魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~   作:どめすと

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ジュエルシード編エピローグ。




『私の名前は! 前編』

 私たちの世界が、長い時間をかけて、たくさんのヒト達が紡いでくれた歴史の上に成り立っている事と同じように。この世界で起こることに突然なものなんてひとつとしてないと、私はそう感じている。

 

 例えば、日常の小さな出来事とか。

 早朝に耳を掠めた小鳥の囀り、ふと視線についた木漏れ日の光と影の揺らめき、隣を歩く友達の微笑みと温もり、窓から眺められる深い青空と雲の流れ、夕焼けから漂う芳ばしいカレーの香り、街中に響くあのメロディー。

 私が感じた全部が全部、突然そこに生まれたもののように錯覚しちゃうけれど、それは絶対に違うことで。それらがその時、その場所にあった理由とか背景――――その予兆はきっと、私の知らないところで生まれた物語の中に間違いなく存在していると、私はそう信じているから。

 

 例えば、人と人との出会いとか。

 アリサちゃんとすずかちゃんとが、本当の意味で知り合ったのは人気のない中庭だった。当時の私たちはそれぞれ深い寂しさを抱えていて、きっと誰にも明かしたくない、明かすことのできない本音を抱えていたのだと思う……。

 だけど孤独同士が引き合うように、あるいは本音でぶつかり合える関係を求めるように、私たちは出会って友達になった。この関係も、この出会いも、それぞれが紡いできた物語が交わって生まれて、一緒に育くんできたものだから。

 境遇は違っても、同じ苦悩を抱いたあの子(・・・)との出会いだって、突然で、偶発的で、一瞬で消えてしまうような儚いものではないと、私は信じているから。

 

 

 例えば、その時々で感じたこと。

 その時に抱いた想いもまた同じように。

 幼い頃も、今も。挫けて落ち込んじゃった私に勇気をくれたのは、あのヒトが奏でるメロディーで。立ち上がる力をくれたあのサウンドを胸に、私はフェイトちゃんに届くことができた。フェイトちゃんに、私が抱いた想いとメロディーを届けることができたから。

 

 

 きっと私たちは、変わることのない日常――いつもの朝を迎えることができているのだと、感じているのです。

 

 

 

――――

 

 

 

 寝覚めは心地よいものだった。  

 枕元に注ぐ陽光に手を伸ばしてみると、照りつける温もりが滲んだ。体の気怠さはまるで感じられなくて、頭はとてもすっきりしていて。心身はまるで羽のように重さを感じなかったから、あっさり起き上がることができた。

 

 今は何時だろう。

 学習机に置かれた携帯電話を掴み取って画面を開く。だけど画面は真っ暗。おかしいなと電源ボタンを何度か押してみて、そういえば壊れたままだったんだと壁掛けのアナログ時計を見上げてみれば、いつもの起床時間より30分ほど早く、携帯電話のアラームが鳴るよりも50分も早い時刻だった。

 こんなに早く、すっきりと起きられるのなら、通学バスに駆け込むこともなくなるのに……。

 

 なんて。

 

 頭に浮かんだのは悩みとも言えない小さな思いつき、今日(・・)とは違う日常のもしものお話し。

 バスに一本乗り遅れたぐらいで始業時間に間に合わないということではないし、一日とか二日程度無理に早起きしたとしてもきっと長続きしない。それに、寝起きのまどろみにうとうとしながら毛布にくるまっている時間は、とても贅沢で気持ちのいいことだったから。

 

 私はこのままでいいんだと、どうでもいい思い付きを振り払うつもりでカーテンを開け放つと、窓の外には雲一つない青空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

「あら」

 

 身支度を整え学校の制服に着替えたその足でリビングに降りてみれば、キッチンから物珍し気に顔を覗かせるお母さんの姿があった。健やかな色合いのエプロンを身に着けた見慣れた姿。

 

「おはよう、なのは。今日は早いのね」

「なんか、目が覚めちゃって……」

 

 リビングを見渡す。

 いつもならお父さんたちがテーブルを囲んでいて、その手元には料理が並んでいるはずなんだけど……。リビングには料理中のお母さんしかいない――お父さん達はきっと朝の鍛錬とかで道場に出ているのかな――し、テーブルの上も今はまだ食器すら並んでいない殺風景な状態だったから。

 

「何かお手伝いしようか?」

 

 大きなお鍋から昇る蒸気、フライパンから香るミートソースの香り。お母さんの手元にあるレタスからすると朝ご飯はスパゲッティーと簡単なサラダみたいだ。野菜を切って盛り付けるぐらいのことならできるからとキッチンに足を向けるけれど、お母さんは困ったふうに笑って。

 

「いいのよ。テレビでも見て――――……そうだった、テレビはまだ映らないんだったわ」

「学校の支度も終わってるし、じっと座ってるのももったいないから手伝うよ。お皿、運べばいいかな?」

 

 お母さんは少しだけ間を置いたけれど「じゃあ、お願いしようかな」と頷いてくれた。

 それならと食器棚を開く。必要なお皿の種類と数はなんとなくわかるから、まずは両手で持てる分だけ運ぶことにする。一度にたくさん持っていこうとすると絶対に落としちゃうから、往復回数は増えるけどちょっとずつ運ぼう。

 

「なんだか久しぶりね、なのはがお手伝いだなんて」

「えー、そんなことないよ」

「そんなことあるわよ。最近、何か夢中になれるものでも見つけたの?」

「え、えっと……」

 

 そういえば、魔法の特訓を始めてからというものお家の事はからっきし、それにレイジングハートと歌の練習をしている間なんかはお話しすらまともにしていなかったような……。でも、そんな事を正直に話すわけにもいかなくて。歌の練習にしても打ち明けるのは気恥ずかしいし、どうしようかと冷や汗を覚えたのだけれど。

 

「そういえば、もうすぐ運動会だったかしら?」

 

 最近の学校はどうなの、と。サラダが盛られたお皿をお盆に乗せていた。

 助かったと思う反面、もうそんな時期になるんだとちょっと驚き。

 

 薄れつつあった学校の記憶を振り返る。『HEART & SOUL』のメロディーを覚えようと、授業中も思念通話を介してレイジングハートから音声を受け取っていたんだけど、マルチタスク処理のおかげでホームルームの内容はよく覚えている。私の記憶力って、実はちょっとすごいのかも……?

 

「たしか、来週には種目と担当が決まるってお話しだったよ」

「なのはは何に出ることになりそう? はい。サラダ、持って行ってもらっていいかしら」

「うん。今のところ、アリサちゃん達と二人三脚に出ることになりそうだよ」

「あら、足引っ張っちゃうんじゃない? 大丈夫?」

「なんで……?」

 

 それから、私たちはとりとめのない会話をした。

 

 運動会で文字通り足を引っ張るんじゃないか、応援合戦の歌詞決めなんかはどうするのか、とか。そういえばこの間のライブはどうだったか、アリサちゃんやすずかちゃんはどういう音楽が好きなのか、とか。当たり前の、日常のお話し。

 久しぶりの二人だけの時間は、いつもより会話が弾んだような気がした。

 

 だけど、朝ご飯のおおよその準備が終わって、いざ道場にいるお父さんたちを呼びに行くという頃になって。ふとお母さんは時計を見上げると「いつもこのぐらいの時間に起きてくれれば、バスに駆け込むこともないのにね」と意地悪な微笑みを見せた。

 

「にゃはは、それはムリだよぉ」

 

 いつも早起きしていたら、きっと寝不足で勉強も手に就かなくなっちゃうから、と。少しばかりの言い訳を残して、私はリビングを飛び出す。

 外に出ると朝日が眩しくて、お庭に咲いた未熟な紫陽花の香りがした。踏み出した歩幅は大きく、足取りは軽く。いつもこんなに気持ちのいい心地でいられたらと思うけれど、それはやっぱりあり得ないこと。

 

 

「だって、今日はいつもとは違う特別な日なんだから」

 

 

 誰にも聞かれることのない呟きが外の空気に紛れていく中で、私は一週間前の出来事を思い出す。

 

 

 ジュエルシードを巡るひとつの事件。

 フェイトちゃんの家族の物語。

 魔法が導いた奇跡のお話し。

 

 その結末を、思い返す。

 

 

 

  

 

 

 空が広い理由。

 地平線が丸みを帯びていることの理由。

 私は、その意味するところを考えたこともなかった。

 

 浜辺から海を眺めた時。地平線に沈んでいく太陽を見送ってから振り向くと、ほの暗い青藍の空にはお月様がいて。それが一番高いところまで昇る頃になれば、夜空一面には数えきれない程の星々の光がちりばめられるようになる。いつの間にか、知らないうちに。

 

 まるで紙芝居のように。

 天井のスライドが時間と共に差し替わっていくプラネタリウムと同じように、見上げるだけの私は動くことがなく、空に映る景観だけがぐるぐると動いて切り替わっているものだと信じて疑わなかった。

 

 大昔の人のように。

 大地じゃなくて空が動いるものと漠然と信じていた。だって、遠くに眺めることのできる星空を見上げれば、そんな風に感じるのは自然なことだと思っていたから。ホントは太陽やお月様だって、空に張り付いた電灯かなにかなんじゃないかなんて考えたこともあった。

 

「レイジングハート……」

What's up?(どうかされましたか?)

 

 だけど、大きな窓の外に映る真実を見下ろせば、その感覚が誤りだったということを思い知らされる。

 

「地球って、ホントに丸かったんだね」

 

 アースラの外部区画、厚揚げのように分厚い窓ガラスの外側に眺めることのできる地球は真ん丸で、雨上がりの早朝に現れる空の青よりも眩くて、とってもキレイで。

 だけど周りを見て、真っ暗な宇宙に浮かぶ無数の星の中のひとつでしかないことを思い知らされて、ちょっとだけユウウツな気分になっちゃったのだけれど。

 

「やぁ、なのは。もう歩いて大丈夫なのかい?」

 

 どこからかクロノくんの声がして。進行方向、艦内通路にその姿を見つける。姿を見つけて、その有様に思わず口元を覆ってしまって。

 

「どっ、どうしたのクロノくんっ。顔が真っ青――――っと」

 

 クロノくんの顔色が、地球の青色を反映したように真っ青だったものだから。

 驚きのあまり支えにしていた松葉杖までもを手放しちゃって、足腰がよろけるままに通路の壁一面を覆う窓ガラスに倒れかかってしまう。

 

「事後処理で徹夜続きなものでね。……しかし、人の顔を見てそれはないだろ?」

 

 すると、放り出された松葉杖をクロノくんが拾い上げてくれた。私は差し出されたそれを謝りながら受け取って、力の入らない体をどうにかこうにか立ち上がらせる。

 

「立つのもままならないか。声をかけてくれれば車椅子ぐらい用意したのに」

「そこまでお世話にはなれないよ。それに、ちょっと外を見たかったのもあるし」

 

 なんていったって宇宙に居て、なんといったって地球を眺められるのだから。

 

「そんなに珍しいかい?」

「うん、宇宙から星を見るのは初めてだから。地球が丸くて青いのも、頭では知っていたけどこうして目の当たりにするとね、ホントなんだって思い知らされちゃった」

「そうだな、地上から見上げるばかりだと知りようがないものな。君たちの世界では宇宙進出の技術開発が始まったようだが、どうやらまだまだ先は長いらしいね」

 

 どうやらクロノくんにとってはそれほど目を引く光景ではないらしく、どこか興味なさげに地球を見下ろしていた。

 

「クロノくんの世界だと、宇宙って身近なものなの?」

「いや、一部の軍人や職業人を除けば、君たちの世界とそれほど変わらない。だが、いずれは僕たちの世界よりも、君たちの世界の方が宇宙に親しみを持つようになるかもしれないね」

「どうして?」

「目的と技術の方向性の違いさ。……ご覧のように、我が次元航行艦アースラは次元空間と君たちの世界との行き来ができ、しかも宇宙空間に適応している。だが大気圏の離脱と突入、宇宙空間の長期航行が可能な設計はされていない。なぜだかわかるかい?」

「…………宇宙に長くいる必要がないから?」

 

 そうだ、と。

 クロノくんは大きく頷いた。

 

「君たちが宇宙進出を目的としてスペースシャトルの開発を始めたように、次元航行艦は元来、新たな次元世界の開拓を目的として開発された。つまり、君たちの文明は宇宙進出を、僕たちの文明は別の次元世界に出ていくことを選んだのさ。そういった方向性で技術が進歩していくとなれば、いずれは君たちの世界の方がより広く、深く宇宙に親しんでいくことだろうさ」

 

 クロノくんはそう言うけれど……。

 私たちの世界とクロノくんの世界とじゃ、とんでもない差があるんじゃないかと思う。片やガソリンエンジンで空を飛ぶ飛行機、片や魔法の力で次元を超える宇宙戦艦。私たちの世界でアースラみたいなものが造られるようになる頃には、私はたぶん生きていないんじゃないかな……。

 

「尤も、昨今の本局では珍妙な戦闘機開発が流行っているようだが……。ともあれ、君も彼女のところに行くところだろう?」

 

 彼女のところ。

 その言葉を聞いて浮ついていた気持ちが静まっていくのが自覚できた。今、こうして出歩いている目的を思い出してしまう……。

 ついさっきエイミィさんから連絡があって、私はそこに向かう道中にいたという事を。急いで来てもしょうがないと、エイミィさんはそう言ってくれて。私自身、少しだけ足が重くて……。でも、行かなきゃいけないと、私はクロノくんに向けて頷く。

 

「なら目的地は一緒だ、歩きながら話そう。色々、伝えておくべき事があるからね」

 

 そうしてクロノくんが語りだしたのは事件の結末だった。

 

 

 

 

 

 

 あの日、フェイトちゃんのお母さんが引き起こした現象――――ジュエルシードを起爆剤とした空気の振動と空を覆った光は、間違いなく次元震だったという。

 

「まずは地球への影響なんだが、ほとんど皆無といっていい」

 

 あの時、地球の上空に現れたオーロラがその影響。

 具体的には、なんでも次元空間から漏れた磁気の大きな波が、地球という大きな磁石の磁場――地磁気のことだ、理科で習った覚えがある――に影響を与えただけで、地球上に存在する電波を利用したモノが壊れたり一時的に使えなくなる程度の被害で済んだというらしい……。

 

「あの、大事件な気がするんですけど……」

「そうかい?」

 

 だって、それってつまりテレビとかラジオみたいな一方通行なものだけじゃなくて、電話なんかの連絡手段もつかえなくて社会が大混乱しちゃうってことになるわけで……。

 だけど、クロノくんもはなんでもないふうに「復帰にそれほど時間はかからないだろう?」と資料に目を落としていた。……なるほど、これが文明と技術の違いなんだね。

 

「次元震の主な影響は、周辺の次元世界に次元断層という形で表れている」

 

 とはいっても、次元震事態の規模としては次元空間に大規模ノイズが発生した程度のとても小さなものらしく。感覚としては、地球が大爆発を起こして木っ端みじんに弾け飛ぶと予測していたのだけれど、実際に引き起こされたのは海上に大きな竜巻がいくつも発生して大荒れしたという程度ということらしい。

 

「まさに奇跡だよっ!」

 

 とは、脇道から現れたエイミィさんの談。

 

「……ブリッジの指揮はどうした、エイミィ執務官補佐」

「あっはっは、みんな優秀だから任せて来ちゃった。これから事情聴取なんでしょ? 補佐官としては調書のまとめもやんなきゃだし、ご同行させてもらおうかなぁってね!」

 

 クロノくんはやれやれという素振りを見せたけれど、それ以上何かを言うようなことはなかった。なんだかんだで、仲はいいみたい。

 

 ともあれ、次元の海が荒れたせいでアースラは次元空間に居座ることができなくなって、地球の成層圏外、つまりは宇宙に逃げる必要があって、少なくとも一週間程度は私たちの世界に留まらなければならないらしい。

 ……あれ? でも、そうなると。

 

「宇宙に出たアースラって、地球側に見つかったりしないの……?」

「ああ、君たちの技術力では感知できないプロテクトを掛けているからね」

「突如として成層圏に宇宙戦艦がっ!? ――――なぁんてことにはならないから、安心してね」

 

 ということで大丈夫らしい。

 気にする必要はないんだと私は胸をなでおろしたのだけど。クロノくんは「話が逸れたね」とエイミィを肘で小突きつつ、咳ばらいをひとつして表情を引き締めていた。

 

「そして、事件の首謀者たるプレシア・テスタロッサの行方だが……」

「現時点だと、消息不明だね」

 

 ≪時の庭園≫が隠れていた次元座標は、あらゆる観測の及ばない虚数空間に陥っており事実上の消滅を確認。周辺世界への転移反応残滓も観測できない事から、おそらくは虚数空間に呑まれたと思われる、と。エイミィさんは溜息をついて頭を搔いていた。

 

「周辺世界の観測は続けてるけどさ…… 」

「次元震の発生源にいたんだ、恐らくもう生きてはいまい」

「そうなると、後はあの娘の事だね――――っと。着いたよ、なのはちゃん。この部屋」

 

 エイミィさんが木製と思しき引き戸の前で足を止めた。

 いつの間にか通路の雰囲気が変わっていたことに気づく。明るいグレーの床に真っ白な壁が続く区画。エイミィさんが扉の脇に付いている機械をピッピと操作すると、木目調の扉から空気が抜けるような音を漏らしてスライド開口。

 

 中は診察室のようだった。

 コンピュータの前に腰かける白衣を身に纏った男のヒトと話すのは、翡翠色の長い髪を揺らす女性――――リンディさんだった。

 

「あら、みんな早かったわね。まだ連絡してから半刻とも経っていないわよ」

「時間は貴重ですから」

「クロノは几帳面すぎるのよ、そんなんじゃ気疲れしちゃうわ。なのはさんも、体はもういいの?」

「はい、なんとか」

「そう」

 

 良かった、と。

 まるでお母さんを思わせる微笑むリンディさんに気持ちが安らいだ心地がした。その脇で、奥から現れた白衣の男性――医務室の先生だ、私の治療もこの先生がやってくれたらしい――が、どうぞと丸椅子を差し出してくれたから、私は松葉杖を置いてそれに甘えることにした。

 

「それで彼女の様子は?」

 

 すると、クロノくんは誰を見るでもなくそう切り出した。

 一体何を見ているんだろうとその目線を追う。その先では先生がコンピュータを操作しているわけではなく、リンディさんやエイミィさんがいるわけでもなく、壁があった。

 白くてただただ広い、何の装飾もされていない診察室の壁をじっと見つめていた。

 

 何をそんなに見つめているのだろうと首を傾げてしまうけど、その疑問は直ぐに解消した。先生が手元のコンソールを操作すると、真っ白だった壁がまるで水に浸した紙のように透明になっていって、病室らしき一室が現れた。

 映像ではなく、ガラスに閉ざされた隣室を見つめるリンディさんが「見ての通りよ」と辛そうに眉を顰めた。

 

 ガラスの向こう。

 白くて広いベッドだけが置かれた室内には、痛々しい光景があった。

 

「目が覚めてからは赤ん坊のように泣くばかりで。アルフさんがあやしてくれているけれど、あまりにも……」

 

 白いベッドの上で、大人の姿になったアルフさんに抱きしめられたフェイトちゃんの姿は――露出した肌のところどころにガーゼが伺える程度の怪我だというのに――とても痛ましものだった……。

 隔離された病室、声は聞こえない。

 だけど、自傷すら厭わないというように暴れる四肢をアルフさんに抑えつけられながら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔、大きく口を開いてわんわんと泣き叫んでいるフェイトちゃんの様子が見えていれば、胸を裂く程の叫び声が想像できてしまう……。

 

 なぜこうなってしまったのか。

 どうしてそんなに悲しそうなのか。

 その理由は、もう知っている。

 

「プレシアさんは、本当に……。フェイトちゃんを、撃ったんですか……?」

 

 その場が、一層静まり返った気がした。

 それが皆の回答なのだと理解できた。

 

 現実に起きてしまった事。

 クロノくんたちが≪時の庭園≫に突入した直後の出来事。お母さんであるプレシアさんに泣きついたフェイトちゃんが、裏切り者と罵られ魔力弾を撃たれたという……。

 お母さんに怒られる事とはまるで違う、明らかな拒絶、明らかな否定の現れなのだと。昨日のクロノくんの話しぶりだと、そう思えた。

 

 私が間違っていたのだろうか。

 

 フェイトちゃんとプレシアさんの共通点。瞳に宿した悲しみ、心に思い描く理想、内に秘めた深い愛情。私が見たもの、聞いたもの。私が感じたことの全部が、間違っていたのだとしたら……。

 私が背中を押したことが、引き金になってしまったというのならば……。

 

「どうすれば、いいのだろうね」

 

 不意に聞こえた小さな声に、ドキリと心臓が大きく跳ねる。

 

「プレシアがいない今、唯一の実行犯として彼女は法廷に立つことになる」

「裁判、ってこと……?」

「そう重く考えないでくれ、なのは。彼女がプレシアに利用されていたことは理解している。プレシア自身が語ったアリシアという動機、≪時の庭園≫内の映像記録、バルディッシュが提出してくれたプレシアの指令通信記録。それに、アルフもプレシアの命令が絶対であったことを証言している……。いくつもの情況証拠が、彼女に選択肢が無かった事を物語っている。だから、彼女の罪を出来得る限り軽くすることを約束しよう」

 

だけどというように、リンディさんは暗い面持ちを見せた。

 

「問題は、フェイトさんが自暴自棄にならないかという事……。私たちがいくら情況証拠を並べ事実を訴えたとしても、本人がそれを否定しては元も子もないもの」

「アルフさんから聞いたフェイトちゃんの境遇から考えるに、フェイトちゃんにとってプレシアは世界の全てだった。それを失ったということは、フェイトちゃんが自分自身をも否定するようになってもおかしくないよ……」

 

 その理屈は、なんとなくわかる

 フェイトちゃんが、お母さんを裏切ろうなんて考えるわけがないから。例えプレシアさんが犯した罪であろうとも、全部自分で負っかぶってしまうのは想像がついてしまう。お母さんと同じところ(・・・・・・・・・・)に行こうとして、一番重い罪を一身に受けようとするかもしれない。

 

「やはり、彼女には時間が必要だ。フェイト自身が自分の気持ちに整理をつけるまでは……。検事局の方に掛け合ってみます、艦長からもアプローチを掛けていただくことになりますが……」

 

 そうね、と。リンディさんが俯きがちに頷いた時の事、先生の目の前にあったコンピュータからアラームのような機械音声が鳴り響いた。それは電話の着信のようだった。

 

「リンディ艦長、使い魔からコールが入っています」

「アルフさんから?」

 

 病室に目を向ければ、フェイトちゃんを抱えたまま、アルフさんが受話器のようなものを手に取っていて。

 リンディさんもまた同じような機械を耳元に当てて口を閉ざした。たぶん思念通話をしているのだろう、時間にして一分も経たないうちにリンディは受話器を下ろして歩き出した。

 

「クロノ、アルフさんが事件の証言と証拠提出をしたいとのことです。エイミィ、技術室からフェイトさんのデバイスを持ってきてくれないかしら」

「今からですかっ!?」

「ええ、すぐに」

 

 するとエイミィさんが飛び出すように、クロノくんも準備があるらしく部屋を出ていった。……私にはお手伝いできることはないように思えて、むしろ今のフェイトちゃんの前に出てはいけないとさえ思って。とりあえず邪魔にならないように部屋の隅に隠れるように移動したのだけれど。

 

「なのはさんも一緒に来てもらえるかしら」

 

 リンディさんが神妙な面持ちでそう私の名を呼んだ。私はガラスの向こうで項垂れるフェイトちゃんを眺めて、そこにどう向き合ったらいいかわからなくて……――――足が竦む心地を覚えた。

 

 

 

――――

 

 

 

 アルフの心中には、かつて経験したことのない情念の嵐が吹き荒れていた。それは主とのラインを通じて流れてくる、胸を裂き、脳が沸騰し、全身から血が噴き出しかねない程の感情の猛威であった。

 

「        !!」

 

 それは悲痛な叫びとなった。

 これまで当然のように在った拠り所の喪失、これまで懸命に信じてきた愛情の喪失、これまで必死に追い求めてきた未来の喪失……。止まることのない涙を振り撒き、喉が張り裂けかねない絶叫を上げずにはいられない。

 

 それは凄惨な自傷を伴った。

 なぜ自分は母さんの言いつけを守れなかったのかという後悔、なぜ自分は敵対者に躊躇したとのかという後悔、なぜ自分は母さんに愛情を求めたのかという後悔……。両腕が動くのならば迷わず自らを殴りつけ、魔法が使えるならば自らの心臓を差し貫いてやりたい。

 

 そういった感情の発露を目の当たりにして、文字通り共感して、アルフは腕の中で暴れ狂うフェイトをより強く抱きしめる。こんなフェイトは見ていられなかった、こんなフェイトでいて欲しくなかった。

 原因はアイツ以外にはなかった。

 

「あの女だ……!」

 

 プレシア・テスタロッサのせいだ。あの女がその場その場でフェイトに愛を囁いて、やりたくもない事を無理にでもやらせて、あっさりすっぱりと関係を断ちやがったからだ。傷つけて、憎悪の言葉を浴びせやがったからだ。糞にも劣る愚図であるとでも言わんばかりに、裏切り者と吐き捨てて逝きやがったからだ!

 

 だがしかし、アルフはプレシアを恨み切れずにいた。

 フェイトの本心は未だプレシアを想っており感情ラインに躊躇いの念を強要されているのも少なくない理由であったが、それ以上にプレシアより与えられた指令が困惑を齎していた。

 

 

――――フェイトの命が惜しくば、私の命令に従いなさい。

 

 

 アルフは、先日までの取り調べにおいてはプレシアの指令を忠実に実行した。それが最も合理的にフェイトを救う手段になると信じていたからだ。

 

「うあああぁぁ! 母さん、母さんッ!」

 

 だが、それももう我慢の限界だった。

 今のフェイトに必要なのは合理性じゃない、理屈ではないのだと確信してしまったからだ。

 

「うぅ……あぁぁ……!」

 

 どれほどの時間が経っただろうか。

 無尽蔵に噴き出る悲嘆の情は留まることを知らないが、腕の中でもがく力は徐々に弱まってきていた。フェイトの体力は目覚めた時点ですら限界にあったのだ、それがやりきれない怒りと悲しみによって強迫的に突き動かされていただけなのだから、間もなくして叫び声が嗚咽に変わり始めたことも当然の帰結であった。

 

 しばらくは暴れることはないだろう、と。アルフはフェイトの体を包んでいた腕の一方を離して、壁のコール端末を手に取り、リンディ艦長に取り次いでもらい、証言を約束した。

 

『プレシアの行方を証言したい』

 

 同時にいくつかのお願いをした。

 映像資料を提出したいからバルディッシュを持ってきてほしい事、それをこの場所でフェイトを交えて閲覧して欲しい事。その要求はすぐに承諾された。しかし最後の要求、高町なのはにも立ち合って欲しい旨を告げると。

 

『なぜ、なのはさんの立ち合いを?』

 

 途端リンディは難色を示した。

 昨日の取り調べでもそうだが、時空管理局側の人間は何事をも慮ろうとするきらいがあるように思えた。他者に配慮を示しつつも、発言の裏を探り真意を掴もうとするのは狡猾さというのだろうか。

 だが、今のアルフには騙して出し抜こうという後ろ暗さはない。ただ純粋に、主を想うが故に要求する。

 

『フェイトが、心を許しているから』

 

 時空管理局側の連中ばかりに囲まれれば、人見知りするフェイトは萎縮してしまう。

 今のフェイトには少しでも心の支えが必要だと。アルフはそう感じていた。アルフ自身やプレシアという身近な存在とは別物の、本音を語り励まし合うことのできる存在が必要だと思えたから、感情ラインを通じて心が温まるような親近感を覚える高町なのはを要求したのだ。

 

 幾ばくかの沈黙の後、リンディは柔らかい声色でこの要求を承諾した。それから数分と経たない内に、リンディ、クロノ、エイミィが。その後ろから、高町なのはがビクビクした様子で入室してきた。

 フェイトは彼らの存在に気づきはしたが、相手にできる程の心の余裕を持ち合わせていなかった為にアルフの膝元に頭をうずめていた。アルフは、その耳元に「そのまま、話しだけでも聞いていておくれよ」と囁いてから立ち上がると、まずエイミィが口を開いた。

 

「お待たせしました、アルフさん。バルディッシュです」

「悪い――――……いえ、持ってきていた、だた……いただいて、ありがとうございます……」

「あははっ、どういたしまして」

「我々は君たちを証人として迎えているつもりだ。そう固くならず、気楽に話してくれればいい」

「んっ、そうかい? 助かるよ、執務官」

「あははっ……。アルフさん、切り替え早くない?」

 

 アルフはバルディッシュを起動して各種記録を確認する。

 プレシアとの交信記録やフェイトの行動履歴、訓練プログラムやらに手が入った痕跡が散見された。色々調べられたようだが完璧にというわけではないらしく、アルフはとりあえず胸をなでおろす。

 

「バルディッシュ、例の指令を再生しておくれ」

Are you really sure……?(本当によろしいのですか?)

「フェイトの為だよ。フェイトに必要なのは、あの女の命令じゃない。バルディッシュ、アンタにもわかるだろう……?」

 

 人間の心、人間の気持ちを救うために必要なもの。酷く情緒的な言葉であったが、それはバルディッシュとて理解している。怒りや悲しみに覆われたプレシアとフェイトの関係を間近で体験してきたバルディッシュには、まるで自分の事のように理解できることであったから。

 

『OK.』

 

 バルディッシュは各データ領域に分散させた無数のクラッシュファイルの集積を開始する。その作業は、隠蔽していたデータの再構成作業。時空管理局に発見されるわけにはいかないと理解したバルディッシュが選択した、最も隠蔽性の高いデータ保存方法であった。

 集積と変換、そして再構成によって形成されたひとつのデータ――――それは短い映像記録であり、バルディッシュはアルフの要求通りにその再生を開始する。

 

『犬っころ』

 

 女の声が木霊し、天啓が差したようにフェイトが顔を上げる。

 バルディッシュを起点として中空に表れた映像に、フェイトの表情が見る見るうちに変化した。深い悲しみに、苦悶の表情が滲んでいた。

 

『フェイトの命が惜しくば、私の命令に従いなさい』

「母さん……」

 

 

 そこに映るのは、次元震が引き起こされる直前の出来事。崩落する≪時の庭園≫中枢部にて、フェイトを腕に抱いたプレシア・テスタロッサの姿であった。

 

 

 

――――

 

 

 強制転移によって術者が物理的に引き離されたことにより、体を拘束していたバインドが消失すると、アルフは満身創痍の体を起こし、重くのしかかるような空気に晒されならがやっとのことで立ち上がる。

 プレシアの有無を言わさぬ視線の前に立ち上がり、回復しつつあるとはいえ魔力的にも肉体的にも万全には程遠いダメージを自覚しながら音を殺して息を吐く。

 

「何をすれば、いいんだい……?」

 

 フェイトの身柄を盾に取られたアルフに選択肢はなかった。

 救出に身を乗り出そうにも、魔導士として遥か格上に位置するプレシアを相手にしては成す術はない。間違いなく、プレシアのバリアジャケットに触れる事すらできずに打ち払われる。よしんばフェイトの救出に成功したとしても、ジェルシードの波動が錯綜する中で転移できたとしても任意の場所に離脱することは困難を極める。もしかしたら全ての魔法が無効化される虚数空間に弾き飛ばされる可能性だってある。

 

 アルフに選択肢はない。

 そういった八方塞がりの心境を察してか、プレシアは浮遊魔法を駆使してフェイトの体を宙へ放った。まるでおもちゃ箱に投げ戻される着せ替え人形のように、放物線を描くフェイトの体。自身に向かってくるその小さな体を、アルフはそっと受け止める。 

 

 同時に憤りを覚える。

 フェイトを物のように扱うその傲慢さ、その醜悪な精神性にアルフの視界が真っ赤に燃え上がるが。睨みつけたプレシアが纏う空気、憑き物が取れたように冷静なその様を目の当たりにして、アルフは毒気を抜かれる。

 

「為すべきことは二つ。まずフェイトを連れて時空管理局と合流しなさい」

 

 同時に展開されるのは転移魔法の陣。なんらかの罠ではないかと、アルフは即座にその解析をする。

 何の変哲もない魔法プログラムではあったが、次元空間に開かれた通路は魔導炉心の多大なエネルギーで補強されており、ジュエルシードの波動に左右されることなく転移先の座標――第97管理外世界、地球――に抜け出ることができる確信が持てる。

 

 それ故に、プレシアがどういった意図を持っているのか。アルフはその意図を推理し、この後に及んでまだフェイトにそんなことをさせようというのかと辟易する。

 

「…………囮ってことかい」

「逸るな。奴らに余計なことをされて、次元震が暴発しては私が動く意味がないわ。いいこと? 時空管理局がジュエルシードと次元震に干渉しないよう、貴女は全霊を賭して奴らを制止なさい。それがフェイトの為になるわ」

「どっちにしたって一緒だろっ。アンタがアルハザードに行くってことは、この辺りの次元空間が丸ごと消滅しちまうってことで……。あの地球って世界に出たって、フェイトが巻き込まれちまうじゃない――――ッ」

「喚くなッ!」

 

 バチン、と。プレシアが叫ぶと同時にアルフの頬が弾けた。

 何事かと思えばプレシア手に持つ(デバイス)で殴られたようで、しかしながらそれが十二分に手心を加えた一振りであったことを理解し、アルフは困惑する。

 

「使い魔風情がそんな事を心配する必要はない!」

 

 これまでフェイトを痛めつけてきた癇癪とは違う苛立ち、まるで手を出してしまった自分を恥じるような、あるいは心の恥部を晒すことを躊躇うような素振りさえみせるプレシアの姿に、アルフは状況が呑み込めずにいた。

 しかし、何か良心のような部分で、プレシアがそのような態度をちらつかせる理由を朧気に理解する。

 

「いったい、アンタは……?」

「だからっ、次元震を抑えてやると言っているのよ。察しなさい、バカ犬っ!」

「バッ……――――!」

「いいこと? もう一つの命令は、フェイトが私との関係を断つように動きなさい。お前達だけでは時空管理局から逃れることはできない、罪人として拘束される。これは逃れようのない現実よ。そして、いいこと? 現実的に考えなさい。『主犯であるプレシア・テスタロッサに命じられるがままに、フェイトは行動していた』とでも時空管理局が理解したならば、その後のフェイトの処遇がどれほど改善されるか。わかるわね、バカ犬。フェイトが下らない情愛で動かないよう、使い魔である貴女が行動なさい」

 

 そして理解する。

 この女は、時空管理局の前から姿を消すつもりなのだと。フェイトの将来から姿を消すつもりなのだと。この次元空間と共に消える気なのだと、アルフは理解した。

 

「アンタ…………――――ッ!」

「私に憐れみを向けるなッ!」

 

 ベチンッ、と。今度は手心なしという勢いで脳を揺さぶる衝撃がアルフを襲った。思わず尻もちをついて、しかもフェイトを放り出してしまった。

 不味いと思うのも束の間、フェイトの体はプレシアの腕によって抱きかかえられていた。魔法で受け止めるのではなく己の腕で、自分の体を下敷きに滑り込ませて、プレシアはフェイトを抱き止めたのだ。

 そして、アルフの目の前には理知的な光を宿したプレシアがいた。

 

「これからのフェイトの生涯はお前に掛かっているのだから、良く勤めなさい」

「は、はい……」

 

 気圧されたアルフが蚊の鳴くような声で頷いてしまう。

 

 プレシアはどこか不満気だったが、まぁいいわとでもいうようにこれみよがしに溜息をついて、フェイトを抱きかかえて立ち上がった。静かに、まるで赤子の眠りを妨げないように、そっと立ち上がったのだ。

 

 崩落する≪時の庭園≫、中枢部の瓦解は始まっているというのに、プレシアはフェイトを眺めていた。

 

 プレシアは酷く疲れた面持ちであったが、そこにはただならぬ想いが表れていた。寂し気で、悲し気で、どこか深い満足感を秘めた眼差しがフェイトに注がれていて。嗚咽に震えるような唇だったが、それはいつの間にか柔らかい微笑みに変わっていて。まるで未知のものに触れるような恐々とした様子で眠れるフェイトを引き寄せて、けれども小さな蕾が傷つかないようそっと包むような仕草でフェイトの頬に指を這わせ。

 その一瞬、アルフは確かに見た。

 

――――愛しているわ。

 

 音になることなく。

 

 プレシアの唇がそのような形を描き、フェイトの頬に伝う涙を拭ってみせたその感情の発露を。アルフは確かに見たのだ。

 

 

 それが真実の形。夢幻の類ではなく、アルフとバルディッシュの記憶に残った現実。どこにでもある当たり前の情愛、形に残らなくとも信じられる普遍の親愛は、確かにその時その場所にあったのだと。

 

 アルフは、フェイトを抱きかかえて地球へ離脱した。

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

「プレシアは≪時の庭園≫に残って次元震を抑えたんだ。……どういう心境の変化があったのかは知らないけどね。理由は、今の通りさね」

 

 嗚咽が室内に木霊する。

 バルディッシュを握りしめてうずくまるフェイトのそれは苦悶にも聞こえ、しかしその背をそっと摩るアルフの姿には安堵の色が伺えた。

 

「なぜ、この映像を私達に?」

「艦長さん、アンタたちは信用できると思った。アタシ達が人並み以上の待遇を受けているからね」

 

 時空管理局。次元世界に法の秩序を敷く彼らのルールでは、次元世界の存亡に関わる犯罪は死罪に相当する。遺失物(ロストロギア)強奪もまた終身刑総の重罪であることは、アルフも知識として知っていた。フェイトとアルフには、少なくともこれら二つの罪状が確定しているはず。

 

 だというのに、彼らから受ける待遇は寛大に過ぎるように思えた。

 充分な治療と食事が与えられ、要求があれば耳を傾けてくれるのだから。それらしい扱いといえば、拘束時に厳重な身体検査がされデバイスを取り上げられた事、今に至っては病室への隔離という些細な制限がある程度。かつてのプレシアの待遇に比べれば天国も同然であった。

 

 加えて執務官、クロノ・ハラオウンの正義感は紛い物ではないようにアルフは実感していた。プレシアがフェイトを切り捨てた直後、彼はプレシアに言ってのけたのだ。

 人の心はないのか、と。行動を伴うその義憤は、アルフの目には自らの代弁者に映ったのだ。

 

 同じ視点で物事を見ることができる人物。彼ならばプレシアの意を汲み、アルフの望むように力を尽くしてくれるのではないかと感じ、懇願する。

 

「だから頼むよっ、あのプレシアがああまで言ったんだ。あの映像をみりゃわかるだろ? フェイトの事、なんとか上手いこと……――――」

「悪いが、この映像は証拠品には成り得ない」

 

 だが、あっさりと。

 取り付く島もなく、アルフの期待は切り捨てられた。

 

「クロノくん!」

「なのは、君の出る幕じゃない。アルフ、君はプレシアの行方を提示すると言った。だが、この映像では彼女の足取りを追うことはできない。残念だが、証拠品としての力はないよ」

「そういう事の為に見せたんじゃッ――――」

 

 途端、余計な発言は許さないとでもいうように、アルフの口元にバインド魔法が掛けられる。当然、それをやったのはクロノであった。

 

「執務官として、本証拠品に対する裁定を下そう」

 

 これが時空管理局の最終判決だといわんばかりに、クロノは言う。

 

「『この映像は、プレシア・テスタロッサの行方を証明する証拠には成り得ない』と執務官権限で断定し、当局はこの証拠品を押収しない。つまり本映像は誰の目にも止まることなく(・・・・・・・・・・・・・・・・・)存在しないものとして廃棄されることになる(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 よろしいですね、と。

 クロノがリンディに問うと、彼女もまた微笑ましいものを眺めるように悠々と頷いた。

 時空管理局高官である二人のやり取りがどういった意味を持つのか。口元のバインドが消えて大きく息を吸ったアルフは、思わぬ方向に流れた空気に思わず首を傾げてしまう。

 

「そいつぁ、どういう……?」

「記録に残ったプレシアの発言が、法廷の第三者にどういった意図で受け取られるか。それが問題なんだ」

 

 プレシアの映像は聴衆に憐憫の情を誘うだろうが。映像に残る彼女の発言は、裏を返せば〈フェイトが能動的に事件へと関与し、その事実を隠蔽するようアルフに指示している〉と取られかねない。少なくとも、法廷に立つ第三者はそういった疑念を抱かなければならず、そこから派生する諸々のシナリオを否定するのは困難を極める。

 故に、クロノは執務官として断言したのだ。

 

「フェイト、顔を上げてくれ」

 

 それはプレシアの本意ではない(・・・・・・・・・・・)。クロノはプレシアのいうなれば遺言を受け入れ、証拠の押収を拒否したのだ。

 

 フェイトは涙に濡れたままの顔を上げた。

 

「聞いての通りだ。我々の手元に現存する数々の証拠品から、君には情状酌量の余地が十二分にある。君がプレシアの望むように証言してくれれば、後は僕たちが彼女の願いを最大限実現するよう努めよう」

 

 アルフもまた涙が流れるのを止められなかった。自身の望みが果たされるという安堵の想い、プレシアの真意を知ったフェイトから流れてくる万感の想いがそうさせていた。

 

 しかし、それだけでなく。

 歓喜と同時に、感情ラインから流れてくるある決意があった。

 

 

 

「それは、受け入れられません」

 

 

 

 その声には、確かな重みがあった。

 クロノが目を白黒させているその前には、涙に濡れるフェイトの決意の表情があって。アルフはそこから先を言わせてはいけないと衝動的にその肩に飛びついた。

 

「フェイトっ!」

「いいんだよ、アルフ」

 

 これまでぐらついていた自分が定まるような、これまで不安定だった気持ちが固まったような確固たる意志を眼差しとして、アルフの手は払われた。

 フェイトは、己の意思を音にする。

 

「私は証言します……――――私は、私の意志で母さんの手助けをしていました。心のどこかで、それが正しい行いでないとわかっていながらやりました」

 

 それは、フェイトの本心であった。

 偽りのない本意、掛け値なしの本懐を語るように、フェイトは立ち上がっていた。

 

「いいのかい? 君には魔導士として高い能力がある。司法取引により死罪は免れるだろうが、辛く長い道のりになるぞ。それは、君の母親の願いに反するが――――」

「構いません」

 

 それでも、フェイトの瞳から涙が枯れることはなかった。これまで我慢していた分を吐き出すように。これまで疑ってきた自分の気持ちに向き合うように両手を握り締めて、溢れる感情から口角を上げて、フェイトは笑った。

 

 

 

 

「だって私、母さんの事――――大好きだから」

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 





 もしも、あの日。
 フェイト・テスタロッサが高町なのは向かい合うような事がなければ、彼女は幸福だったかもしれない。

 プレシア・テスタロッサとの関係を与えられたものとして受け入れ、向き合うようなことをせずに、肩を丸めて心を隠して、アリシアの代替品としてプレシアと共に生きていく道を歩んでいたことだろう。どれほど虚しくとも、母親という演者のみを拠り所として、与えられた幸福感を真実だと受け入れて、生きて行けたかもしれない――――。




 だがしかし、それはもう過去の記憶に過ぎず、これから始まる彼女の物語ではないと断言しよう。



 なぜならば、あの時。
 プレシア・テスタロッサがフェイト・テスタロッサと向き合う事で、彼女自身が自覚することのなかった真実に気が付いてしまったからだ。

 これまで取り合うことのなかった、たった一人の娘の代替品でしかなかったはずの出来損ないの人形が、フェイト・テスタロッサという確立された自己を獲得していたという現実。
 過ぎ去った記憶の中にしか存在しないアリシア・テスタロッサではなく、腕の中で泣き叫ぶフェイト・テスタロッサという娘の将来を案じている無自覚の親愛を、プレシア・テスタロッサは自覚してしまったのだから。




 そして、これから先。
 プレシア・テスタロッサが抱いた真実の愛情を得た彼女は――フェイト・テスタロッサは、もう迷うことはないだろう。

 これから先のフェイトは、記憶に残るアリシア・テスタロッサの思い出に縋ることなく、自らが得た体験を自信として、胸を張って前を見て、テスタロッサの名を名乗り続けるだろう。 
 故に、フェイト・テスタロッサはどれほどの苦難が待ち受ける道程であろうとも挫けることはない。例え母親の罪を負い、贖罪の道を歩み続けることになっても、悲しみが彼女を俯かせることはない。自責の念はもう胸にはないのだから。


 真実を得た彼女が歩く将来は、そうでなかった未来よりも良い道程となると、私は心から信じている。
 


――――調書『バルディッシュの証言』より抜粋
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