あべこべ世界に提督着任!艦隊の指揮に入ります!   作:full throttle

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 待たせたな。


第四話

 着任式兼歓迎会の翌日。提督である克己は早速秘書艦である由良と執務に励んでいた。前提督がいなくなってから書類仕事が止まってしまっていたため、かなりの量の書類を片付けなければならない。ある程度、長門などが片づけはしていたようだが、それでも片付くことなく、今克己にお鉢が回ってきていた。 

 

 とはいえ、これが提督の仕事である。やれと言われればやらねばならぬし、職務を全うする以上、やれと言われなくてもやるつもりである。

 

「つってもこの量はな……」

 

「すみません提督。私たちでは一日の書類を片付けるのに手いっぱいで……」

 

 それでも処理する書類の枚数が多い。慣れてないとはいえ、二人掛かりで処理してまだ一割程度である。それに加えて今日の分の書類が来るとなれば、一体いつ終わるのだろうか。

 

「まあ、書類仕事は提督の仕事だしこればっかりは仕方ない。さっさと終わらせちまおう」

 

「はい」

 

 二人は書類に向き合う。克己は集中しどんどん書類を片付けていくが、由良は微妙に集中できていない。書類仕事が苦手というわけではない。ただ、環境が非常に集中力を削いでくる。

 

(提督さんの首筋に垂れる汗が……)

 

 克己は基本的に詰襟の下にパーカーを着ている。理由としてはシャツよりも首元が楽だとか単にこっちのほうが好きだとかあるが、そこはどうでもいい。問題なのは時期。現在、夏よりの初夏といった時期であり、少しずつ暑くなり始めている。当然執務室も例外ではない。海沿いということもあって少し蒸し暑い環境でまあまあの量を着込んでいるのだ。暑さで汗が出て、首筋を流れる。そのせいで非常に良くないものが執務室内に充満していた。

 

 由良はこのことを指摘しようかとも思ったのだが、本人に悪意があるとは思えない。そんな状況で指摘するのは気が引ける。かといってこのままでは集中できない。わずかに漂う空気が由良の耐性無き脳を侵食してくる。引くこともできずかといって進むこともできない。どうしようかと半分の思考力を割いているといとも容易く解決のチャンスのほうからやってくる。

 

「麦茶……」  

 

 そうつぶやいて元凶が立ち上がったのだ。手には空になったグラス。冷蔵庫に向かって歩き出す。本来であれば秘書艦である由良が率先して受け取る場面かもしれないが、別の問題を解決するならここしかない。由良も続いて立ち上がると克己の背にある窓に向かって歩み寄り窓を開けた。今まで密閉されていた空気が外に漏れだし執務室に風が入り込む。 

 

「ん?由良暑かったのか?」

 

「え、ええ。もうすぐ夏ですから」

 

 適当にごまかした由良は自分の机に戻り、執務を再開する。匂いが紛れただけでなく入ってくる風のおかげで頭が冷やされ、集中しやすくなった。これで先よりも集中して執務に励むことが出来ると考えた。しかし、この後すぐ自分の浅慮を後悔することになる。

 

「ああいかないで……」

 

 風で巻きあがった書類を拾う克己。二、三枚ほど回収したところで彼も執務机について執務を再開する。ここで彼の集中力とは反対に由良の集中力が下がっていくことになる。

 

(ああ、提督の匂いが直に!直に!)

 

 秘書艦用の机の位置は提督用の机の斜め前。ちょうど窓と机で克己を挟む場所に位置している。つまるところ克己経由の風を一身に浴びることになるのだ。克己の汗の匂いを多分に含んだ風は由良を包み込む。男性特有の匂いはさながら麻薬のように由良の脳に侵食し、クラクラと集中力を奪っていく。

 

 全く集中できなくなった由良はいったんお手洗いに立って気持ちを切り替えようと机を離れ、執務室を離れた。

 

 一人、執務室に残された克己は何の疑いも持つことなく、執務に励むのだった。

 

 数時間ほど執務に励んだ二人は書類の四分の一ほどを終えた。窓の向こう、大海原は赤く染まっており、夕暮れを告げている。

 

「ああ、結構やってたんだな。んじゃ今日の執務は終了!解散!」

 

「はい。お疲れさまでした。このままご夕食にされますか?」

 

「つってもなぁ。この後また執務するから食堂に行くのも怠いんだよなぁ。かといって食わないのもなぁ……」

 

「でしたら私が作りましょうか?」

 

「んにゃ。これ以上由良に頑張ってもらうのもあれだからもう戻ってもらってもいいよ」

 

 眉間を揉みながら由良にそう告げた克己であったが、由良としてはそうはいかない。せっかく二人きりでいられるチャンスが目の前に転がっているのにそれを拾わない道理はない。

 

「いいえ、せっかくですからおつくりさせてください。ねっ、ねっ!」

 

「……んじゃそこまで言うなら作ってもらおうかな」

 

「はい!ではお待ちください!」

 

 背中のコリを取るように伸びをした克己は由良の提案を肯定する。それを聞いた由良は満面の笑みで執務室に併設された炊事場に向かっていく。出来上がりを執務室に置かれたソファーで待っていた克己であったが、その時間が暇で仕方ない。手持ち無沙汰になった克己は立ち上がるとそのまま炊事場に入っていく。

 

「提督さん?待っていてくださればよかったのに」

 

「暇だったんだから仕方ないだろ?それより何これ?カレー?」

 

「残念、外れです。今晩はシチューをご用意させてもらいます」

 

「ちょっと時季外れな気がするけど、おいしければ問題ナイネ」

 

 由良の言葉を聞いた調理器具の中からピーラーを手に取ると人参の皮をむき始める。慣れた手つきで一本むき終わるとその次を手に取り作業を繰り返す。

 

「……提督さんはお料理はされるんですか?」

 

「まあ、前の職場でも仕込みとか手伝わされてたからなぁ。まあたまに自炊することもある程度かな」

 

「……今度食べさせていただいてもいいでしょうか」

 

「うんまあ機会があったら構わんよ」

 

 勇気を出して聞いてみたお願いで言質を取り付けることに成功した由良は内心超ハッピー。跳び上がりそうなのを我慢して鶏肉を切る。それにこの状況。チラリと視線を横にやるとそこには小さく鼻歌を奏でながら人参の皮をむいている提督。まるで二人が男女の仲であるかのようではないか。由良だって艦娘である前に一人の少女。恋焦がれた男性と添い遂げる。そんな妄想は幾度となくしてきた。

 

 しかし彼女たちにそんな機会はない。軍に男性は数えるだけ。前線に出てくることなどほとんどない。この鎮守府で提督以外に男性に会ったことのあるものは片手で足りるほどにしかいないだろう。彼女たちが男性に触れることが出来るのは写真集などの二次的なもののみ。それが普通で、彼女たちの夢は恋焦がれるだけで、叶うはずのないのものだった。それがどうだ。今では男性と並び立って料理ができる環境へと様変わりした。幸運すぎて後でしっぺ返しが来るのではないかと恐怖したほどだった。

 

 しかし、今はこの幸福に身をゆだねよう。後のことは後で考えればいい。そう思わせるほどに由良の思考は鈍っていた。それを引き起こしているのは隣で無心で人参の皮をむいている男なのだが当の本人はそんなことなど知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ。おいしゅうございました。いや、満足満足」

 

 用意されたシチューを食べ終わった克己は満足そうに会釈するとそのままソファーに深く腰掛けた。

 

「それじゃ少し仮眠するから二時間くらいしたら起こしてくれ」

 

 そう言い残すだけ残して克己はソファーで座ったまま眠り始めた。十秒後には寝息を立て始め、三十秒後には完全な熟睡状態に突入する。この男に警戒心というものはないのだろうか、そう思えるほどの速さである。

 

 それを食器を片付けながら見ていた由良は悪い虫がうずき始める。―今なら提督に何かしてもバレないんじゃないだろうか―。手早く食器の片づけを終えた由良は克己の対面に座るとマグカップに入れたコーヒーを一口、気持ちを落ち着かせる。

 

「ふぅ……」

 

 ホッと息をついた由良は意を決して立ち上がると克己の対面から隣に移動した。緊張で心臓が止まりそうになる。しかし、まだ二人の間には五十センチほどの距離がある。まだ足りない。もう少し。由良はジリジリと間合いを詰めていく。そして肩が触れそうなほど近い距離まで接近する。由良の中の悪魔がささやき始める。やっちゃえやっちゃえ。悪魔のささやきに由良は抗えない。

 

 由良は恐る恐るといった様子で克己の肩に頭を乗せてみる。克己が起きる様子はない。ならば少しだけこのまま。この瞬間を味わおう。由良はうっすらとした笑みを浮かべながらこの至高の瞬間を堪能する。このままずっと続けばいいのに。しかし、ずっとこうしているわけにもいかない。惜しみながらも由良は体を起こし姉妹のところに戻ろうとする。が、ちらりと視線を下げた由良の眼に恐ろしいものが映る。

 

 無防備にソファーに置かれた克己の太腿。あれに頭を乗せたらどれだけ幸せだろうか。再び由良の中の悪魔がささやき始める。やっちゃえやっちゃえ。しかし、今度は由良の中の天使が出張ってきて抵抗を始める。提督にそんなことするなんて失礼です。由良の中の二人が激しくやり合う、途中経過は明らかに天使のほうが優勢、正論で悪魔の主張を破壊していく。このままいけば天使が完全勝利を遂げるだろう。が、次の悪魔の一言で形勢が逆転する。

 

 ―でもあんたもやりたいんでしょ?―  

 

 天使は黙り込む。天使と悪魔が睨みあったかと思うと天使は由良の中に戻っていく。ちょっと天使さん!?由良の呼び止めにも耳を貸すことなく戻っていく。完全勝利UC悪魔はコロンビアの格好で天使と同じように由良の中に戻っていく。

 

 悪魔が勝利した以上、由良の思考はそっちよりになっていく。抗いたくても抗えない。座りなおした由良は徐々に体を傾けていく。もう少し、もう少しで至福に届く。由良の頭と克己の太腿の距離は五センチ。あと、一秒もあれば届く。ごくりと生唾を飲み込む。

 

 コンコン。執務室にノックが鳴り響いた。その音を聞き取った由良は残像が見えるほどの速度で平静を装う。

 

「由良ー?間宮さんのところから差し入れ持ってきたけど……。抜け駆け?」

 

 夕張は由良のことを目視するや否や、ねっとりとした笑みを浮かべながら由良の隣に座り込む。今の由良は克己と肩を並べて座っている。抜け駆けと判断されてもおかしくない。

 

「何々?寝ている提督さんにナニかしちゃったのかしら?」

 

「な、なにもしてないわよ」

 

 由良はそう主張するが明らかに動揺した様子を見せている。これではいそうですかと納得できるわけがない。いじり倒す気満々の夕張はどこからメスを入れようかと考えるが、無防備に寝ている提督の姿を見てそっちを優先することにする。

 

「ま、別にいいけどね。わたしもそうする!」

 

 夕張は由良の太腿をより超えるような形で体を倒すと、克己の太腿にためらいなく頭を乗せた。その躊躇いのなさに驚きを隠せないが、それ以上の驚きで反射的に体を動かしてしまう。

 

「ダ、ダメッ!」

 

 由良は夕張の肩を掴むと、満足そうな顔で頭を落とした夕張の身体を無理やり引き上げる。不満そうに表情を変えた夕張は抵抗の意思を見せる。

 

「え~。だって由良もやったんでしょ?だったら私もやったっていいじゃない。提督優しいし」

 

「て、提督さんのやさしさにあんまり甘えるのはどうかと思うわ。それに私はそもそもやってないわよ!」

 

 嘘をついてでも今は自分の尊厳を守ろう。そう思った由良は夕張の反論に断固として反論する。そのあと二人は克己が起きてくるまでキャイキャイと傍目楽しそうにやり合っていた。その間、二人は気づかなかった。二人の大騒ぎで快眠を妨げられた克己が表情を歪めていたことに。

 

 

 

 

 

 




 うちの小説のヒロインは由良さんです。

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