衝撃の邂逅を終えてからというもの。『キセキの世代』を中心に、帝光中学はかつてない熱気に包まれていた。火神君からの宣戦布告を伝えたことも良い方向に作用した。練習は以前に増してハードになり、敗戦を糧とした成長を予感させる。
そして、数日ほど経った昼休み。ボク達は視聴覚室に集まっていた。テレビの見える位置に、それぞれが座る。白金監督に頼んで借りてもらったのだ。灰崎君を含めた『キセキの世代』の面々、そして監督自身がテレビ画面を凝視する。
「では、昼休みも短いですし、始めましょうか」
ボクはDVDプレイヤーの再生ボタンを押した。流れる映像は、とある野外のバスケットコート。ストバスの試合会場。観客席は満員で、誰もが日本人ではない。晴天の光に包まれた会場はざわめきに満ちている。聞こえる声は外国語、監督を含めた数名は英語であると気付く。
「黒子、もしやコレは……?」
「ええ、想像の通りでしょう」
赤司君の言葉に、頷くことで答える。ちなみに、敗戦を経て明らかに様子のおかしい彼であるが、みんなからはショックで性格が変わったのだと、普通に対応されていた。キャラ替えという生易しいレベルではなく、人格崩壊ではと思うが、バスケの腕に変わりはないので放置である。
――火神大我
現れたのは彼だ。仲間達の雰囲気が一変する。理由を告げずに集合させた彼らだが、ここに来て理由を把握した。
「先に言っとけよ」
頭の後ろで両手を組み、ふんぞり返っていた灰崎君が身を乗り出す。他の面々も、宿敵の登場に緊張感を高めた。これは火神君本人から渡された物だ。好きなだけ研究してこいと。画面では、続々と選手たちが入場する。
「コイツは……氷室?なるほど、黒子っち。知ってたんスね……」
火神君の隣に立っている、泣きボクロのある優男。かつて野良試合をした強敵の存在に、黄瀬君が得心した様子でこちらを見た。
続々と相手も入場し、試合が開始される。ハイレベルなプレイの連続。優勢なのはやはり、火神君の率いるチーム『Zoo』。1on1の技能で圧倒する。その性能は極大。人外の領域。
「相手が弱い訳じゃねー。つーか、あの黒人メチャクチャ強え。オレより速いくらいだ。だってのに、ここまで一方的にやられるのか」
「パワーも紫原より上。加えてあの反応速度。ジェイソン・シルバー。凄まじい肉体ポテンシャルだ。しかしそれでも、あの男には及ばない」
身体能力は互角。だが、技術や経験に差があり過ぎる。全ての分野において超一流。極限まで完成されたバスケ選手。そう表現するよりない。
――火神君の手から、ボールが弾き飛ばされる。
その快進撃が止まる。信じがたい事件に、みんなの顔が驚きに固まった。机をガタリと揺らしたのは、大きく目を見開いた赤司君だった。周りの視線に気づくと、改めて姿勢を正して座り直す。試合は進み、火神君の攻撃が封じられたまま。
「あの動き……間違いないな。ナッシュ・ゴールド・Jr。オレと同じ『眼』を持っている」
赤司君が重々しい声音でつぶやいた。仲間達の目が、映像の中の金髪の男に向けられる。試合は後半に移り変わり、火神君の得点はぱったりと止まっていた。
苛烈にして怒涛の攻め。前後左右に神速でボールを振り回す、天災のごとき、予測不能にして反応不能のオフェンス。ドリブルの破壊力はまぎれもなく世界最強クラス。赤司君ですら翻弄され、抜かれたそれを、男はしのぎ切った。同じ『眼』を持つとするならば、赤司君との差は技量の差だ。悔しげに彼は唇を噛む。
「相手が押してきたのだよ……」
ポツリと緑間君がつぶやきを漏らす。画面では同点に追いつかれたところだった。しかし、ボク達は知っている。火神大我という選手が、さらなる高みへと登れることを。神域に到達できるということを。
残り時間5分。地獄が顕現される。
決着はついた。スイッチを切ると、画面が暗転した。地獄と呼ぶにふさわしい、凄惨な試合だった。圧倒的戦力差。戦いにすらなっていない。対戦相手ではなく、ただの玩具。残酷な見世物。まあ、全中の決勝で『キセキの世代』がしでかした所業も酷いが、それを遥かに超える。
「とんでもないヤツだったな。だけど……」
「ああ。強い。計り知れないほどに」
各々が感想を言い合う。そんな彼らの前で、ボクはバスケ雑誌を広げた。これも火神君から預かったものだ。英語の文字で印刷されたそれには、こう書いてある。アメリカの有名な監督が曰く。
「火神大我。同年代どころか、U17まで含めたところで、まぎれもなく――」
――世界最強のプレイヤーだと。
ゴクリと、唾を呑む音が聞こえた。
「世界最強……」
誰かが小さく繰り返す。非現実的な単語を、脳が処理しきれていないらしい。最も早く反応を見せたのは、青峰君だった。
「ハッ!面白えじゃねーか。最高に楽しめそうだぜ」
「ま、そうッスね。今までの退屈な試合より、百倍良いか」
「誰だろうが関係ねーよ。あのナメた野郎はぶっ潰す」
黄瀬君、灰崎君も獰猛な笑みを浮かべた。他の面々も戦意は十分のようだ。心の中で安堵の溜息を吐いた。これならば、来年の決戦に向けて走り出せる。ボクは、ここまで一言も口を出さなかった、白金監督に意見を求めた。
「彼に勝つには、どうすれば良いでしょうか?」
「……そうだな。必要なことはいくつかある」
顎に手を当て、数秒ほど思案した後、落ち着いた口調で話し始めた。仲間達も真剣な様子で耳を傾ける。
「最優先は個人の戦力増強だ。ひとつひとつのプレイの精度。そこで差が生まれている。これはフォームを確認しつつ、ひたすら反復練習するしかない。これは部活の練習で可能だろう」
さらに、と監督はわずかに表情を硬くして続ける。
「肉体改造もすべきだろう。お前達の場合は、年齢のこともある。身体に無理をさせずに鍛え上げるには、専門家の協力が必要だ。しかし、栄養管理や個々のトレーニングまで考えるのは、残念だが私でも難しい」
来年には、火神君の身体も成長しているはず。しかも、相手は最新の科学トレーニングを積んでいる。無計画な筋トレでは差は開くばかりだ。白金監督も本職は教師なのだ。彼らに掛けられる時間はそう多くない。
「最後に試合経験。アレを仮想敵とするならば、中学生同士の試合など時間の無駄だ。最低でもインカレの優勝校クラス。できればプロ。理想的を言えば、海外遠征で良質な経験を積みたい。幸い、卒業生が多いのでコネはある。だが、問題は費用」
「たしかに、どれもこれも相当なお金が必要ですね。一流のトレーナーを雇うにも、遠征をするにも、これまで以上に……」
「そうだな。去年までの部費では、とても賄えない」
皆の表情が暗く沈む。ボクも同様に、重苦しい気分で息を吐いた。こればかりはどうしようもない。
「しかし、そこについては任せておけ。私の方で、学長に掛け合ってみよう。今年の実績や将来の宣伝効果を考えれば、十分交渉できるはずだ。お前達は練習に専念すればいい」
頼もしい返答にみんなの顔が明るくなった。すごい。白金監督が有能過ぎる。子供のボクではどうにもならない部分だけに、非常にありがたかった。
その後、監督は宣言通り、来年度の部費の大幅増額を勝ち取った。
練習の終わりに行われるミニゲーム。最近は『キセキの世代』をふたつに分けて、別のチームにしている。理由は簡単で、もはや彼ら自身でなければ相手にならないからだ。めまぐるしく攻防が入れ替わる。特に2年生の速度は圧倒的。瞬きの間に試合展開が変わるほど。
「もらったッス!」
PGの先輩の出したパス。それは彼らの時間の流れから取り残されている。容易く黄瀬君は反応した。カットしようと手を伸ばす。先輩の顔が悔しげに歪む。だが、それをさせないのがボクだ。すでに行動は開始している。
「行きますよ」
味方の灰崎君に目配せをする。ボールの軌道上に身体を入れ、右足で強く踏み込んだ。黄瀬君の目に、ボクは映っていない。
そのまま、全力を込めて――ボールを加速させる。
「なっ……ボールが速く!?」
――『加速する(イグナイト)パス』
予測を超えた現象に、彼の手は空を切る。軌道だけでなく、速度をも操る変幻自在のパス。本邦初公開。部員たちの顔が驚きに包まれる。
「うおっ……なんだこりゃ!?」
速度を増したパスを、何とかキャッチし、ダンクを決める灰崎君。威力の高いボールであるため、受ける側の身体能力も必要となるが、当然それは問題ない。新たに切った札は十全に機能した。
続く相手のターン。赤司君がドリブルしつつ、辺りを見回す。マッチアップは青峰君。『キセキの世代』において最速の男。だが、その相手に正面突破を選択した。
『天帝の眼』を開眼する。前後左右に高速でボールを動かす、技巧的なボール捌き。本来ならば青峰君の敏捷性が優る。だが、彼の眼には未来が見える。
「……チッ、アンクルブレイクか!」
青峰君の膝がガクリと折れた。舌打ちする彼の横をドライブで抜く。赤司君の左からのドリブル突破。しかし、そのボールは視界外から出現した――
――ボクの手によって弾かれる。
「何だって……!?」
驚愕の声を上げる赤司君。それを横目に、ボクはボールを味方の先輩に渡す。
「行くぞ!カウンターだ!」
号令と共に先輩がボールを運ぼうとするが、直後に黄瀬君がカバーに入る。俊敏な反応。性能は雲泥の差。ドリブルすれば止められるイメージ。瞬時のアイコンタクトで、先輩はこちらにパスを出した。
「黒子っち!」
飛来するボールから目を切り、ボクはその場で全身を捻る。竜巻のごとく、身体を一回転させる。到着したそれを掌に収め、加速させた勢いのまま、全体重を右腕に掛けた。遠心力を利用した、急激な加速がボールに伝わる。原理は円盤投げと同じ。その威力はボクの細腕には信じられないほど。
――『長距離回転(サイクロン)パス』
前線に駆け上がっていた灰崎君の手元に、突如ボールが現れる。コートを縦に切り裂くカマイタチのごとく。一息の内に、速攻を成立させる。同じく本邦初公開の新たなパス。またしても仲間達の口から驚愕の声が飛び出した。
「またオレらの知らないパス!どんだけチカラを隠してたんだよ!」
「しかもその前の、赤司からスティール……!信じられん。『天帝の眼』を破っただと!?」
緑間君の震える声が耳に届く。絶対的支配を打ち破った者に対する畏怖。部員達が息を呑むのを感じた。
絶望を味わった過去のWC。かつての歴史で辛酸を舐めさせられた相手なのだ。当然、対策は十分に取ってある。1on1特化の『天帝の眼』では、ボクの神出鬼没は捉えられない。
「あの怪物、火神大我だけだと思っていたが……。黒子、お前も軽々と破るんだな」
赤司君は小さく溜息を吐いた。首を左右にゆっくりと振る。静寂に包まれた体育館に、彼の声が木霊する。
「そうだね。忘れていたよ。帝光中学において、怪物とは一体、誰を指す言葉だったのかを――」
敵は神域に足を踏み入れた超越者だ。ここから先、出し惜しみをするつもりはない。自然とボクの顔に、不敵な笑みが浮かんだ。