春。帝光中学での学生生活も、いよいよ佳境。最終学年を迎える。始業式から数週間が経ち、校庭の桜も散り始める頃。通い慣れた3年の教室に再び戻ってくる。クラス分けはかつての記憶通り。改めて未来知識の正確さを認識させられた。
とはいえ、いつまでも歴史をなぞる必要もない。悩みのひとつが、コレだった。
「ねえ、テツ君。高校どこ行くか決めた?」
体育館の壁に寄り掛かりつつ、声のした方向へと首を向けた。興味深そうに首を傾げる桃井さんに、小さく否を告げる。悩みとは本日教室で渡された紙片、進路調査票について。
「そっかあ。実は私もまだ全然」
「おそらく、強豪校からスカウトは来るでしょうが……」
来るだろうか?言いながら少し不安になったが、これだけ目立てばさすがにスカウトされるはず。
とはいえ、今のところは未定である。火神君も帰国しないだろうし、誠凛にこだわる必要もない。過去の後悔を清算する、というのも悪くないが……。少し後ろ向きに過ぎる気もする。
かといって、洛山なり強豪校に魅力も感じていないのが、判断に迷うところだ。
「桃井さんも成績は問題ないですし、これから考えていけばいいですよ」
「テツ君もね」
彼女の言葉に、別の理由で苦笑する。ボクにとっては、2週目の中学生活である。高校入試くらい、好きなところに合格できなければ恥ずかしい。
雑談をしていると、体育館の扉を開けて中学生の集団が現れた。ここは第二体育館。これから2軍の練習試合が始まるのだ。周囲の練習着姿の部員達が動きを止めて注視する。
帝光中学の慣例として、2軍3軍の試合にも数人の1軍選手が同伴する。帝光の唯一にして絶対の理念こそが、勝利なのだ。今回の同伴メンバーはボクともう一人。
「お待ちしておりました。主将の赤司です」
「お、お出迎えありがとうございます」
到着した相手チームの顧問に向かって、彼は頭を軽く下げる。驚いた様子で、壮年の男性教師は声を詰まらせた。まさか有名な『キセキの世代』の主将が出てくるとは思わなかったのだろう。
「マジかよ、あれが『キセキの世代』……。雰囲気すげえな……」
「けど、何であんなに息が荒いんだ?」
「しかも、汗もすごいぜ。まさか連戦なのか?」
ヒソヒソと囁く相手中学の部員達。それもそのはず。明らかに彼の姿は疲労困憊。表情に見せないのはさすがだが、肩で呼吸しているような有様だ。すでに彼はみっちりとハードな基礎トレを実施済み。とりわけ筋力と体力を使うものを選んで行っていた。あえて、限界ギリギリの状況で試合に臨むつもりなのだ。そうとは知らない相手チーム。
もしも、それを知ったならば、ナメているのかと問いたくなるだろう。
その通り、ナメているのだ。
事実、いまや『キセキの世代』が中学生と戦う意味は多くない。いや、無いと言っても良い。その中で唯一の例外。赤司君だけが、彼らに練習台としての価値を見出していた。
「さて、ボクもウォームアップに行きますか」
「頑張ってね、テツ君」
笑顔で応援する彼女に応えるが、おそらくボクの出番は無いだろう。
年末に行われた、アメリカでの大会以降、赤司君の雰囲気が変わった。まずはキャラ付けをやめたらしく、かつての性格に戻ったこと。だが、これは正直どうでもよくて。何よりも重要なのは、――『眼』の精度が格段に上がったこと。
キャラごとに使い分けられていたソレが、同時使用できるようになった。さすがに出し惜しみをしていたはずはないので、彼の才能がさらに解放されたのだろう。そのため、今の赤司君は『眼』を使いこなすことに重点を置いている。積極的に練習試合に参加するのも、そのためである。
「さあ、行こうか」
ジャンプボールを制し、帝光スタート。ゆったりとした立ち上がり。疲労は体力だけでなく、思考力も低下させる。今回も赤司君は、負荷の掛かった状態での参戦である。
ただし、地域の強豪校とはいえ、所詮は2軍が相手にするクラス。まるで危なげなく、ドリブルでボールを保持。『眼』を使わずとも、単独で得点は可能だろう。しかし、彼はそれをしない。
「ヘイ!」
味方が裏を取った瞬間、合図として声を上げる。だが、赤司君に対してその必要はない。ノールックかつノーモーションで、事前にボールは飛ばされている。言い切る前に、仲間の手元にソレは収まっていた。何の予備動作もなく、即座にドリブルに移行できる、最適な位置とタイミング。
「なっ……ぴったり過ぎる!?」
受けた側が驚くほどの、有り得ざるパス精度。まるで未来でも視たかのような。味方の彼がイメージする理想の初動。それを一切途切れさせない、遮らない。最速最短の初動からの攻めで、そのままゴールを決める。
「うおっ!さすが帝光、先制ゴール!」
相手ベンチの選手達が声を上げる。傍目で見ている分には、シュートを決めた方に目が行くらしい。ただ、この得点の本質はパスにある。
「よくやった。この調子で行こう」
決めた選手と赤司君がハイタッチをかわす。仲間にエールを送ることも忘れない。
何事もない試合展開が続く。赤司君がパスを出し、味方が決める。ディフェンスでも、赤司君も締め付けを強める気は無いらしい。あからさまにならない程度に、手を抜き、得点差を調整する。
「第1Qは帝光ややリードか」
「まだまだ!ここから追い上げだ!」
相手ベンチから、士気の高い声が聞こえてくる。2軍とはいえ、全国最強の帝光と良い勝負ができているのだ。一気呵成に、全力でこちらに向かってくる。
一方、ボク達の側のベンチは落ち着いたもの。2軍コーチの指示に耳を傾けながら、淡々した様子で汗を拭いたり、水分を補給したりしている。決して沈んでいる訳ではない。むしろ、集中力が高まっている様が伝わってくる。第2Qが始まる。赤司君の『眼』がなくとも、この後の展開は見えている。
「ここからが本番ですね」
全国連覇を果たした帝光中学は、まぎれもなく当代最強のチームと言える。
とはいえ、表に出ることはないが、『キセキの世代』を除けば、今年の1軍メンバーは決して強くなかった。優秀な監督とコーチ陣、恵まれた練習環境。しかし、先代、先々代の3年に比べれば、明らかに劣る。
もちろん帝光で揉まれているために優秀には違いないが、しかし、試合に絶対に出られないことはモチベーションの維持に悪影響をもたらす。ましてや、一緒に練習するのが埒外の天才『キセキの世代』である。圧倒的な実力と才能の差は、奮起ではなく、諦念を呼び起こす。監督やコーチも、その辺りのフォローやケアには力を入れているが、なかなか難しい問題である。
つまり、例年よりも層の薄いメンバーなのだ。事実、先ほどの第1Qでも、何度かシュートを外し、攻撃を止められることもあった。そんな彼らであるが――
――第2Q、対戦相手を圧倒していた。
「何だよ、アイツら!動きが全然違うぞ!」
「どうなってるんだよ。まるで別人じゃねーか!」
相手側のベンチのどよめきが伝わってくる。コート上で、縦横無尽に駆け回る帝光選手達。その動きは普段に比べて、明らかにキレている。ボールを受け取り、インサイドへと切り裂くペネトレイト。クイックで放つジャンプシュート。プレイの精度も上昇している。まるで別人のごとき、性能強化。これこそが――
――赤司君の放つ『究極のパス』の効果。
最高のパスは、最高のリズムを生み、最高のプレイを導く。
仲間を疑似的な『ゾーン』状態に没入させる。それが彼の有する超越能力である。さすがに味方の潜在能力(ポテンシャル)が低く、『ゾーン』と呼ぶにはおこがましい深度ではあるが、当人の最深部まで沈めている。
「すげえ!どんどん点差が開いていくぞ!」
「これが帝光中学の本気なのか……」
ただパスを出すだけで、これほど試合を支配するとは……。赤司君の『コート全景(ビジョン)』による究極のパス。アメリカでの試合以来、より精度が増したようだ。普段、一緒に練習していない、2軍選手を没入させるには、相当な観察眼が必要とされる。得意なプレイやタイミングを推測し、微調整しながら、最適なパスを放つ。『眼』の実戦練習にはうってつけだった。しかし――
「何だ?動きが悪くなってきたぞ……。スタミナ切れか?」
実力以上の性能を引き出された選手達は、第2Q終盤から次第に動きに精彩を欠きだす。言うなれば、調子に乗って常に全力疾走しているようなもの。運動性能の上昇と精神集中によって、疲労を意識することは無いが、当然スタミナが切れれば動きは鈍る。そして、疲労を思い出せば集中も乱れる。後半戦を迎える前に、すでに仲間達の体力は限界に至っていた。だが、それも織り込み済み。
「メンバー全交代!?」
相手チームの驚きの声が響く。赤司君を除いた4名がチェンジ。体力万全の状態で、新メンバーをゾーンに入れるのだ。背番号は18番まで存在する。使えなくなれば、新しい選手を補充すればよいのだ。順々にゾーンに入れて、2軍の凡庸な彼らを強力な兵隊へと変貌させる。赤司君にとっては、また新たな選手を相手に『眼』の練習ができる。WIN-WINの関係である。
蹂躙は続く。
ある種、仲間を使い捨てにする戦術だが、味方から不満は出ない。それほどゾーン状態の全能感は甘美なものなのだ。まるで麻薬のよう。ボクは至ったことがないので想像だが……。
当然のごとく勝利を決めて、第一体育館へと戻るボク達。試合にも出ていないので、この後は自主練をしていくつもりだ。赤司君も体育館に用があるらしい。新入生の評価などを話し合いながら、廊下を歩き、目的地に到着する。
扉を押し開けると、目に飛び込んだのはコート周りの人だかり。少し遅れて、鼓膜を揺らす部員達のざわめき。こちらに誰も気付かないほどに、常ならざる事態が起こったらしい。赤司君と視線を絡ませると、お互いに無言のまま現場へと足を進めていく。
近付いていくと、次第に状況が見えてきた。バスケットコートで、誰かが1on1の勝負をしていたらしい。得点ボードには正の字で5対3と書かれている。部員達の話す声が、耳に届いた。
「マジかよ、あの緑間が……」
「信じられねえ。何者だよ、アイツは」
ここで周りの面々もボク達の帰還に気付き、道を開ける。コートには2つの人影。片方は茫然と立ち尽くす緑間君。その表情は、驚愕で固まっていた。そして、もう一方の人影はボールを片手に微笑する青年。幾度かあったことのある、知り合いであった。
――氷室辰也
こちらに気付いた彼は、軽く手を上げる。それに対して、ボクも無言で会釈を返す。なぜ彼が日本に……?
「待っていたよ、黒子君。それに赤司君も久しぶりだね」
「ええ、お久しぶりです。どうしたんですか、わざわざ?」
「ちょっとキミに渡すものがあってね。せっかくなので、練習を見学させてもらってたんだけど」
小さく肩を竦めて見せる。冷静な表情だが、意外にも気持ちが昂っているらしい。
「お誘いを受けたのでね。『キセキの世代』の力、体験させてもらったよ」
「そうでしたか」
視線を緑間君に移す。その頃には動揺も収まったらしい。だが、取り繕った表情の中に、明らかに悔しさが混ざっている。ボク達の存在などお構いなく、まっすぐに氷室さんの元へと詰め寄った。
「もう一度、勝負をしてくれ」
「……その必要はないさ」
熱の籠った頼みに、しかし彼は左右に首を振った。そして、コート脇に置いてある鞄から封筒を取り出し、ボクに手渡す。
「これは……?」
「タイガからの贈り物さ」
困惑するボクだったが、促されるままに封を開ける。取り出した紙片は、英語で書かれたチラシ。バスケットボールの大会の告知であった。
「一番下を読んでくれ」
「……っ!?日本の全中優勝チームと……エキシビジョンマッチですか」
ボクの言葉に、周りの皆からざわめきが起こる。そう、つまりこれは……
「勝負の場は作った。本番で会おう、とアイツからの伝言だよ」
「ハッ!いいねえ、ようやくまた戦えるぜ」
「そうッスね。待ちわびたッスよ」
『キセキの世代』の面々の表情が、明らかに変わる。ギラついた瞳で、好戦的に口元を吊り上げる。ボクも仕草には表さないが、興奮を覚えていた。
「そういうことさ、緑間君。オレも試合に出るつもりだ。SG同士、決着はそこでつけよう」
「望むところなのだよ」
緑間君は、そう言って床に落ちていたボールを手に取った。それを頭の上に構え、シュートを打ち放つ。それも、反対側のコートへと――
「なっ……あんな距離を…!?」
氷室さんが驚愕を顔に表した直後、上空からボールがまっすぐに落下。綺麗にネットを通過した。なるほど、1on1では見せられなかった彼の才能。これは挨拶なのだ。次は全戦力を以って叩き潰すという――
「そう来られて無視はできないな。もう一本だけ、やろうか」
溢れんばかりの熱量を以って、氷室さんはコートへと誘う。緑間君に守るよう促した。
配置についたのを確認すると、シュートモーションに入る。十分に止められるタイミング。両者に高さのアドバンテージは無い。緑間君が反射的にブロックに跳んだ。氷室さんは手首を返し、ボールを放り投げる。
「何だと……!ボールが…消えた…!?」
――放たれたボールが、ブロックを擦り抜ける。
有り得ない錯覚を起こすほどに、特異な技であった。愕然とした表情を見せる緑間君。観戦する部員達も、理解不能の出来事にどよめく。直後、滞空するボールが精密無比な軌道を描いて、リングを通過した。ネットを揺らす乾いた音。氷室さんが誇るように、静かに囁く。
「――『陽炎の(ミラージュ)シュート』」
静寂。何が起きたのか、この場の大半は仕組みを理解できていないだろう。目の当たりにした緑間君も、まさに陽炎を掴んだ気分のはずだ。だが、遠目から見ていれば、分かる者もいる。ボクは当然だが、赤司君の眼ならば同じく。そして、卓越した観察眼を有する彼らも――
「前にも一度見せてもらったッスけど。さすがッスね」
黄瀬君が軽く拍手をしながら、声を掛ける。だが、口調とは裏腹に視線は鋭い。氷室さんが首を回し、視線を合わせる。
「1年前とは違い、今回は完成版だよ。まあ、挨拶代わりと思ってくれ」
「大盤振る舞いッスね。だけど、いいんスか?試合前だっていうのに、手札を晒しちゃって」
「構わないさ。君の才能は知っているが。そして、もう一人。灰崎君も同種の才能を有すると、タイガから聞いているが」
口を一旦閉じ、肩を竦めて見せる。
「今の彼を見る限り、明らかに初見の様子だね。1年以上掛けて、いまだ模倣(コピー)できていないと見える」
ピクリと黄瀬君の表情が引きつる。図星だった。そして、同じく灰崎君の表情も固い。基本的に彼らは、自身の技量を超える技の再現はできない。
「模倣?強奪?――やれるものなら、やってみな」
絶対的な自負と共に、彼はそう言い残して去っていった。
ボクは内心で感謝する。良い挨拶だった。日本で敵無しとなってしまった彼らに対する、最高のモチベーションだった。