魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~   作:どめすと

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『そんなつもりなんてないのに。』

 

 頭の中は、真っ暗だった。

 

「どうしよう……」

 

 頭の中は、悪い想像でいっぱいだった。 

 胸の内は、気持ち悪さでいっぱいだった。

 

「あぁ、どうしよう……バルディッシュ……」

 

 手の中、待機状態のバルディッシュを握り締める。肉が食い混む程に、縋る心地で両手で抱きしめるけれど、薄暗く点滅するバルディッシュから温もりは返ってこない。

 

 フェイトは《時の庭園》の中枢部へ繋がるレッドカーペットの上を歩いていた。

 歩き、想像していた。

 フェイトの手の中にあるのはバルディッシュだけではなく、もう一枚。強奪したカード型ストレージデバイス――――そこに格納されたジュエルシード9個。高町なのはが収集した魔法の石を、ものの数分もしないうちに母親のもとへ届けることができてしまう。それを母親が望んでいるとフェイトはきちんと理解していた。

 

「喜んで……くれる、よね……?」

 

 だけど、それでいいのか不安だった。

 母さんの望むモノを手に入れられたけれど、できなかったことがある。最後のチャンスだと母さんからお願いされたのに――――できると答えたというのに、できなかった事がある、と。

 それは致命的だと、フェイトは重く想像する。

 

「母さん、怒ってるよね……」

 

 体に痛みが蘇る。

 骨に食い込む程に手首を締め上げる鎖の冷たさ。肌が焼け爛れる程に打ち付けられる鞭の熱さ。悪い子だ悪い子だと、何度も何度もぶたれた体の痛み。――――我慢できるいつもの痛みを想像して、フェイトはほのかな安堵を覚える。

 

「嫌らわれ、ちゃった……よね……」

 

 だけど、たぶん。

 そんな程度では済まないだろう、と。

 フェイトは恐怖する。

 

 頭の中で想像し、どうすれば避けられるのかを想定して、どうにもならないことだと想到する。でも、どうにかなるんじゃないかともう一度最悪の事態に体を震わせ、どうすればそうならないかと爪を噛んで、どうにもならないと頭を振って――――――。

 けれど、それを何度繰り返しても。

 何をどうしたらいいのかもわからないままに長い廊下を渡り終えてしまう。足を止めた先に聳える重厚な扉が、油が切れたような錆びれた駆動音を発する。

 

『おかえりなさい、フェイト……』

 

 扉の向こうからの憔悴しきった母の声に肩が震える。

 想像だにしない声色、“記憶”にもなく“体験”したこともない不気味な声調が扉の向こうに在って。けれど、その場で立ち竦んでいるのは絶対によくないことだとわかっていたから。

 

「ただいま……母さん……」

 

 フェイトは身を縮めて、重い頭を引き摺るように扉を潜る……。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 嵐の巨人の足元に熱気バサラの姿を眺め、上空に現れた魔法陣が発光を強めたその瞬間。

 なのはの背中に突き刺さったのは途方もない喪失感だった。

 

「フェイトちゃん……?」

 

 感覚に急かされて振り向けば、一筋の黄色い光が視界を両断して。耳に残ったのは千鳥足のように心許ない風切り音で、その向こうにはバルディッシュを振り下ろしたフェイトの姿……。

 

「――――……どうして」

 

 風に紛れる声は、震えていた。

 

「どうして、私……震えてるの……?」

 

 小刻みな金属の摩擦音が、その手に握られたバルディッシュから発せられる。幽鬼のような顔色、焦点の合わない眼のまま、誰にともなく呟やかれた言葉。

 

「外すつもりなんてなかったのに……。当てられなかったのに……どうして、私……」

「わかるはずだよ」

 

 フェイトは、肩を震わせた。

 そんな馬鹿なと言いた気で、けれど核心を突かれたように揺れる瞳で。フェイトはわからないと首を振って――――それが、ウソなんだよ、と。なのはは向き合う。

 

「どうして、できもしないことを『やらなきゃ』って思うのか。どうして怖くて震えているのか……。自分の気持ちなら、わかるはずだよ」

「わからないよ……。だって、私は……アナタを倒さないと――――」

「それは、フェイトちゃんのホントの気持ちじゃないんだよ」

「違うっ! 私は、母さんの言いつけを守りたいの! 母さんの望むようにしてあげたいのっ!」

「なら、どうしてそんなにムキになるの!」

「やめてよっ!」

 

 怒りの形相でも隠し切れない、必死に繕った蓋でも抑えきれない涙に滲んだ瞳。きっと、その蓋の奥に潜んだ本心が望むモノは、ひとつしかないと思えたから。

 なのはは上空を見上げる。

 

「……お母さんだって、今のフェイトちゃんの事、見たくないはずだよ」

 

 途端、フェイトもまた思い出したように空を見上げた。

 

「母さんが……見てる……!」

 

 魔力を放出し、光の粒に消えていく巨大な魔法陣。そこに込められた苛立ちに怯えるように、過ちを犯してしまった子供のように慄きながら、ふらふらと高度を下げていく。

 

「母さん、違うの……。私、こんなつもりじゃ……!」

「フェイトちゃん……」

 

 フェイトは何かに引っ張られるように。

 落ちていくように海岸沿いへ滑空していく……。

 

 行かせてはいけない背中が遠のいていってしまうけれど、なのはの後ろ髪を引いたのは崩れ落ちていく嵐の巨人で。その足元に居たはずの熱気バサラの姿が見えない事、その魔力の感覚が海面の下に呑まれてしまった瞬間を目にしていたから。

 

「フェイトちゃん、ごめん! 必ず追いつくから!」

 

 なのはは、海中へと飛び込んだ。 

 

 

 

 

 

 

 全身に吹きつける荒んでいた風も、頭上から覆いかぶさる程に高かった波も。数分前までのあらゆる出来事が嘘のように静けさを取り戻していた。

 嵐なんてなかったかのように凪いだ海を見渡して、なのはは浜辺に腰を落とす。

 

Are you alright?(大丈夫ですか?)

 

 膝上に横たえた杖――レイジングハートが赤く点滅する。

 擦り傷に海水が沁みる程度で大怪我はしていない。気分の悪さもないから「私は大丈夫」と、なのはは隣の人影に視線を送る。

 

「バサラさん、大丈夫だよね?」

 

 海中から引き揚げたバサラが水を吐いた所は目にした。眉間に皺が寄っているけれど、呼吸は比較的穏やかに思える。なのに目を覚まさないのはどうして、と。なのははレイジングハートを抱きかかえる。

 

All of his vitals look fine(問題ないでしょう).』

 

 レイジングハートの救命機能がそう念を押してくれるけれど、バサラの衣服は水を吸っている。

 

「……風邪、ひかないかな?」

 

 春の寒さも薄れる小満の時節とはいえ、海水はびっくりする程冷たい。海風も相まって、このままでは命に係わるのではないかと心配になって……。

 

『Division.』

 

 それを見越したように、レイジングハートのコアから赤い煌めきが排出されて、それがバサラの胸元へと落ちていった。

 それは待機状態のレイジングハートと同じ見た目の分離体。以前ユーノが持ち歩いていた、通信と簡単な演算機能が使える程度のレイジングハートの複製。

 

「レイジングハート?」

This is Rabbit's foot. (お守りです)

「どういうこと――――って、あったかい」

 

 分離体に手を近づけてみれば、直接触れていないのに人肌のぬくもりがあった。バサラの周囲を覆うように熱領域が展開されているようで、目を凝らせば分離体を中心にバサラの衣服が渇き始めたように見受けられる。

 

「すごいんだね、レイジングハート」

 

 当然のことですとでもいうように頼もしく点滅したレイジングハート。

 これなら風邪の心配はないかな、と。なのはは状況を知るべく、ユーノへと思念のチャンネルを繋ごうと試みた直後、接近してくる青い光に空を見上げる。

 

「無事かっ、なのは!」

「クロノくん……?」

 

 海岸沿いの――ちょうどユーノとアルフが待っているはずの街道方向から、燕が滑空するかのようにクロノが降下してきたのだ。

 

「救援が遅れてすまなかった! どこにも怪我はないな? どこか痛いところは? 気分はどうだ、眩暈も吐き気もないな?」

「ちょ、ちょっと疲れただけで大丈夫だよ。ちっ、近いよ」

「……むっ、すまない」

 

 クロノはほっとしたのか、鼻がくっつくかという距離から退いて砂浜に尻もちをついた。

 ふぅ、と。熱っぽい息を吐いたクロノをよくよく見れば、その額には汗が滲んでいた。その慌ただしさが只事ではないと思え、なのはは「何かあったの?」と座ったままクロノに向き合うけれど。

 

「待て」

 

 クロノはうんざりしたような、そうでなければどこか青ざめた面持ちで、隣に横たわるバサラを眺めていた。

 

「なぜ、この男が、ここにいる」

「……こわいよ、クロノくん」

 

 一言一句にグツグツとした力が篭っていて。

 そういえば二人は一度顔を合わせていたっけ。なにか悪いことでもあったっのかな、と。当時の様子を思い返そうとして、ふと決闘前に感じたジュエルシード暴走の反応とそこに集った二人の魔力を思い出す。

 

「――――そっか、街中のジュエルシードはクロノくんたちが」

「この男は、邪魔をしに来ただけだ!」

 

 ……その場で何かあったんだろうなぁ、と。

 なのはは触れるべきでない空気を察して苦笑いする。

 

「なぜ時封結界の内側に居るんだ! この男、大蛇の暴走体にやられて倒れていたんだぞ! 気を失っていたのに、なんで海に居るんだ! なんで本当に追ってきているんだよ!」

「おっ、落ち着いて……。ねっ、クロノくん」

 

 今にも頭を掻き毟りかねないクロノの腕に手を添えれば、途端我に返ったように顔を上げたクロノは「大丈夫、僕は冷静だよ……」と溜め息をついた。

 

「どうにも理解し難い人間だ、この熱気バサラとかいう男。……僕にはわからない、なんで襲われていながらギター弾いて歌うんだ。理屈じゃない、まともじゃないだろ……。ジュエルシードに憑りつかれているとか、操られているとかでなければ説明がつかない、そうだろう……?」

「にゃ、にゃはは……」

 

 どうやら愚痴り出したら止まらないタイプみたい、と。なのははこのまま流れに身を任せていても終わらないような気がして「そうだ」と大きく手を打つことにした。

 

「ク、クロノくん、慌ててたけど何かあったの?」

 

 するとクロノは、一拍の間をおいてから気が付いたように「あぁ」と居直った。

 

「敵のジャミングを受けた。君たちの戦いが沖合まで延びていったあたりから、結界内部の状況が分からなかったんだ」

 

 切り替えが早いところは助かるなぁ、と。

 なのはは「そっか」と小さく安堵の息を吐いたけれど、鼻に引っかかった焦げ付いた臭いに違和感を感じ取る。潮風でさえ上書きできない、際立った灰の臭い。よくよく目を凝らせば、クロノの体の節々に炭のような汚れがついていて……。

 

「――――なにかあったの?」

 

 フェレット姿の友達の姿が見えない事。ユーノの魔力反応は微弱で、姿を探しても見当たらない、その違和感に不安を覚える。

 クロノは途端表情を引き締めると、来た道を振り返った。

 

「ジュエルシードを奪われ、ユーノが傷を負った。今は医療スタッフの治療を受けている。――――……そんな顔をするな、大した傷じゃない」

「そうは言うけど……」

 

 クロノの視線を追えばただ事でないことが理解できてしまう。

 遠い海岸沿いの街道。立ち上る黒煙はほのかではあったけれど、その道路はさながら小粒の隕石が降り注いだように原形をとどめていなかったのだから。

 

「敵の奇襲を受けた。敵が投入してきたロボット――――かつての文明では傀儡兵と呼ばれるタイプの兵器によって、ユーノと小隊の二名が負傷。ジュエルシードを動力源とし、高度な電子戦機能まで備えた高性能機さ。それが三機――――全機、破壊には成功したが、こちらのジュエルシードは奪われアルフを取り逃がした」

「敵……?」

「プレシア・テスタロッサだ」

 

――――テスタロッサ。

 フェイトに寄り添うその姓、その蓋をしたような瞳が頭を過ぎる。同時に、その瞳をより過激に悍ましく濁りきった紫の女性が脳裏に蘇る。嵐の暴走体に降り注いだ紫の光が連想される。

 だから、直感できた。

 

「フェイトちゃんの、お母さん……」

「そのようなものだ。僕たち時空管理局は、これから敵本拠地に乗り込み、プレシア・テスタロッサ及びフェイト・テスタロッサ両名の身柄を確保する」

「私も行きます」

 

 しかし、クロノは「ダメだ」と間髪入れず首を横に振った。

 

「決着をつけたいという君の気持ちはわかるが、敵地に赴くとなれば事情が違う。今の君は消耗している」

「大丈――――」

「自覚するんだ。たった十数分とはいえ“戦った”となればそうなる。魔力も体力も、精神的にも、今の君は万全には程遠いということを自覚しろ」

 

 その言葉通り、リンカーコアに意識を向ければ確かに不足を感じる。マラソン後にも似た怠さを自覚できるけれどそれほど深刻ではないように思えたから、なのはは「でも」と顔を上げる。

 けれど、クロノは問う。

 

「次にフェイト・テスタロッサを相まみえた時、君は言葉を交わすことなく撃ち堕とすことができるかい?」

「なんで、そんな事……」

「言い方が悪かった。……迷いなく戦えると約束できるかい?」

 

 できる、とは答えられない。

 それはきっとウソになるから。

 でも、着いていくのならそういう覚悟が必要なんだと、クロノの真剣な眼差しが物語っている。心配しながらもこちらの気持ちを汲んでくれようとしている、と。なのはには、やはりわかってしまう。

 

「僕の言いたいことがわかるね、なのは」

 

 嘘偽りのない、本気のハート。

 フェイトに会いたいという気持ち。それを叶えようと最大限の譲歩を示し、最低限備えていなければない覚悟を示してくれるクロノの優しさ。なのはは、その眼差しには応えたいと顔を上げる――――けれど。

 

「――――……痛ッ!」

 

 

 腕に、熱を感じた。

 

 

「バサラ、さん……?」

 

 男のヒトの大きな手が、腕を掴んでいた。海水に体温を奪われているはずなのに火に焙られているような熱を――ものすごい力を感じる。

 

「  」

 

 バサラの口から、呻き声のような音が漏れる。

 水に濡れたその頭が重々しく上がる。苦悶に歪んだ面持ちの中、際立つ真っ直ぐな眼差しが突き刺さる。目と目を通じて、核心を突かれる。

 

「撃つんじゃねぇ……」

 

 叱られた気がした。

 

「俺の、サウンドは……お前に、も……――――」

 

 だけど、その腕は力なくしなだれていく。

 その叱責は、たぶん自分に向けられたものじゃない。その眼差しは遠い誰かを見つめているように思えたけれど―――その言葉は、これから自分がやらなくちゃならないことに必要なものだと、心の底から思えたから。

 

「はい……。私も、そのつもりです」

 

 私らしく。

 私のままでとは、そういうことだから。

 

 だから、バサラの手を掴む。固く握る。

 泣きそうな顔をして逃げてしまった黄色い彼女を想いながら。強く握り締めてから、その手を浜辺にそっと下ろす。

 

「クロノくん」

 

 立ち上がって、クロノに向き合う。

 

「私、その覚悟は持てません。でも、フェイトちゃんに会いたい。着いていきたい」

 

 結局、なのはにできることは真っ直ぐに伝える事だけなのだから。

 クロノはやはり渋い顔を見せて、たぶん愚痴混じりの反論を言葉にしようとして唇を開いた、その途端だった。

 

 クロノのデバイスが甲高い警報を発して「すまない、アースラから緊急通信だ」と通信を開く。表示された立体ディスプレイにリンディが映し出される。これまでの柔らかい雰囲気とは一変しての厳めしい面持ち。

 

『クロノ執務官』

 

 気が重くなるほどに引き締まったその声を耳にして。

 クロノの肩が強張ったのを目にして、なのはは息を呑まずにはいられなかった。

 

『プレシアの本拠地の次元座標と、その真の目的が判明したわ』

 

 そして、語りだされたのはつい十数分前の出来事。直接コンタクトを取ることに成功したプレシア・テスタロッサが語ったその真意であった。

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 その現象を目の当たりにして、プレシアは体の芯からの震えを自覚する。

 第97管理外世界の観測モニターに映るのは波と嵐の暴走体。ギターを奏でて喉を震わせる人間でないもの、感情を持つはずのない知性なき集合体――――そのはずだった。

 

「在り得ない……!」

 

 その核たるジュエルシードに対して、プレシアは理論の及ばない現実に声を絞り出す。

 

 ジュエルシードの機械的な特性が、喜びを露わにする嵐の暴走には適用できない事に。

 ジュエルシード発動に伴う外界への物理的な干渉、即ち内包するエネルギーを際限なく放出する特性の結果である“破壊行動”が一切観測できない事に対して、プレシアは慄いたのだ。

 

「ジュエルシードが、人間の情緒を理解したとでもいうのっ……!?」

 

 エネルギーの放出に歯止めが効くということは、ストッパーとなるプログラムを得たという事。ジュエルシードにはそのようなプログラムは内在しない。願望や要求といった外部からの入力も受け付けない。

 

 だからプレシアは特性の変化を理解する。

 人間の願望を指向性とするジュエルシードが、そのエネルギーの使い道(・・・)に感情というストッパーを取り込んだという事を。言うなれば人間の思考と感情を汲んで、正しく望みを叶えようと力を使っているという現象を理解する。

 だからこそプレシアは戦慄し、心を乱した。

 

「このままでは、私の望みは叶わない……」

 

 人間の思考や感情という不純を取り込んだエネルギーでは駄目なのだ。人間の想像力の範疇に収まっていては駄目なのだ。あらゆるしがらみを振り切って、在り得なかった未来へと到達できる奇跡が必要なのに……。

 手の中に掴みかけた希望が砂のように零れ落ちていく。嵐の暴走体が身を振るたびに、ギターを弾く素振りを見せる度に、体を蝕む毒が動悸を加速する。自らの打ち立てた理論が瓦解していく様に力を奪われるが、プレシアは歯を食いしばる。

 

「――――アレは、在ってはならない」

 

 プレシアは待機させていた次元跳躍魔法を起動する。本来であれば強襲を目的とした先制攻撃用に待機させていたプログラム。その着弾座標を海岸沿いに待機するアルフとフェレットから嵐の暴走体へと変更する。

 

「私の望みは、奪わせない」

 

 わからないのならば、わからせなければならない、と。

 プレシアは鞭を叩きつける勢いでコンソールを操作する。

 

 人間の観測の及ばぬ虚数空間、その狭間に隠れた別次元へと到達することのできる純粋なエネルギー源。その特性を失うことなど許されない。単なるプログラムの塊でしかないロストロギアは、私の望む存在でなければならない、と。プレシアは一心にコンソールを叩き、現地上空に魔法陣を展開する。

 

 

 

―――――やめろっ! 

 

 

 

 しかし、リンカーコアに干渉する雑音が指先を鈍らせる。

 思念通話に似ているが、それとは異なる音の響き。

 ミュージックを伴うその声は、覚えがあった。

 

「いつぞやの四流ミュージシャンが、どうしてっ……」

 

 観測モニターの向こう側、嵐の暴走体の足元から見上げてくる男と視線が交差する。そのような事があり得るわけがないと理解していながらも、そうであるかのような感覚が心臓に突き刺さる。

 

<撃つんじゃねぇ。こいつらは、アンタの事をわかってくれているぜ>

「だというのなら、なぜジェルシードの特性が変わるっ。なぜ私の思うようにならない!」

 

 計画の核となるその特性が、土壇場に来てどうして失われるのか、と。どうして思うようにならないのか、と。プレシアは着弾座標を指さす。

 魔法陣に対してリアクションを示さない嵐の暴走体を睨む。

 

<わからねぇのか、こいつらにはハートがある>

 

 その直下に位置する男。声でも思念通話とも異なる波動で語り掛けるその男を、睨みつける。

 

<コイツは俺の歌を聴いた、アンタの声だって訊いてる>

「己の感傷ばかりを語るものではないっ」

<わかるはずだぜ。コイツらはその苛立ちをわかってくれている。アンタの事をわかってくれているんだぜ、おばさん>

「一時の逢瀬だけで知った風な口を利くなっ。誰が私の辛さを理解できるッ、我が子を失った苦しみを誰が理解できるというのかッ!」

<だったら、アイツの声はなんなんだよ>

 

 

 

――――母さま。

 

 

 

 小さく。

 怯えきった幼い声が胸に反響する。

 

「なぜ、アリシアの声を聴かせる……!」

 

 それは紛うことなき娘の声。 

 次いで警告音と共にモニターに現れたのは、記憶に残るアリシアの姿――――その静止画。公園で転んでしまったアリシアの泣き顔。ケーキを頬張るアリシアの惚け顔。庭先で蝶と戯れるアリシアの微笑み。アルバムにしまい込んでいた写真の数々が、連続する警告音と共に視界を埋めつくす。

 

 視界の隅には、青白く発光する9つの宝石。

 フェイトが収集したジュエルシードの全て……。

 

「なぜ、思い出を見せつけるっ……。なぜアリシアを見せつけるッ、ジュエルシードッ!」

 

 まるで意志ある者のように。

 語り掛けてくるようにリンカーコアに干渉する魔力波動から、プレシアは胸を掻き毟る。かつての喪失感を突き付け、もう一度取り戻すことのできる希望を見せながらも、それが手に入らないとでもいうように感情を逆撫でるその感覚……。

 

 そして、警告音が止むと同時に、脳裏に突き付けられたのは――――高町なのはと向き合い、消沈したように暗い表情を浮かべるフェイトの姿……。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「なぜ、その姿を私に見せるの……?」

<わかるはずだぜ>

 

 鐘を打ったような男の声が耳に通る。

 

 わからない。

 掻き毟る胸の奥に燻るその感覚が何を指し示すのか。脳裏に過ぎった紛い物の姿が何を意味するのか。ジュエルシードが何を齎したのか、私は何をすべきなのか、と。プレシアは唇をかみしめる。

 わかりたくもない。

 ジュエルシードが見せつける現象が何を指し示すのか。アルバムを見せつけて、記憶に残る声だけを再生してみせて何を理解させようというのか、私に何をわからせようというのか、と。

 プレシアは瞳を閉じる。

 

<わからねぇのなら、もう一度聴かせてやるぜ>

 

 得意気な男の顔が脳裏に浮かぶ。

 幼稚で、飾り気がなく、不遜で、無邪気な笑み。かつてのロンリーライブで娘の幻を垣間見せたサウンドを奏でた男。一時の夢を与えてくれたそのミュージックを思い出す。

 

 思い出して、冷静に瞼を開く。

 

「――――……要らないわ」

 

 欲しいモノは一時の夢ではないのだから、と。プレシアは観測モニターに映る嵐の暴走体を睨みつける。こんな現象は必要ないと、プレシアは展開していた魔法プログラムを再動させる。

 

「前に言ったはずよ。娘の為に、って……」

 

 リンカーコアから吸い上げた魔力が、紫の光を伴って足元に魔法陣を形成する。脳が急浮上するような眩暈がする、肺が焼け付く痛みが生じるけれど止めるつもりはない。

 

『Thunder Rage.Occurs of DimensionJumped. 』

 

 デバイスが魔法の始動を知らせる。

 脊髄を引き抜かれる程の激痛を伴って、次元跳躍式広域攻撃魔法《サンダーレイジO.D.J》が始動する。照射開始までは二十二秒。プレシアは食道にこみ上げる熱を飲み込んで、その間に計画の修正を急ぐ。

 

 当初の計画ではフェイトとアルフを囮として、ジェルシードを動力源とする三機の傀儡兵による奪取作戦を敢行するつもりでいた。

 次元跳躍魔法によって補助魔法に長けたフェレットを排除しつつ時空管理局の目を眩ませる。直後、傀儡兵によってカード型デバイスを回収、フェイトとアルフを殿(しんがり)として現地に残し、傀儡兵は電子戦機能をフル稼働、敵の探知と追跡を振り切って《時の庭園》へと帰還させる。

 そういう計画だった。

 

 しかし初動の変更に伴い、段取りを組み替えねばならなくなった。

 転移魔法を起動し、最も戦闘力に優れたジュエルシード搭載型傀儡兵を現地に投入。次元跳躍魔法はフェレットへと攻撃目標を設定しつつ、アルフに強奪と後退の指令を下す。

 加えてアルフの追跡に来るであろう敵武装隊に対処する必要がある、と。フェイトに指令を下す。声に苛立ちが現れないよう、苦痛が漏れないように努めて柔らかく思念通話を繋ぐ。

 

『フェイト、退がりなさい』

 

 アルフの護衛をして帰還するように。

 そういう意図を込めて指令を下した直後、現地上空の魔法陣がその光を一層強め、次元を超えた広域攻撃魔法が照射される。

 

『俺の歌を――――――』

 

 紫電が無数の帯となって海岸一帯――――抵抗を示さない嵐の暴走体、その足元で囀る耳障りなメロディーを奏でる男へと降り注ぐ。

 

「……貴方のミュージックは、私の肌に合わないわ」

 

 紫の光が、嵐の暴走体を塵に変えていく。その足元にいる男を飲み込んだのを視認して、プレシアはやっと椅子に腰を落とす事ができた。

 

「――――……ふぅ」

 

 動悸と眩暈が収まらない。

 定まらない視界の中。手を這わせてようやく掴み取った薬瓶から錠剤を振り出し、乱暴に口に入れる。飲み込み、背もたれに体を預けて一息着くことができる。

 そのはずだった。

 

「今度は、なによ……」

 

 モニターに現れた警告ポップアップに身を起こす。

 次元の海に張り巡らせた警戒網が次元間通信を探知する。それは周波数を制限しない無差別通信。プレシアはその発信者におおよその辺りをつけてから音声のみを拾い出す。

 

『こちらは時空管理局、次元航行艦船アースラ艦長のリンディ・ハラオウン。プレシア・テスタロッサ、第97管理外世界にて貴女の魔力波動を感知しました。この声が届いているのならば応答願います』

「やはり管理局か。浅はかね……」

 

 応答すれば逆探知でもかけようというのだろうが、無駄な労力だとプレシアは乱れた髪を掻き上げる。そのあたりの対策は万全であるし、逆にクラッキングをかけるリソースもある。故にプレシアは息を整え、フェイト逃走の手助けの為にも回線を開く。

 

「ごきげんよう、時空管理局……。随分と若い艦長さんね」

『ごきげんよう、プレシア・テスタロッサさん。声だけで判断されない方がよろしいかと、これでも一児の母ですから』

 

 それがなんらかの当てつけを含んだもののように思え、プレシアは鼻を鳴らす。

 

「それで、よもや我が子の自慢話をしようというわけでもないでしょう?」

『無論です、プレシア・テスタロッサ。貴女をジュエルシード移送船の墜落に端を発する第97管理外世界におけるロストロギア事件最重要容疑者、及び管理外世界における大魔法行使の現行犯として拘束します。投降するのならば、貴女の弁護の権利を最大限尊重することをお約束します」

「次元世界間への無差別発信をしておいてどの口が言える。我が方の次元座標の割り出しに苦戦しているくせに……。ねぇ、エリート部隊?」

『時間の問題です』

 

 それが強がりではないことは、プレシアにはわかっていた。

 

「……そうでしょうね。通信の逆探知対策が万全とはいえ、直にフェイトはジュエルシードを持ち帰る。残念ながら不出来なあの子には、貴女方の用意した発信機(デバイス)を無力化する術がない」

『なればこそ、よくお考え下さい。これからの身の振り方を、フェイトさんの為にも』

「情に訴えようとしても無駄よ、アレは私とは何の関係もない」

『……あの子は、貴女の為に戦っていると見受けられますが、どうとも思っていらしゃらない、と?」

「フフッ、実に的外れね」

 

 リンディ・ハラオウンの声には確証が持てない、そんなことがあるわけがないという疑念が込められていた。その懸念が、どうとも思っていない偽物に向けられているものだから、疲弊した神経をくすぐりまさぐられたようなむず痒さにプレシアは笑う。

 

「なんだったら、ジュエルシードを持ち帰った後でそちらに引き渡しても構わないけれど、どうかしら?」

『……貴女の事を、母と慕っている娘ですよ?』

「だからなんだというの。私は、私の望みが叶えば他は必要ない」

『願いを叶える石といえども、死者が蘇ることは在り得ません』

 

 途端、プレシアの心臓が跳ねる。明らかな確信を以って放たれた一言に「なぜ……」と返すのが精いっぱいで。なにかを躊躇するような間をおいて、リンディ・ハラオウンは言葉を紡いだ。

 

『失踪直前までの貴女の研究記録からおおよその察しはついていましたが……。確信したのはつい先ほどの事。貴女の願いを受けたジュエルシードが、アリシア・テスタロッサの記録を見せたことです』

「…………石ころ風情が、余計な事をする」

『母親としての悲しみ、愛する人にもう一度会いたいというお気持ちは痛いほどわかります』

 

 誰にも打ち明けたことのない願いを突き付けてきた女――リンディ・ハラオウンは静かに語る

 

『ですが、それは叶わないのです。死んだ人間は戻らない、それが道理というものです。……技術局長をも務めた貴女ならば、ジュエルシードの特性は理解しているはずです。ジュエルシードに死者の蘇生を願ったとしても、それがまともな結果を齎すわけがないとご存じのはずです。貴女が――――フェイトさんだって、これ以上法の秩序に逆らう理由なんてどこにもないんですよ』

「――――――ハッ」

 

 だが、結局は何も理解していない、と。

 喉の奥から漏れ出る笑いをひとしきり吐き出した後でプレシアは「失敬」と口元を覆う。

 

「そこまでわかっていながら、なぜその先を考えない。なぜ思考を止めた、なぜ諦めるっ。我が子を今一度抱きしめる事を、どうして諦められようとうのかッ!」

『ですが、貴女は娘の再生に失敗したっ。新しい命を生み出して、その娘さんに意味のない特攻を強いている。ジュエルシードに対して、できもしない望みを見出しているのが現実でしょう?』

「フフフ……。ご察しの通り、ジュエルシードに願ったとて死者は蘇らない。失われた時は戻らないわ。それが道理、それが真実よ……」

『何を――――』

「だけど、あるのよ(・・・・)。ジュエルシードにしかできない事。純粋なエネルギーならば到達できる世界があるのよッ!」

 

 人間が観測不可能な世界。実在すら朧気であろうとも、人間の想像力に制約されることのないエネルギーならば到達できる現代技術の未踏の領域。

 

「道理を捻じ曲げ、時を支配し、死と生の境目さえも意のままに操ることのできる技術があるのよッ!」

 

 失われた未来を取り戻すことのできる超技術。人間に不可能な――――神秘に彩られた真の魔法を保有する超世界。

 

 

 

 

「アルハザードにはそれがあるのよッ!」

 

 

 

 

 そこに辿り着く為ならば、どのような障害も排除してみせよう、と。

 プレシアは再び次元跳躍魔法を起動する。

 

 

 

 

 口の中は、血の味で満たされた。

 

 

 

 

 

 

 

 室内に入ってきたのは、今にも消えそうな足音だった。

 全身に力が入らない。痛みを通り越し、熱に浮かされる体を椅子に預けたまま、プレシアは母親の声をつくる。

 

「おかえりなさい、フェイト……」

 

 しかし、返事はない。

 日頃、挨拶はちゃんとできる子なのに、と。プレシアは「どうしたの?」と室内に目を向けると、フェイトは照明を避けるように、誰の目にもつかないよう扉の傍で肩を丸めていた。

 

「母さん、ごめんなさい……。私……――――」

「どうしたの、フェイト。そんな隅に縮こまって……。さぁ、こっちへいらっしゃい」

 

 暗い表情に光が差したように目を丸くして、けれどビクビクとした色が抜けないままにフェイトは歩き出した。何か悪いことをしたとでも勘違いしているのだろうと、プレシアは「しょうがない子ね」と体を起こすけれど――――足音は、また止まってしまった。

 プレシアはふぅと息を吐き、ぐっと力を溜めてから腰を上げて、立ち竦むフェイトの傍に寄る。

 

「よくやったわ、フェイト。母さん、ちゃんと見ていたのよ。貴女が頑張ったところ、貴女の気持ちを私は見ていたのよ」

 

 プレシアはそっとフェイトの肩を撫でる。

 氷のように冷えた肩。雨に打たれたからというわけではないだろう。昔から(・・・)、この子は怖いことがあるとすぐ体が冷えてしまうから、と。プレシアはその肩を抱き寄せる。自らの体温で温めるように、包むこむように引き寄せる。

 

「でも……。でも、母さん! 私は―――――」

「何も言わなくていいのよ。大丈夫だから」

 

 体を包んであげるだけで、昔から(・・・)この子は安心してくれていたのだから、と。フェイトの震えが小さくなっていくのを感じて、プレシアはメインモニターに目を向ける。

 

「直に、時空管理局が乗り込んでくるわ」

 

 コンピュータの立体ディスプレイに怒涛の勢いで浮かび続ける赤い警告ポップアップの数々……。それは次元航行部隊所属、次元航行艦船からの電子攻撃(クラッキング)への対処結果、≪時の庭園≫へのあらゆる侵入、干渉を防ぐ重層式次元プロテクトが徐々に蝕まれていることを示していた。

 

 プレシアは、フェイトが両手に握るカード型ストレージデバイス――――高町なのはが収集したジュエルシードを格納した発信機をそっと手に取る。これが≪時の庭園≫内部へ持ち込まれた時点で確定してしまった、避けようのない敵の侵攻。自らが望む未来を阻む最後の障害……。

 

 それは打破しなければならない、と。

 

 プレシアはフェイトの両肩に手を置いて正面から見据える。そのリンカーコアから感ぜられる力はまだ残っている。体温は低く気力も満足ではないが、即効性の強壮剤を摂取させれば持つ(・・)だろう。

 だからこそ、プレシアは打算を以って口を開く。

 

「フェイト、お願い。私を守って」

 

 まるで腕の中から逃げるように。

 フェイトの大きく肩が震えた。

 

「母さん、でも……私、高町なのはに――――……できなかったから」

 

 一対一の対決において。

 フェイトが無様を晒したのを、プレシアはリアルタイムで観察していた。高町なのははその不調を理解していたからか後半は回避に専念し、フェイトの自滅を狙っていたようにも思える。

 シミュレータで勝利のイメージを植え付けたつもりだったけれど、結果には結びつかなかった。入念なトレーニングが返って自信の喪失に繋がったのだろうと分析して、プレシアはそのケアを実行する。

 

 纏まらない心境を言葉にしようとでもいうのか、あるいは怒られると思い言い訳を考えていたのか。フェイトは顔を上げて、何かを言い淀んでから顔を伏せ、動悸じみた呼吸を繰り返していた。

 

 だから、プレシアはもう一度抱きしめる。

 フェイトの細い体を、強く抱きしめる。

 

「自信を持っていいのよ。貴女は凄い子だもの……。私が産んだ、私の子だもの。だから大丈夫……。今度こそ、アイツらを殺せるわ」

 

 どうせここに捨て去る存在だ。最後にこのぐらいのサービスはしてやってもいいだろう、と。プレシアは胸に靄がかかったような息苦しさを覚えたがそれを押し殺し、実の娘に向けるものと同じように、フェイトの耳元に唇を付ける。

 親愛のキス。

 家族への愛情の証立てを演じてみせて、プレシアは言葉を添える。

 

 

 

 

「フェイト。愛しているわ」

 

 

 

 

 途端、胸中に広がったのは生温い嫌悪の情、臓物に汚泥を詰め込まれたような異物感だった。

 どこか色褪せた面持ちを覗かせるフェイトを見やり、鈍痛に変わったその感覚は病魔のせいに違いないと飲み込んで。

 

 プレシアはフェイトの背中を押した。

 

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