なんでお前じゃないんだよ!   作:シャオレイ

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一話

 ラブレターが出てきた――幼馴染の靴箱から。

 朝の昇降口、爽やかな風の吹く麗らかな春の一日である。

 手紙を手にした幼馴染の顔を覗き込めば、とても複雑そうな顔をしている。ちらりと見えた中身には、熱烈な愛の言葉が刻まれていた。坂井瑞樹さまへ、から始まる三枚にも及ぶ大作だ。

 

「すごいな」

 

 このご時世に希少なものを見たオレは、そんな言葉しか出せなかった。こちらの言葉に対し、瑞樹は拗ねるように唇を尖らせながら言う。

 

「こんなの、困るのに……。それにこの人、うちの学校の生徒じゃないんだよ」

「どういうことだ?」

「ここに通ってる友だちに入れてもらったって書いてある」

「それはまた、随分な入れ込みようだな」

 

 憂鬱そうな表情を浮かべるのにも納得が行く。一目惚れだかなんだか知らないが、告白される側からしてみれば頭痛の種のようだ。

 

「どうしよう」

 

 瑞樹は思い悩んだような表情を浮かべてこちらを見る。困っているには困っているが、邪見に扱うのも気が引ける。そんな感じの顔だった。

 

「断るにしても、この人がどこの誰かも分からないし」

「律儀だなぁ、お前。そんなの無視でいいじゃねぇか」

「それは、でも、この人だって返事は欲しいだろうから……」

 

 言いながら、手紙を丁寧に封筒にしまい直す。そういうところも告白される原因の一つなのではと、思わずにはいられない。それに加えてこの容姿じゃあ、そんな事態になることも納得が行くというもの。

 いつもは快活な光を湛えている大きな目に長いまつ毛は、今は陰りを見せていた。小さな唇からほうと息を漏らし、華奢な肩を落としながら、ゆるいパーマのかかった柔らかな髪をほっそりとした指先で弄っている。

 

 他にもオレがぱっと思いつかないような特徴も含めて、ラブレターには詩的かつ叙情的に書かれていた。よくもまあ、といった具合である。

 確かに瑞樹の容姿は人並み外れている。そのせいもあってか、過去に何度か似たようなことはあった。その度に憂鬱を含ませたため息と共に言うのだ。

 

「ボク、男なのに……」

 

 坂井瑞樹は同性にやたらとモテた。

 

 

 

 教室に上がってきても、まだ瑞樹は落ち込んだ様子でいた。机に突っ伏して、頬を天板に押し付けている。

 

「ほら、機嫌直せよ。飴食べるか?」

「……食べる」

 

 飴の小袋を目の前に置くと、ようやく体を起こした。緩慢とした動作で袋を開けると、飴玉を口に放り入れる。

 

「あ、甘い」

 

 途端に表情が明るくなる。とりあえずはこれでしばらく大丈夫なはずだ。あとは話を逸らし続ければ、とそこまで考えたところで瑞樹の背中に影が差した。

 

「おっはよ~、瑞樹チャーン」

「うひゃ、お、おはよう、加苅さん」

「んふ~、今日もお肌すべすべ~」

「ちょっ、や、お腹撫でないで……!」

 

 唐突に現れたその女は瑞樹の背後から抱き付くと、シャツの中に手を突っ込んで腹部を撫でだした。

 

「あ、おはよー、やっチャン」

「はよっす」

 

 ついでとばかりに挨拶をされるが、その間も手を止めることはない。ひたすら瑞樹の体を弄んでいる。段々と瑞樹の息が荒くなり、服が乱れていく。周りの視線が怪しくなってきたので、流石に止めることにした。

 

「加苅、そろそろ止めろ。瑞樹が泣くぞ」

「泣かないよっ! でももう止めて!」

「はーい」

 

 ぱっと体を離し、瑞樹の隣に立つ。瑞樹が服を直している最中も、肌をなぞっていた指を微かに動かして感触を反芻しているようだった。

 加苅海夏。オレと瑞樹のクラスメイトで、学年で一、二を争う変人。かわいい女の子にちょっかいをかけるのが生き甲斐と公言しているが、もっぱらその被害を受けているのは瑞樹だったりする。本人曰く、瑞樹以上にかわいい子がいないかららしい。それを聞いたクラスの女子たちは妙な納得を示し、周囲の反応にショックを受けた瑞樹が立ち直るまで丸一日かかった。

 

「でも今日はちょっと機嫌悪いっていうか、落ち込んでるっていうか? なんかあったの?」

「あー、まあな」

 

 言葉を濁すが、逆にそれで勘付いたようでなるほどと頷く。

 

「また告白されたんだ、男子に」

「……うう」

 

 瑞樹が再び机に突っ伏した。ようやく持ち直した気分も急降下している。

 

「まあまあ、いいじゃない。それだけ瑞樹チャンが魅力的だってことだよ」

「男にモテたって嬉しくないよぉ……」

「あたしが知ってる限りだと……三回目?」

 

 加苅が指折り数える。

 

「ああ、あってる。“高校に入ってからは”三回目だ」

 

 そう、高校に入ってからは。加苅と知り合う前、オレと瑞樹が出会ってからの通算で言えば、今回で通算一〇回目だ。

 その大体が瑞樹のことを女子だと勘違いしてのことだった。昔からびっくりするくらいの女顔だったし、対外的な性格がひかえめな奴だったことも影響していたのだと思う。

 

「はあ……ねえ、八千代」

 

 瑞樹が潤んだ瞳でこちらを見上げる。何を言いたいのかはよく理解していた。

 

「分かってる。ついてってやるから安心しろよ」

 

 そう答えると、ほっと息を吐いて安堵の笑みを浮かべる。瑞樹の頼み事は、告白を断る際の付き添いだ。流石に一人で行くのは怖いようで、こういったときにはいつも頼まれる。

 

「それにしても、瑞樹チャンは律儀だよねぇ。アタシだったら無視しちゃうけどなー」

「だって、それは相手に悪いっていうか……」

「気にしすぎだってー」

 

 加苅にそのように言われても瑞樹の顔は晴れない。人のいい性格であるから、色々と複雑な思いなのだろう。男に告白される心境はいつまで経っても理解などできないに違いないが、幼馴染としてできる限りはしてやろうと決めていた。

 

「じゃあがんばる瑞樹チャンにコレあげる」

「わ、見たことないお菓子だ」

「今日コンビニを覗いてみたらあったんだー。はい、どうぞ」

「ありがと、加苅さん」

 

 加苅から菓子を受け取り、沈んでいた表情が明るさを取り戻す。まったく現金な奴だと感じるが、それくらい単純な方がストレッサーの多い瑞樹にとってはいいのかもしれない。

 それから話は別のものに移り、機嫌は上向きのままだった。

 

 

 

「そういえばいつ断り行くんだ?」

 

 学校も終わり放課後、オレの部屋に来た瑞樹はベッドの上でクッションを抱えていた。オレがゲーム機の準備を終えるまでの、いつもの姿勢だ。瑞樹は手紙の文面を確認しながらこちらの問いに答える。

 

「それが、特に書いてないんだよね。いつどこで、とか。メールアドレスとか、住所とかも。向こうの情報で書いてあるのは名前くらいで、学校名もないし……」

「なんだそりゃ。……単に書き忘れたのか、それとも手紙を渡すだけで満足だったのかは知らんが、だとしたらこっちからできることは何もないだろ」

「そうかな」

「そうだよ。どっちにしろ向こうの責任なんだし、気に病む必要はねえ。ほら」

 

 準備を終えて2P側のコントローラを投げ渡す。慌ててキャッチする姿を横目に、ゲーム機の電源を入れた。

 

「今はこれやろうぜ。楽しみにしてたろ」

 

 今日発売されたばかりのゲーム。昨日の夜からダウンロードだけは済ませておいたので、もうプレイできる。朝の通学路でもその話をしていたのだが、例の件でそれどころではなくなってしまっていた。

 結局ラブレターに関してこちらからできることはないのだし、それなら本来の予定通りゲームをしている方がずっといい。瑞樹はいいのかなぁと呟いていたが、タイトルロゴが表示されるとそんなことは忘れたようにこちらを急かしてくる。

 オレたちはそのあとしばらく、ゲームの世界に熱中するのだった。

 

 

 

 瑞樹は遅くまで遊んでいった。いつものように晩飯も食べて、今は玄関で靴を履いている。母さんと妹が並んでその様子を眺めていた。

 

「気を付けて帰ってね、もう暗いから」

「はい、ありがとうございます。あと、晩ご飯ごちそうさまでした。今日もおいしかったです」

「お兄ちゃん、ちゃんと瑞樹さんを送っていってよ」

「分かってるよ」

「あはは、千歳ちゃんも今日はありがとうね」

「いえいえ! こんなバカ兄貴でよければいくらでも酷使しちゃってください」

「そうそう。でかい図体もこんなときは役に立つし」

 

 妹も母もどちらも瑞樹の心配しかしていなかった。とはいえ気持ちも分かる。隣の瑞樹に目をやると、きょとんとした顔をしている。コレを夜の町に一人で放つのは気が引ける。なにが起こるかわかったもんじゃない。

 

「じゃあ、失礼します。おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」

「おやすみなさーい」

「んじゃ、行こうぜ」

「うん」

 

 二人で家を出る。もう春とはいえ、夜には冷たい空気が足下を抜けていく。瑞樹の家はここから歩いて十五分ほどだ。並んで歩きながら、オレたちはゲームのことを話していた。今日は金曜日、明日は朝から遊ぶ予定だ。

 

「明日中にはストーリーをクリアしておきたいね」

「だな。やりこみ要素はクリア後でいいか」

「うん。いや、でも、一つ一つアイテムを集めたい気もあるし……うー、迷う」

 

 うんうんと唸りながら明日の予定を呟く姿を見ていると、こいつは昔から変わらないなと感じる。あるいは子供のように性別の色が少ないから、今回のように告白をされるのだろうか。別に悪いことではないし、むしろそこが瑞樹の魅力なんだと思う。心配ごとが多いのが悩みではあるが。

 しばらく瑞樹が呟くに任せていると、唐突に沈黙が訪れた。足音も止まったことで、後ろを振り向く。足を止めた瑞樹は俯いて足元に視線を落としていた。

 

「どうした?」

「あのさ、ボク、迷惑かけてたりしないかな」

「なんだよ、いきなり」

「今日のラブレターの件とか、告白断るときに一緒についてきて欲しいって頼んだり」

「いつものことじゃねえか。気にすんなよ」

「……そうだね。昔っからそうだ」

 

 オレは答えるが、瑞樹の言葉に明るさが戻らない。

 

「ボクが八千代の助けになったことってあったかな」

「あん? ……そりゃあるだろ」

「適当な答え」

「適当じゃねえよ。瑞樹が気づいてないだけで、色々あるさ」

「そうかなぁ」

「ああ」

 

 いまいち納得できていないのか、首を傾げている。そんなに気にしなくてもいいと思うんだが、本人はどうにもそうじゃないらしい。少ししてばっと顔を上げると、キリッとした眼差しをこちらに向けてきた。

 

「決めた! ボク、もっと八千代の助けになるよ!」

「いったい何を助けるってんだよ」

「それは……分からないけど、でも、八千代が困ったことがあれば、そのときはなんでも言って。ボクにできることなら、精いっぱい恩返しするよ」

「へえ。それじゃあ明日のアイテム稼ぎは瑞樹に任せるかな」

「そ、そういうのじゃなくてっ。それは二人でやろうよ……」

「ああいう作業はやってると眠くなってくるんだ」

 

 そんなことを話しながら、通い慣れた道を行く。オレはふと、もし八千代に助けてもらうことになるとしたら、どんな出来事が起こったときだろうかと考えた。勉強? 怪我? それとも、もっと大変なことか。どれもあまり想像はつかないし、そもそも自分が困るような事態は起こらない方がいいに決まっている。

 だけどああもやる気になっている姿を見ると、多少は困ってやってもいいかなとも思うのだった。

 

 

 

 その夜、夢を見た。幼い頃の記憶、瑞樹と初めて出会ったときのことだ。

 瑞樹は公園で泣いていた。人目につかないような、木の陰に隠れながらだった。そのとき、オレは千歳とキャッチボールをして遊んでいた。その最中にすっぽ抜けたボールを追いかけて藪に入ると、足元に転がっているボールとオレを交互に見る瑞樹の姿があったのだ。

 

「なにしてんだ?」

 

 まさかそんなところに人がいるとは思わなかったオレは、ボールを取ろうともせず瑞樹に問いかけた。しかし瑞樹は困惑と怯えが混ざった顔をこちらに向けるばかりで、何も言わない。

 

「泣いてんのか?」

 

 小学生だったこともあってその頃のオレには遠慮とか気遣いとか、そういった相手のことを慮る心が足りていなかった。

 泣いているということは嫌なことがあったということで、嫌なことがあったときはとりあえず遊べばなんとかなる。そんな単純な思考回路は今に至るまで変わっていないわけだけれど、当時はより考えなしだったように思える。

 

「よっしゃ、キャッチボールしようぜ!」

 

 蹲っている瑞樹の手を引っ張り上げるとボールを拾うのも忘れて藪から飛び出し、直後にボールを取りに藪に潜った。

 そのあと、おどおどした態度の瑞樹を連れまわして千歳も含めた三人で遊び倒した。キャッチボールだけじゃなく、思いつくような遊びは一通りやった覚えがある。そうして夕方になるまで遊んで、その場で別れた。オレが瑞樹の名前を聞いていないことに気づいたのは、家に帰ってからだった。

 

 それから毎日、瑞樹は同じ公園に来た。瑞樹の表情は日に日に明るくなっていき、一週間も経つ頃には笑顔が目立つようになった。オレは瑞樹の泣いていた理由――大好きだった祖母が亡くなってしまったということ――も知り、どんどん仲良くなっていった。

 ……まあ、オレもしばらく瑞樹のことを女だと勘違いしていたのだが。

 ともあれ、瑞樹はオレの大切な友達になったし、これからもずっと一緒にいようと思っていた。たとえ向こうがオレの役に立てていないと考えていようが、そんなことで友達を止めるつもりはないし、オレたちの関係が変化することはない。

 そう、たとえ何が起こっても――。

 

 

 

「んん……」

 

 とか何とか、夢の中で思っていた気がする。自分に酔いすぎじゃあないだろうか。すっきりしているような、それでいて寝すぎたような感覚で天井を見上げる。

 なんとか力を入れて上半身を起こすと、頭がふらふらするし、全身が重い気がする。その上、体の違和感もひとい。風邪でもひいたか。瑞樹と遊ぶ予定だったが、もしかしたら断ることになるかもしれない。

 

 時計を見れば、もう九時半。そろそろ来る頃合いだ。とりあえず顔を洗おう。多少は良くなるかもしれない。

 よろよろとベッドから足を下ろして立ち上がろうとしたとき、長い髪の房が目に入った。それはさながらホラー映画のように、マットレスの上に広がっている。血の気が引く感覚と共に、違和感の正体に気がつく。

 体が動くと髪も動く。束ねて持ってみるとやたらと量があり、そして長かった。艷やかな黒髪をぐっと引っ張ると、鈍い痛みと共に頭が持っていかれる。それは確かに、オレの頭皮から生えているものだった。

 

「なんだこれなんだこれなんだこれ……!」

 

 痛みで正気を取り戻し、全速力で鏡を取りに行く。机の上に置かれた手鏡を手に取り覗き込むと、そこには知らない誰かが写っていた。

 

「なんだこれ――――――!」

 

 艷やかな濡れ羽色の長髪。動揺が滲みつつも、豹のような瞳はその鋭さを失っていない。目鼻立ちの通った顔面は、鏡などではなく雑誌やテレビに写っている方が正しいのではと思わせる。

 視線を下に下げると、男用のシャツをぱつぱつに盛り上げる膨らみが。そのせいで足元が見えない。恐る恐る触ってみると、柔らかくかつ適度な弾力が感じられる。筋肉の感触じゃない、脂肪のそれだ。

 

 夢だろうか? それにしてはやたらとリアリティがあるというか、意識がはっきりしているというか。それよりこのリアルさは、いやおっぱいを揉んだことは一度もないけれど、それでもこれが本物だということはなんとなく分かる。

 そのうえで股間に手を伸ばす勇気はなかった。何もせずとも、そこには何もないことがわかったからだ。股を閉じたときに、何もない感触がとても寒々しく感じられる。開いたり閉じたりを繰り返しても、違和感は増すばかりだ。

 女になっている。そう結論付けるしかなかった。とはいえ何が原因なのかはさっぱり分からないし、リアルな質感を前にこれが夢であるとも断定できずにいた。

 茫然と鏡を眺めていると、階段を上がってくる音が聞こえてくる。恐らく瑞樹だろう。

 

「やべっ」

 

 あたふたと右往左往しても何も思いつかず、意味もなく長く伸びた髪をぐしゃぐしゃと乱していると、ドアノブがひねられた。

 

「おはよー、もう起きて、る……?」

 

 瑞樹が目を丸くしてこちらを見ている。その瞬間、オレは一つの仮説に辿り着いた。もしや、性別が反転した世界にやってきてしまったのではないか。そう考え瑞樹を見るが、性別がどちらか分からない。

 これはどっちだ? 男か、女か? オレが変わったのか、世界が変わったのか?

 確認する方法は、一つ……!

 

「あ、あの……」

 

 ずんずんと歩み寄るオレに、瑞樹は怯えたように後退りしようとする。しかしそれを腕を掴むことで止め、確認のために片手を伸ばし、

 

「ふんっ」

「え、ひやぁああ!?」

 

 瑞樹の股間を思い切り鷲掴みにした。

 

「ちょっ、なっ、わっ、やああ」

 

 奇声も無視して、しっかり感触を確かめる。

 

「……ある」

「あたり前だよぅ!」

 

 見た目からはまったく想像もできないものが、そこにはついていた。オレの仮説が崩れた瞬間だった。

 であるとすると、世界が変わったのではなくオレが変わったということになる。しかし、いや、だとしても納得できないところもある。失った己の半身を求めるように、執拗に瑞樹の股間を揉みしだく。

 

「やっ、んっ、ふぅ……!」

「……なんでお前じゃないんだよ」

「な、なにが……」

「なんでお前じゃなくてオレが女になってるんだよぉ――!」

 

 親友には悪いが、そのようにしか思えなかった。オレが女になる理由はさっぱり分からないが、瑞樹が女になったと聞いたらなんとなく納得が行く。

 

「いきなりなに言って、ってまさか」

「ちくしょう。ついてなさそうな顔してるくせに、しっかりついてやがる。くれよこれ」

「んっ……いい加減揉むのを止めろー!」

 

 手を振り払い、身をかき抱くかのようにオレから離れた。顔は真っ赤で、目尻には涙が浮かんでいる。だからなんでお前はソレでついてるんだ。

 

「も、もしかしてだけど、八千代?」

「当たり前だろ、それ以外に誰だと」

「信じられるわけないでしょ! 本気で言ってるの? こんな突拍子もない……いや、でも、この感じは」

 

 うんうん唸っている瑞樹を後目に、頭を抱えて蹲る。もうなにをどうしていいか、さっぱり頭に浮かばない。

 

「あああ、マジでなにが起こってんだ。これが瑞樹なら納得も行くのに……」

「ちょっとっ、それどういう意味さ!」

「そりゃあ、お前。オレが女になるのと瑞樹が女になるのだったら、どっちの方が違和感ないよ」

「それは……それは別として! ああもう、少しずつ八千代に思えてきたっ」

 

 二人して騒いでいると、階段を駆け上がってくる音がしてくる。やばい、家族になんて言って説明すればいいんだ。考える間もなく、階段から顔が覗いた。

 

「ちょっとー、朝から流石にうるさすぎ……え?」

 

 前例と似たようなリアクションでこちらを見る千歳。はっと瑞樹に視線を向けるが、おろおろとしていてフォローは期待できそうにない。オレは猛獣を相手にするような心持ちで、両手を前に出して説得を始めた。

 

「落ち着け千歳。オレはだな、お前の兄ちゃんだ」

「……お兄ちゃん?」

「ああ。なにがなんだかオレも分かってないが、起きたらこんなになってた。意味が分からないと思うが、信じてほしい」

 

 視線がオレから瑞樹に移る。千歳に見つめられた瑞樹は躊躇い気味に頷いた。まだ完全に信じてもらえたわけではないようだが、一応肯定をする程度には信用してもらえたらしい。

 

「な? だから、ひとまず落ち着いて話を……」

 

 そうして話しの席につけようとしたオレの言葉はしかし、妹の突然の行動に阻まれることになる。

 急に怒りの形相を浮かべた千歳は、鼻息荒くこちらへと近づいてきたのだ。

 

「ち、千歳ちゃん! ちょっと待った!」

 

 尋常ではない様子を感じ取った瑞樹がそれを止めようとしたが一歩遅く、既に目の前に来ていた。あまりの気迫に息を飲んだ瞬間、衝撃が体を襲う。恨み真髄の表情で、地の底から響いてくるような恐ろしさを伴った叫びが轟いた。

 

「な、ん、でお兄ちゃんにはおっぱいがついてるのぉおおお!」

「い、っだだだだだ! もげる、もげるってぇ!」

「なんでよ――っ!」

 

 ぎりぎりと万力のように乳房を握りしめられ、痛みのあまり悲鳴を上げる。しかし力が緩まることはなく、なぜか片手は両手に増え、上下左右にと引き裂くように蹂躙し始めた。

 

「ありえないでしょっ! なんで男にこんなっ、乳がついて! 正真正銘女のあたしにはこれがないわけ!? よ、こ、せぇー!」

「無茶、言うなっ、て痛い痛い! 瑞樹っ、こいつを止めてくれ!」

「え、あ、うん、ええ?」

 

 だめだ、混乱していてしばらく動きそうにない。

 おろおろする瑞樹、胸を弄ばれ続けるオレ、怒りに燃える千歳。混沌とした場は、騒いでいたオレたちを母さんがしばきに来るまで続いたのだった。

 

 




書きだめはほとんどないです

読みにくいかと思ったので改行増やしました

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