なんでお前じゃないんだよ!   作:シャオレイ

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二話

 室内は妙な沈黙に包まれていた。リビングのテーブルには現在、オレと瑞樹、千歳の三人がついていた。母さんは夕飯の準備をしている。

 朝の一件の後、オレたちは病院へと行った。昔からお世話になっているところ――瑞樹の家族が経営してる大規模な病院だ。事態が事態なだけに、話のつけやすい所を選んだ。説明に紆余曲折ありつつ、いくつかの検査をした結果、暫定的にではあるものの、オレ本人であると認めてもらえた。

 とはいえ、それが分かればいつも通り、というわけではない。妹も瑞樹もそわそわと機を伺っている。まあ、オレがあまりにも変わっているのだから仕方がないと言えばそうだ。

 

 この体になって一番に感じたのは、身長の差だ。元の身長は一八二センチ、対して今は一七一センチ。十一センチも違いがある。さらに言えば、縮尺そのままではないから手足の長さも変わってくる。

 目線の高さと手足の長さが大きく違うのだから、それはもう大変だ。色々なところに体をぶつけ、ときには転びかけた。そんな様子を見ていたからか、どうもこちらに気遣いをしているようだ。いつもなら息をするように煽ってくる千歳も、珍しく大人しい。とはいえ、立場が逆ならオレも軽々しく声はかけられないだろう。

 今この場に必要なのは切っ掛けだ。何かがあれば、きっといつも通りに話せるはずだ。ここはやはり、家人で年長者であるオレが行くべきだと判断し、話をするべく身を乗り出した。

 

「よいしょ」

 

 瞬間、千歳が激発した。

 

「アンタ喧嘩売ってんの!?」

「机を叩くな、振動が来るだろうが」

「なにそれふざけんじゃ……だからそれを止めなさいよ! 胸を机に乗せんなぁ!」

 

 机をばんばん叩く千歳、その度にゆさゆさと揺れるオレの胸。机に接している底辺から頂点までの振動の時間差が、その質量を強く主張している。

 

「だいたいおかしいでしょ!? アタシもお母さんもそんなじゃないのに、それはどこから湧いてきたわけ!?」

 

 叩くのを止め、指を指してくる。憎しみすら込められていそうな鋭さだ。とはいえ、そう感情を昂ぶらせられても困る。恣意的にでかくしたわけではないのだから。

 

「父さんの方の遺伝子じゃないか?」

「アタシの半分もそうなんだけど」

 

 喉から人のものとは思えないうなり声が響いてくる。隣に座っている瑞樹が怯えていた。妹が胸にコンプレックスを抱いているのは知っていたが、まさかここまでとは。

 

「邪魔だぞ、これ」

「ああっ! こいつ、言ってはいけないことを!」

 

 何気なく放った言葉はガソリンだったようで、派手に炎が上がった。しかしこちらも引き下がれない。

 

「でも、これじゃまともに走ることもできないぞ。歩くだけでも大変だ。女性がブラジャーをつける理由がよく分かるな」

「アタシはブラつける必要がないって言いたいの!?」

「千歳ちゃん、ちょっと落ち着いて……」

 

 喧々囂々とした――主に一人のせいで――リビングは実に混沌としていて、当初の目的などどこへやら、もうお互いが言いたいことを言い合うだけの場になった。瑞樹は瑞樹で、千歳の勢いに圧されてまともに発言もできていない。

 ヒートアップし、騒ぎが大きくなってきた頃、

 

「いい加減止めなさいっての。ご飯できたから配膳手伝いな」

 

 母さんがキッチンから顔を出して言う。

 

「全く、ぎゃーぎゃーうるさい子たちだよ。瑞樹くんもよかったら食べてってね」

「あっ、ありがとうございます!」

 

 これ幸いとばかりに、まず瑞樹が席を立つ。次に千歳が、納得していないぞという顔で場を離れる。最後に一人残されたオレは、立ち上がった瞬間に襲ってきた重心の変化に姿勢を崩され、机に手をつく。前に傾く体に対し、ため息がこぼれた。

 

「女になったのはまだしも……これだけはなんとかならんかったかなぁ」

 

 

 

 飯を食べ終わり、今は自室に戻っていた。ベッドに寝転がり、椅子に座る瑞樹に視線を向ける。いつもの光景のはずなのに、やはり違う。瑞樹は目に見えて緊張しているし、こちらも、体の差異からくる微少なズレが積み重なって、体感に影響を与えている。

 

「なんか、自分の枕から匂いがするのって変な感じだな」

 

 体臭が変化しているのか、以前までは気がつかなかった自分の匂いに意識がいくようになった。同時に、狭かったはずのベッドが丁度いいサイズになっていたり、物をいつもの場所に置いても寝ながら手が届かなかったりと、この体になったプラスの面とマイナスの面が浮き出てきた。だがしかし、

 

「やっぱ、不便の方が上回るな」

 

 今だって、仰向けには眠れていない。胸が重すぎて、仰向けに寝ると圧迫感を感じてしょうがないからだ。横を向いて、ようやく重力から解放される。

 

「いいもんじゃねぇな、巨乳」

「し、知らないよ」

 

 瑞樹に話しかけると、つっけんどんに目を逸らされた。瑞樹には珍しい反応だ。そう思ってじっと瑞樹を見つめていると、視線を落ち着かなくさまよわせているのがよく分かる。しかしたまに視線がこっちに向く。顔を見たり、体を見たり。どうにも挙動不審だ。

 もしかして、

 

「お前、この体がタイプだったりするのか?」

「はぁっ!?」

「いやでも、そうかそうか。お前、小学校の頃からエロに対する興味関心が全く成長してないなと思ってたが、こういうのが好みだったのか」

「いやっ、ちがっ」

「胸か? やっぱり胸がいいのか?」

 

 むくりと起き上がり、胸を持ち上げてみる。ずっしりと重たい質量が腕にのしかかる。反応は劇的だった。かぁっと顔が赤くなり、きゅっと唇を結んで俯いた。

 予想以上というべきか、予想外というべきか。まさかそこまでとは思いもよらなかった。気まずい沈黙が訪れる。

 

「あー……、そのだな」

 

 とりあえずで声を出す。なにを言うか考えているわけではないが、とにかく沈黙に耐えられなかった。

 

「お前も、その、エロに対して興味があるみたいで安心したぞ」

 

 息子のエロ本を見つけた父親みたいなことを言ってしまった。余計に縮こまる瑞樹。

 

「いや、なにもおかしくはないんだぞ? 男としてさ。普通はそういうのに興味を持つんだって」

「……それを親友から言われるこっちの身にもなってよぉ」

 

 蚊の鳴くような声が聞こえてきた。相当恥ずかしかったらしい。流石に悪いことをしてしまった。

 

「あー、悪かったよ。ちょっとしたからかいっていうか……」

「ううん、いいよ。ボクも悪かったんだから」

 

 瑞樹が顔を上げて、視線を合わせてくる。まだ少し瞳が揺れていたが、それでもこちらをまっすぐに見つめていた。

 

「一番大変なのは八千代だもんね。それなのにボクは、こんなに態度を変えちゃったりして。ごめんね、いやだったよね」

「いや、別に……」

 

 個人的には、瑞樹がそこまで大げさに考えていたことを驚いているくらいだった。

 

「気にすんなって。誰だってそうなるさ、どんな漫画だよってな。別に、この体になったからって、これから付き合ってくのが難しいってわけじゃないだろ?」

「それはもちろんだよ。なにがあってもボクは八千代の友達だ」

「ならいいんだよ。それに、オレだってお前と同じ状況に置かれたら、奇異の目の一つや二つ……」

 

 そこまで言いかけて、もし仮に立場が逆だったとしたらオレはどうしていただろうと考える。ずっと昔から一緒にいたこの幼馴染が、突然女になったとしたら。

 じっと見つめると、視線から逃れようとしてか身をよじる瑞樹。

 

「や、やめてよ、そんなに見るの……」

 

 かすかに頬を染め、まるで科を作っているようなポーズと表情に、うんと一つ頷き、

 

「別にお前が女になっても特に変わらないな、うん」

「ちょっとどういうこと」

 

 想像を軽く膨らませてみたが、さっぱり変化が思い浮かばない。例えそうなったとして、これ以上女らしいなにかになる気がしないし、このまま女になったとして、ああそうかで済ませてしまう気がする。

 

「もう、ひどいや。ボクだって八千代のこと心配してたのに」

 

 すねて唇をとがらせる仕草は、今のオレよりも余程少女らしかった。

 

「すまんすまん、悪かったよ」

「……ほんとにそう思ってる?」

「もちろん。それに、これから瑞樹には色々と頼ることになるからな」

「頼る?」

「だって、オレこんなになっちまっただろ? 学校も含め、一番長い間一緒にいるのはお前になるだろうしさ」

 

 オレだって今後に不安がないわけじゃない。これまで通りとはいかないだろうことは理解しているし、これからどう生活が変化するか、予想することも難しかった。そうなると、事情とオレのことをよく理解していて、日常生活でも頼れそうなのは瑞樹だけだ。だから、

 

「頼りにしてるぜ、親友」

「頼りに……うん、任せて!」

「なんだよ、かなりノリノリだな」

「えへへっ、だって昨日言ったでしょ。何か八千代の助けになりたいって。ちょっと不謹慎かもしれないけど、せっかくの機会だからね。ボクを存分に頼っていいんだよ」

 

 得意げに胸を張る瑞樹。当たり前だが、それは平坦だった。

 ともあれ、ひとまず助けを求められる先はできたのだから、先のことを考えよう。

 

「それじゃあ、明後日からよろしくな」

「うんっ。……うん? 明後日?」

「だって明後日から学校だろ?」

 

 ベッドから離れ、ハンガーに吊してある制服を手に取った。体型も変わってしまっているから着られるかどうかは微妙なラインだが、そこは気合いで押し込むしかないだろう。

 体型と寸法を見比べていると、慌てたような声と共に瑞樹が立ち上がった。

 

「えっ、ちょっ、学校行くの!?」

「そりゃ、行くだろ。高校生なんだし」

 

 当たり前のことを、と思いつつ答えた。しかし瑞樹はそうではないようで、学ランを羽織ろうとしているこちらの背に向かって声をかける。

 

「こんな状態なんだから、学校は休んだ方がいいんじゃ」

「それはいやだ」

「いやって……」

「今まで一度も学校休んだことないんだぞ。休んだら負けな気がする」

「そういう問題じゃない気が……」

「いずれは行くことになるんだし、だったらさっさと行っておいた方がいいだろ」

 

 結局、大事なのは勢いだ。オレの人生経験もそう言っている。だいたい、悩むのは性に合わない。

 オレの言葉に、最初はどう反論しようかと口を開閉していた瑞樹だったが、こちらの決意が固いことを悟ったのか、深いため息をもらした。

 

「君っていつもそうだ。何か決めたら一人でだーっと行っちゃって。……でもまあ、手伝うよ。幼馴染だもん」

「ありがとよ」

 

 互いに笑みを交わす。姿が変わってもオレとこいつは友達のままでいる。今はただ、それだけが分かっていれば十分だった。

 

 


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