魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~ 作:どめすと
それが叶わぬ願いである事、人間の手に余る過ぎたる願いであるという現実をプレシアが突き付けられたのは、僅か数年前。人造生命創造プロジェクトの完成体が目覚めたその時であった。
アリシアの死後、プレシアは技術開発局に秘蔵されていた研究データを入手し、管理局から除籍されるまでの僅かな期間の内に、技術局の最新設備とミッドチルダ指折りの人材を利用して基礎理論の充足を図った。除籍後はそれらを基に理論を完成・発展させ、気が遠くなるほどの試行錯誤の果てに、その理論上最適値を実現した素体の生成に成功した。
培養槽に漂う少女の造形も、バイタルサインを含めた各種身体機能も、記憶を転写した脳神経の活動シグナルも。そのどれもが5歳当時の娘を寸分の狂いなく再現していた。
――――母さま。
幻聴を覚えるほどに、プレシアはその素体が向日葵の蕾であることを確信していた。培養槽から取り上げた素体の重み、触れ合った温もり、漏れ出る吐息を肌で感じれば、疑いようがなかった。
プレシアは嬉々として素体を抱きかかえてアリシアの寝室を目指した。
途絶えた時間をもう一度始める為に、かつてアリシアが生活した空間を再現したその一室。晴天を彷彿とさせる天井と壁面、当時の流行のキャラクターがプリントされた小ぢんまりしたテーブル。そしてアリシアが愛用した寝具を揃えたベッドの上に素体を横たえ――――開花の時を迎えた。
無垢な瞳が開かれる。
穢れを知らぬ透明な眼差し、かつて自身に向けられたものと同質のそれに、プレシアは歓喜に震えた。あらゆる不義は過去のものとなり、これまでに捧げた犠牲は報われ、失われた至福の時間が取り戻されたのだという感慨に涙さえ流した。
「母、さん……?」
だが、目覚めのその一言は絶望の宣告に他ならなかった。
そこに咲いたのは向日葵の眩さを欠片も宿していない別種、道端に転がる目にも止まらぬ草花となんら変わらないもの。それはアリシアの声を模し、アリシアと記憶を共有しているはずなのに、アリシアの想念を欠片も宿すことのない空虚な器。見紛う事なき贋作でしかないことを、プレシアは即座に理解してしまったのだ。
失敗作。
プレシアは製造過程に理論の欠陥を疑い、その後も試行錯誤を続け幾多の素体を生み出すが、自らが正と断じた理論から逸脱したそれらが目覚めることは一度としてなかった。それはとりもなおさず《PROJECT F.A.T.E.》によって導き出された理論を補強するデータとなり、その繰り返しによってプレシアは証明してしまったのだ。理解してしまったのだ。
人造生命創造プロジェクトは無為に終わったのだと。
新たな生命を生み出し、
プレシアは奈落の絶望に襲われ《PROJECT F.A.T.E.》のあらゆるデータを廃棄した。こんなものに生涯を捧げたのかという憤り、慈悲の一片すらを惜しんだ現世への憎悪を込めて、あらゆる装置を叩き壊し、目覚めることのない失敗作、ただ娘の造形を模しただけの肉の塊を徹底的に捨て去った。廃棄したのだ。
「母さん」
ただ、ひとつの例外を除いて。
プレシアは、唯一の成功体を処分する事はなかった。
それはなぜか。
忌み嫌うべき紛い物と蔑視していながら、フェイトを生かしたのはなぜか。言葉を交わすどころか同じ空気を吸う事すら厭いながらも、フェイトを手元に置いていたのはなぜか。フェイトという自我を残し、フェイトに知性を許したのはなぜか。
プレシアは、その自覚を持たない。
――――――――――――――――
≪時の庭園≫を断続的な振動波が襲う。
空中を飛んでいるというのに、足元を失いかねない錯覚を催す空間の震え。リンカーコアが動悸を覚えるかの如く不穏を孕んだ魔力の波に、人間状態のユーノは込み上げる胃液を飲み込んで進み続ける。
「やはり、すぐにでも引き返しましょう。ユーノさん」
並走するアースラ所属のスタッフが冷や汗を拭う。
「ユーノさんは優れた魔導士ではありますが……。傷が塞がっただけで体調は万全ではないんです、治癒魔法は万能じゃないんですよ。なのはさんがご心配なのは理解しますが――――」
「バックアップぐらいはできます」
もちろん、強がりだという自覚はある。
魔力は温存したが酸欠気味でままならない頭と体では、飛行魔法の制御がやっとという状況。対して敵は、単機でAランク相当の出力を備えた傀儡兵。それが無数に配備された敵地であれば、万に一つの幸運が巡り、ひとつふたつの勝利を重ねることができたとしても生還は難しい……。
だが、そんな自分にもできることはある。やらなければならない事があるという使命感から、ユーノは覚束ない軌道のまま飛行する。
「なのはの帰り道ぐらいはつくらなくちゃ……」
ジュエルシードの波動は相乗的に強まっている。≪時の庭園≫に充満する魔力の総量からして、既に暴走体発現の必要量を大幅に上回っている。これが次元震発動の起爆剤に使われでもしたら――――その規模は計り知れない。
クロノの実力を疑っているわけではない。
けれどユーノには、ジュエルシードから溢れる魔力の余波によって何かが起こるという強い予感があった。ジュエルシードというロストロギアに長く触れてきたからこそ、このままで済むはずがないという確信が背中を押す。
「しかし、魔力の力場がこうも強いと……。我々の
ジュエルシードの波動は、反響に反響を重ね、≪時の庭園≫全域を覆う強力な力場を形成していた。力場を構成する魔力波動という磁力が、リンカーコアという磁針を狂わせる。その強度は、補助と感知の魔法に長けたユーノといえども、少し気を抜けば十数メートル後ろに追随するアースラスタッフの魔力反応を見失いかねない程に強力であった。
「戦闘の痕跡を追えばいいんです」
なればこそ頼りになるのは視覚的な情報しかない。通路に散在する傀儡兵の残骸や、天井や壁面に残る射撃や砲撃による崩落の痕跡を辿る。無論、なのはが通った道だという確証はないが、それでもなのはに追いつく為には前に進むしかない。
焦りが飛行速度を加速する。先駆者の打ち漏らした傀儡兵やら迎撃システムが残っているという危機感を押しのけて、ユーノはひたすらに前に進んでいくが、過ぎ去っていく景色の中に異色を視認する。
「――――……止まって!」
脇道から覗く向日葵のような黄色に対して、ユーノは即座に足を止める。アースラスタッフもまた背後にて急停止すると、彼は最大限の警戒心を以って杖を構えた。
「あれは……フェイト・テスタロッサ……!」
困惑と恐れを含んだアースラスタッフの声色。ユーノもまたそれに頷きかけたが、似てはいても同質ではない少女の色調に「いいえ」と臨戦態勢を解く。
頭の両脇に結った金色の髪の毛、こちらを見据える赤い瞳はフェイトに居ているが、あまりにも幼すぎる。これまでに相対してきた彼女と比べて、三つか四つは年齢的な差があるその姿から、ユーノは察する。
「アリシア・テスタロッサ、なのか」
「そんなことありえませんよっ、だって彼女はっ……!」
アースラスタッフは得体の知れないものを相手取ったように強張っているが、それだけの警戒心は必要ないのではと、ユーノは彼の杖を手で制する。アリシアの体を包む青白い発光は幽霊のような風味を醸し出していたが、そこに紛れた強力なジュエルシードの波長は誤魔化しきれない。
「あれは、ジュエルシードが造り出した模倣体です。どうやら、戦う意思はないようですが……」
アリシア・テスタロッサの模倣体はニコリと年相応に微笑むと、後ろ手を組み踵を翻して『こっちだよ』と光の粒となって細い通路の奥へと進んでいった。
ユーノはアースラスタッフと顔を見合わせる。彼は怪訝に眉を顰めて困惑を示しているようだったが、ユーノは頷くことで返答し、模倣体を追う為に飛行する。
導かれるまま通路を進んでいく。
照明はない上に、少しでも飛行魔法の制御を誤れば壁に接触しかねない窮屈な通路は、待ち伏せやトラップを仕掛けやすい地形だ。ユーノはそういった危険を考えはしたが、不安は覚えなかった。躊躇いはなかった。誰の願望が、どういった目的で生んだものかは想像するしかないが、あの純真無垢な色彩は禍々しいものとは到底思えなかったからだ。
時間にして三分もかからなかっただろう。先導する光の粒子が空気に溶けていくのと同時に、通路を抜けて開けた空間に出た。
「ここは、かなり酷い状態ですね……」
照明が切れた石の大広間に残るのは、激しい戦闘の痕跡だった。
壁面は至る所が崩れ、ぽっかりと開いた大穴から剥き出しになった次元空間は渦を巻いて荒れ狂う様相を見せている。かつては均一に研磨されていただろう石畳は、瓦礫と幾多の流れ弾によって、更には異様な静けさも相まって月面のような有様……。
もくもくと漂う土埃からして、今の今まで戦いがあったと判断できる、と。ユーノは瓦礫の下に傀儡兵の残骸がひとつも見当たらないことを確認し、アリシアの光が上空へと昇っていくのを目で追って――――見つける。
突き抜ける程に高い天井を見上げ、空中に佇む二つの人影を見つける。
「あれはっ――――!」
決着の瞬間を、目の当たりにする。
顔を突き合わせ、静止していた二つの色――――そのうちの白い人影が、沈むように首を垂れ、落下し始めた瞬間を目撃して、ユーノは加速をかける。
「なのはっ!!」
墜落してくるなのはの下へ滑り込むように飛び込み、落ちてきたその体を受け止める。落下の衝撃を魔法で緩和する。
ふわりと、軽い体重が手の中に落ちてきた。
「大丈夫かい、なのは!?」
「あっ……ユーノ、くん……?」
肺が絞られたように荒い呼吸、極寒に晒されたように震える体。頭からバケツをひっくり返されたようにずぶ濡れの――――脱水症状を引き起こしかねない汗に濡れたなのは、そのリンカーコアから感ぜられる魔力も見る影がない。
魔力欠乏状態。なのはが纏うバリアジャケットは辛うじて維持されているが、レイジングハートを杖形態に保つ程度の力も残っていないのだろう。待機状態のレイジングハートが床に転がっていた。
なのはが消衰し切る程の激闘を演じた相手。
遥か上方にて息を殺す黒い影。なのはが追い続けた魔導士は、身に纏った黒いマントを翻し、微弱な魔力を振り絞り今まさにこの場から飛び去ろうとしていたものだから。ユーノは怒りのままにレイジングハートを手に取る。
「フェイト! お前はッ!」
『Chain Bind.setup』
跳躍すべく脚を溜め、フェイトを討つべくレイジングハートを起動する。
フェイトの戦闘に関する諸々の力量は、ユーノの及ぶ所にない。誤魔化しが効きようのない格上。なのはとの戦闘で魔力を使い果たしていようとも、接近戦を挑める程に楽観視できる相手ではない。なればこそ、激情に身を任せては
ユーノは撃墜を万全なものとする為に、得意とするバインド系魔法を幾重にも発現させようと魔力を込める。足元に広がった魔法陣から溢れ出す魔力、それが若草色の魔力光として立ち昇り――――それが映し出す上空のフェイトの様相を目の当たりにして、ユーノは気勢を削がれた。
「泣いてる…………?」
戦意などどこにもなく。鉄仮面にも思えた大人びいた表情は見る影もなく。泣き顔を見られたくないとでもいうように、フェイトは建造物の奥へと向かっていく……。
その情けなく、頼りない背中に追撃をかけることなど、ユーノにはできなくて。
「……ユーノくん」
腕の中のなのはが、まるで制止をかけるように服を引っ張ったものだから。ユーノは追撃の魔法プログラムを放棄し、なのはを抱えて立ち上がり、フェイトに背を向ける。
「これで、いいのかい?」
返事はない。
しかし、疲労を押し留めて柔らかく微笑むなのはを見ると、抱いた怒りが過ちだったことを理解できてしまったから。ユーノはアースラスタッフに向き合う。
「ユーノさん、既に脱出の準備はできています」
アースラスタッフは脱出用の転移魔法陣を展開してくれていた。
ユーノはふと周囲を見回した。しかし先の黄色い光の粒はもうどこにも見当たらない。
なぜジュエルシードが、アリシア・テスタロッサを形どって現れたのか。なぜ、なのはとフェイトの決戦の場へ導いてくれたのか。それが、事態に決定的ななにかを齎すのではないかと危惧するが、振動波によって今にも崩れかねない天井を眺めれば、長居するわけにもいかないとユーノ思考を切る。
「では、僕たちは脱出しましょう」
自身の役割は果たしたと、ユーノはなのはを抱えて《時の庭園》を離脱する。
――――――――――――――――
≪時の庭園≫中央工房。言うなればメインコントロールルームにて、プレシアは足元を焼かれる焦燥感に駆られていた。
「なんなの、これはッ!」
庭園内部に設置されたサーチャーから入ってくる映像。
それは連敗に次ぐ連敗の記録だった。
「たかだか武装隊ひとつ、なぜ叩き潰せないっ!」
一人ひとりに観測できる魔力量は高町なのはの四分の一にも満たない。だというのに、高町なのはに匹敵する出力を備えた傀儡兵が粉砕されているのはどういうことか、と。目下で繰り広げられる敵の連携と翻弄される傀儡兵を眺め、奥歯を噛みしめる。
「フェイトはなにをやっているのッ!」
外部区画を映すモニターに応答はない。
配備していたサーチャーが流れ弾にでもやられたのだろう。高町なのはとフェイトの戦況は伺えないが、各種計器に魔力反応が観測できないとすると相打ちの線が濃厚……。
仮にそうであるならば、戦果としては決して悪くない。高町なのはは、次元世界を見渡しても希少な高ランク魔導士。最高クラスの敵性戦力を戦線離脱にまで追い込んだというのなら、フェイトが齎した戦功は多大であることは明白であったが……。
「なぜこうも情けないの! あの子はっ!」
だが、プレシアの胸中に渦巻くのは鬱憤。姿を消したフェイトに放たれたのは無能の誹りであった。
自陣内に侵入してきた敵対勢力は依然健在。傀儡兵だけでは戦線を維持できていない戦況を見渡せば、手塩にかけて育てた
プレシアはわななくままに拳を叩きつける。
「なんて様なのっ―――――……ッ!」
直後、胸部に激痛が走った。
心臓が絞られるような発作に蝕まれて咳き込む。肺の収縮に合わせ、どこからか込み上げてきた血が口内を満たし、呼吸が詰まる……。
――――――無理が祟った……。
プレシアは鎮痛剤を掴み取り、血と共に飲み込む。
第97管理外世界と次元航行艦船に撃ち込んだ、二つの大魔法の反動。ジュエルシードの性急な発動、クラッキングを仕掛けつつ、≪時の庭園≫中枢部に集結しつつある時空管理局への対応……。
脳までもが茹るような熱に浮かされる。錯綜する思考はパニックに陥りつつあったが、望みを果たすまでは――――生涯をかけた願いの成就はもう目の前なのだから、と。
「――――……冷静になりましょう」
そう自分に言い聞かせ、口元に残る血を拭う。
魔力炉心を警備する傀儡兵の反応が途絶えていく現況に焦りが募るが、武装隊には魔法的なプロテクトを破る手段も、ジュエルシードの暴走状態を封じることのできる魔力総量もないというところに思い至り、とりあえず思考を切り替える。
脅威となる者は別にいる、と。
時空管理局が出現した≪時の庭園≫外部区画から、プレシアが座する中枢部へ真っ直ぐに向かってくる黒い影。フェイトとそう変わらないだろう年頃の少年……。
「この突出してくる少年、大型傀儡兵団を鎧袖一触か……――――なるほど、これが執務官か」
高町なのはに匹敵する魔力を保有し、機械じみた精密射撃によって傀儡兵の心臓部を正確に打ち抜き、まるで傀儡兵の行動プログラムを理解しているかのように最小限の動作で攻撃を避けていく……。
広い視野による空間把握、把握した状況に対する的確な対応力、それだけの能力を実戦で遺憾なく発揮できる胆力は掛け値なしに一流。戦い慣れしていると、プレシアは頭を掻く。
「所詮、機械では人間の柔軟性には対応できないということね……――――アルフッ!」
ならば、考える頭を備えた戦力をぶつけるだけだと。
予備選力として隣室に控えさせていたアルフに思念通話を送る。「執務官を抑えろ」と、時間稼ぎぐらいは果たせと告げるだけ告げる。アルフの反応が遠のいたのを確認して、プレシアは再びメインモニターに視線を戻す。
「あと、少しなのよ……!」
喉元に込み上げてくる鉄の臭いを堪え、指先の感覚にコンソールを操作して、プレシアは魔力炉心の最終調整を継続する。
次元航行を主導する魔力炉心は暖機状態。荒れ狂う次元の海に放り出されたとしても、性能を最大限発揮して乗り切ることができる。
それとは別に。ジュエルシードのエネルギーを最大限発揮させる為の魔力炉心、いうなれば増幅炉は冷却速度を上回る熱量に見舞われていた。原因はもちろん、ジュエルシードが齎す無尽蔵のエネルギーであった。
ジュエルシードから溢れる魔力は相乗的かつ乗数的に増大していく。想定を超えるエネルギー総量に増幅炉はオーバーヒート寸前だが――――それでいいとプレシアは笑う。
「あと少しで、満ちる……!」
溢れ出る魔力の奔流を≪時の庭園≫内に留め、共振させ、充満させ、膨張させ――――プレシアは着火の機を待っていた。次元の壁を超えていくことのできるエネルギーが≪時の庭園≫というタンクを満たしきる瞬間を。満ち満ちて、膨張しきったタンクを破裂させるタイミングを伺っていた。
それは間もなくだと、プレシアは増幅炉の制御に指を走らせる。
しかし、待ち望んだ時を迎えるよりも先に。
中央工房の厳重な扉が大きく開け放たれてしまう。
――――――敵。
それ以外には在り得ないと、プレシアは即座にデバイスを起動する。
しかし、胸に過ぎった感覚は異質であった。脳裏に蘇ったのは娘の泣き顔という悲痛な訴えであったものだから、プレシアは扉の向こうから来る人影を視認するまでもなく、感覚で理解する。
「――――……フェイト?」
その呟きが現実になるように。開け放たれた巨大な扉から姿を現したのは紛い物――――忌むべき贋作、フェイト・テスタロッサの姿だった。
息も絶え絶えに、足を引きずりながら入ってきたフェイトに、プレシアはどうしてか切ない情動に襲われるが、頭を振って思い出す。
今がどんな時か。
今何をすべきか。
なぜ今、ここにいるのか、と。
「――――――……このっ、役立たずがッ!」
言いつけも守れないフェイトに対する怒りを思い出して、振りかぶった掌でひっぱたくと、破裂音と共にフェイトがよろめいた。
プレシアはそのひ弱な様にどこか躊躇いの念を覚えるが、気のせいだと声を張る。
「管理局はすぐそこまで来ているのよッ!」
なぜ戦わないのか、と。私の言いつけを忘れたのか、と。プレシアはその一言に苛立ちを込めるが、フェイトは反応を示さない。頬を抑え、肩で息をするフェイトの体は、震えていた。
怯えにも映るその姿が、尚のこと腹立たしい。ここに至ってそんな暇は無いはずよと、プレシアはフェイトの腕を引っ張り上げる。
「何をグズグズっ――――」
そして、目にしたのは娘の泣き顔だった。
「私! もう戦いたくないっ!」
プレシアが目にしたのは見知らぬ面持ち。
プレシアが初めて直面したのは、フェイトの感情だった。
「何を、泣いているのよ……。……フェイ、ト」
どんなに痛めつけようと、どんなに怒鳴りつけようと、一度として涙など見せなかった偽物が。人形のように表情を変えなかった紛い物が、人間のように涙を流すなどと。
「猫が泣いたんだよっ!」
胸元にしがみつき、子供のように泣き叫ぶなどと……。
「ジュエルシードに取り込まれて、他の方法なんて教えてもらってないから……。私が懐に抱いた猫を、私が撃ったんだよ! 私が撃って、傷つけて、猫が泣いたんだよ! イタいって、悲鳴みたいに鳴いたんだよっ! 狐さんだってそう! 恨みがましく私を見つめるの……! ……私、そんなことしたくなかったッ!」
そのような苦悩を抱えていたなどと考えたこともなく。それほどの本心を秘めていたなどと想像すらできず。
「的当てとか、飛ぶ練習は楽しかったよ……。ゲームみたいで。上手くできればリニスが褒めてくれて、どんどん縮んでいくコースタイムなんかは母さんだって褒めてくれた……。小さい声で、一言だけだったけど……。ホントに嬉しかったんだよ……」
娘の造形を受け継いでながら、垣間見せた小さな喜びはまるっきりの別人で。しかし、それがまるっきり赤の他人のものとはまるで思えないものだから。
プレシアは立ち尽くす他になかった。
「でも、最近の訓練は嫌いっ! 高町なのはを斬って、肉とか骨の感覚が手に残るのっ……! 悲鳴が耳に残るのッ! イヤな気持ちが止まらないのッ! 褒められても辛かったんだよっ!」
胸元にうずくまるフェイトの手が服を引っ張る。
叫び声に反して弱々しい力。
酷く震える小さな手とその言葉
プレシアには、そこに表れた感情が理解できてしまう。
「でも、母さんに頼まれたら、やってあげなくちゃって思うから……。喜んでほしくて……優しくしてほしくてっ…………!」
血の繋がりが訴える感覚は――――怯え。
離れたくないけれど、突っぱねられるのではないかという不安の現れ。親愛を得られないのではないかという喪失への恐怖心。
今にも泣き崩れてしまうのではないかという細い体。この小さな肩を支えるべきか、プレシアは迷いに視線を伏せかけた、その最中。
フェイトが、意を決したように顔を上げた。
「――――……フェイト」
見た目以上に幼い瞳には、止めどない涙があった。
気弱な目つきなのに真っ直ぐ心に突き刺さる眼差し。アリシアとは全く異なる透き通る紅い瞳から目を離してはいけないと、プレシアは息を呑む。
「お願いっ、昔の優しい母さんに戻ってっ! 昔みたいに……絵本で読んだ海に行こうって……。昔みたいに、私を抱きしめてよッ!」
それが。
アリシア・テスタロッサの記憶と造形を与えたはずなのに、全く別の人格として産まれ育ってしまった――――フェイト・テスタロッサの本心だと、理解できてしまった。
抱きしめてあげたいと、プレシアは思う。
小さい肩、震える細い体。胸元に顔を埋めて、泣き声を堪えるその姿を、まるで我が子のように、抱きしめてあげたいと強く思った。
抱きしめていいものかと、プレシアは迷う。
アリシアに似てはいるが、全くの別人であるこの
「――――……フェイト」
その迷いの中で、決意する。
吐き出された言葉が、本心であるならば――――本心であると胸の奥で感じられてしまったから。それをすべきは自分自身の役割だと、直感してしまったから。
伸ばした手で、フェイトの頬に伝う涙を拭う。
目に見える震えが小さくなったように思えた。瞳に戸惑いが見て取れるが、それは次第に安堵の色に滲んでいく。気の小さい子だと、プレシアはそっとその肩に手を添える。
「そこまでだ、プレシア・テスタロッサ」
『Stinger Snipe.』
けれど、自らの使命を果たすよりも先に、開かれた大扉から突き付けられたのはその言葉。先手を打って飛来した青い閃光――――ミッドチルダ式の射撃魔法であった。
プレシアは即座に防御魔法≪プロテクション≫を起動して射撃魔法を弾き落とし、そこに現れた少年の影に警戒態勢を取る。
「お前は、執務官の……――――」
「クロノ・ハラオウンだ。無暗な抵抗は、貴方の罪を増やすことになるぞ」
「貴方の対応をさせた犬はどうしたの……?」
「……あぁ、使い魔の彼女か」
クロノは背後に引き擦っていた人影をこれ見よがしに突き出した。幾多のバインド魔法によって拘束されたその赤髪の女を目にして、フェイトが身を乗り出した。
「アルフっ!」
「……ごめんよ、フェイト。力に、なれなくって……」
アルフの体は青痣や煤がかった汚れに塗れており、魔力的な消耗も伺える。対して、クロノ・ハラオウンは汚れこそすれど傷一つない……。
「動物的な反応速度に任せただけの攻撃など対処は容易い。対応を誤ったな、プレシア」
それが安っぽい挑発でなく、明確な格上として事実を突き付けているに過ぎないことは疑いようもない。正面切っての戦いでは不利だと、プレシアが冷静に理解する中で、クロノ・ハラオウンはデバイスを掲げた。
それに呼応するように、中央工房内部に無数の魔法陣が出現した。その魔法プログラムは、本来この場では発動することのない転移魔法――――数は十二。
「庭園の中枢部に、大量転移……」
「そうだ。この次元空間の主導権は我がアースラが掌握した」
外部間との転移を制御する≪時の庭園≫の防御プログラム。クロノの発言は、その主導権を奪ったということに他ならず、それが真実であることを物語るように、魔法陣の中から武装隊が姿を現す。
直後、クロノ・ハラオウンの目の前に立体ディスプレイが現れ、そこに映るのは緑色の女性と、翡翠の魔力光に抑え込まれた15個のジュエルシードであった。
『クロノ執務官、動力炉の停止を確認。それに、ジュエルシードを補足しました。次元震の抑制は任せてください』
「聞いての通りだ、プレシア」
その女が、次元間通信で戯言を吐いたリンディ・ハラオウンであることはすぐに察しがついた。
プレシアは息を吐く。
内心に焦りはなく、指先の神経に至るまでが不思議と落ち着きを保っている。どこか他人事じみた客観的な思考に従って、プレシアは時間を稼ぐべく目を伏せる。
「……なるほど、魔力炉心に向かった武装隊は先遣隊。露払いということね」
この窮地を脱する策、それを思考する時間を稼ぐ。
「そういうことだ。高ランク魔導士をジュエルシードのもとへ確実に送り込むためのね」
クロノ・ハラオウンが難なく中枢部に侵入できたことから、周辺の守りについていた傀儡兵はほぼ壊滅させられ、工房内外の迎撃用プログラムも無力化されたとみて間違いない。
「次元航行艦の魔力炉心から供給される傀儡兵の出力は並外れているが、戦力としては砲台とさして変わらない。ある程度パターン化された行動プログラムが相手ならば、武装隊でも対処できるというものさ。……直に、別動隊もこちらに合流する」
戦力差を鑑みれば、フェイトを
大魔導士と称される魔導士とはいえ、プレシアはあくまで技術者。正面切っての戦闘となれば現役の執務官相手では分が悪い。その上、敵の技量は時空管理局でも上位クラス……。
「――――……そう、なのね」
勝算はない。
それがプレシアの最終見解だった。
「包囲網は完成しつつあり、≪時の庭園≫動力炉は停止し、暴走状態のジュエルシードは間もなく鎮圧される……。この次元空間に満ちた魔力もいずれ減衰し、この不穏な振動も収まる。つまり次元震は封じ込まれたということになる」
アナウンスのように事務的に。けれど抑えきれない義憤を込めてクロノ・ハラオウンが告げたそれら事実が、自らの分析と一致することを冷静に理解して、プレシアは悟る。
「貴女の目的はここで打ち止めだよ」
それが、自身の執着点であることを悟り。
プレシアはどうしてか肩の荷が下りたような解放感、あるいは生涯を全うしたようなある種の充足感から、眠りにつくように目を瞑る。
「プレシア・テスタロッサ並びにフェイト・テスタロッサ! 貴女方をロストロギア犯罪の現行犯で逮捕する!」
数十年もの年月を経て積み重なった自責と憤怒、終わりが見えないと思われた悲哀と執念。その全てが、終わりを迎える……。
無論、この状況はプレシアが望んだ決着ではない。
言うなればバッドエンド。かつての自分ならば到底受け入れられない、為すべきことも為せないままに終わってしまう無為の結末。価値のない顛末だと怒鳴り散らして然るべき状況であったが……。
受け入れられる気がした。どこか気持ちが楽になってしまったから。だから、プレシアは細く息を吐いて、突き付けられた罪状を受け入れる為に、首を垂れた―――――。
「母さん……」
しかしながら、伏せた瞳に映ったのは沈んだ黄色。記憶に咲き誇る向日葵ではなく、泥にまみれたフリージアの花。腕の下で、衣服を握り、縋るように身を寄せるフェイトの姿。
プレシアの頬に冷たい汗が伝う。
一粒の、氷のように閉ざされたビジョンが脳裏を過ぎる。自らの命がついえたその先に待ち受ける閉ざされた未来のビジョン。確実に訪れる償いに縛られた無為の生……。それが、フェイト・テスタロッサの瞳を通して視えてしまったものだから、プレシアは息を吸った。
そうだ。
このままでは終われない、終わってはいけないと、プレシアは肩を震わせる。虚弱に弱まる心臓に渇を入れて、寿命を延ばす。虚勢を表情に張り付けて、憎悪を瞳に取り戻す。
「――――――……フッ、フフ」
プレシアは、笑う。
このままでは終わらせない為に。
―――――――――――――
「もう、終わりだ……」
それはクロノの
主人であるフェイトが、プレシアと共に逮捕されてしまう……。
そうなればロストロギア犯罪という重い罪状を突き付けられ、プレシアを庇おうとフェイトが自らの犯行をあることないこと認めてしまうことは想像に難くない。そして、プレシアもそういった状況を良しとするだろう。
アイツはそういう女だとアルフは唇を噛み締める。
逮捕を避ける手段もまた存在しない。
周囲を完全包囲する時空管理局魔導士と、転移魔法を阻害する時空管理局側のジャミング。更には≪時の庭園≫内部に配備された傀儡兵が壊滅状態となれば、この包囲網を抜け出すことは不可能。アルフ自身、最後の抵抗を覚悟するも、戦闘で負った神経系へのダメージと、何重にもかけられた拘束魔法により上半身は身動きすらできないのが現状……。
「プレシア・テスタロッサ並びにフェイト・テスタロッサ! 貴女方をロストロギア犯罪の現行犯で逮捕する!」
だから、アルフは諦観から首を垂れる。
空間に充満していたジュエルシードの魔力が薄れていく。リンカーコアにダイレクトに響く次元空間の振動すら収まりつつあった。
全てが終わりに向かっていくかつてない絶望の予感に耐え切れず、アルフがとうとう目を閉じた――――その時のことであった。
「フフッ…………」
アルフの聴覚が拾ったのは嘲笑の吐息。
主人であるフェイトの頑張りを一笑に付した声調そのままの、憎むべき女が発した笑い声。奇妙な静寂の中に広がり、次第に勢いを増していくそれ。
「 !」
高らかな嘲りの笑い声を上げて、プレシアは腹を抱えていた。
この場を支配しているのはその女ではないはずなのに、どうしてか武装隊も、クロノ・ハラオウンもまた気圧されたように後退っていた。
「何が、おかしい…………」
「フフッ……。わからないのね、執務官」
プレシアは腕の中で震えていたフェイトを静かに引き離した。
「母、さん…………?」
何が起きているのかわからないという風に、おろおろと。何か悪いことをしてしまったのではないかと、おずおずとフェイトはプレシアを眺めていた。
プレシアの表情には、狂気が宿っていた。
「バカな
「私ッ! そっ、そんなつもり……――――――ッ!」
アルフの視界が捉えたのは、一筋の魔力光。紫の魔力弾の残光が、フェイトの腹部を突き抜けていった瞬間で。金糸の髪が円弧を描いて崩れ落ちる。
「つくづく私を苛つかせる、アリシアの紛い物めッ!」
倒れつつあったフェイトに向けられた、プレシア・テスタロッサの憎悪の形相で。音を立てて床に突っ伏したフェイトは、起き上がらない……。目の前に転がってきたバルディッシュが待機状態にフォルムを変えて、アルフは思わずそれを手に取る。
何が起きたのか。それがどういった状況なのか。アルフは、諸々の現実を理解できずにいたが。
「うっ、撃ったのか……実の娘をッ……!」
しかし。
しかしながら、クロノ・ハラオウンの怒りから、アルフは閃きに打たれるように、はたまたガスが充満した密室に火を投げ込まれたように、全てを理解した。
「 !」
激情が絶叫に変わり、アルフはバインドの拘束もそのままに跳躍する。
奴は、フェイトを裏切った。
奴は、フェイトを撃った。
奴は、フェイトを捨てた。
脳内に連環する三つの現実。全身の神経を焼く憤怒の情に駆られて、アルフは牙を剥く。
喉笛を喰い千切り、笑い話にもならない痴れ言を吐けないようにしてやる。すかした面を頭ごとグチャグチャに噛み砕いてやる。ぶっ■してやる!
殺意のままに、プレシア目掛け突進をかけたアルフだったが――――満足に動かない肉体では届かない。アルフの牙が届かない遥か彼方にて、プレシアが構えたデバイスが魔力光を発した。
「敵味方を見誤るな、狗」
「ガッ――――――」
紫の光がアルフの視界を埋め尽くす。遅れて生じたのはショックウェーブ、神経系を伝い、リンカーコアに走り抜ける電流を纏った魔力弾に、アルフは大きく弾き返される。
その最中、視界の端に捉えたのは青い閃光。クロノ・ハラオウンがプレシアの防御壁に激突した瞬間だった。
「貴女には人間の心がないのかっ!」
「娘の代わりにもなれない失敗作など、何の価値もない!」
『Photon Lancer. 』
プレシアの携えるデバイスが発声を開始するとほぼ同時に射撃魔法が展開される。流石は大魔導士と崇め称えるべきだろうか。プレシアが発動した魔法プログラムは、その起動から発現までのタイムラグはコンマ一秒にも満たない。
だというのに防御壁と拮抗していたクロノは、自らの四方に出現したプレシアの射撃魔法発現と変わらぬタイミングで後方へ跳躍、それを難なく回避する。
優れた反応速度だと、アルフは霞む視界の中で息を呑んだ。
しかし、それぐらいはやってもらわねば困るとでも嘲笑うように、プレシアは渇いた拍手をしてみせた。
「無駄よ、執務官。貴方達は何もわかっちゃいない……」
「ああっ! 外道の心境など理解したくもないっ!」
「フン……。だからお前たちは肝心な所で見誤る。何故気が付かない。この私が、
プレシアは懐から何かを取り出した。
包囲網を形成する武装隊の緊張感が一層に増す。対峙していたクロノもまた警戒心からか後退るように一歩退いたが、それは余りにも臆病な選択であった。
プレシアが掲げたのは、青い光。
一粒の小さな宝石――――ロストロギア。
「ここに保険のジュエルシードがあることを。ジュエルシードが、人間の情緒を理解した意味を、なぜ理解できないっ!」
クロノはしまったという怖気に襲われながらも、咄嗟に突撃を敢行する。しかし、クロノの初速を遮ったのは、プレシアが展開した分厚い防御魔法《プロテクション》……。
クロノは接触するや否や、即座に防御壁を解析。バリアブレイクと呼ばれる技術でその魔法構成を崩しにかかるが、一分の隙も見当たらない。高密度の結晶体を相手取ったような魔法構成の固さ。プレシアの魔法技術は自身の上を行くと認識し、クロノは咄嗟に叫ぶ。
「全員、集中砲火をッ―――――」
火線を集中してプレシアの守りに綻びを見出そうと指令を下す。
臨戦態勢だった武装隊が間を置くことなく射撃魔法を速射し、自身も近接用の衝撃魔法を叩きつけるが――――遅きに失した。
ジュエルシードの波動は、もはや止められない。
「ジュエルシード! 時空管理局を追い出せっ!」
それが、《時の庭園》における決戦の幕引き。
工房内部に強烈な発光が満ちる。
猛烈な魔力の奔流は、プレシアの意に沿うようにクロノ・ハラオウンの肉体を絡め取り、強制転移する。同じように室内にいた武装隊も排除されていき、それだけに留まらず、ジュエルシードの力は中枢部から漏れ出て《時の庭園》全域に広がっていき、侵入者の反応のことごとくが消失していったのがアルフには知覚できた。
不安定な次元空間に訪れた無音。リンカーコアに感じていた敵意は失われた。敵が去り、絶望を逃れたことに対して、アルフは安堵を覚えると同時に、疑問を抱く。
怖気を抱く。
《時の庭園》になぜ、まだ自分が残っているのか。なぜ、プレシアの足元にはフェイトが気絶したまま横たわっているのか。なぜ、この場に留まることを望まれたのか。
アルフはその答えをすぐに知ることになる。
プレシアはフェイトの肉体を無造作に浮遊させると、その手元に引き寄せた。まるで首根っこを掴むように、さながら人質に取るように雁字搦めにして、フェイトを腕に抱いたプレシアは嫌悪の情を浮かべていた。
「犬っころ。フェイトの命が惜しくば、私の命令に従いなさい」
しかしながら理知的で、どこかいたたまれないような。何か吹っ切れたように、どこか悟り切ったような静かな声色で、プレシアは指令を発した。