目覚ましが鳴る前に目を覚ます。眠気で重く感じる体を動かし、鳴り始める前にアラーム機能を止めておいて洗面台へ。顔を洗うことで眠気も流して固まった首の関節をバキバキ鳴らす。だいぶ前にこれをやったら女子にだいぶ引かれたので、一人の時か男子だけの時にやってる。
今日も今日とて文化祭に駆り出されるのだ。朝食は適当にパンで済ませて、テレビでやってるニュースを流し見する。政治の不祥事やら海外のドタバタ、芸能人のスキャンダルとなんとも面白みのない話ばかり。政治は大事なんだけどな。信頼できる議員を見つけられてないから興味も失せる。頑張れ若手。
「ましろ達は練習の後にライブだけ見に来るんだったか」
スマホでましろとのトーク画面を確認。そこには昨日の夜にやったやり取りがあって、ましろの予定も書かれてる。俺は昨日とほぼ変わらない。誰といるかって話ならだが。
リサは今日のライブに出演する。そのためにライブ前には機材の移動だったり音合わせがあるわけだ。文化祭程度だからそんな本格的なことじゃなくて、機材の調子を確認する程度なんだけどな。その時間になれば俺は別行動だし、時間にすれば昼過ぎあたりから暇になるだろう。
「どうせシュウがいるし、リュウも今日はいるらしいから三人で回るのもありだな」
なるようになるだろうと適当に考えながら羽丘へと足を運ぶ。ライブ会場はこっちらしい。ライブの企画者が羽丘の生徒会長だからだろうな。アイドルグループのパスパレでギターを担当してる
そういう人物とは極力関わりたくないのだが、悲しいかな。その手の人間を引き寄せてしまう呪いでも持っているらしい。
「おっにぃさ~ん!!」
背後に突如現れた天才少女こと氷川日菜が飛びついてくる。首周りに腕を回され、身長差のせいでそのまま首が締まるというおまけ付きで。
「久しぶりだね! リサち~は教室じゃないかな」
「首締まってるから……腕を離せ……!」
「えぇー? 女の子に抱きつかれてるなんて役得なのに?」
「俺にとっちゃあ災難でしかないな……!」
「ちぇー」
つまらなさそうに頬を膨らませながら氷川が離れて、息苦しかった苦難が終わる。文句の一つでも言ってやりたいところだが、この程度なら別に流して終われる範囲だ。
「昨日はリサちーとお楽しみだったんでしょ?」
「周りを勘違いさせそうなその言い回しはわざとか?」
「勘違いって? 何を勘違いするの?」
「その手のことは姉にでも教われ」
「おねーちゃんなら分かることなの?」
「たぶん」
「そっか~。じゃあ後でおねーちゃんに教えてもらおーっと!」
キラキラと笑顔を輝かせる氷川を見ていると、どれだけ姉のことを慕っているのかが分かる。パスパレのイベントでも口にするぐらい姉を好いている氷川だが、同時に怖がったりすることもあるらしい。天才の妹であることが、秀才である姉を追い詰めてしまうから。
自分の存在が疎まれても、それが怖くて嫌でも、姉のためなら受け入れる。
その思いは純粋過ぎるもので、それ故に傍から見てると歪に見える。それでも姉には嵌まったようで、仲が改善した今ではより楽しそうに姉のことを話している。
天才だから姉から教わることなどほとんどない。誰から教わらずとも結果を叩き出す。そんな氷川だからこそ、『自分が知らなくて姉が知ってること』というのは嬉しいものになるんだろう。
悪いな姉よ。俺は面倒な説明をお前に押し付けるぞ。
「それはさておき。氷川はここで何してるんだよ」
「んー、お兄さん見かけたから遊んでるだけだよ?」
「要は俺はおまけだろ? ここにいる本命は?」
「おねーちゃんと待ち合わせしてるの! 一緒に文化祭回ってくれるって約束してくれたんだ~」
「そっか。それはよかったな」
「うん!」
それでこれだけ上機嫌なのか。いくら氷川でも、異性相手にはそうそう飛びつかないのが普段だ。それなのに飛びつかれたことには疑問を抱いていた。その理由が姉の方なら大いに納得できる。むしろそれ以外に選択肢はなかったなってレベルで。
「紅葉おはよー。おっ、ヒナもいるー」
「おはようリサ」
「リサちーさっきぶりー」
「あはは、なにそれ。紗夜はまだなんだね」
「あと20分くらいしたら待ち合わせ時間だもん!」
「そっかー。一緒に待とうか?」
「ううん。リサちーはお兄さんと楽しんできたらいいよ!」
「りょーかい」
超絶自由娘だけど、気遣いができないわけじゃないんだよな氷川って。今だって氷川の優しさが出てる。集合時間より何十分も早く来てるのは天真爛漫ってことなんだろ。リサもそれを受けてあっさりと引き下がり、氷川と手を振って別れた。
「ところでなんでヒナにお兄さんって呼ばれてるの?」
「さぁ? 深く考えないようにしてたから理由も知らないな」
「ふーん? まぁいっか。ヒナにそう呼ばせてるってわけでもないみたいだし」
「俺をなんだと思ってるんだか」
「あはは! ジョーダンだよ」
軽口を叩くリサと適当に校内を回る。行きたいところは昨日の時点で回ってしまっているから、今日は気の赴くままにって流れだ。そうなると並ぼうっていう考えも薄れてくるもので、一通り見て回ったら空き教室で駄弁っていた。
「機材の移動は?」
「それは昼過ぎだよ。講堂は午前中も使ってるからね。昼時に使用予定がない空っぽの時間を作るから、それに合わせて移動するんだよ」
「そうなるとしばらく暇だな」
「女の子を目の前にしてそんなこと言うんだ?」
「リサ相手は今更だろ。身内って感覚が強い」
「複雑だなー。それって女の子としては見てくれてないんだもんね?」
自虐的に笑うリサを見ていたたまれなくなる。こんなことを思っちゃいけないのにな。応える気がないくせして、こういう時に甘いことを言いそうになるから俺は最低な奴なんだ。
「……リサは女性として魅力的だとは思うよ。ただ……」
「あはは……。うん、それだけでアタシは十分だよ。アタシだってこの距離感を望んだんだもん。自分勝手に保って、自分勝手に紅葉を好きになった。だから」
「っ!?」
ふわっと両頬にリサの柔らかな手を感じる。急にどうしたのか問おうとして、その口を柔和な唇に塞がれた。
そう認識した時にはリサは離れてて、頬と瞳に熱を帯びさせている。
「リサ……」
「駄目だよ紅葉。
伸ばした手を抑えられて下げさせられる。
「アタシはね、アタシが好きになった紅葉に戻ってほしいってずっと思ってる。その癖して怖がりだからさ、紅葉が戻れるためには何が必要なのかわからないし、試して取り返しがつかないことになったら嫌で。それで現状に甘えてた」
やめてくれ。
リサが悪い、なんて聞こえてくるような言い方をしないでくれ。
だって、リサには何一つ落ち度なんてないじゃないか。
俺が自分のことを自分で支えられていないだけじゃないか。
「だから、アタシ以外の誰かが。たとえばましろが紅葉を戻してくれたら、そしたら紅葉とやっと向き合えると思ってた。いいとこ取りしちゃおうって。けど、そういうのはダメだよね」
リサがそんなことを感じるのは、そうやって自分のことを貶めてるのは、全部俺のせいなんだからさ。
「アタシはさ」
「リサ!」
「……そういうのが紅葉の
これ以上聞きたくなかったから。
だからリサを抱き締めて黙らせる。腕の中に収まる華奢な少女は、印象以上に何倍も繊細だというのに。俺は乗っかってしまってた。折れてしまうくらい負担をかけて。
「俺はいつも遅いんだ……バカだからさ」
「うん……。知ってるよ」
「自分で足を動かしていくから。休憩はもう十分だからさ。必ず前以上に成ってみせるから、その時に必ず言うよ」
俺はリサとは付き合えないと。
「じゃあ、アタシはそれまでに紅葉が断れないくらい女を磨こうかな」
「……健全な方面で」
「あ、当たり前じゃんバカ!」
リサと昼食を取った後は、シュウとリュウに連絡を取って合流する。二人はそれまで何してたのかとかは聞かない。こいつらが何してたかは外を眺めてた時に見えてたから。特に何をしたわけでもないだろうに、この二人の周りは人だかりができていた。リュウは容姿も中身も女子受けするし、その効果で隣にいるシュウにも人が集まる。顔はいいからな。黙ってりゃモテるタイプ。
リュウは丁寧に対応していて、慣れてないシュウは完全にくたばってた。普段から女子がどうとか言うくせに、こうなるとノックアウトするんだからこいつは面白い。
「少しは吹っ切れたようだな」
「俺ってそんなわかりやすいか?」
「いや? 数年来の付き合いだから気付けるだけだよ」
「なるほど。敵わんなこりゃ」
意識をどこかへと旅立たせたシュウを放置するわけにもいかない。再び空き教室へと戻ってリュウとだらだら会話を繋げる。そうやって時間を潰していてもシュウが戻ってこないから、座ってる椅子を勢い良く引いて落とさせた。
「いだっ! なに!?」
「ライブ行くぞー」
「もうそんな時間!? なんか記憶が曖昧なんだけど……」
羽丘の講堂へと移動する。一般生徒も多く入っていて、なぜかほとんどの生徒がペンライトを所持している。準備良過ぎじゃないか。さすがガールズバンド時代。
席には座らず、後ろで立っていると氷川と湊もやってきた。
「鷺森さん」
「氷川か。妹と文化祭回ったんだって? 朝話した時嬉しそうにそう話してたけど」
「日菜ったら……。えぇ、おかげさまで充実した時間を過ごせました」
「俺は何もしてないだろ。二人の問題だったし、そこに首を突っ込んでリサ以上にお節介を焼いたのが桜愛。陰で奔走してたのはお前の彼氏だし」
「……そうですね」
お節介を焼いてたバカに振り回されたのが俺だけど、ほとんどブレーキ役をしてたってだけ。性能の悪いブレーキ役だけどな。
「その今井さんも、吹っ切れたようですけど」
「……話したのか?」
「いえ。今日はまだ話してませんよ。ですが、ここからステージ上の彼女を見ていても分かります。湊さんほどすぐには分からなかったですけど」
そう言って氷川は自分の右隣にいる湊をチラッと見た。会話は聞こえてるだろうに、湊は何も聞こえてないと言いたげに黙ってステージを見ている。その目は何を捉えているのやら。
「答えを出されたのですか?」
「いや、整理をしたってだけだよ」
ものすっごい冷ややかな視線がぶつけられる。名前の通り氷だわこの子。
「今の紅葉はアタシが好きになった紅葉じゃないからって言われてな。戻った時に答えを言えってさ。ここまで有耶無耶に進んできたからだろうな」
「……なるほど。そういう事でしたら私も何も言いません」
「一番恋愛相談した相手のことは気がかりか」
「うっ、と、当然でしょ。そうじゃなくても今井さんには世話になってばかりですから」
生真面目過ぎて不器用な氷川と、あの超朴念仁なアホとがくっつくまでの苦労たるや。「それで付き合ってないの?」って周りからさんざん言われてたんだから、ある意味既にゴール地点だってのに。気づかせて向き合わせるってだけに半年以上を費やしたらしい。
「少なくともリサが後悔することにはならないようにするよ」
「当然です。あなたはそうする義務があります」
「ははっ、手厳しいね」
ステージ上で楽しそうにベースを弾いてるリサを目で追う。即席バンドらしいし、共通点がバイトをしているということ。だから応援ソングを作ったらしい。飾りっ気なしに背中を押すストレートな歌詞。いかにも彼女たちらしい曲だ。
頭痛はするが酷いものじゃない。吐き気もないし、一つ整理できたことがこっちに対しても前進できたっことなのか。