魔法少女リリカルなのはS.F.~お前にラブハート~   作:どめすと

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『想いはハートで引き寄せるものなの!』

 

 週末の河川敷。白線で仕切られたグラウンドを右ヘ左へと駆け回る男の子たちを眺めていたすずかは、同じようにベンチに腰掛ける横の二人をちらりと盗み見る。

 

「がんばれー!」

 

 両手をメガホンにして、目いっぱい声を張り上げるアリサ・バニングス。

 

「がんばれ! 坂本先輩!」

 

 大人しいフェレットを膝に乗せて、こぶしを突き上げる高町なのは。

 二人はすずかにとって一番親しい友達である。

 

 友達の声援が向かう先は、なのはの父親が指導するサッカーチーム≪翠屋JFC≫。なのはの父、高町士郎のアリサもなのはも乗り気だったため、じゃあとすずかもついてきたのが事の発端だった。

 

「いけー、吉田!」

 

 アリサの熱狂から試合へ目を戻すと、相手のディフェンスラインに切り込んでいくエース吉田と、逆サイドを並走する五年生の佐山の姿があった。

 

 すずかはサッカーの上手い下手まではわからなかったが、同級生の吉田がボールをぐるんぐるんと足で操りながら体の大きな上級生の集団を走り抜ける様は素直にすごいと思った。運動ができすぎてしまうすずかの目から見ても、吉田の動きはマネできないとわかってしまう。学校では見かけることのない吉田の真剣な顔つきを見れば、すごく練習したんだろうと直感できてしまったから。

 

 だから。

 

 吉田の攻勢がディフェンダーに阻まれたと思いきや、身体の重心を右へ見せかけてボールと共に左から突破していった瞬間、すずかは手に汗を握っていた。

 

 しかし、ゴールもかくやというところで審判の笛が鳴ってしまうと。

 

「あ~」

 

 大きくため息を吐いたのはアリサとなのはだった。

 落胆を示す二人を見てから。すずかはグラウンドで起きたことと本から得た知識を照らし合わせて、今、何が起きたのかを遅れて理解する。

 

「……オフサイドだね、佐山先輩の」

「おしー! あとちょっとなのに!」

「でも気持ちが前に向かってる証拠だよ! ドンマイドンマイ!」

 

 アリサたちの熱中ぶりから、すずかはほっと胸をなでおろす。

 

――――よかった、ルールを間違えなかった。

 

 すずかはサッカーというスポーツを知らなかった。

 それは興味をもったことがなかったという意味。フォワードやオフサイドといった用語については耳にしたことがあるが、なにを意味するかまでは知らなかった。知ろうともしなかった。

 ただ“友達であるアリサとなのはとサッカーを観る”となれば話は別で。すずかは図書館でサッカーのルールブックを熟読し、プロサッカーの週刊誌に目を通した上で、今日の試合観戦に臨んでいた。

 

「また吉田くんだよ!」

「よっしゃ! 吉田ぁ! はったおせェー!」

 

 なぜ友達の趣味に合わせるためにそこまでするのか。

 それはとても簡単な理由だった。

 すずかにとって、それはこの上なく尊いことだから。

 

 楽しいことや面白いもの、美しい光景や素晴らしい音楽。そういうものを感じられる時間を共有すること。そういうことができる存在。それが家族とか友達という存在。それが大切な人なのだとすずかは感じていたから。

 だから、今。ひとりでは興味を持とうともしなかったサッカー観戦だって楽しいのだ、と。すずかも、二人の熱気を受けて負けじと声を張り上げる。

 

「いけー! 吉田くん!」

 

 時間はあっという間に過ぎていき、≪翠屋JFC≫は五点もの大差をつけて大勝利を収めた。

 

 

 

 海鳴市のサブマリンストリートにある、酒屋≪頑固堂≫という看板のショッピングモール。その中の大きな洋食店にて、高町士郎がジュースの入ったコップを高々と掲げた。

 

「それでは、我ら≪翠屋JFC≫の勝利を祝って!」

 

 乾杯! と店中から子供の声が立ち上るのを見届けてから、野外にせり出したテラス席に腰かけるすずかもまたおずおずとコップを掲げてからそれに口をつけた。

 

「乾杯!」

「大勝利だったね!」

 

 卓を囲むアリサとなのはは満面の笑みで試合内容を語っていて。すずかはうんうんと相槌を打ちはしていたけど、話の内容までは聞き取れなかった。別の事柄に気を引かれていたから。

 

 それはなのはの膝上の生き物。

 話の内容に合わせて、フェレットのユーノまでもが嬉しそうに身じろぎしているものだから、まるで人間のように表情を変化させていたから、思わず手を伸ばしてしまった。

 

「……フェレットって賢いんだね」

 

 すずかがユーノの頭をなでると、ユーノはビクッと体を震わせた。驚かせちゃったかな、と。すずかは慌てて手をひっこめる。

 

「ど、どうしたのすずかちゃん。急に……!」

「なのはちゃんの膝の上でいい子にしてるし、なのはちゃんとアリサちゃんが嬉しそうにしてると、ユーノくんまで嬉しそうにしてるんだもん」

「……いわれてみれば」

 

 アリサは、なぜか冷や汗を流すなのはと、その膝元で硬直しているようなフェレットを見比べて頷いた。

 

「フェレットって、犬並みに賢いのかしら……」

「犬はヒトの心がわかるっていうもんね」

「そ、そうだよ! ユーノくんは賢いの! ほら、ドリブル!」

 

 なのはが赤いビー玉のようなものをテーブルに転がすと、ユーノは二足で立ち上がり、せこせことサッカーボールのようにドリブルを始めたのだ。

 

「すっごーい!」

 

 すずかは思わず拍手をしてしまった。

 目を光らせたアリサが「天才フェレットね」と呟いてすずかも大きく頷く。世の中には歌う猫なるものがいるというが、サッカーをするフェレットまでもがいるとは思ったこともなかったから。

 

「あっ! や、やっぱダメ!」

 

 しかし、なのははすぐにビー玉を取り上げたために、ユーノのスーパープレイはお開きとなってしまった。「ごめんね~」とビー玉とユーノの双方に謝るなのは。まるで愛犬や愛猫に接するようななのはに、すずかはある不安を覚えた。

 

「そういえば、ユーノくんの飼い主さんは見つかったの?」

 

 ユーノには飼い主がいるはずだったから。

 なのはが転がしたビー玉は、出会いの日にユーノが首から下げていたもの。それは猫や犬でいう首輪のようなもので、飼い主がいるはずだという結論に至ったものだった。

 だというのに、なのはのユーノへの愛着は、本当の飼い主の存在を忘れているからではないのか、と。

 

 しかし、なのははあっけらかんと口を開いて。

 

「とりあえずは警察に届け出? を出して、動物病院の院長さんにも改めてお話してあるよ。『飼い主のヒトが見つかったら連絡をください』って」

「しっかりしてるじゃない、なのは」

 

 すずかは胸をなでおろした。

 

「はやく見つかるといいね。飼い主さん、すごく心配してるはずだよ」

 

 ユーノを愛している家族がいるはずだから。

 すずかが、もしもユーノ本当の飼い主と同じ境遇だったら、すごく心配すると思うから。

 

「そ、そうだね」

 

 なのははひきつったような顔をして、コップに口をつけた。

 これだけ愛らしいフェレットだから、お別れが辛いのかもしれない、と。すずかはなのはの気持ちを何となく察してジュースを口に含む。

 

「な、なぁ、月村」

 

 すると会話のタイミングを見計らったように、店内から出てきた男の子が声をかけてきた。戦隊もののTシャツを着た男の子、≪翠屋JFC≫のエースで、同級生の吉田であった。その様子は、試合で敵陣に切り込む堂々としたものではなくて、先生に怒られるのを心配するときのように見えて。

 

 すずかはなにかあったのかと、胸の内で心配しながら「どうしたの、吉田くん?」と教室で話しかけられた時のように答える。

 

「……いっしょに、ケーキ食べないか」

 

 吉田が控えめに指差した方には、二人用の席に二つのお皿、その上にはフルーツケーキがそれぞれ乗っていた。

 

 学校で時たまあるお誘い。

 すずかは、あまり言葉を交わしたことのない男子生徒がお昼を一緒に食べようと誘ってきたときの状況を思い出して、いつものように断ろうとコップを置いた時だった。

 

「ダメ!」

 

 アリサがすずかの前に立ち上がったのだ。

 

「な、なんでだよ、バニングス! お前にはカンケーないだろ!」

 

 吉田は怒るというより、気圧されそうになるのを踏ん張るように声を上げた。

 すると座っていたなのはが「アリサちゃん」と、息巻く腕を軽く引いた。

 

「すずかちゃんがいいなら、ちょっとぐらいはいいんじゃ――」

「ダメったらダメ! すずかは私たちと遊んでるんだから」

 

 アリサは大人びいた理知的な友達だが、時折幼い一面が飛び出す女の子でもあった。特に最近は男の子関連でなにかあったのか、男子が会話に割り込んでくるとすぐ噛みつくようになっていた。

 

 すずかは店内から無数の視線、同級生が何人もいる≪翠屋JFC≫から視線が向けられているのを感じて「アリサちゃん」と、なのはが掴む逆の手を引くが。

 アリサの勢いに尻もちをつきそうな吉田だったが、彼はすずかの方に目を向けてきた。真っ直ぐに。

 

「つ、月村はどうなんだよ」

 

 すずかは多数の視線に晒されるのが苦手だった。

 店内の視線が、一手にすずかに向けられているようだった。彼についていったら、もっと酷くなるとわかっていたから「ごめんね、吉田くん」と目を合わせないようにするしかなかった。

 

 すると、吉田からピシリとでもいうような音が聞こえた気がして。

 

「吉田ァ!」

 

 吉田がその俊足を発揮して店外へ飛び出していき、数人のチームメイトが追っていく。

 それを見送ったすずかの頭上で、アリサはなのはにガンをつけていた。

 

「なのは~」

 

 裏切者め、というように睨みをきかせるアリサ。

 それは違うよと、すずかはアリサの熱い手を引くが、なのはは大きな目でアリサを見つめ返していた。とても頼もしい顔つきで。

 

「だって、ハートが伝わらないのって。伝えることもできないのって、すごく辛いことだよ」

 

 なのはは、真っ直ぐな女の子だった。出会った頃から変わらないなのはの瞳は、獣のようなアリサを簡単になだめてしまう。そういう魅力のある女の子だった。

 アリサは「う~」と腕を組んで。

 

「チャンスぐらいは、やるべきだったかぁ~?」

「チャンスだなんて……」

 

 それも違うよ、と。すずかは声が小さくなるのが分かった。

 アリサはなのはを見つめないように、しばらく所在なさげに視線をうろつかせていたが。どこかを境にある一点を注視しはじめた。

 

 視線を追うと、そこはテラスの端の席。

 二人掛けのテーブルで、一緒にケーキを食べる上級生の佐山と、彼と同級生のマネージャー、木野が談笑している姿があった。

 

 何の変哲もない、友達同士の話し合い。

 

 それがどうかしたのかとアリサに目を戻すと、その頬が熱を帯びているように見えて、もう一度視線を追いなおす。そこは、テーブルの下で……。

 

「――……わぁ」

 

 テーブルの下で指を絡ませている二人の男女。

 

「これって、つまり……。そういうことでしょ?」

 

 アリサの呟きに頷いてしまう。

 すずかもまた同じ結論に至ったから。

 

 

 すずかは想像してしまった。

 吉田と自分が、こういう関係になるのか、と。

 二人で顔を見合わせて。お話をして、ケーキを食べて、手をつなぐ。

 

――――吉田くんと……?

 

 しかし、その想像はなんだか中身が伴わなくて。

 すずかは、熱が引いていく感覚に任せて息を吐く。試合での活躍はカッコいいと思ったし、学校でもクラスの配り物をするときに手伝ってくれたやさしい男の子。だけど、それ以上の事となるとやっぱり想像がつかなかったから。

 そんな時だった。

 

 佐山のポケットが一瞬青白く光った。

 光ったように見えた、気がした。

 携帯電話の着信ランプよりも、もっとはっきりした光だった気がしたから。気のせいかと、隣の友達に確認しようとしたけど。

 

「なのはちゃん、どうしたの?」

 

 佐山たちに熱中するアリサに反して、ぼんやりとしたなのはが気になった。

 

「……な、なんでもない、ちょっと勘違いしただけ」

 

 なのは忙しなく両手をぱたつかせた。

 すずかはどうしたのと訊きたくなったが、すぐに結論は出た。

 

 佐山たちに視線を戻すと、その手がいつの間にかほどけていたから。

 

「勘違いじゃ、ないと思うけどなぁ」

 

 

 

 

 ≪翠屋JFC≫の祝勝会がお開きになり、すずかは午後の商店街を、姉の月村忍とメイド二人の、合計四人で歩いていた。

 

「ちょっと買いすぎたかな」

 

 この後用事があるのに、と呟いた忍。

 

 すずかは後ろを歩くメイドの手を見やった。

 彼女たちの両手には紙袋がぶら下がっていた。その中身を考えれば、忍の買い物が悪いことだとは全く思えなくて、忍の手を握り返してあげた。

 

「でも、大学で必要な物なんでしょ」

「そうなんだけどね」

 

 紙袋の中身は、ハードカバーの書籍の数々。それを両手にとなると量も重さもかなりのものだろう。しかし大学という雲の上にいる忍にはこれでは足りないのではないかと、すずかは姉を見上げる。

 

 背が高くて、美人で、優しくて。わからないことなんてなにもない完璧な姉。その上、高町恭也という素敵な人までいる素敵な女性。

 

「私も、お姉ちゃんみたいになりたいなぁ」

 

 急にどうしたの、とでもいうふうに苦笑した忍だったが。なにかを思い出したのか、困り顔が優しい姉の微笑みに変わると。

 

「じゃあ、すずかも色々なことを経験しないとね」

 

 ぐいっと、手が強く引かれて。

 早まる忍の歩幅に、身体を引きずられないよう一生懸命足を動かしてすずかはついていく。こんなに強引な姉は見たことがなかったから、すずかは困惑した。

 

「どこに行くの、お姉ちゃん」

「これから、すごいことが起きるのよ」

 

 忍に連れてこられたのは≪サブマリンストリート≫の一角。小さな路地に位置するBAR≪シティ・セブン≫というお店。カランと胸をくすぐる鐘の音が聞こえた。

 

「こんにちは、マスターさん」

 

 渋い木目調の店内。

 カウンター席の向こうには、すずかには縁もゆかりもないアルコール飲料が、それぞれ自己主張をしながらも整然と並んでいた。

 

 大人のお店。

 

 すずかがそんな印象を抱くと同時に、奥から浅黒い肌の男性が現れた。

 

「忍さん、いらっしゃい」

 

 とても男らしい見た目の男性であった。

 その包容力のある声が「おや?」とすずかの方を向いてきた。

 

「妹です」

 

 姉にそのように背中を押されるのはいつものことだった。

 すずかは「月村すずかです、はじめまして」とお辞儀をする。姉に時折連れていかれるパーティ会場ではいつものことだった。

 

「これはご丁寧に。はじめまして、レイ・ラブロックです。BAR≪シティ・セブン≫のマスターをしています」

 

 しかし相手はパーティ会場で会うような男性とは異なり、飾り気のないお辞儀を返してくれた。粗暴ではなく。身近な男性が、まるで父親が娘にするかのような親しみが感じられた。

 

「すずかちゃんは、音楽は好きかい?」

 

 なぜそんな質問をとすずかは疑問に思ったが、よくよく見れば、店内の奥にはドラムセットやキーボードといた楽器類が見受けられた。ここはきっと音楽を聴きながら食事をするところなのだろうと、容易に想像がついたから。

 

「はい、とても」

 

 それはよかった、と。屈託なく微笑むレイに、すずかは褒められたように気持ちが上向いて。

 

「私、バイオリンを習っているんです」

 

 おしゃべりが得意ではない方だったが、自分の事を話したくなった。

 

「へぇ、バイオリンか」

「すずか、上手なんですよ。コンクールにも入賞したことがあって」

「すごいもんだな。おじさんもバイオリンを触らせてもらったことがあるけど、まともに音を出せなくてね……繊細な楽器だよ」

 

 すずかちゃんは器用だなぁ、と。レイが陽気に笑ってくれたから「そんなことないですよ」と、すずかは肩を丸めたくなった。

 

「おっと、もうそろそろだ。どうぞ、会場へご案内します」

 

 レイはそう言って店内奥へと進んでいく。

 すずかは何がと訊きたかったが、忍が何も言わずについていくためすずかも後に続く。

 

「そういえば、バイオリン教室の帰りは遅くなるのかい?」

 

 地下への階段を下りていて。レイの木霊する声にすずかは頷く。放課後から二時間の習い事。夜の8時に終わることを考えれば、すずかの年齢から考えて充分に遅い時間帯だったから。

 

「最近は物騒だから気を付けた方がいい。一昨日だかに、海鳴市近辺で子供を狙った誘拐犯グループが逮捕されたみたいだけど……。変な大人はたくさんいるからね」

「そうですね」

 

 それはすずかもニュースで見た内容だったから。

 大人と帰るように心がけています、と。すずかは忍とレイを安心させたくて口を開こうとしたが。地下の重厚な扉を前にして「そういえば」と目の前を歩いていた忍が口を開いた。

 

「恭也はいますか?」

「……今日は妹さんとデートだそうです」

 

 なぜか声を潜ませたレイに、忍は「そうですか」と答えた。

 すずかは、底冷えするような感覚に襲われたが、忍が目の前の重厚な扉を勢いよく引き開けたことで、その寒さは霧散した。

 

 

 一部を除いて照明が落とされた室内は、薄暗いながら熱気で満ちていたからだ。部屋の大きさから言って五十人ぐらいだろうか。室内はそれほどの大人のヒトたちで溢れかえっていた。

 

 すずかはヒトと目を合わせないように室内を見回す。

 真っ先に目を引いたのは、照明で照らされたステージ。そこに鎮座するのは上の階で見かけたようなドラムセットと、ステージ両端の箱型スピーカー。周囲のざわめきが声がこもる空間。

 

「ライブハウス?」

 

 この場所はホールと呼ばれる音響空間だと、雑誌なんかで見かけるそれなんだろうと。すずかはなんとなく理解したが、わからなかった。

 

「何が始まるの? お姉ちゃん」

「同級生の帰国祝い……みたいなものかな。こういうの、すずかは初めてだと思ってね」

 

 お祝い、というにはラフ過ぎる空間だとすずかは訝しんだ

 見回せば確かに、姉である忍ぐらいの年代ばかりのように思えた。中にはスーツ姿の男性もいる。だが、すずかの視界を占める大半のものは、すずかの知る祝いの席には適切でないものばかりであった。彼らの大半は街中で見かけるような私服姿で、手にはペットボトルやら紙コップやらが握られていたから。

 

 すずかは忍に手を引かれながら、時折、忍が知り合いらしき人に挨拶をされながら、会場の隅へと移動した。

 

「いい、すずか。『ファイヤー』のあとは『ボンバー』だからね」

「ど、どういう意味……?」

 

 すずかの困惑をよそに、室内の最奥に位置するステージ上に、先ほど知り合ったレイ・ラブロックが上がる。会場からのぼってくる口笛やガヤガヤとした歓声にレイは軽く手を挙げて応えると、肩から掛けたショルダーキーボードの演奏を始めた。

 

「上手でしょ」

 

 すずかはうんと頷いた。

 レイの音調は控えめでゆったりしたものではあったが、その響きは視界が開けていくようで。すずかは得体の知れない期待感が膨らんでいくのを自覚した。まるで、主役を迎え入れるオープニングセレモニーのようだと思えたから。

 

 ほどなくして、ホールの出入り口が勢いよく開かれた。

 

 

 

「待たせたな!」

 

 

 

 エレキギターをぶら下げた男のヒトが飛び込んできたのだ。

 

「来たぞ、バサラだ!」「道を空けろ!」「ホントに帰ってきたのか」「熱気! 待ってたぜ!」

 

 会場が、さながらモーセの杖を前にした海のように割れると、その男はステージ上まで一気に駆け上がった。

 

「ファイヤー!」

 

 ステージ上の男が右手を突き上げると。

 

「ボンバー!」

「えっ……! えぇ!?」

 

 隣の忍が――会場を埋める観客が、合言葉とともに右手を突き上げていた。

 すずかは先の忍の言葉を思い出して、混乱しつつもやらなきゃというある種の義務感から、遅まきながら。

 

「ぼ、ぼんば~」

 

 右手をゆるゆると、のびきらないままに突き上げる。

 すずかが恥ずかしがる間もなく、会場に音楽が注がれ始める。

 

「みんな燃えようぜ! ≪突撃ラブハート≫」

 

 観客が歓声で応えると、会場は一気に、男のヒトのサウンドで満たされた。

 

 それは、すずかが好むクラシック音楽とはまるで異質な音楽だった。

 重厚な音の重なりと、じんわりと胸に染みこむメロディー。目をつむってまどろみの中に身を沈めたくなる羽毛のような肌触り。すずかが好み、鑑賞する音楽はそういうものだった。

 

 しかし、会場に満ちる音楽は、それとはまったく逆。

 ほんの数種類の楽器が奏でるストレートな音質。小さな体に打ち付ける大音量のサウンド。ギンギンと目が覚めていくような熱気。

 街灯で耳にするフィルターを通したものとは、まるで異なる音質。ダイレクトな音質。

 

 それが、すずかの身体、その芯に響き渡っていた。

 自然と体が揺れ動くようになる。すずかは、もう恥ずかしいなどという気持ちを忘れていた。ステージ上で光りを放つ男の歌、すずかは、その歌詞に意識を傾けられるようになって気づく。

 

「〈お前の胸にも ラブハート! まっすぐ受け止めて!〉」

 

 聞き覚えのあるフレーズだった。

 

「これって、なのはちゃんの……」

 

 親しい友達が、時折つぶやく言葉と同じもの。

 真っ直ぐなハートの友達が、時折歌い上げるメロディーラインと同じもの。

 

 すずかは、ステージ上の男をじっくり観察する。

 

 男のヒトは、自身の姉である月村忍と、友達の兄である高町恭也と同い年ぐらい。

 タンクトップではなくステージ衣装のような派手な装いだったが。

 目元にはちっちゃい丸メガネ。

 そして極めつけは、髪の毛がボワーって逆立っている――。

 

 すずかは会場の熱気と、乙女チックな場面に遭遇するかもしれないという高揚感に、頭がくらくらしながら、その答えを導く。

 

「なのはちゃんの、運命の―――――」

 

 

 

 その答えは、ガクンという縦への沈みに遮られた。

 

 

 すずかの言葉と思考を途切れされたのは、ホールに生じた最高潮の揺れ。これまでにない、最高潮の縦揺れだった。それが次第に大きくなっていく中で、会場の歌が止んだ。誰もが異変に気が付いていたから。

 

「地震だ!」

 

 縦に横に、揺れる室内に誰もが悲鳴を上げる中で「みなさん! 頭を低くして、ステージから離れて!」というマイク越しのレイの声。

 すずかは姉である忍に手を引かれて身を縮めた。頭を抱えた。

 

 揺れが収まり、レイの誘導によって地上に出たすずかたちを待っていたのは、商店街のはずれにみえる巨大な木であった。

 

 ジャックと豆の木。

 

 すずかがそんな連想をしてしまうほどの巨大な樹木があった。根や枝を鞭のようにしならせていたのだ。距離はあった。しかし、すずかは、それがいつ自分たちに襲い掛かってくるのか怖くなって忍の服の裾に手をやった。

 

「お姉ちゃん……!」

「大丈夫よ」

 

 姉の腕に抱き寄せられても、それが根拠のないものだとすずかは思った。心が落ち着いても、身体が震えるから。五感が危険を知らせていたから。得体の知れない怪物を目にして、大丈夫などといわれても、それが言葉でしかないことが理解できてしまった。

 

 しかし、それが思い違いに変わるのは、一瞬だった。

 

 

 

「うおおぉぉぉぉぉ!」

 

 

 

 “なのはの運命のヒト”が、ギターを片手に嬉々として飛び出していったから。

 

「バサラ!」

 

 レイの静止の声などないもののように、バサラと呼ばれた男のヒトは、近場にあった原付バイクにまたがっていった。

 

「おい! それ、おれの原チャだぞ! 熱気!」

「……ああいうやつだ。鍵さしっぱのお前が悪い。あきらめろ」

 

 そんなぁ、と。会場にいた男性らがそんなふうにわめいていると、レイが「すみません、なにかあったら弁償しますから」と、原付バイクの持ち主に頭を下げていた。

 

 すずかは、なぜだか落ち着きを取り戻していた。

 飛び出していった男のヒトが――――体の芯に響くサウンドを生み出す、友達の運命のヒトが、なんとかしてしまうんじゃないか、と。

 

 漠然と感じていたから。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 熱気バサラは、燃えていた。

 遠く見える異質に。

 巨大な木に。

 その強烈な存在感と、ひしひしと感じる想いに。

 

 音や枝が、鞭のようにしなり襲い掛かってくるのを、バサラは回避する。加速と減速、直進と蛇行を巧みに使い分けて。

 

「へへ、やるじぇねぇか、大木!」

 

 接近するにつれて、根や枝の攻勢が苛烈になっていくのがわかる。

 当然だとバサラは笑う。大木の目的を感じれば、バサラのような“男”を近づけるわけにはいかないと行動するだろうと。それでもバサラは、最前線のライブ会場へ突き進む。

 

 しかしバスン、と。

 

 突然失速していく原付バイク。メーターを見れば、ガソリンタンクが空腹を知らせていた。バサラはこれ以上の接近はできないと悟り、迫り来る根の鞭を回避する。バイクを乗り捨てて。

 

「まぁいいさ!」

 

 乗り捨てた原付バイクから、交通事故における衝突音のような悲鳴が上がる。しかし、バサラの耳にはそんな雑音は届かなかった。雑音に意識を傾ける暇はなかったから。

 

 

 大木までの距離はニ、三キロだが、充分だった。音を届けるには充分な距離だった。特別製のエレキギターの音量を最大にして、肺を空気で満たす。

 

「大木よ! 力だけじゃハートには届かねぇぜ!」

 

 バサラは、いまなお打ち付けてくる根をステップで避けながら、ギターを奏でる。

 記憶の底へ染みこんでいくような、木々のささやきのように胸に通るメロディーを。

 

 

 

「思い出させてやる! ≪REMEMBER 16≫!」

 

 

 





今日のご機嫌なナンバー。

曲名:突撃ラブハート
歌手:FIRE BOMBER
作詞:K.Inojo
作曲:河内淳貴
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