Re;黒子のバスケ~帝光編~   作:蛇遣い座

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第23Q アメリカに住んでいてね

帝光中学バスケットボール部には、5人の天才と、1人の怪物が棲んでいる。

 

全国制覇を成し遂げた超強豪校において、その原動力となった新入生達。噂を聞いたオレは、友人と観戦に向かい、その光景に出会う。プレイを一目見ただけで、その超越に心を打たれた。何でも出来るオレが、出来そうもないと思った。それが初心者のオレ、黄瀬涼太がバスケを始めたきっかけである。

 

実際に部活に入ってみると、その壮絶さは群を抜いていた。青峰っち、緑間っち、紫原っち。それと、ムカつく奴だけど灰崎も。とても真似の出来ない才能(オリジナリティ)と才能(センス)だった。オレ自身も大概、恵まれていると思っていたけど、彼らのそれは格が違う。同じく全国トップクラスの先輩達と比べてさえ、明らかに別次元。悔しいが、今のオレでは届かない。

 

少し劣るけど、オレの師匠でもある赤司っちも、技量や身体能力、状況判断など、PGとして非常に優秀である。さすがは副部長をしているだけはある。とはいえ、現時点で最も追いつきやすい目標だろう。

 

最後にもう一人。

 

異次元の怪物。帝光中の切り札。幻の六人目。天才逸材が揃う帝光中バスケ部において、最も信頼され、畏怖されているのが彼である。

 

 

――黒子テツヤ

 

 

初めて会ったときは、雑魚だと思った。1軍レギュラーだなんて信じられないと。事実、1on1では当時2軍だったオレに惨敗する始末。ベンチ入りすら危うい実力だろう。それがオレの見立てだった。だが、そんな浅はかな読みは、1軍に上がってすぐの試合で覆され、そこで確信した。帝光中で最も恐るべきは、彼なのだと――

 

 

 

 

 

 

 

季節も冬に差し掛かり、肌寒さを感じるようになってきた。全中の余韻も完全に抜けて、一種の中だるみの時期と言える。当時オレはいなかったし、全国最強の帝光中にそんな弛みはないが、さすがに試合直前期よりは休みも貰えている。

 

「黒子っち~!桃っち~!今日、帰りどっか寄っていかないッスか?」

 

日曜日の昼下がり。今日は午前練のみなので、これからはオフの時間。制服に着替えると、並んで歩く黒子っちと桃っちに声を掛ける。馬に蹴られそうだが、気にしないことにした。

 

「ボクは構いませんよ」

 

黒子っちが隣に視線を向けると、彼女は大きく頷いた。

 

「うん。どこ行こっか?」

 

「そうッスね……。オレも特に考えてた訳じゃないんスけど」

 

体育館から出て、校門へと歩きながら相談する。運動系の場所だとオレの一人勝ちになっちゃうし、ちょうど良いか。いや、帝光中のレギュラーなのに、桃っちとそんな身体能力変わらないってのもどうかと思うけど。

 

「じゃあさ。カラオケとかどう?最近、全然行ってないし」

 

「ああ、いいッスね」

 

「そうすると、駅前の店が一番近いですね。じゃあ、行きま……えっ!?」

 

突如、黒子っちが立ち止まった。少し遅れて、オレ達も足を止めて振り返る。不思議に思って彼の顔を捉えると、珍しく表情を驚きで固まらせていた。初めて見る。視線の先を確認すると、一組の男女の姿があった。

 

たぶん、女子の方はバスケ部のマネージャーかな?

男の方が話しかけているようだ。興味を引かれ、オレは近寄ってみる。

 

「先輩、どうかしたんスか?」

 

「あ、黄瀬君。ええと……」

 

視線を相手の方に向ける。目元の泣きボクロが印象的な男だった。私服だし、他校生だろう。年齢はオレよりも少し上くらいか?端整な顔立ちで、何かスポーツをやっているのか、細身ながら鍛えられた体付きだった。

 

「バスケ部の練習を見学させてもらおうと思ったんだけど……。どうやら無理そうだね」

 

彼は困った風な表情を浮かべて、指先で頬をかいた。どこか浮世離れした雰囲気が漂う。

 

「悪いけど、他校の見学は禁止なんスよ。あと、今日はもう練習終わりなんで」

 

「そうなのか。こっちの学校のことを良く知らなかったので……。彼女にも悪かったね、困らせてしまったみたいだ」

 

オレが答えると、男は謝罪して立ち去ろうとした。

 

 

「待ってください」

 

 

意外にも、そんな声を掛けたのは黒子っちだった。

 

「ウチのバスケ部に興味があるんですよね?だったら、実際に戦ってみるのが一番でしょう。彼が帝光の1軍レギュラーです」

 

「なるほど、彼が……」

 

「え……ちょっ…オレ?」

 

突然、話を振られて変な声が漏れてしまう。こちらに向けられる視線に、観察するような色が混ざった。思いのほか乗り気らしい。クールな面持ちだが、瞳に戦意が篭るのを感じた。

 

というか黒子っち。ほぼスタメンの自分を棚に上げて、勝手に話を進めないでほしい。

 

「いやいや、何でオレがわざわざ……。ってか、バスケ部の人だったんだ」

 

「アメリカに住んでいてね。学校の部活って訳じゃないが、経験者ではあるよ。まあ、噂の帝光中学の部員で力試しをしたかったんだ。だから、戦ってくれるならありがたいね」

 

久しぶりに練習が早く終わったってのに面倒だ。あまり気乗りしない。渋っていたら、黒子っちが珍しく強く推してきた。

 

「黄瀬君、お願いします。あとで埋め合わせはしますから」

 

「……私からもお願い。たぶん、大事なことだと思うから」

 

その様子に何かを感じたのだろう。桃っちも言葉を重ねた。オレよりも付き合いの長い彼女のことだ。得体の知れない黒子っちの思惑は分からないが、乗ってみよう。オレは承諾した。

 

 

 

 

 

 

 

第一体育館に戻り、バッシュに履き替えてコートに立った。練習時間外とはいえ、本来は部外者を入れてはマズイんだけど、内緒でここを使うことにした。さすがに着替えるのは面倒なので、オレは制服のままで、相手は上着だけ脱いで、1on1を始める。

 

「オレは氷室辰也という。付き合ってくれて感謝するよ」

 

「まあ、いいッスよ。けど、すぐ終わっちゃっても悪く思わないで下さいね」

 

右手でボールを放り、オレは腰を落としてディフェンスの姿勢を取る。審判として、黒子っちと桃っちはコート脇の床に座っている。目の前の氷室という男と、黒子っちの間に、どんな関係があるのか知らないが。相手になるならば叩き潰すのみ。意識を切り替えて、彼と対峙する。突如、氷室は動き出した。右側から仕掛ける高速のドライブ。

 

「うっ……速っ!」

 

想定以上の速度に思わず声が漏れる。瞬時に相手が凡百の選手でないと理解した。帝光レギュラー級の身体性能。反射的に後方へステップし、抜かれまいと追随する。ただのドライブで千切られるほど、オレも甘くない。

 

「させないッスよ!」

 

斜め後方へ走りながら氷室の眼を見据え、気勢を吐く。それに対して彼は、涼しげな表情のまま、口を開いた。

 

「へえ、凄いね。追いついてくるか……なら、これで」

 

時間の流れが緩やかになった錯覚。

 

何の変哲も無い、ストップからのジャンプシュート。ただし、途轍もなく滑らかな、流麗な舞のごとき。

 

 

――氷室の手からゆったりと放たれたボールが、静かにネットを揺らした。

 

 

「え?」

 

オレの口から息が漏れた。棒立ちのまま、一連の動作を見逃していた。いや、魅入っていたのだ。それほどにスムーズな、動作の間のムダが皆無の超絶技巧。まるで芸術作品を鑑賞したかのよう。対決中だということすら、一瞬忘れさせられた。

 

ただのバスケにおける基本技のひとつ。しかし、それを極めるとここまでになるのかと、呆然と立ち尽くしてしまった。

 

「ほら。次はキミの番だよ」

 

「あっ……ああ、そうか」

 

氷室からボールを渡され、ようやく意識を取り戻した。非現実的なまでの超絶技巧。オレは頭を振って気を取り直す。ただのワンプレイで確信させられた。この男は強い。それも、青峰っち達に匹敵する実力者なのだと。

 

「コイツ、何者だよ。……黒子っちも、キツイ相手をぶつけてくれるッスね」

 

批難をわずかに視線に込めて、黒子っちの方へ首だけを向ける。しかし意外にも、彼の表情も驚きだった。

 

「この時期でここまで……?いくらなんでも、完成度が高過ぎる……」

 

珍しく目を見開き、何かをつぶやいていた。普段見られない姿を、今日は何度も晒している。彼にとってもこの強さは想定外なのか。

 

「まあ、こっちも強敵の方がありがたいッスよ」

 

雑魚の相手は飽き飽きだ。今度はこちらのターン。ドリブル突破を狙い、ワンフェイクを入れ、ツーフェイク。オレの頬が引き攣る。

 

コイツ……全然動じてねぇ。

 

マズイ、隙がまるで見えない。攻め手がない。ボール持ち過ぎ。考え過ぎ。完全にテンポが乱れてる。

 

「くそっ……!」

 

破れかぶれのドライブを仕掛けるが、そんなものが通じる相手ではない。あっさりとスティールされてしまう。

 

強い……いや、巧い。身体能力は互角か、わずかにオレが上のはず。だけど、技量と駆け引きで、圧倒的な差を付けられている。全中は参加してないけど、目の前の男は明らかに全国最強クラスの選手に違いない。これほどの実力者がゴロゴロいるってのか……。

 

悔しさを噛み締めて、ボールを相手に渡す。続いて氷室のオフェンス。ボールを受け取る寸前、こちらの心を見透かすように、静かに視線を合わせた。一瞬の、静かな意識の交錯。こちらは何も読み取れなかったが、相手は違ったはず。それは直後の仕掛けでわかった。

 

「クッソ……そっちかよ!」

 

ヤマを張ったつもりはないが、意識の薄かった左側を的確に狙われた。わずかにテンポが遅れる。焦りと共に、サイドステップで相手の進行を遮った。これで直線的なドライブは止められるはず。しかし、本当にこの男が恐ろしいのはここから――

 

――残像すら見えるほどの、高精度フェイク

 

右と見せかけてのクロスオーバー。氷像のごとき精緻さと、流水のごとき滑らかさ。完成された一連の動作に、思わず身震いする。当然、上体を泳がされたオレは、あっさりと抜き去られた。

 

 

 

 

大きく息を吸い、天を仰ぐ。これだけ見れば分かる。明らかに格の違う相手だと。疑念を差し挟む余地も、議論の余地もない。青峰っちと同級の、超越者。今のオレに勝ち目などない。それを認めて、肺の中の空気を全て吐き出した。やれやれと首を振り、この勝負の元凶に視線を向ける。

 

「まったく、とんだ貧乏くじッスよ……。よくもまぁ、こんなヤバい奴と戦わせてくれちゃって」

 

軽く非難を込めたつもりの視線だが、なぜか黒子っちは愉しげに口元を歪めた。

 

「そんなこと言っておいて……笑ってるじゃないですか、黄瀬君も」

 

口元に手を当てると、どうやら無意識に笑みを浮かべていたようだ。弱気なのは表面だけで、たしかに胸の奥が熱く昂ぶっているのに、ようやく気付いた。何か、マグマのようなものが、全身を駆け巡っている。そして、同時に頭の天辺から血がさあっと降りるような感覚。

 

冷たく、意識が冴えわたっていく。燃える心とは対照的な、不純物の排除された氷のごとき集中力。新たな何かが生まれようとしている。そんな予感があった。

 

「良い状態ですね。本当に早い。この時期で、もう才能の芽吹きは始まっている」

 

経験したことのない心身の状態に、困惑するオレとは違い、彼は自然な調子で言葉を続ける。まるで想定内だという風に。

 

「相手の動きを見て、真似る。物事を上達させるために、最も大切なことです。キミはただ、そうするだけでいい」

 

「見て、真似る……」

 

もう話すことはないらしい。その忠告を最後に、彼はボールを手にして待っている氷室を目線で示した。先ほどまでの凍えるほどの鋭利な雰囲気を、なぜか今は感じない。

 

「悪いッスね、待たせて」

 

「構わないよ。もういいかい?」

 

腰を落とし、まっすぐ彼と目線を合わせることで応える。ダンッとボールを弾ませる氷室。冴え切った頭で、対面する相手の動作を隅々まで観察する。周辺視野を通して、無意識のうちで全体像を把握する。これまでとは別次元の精度による観察眼。元々、他人の動きを見るのは得意だったが、そんなレベルの話ではない。氷室の筋肉の動き、重心の流れ、視線や意識。それらが混ざり合い、一連の流れとして情報化される。

 

「いくよ」

 

左から抜こうと迫る高速ドライブ。それを瞬時に反応し、後方へとステップする。澄んだ意識で相手を捉えつつ、コート外へと進路を誘導。ゴールから進路を逸らそうと試みる。

 

だが、相手は超一級の実力者。当然のように仕掛けが入る。ストップからのジャンプシュート。流麗な舞のような、練磨された技術の集大成。極小のつなぎでのシュートは、こちらの反応を置き去りにした。

 

「氷室さんの得点です」

 

リングを通過したボールを、黒子っちは拾ってこちらへと投げ渡す。その顔には期待を押し隠したような色が浮かんでいた。珍しく感情をあらわにしている。そして、おそらくだが、オレも同じ顔をしているだろう。正直なところ、今回は氷室を止める気はあまりなかった。あれだけの技術だ。そもそも本気でやろうと止められなかったかもしれないが、オレの目的は別にある。そして、それを達成できた。

 

「見えたッスよ」

 

自然と口元が吊り上がる。センターライン付近で立ち止まり、一旦氷室に渡したボールを再び手にした。教科書通りの、隙の無い構えで彼は立ちはだかる。

 

さっきまであれほど脅威に感じていた堅固な氷壁が、今は等身大の人間に見えた。氷室辰也という選手の性能を理解したからだ。

 

右手でボールを真下に弾ませる。動く。思い通りに。

 

軽く左右にフェイクを入れてみる。肩の動き、手先や足先に至るまで意識とのズレは皆無。我ながら寒気がするほどの精密さだ。これならやれる。上体を前傾させ、一歩を踏み出した。

 

「直線的なドライブだけで、抜かれはしない……!」

 

最速で駆けるが、当然のごとくついてくる。身体能力頼りで倒せる相手ではない。分かっている。必要なのは技術。それも卓越した――

 

答えは目の前にある。磨き抜かれた技術の結晶。脳裏にあのムカつく同級生の顔がよぎった。前例はある。ならば、オレにも可能なはずだ。その確信がある。頭を冷やせ。氷のように、機械のように。全身がまるで一個の機械であるかのように、指先まで正確に操作しろ。

 

「なっ……これはオレの!?」

 

ストップからのジャンプシュート。あの冷静だった氷室の顔が、驚愕に固まった。動作の繋ぎ目が感じられないほどの、流水のごとき滑らかさ。寸分の狂いもない。ここまで苦しめた彼ですら、反応させない完成されたフォーム。これがオレの真骨頂。

 

 

――模倣(コピー)

 

 

圧倒的な全能感。ボールがネットを揺らす音と同時に理解した。自分がひとつ上のステージに到達したのだと。自然と頬が緩む。

 

なるほど。これが彼らのステージなのか。

 

「黄瀬君……キミは……」

 

「さあ、続けましょうか。次はアナタの番ッスよ」

 

コートに転がるボールを拾い上げ、彼に手渡した。

 

 

 

 

 

 

 

オレにとって、その時点から勝負ではなかった。

 

「へえ……なるほどなるほど」

 

左右に上体を振り、幻惑する氷室のボディフェイクからの切り返し。残像すら幻視される高精度のドリブル。さっきまでのオレなら、易々と騙されていただろう。しかし、今のオレの観察眼ならば話は別。かつてなく頭が冷え切り、意識が冴える。彼の動きが、隅々まで理解できる。一連の流れは見せてもらった。

 

「先ほどまでとは、まるで別人っ……!?」

 

『見る』ことに集中していたため、途中で抜かれてしまったが、問題ない。次はこちらの番だ。

 

「さぁて、答え合わせと行きますか」

 

口元に笑みを浮かべ、オレは採点官に答案を提出する。左右に上体を振り、幻惑するボディフェイクからの切り返し。

 

「またオレの技を……!?」

 

超絶美技。本人のものと寸分違わぬドリブル技術。目を見開き、苦しげに氷室が声を漏らした。体勢の崩れたところを狙い、突破する。

 

「だが、まだだっ!」

 

一歩遅れつつも、ギリギリで喰らい付いててくる。意外にも抜き切れないらしい。だが、それもそうかと思い直す。

 

「たった今、自分のやった技だしな」

 

そりゃ、心のどこかで予想はしてたか。格下ならともかく、同格の相手だ。自分の技と同じなら対応もされるよな。なら、これでどうだ?

 

「ストップからのジャンプシュート……!うそっ……これも氷室さんの…!?」

 

観戦していた桃っちの上擦った声が耳に届く。コピーした技同士を繋ぎ合わせる。これは初見だろう。そして、予備動作極小はこれらの共通した特性。急停止からの流れるようなシュートに、今度こそ彼はついてこれなくなる。

 

「模倣した技の連携まで……!そんなことが……」

 

瞳に絶望の色を湛え、描かれる放物線を眺めるしかなかった。直後、乾いた音が辺りを通り抜ける。今度こそ、喜悦の笑みを抑えることができなかった。

 

「ああ、最高ッスよ」

 

高揚のあまり、思わず口を突いて出た。他人の技をひとつ取り入れるたびに、確実にオレは強くなる。何て明快なシステム。そして、目の前には最高の教材があるじゃないか。もっと、もっとだ。オレにもっと技を教えてくれ……!

 

期待と感謝を込めた目線を、氷室に向ける。それに対して一瞬、たじろぐように視線を泳がせたのち、首を左右に振った。

 

「いや、ここまでにしよう」

 

「そっちから誘っておいて、それは無しじゃないっスか?」

 

「申し訳ない。だから、これで許してくれ」

 

フリースローライン付近まで歩を進める氷室。ボールを要求する合図を出す。

 

「ブロックしてみてくれ」

 

集中は解かず、冴えた意識のまま、彼の前に立つ。それを確認すると、氷室はシュートモーションに入った。フェイクもなし。タイミングを合わせ、こちらも手を上げて跳躍する。洗練されてはいるが、何の変哲も無いジャンプシュート。手首を返し、彼は正面からボールを投げ放つ。

 

「何がしたいか知らないッスけど。こんなの簡単に止められ……えっ?」

 

完璧なタイミングでのブロックだったはず。なのに、ボールは真っ直ぐに宙を舞い、リングを通過した。まるで、オレの腕をすり抜けたかのように――

 

 

『陽炎の(ミラージュ)シュート』

 

 

目を丸くするオレに向けて、彼は告げた。これが自分の切り札であると。

 

「現時点でキミに、全ての技を見られたくないんだ。今日のところは、これで幕引きにしよう」

 

「仕方ないッスね」

 

オレは大きく溜息を吐いた。後ろ髪を引かれる思いだが、これほどの技を見せられては諦めるしかない。基本技ではなく、独自の固有技術。彼はこちらの方を温存することもできた。わざわざ見せてくれたのは、勝負を仕掛けた側の礼儀なのだろう。

 

「次は、どこかの試合で会うのだろうね。全てを見せるのはその時にさせてもらうよ」

 

「えーと、アメリカに住んでるんスよね?遠い未来になりそうだ」

 

「いいや。きっとそうでもないさ」

 

互いに握手をする。爽やかな、しかし内に闘志を秘めた様子で、彼は帝光中を後にする。

 

「これが『キセキの世代』か……。聞いた以上の天才ぶりだね」

 

帰り際につぶやく言葉が、風に乗って小さく耳に残った。近い将来、彼とまた会うことになる。そう予感しているようだった。ならば、そこで全ての技を貰い受けるまで。

 

「って、きーちゃん!何よアレ!すっごいことになってたよね!」

 

それまで沈黙を貫いていた桃っちが、目を輝かせて詰め寄ってきた。高密度の集中が霧散する。溜まっていた疲労が噴出し、その場にしゃがみこんだ。

 

「そうッスね。チカラの使い方がわかったよ」

 

「あれって灰崎君と同じ能力?」

 

首を傾げる桃っちに答えたのは、いつの間にか隣に立っていた黒子っちだった。

 

「同系統ではありますが、少し違います。まあ、才能の巨大さでいえば、彼を超えるでしょうね」

 

「……だろうとは思ってたけど。やっぱ、こうなると分かってたんスね?他人の技を『模倣(コピー)』できるってことを」

 

「想像に任せますよ」

 

素知らぬ顔で肩を竦めて見せる。小柄な体躯。華奢な身体。薄い存在感。しかし、眼の中は恐るべき漆黒が内包され、渦巻いている。底知れぬ深淵。オレの観察眼が、目を合わせた瞬間に察知させる。ゆっくりと彼は近付き、耳元で甘言を囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

翌日の放課後。相変わらずハードな練習が終わり、ロッカールームへ戻りつつある部員達。コーチもこの場にはいない。そんな中で、ひとりの仲間に声を掛けた。それは思いのほか、館内に響き渡る。オレの紡いだ言葉に、周囲の雰囲気が凍りつく。誰もが硬直したように足を止め、声を向けられた彼だけは真剣な表情で振り向いた。

 

「……もう一度言ってみろ、黄瀬」

 

帝光中学バスケ部副主将、赤司征十郎が低い声を返す。瞳には明らかに怒りの色を湛えていた。だが、そんなことは関係ない。手元のボールを軽く放り投げると、彼は怪訝そうな顔でそれを受け取った。オレは口元に薄く笑みを浮かべる。ならば、もう一度言ってやる。

 

 

「オレと勝負しないッスか?1on1で、レギュラーの座を賭けてさ」

 


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