとか泥が跳ねて小石が背中を打った程度。失神の原因は、おそらくギターを守ろうと受け身を取れなかったために、派手な転び方をしてしまっただけ……。

 

「ほら見ろ。……危険の中で遊ぶからそうなるんだ」

 

 警告を素直に聞き入れていれば痛い目に合わずに済んだのに、と。クロノは悪態をつきかけてやめる。相手の性格を考慮せず警告を発したという自身の不甲斐なさがあったのは事実。もっと強硬な手段を取ればこうはならなかったのは事実なのだから、と。

 それに、もう一つ。

 

 

――――俺の歌を聴けェ!

 

 

 脳裏に引っかかるのは、熱気バサラの眼差し。

 遊びでできるものではない。正気を失ったわけでも理性に徹したものでもない、意図の読めない眼差し。理解に苦しむ瞳。

 だのに、なにが頭に引っかかるのか。なぜ、こうも急き立てられるような感覚に襲われるのか。なぜ、こうも受け入れがたい感覚に襲われるのか。クロノには、やはり理解に難く……。

 

「……行かなければ」

 

 クロノは気持ちの切り替えも兼ねて重い息を吐き、時封結界を解除する。

 周囲の光景が、クロノが戦闘行為に及ぶ以前の状態へと戻る。木々のいくつかがひしゃげ、あるいは折れていたが建造物に被害はない。

 

 感覚を研ぎ澄ませば、既に海岸には時封結界が展開されていることがわかる。高町なのはとフェイト・テスタロッサの戦闘が始まっているのだと当たりを付けて、クロノは雨を凌げる拝殿、賽銭箱の裏に熱気バサラを寝かせて、小隊を待機させた山中へ足を向ける。

 

「追ってくるわけ……ない、よな……」

 

 ギターを抱えて眠る破天荒な男が、今にも立ち上がってくるのではないか、と。そんな予感を振り切る為に、クロノは飛行魔法を起動する。

 

 

 

 

 その気がかりは現実のものとなる。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

「はぁああぁぁぁぁっ!」

 

 気勢と共に肉薄してくるフェイトに対して、なのはは後退を続ける。形成した魔力弾で直線的な接近を妨害しつつ、時折フェイトが打ち出してくる牽制の魔力弾を丁寧に防御あるいは迎撃し、全力で後退を続けていた。

 

「痛い……」

 

 頬を伝う血液、その出所である皮膚がぴりぴりと痛む。張りのある葉っぱや薄い用紙の端で擦り切ったような、鋭い痛み。

 なのはは、その意味を瞬時に理解していた。 

 

 それは初めてフェイトの魔力刃を受けた時の、胸の奥に生じた神経的な痛みではない。どこか現実離れした、仮初の痛みとは違う。かといって地面に墜落した時、吹き飛んできた瓦礫に打たれた時の物理的な痛みとも少々異なる。全くの現実の痛みとは違う。

 

「バルディッシュ!」

『Photon Lancer.』

「レイジングハートっ」

『Protection. Setup.』

 

 フェイトが放ってきた魔力弾が三つ。

 なのはは直線的に向かってくるそれらの内二つを掌大の防御壁で叩き落とす。そして残りの一発へと、確認の為に素手を伸ばし。チリッ、と摩擦音が生じた。

 

「痛っ」

 

 フェイトの魔力弾が手の側面を掠めていった。遅れて熱を生じさせる傷を確認する。手の側面は水ぶくれ一歩手前といった赤みと熱を帯びていた。皮膚が傷つき、痛覚が刺激されて生じた現実の痛みが神経を上ってくる。時間をおいて、皮膚の下から赤い液体が滲み出てくる。

 それが物語ることは、つまり……。

 

「魔法が、体を傷つける……」

 

 魔法が、生物に対して物理的な力を発揮するということ。血を流させたということ。それは今までなのはが使ってきた魔法には発生しなかった現象、フェイトとの戦いでも目にしたことのない現象。魔法という精神的な力が、生物に対して物理的な力を帯びてしまったということ……。

 

―――――たった一度でも直撃を受けたら……。

 

 なのはには想像できてしまう。バリアジャケットという鎧に守られていない肉体でそれを受けてしまえばどうなるか。頬の傷、手の傷では済まないということを、なのはは理解できてしまう。

 

 だからこそ、なのはは後退を続けていた。

 圧されていた。以前よりも、明らかに腕を落とした(・・・・・・)フェイトに、なのはは押し込まれていた。劣勢を強いられていた。

 

「どうした、高町なのは! 逃げるばかりで!」

 

 フェイトの動きには鋭さがないのに。

 飛行の軌道にキレがない。慣性に引っ張りまわされるような弧を描いている、以前に比べて制動のコントロールが酷く拙い。その証拠に、なのはが放った牽制程度の簡易誘導魔力弾すら回避しきれていない。フェイトはまたも被弾してうめき声をあげたが、向かってくる。

 

「歌ってみせろッ!」

 

 フェイトの攻撃は精彩を欠くのに。

 フェイトが放つ射撃魔法は偏差射撃の計算が追いついていない為に牽制の役割すら果たせていない。しかも距離を詰める際には、大技の隙を狙うという定石を無視して、なのはが放つ小技の合間に突っ込むことで逆に被弾しているという有様。だというのに、向かってくる。

 

「なぜ歌わないっ! 私はここにいるぞ! 私はお前に勝つために、ここにいるぞっ!」 

 

 フェイトの力量、感性、判断力。その全てが、以前と比べて格段に劣っている。魔導士としては間違いなく、以前のフェイトよりも弱いというのに、なのはは押し込まれていた。

 なのはは迫りくるフェイトに対して、形だけの魔力弾を八つ生成して弾幕を形成するが。

 

『Attention.』

「――――しまった!」

 

 レイジングハートの警告音に反応するが、遅かった。なのはは自身のミス――魔力弾の演算ミスを自覚するが、遅かった。弾幕によって直進を妨害するはずだったのだが、発射された魔力弾は既にフェイトの横へと逸れてしまっている。

 弾幕の隙間。そこからフェイトが身をねじ込んできた。振り上げられた魔力刃、なのははそれを防御魔法≪プロテクション≫で防ぎ、フェイトの刃と拮抗する。

 

「どうした! 高町なのはっ!」

「……くっ」

 

 その気迫に、なのはは圧されていた。

 

「どうしちゃったの、フェイトちゃん……?」

「どうもしないっ!」

 

 目の前にあるフェイトの瞳。

 その濁り方に、なのはは圧されていた。暗くて重くて、より強く凝り固まった泥のような蓋に閉じられた瞳。本気だけど本心でない眼差し。誰かに頼ることも、誰かに吐き出すこともできなくなっているその本心に、なのはは胸を圧迫されるようだった。

 

「――――ふっ」 

 

 フェイトが空気を蹴る。魔法で成形した不可視の足場を蹴って、防御魔法に突き立てたバルディッシュを支点に軽やかに身を捻り、その細い足が即頭部に迫る。

 なのはは腕を畳んでそれを防ぐ。

 

「くっ」

 

 ぶれる視界。なのはは悲鳴を飲み込んで高度を下げる。

 

――――――距離を取らなくちゃ。

 

 思考の冷静な部分が体を動かす。空戦で上を譲ることになったけれど構わない。下は海。時封結界のおかげで波は穏やか、低空飛行に支障はない。なのはは距離を引き離すべく速度を上げる。

 

「バルディッシュ! フォトンランサー連撃!」

『All right.』

 

 上から降り注ぐ魔力弾の雨が、なのはの四方に水飛沫を上げる。見境のない乱射。狙いがない分、予測による回避は難しい。

 

 だから集中する。

 感覚を研ぎ澄ます。

 レイジングハートの演算能力を用いて、周囲に着弾する水飛沫の速度差を認識することで、バルディッシュの切っ先という銃口の動きを演算する。次に魔力弾が撃ち込まれるコースを演算から予測しつつ、上空の脅威を感じ取るつもりで意識を先鋭化する。

 

 降り注ぐ魔力弾の一発一発が致命傷になる。何か一つでも対応を誤れば、僅か一瞬でも反応が遅れたら……。そんな緊張感から、なのはは戦闘に集中せざるを得なかった。

 だから、なのはは苦しんでいた。

 

「これじゃあ、歌ってなんかいられない……」

 

 戦いながら歌う、なのはにはできない事ではない。

 魔法に使われる技能として、マルチタスク処理という思考分割技術がある。複数の魔法プログラムを同時に動かす為に、脳の処理領域を複数に分割するという魔導士には必須の技術である。 

 その応用として射撃魔法を制御しながら歌うことはできる。反撃して身の安全を確保しつつ、そういったことは可能なのだが……。

 

「でも、それはダメ……」

 

 この技術を日常生活の一場面に例えるならば、先生の話を聞き洩らさずに右手でノートを取りつつ、友達の相談事に対して自分なりの答えを伝えるべく左手でメールを打つようなもの。

 なのはにとって、それは先生にも友達にも誠実じゃない行動。どんなに脳の機能を分割しても、源の心は一つしかないのだから、片手間の真剣なんてホンキとは言えない。

 

 ハートを届けるための歌はそんな中途半端な気持ちでやっていいものじゃない。ハートに届く歌は生半可なものであるはずがないのだから、どうしたらいいかわからない。

 

「どうすればいいの……?」

 

 とても≪歌う≫ことなんてできない。

 そんな集中力は保てない。

 攻撃に対応するだけで精一杯。

 

 そんな考えがぐるぐると頭の中を巡る。

 

「どうすればいいの? レイジングハート」

 

 手の中のレイジングハートが応答するように点滅する。集中力を乱してはいけないと忠告をくれる。レイジングハートは魔法演算を全力でサポートしてくれている。とてもではないけれど、サウンド用のプログラムを展開する余裕はない。

 

「どうすればいいの? ユーノくん、クロノくん」

 

 思い出されるのは魔法の力。持てる力を余すところなく発揮すればフェイトに届くと、そう断言してくれた。疲れはない、体は動く。リンカーコアも不足なく力を発揮できる。……たぶん、前よりも集中して戦えてしまう。

 けれど――。

 

「本当に、それでいいの……?」

 

 戦って力をぶつけて、その後で≪歌う≫。

 それはできる。

 けれど、それはフェイトちゃんの真剣な眼差しに応えるということで、自分ではなくフェイトちゃんの望みに引き込まれるということ。以前と同じことを繰り返すということ。

 それは、ダメなんだから……。

 

「どうすればいいの……バサラさん!」

 

 そして、不意に思い浮かぶ。

 

 

――――引き寄せてやれよ。 

 

 

 夕焼けを受けたバサラの面持ちが胸に浮かぶ。

 なのはは自覚する。

 今この時点でさえ、フェイトの眼差しに引き込まれつつあったことに。既に戦う土俵に立ってしまっていることに。フェイトのハートに圧し負けていること、フェイトの気迫に萎縮してしまっていることに、なのはは思い至る。

 

「――――そうだ」

 

 だから、なのはは思い出す。

 

「私のままで、やるんだ」

 

 誰かのホンキに引き込まれるだけじゃダメ。ホントの自分。”私のまま”の自分。フェイトに引き込まれまいと、なのはは自分を思い出す。

 

 四年前からの心の支え。

 自らを奮い立たせてきた魔法の言葉、

 気持ちを強くする魔法のメロディー。

 

 なのはは息を吸って、口ずさむ。

 

 

 

「〈レッツゴー つきぬけようぜ〉」

 

 

 

 ハートを強くする魔法を、なのはは口ずさむ。

 

 

 

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