元海兵がダンジョンにいるのは間違っているだろうか 作:ルーニー
「あの子たち、大丈夫かしら……」
カチャリ、と自室で鍛錬に行く前に淹れてくれた紅茶を口にしながらアストレアはチラリと鍛錬場として使っている広間に視線を送る。ここまで聞こえてきていないが、悲鳴が上がっているであろう鍛錬をしている
フィースが行っている鍛錬ははっきり言って異常とすら言えた。初めは恩恵を消して一から鍛えなおすとすら言っていたのだがそれを行うと列挙するのも億劫な手続きや報告があるため待ったをかければ、子どもの重さは出るであろう水瓶や桶を購入しては全員が倒れるまで走り続けたり腕や足腰を鍛え続けたりと、次の日に尋常じゃない筋肉痛に悩まされるほどのものを行っていた。上位の冒険者が何人もいるのにも関わらず日課としている見回りすらもフィースに頼んで行ってもらうほどに疲弊しているのだからそのキツさは簡単に察せられるだろう。
死ぬことはないとは思うが、それでも連日行われている鍛錬後の様子を鑑みると一抹の不安をぬぐい切れないアストレアは不安を流すように紅茶を口にする。ほう、と一呼吸置くと同時にカランカラン、と呼び鈴が鳴る音がアストレアの耳に入った。
「今日はお客さんが来るとは聞いてないけど……」
すべての予定を知っているわけではないが、それでも来客があるのならその旨の報告はあるはずだった。最近はフィースの鍛錬によって会話すらも長くは続かない日が続いているため必ずしもそうであるとは言い切れないが、それでも把握している中では今日来客があることは聞いていなかった。
悪意に敏感に
「あら?あなたたちはロキのところの子の……」
そこにいたのはリヴェリアとアイズだった。リヴェリアは手にしていた菓子折りを差し出しながら軽く頭を下げる。
「お久しぶりですアストレア様。先日はフィース殿をお借りするようなことになり申し訳ありませんでした」
「どちらかというと謝るのは私たちのほうだと思うのだけど……」
律儀に頭を下げるリヴェリアにアストレアは困ったように笑みを浮かべてしまう。確かに横暴な態度をとったロキに原因があったようなものではあったが、元々はフィースが吹っ掛けたケンカのようなものだ。いくら態度が悪すぎたとはいえ、ケンカ腰で煽っていたフィースのほうが悪質だと言われても否定できないぐらいには話し合いの場で行うにはフィースの態度も悪質すぎた。
それを理解しているからこそ、フィースの実力をロキとフレイヤの双方が知ることができる機会であるという思いの中にフィースの実力をある程度把握していたとはいえ痛い目にあっても仕方ないとほんの少しだけ思って送ったのはよかったが、まさかフィンを圧倒して帰ってくるとは思っていなかったアストレアは正直頭と胃にキリキリとした痛みを覚えたぐらいだ。それで頭を下げられると、それもエルフの王族であるリヴェリアからされると思っていなかったアストレアは非常に反応に困った。
「フィースに用があるのかしら?」
「はい。彼に聞きたいことがあって参りました」
リヴェリアの言葉に、まぁそうであろうなと思った。隠しているとはいえ、話を聞く限り好き勝手暴れまわった上にオラリオ最強であるオッタルすらも戦うことを避けるほどの実力を持つ
「来てもらって申し訳ないのだけれど、今出るのは難しいと思うわ。今うちの子たちを鍛えてもらってるところだからいつ終わるかわからないの」
「鍛えて……!」
「あ、こら!アイズ!」
アストレアの言葉にアイズは目を見開き、風のようにリヴェリアのそばから離れて屋敷の中へと走って入った。あまりに突然なことだったのと、目の前にアストレアがいたことからアイズを捕まえることができず、アストレアに断りを入れてアイズを追いかけて中へ入っていった。
屋敷の中を走り回り、その中で聞こえた冒険者となって強くなった聴力で聞き取った人の声のする方向へと走り、そして鍛錬をしているであろう場所へとたどり着くとそこは自分が見たこともないような光景が広がっていた。
「ライラ!怠けるな!ちゃんと合わせろ!」
「テメェ、あたしは、小人族、なんだぞ……!他より、筋力、ねぇんだよ……!」
「んなもん関係ねぇだろうが!モンスター相手なんだから基本的に数倍でかいやつの相手するんじゃねぇのか!特にお前はちいせぇんだからデカいやつしか相手がいねぇだろうが!敵が泣き言なんざ聞いてくれると思ってんのか!」
「ご、の……!」
「いや、でも、キツい、わね……!」
「この、男は、軽々と、とんでも、ない、ことを……!」
「ヌグゥ……!」
足に大きな瓶が吊るされたロープをつけて身体をエビのように反らして逆立ちをしているフィースを先頭に、背中に水の入った大きな桶を置いて腕立てをしているアストレア・ファミリアの面々。それぞれのレベルに合わせているのか大きさは異なっており、かなり長い時間が経っているのかボタボタと汗が落ちてそれぞれの体の下には大きな水たまりがあった。誰もが体が震えていながらも倒れこまないように歯を食いしばり、体を落とさないことで精いっぱいで声を出すことすらもままなっていない。
「…………」
一方のフィースも大量の汗が水たまりになっていて苦悶の表情を浮かべてはいるものの、数を数える声は苦しんでいるようには聞こえず、それどころか動かなくなっているライラに激を飛ばしている。いくらレベルが違うからと言えど、逆立ちの状態でバランスを崩しかねないような体勢を維持しながら足にフィースの身長の半分はある水瓶を水を入れてつるした状態でアストレア・ファミリア全体を見ながらトレーニングをしているフィースに、アイズは言葉が出なかった。
「二百三十……ん?あ?なんでいんの?」
数を数えている最中、アイズの気配を感じたのかアイズのほうを見て目を丸くしているフィースは腕を曲げている状態で止まった。アリーゼ達はそのまま腕を上げようとしたが、フィースが腕を曲げたまま止まるように檄を飛ばすとアリーゼ達から悲鳴が上がり、もはや阿鼻叫喚と言わんばかりの叫びが上がる中でアイズの腕が捕まれて後ろへと引き寄せられる。
「何をしているアイズ!勝手に入るんじゃない!」
端正な顔立ちが崩れるほどの憤怒の形相を浮かべているリヴェリアの顔にアイズは顔を青くして何かを言おうとして口を開くが、アイズが何かを言うまでにリヴェリアの説教が始まりアイズはそれを視線を地面に彷徨わせて聞いていた。
「なぁ、今日って客来る日だったのか?」
「そんな話は知らん……!」
「そうか」
その様子を見ていたフィースは輝夜に聞くが、輝夜は腕を負った状態を維持することに必死で息を吐き出すように言葉を出す。フィースは予定があったかを頭の中で確認していたが、唐突な来客もあるだろうと結論付けて曲げていた腕を上げた。
「予定よりかなり早いが、急とはいえ客が来たのは仕方ないか。やめていいぞ!」
フィースの言葉と同時に背中の桶の水がこぼれることも気にすることなく腕の力を抜いて倒れこむ。汗でできた水たまりに倒れ込み、一気に倒れこんだ衝撃でバシャリと桶の中の水がこぼれて体を濡らすが、むしろそれが熱がこもった体に心地いいと言わんばかりに倒れた面々から年頃の女の子が出してはいけない声が上がった。
「水が気持ちいい……!」
「う、腕が、死ぬ……!」
「この程度で死ぬわけねぇだろ。どんだけ鍛錬怠けてたんだお前ら」
「貴様基準で話をするんじゃない……!」
雑技団のように瓶をおろして足で瓶をつかんで体を起こし、瓶の上から縄をほどきながらあきれたようにつぶやくフィースに輝夜が睨みつけているが、フィースはそれをはいはいと言わんばかりに手を振る。全員が声を出すことすらもままならないほどに疲労困憊としている中、フィースは疲労はしているが今にも倒れそうな様子は見せていない。
アイズもフィンに勝ったということを知ってはいたが、圧倒的な実力の差というものを実際に目の当たりにすると声も出ないものなのだなと頭の片隅でそう思っていた。
「わりぃな。こいつらの疲労が抜けるまで時間かかるぞ」
「いや、私たちは彼女たちに用があったわけじゃないんだ」
「ん?あいつらじゃない?」
リヴェリアの返事に疑問気に首をかしげるフィース。その様子からリヴェリアが用があるのはフィースだと言おうと口を開けようとしたときにフィースが自分の指を自分のほうに向けたのを見てそのまま声を出さずに首を縦に振る。
「お礼参りか?」
「……そう思うのは仕方ないかもしれないが、決してお礼参りで来たわけではないから安心してほしい」
フィースの言葉に頭が痛いと言わんばかりに顔に手を覆わせる。もう片方の手をアイズの頭に乗せ、いつ暴れてもいいように軽く力を込めていた。
「別にいいけど、よくあれから会おうと思ったな?」
「……思うところがないわけではないが、確認したいことがある」
「確認?」
リヴェリアの言葉にフィースは首を傾げる。何か変なことでもしたのかと思い今までの行動を思い返してみるが、特に目立っておかしなことをした記憶のないフィースはより深く首を傾げた。
「彼女、アリーゼに救われたときかなりの重傷だったと聞いている」
「あぁ。そうだったな。正直なんで生きてたのか不思議なぐらいだ」
「なぜそこまでの重傷を負っていたのかを聞きたい」
リヴェリアの質問にフィースはまた首を傾げる。別段重傷を負うことぐらいおかしな話ではない。何しろあの時はサカズキ大将の攻撃で胸に穴が開くだけでなくマグマによって傷口が焼きふさがれていた致命傷だった。どうにかして処置をしようとしたところで何をしても手遅れでしかなかった状況でむしろなんで生きていたんだと疑問に思うぐらいだったが、リヴェリアの続いた言葉にフィースは納得したようにうなずいた。
「フィンに膝をつかせただけでなく、オッタルですら勝てないと判断するほどの実力者であるはずなのに、死にかけるほどの重傷を負っていた。それはつまりあなた以上の実力者がいたということになる。我々はそれを知る必要がある」
「……なるほどなぁ」
そういえばここにいるのは自分より弱い連中しかいなかったのだったなと思いなおす。それを言ってしまうと今まで培ってきた誇りと常識にケンカを売っているようなものだったが、実力こそ全てとまでは言わないが、非公式ではあるものの実力主義の街で敗者が勝者に物申すことはなかなかに難しいものがあった。それこそ実力でのし上がってきたロキ・ファミリアからすれば余計に。
「わりぃがそれは言えねぇな」
「それが通じると思っているわけではないのだろう。我々、ひいてはこの街の存続すら危ぶまれるほどの重要事項だ。言えないで済まされるわけがない」
「それでも言えねぇな。こればっかりは本当に信用信頼できる奴にしか言う気はねぇよ」
言外にお前らは信用も信頼できないと言い切ったフィースにリヴェリアはヒクリと頬を引きつらせた。完封勝利したとは言え、この街で最上位のファミリアの、それも幹部相手にここまで言うのかと頭を抱えたくなったがリヴェリアは何とか手を動かさずに堪えることができた。
「安心しろ。わかる範囲で俺以上の奴はここにはいねぇよ」
「それを信じられる状況ではないんだ。今は落ち着きがあるほうだが、それでも闇派閥の襲撃がいつ来てもおかしくない。情報はあったほうがいいのはわかるだろう」
「信じないっつても事実そうなんだから仕方ねぇだろ。つうか、それが誰なのか知ったところでお前らがどうにかできると思ってるのか?」
「それは……」
フィースの指摘にリヴェリアは言葉が出なかった。フィースの言う通り、もしフィースが勝てなかった相手のことを知ったとしてもそれをどうにかできるわけではない。
むしろフィースに勝つことができなかったのに、例え知った所で何かできるのかと聞かれてもリヴェリアにはそれに答えることができない。
もし対処するためだと言ったとしても、フィースに負けたファミリアがフィースが勝てなかった相手に何かできるのかと言われれても、何もできないだろう。むしろそれで機嫌を損ねた結果街の破壊行為へと手を出されたらその責任はロキ・ファミリアへと向かってきてもおかしくはないだろうことは想像に容易かった。
もし手を出さずにいるために知りたいなどと言えば、それはその相手に自分たちは手も足も出ないので逃げますと言っていることと同義であり、それはロキ・ファミリアの敗北を宣言したも同然だ。そうなってしまえば闇派閥の勢いを助長させ、あるはずのなかった街の崩壊へのきっかけになるのは目に見えていた。
だからリヴェリアは何も言えなかった。どう言ったところでロキ・ファミリアの面子が潰れることには違いなく、それを軽視して軽々しく言えるような立場ではないから。
「まぁお前らの考えてることはわからんでもないが、何度も言うが俺は言う気はねぇ。もし無理やりにでも聞くってんなら、そのケンカ喜んで買ってやるからそのつもりでいろよ」
フィースの言葉についにリヴェリアは何も言うことができなくなった。勝てない相手から口を割らせたいのなら実力行使でこいと言われ、この街の治安を守っているファミリアの傘下にいるから無理やりにしょっ引くこともできず、やることはないがオラリオの街を象徴するファミリアだからあくどい手を使って情報を引き出させることもできない。
「ねぇ」
「ん?」
何も言えず顔をしかめそうになるのを耐えているリヴェリアをしり目に、つかまれている頭の痛みが軽くなったのを感じたアイズはフィースに声をかける。
「どうやったらあなたみたいに強くなるの?私はすぐに強くなりたい。今すぐに。あなたはフィンたちよりも強い。私も、その強さが欲しい」
アイズの言葉にフィースだけでなく、その場にいた全員が黙ってフィースを見ていた。本来ならここでリヴェリアも制止をしていたが、あまり好ましいと思っていないがフィースの情報を引き出せるいいきっかけでもあった。ロキの面倒な怒りを鎮めるためにも何かしらの情報が欲しかったリヴェリアはそのまま何も言わずにいると、フィースは軽くため息を吐くとアイズの額に向かって指を弾いた。
「生意気言ってないで体デカくして鍛錬してろチビ助」
「いたっ」
バチィン、と指で弾いたとは思えないほど音を立ててアイズは頭を後ろへと弾かれた。かなり痛かったからかアイズは弾かれた額に手を当ててその場にしゃがみ込み、フィースはあきれたように、同時に懐かしいものを見るかのような目でアイズを見ていた。
「すぐにでも強くなりたい?んなすぐに強くなる方法なんてねぇよ。基礎があるならいろいろと話は変わるが、お前はまだ基礎もできてねぇだろ。よく食って、よく勉強して、よく鍛えて、遊ぶときは遊んで、そんでよく寝ろ。少なくとも16、7歳ぐらいになるまではそうしとけ」
ぶっきらぼうに突き放すように言うフィースだったが、脳裏にはかつてルフィ達と山の中で過ごしていた時間、そしてガープに連れられてどこかも知らない無人島に連れられて強制サバイバルをさせられた時間を思い出して胃と頭の幻痛を感じていた。実際何度か死にかけたこともあるから余計に痛く感じてしまうのは気のせいではないだろう。
さすがのフィースもルフィやエースと、サボに連れて経験してきたとはいえ、下駄をはいているとはいえ最後まで面倒を見るわけでもない子どもをそんな過酷な環境に放り込むことには抵抗があったからかそれを言うことはなかった。
「いや。私はすぐに強くなりたい」
「だから無理だっての。子どもが強くなるにしても限度がある。大人しく成長するまで鍛錬してな」
「っ……!でも!」
「でももクーデターもねぇ。教えたとしても今のお前程度に教えたところで対して大きな力にはならねぇし、そもそも教えたところで身につくとは思えねぇよ」
「できる!私ならできる!だから!」
「アイズ!いい加減にしろ!やらないと言っているのにそこまで食い下がるな!迷惑をかけているということを理解しろ!」
リヴェリアの制止を振り切ろうとするアイズの様子にこりゃ聞く耳持たねぇな、とフィースは自分が似たようなことをした記憶があったがために頭を掻きながら深く息を吐く。あの時は孫の頼みだと言ってガープ直々に鍛えてもらっていたために、地獄は見たものの最年少で少将にまで上り詰めることができた。
さすがにそれと同じようなことをするのは気が引けるし、そもそもいくら子どもの頼みだからと言って家族でもないのに最後まで面倒を見るつもりはないフィースはしょうがないと思い、いまだにぐったりと倒れこんでいる面々に視線を送った。
「おい。わりぃけど刀貸してくれ。予備の安いものでいいから」
「は?いや、いいけどなにすんだ?まさかお前……」
「別にこの子と斬り合うわけじゃねぇよ。教えてほしいというならこれぐらいはしてもらうってことを見せるだけだ。ついでだ。お前らも見学しろ」
「えぇ……?」
「つうわけだ。お前ら早く立て。客が来なかったら本当ならここから街の壁沿いを俺が良しと言うまで走ってもらうつもりだったんだからな」
「ありがとう……!来てくれて本当にありがとうリヴェリア様アイズ様……!」
「余裕そうだな。この後の無くした走り込みやっぱやるか」
「ライラァ!」
「あたしのせいかよ!?」
鍛えてほしいと願い出てこれからもやめるつもりはないものの、予想以上にキツイ鍛錬に弱音を吐いていたライラはプルプル震える腕を合わせて感謝を示した。それを見たフィースは笑いながら鍛錬の追加を仄めかすと思わず声を上げたリューと嘆きの声を隠そうともしないライラ、そして何も言わずぐったりと項垂れるアストレア・ファミリアの面々だった。
何とか立ち上がれるぐらいに体力が戻った輝夜から刀を借りたフィースは全員を連れて外に出る。キョロキョロと辺りを見回し、その中で庭にある人の背丈ほどはありそうなほどの大きさの庭石を見て納得したように息を吐いた。
「こいつでいいか」
そのまま巨石の前にまで歩き、そのまま腰に差した刀に右手を添わせ、深く息を吐いた。
「全員見ておけ。お前らもいつかこの程度をやってもらうからな」
鞘を握り、腰を落として刀を握るフィースはそう言うと目を閉じた。キン、キン、と何度も鯉口を切る音が鳴り、そのままの体勢で何度も刀をわずかに抜いては収めてを繰り返している。それでいて呼吸はかすかに聞こえる程度で今何をしているのかこの場にいる者全員見ただけではさっぱりわからなかった。
しかし、それが遊んでいるわけでもふざけているわけでもないのは全員理解していた。微動だにしないフィースは何かに集中していることが、この場で刀を使っている輝夜はフィースが手にしている刀に集中していることはかろうじてわかった。
「”
ギャリン、と金属の走る音が響くと同時にフィースの腕がブれた。リヴェリアだけがかろうじてその軌跡を見ることができたが、それ以外はいつの間にかフィースの腕が振られていたことしかわからなかった。
そのままフィースは刀を鞘に収め、目の前の巨石を押すように強く叩くと、ガラリという音とともに巨石が斜めにズレていった。
「……え?」
一度動いた巨石はそのまま自重で滑り落ち、斜めに斬られた跡を残して巨石は地面へと落ちていった。ズシン、と巨石が落ちた鈍い音が鳴ったが、誰も言葉を出すことができなかった。
「……マジかよ。マジで石を斬ったのかよ」
ライラの呟きに誰も反応しなかったが、それは否定している無反応ではなかった。目の前で起こったことが信じられず、ただ言葉を出せなかっただけだった。そしてフィースがかつて鉄を斬れると言っていたことがあったが、一般流通している程度の刀で石を容易く斬るのだから本当のことを言っていたのだと気づき、同じ刀を使う輝夜は特に表情を大きくゆがめた。
これが希少な金属をふんだんに使われた武器だったら理解できた。これが鍛冶神によってあるいは高名な鍛冶師によって鍛えられた武器なら納得できた。
しかしフィースが振るった刀は輝夜の刀が不調だったときの予備の刀、それの予備として最低限の手入れがされていただけのどこにでもある安い刀だ。まず石など斬ることなんてできるはずもない。
もしこれがフィンやガレス、オッタルといった実力者が同じことをしたとしても、巨石に刀が当たった瞬間に刀が折れてしまうだけだろう。それなのにフィースの握った刀は折れている様子はなく鞘に収まっている。
「俺は武器の扱いに才能がない。これもかなり集中してやっと使える程度でしかないし、ましてや戦闘で使えるようなものじゃない。それでもこれぐらいはできるように血反吐を吐く鍛錬をしてきた」
才能がない?巨石を斬ることができるのに?何の冗談だ。これができるようになるまでに一体どれだけの時間を費やすことになるのか、この男は理解しているのか?これができずに一生を終えることがざらにあるのに、この男は才能がないだと?
リヴェリアはフィースの底知れなさに、アイズはフィースの強さに、そしてアストレア・ファミリアはフィースが違う世界から来たんだということを改めて認識し、同時にフィースの底の見えない強さに味方であることに感謝すらも感じていた。
「今すぐに強くなるために鍛えろっつうんなら、これを恩恵なしでできるようになれ。これが最低条件だ」
「……こんなの、できるわけない!スキルでもなかったらできるわけがない!」
「できる。恩恵なくてもこれができるから言っている」
「嘘!」
「嘘だと思うんならアストレアさんに聞いてみな。お前らのところのと違って平等であろうとしている神だぞ」
フィースの言葉に全員がアストレアのほうを向く。一斉に視線が集まったアストレアは頭が痛いと言わんばかりに眉間に指を当てるが、軽く息を吐くと諦めたような物言いで口を開いた。
「……ねぇ。嘘だと言いたいことなのに全く嘘がないの本当にどうにかしてくれないかしら?」
「…………っ!?」
アストレアの言葉に全員が言葉を失った。特殊な武器でもなく、稀少な素材を使ったわけでもない刀を使って巨石を斬ることなんて、恩恵なくしては成し遂げられないはずの技術を目の前の男はスキルもなく成し遂げたことに信じられないものを見るようにフィースを見る中、アイズは自分でもできるかもしれないと目を輝かせていた。
「これはお前らの言うスキルじゃない。れっきとした技術だ。世界に通用する強い剣士になるならこれぐらいはできて当然だと思っとけ」
刀を手にしたまま門のほうに歩いていくフィース。嘘だと叫びたい言葉だったが、恩恵なしで巨石を斬ることができるとアストレアのお墨付きを得たことでその言葉も嘘ではないことが証明されている今、どうやったらできるのかを考えるが全く思いつくことがない。
「とはいえ、ヒントなしでこれを習得しろというのは無理があるか。だからコツだけは教えてやる」
そういうとフィースは足元にあった大き目の葉を拾い、それを上に投げる。ヒラヒラと不規則に落ちるそれをフィースは刀を抜いて葉を斬るが、空気を裂くような音とともに刀に当たった葉はそのままヒラヒラと1枚のまま地面へと落ちていった。
「あらゆる物体の呼吸を感じろ」
「……それ、だけ……?」
「これだけだ。これだけだが、これができなかったら斬鉄はできないと思っておけ。もしこれができるようになったら、まぁ渋々だが鍛えてやってもいい。けどすぐに強くなるなんざ不可能だ。体力と筋力をつける鍛錬が続くと思え」
あらゆる物体の呼吸を感じろ。言っている意味が分からず嘘でも言って煙に巻いたのかと思いアストレアに顔を向けるが、アストレアは嘘をついていないと首を横に振る。フィースは刀をライラへと手渡し、そのまま落ちた葉を見るようにゆっくりと門へと向かって歩いていき、刀を手渡されたライラとその周りは刀とフィースを交互に見ていた。
呼吸を感じろ。それがどういうことなのか、生きてもいないのに呼吸なんてするわけがないと、でもアストレアが嘘じゃないと言っていたと、アイズの中でグルグルと思考が駆け巡っている中ライラの叫びが庭に響いた。
「おい!テメェ刀ボロボロじゃねぇか!しかも研ぎに出しても使えるかわかんねぇぞこれ!」
「やっべバレた」
「あ、こら逃げるな!」
「ちょっとリュー!追いかけても大丈夫なの!?」
「ねぇ、これ使えると思う?」
「……研ぎに出してみないと確定できないですが、無理そうですね」
刀が使えなくなったことに気づかれたフィースはそのまま外へと走って逃げ、それをリューが追いかける。リューを心配したり、ボロボロになった刀を見て修理費を費やすか廃棄に出すかを相談するアストレア・ファミリアの面々にリヴェリアは面を食らったかのように目を丸くした。
「……あの石を斬れたのはすごいはずなのに、どこか締まらないわね……」
アストレアの思わず漏れ出た呟きに、リヴェリアは声を出すことはなかったが静かに首を縦に振ることで肯定していた。