放課後、生徒たちの視線を浴びながら学校を出る。話がある程度出回っていたのか、あの人が、というような声が聞こえてきた。
「んふふ〜。すっかりやっチャンも有名人だねー。瑞樹チャンくらいには名が知られてきたんじゃない?」
「笑い事ではないですよ。クラスだけでもあれだけ大変だったんですから、それが校内全体にまで広がるなんて考えたら」
「あんまり考えたくはないね……」
加苅は楽しげに、佐々木と瑞樹は困り顔を浮かべて言う。
「ま、なんとかなるさ」
「またそんな楽観的なこと言って」
「できることはないんだ。だったら気にしないほうが精神的にも気楽だろ?」
「はぁ……」
「でもでも、やっチャンの言う通りだと思うなー。コッチでできることなんて、それこそ説明参りくらいなモンじゃない? そんなめんどくさいことしなくても、明日明後日くらいには話も広まりきってるよ」
「加苅さんまで」
「といっても、相手がやっチャンだからこその対応ではあるけどねー。こんくらい神経が図太い人間向けってこと。あっ、次こっち曲がるよ〜」
加苅の発言に、なるほどと頷く二人。それで納得されるのは釈然としないが、良しとする。
先導する加苅にしばらく着いていくと、瑞樹が口を開いた。
「それで、どこに向かってるわけ? なんか、体に合わせた物を、とは聞いたけど、なにを買うの?」
「あー、それは」
「それはねえ、服を買いに行くんだよー」
疑問に答えようとすると、途中で言葉を奪われる。
「服?」
「体のサイズも色々変わってるからね〜。それに合わせたものを買わないとー」
「確かに色々とぶかぶかだったもんね」
「コレが治るのかどうかも分からないし、それだったら安いの買っちゃった方が快適だと思うからねー」
「へえ、……でも、それって女性用の服ってことだよね? ボクいらなくない?」
「いえ、ですから買うのはした……」
「いやいや! やっチャンだって男なんだから、そういうの買いに行くのも緊張するじゃん」
佐々木の発言が強引に遮られる。ずいと瑞樹の前に出た加苅は、いつものニコニコ笑顔で語り始めた。
「男が女に連れられて女性用の服を買うのは恥ずかしいでしょー? だから、付き添いとして瑞樹チャンに頼んだってわけ。ほら、誰か自分の立場に立ってくれる人がいると心強いからさー、同じ男として」
乗りに乗っている加苅の弁舌を聞きながら、そのトーンが瑞樹にいたずらをしているときのそれと同じ種類であることに気がついた。少し離れて佐々木に尋ねる。
「なあ、どういうつもりなんだ?」
「坂井さんをからかうつもりなのでしょうね、いつものように……」
「うん?」
「これから買いに行くのは、その、女性用の下着でしょう。それをギリギリまで知らせないつもりですよ。ほら、わざわざ私たちから距離を離して聞こえないようにしてます」
見れば、瑞樹は加苅に肩を抱えられて大分前を歩いていた。
「悪趣味というか、幼稚というか……。坂井さんには悪いですけど、外で待っていてもらうことになるかもしれませんね」
「いや、それはオレが困る。男一人だけなんて、空気に耐えられないぞ」
なんかこう、ピンクっぽい感じのファンシーな空間であれやこれやと見て回るとか、絶対一人じゃ無理だ。
「……まあ、あなたがそう言うだろうことも踏まえて、彼女はいたずらをしようとしているのでしょうけど」
よく分からんが、どうやらそういうことらしい。瑞樹には悪いが、ここは付き合ってもらうとしよう。
加苅の案内した店は、駅から少し離れたところにあった。なるほど確かに、これは女性向けの店舗なのだと一目で分かる。明るく清潔感があって、いやらしさがない。まさに縁の無いところだ。
オレは呆然としている瑞樹の肩に手を置いて、先手を打って言葉を発した。
「頼む、オレを一人にしないでくれ」
「だ、だって、服買いに行くって……」
「それは加苅が勝手に言ってたことだな」
「言わずに連れてきたときの瑞樹チャンの反応が見たかったんだー」
悪びれもしない加苅と、絶対に離さないように肩を掴むオレとを交互に見ている。
「そういうわけだ……、さあ行こう」
「いやいやいや」
押した肩に反発が。瑞樹が足を踏ん張ってしまって、前に出ようとしない。
「分かってくれ。オレ一人じゃ耐えられない。味方が必要なんだ」
「そんなシリアスな言い方をする場面じゃないよねっ。そ、それに、今の八千代は女の子の姿だけど、ボクは違うから絶対変な目で見られるよ! お客さんだって迷惑に……」
「大丈夫だ、オレが学ランを着ている以上、お前も同じ性別に見られる」
「んんんーっ!」
怒りの力からか踏ん張りがより強くなる。こうなったら仕方ない、前の体ではできたが、今の体でできるかどうか。
「よっ、と」
「わあっ」
肩から脇の下に手を滑らせ、ぐいっと体を持ち上げる。身長差が縮まったとはいえ、まだまだオレの方が背が高い。いつものように腕力だけで持ち上げることはできないが、抱えるようにして体を反らせれば足を地面から離すこともできる。
「ほら、行くぞ」
「は、離してっ。下ろしてよぅ! ていうか、背中に……!」
「こら、暴れんな」
ジタバタと抵抗する体をがっしりと押さえ込み、ゆっくり歩みを進める。そんなオレたちの姿を見た加苅が、にやぁと口角をあげた。
「はーん、なるほどねー。ふふん、瑞樹チャンもオトコノコだったわけだ」
その言葉に反応したのか、抱えている瑞樹の体がびくりと震えた。
「どういうこった?」
「そりゃあもう、二人の体勢を見たら一目瞭然だよー」
体勢。オレは瑞樹を抱え、瑞樹はオレに抱えられている。それ以上のなにかがあるというのだろうか。
「やっチャンはまだまだ自分の体に対する理解が足りてないねぇ。瑞樹チャンに当たってるもの、あるじゃん」
「当たってるもの? ……あー、そういうことか」
瑞樹の抵抗の理由が分かり、拘束を解いてやる。地面に下ろされた瑞樹は逃げることもなく、その場に蹲み込んだ。耳だけしか見えないが、そこは真っ赤に染まっている。
「わりぃ、気づかなかったわ」
瑞樹を抱える際、上半身が密着していた。そうすると当然、この無駄にでかい胸が向こうに当たるわけで。
「その辺の身体感覚も徐々に身につけてかないとねー」
「そうですね。この調子では、瑞樹さん以外の男子にも同じように接してしまうかもしれませんし」
女の体って難しい。改めてそう思うのだった。
店の中は下着でいっぱいだった。いや、当たり前のことなのだが、それらが凄まじい威圧感を発しているように思えてならない。できるだけ視界に入れないように工夫しつつ、隣を見る。瑞樹も同じ気持ちでいるのか、顔を硬らせて地面に視線を向けていた。
入店してからというもの、人の目を感じる。なぜ男装しているのか、そんな訝しむような視線だ。瑞樹が男だとは思われていないようだが、入ってすぐだというのにもう帰りたくなってきた。
「ほらほら、まずはサイズ測らないと」
「サイズ?」
「大きさ測って丁度の買わないとだめなんだよー」
「……面倒だな」
「そういうもんなんだから仕方ないって。こっちきてー」
先導する加苅に着いていく。
試着室は店の奥まったところにあり、偶然にもいくつかある個室は全て空きの状態だった。
「で、ここでサイズを測ってもらうわけなんだけどー。やり方分かる?」
「分かるわけがないだろ」
「だっよねー。とりあえず試着室の中に入ってもらってー、さらしを取ってもらうんだけど」
「これ取るのか、分かった」
中からカーテンを締め、シャツの前をはだける。巻いてある布を外すと、大分呼吸がしやすくなった。着ける加苅が言っていたように、これでは締め付けがきつかったのだろう。
学ランをハンガーにかけ、いざカーテンを開けようとしたとき、向こうから加苅の声が聞こえてきた。
「いいこと思いついた。はいこれ」
「えっ? な、なに、スマホ?」
「んじゃサイズ測定よろしく! メジャーは多分試着室の中にあるから」
「はいっ?」
「あたしらに測られるよりも瑞樹チャンの方が気が楽でしょ。やり方が書いてあるから、その通りにやればいいよ〜。んじゃ、やっチャンに合いそうなデザインのやつ探してくるから。頑張ってね〜、んふふふ」
「えっ、あ、加苅さ、引っ張らないでっ」
女子二人の突然の離脱宣告。そんなまさかとカーテンの隙間から顔を覗かせると、本当にどこかへ行ってしまったようだった。
瑞樹は手元のスマホと去っていった二人に交互に視線を送り、最後にオレを見た。
「ま、待って二人と……うっ」
「待て、オレを置いていくな」
二人を追いかけようとした瑞樹の腕を掴み、逃さないようにする。
「は、離してよぉ。ボクが測るなんて、そんなの無理だよぉ」
「だからってオレをここに一人で置いていくのか、薄情だぞっ」
「う、それは……」
「大丈夫だって、長さを測るだけなんだから。やれるやれる」
「うう……そういう意味じゃないのに」
「ほら、早く中入れよ。いつまでもここで騒いでると怪しまれるぞ」
不承不承ながらも靴を脱ぎ、中に入ってくる。そして素早くカーテンを閉め、一安心、かと思ったら顔を真っ赤にした瑞樹が小さな悲鳴を上げた。
「ま、前! 前閉めて……!」
「前?」
そういえば、シャツのボタンを外しっぱなしだった。乳に引っかかっているだけで、かろうじて脱げていないような状態。前に漫画雑誌のグラビアで似たようなものを見た覚えがある。
とはいえ、
「測るんだから、結局脱がないといけないんじゃないのか?」
「え」
「だって、そうじゃないと正確に測れないんじゃ?」
「そ、それは……」
スマホに目を落とし、書かれている内容を確認する。だが、服に関することは書かれていなかった。
「どうしよう」
「まあ、脱いでやった方がいいんだろ、多分」
「そんなぁ……」
半泣きでこちらを見上げてくる反応はおかしくないかと思いつつ、足元のかごに入っているメジャーを渡す。
「まあ、頼むぜ。一人じゃできないしな」
「うん……」
シャツを脱ぎ、落とす。ただ単に半裸になっただけだというのに、男のころとは微妙に違う感じがしてむず痒さを覚える。
とにかく、さっさと終わらせよう。
「えーと、まず一番高いところで測るのか。一番高いところってここだよな?」
指で指して瑞樹に確認を取ろうとするが、こちらを見ていない。
「じ、自分で判断してよ」
「そうは言われてもなぁ。まあ、合ってるとするか。次は、メジャーを体に巻きつけて……瑞樹、後ろの方頼む」
「うん……。恥ずかしいから、向こう、向いてて」
それは女が服を脱ぐときのセリフだな。そう思いながら鏡に体を向ける。
「む……」
このときに気づいたのだが、もしかして、はっきりと体を見るのは初めてじゃなかろうか。
風呂のときは鏡が曇っていて見えづらかったし、普段は服を着ていた。自分の体だというのに、見ていると罪悪感が湧いて出てくる。難儀な身体になったものだ。
目を慣れさせようと、あえてじっと身体を見つめていたら、横から手が伸びてきた。
「メジャー、体の前で回して」
「おう」
紐を脇の下に通し、反対側に回す。逆の手に紐を渡すと、背中で一周した。
「前の方は自分で合わせて欲しいんだけど……」
「分かった」
二、三度引っ張って具合を調整する。これがなかなか難しい。平坦じゃないうえに、硬くないから紐が沈んでしまって上手く合わせられない。
「なかなか難し、ぅおっ」
変な声が出た。
「ななな、なに!?」
「いや、ミスって乳首こすった」
「ちっ……!?」
顔は見えないが、声色でかなり焦っているのは伝わってきた。
「へ、へんなこえ、ださないでよっ」
「いや、不可抗力だこれは。声が出るのは仕方がないだろ」
「ぅ……知らないよっ。長さっ、測ってもいいの?」
「ん。おう、大丈夫だ」
軽く紐が締められ、数値が読み上げられる。93。ってことはつまり、
「これってデカいのか?」
「ボクに聞かないでよぅ……。次、早く終わらせよ?」
「はいよ」
紐を緩ませて、今度は胸の下に移動させる。
「あ」
「こ、今度はなに?」
「いや、紐をあんま動かさないでくれ。乳で挟まれてるから、下手に動かされると肌が擦れて痛くなると思う」
「はさま……わ、分かった」
途端に瑞樹の動きがぎこちなくなった。注意した本人が言うのもなんだが、緊張しすぎじゃなかろうか。
「ちょっと締めすぎ」
「あう、ごめん」
「うん、そんくらいだな。数値は?」
「えっと、70だよ」
「へえ。……まあ、それでなにをどうするのかさっぱりだが」
スリーサイズが数字で出るのは知っているが、それをどう使うのかはさっぱりだ。二人が戻ってくるまでおとなしく待っていよう。
「ありがとうな、手伝ってもらって」
「もういいよ。けど、今後こういうのは女の人に……わぁっ、こっち向かないで!」
「あ、すまん」
話しかけるときに、思わず瑞樹の方へ向き直ってしまった。
「ボク、先に出てるから!」
「そんな焦らな……あぶねぇ!」
勢いよく外に出ようとした瑞樹が、地面に落ちていたさらしを踏んだ。重なって置いてあったために足を滑らせた瑞樹は、鏡に向かって一直線に倒れていく。
慌てて体を割り込ませ、倒れてくる瑞樹の体を受け止める。ここでも、元の体との認識の差にしてやられた。これで受け止められるとした力加減では足りず、自分の体をクッションにして受け止めるしかできなかった。背中を鏡にぶつける。
「ふう……大丈夫か?」
「う、うん、平気。ありがとう」
「気をつけろよ、頭ぶつけたら大変だぞ」
「ちょっとー、なんかぶつけた音したけど、どうしたのー? ……わお」
カーテンが開いて加苅が顔を覗かせる。
「瑞樹が足を滑らせてな、受け止めようとしたんだが失敗を……なんだその顔」
「えー? だってさー。んっふふ、マンガみたいなラッキースケベじゃん。顔からじゃないから、少し惜しいけどねー」
「はあ?」
「え? ……わぁっ」
加苅の言葉に瑞樹が跳ねるようにオレから離れる。外に出ようとしてローファーに足をとられ、転びそうになるくらいに慌てていた。
なにをそんなに、と言いかけて、自らの体勢を顧みる。オレは今、上半身裸の状態だ。そんな状態で倒れてくる瑞樹を支えきれず、体で受け止めた。つまり、裸の上半身が瑞樹と直接接触していたわけだ。さらに、入店前に背中に当たったときとは違い、今回は後頭部だった。
なるほど、ラッキースケベとはその通りだ。当の本人は赤くなったり青くなったり忙しそうで、あまり嬉しそうではないが。
シャツを羽織りボタンを雑に止めると、カーテンを開ける。
「気にすんなよ。ただの事故だろ?」
「気にするな、なんて言われても……無理だよ……」
ショックを受けたような表情で立ち尽くす瑞樹。その姿はまるで、
「なんか瑞樹チャンの方が乱暴受けたみたいな雰囲気出てるけど、起きた出来事的には逆だよね」
オレもそう思った。だというのに、やたらとその姿が似合っていて、なんだか悪いことをしている気分にさせられる。
「そんな雰囲気出してないよぅ」
「出てたねー」
「そうだなぁ」
「うぅ……ボク、外で待ってるから」
肩を落として力なく歩き去っていく。どうにも色々と起こり過ぎて、キャパオーバーを起こしたようだ。
「うーん、やりすぎちゃったかぁ」
バツの悪そうな顔をして、加苅が頬をかく。
「ふざけ過ぎでしたね。あとでちゃんと謝っておくように」
「はぁい」
オレもあとでなにかしら奢っておこう。とりあえずは買い物に付き合ってもらったお礼も兼ねて。