季節は巡り、春。
帝光中学校に通う生徒達は、新学年を迎えた。4月も終盤を迎え、新入生が続々と入部してくる。さすがは全国屈指の名門校。しかも、歴史よりも早い『キセキの世代』の覚醒が、鮮烈な輝きを全国に示したためだろう。彼らに憧れて入学する生徒も多い。2軍3軍は新たなメンバーが加わり、活況を呈している。一方、帝光中の1軍はというと――
――変わらないメンバーで日々を送っていた。
『キセキの世代』および、ボクと灰崎君が2軍に落ちるなどありえない。ちなみに、現段階では黄瀬君は補欠要因。何とも豪華なメンバーである。たまに先輩達が入れ替わる程度で、1軍は変わり映えしない面々なのだ。しかし、変わったこともある。
身長2メートルに迫る巨体が、残像すら生じる高速で動き回る。インサイドでのダブルチームを、紫原君は瞬時のターンと切り返しでかわす。触れることすら許さず、ノーマークで豪快な両手(ボースハンド)ダンクを叩き込んだ。
「ハァ……ヒネリ潰すまでもないじゃん」
恒例の練習終わりのミニゲーム。つまらなそうに彼は溜息を吐いた。反応すらできずに抜かれた二人の顔は、驚愕に固まっている。あまりにも格が違う。
「チッ……マジで速えな」
何の障害にもなれなかった仲間達を横目に、虹村先輩は苦々しげにつぶやいた。しかし、同じ色のビブスを羽織るボクの声音は明るい。
「彼の才能も、完全に開花していますね」
「あの馬鹿げた体格とパワーに加えて、速さだと?わかっちゃいたが……アイツら全員、化け物だぜ」
隠しきれない諦念を滲ませる声。
「そうですね。ボク達とは次元が違います。ですが、気を落とさないでください。先輩の経験が必要になることもありますよ」
「……いや、『アイツら』の中にはもちろんお前も入ってるからな」
「え?」
「ってか、お前が一番ヤベー奴だと思ってるからな?」
心外だ。ボクはただ技術と経験で騙しているだけだというのに……。
気を取り直して、こちらのボール。しかし、残念ながら突破できる隙などありはしない。虹村先輩にボールが渡るが、マッチアップは青峰君。たとえ全開モードでなかろうと、その実力はいまや怪物級。埒外の敏捷性(アジリティ)は、ほんのささいな隙も見逃さない。この世代では最高級であろう虹村先輩ですら、ボールキープが精一杯。堪らず、仲間にボールを返した。
もちろん、
他の先輩達もそれは同様。覚醒を果たした『キセキの世代』を相手にすることは困難である。そうなれば彼に託すしかない。
唯一、対抗可能な人物に――
「あっ……ヤベ」
灰崎君のディフェンスを突破したのは、上級生チームに属する天才選手。
「甘いッスよ」
――黄瀬涼太である
技巧的なドリブルで抜き去り、そのままインサイドへペネトレイト。しかし、そこは紫原君の制空圏内。常軌を逸した反応速度で、黄瀬君の前に立ち塞がる。高さは確実に相手が上。
「うおっ!アイツ、構わず行った!」
ドリブル突破の勢いのまま、跳躍する。モーションはレイアップ。しかし、ボールの軌道は遥かに上空。これは、ブロックを避けるための高等技術。
――スクープショット
「あの野郎。またどっかから技を模倣して(パクって)きやがったな!」
忌々しげに灰崎君が吐き捨てる。紫原君への対策であろう。技の精度は完璧。周囲の面々も驚きと共に、ふわりと浮いた高軌道のシュートの行方を目で追った。
「ゲッ……マジッスか?」
無情にもボールは巨大な掌に叩き落される。
黄瀬君の顔が分かりやすく引き攣った。おそらく彼の予測よりも半歩、紫原君の詰めるのが早かったのだ。その分だけ、ボールが上がりきる前で止められたのだろう。
高さと速さを兼ね備えた防壁を破るのは、たとえ『キセキの世代』であろうと容易ではない。ましてや、先輩達であれば考えるまでもない。
「行くぞ、カウンターだ」
赤司君の号令と共に4人が走り出す。ボールは緑間君、灰崎君と繋がり、ハーフラインを越えた。進撃する灰崎君を止めるために、ボクがカバーに入るが鎧袖一触。ワンフェイクで軽く千切られてしまう。
「相変わらずヌルいぜ、テツヤ!」
「なら、オレが相手してやるッスよ」
ボクをかわした一瞬のタイムロスの間に、戻っていたらしい。黄瀬君が立ちはだかる。互いの集中力が即座に高まった。速度を殺さず、トップスピードを維持。フェイクは軽く左右に上体を振るのみ。灰崎君が跳躍する。モーションはレイアップ。それに対応して黄瀬君もブロックに跳んだ。手を伸ばす。しかし、放り投げられたボールは、遥か上空。
「しまっ……この技は!」
――スクープショット
これは先ほど見せた黄瀬君の技。彼のブロックをふわりと越えて、ボールがリングを通過した。灰崎君もまた天才。一目で相手の技を奪ったのだ。着地して振り向いた彼の顔には嘲笑が浮かんでいた。
「よお、これでテメーの技は使用不能だ。無駄な努力だったな」
「ああ?」
中指を立てる灰崎君に、苛立った声を返す。殴り合いに発展するかと思われたが、何とか試合に戻ったようだ。まったく、灰崎君にも困ったものだ。ずいぶん増長しているらしい。迷惑な話である。
とはいえ、今は試合中。あの恐ろしい布陣を突破する方法を考えなくては。黄瀬君と灰崎君の実力は互角。だが、他の先輩達では攻めの起点には荷が重すぎる。結果的に黄瀬君の1on1に頼り切りなのだ。そのパターンは相手も重々承知である。ならば、意表を突いて――
「虹村先輩。連携で抜きましょう」
「おっ……黒子か。そうだな、1年におんぶに抱っこじゃあな」
小さく言葉を交わし、一度先輩から距離を取る。ハーフコートでの攻め。こちらの2年生のPGはマッチアップが赤司君である。彼ではボールの保持すら至難。早々に味方へのパスに逃げてしまう。他も状況は似たようなもの。
繋がったボールは虹村先輩へ。マッチアップは青峰君。隙など微塵もない。先ほどまでは為す術なくボールを返していた。だが、今回は違う。
小刻みに左右に振るハーキーステップ。
本日初の1on1。青峰君の口元に笑みが浮かぶ。
「灰崎ばっか楽しみやがって。ようやくオレの番かよ」
瞳を輝かせ、迎え撃つ。虹村先輩が選択したのは右からのドリブル突破。幻惑する小刻みなステップから、右足を大きく踏み出した。だが、相手はのちに『キセキの世代』と謳われる、不世出の天才。即座にそれが偽装と看破する。なぜなら、バウンドさせたボールは左へと向かったからだ。しかし、依然として虹村先輩は右に駆けだしたまま。
「ハンドリングのミスか……なっ!?ドリブルが曲がった……!?」
青峰君が目を見開いた。左に弾んだボールが急激に方向転換。彼の背中側を通って、右側から走り抜けた虹村先輩の手元に到着する。
「ナイスパス!黒子!」
「くっそ……こんなパターンが!?」
短距離間でのワンツー。ドリブル中のボールを軌道変更。予測不能のドリブル突破。さすがの青峰君も、初見でこれは止められない。相手をかわした直後、ストップからのジャンプシュート。体勢の崩れた彼には対処不可能。虹村先輩は確信の笑みと共に、スナップを効かせてボールを放る。
「よし!もらっ……」
「いや~。それはムリでしょ」
――しかし、紫原君のブロックに阻まれる。
「高っ……!?」
虹村先輩の驚きの声が上がる。弾かれたボールは、寸分の狂いなくPGの赤司君の掌の中に。万全の状態でカウンターが始まる。
ある程度、意表を突いたと思ったが、それでもここまで余裕を持ったブロックができるとは……。
脱帽するしかない。もはや、ボク個人の能力でどうこうできるレベルではない。黄瀬君がいなければ、何の抵抗もできずに惨敗していただろう。いや、現時点でも先輩がマグレのロングシュートを一本決めただけだが……。
「覚醒した『キセキの世代』のフルメンバー……敵に回せば厄介どころの話じゃありませんね」
ディフェンスに走りながら呟いた言葉には、諦観と喜びが半々に混ざっていた。
練習帰り、葉桜に変わりつつある並木道を歩く。日も落ちかかった時刻だが、数か月前に比べれば、Yシャツでも快適な気温である。半歩先では青峰君と桃井さんが顔を寄せて、先ほど買った雑誌を読んでいた。あれでは前が見えなくて危ないだろう。
「二人とも、雑誌を読むなら歩くのやめてください。車に轢かれますよ?」
「お?……ああ、悪い悪い。全中の特集やってたからさ」
悪びれもせず、彼は目を輝かせて振り向いた。桃井さんは照れ笑いを浮かべる。
「ずいぶん夢中になっていたようですが。何か気になる情報でも載ってましたか?」
「ほら、見てみろよ。結構面白いぜ」
「注目の学校が色々と載ってるのよ」
彼女はページを開いたまま、勢いよくボクの目の前に持ってくる。本当に顔に当たるほど目の前に。興奮しているようだ。
「……近いですよ」
「あっ……ごめんね」
少し雑誌を離してもらうと、内容が目に入ってきた。素早く視線を走らせる。前回優勝の帝光中学が目立っているが、他にも有力校がいくつか載っていた。前回大会でボク達と対戦した中学がメインのようだ。それぞれの中学のエース級が5名。次回の大会での活躍を期待、と紙面を飾っていた。月間バスケットボール編集者が名付けて――
「『無冠の五将』……ですか。なるほど、ここで出てくるんですね」
ボク達のひとつ上の世代の天才達。『キセキの世代』さえいなければ、誰もが怪物と呼ばれたであろう逸材。この歴史でも同じ名を付けられたのか。
「つっても、全員オレらで倒した相手じゃねーか。今更、こんなん敵じゃねーよ。テツと黄瀬のいるミニゲームの方がよっぽど手強いだろ」
「まあ……そうよね」
青峰君の言葉に、桃井さんも困ったように頷いた。あれから練習試合でいくつかの中学と戦ったが、最高でもダブルスコア。相手によっては一桁しか得点されないことも珍しくない。しかも、先輩達と途中交代しておいてだ。実際の実力差は計りしれない。
「ちっとは楽しませてくれるヤツはいねーのかよ。他所との試合が最近つまらなすぎるぜ」
「今年は新たな強敵が現れるかもしれませんよ。青峰君と互角に戦えるような」
「……そんなこと思っちゃいねーだろ」
「はい。思ってませんけど」
白々しく答えると、彼は大きく溜息を吐いた。過去の記憶から、そんな怪物が出場しないことを知っているし、そもそも彼らと同格の存在がそうそういるとは思えない。いらぬ期待をさせても仕方ない。
ただの消化試合、というのがボクの正直な予想である。覚醒した青峰君だけで楽勝だったのが、これから行われる全中なのだ。決勝の鎌田中学だけは搦め手を使って帝光中学を追いつめたが、所詮は小細工の類。仕組みを知っていればどうということもないし、現在の彼らであれば容易に対応できる範囲でもある。
そんな弱小ばかりの、といっても『無冠の五将』がいるので中学生活3年間では最も強いだろうが、今大会で警戒すべきことはモチベーションの低下である。ぶっちぎりの頂点に立つことで、ヤル気がなくなることだ。前回大会は激戦を制してのものだったが、今回はおそらく圧倒的に蹂躙することになる。終わったあと、敵がいなくなった彼らにどう練習をさせるかが問題になりそうだ。
青峰君と紫原君は練習を無断欠席するようになり、黄瀬君もモデルの仕事に精を出し始める。それ以前からサボりと喧嘩の常習犯だった灰崎君は論外。まるっきり無駄な時間だった。あの惨状を引き起こしてはならない。
幸い、仲間同士で才能を研磨し合っているため、今のところ順調に成長を続けている。数か月後に始まる全中が終わるまで、モチベーションは保てるだろう。灰崎君ですら、黄瀬君に脅威を感じて練習に参加しているようだし。
しかし、それ以降は何かしら手だてを考えなければならないだろう。
「ほらテツ、見てみ。来月は帝光の特集だってよ。またオレらに取材が来るんじゃねーの?」
青峰君がはしゃいだ様子で再び雑誌を突き出す。最後の方に載っている、次回の予告のページ。さすがは前回の覇者、帝光中学である。大々的に取り上げてくれるらしい。普段はNBAの情報を載せている紙面に、ただの中学校を特集するとは思い切ったものだ。
「すごいでしょ!それにここ、『キセキの世代』だって!カッコいい名前が付けられてるよ」
「さっすが月バスだな。センス良いぜ」
「何をえらそーに言ってるのよ。でも、本当にぴったりだね」
――『キセキの世代』
その名称が世に出たのが、この時期か……。やはり、かつてよりも大幅に前倒しされている。二人が嬉しげに話しているのを耳にして――
「今、初めて世に出た……?」
ボクの思考に衝撃が走った。呼吸が止まる。
え?そんな馬鹿な……。だとしたら、彼の言葉は……。
突如湧きあがった疑問が、脳内を駆け巡る。
「……青峰君。その言葉、本当にその雑誌が初めてなんですか?」
不審な様子のボクに、少し困惑しながらも彼はページを見返して、答える。
「ああ、そうみてーだけど。初公開って書いてあるし。……それが、どうかしたか?」
思わずその場で立ち止まり、手を口元に当てて考え込む。記憶を探り出すが、やはりそうだ。なぜ、彼はあんな言葉を……。
「テツ君、何か心配事?」
「……いえ。大丈夫です。ありがとうございます」
おずおずと桃井さんが声を掛けてきた。ここで考えても仕方がない。気を取り直して家に戻ろう。そう思った直後、物陰から怒号が鳴り響いた。
三人とも驚きで背筋が伸び上がった。
「うおっ!何だよいったい……!」
「びっくりしたー」
胸を撫で下ろす青峰君と桃井さんだが、その声はまだ続いている。店の裏だろうか。断続的に何かのぶつかる低い音と幾人かの男の声。
「……ん?この声は……?」
聞き覚えのある声に、ボク達は急いで現場へと向かう。
電灯の光がわずかに照らす路地裏の暗がり。そこには、倒れ伏す数人の男達の姿。付近には低い呻き声が充満している。そこにただひとり佇んでいるのは、見慣れた制服の男。後ろ姿だが、一目で誰か判別できた。
「おい、何やってんだよ。灰崎」
「あん?」
呆れた様子の青峰君の声に首だけで振り向いたのは、灰崎君だった。その拳は、他人を殴ったことがありありと分かる、赤黒い血液で濡れていた。桃井さんが怯えたように、こちらにしがみつく。
「コイツらが喧嘩売ってきたからよー。ぶちのめしてやったぜ」
「……嘘ですね。キミから仕掛けたんでしょう?」
高揚した状態での視線の動きから、彼の虚言を見抜いて告げる。
「そうなんだけどな。ジャンプよこせよって言ったら、怒り出したからな」
うつ伏せに横たわる高校生くらいの男の頭を、軽く蹴とばした。
「カツアゲなんかしてんなよ。しかもジャンプとか。ガキかよ」
「うっせーな。関係ねーだろ」
「てめーが警察にパクられんのはいいけど。オレらに迷惑掛かんだろーが」
「知るかよ。てめーもついでにやってやろうか?」
苛立たしげに舌打ちする青峰君と、興奮状態の灰崎君がにらみ合う。いまにも喧嘩が勃発しそうだ。一触即発の雰囲気。それを破るために――
「落ち着いてください」
――灰崎君の両足を払いのけた。
「ぐえっ!何しやがる!」
地面に転がされた彼は、何が起きたかを確認するために周囲を確認した後、大声を上げる。その間に、ボクは二人を連れてこの場を去ることにした。背後からの声は無視。頭の足りない馬鹿に構ってはいられない。ただでさえ全中が近づき、注目されているのだ。暴力沙汰などありえない。現場からはすぐに離れなければ。
当時の赤司君の気持ちが理解できる。
もはや帝光中学バスケ部にとって、彼は邪魔者になりつつある。暴力事件で出場停止など冗談では済まないことだ。前言撤回しよう。全中まで待ってはいられない。埒外の才能は惜しいが仕方ない。
部活から排除するか、可能ならば矯正することにしよう。