Re;黒子のバスケ~帝光編~   作:蛇遣い座

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第24Q レギュラーの座を賭けて

「赤司っち。オレと勝負してくれないッスか?レギュラーの座を賭けて」

 

ロッカーへ戻ろうとするオレに向けて、黄瀬涼太はそう言った。自然な調子で切り出された宣戦布告に、周りの部員達もピタリと動きを止める。時間が止まったかのような錯覚。

 

「何だと?」

 

思いの外、硬い声が自分の口から洩れたことに驚いた。軽く受け流せばいいのだが、できなかった。誇りを傷つけられた怒りか、それとも――

 

「もしかして、ダメなんスか?おっかしいなー。黒子っちは、こうすれば乗ってくるって言ってたのに……って。あれ?黒子っち、どこ行ったんスか?」

 

キョロキョロと辺りを見回す黄瀬。先ほどまでいたはずの黒子の姿が消えていた。体育館中を視線で探すが、見つからない。彼が本気で隠れたならば、発見は困難。ここに至り、オレはこの一連の演出家の正体を確信した。

 

『幻の六人目』黒子テツヤ

 

全国最強の帝光中学においてすら、異端。身体能力は並以下。保有するのはカゲが薄い、というたった一つの特性のみ。それだけで部内で最も早くレギュラー入りを果たした、一点突破の突然変異種。さらに、彼にはもうひとつの異質がある。

 

他人の才能を見抜く能力である。

 

無名だった灰崎を入部させたことに始まり、スタメンの同級生達の才能を次々に開花させてきた眼力。悔しいが、オレ以上だ。そんな男が何を考えて黄瀬を焚き付けたのか。狙いはひとつ。

 

「おいおい……。オレに全然歯が立たないからって、ポジションを変えてまでスタメン取りたいのか?くっく……健気じゃねーか」

 

灰崎が嘲るように笑う。以前ならここで喧嘩になっていたはずだが、意外にも黄瀬は平静に受け止める。肩を竦めて見せる余裕まであるようだ。

 

「そうっスね。今、アンタとやっても、多分勝敗は五分ってとこだろーし。とりあえずは、PGでスタメン取ってからにするよ」

 

「ああ!?五分っつったか?このオレを相手に……!」

 

灰崎が低い声で怒気を込めた。彼の実力の高さは知っているはず。しかし、気負った様子もなく、平然と答える姿に絶対の自信を感じ取った。間違いなく昨日までの黄瀬とは別人。灰崎もそれを敏感に察知したのだろう。この場を引いて『見』に回る。

 

「まあいい。狙いは赤司なんだろ?だったら好きにやれよ」

 

「そうさせてもらうッスよ」

 

再び黄瀬の視線がこちらに向けられる。興味深そうな周囲の目が殺到した。ほとんどの部員が集まるこの場で、逃げる訳にはいかない。相手の戦力が未知数であったとしても、たった一日で埋められるほど、互いの技量差は小さくない。居残り練習に付き合いながら、その辺りは見極めてある。スタメンで最も与し易しと思われたことは、忸怩たる思いだが、負けるつもりなど毛頭ない。

 

「五本先取だ」

 

睨み付けるように鋭く目元を細め、勝負方法を宣言する。最も分かりやすい実力勝負だ。

 

「さっすが~。勝負に乗ってくれるんスね」

 

威圧的に声を発したつもりだが、黄瀬は気にした風もない。軽い口調で安堵を漏らす。ただの増長か否か。確かめてやる。

 

「先攻は譲るッスよ」

 

「これまでの人生で、オレは一度も負けたことがない。歯向かったこと、後悔させてやる」

 

「あら?怒らせちゃったスか?」

 

部員達がコートから去っていく。空いたコートのセンターライン付近で、向かい合った。

 

手にしたボールを弾ませる。ゆったりとしたリズムから、次第に速度が増していく。練習後とはいえ、疲れはだいぶ抜けた。思い通りにボールが手に吸い付く。ハンドリングの調子は悪くない。真っ向から叩き潰す。

 

互いに目を合わせ、開始の意志を交わす。同時にオレは動き出した。少しずつタイミングをずらし、手足、肩、視線と連続でフェイクを仕掛ける。

 

「ほぅ……」

 

相手の反応は俊敏。こちらの予想を超える対応速度。瞬時に黄瀬の専心を察する。なるほど。見事な集中力(コンセントレーション)だ。惚れ惚れするよ。身体性能(スペック)の勝負では、今の彼には及ばないだろう。それほど深く意識を沈めている。だが、経験の差というものは厳然と存在するはずだ。

 

右から左のクロスオーバーを仕掛ける。と見せ掛けてのインサイドアウト。注意を引いたタイミングで、右側から全力で抜きに掛かる。

 

「させないッスよ」

 

相手もさるもの。多少の揺さぶりでは抜ききれない。昨日までならこれで抜けていたのだが、やはり反応速度が別物か。接近した状態で、黄瀬はスティールを積極的に狙ってきた。

 

1on1で相手を「抜く」要因として、最も大きいのがオフェンスとディフェンスの身体能力の差である。純粋な速度の差でもって「抜く」ケースが多いのだ。しかし、ある程度身体能力が拮抗していた場合、駆け引きや技術こそがモノを言う。

 

――股下を通したレッグスルーでの切り返し。

 

防御的な手段として使われることの多いレッグスルーという技術。それをオレは、特に好んで使用していた。カットしようと伸ばされる手から守るように、股下をくぐらせる。これは、黄瀬が動き出してからでは間に合わない。スティールのタイミングを予測し、それに合わせて技を入れたのだ。体勢を崩したところを狙って突破する。

 

「見たか、黄瀬?これが経験の差だ」

 

悠々と空中でレイアップを放ちながら、オレは教えてやる。背後の黄瀬の表情はわからない。挫折を味わっているのか、それとも敗北をバネにするのか。しかし、これで理解できただろう。

 

優越感に浸った瞬間、耳元で囁くような声がした。

 

 

「ええ、見せてもらったッスよ。しっかりとね」

 

 

ザワリと背筋が凍る思いがした。なぜ、お前がそこにいるんだ……!

 

オレのすぐ隣、黄瀬が並んで跳んでいた。レイアップで放ったボールが、横から叩き落される。完璧なブロックタイミング。

 

弾かれたボールがコート上を転々とする。同時に着地するが、呆然と立ち尽くすオレを尻目に、あっさりと黄瀬がそれを拾い上げた。

 

「じゃあ、次はオレの番ッスね」

 

「……なぜだ、黄瀬。なぜあの状況からブロックが間に合った」

 

「ああ、簡単なことッスよ。何かスティール誘ってそうだったから、試しに乗っただけなんで」

 

こともなげにそう言った。オレの狙いを先読みしていたから。抜かれるタイミングまで予測していたから。即座に対応ができた。体勢だけは少し崩れることも織り込み済みだった。それはつまり、駆け引きで初級者の後塵を拝しているということ。

 

悔しさに奥歯を噛み締める。周りの部員達もにわかにざわめきだす。

 

「ショック受けてるとこ、悪いけど。こっからが本番ッスよ」

 

黄瀬の纏う空気が変わった。さらに鋭利に、さらに無機質に。目の前にいるのが、精密な機械仕掛けかのような錯覚。動揺の最中にあるオレの精神が、本能的に警鐘を鳴らす。

 

ゆったりと、黄瀬がボールを弾ませる。

 

「フェイクがここまで迫真とは……!」

 

頬を引きつらせ、ひとりごちた。手始めとばかりに入れた、いくつかのフェイク。その一つひとつが本物と見まがう高精度。ゆえに気付かなかった。これは先ほどオレの仕掛けたフェイクと同一、いや、それ以上の精度のものであると――

 

高精度のフェイクの連続に、かろうじて喰らい付く。危うい場面もあったが、ギリギリで反応して対処する。しかし、このままではジリ貧。神経を集中させて相手の隙を探し出さなければ……。

 

「スティール、ここだっ……!」

 

そして見つけた千載一遇の好機。ほんのわずかなハンドリングの乱れ。一瞬の隙を狙い澄まして、伸ばす左腕。指先が触れる寸前、ボールが視界から消失した。

 

 

――股下を通した、レッグスルーでの切り返し

 

 

「なっ……これは、さっきの赤司の技じゃ…!?」

 

周りの部員達が驚きの声を上げる。ボールを見失い訪れる、意識の空白。目を見開き、硬直する。

 

オレが抜かれたのに気付いたのは、黄瀬がレイアップを決めた後だった。

 

「そんな……オレと全く同じ動きだと……?」

 

頬を引き攣らせ、振り返る。ありえない出来事だ。技量における差を、瞬時に埋めただと……。涼しげな顔で黄瀬が、拾ったボールをこちらに投げ渡す。その瞳には、明らかに失望の色が浮かんでいた。

 

「残念ッスよ。これなら昨日の氷室君の方が、全然強かった」

 

「まさか、たった一度見ただけで……。オレの技を模倣(コピー)したというのか……!?」

 

震える声で問う。その答えは、黄瀬の深い溜息だった。退屈だと言わんばかりの。

 

「はぁ~。やっぱ、こんなもんッスか。――赤司君」

 

 

 

 

 

 

 

そこからは一方的な展開だった。技巧を凝らした、オレのドリブルやシュート。それらはことごとく、黄瀬に模倣されてしまう。たった一目で構造を見抜き、使いこなす。寸分違わぬ、いや、オレ以上の精度。

 

理由は黄瀬の並外れた集中力。青峰や灰崎など、埒外の天才達に共通するそれを、彼も有していた。もたらすのは、反応速度と身体能力の上昇。本来、性能は互角のはずだが、精神の没入度合で差が生じてしまう。

 

それが、模倣する技のキレに影響を与えていた。そして、相手の動作を寸分狂わず見取る観察眼。それが、初心者の域を完全に超えた、高精度の予測を可能とする。

 

攻防共にわずかに、しかし確実にオレを上回っていた。

 

「はい。また一本もーらいっと」

 

またしてもオレの見せた技。技巧的なドリブルであっさりと抜き去り、得点を決める。絶望的な気分でつばを飲み込んだ。駄目だ、勝てる気がまるでしない。

 

 

 

 

 

 

 

一方、観戦している部員達も、この異様な状況に息を飲んでいた。常識を超えた才能に畏れを覚える者も多い。だが、その中でひとり、苛立ち交じりに舌打ちする男がいた。

 

「灰崎、アレは一体何なのだよ」

 

「チッ……知るかよ」

 

緑間の疑問に、吐き捨てるように返す目付きの悪い男。帝光中レギュラーである彼にとっても、この事態は想定外のようだ。殺意すら籠めて、コート内の一挙手一投足を見逃すまいと凝視している。

 

『強奪』の能力を保有する灰崎と同じ、相手の技を使いこなす埒外の才能。

 

その出現に彼は冷静ではいられない。察した緑間は諦めた風に嘆息した。

 

「なるほど。お前とは別種の才能ということか」

 

相手の見せた技を一目で使いこなせる、という結果は共通だが、その過程は別物。模倣された側が、自身の技を使用不可になるという灰崎の『強奪』の特性はないらしい。能力の根本が異なる可能性もある。それを見極めようと、真剣な表情で食い入るように見つめる灰崎。初めて黄瀬を同格の存在として認めた証だった。

 

「まあ、何にせよ。やはり、信じがたい話だな……赤司がこうも手も足も出ないとは」

 

黄瀬が豪快にダンクを決める光景から視線を逸らし、緑間は深く息を吐きながら、首を左右に振るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

フリーでダンクを叩き込んだ黄瀬。オレはその光景を絶望と共に眺めていた。表情が消え、その場に呆然と立ち尽くす。

 

0-4

 

ホワイトボードに書き込まれた数字だ。つまり、ただの一噛みすらできずに、惨殺されるのだ。

 

これが敗北?

 

のどがカラカラに乾く。苦しみに喘ぐように、浅い呼吸をし、つばを飲み込んだ。顔の前に上げた右手は、指先が小刻みに震えている。これまでオレは負けたことがない。全ての勝負において、勝ってきた。だから、これは初めての体験である。肉体の方は、すでに敗北を悟っているのか。

 

濃密な敗北の予感。このとき、ようやくオレは自分が負けるのだと、実体を伴って感じ、恐怖した。自分の足元が揺らぐ。錯覚ではなく、現実として立っている床の崩落を体感する。それはオレの膝の震えと、意識の混濁が原因である。のちに気付いたことだが……。

 

今のオレは存在価値の消失に、泣きたくなるほどの孤独を感じていた。

 

オレが負ける?

 

この赤司征十郎が?

 

許されない。

 

そんなことは誰だろうと許さない。

 

濁りきった内心で自問自答する。思い返される父親の記憶。

 

勝者は全てが肯定され、敗者は全てが否定される。

 

 

意識が冴え渡り、視界がガラリと入れ替わる――

 

 

「全てに勝つ僕は、全て正しい」

 

 

人格すらも、入れ替わる。

 

 

 

 

 

 

ボールを手にした黄瀬は、困ったように頭をかいた。

 

「えーと、大丈夫ッスか?まあ、これで最後だし、終わらせちゃいますか」

 

軽い調子でこちらに声を掛けた。表情には決まりきった試合への退屈が伺える。

 

黄瀬がドリブルを開始した。合間に挟まれるフェイクはすこぶる高精度。隙はない。いや、全神経を集中させて観察して、ようやく発見できるわずかな硬直。そこへタイミングを計って左腕を伸ばす。

 

「赤司のスティール!?……いや、でも。これはあの技じゃ……!」

 

誰かの声が耳に届く。これは囮。わざと見せた虚構の罠。チラリと表情を窺うと、黄瀬の顔には余裕ぶった笑みが浮かんでいた。

 

――股下を通した、レッグスルーでの切り返し。

 

「はっは。甘いッスよ!」

 

初手でこちらが披露した得意技。カットに来た相手の体勢を崩し、抜き去る高等技術。それを一目で体現する模倣(コピー)能力は脅威だろう。だが、今の僕の『眼』には、お前の全てが見えている。

 

 

――黄瀬の手元から、ボールが弾かれていた。

 

 

「え?」

 

何が起きたか分からないという風に、彼は表情を硬直させた。反応どころか、感知すらできなかった。彼にとっては驚愕の事態であろう。その表情のまま、こちらに振り向いた。その瞳に一瞬だけ、怯えの色が浮かんだのを見逃さない。

 

「調子に乗りすぎだぞ、黄瀬」

 

僕の『眼』には全てが見える。筋肉の動き、骨の軋み、重心の移動、発汗や視線のわずかな揺れ。目に映るものが、完全に変貌した。視界が一変する。生誕以来、初の危機に際し、眠っていた本能が能力を開放したのだろうか。

 

この『眼』は未来すら見通せる。

 

負ける気がしない。

 

圧倒的な全能感。周りの仲間達の数人に目を向ける。青峰、灰崎、緑間、そして黄瀬。常人を遥かに超える天才たち。これが絶対者の棲む領域なのか。彼らと同等、いや、それ以上の才能が開花したのだと、確信した。

 

「……何をしたんスか」

 

「ふ……自分で考えてみるんだな、涼太」

 

余裕をもって答える。途方もない怪物に見えていた彼が、いまやまるで怖くない。恐怖とは未知から生じると言う。ならば、全てを見通すオレの眼に、恐怖など生まれようもない。

 

「さて、ここからは僕の時間だ」

 

 

――開眼した僕から逃れられる者など存在しない

 

 

 

 

 

 

 

 

館内が静寂に包まれる。誰も声を発さない。次元の異なる戦力に多くの者が畏怖を覚えていた。顔を引き攣らせ、声を失う部員達。コート上に尻餅をつく黄瀬。無人のゴール下で、悠々とボールを投げ入れる絶対者。ネットの揺れる音、少し遅れてボールが床を叩く音だけが、響き渡った。

 

5-4

 

ホワイトボードに書き込まれた。

 

「すげえ……あの黄瀬を圧倒するのか…」

 

虹村先輩の震え声が耳に届いた。眼を向けると、呼吸や心拍の様子が克明に網膜に映る。それを通して、彼の心理状況が鮮明に読み取れた。畏れ。かつての人類が、天に座する神々に対して抱いたものと同様の――

 

意識を切り替え、ギアを落とす。視界が一変して、通常の光景に戻った。グラリ、と足元がふらつく。頭蓋骨の中で脳が暴れまわっている感覚。反射的に右手で頭を押さえた。

 

「ぐっ……さすがに負荷は大きいか。慣れるまでは控えた方がよさそうだ」

 

顔をしかめ、小声でつぶやく。だが、すぐに僕の顔には傲岸な笑みが湧き上がる。身体の奥底から湧いてくる愉悦、歓喜。絶対者としての自覚。抑えきれぬ全能感に浸る。ふと、視界の端にテツヤの姿を見つけた。顔には満足げな笑み。

 

なるほど。これは僕の覚醒を促すための試練だったのか。

 

静かに得心する。これは彼の掌の上だったのだと。思わず僕は苦笑する。やはり、あの男だけは得体が知れない。全てを『視る』、僕の才能とは対極。『見られない』ことに特化した異端の選手。

 

光と影。

 

彼の口癖だが、まさにその通りだ。絶対的な光と、それを利用して身を隠す影。おそらく考え方からして、僕とは正反対。しかし、その絶対値は覚醒した自分に匹敵するだろう。帝光中学に棲む怪物。いずれ対決することもあろう。そのときこそ、キミの底をこの眼で視せてもらう。

 


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