魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
「母さんは、いつも笑っていたよ」
《時の庭園》に充満するジュエルシードの波動すら届くことのない、
「記憶の中のどんな場面でも、母さんはいつも微笑んでいた。私にはいつも暖かい微笑みをくれて、お仕事で大変な時も弱いところなんて見せなくて……。私が怖がっているときなんかは、どんな時でも一緒にいてくれたんだよ」
ひょっとして、夜中に目が覚めちゃった時とか? なんて。
幼いフェイトちゃんが暗がりに震える姿を当てずっぽうに想像してみる。モデルさんのように大人びいた今の姿からは連想しにくいのだけれど、目に涙を溜めてお母さんに縋り付く姿はなんだか簡単に想像できてしまって。くすりと声を漏らしてしまうと、フェイトちゃんは困ったふうに眉を顰めた。
「……昔はホントに怖かったんだから、茶化さないでよ」
私は、思わずいつものように、にゃははと笑ってしまった。
でも、変なことじゃない。私は今もそうだよ、と。暗いところはひとりじゃ歩きたくない、ジェルシード探しで夜に出歩いていた時だって、ユーノくんが一緒じゃなきゃ怖かったもん、と。
そう言うと、フェイトちゃんもまたくすくすと口の中で笑った。
「私だけだと思ってた。……私も、今もまだ苦手なんだ。暗いところ」
みえっぱり。私がそう呟くと、フェイトちゃんは恥ずかし気に眉を顰めた。
「……でも、私は、母さんとじゃなきゃイヤだな。だって、私が震えてると母さんは抱きしめてくれるんだよ。『大丈夫だから』って、その言葉だけで私は安心できた。何も怖くなくなるの」
優しいヒトだったんだね、お母さん。
この言葉に、フェイトちゃんは飲み込むように頷いた。
「うん。すごく――――本当に、優しい母さんだったよ」
まるで宝物を抱くように胸の前で握られた両手、羽毛に包まれたような安らかな面持ち。声に秘められた澄んだ音色もまた、その本心を感じさせる。
大好きだったんだね、お母さんの事。
するとフェイトちゃんは小さく、噛み締めるように深く頷いた。
「うん。本当に、大好きだったよ…………」
頷いて、もう一度小さく頷いて。
一文字に結ばれた唇に、震えが見て取れて。
「――――……最近の母さんはね、その…………」
何か、形にしてはならないものを言葉にする事を躊躇うように。考えるようにみせかけて、顔色を伺うように俯いたフェイトちゃんに対して、私は頷いてみせる。
大丈夫。ここなら誰にも聞かれないし、誰かに言うつもりはないよ。ホントのことを話して、と。二人っきりの空間で、フェイトちゃんの言葉を待つ。
するとフェイトちゃんの視線が俯きがちに上がる。
目が合う。
とても弱気に縮こまった瞳だけど、そこに意地は無い。さっきまでのように、気持ちを頭で否定する蓋のような濁りは見当たらず、遮るものはどこにもないから、私はもう一度頷く。
すると、フェイトちゃんは息を吐いた。
「――――――母さんは、よく怒るんだ」
吐息に紛れるように小さな声で、吐きだされたのは怯えと悲しみだった。
「戦い方がなっちゃいない、とか。食事ならひとりでいいでしょ、とか。用もないのに来るんじゃない、とか。ひっぱたいたぐらいで泣くんじゃない、とか。……言うことをきけない子なんていらない、とか」
震えながらも、吐き出されたのは本心だった。
「だから怒られないように頑張ったんだよ。リニスから教わった戦い方だって、細かいところを自分なりにアレンジして、練習して……。普段の生活だって、できるだけ母さんの目につかないようにして、甘えないように、言いつけ通りにやってきたんだよ……」
耐え忍ぶ辛さはよくわかるから、頑張ったんだよね、と。私が口に出した言葉に、フェイトちゃんは頷いた。
「なのに、母さんは叩くんだ……。いけない子だって鞭で叩くんだよ。昔はそんなこと無かったのに、怒ってもぶつことなんてなかったのに……」
痛かった、よね……?
フェイトちゃんは頷いた。まるで偽りを暴かれた様に恐る恐る頷いて、腕に刻まれていた目を覆いたくなるような青あざをそっと撫でたけれど、小さく首を横に振った。
「でも、我慢できたよ。痛いだけだから辛くはなかった」
そうだね。痛いことや疲れることは、我慢できる。体の感覚なんてどうとでも誤魔化せちゃうもん……。私が口にした言葉に、目を伏せながらもフェイトちゃんは「うん」と頷いた。
「辛かったのは、母さんにイヤな思いをさせちゃったこと」
うずくまるように肩を丸めたフェイトちゃんの姿は、孤独の極寒に震えているようにも思えて。私は直感する。きっと、フェイトちゃんが抱いたのは、見放されるという恐れ。“お母さんに嫌われちゃう”という恐怖心なのだと、自分の事のように理解できた……。
「記憶の中の優しい母さんがどこかにいっちゃったから、もう戻ってこないと思って……。だから、少しでもイヤな思いをさせたくなかったのに――――それがものすごく辛かった。我慢ならなかったんだ……」
その気持ち、よくわかるよ。
「わかる……?」
私も、一緒だったから。
昔みたいに家族一緒になれると信じて。お母さんに、お兄ちゃんに、お姉ちゃんにも甘ちゃダメなんだって思ってた。そうしなきゃ、たぶん、何もかもがうまくいくなんて、思えなかったから……。
「そう、だね。……私、上手くやらなきゃいけないと思った。母さんの望む私でいなくちゃいけないと思って、そうでなければ夢の世界に帰れないと思って、現実の母さんが望んだ自分になった――――……なったつもりだった」
幼いころの私もそうだった。
頭の中でつくった未来、妄想の世界を望んで、私は“私”を捨てた。誰かに迷惑をかけることのない“いい子”になった。強くて、ひとりでなんでもできる私になった――――……つもりになった。
「……でも、できなかった」
うん、なりきれなかった。
辛い時間に終わりが来るように思えなくなっちゃって、私は理想の強い自分になれないんだってわかっちゃったから。ホントの私を見てくれるヒトがいなくなっちゃって、体に力が入らなくなって、気持ちまでもがどこかに行っちゃったみたいに何も感じられなくなっちゃって……。
「私は、母さんの望む“強い私”になれなかった。もう一人の私――――“記憶の中の私”にもなれなかった……。だから、もうどうだっていいの……。私と母さんの繋がりは消えた。私の世界はここで終わり……」
涙すら流れない失意の暗がり。夕暮れの先に行きついたように力なく項垂れるフェイトちゃんに、私は寄り添う。これから質問する事は、すごく意地悪で、とんでもなく酷いことだと思ったけれど、私は尋ねた。
お母さんの事、嫌いになっちゃったの?
途端、フェイトちゃんの感情が大きく波打った。それは真っ赤な情動、怒りの発露。フェイトちゃんは私を払い除けて、必死の形相を浮かべた。
「そんなことないっ!」
身を乗り出して、涙を振り撒いたフェイトちゃんの姿が、胸に突き刺さる。同時に、そこまでホンキになれるフェイトちゃんの本心が心で理解できる。
「私は、母さんが好きっ!」
それが、例え世界がひっくり返ろうとも覆らないフェイトちゃんの本心なんだと理解できるけれど、私はその先に踏み込まなきゃいけない、訊かなきゃいけないと踏みとどまる。
じゃあ、どうして終わりだなんて言うの、と。
フェイトちゃんは言葉に詰まった。また、言葉を選ぶように。だけど今度は顔色をうかがう様子はないままに、少しばかりの沈黙を経て、フェイトちゃんは俯いた。
「――――……母さんが、私の事を好きじゃなくなったから」
お母さんの望む結果を得られなかったから。お母さんの言いつけ通りにできなかったから、嫌われた。好かれなくなったんだと、フェイトちゃんは涙を流した。
だけど、私にはそうは思えなかった。そんなちっぽけなことで、フェイトちゃんのお母さんが心変わりをするなんて到底思えなくて、そんなことないと私ははっきり言葉にする。
「あるんだよっ!」
でも、フェイトちゃんの絶叫は震えていた。
「記憶の中の母さんは笑っていた、私を愛してくれていた……。だから、私は母さんの力になりたくって頑張ったんだよ……」
そうであって欲しくない、でもそれが事実なんだと言い放たねばならない悲しみが声の震えとして表れているようだった。
「でも私はアナタに敗けた、倒せなかったっ! 母さんが愛してくれる最後のチャンスを掴めなかったからっ……。私は、もう終わり……。もう、頑張る必要がなくなったの…………」
ボロボロと涙を零しながら、どうにもならないという嗚咽に息を乱しながら。フェイトちゃんは言い切って、やっぱり顔を伏せた。私はその小さな肩を抱いて、そんなことないと声をかけてみるけれど。
「――――……そんなこと、あるんだよ」
フェイトちゃんは、顔を上げなかった。
もう何を話しても現実は変わらない、意味はないと項垂れていた。もう何を訴えても誰にも聞いてもらえないと悲壮に暮れるその姿が、過去の私と重なって――――だからこそ、声をかける。
そんなことない。まだ、できることはあるんだよ、と。
「なにもないよ。私にはもう戦う力が残っていない、体が動かないの……。リンカーコアのあたりがすっぽり抜け落ちちゃったの……! 私に、できることなんて……もう……」
――――お母さんに、ホントの気持ちを話してあげて。
私がそう踏み出すと、フェイトちゃんは恐る恐る顔を上げた。
それは、これまでのフェイトちゃんがやらなかったこと、“こわい”という恐怖心からできなかったこと。そして、今のフェイトちゃんがやらなければならないこと、これからのフェイトちゃんに必要なものだと心の底から思えたから、私は真っ直ぐにフェイトちゃんを見つめる。
「そんなことして。それで、母さんにホントに嫌われちゃったら……」
嫌われないよ。
そう私は手を差し伸べるけれど。
「無責任言わないでっ!」
フェイトちゃんは私の手を払いのけた。
弱気に染まり、失意に濁った瞳に揺らめきが見て取れる。私の言葉がウソかホントか判断がつかない、希望があるのか絶望しかないのかの間で揺らめいているように思えて。
だから、私はまた言葉にする。
絶対に嫌われない、大丈夫だよ、と。
手を伸ばして、また払われる。
「
わからない――――。
それが、フェイトちゃんの言う“こわさ”の源だと。そうまで動けなくなってしまった原因なんだと、今ならわかる。私と同じだったから理解できてしまう……。
「私、母さんに見放されたくないっ! これ以上嫌われたくないッ……」
今より悪くなるという想像。望んだ将来に繋がらない妄想。頭の中で膨らむ不安が、得体の知れない“こわさ”になって。こわさが体中に広がって、震えに変わって、動けなくなる……。その感覚が、私にはよくわかるから。
大丈夫だから、
「だって、母さんは私の事…………」
大丈夫、と。考えなしに言ってるわけじゃなくて。心の底からの信頼をもって、ぎゅっとその手を握り締める。冷たい手を温めて、震えが次第に小さくなっていくのを感じて。
「―――――……なんで、そんなふうに」
こんなふうに言い切ることができる理由。その答えは、フェイトちゃん自身を見ればわかるよ。フェイトちゃんが感じたことを、私も感じたから、確信をもって言える。
<だって、フェイトちゃんのお母さんなんだよ>
フェイトちゃんが、嬉しそうに話すヒト。フェイトちゃんを、好きでいてくれたヒト。フェイトちゃんが、今でも好きでいるヒトなら、絶対に大丈夫だから――――。
<お母さんの事、信じてあげて>
ホントの気持ちを吐き出したって大丈夫。迷惑だなんて思われない、嫌われたりしない。だから、
「でも……! でも―――――」
でも、踏み出せない。踏み出す勇気が持てない、わからない未来に進んでいくことが不安なんだって事も、よくわかる。
たぶん、私たちはそんなに強くないから。
そんなに強く、逞しく、勇ましく、ひたすら前だけを見て進んでいけるわけじゃないから。迷って、悲しんで、苦しくって、落ち込んで、転んだら立ち上がれなくなる時だってある弱い生き物だから。
<レッツゴー つきぬけようぜ>
だから、とっておきの魔法を口ずさむ。言葉だけじゃ伝わらない、ぶつかるばかりじゃ届かないから。気持ちを込めて、喉を震わせて、リズムに体を揺する。
フェイトちゃんは目を丸くしていた。ぽかんと口を開いて、ぺたりと今にも尻もちをついてしまいそうな顔をしていたけど、私はもうこの手を離さない。フェイトちゃんのハートから、もう目を逸らさない。
<夢で見た夜明けへ>
幼い私がされた事のように、独りじゃないと伝える為に。もう一度立ち上がる力を伝える為に歌う。この歌は、きっとフェイトちゃんも知っていると直感できるから。フェイトちゃんに視線を送ってその先を促すと、戸惑いながらも小さい体はリズムを刻んでいた。
「……〈まだまだ とおいけど〉?」
ぎこちないけど。
メロディーに乗ったガラスのような歌声が、ちゃんと聞こえた。こわがりながらも踏み出したはじめの一歩が、ほのかな微笑みに変わったから。
<メイビー>
「〈どーにかなる、から〉」
踏み出せたのなら、後は一人でも歩いて行ける。暖かい
「<愛があれば いつだって>」
ホントの気持ちを偽らないで。
お母さんを、信じてあげて。