全中予選が終わると、熱く燃え盛る夏が始まる。ここからが本番、頂点を決める大会である全中本選。全国から選りすぐられた県内屈指の中学がしのぎを削るのだ。
とはいえ、ボクがいなかった過去のメンバーで優勝できたという事実は、正直なところヤル気を削ぐものがある。負けるはずがない、という確信。ひいき目なしで見ても、純粋な総合力は、すでに現時点で全国トップ。『キセキの世代』覚醒前の時点で、である。才能の開花が始まれば言わずもがなだ。ワンサイドゲームすぎて番狂わせを期待するのも難しい。
それにプラスしてボクの存在である。うぬぼれるつもりはないが、『幻の六人目』たるボクに対抗できる選手などこの時代に存在するとは思えない。せいぜい『鳥の目』のスキルくらいか。それでも苦戦こそすれ、熟練した技術で対抗できると自負していた。
なので、ボクの意識はどう試合を楽しむか、どう利用するかに切り替わっていた。どうやって皆を危機に晒すか。彼らの才能は自身の敗北の危機にこそ爆発的に成長する。相手との勝ち負けを度外視する異端の思想。……奇しくもそれは、中学時代にボクの忌み嫌っていた考え方と同じものだった。
「なあ、見てみろよ、テツ。本戦のトーナメント表だぜ」
練習終了の号令が監督から出されてすぐ、青峰君が一枚の紙を持って走ってきた。先ほど全員に渡された全中本選のトーナメント表である。
「何か燃えるよな!」
「……でも、青峰君。トーナメント表見て、どこがどんな中学か分かるんですか?」
「全然」
あまりに堂々とした姿にボクは、ですよね、と小さく笑った。辺りを見回すと、ボールの片づけをしている桃井さんの姿があった。視線が合った拍子に軽く手を振って見せる。
「テツくん!どうしたの?」
「あの、すみません。ちょっと他の中学について教えて欲しいんですが……」
「おう、頼むぜ。さつき」
「大ちゃんってば、何でそんな偉そうなのよ」
ぼやきながらも、桃井さんは手元のノートのページをパラリと開く。
「ええっとね……」
記憶を辿りながら、ひとつずつ丁寧に解説を始める桃井さん。実際のところ、ボクも昔の話なのであまり覚えていないのだ。どの中学にどんな選手がいたか。当時は試合にも出てなかったし。ただ、当時の帝光中が勝てた相手なので、所詮はそれなりの選手しかいないだろう。
「桃井さん、ボクの頼んでおいたあれは分かりましたか?」
「ああ、テツ君が言ってた五人ね。うん。調べておいたよ」
――『無冠の五将』
この時代ではまだ名前の売れていない彼らのことを、ボクは事前に調べてもらっていた。『キセキの世代』さえいなければ、天才と呼ばれていたであろう5人のプレイヤー。
閃光のごとき神速で抜き去るSF――『雷獣』葉山小太郎
三種の3Pを使うSG――『夜叉』実渕玲央
後出しの権利を持つC――『鉄心』木吉鉄平
相手の思考を絡めとるPG――『悪童』花宮真
誰よりも筋力に特化したPF――『剛力』根武谷永吉
のちに『無冠の五将』と呼ばれる天才達。彼らの所属する中学を、桃井さんはノート上で指し示す。
「コイツらって、たしか灰崎と緑間を倒した……。テツ、この5人ってのは強いのか?」
「はい。もしかしたら、今のみんなよりも……」
かつての未来で、彼らとの試合は手こずったとボヤいていた。しかしそれは、裏を返すと倒せる相手だったということ。現時点の『キセキの世代』であれば互角以上には戦えるはず。だが、とボクは先日の全中予選の決勝を思い返す。
灰崎君を一時は完封した津川智紀君の古武術バスケ。
ボクの知る歴史では、古武術を応用したスタイルを修得するのは高校に入学してからだったはず。
――なぜならそれは、未来の彼の進学先である正邦高校の監督によって伝授されるものなのだから。
それに中2の黄瀬君を封じたとは言っても、あくまでバスケを始めたばかりの頃の話。いくら疲れがあろうが、虹村先輩の技を手にした灰崎君が完封されるなんてありえない。
まさか、ボクの知る歴史と差異が生じているのか……?
「まあ、気のせいかもしれませんけど」
津川君の中学時代なんて、ほとんど記憶にない。思い過ごしや記憶違いの可能性も多分にあるはずだ。
「ん?どうかしたのかよ?」
「いえ、何でもありません。ずいぶん調べてあるな、と思いまして。大変だったんじゃないですか、桃井さん?」
「ううん。何か私、意外とこういうの向いてるみたいで」
楽しそうに笑いながら、桃井さんが答える。そして、トーナメント表から彼女は5つの中学にマーカーでチェックを入れた。やはり、全員が本選出場を果たしているらしい。その中のひとつは、我ら帝光中の隣に位置している。この相手は――
「ふん、どこが相手だろうと同じことなのだよ」
耳に届いたつぶやきに振り向くと、直後にネットを揺らす音が聞こえた。鬼気迫る雰囲気を纏う、シュートを打ち終えた緑間君の姿があった。続いて2発、3発と3Pライン上からシュートを放っていく。
「相変わらず、全然外さないわよね」
それでいて、ただの1本たりとも落とさない。桃井さんが感心するのも当然だ。中学生のレベルを遥かに超越したシュート成功率。現時点で9割以上という埒外の性能は、ある意味では最も潜在能力を開放していると言える。他を圧倒するシュート精度である。
闘志に満ちた表情だが、そのシュートフォームは精密そのもの。機械仕掛けのごとく、動作は流麗でスムーズ、タイミングにはコンマのズレもない。例えるならば、緑間君の身体は銃身、撃ち出されたボールは銃弾だ。狙いさえ定めれば、銃弾の行く末など見なくても分かる。
パサリ、と先ほどから聞き慣れた音が鼓膜を揺らした。
「シュート練習とか、ヤル気満々じゃねーか」
青峰君の言葉に、それは当然だとボクも頷く。なにせ、全中本選の最初の相手は――
「実渕玲央、ですか。見せてもらいますよ。夜叉と謳われる、アナタの力を……」
それから数日後。
『全中』本選を翌日に控えた今日の練習は、疲れを溜めないよう軽く抑えたものである。短くアップのみを行い、試合勘を保つためのミニゲームで明日に備えるようだ。
「組み分けは2,3年チームと1年チーム。まあ、いつものメンバーで連携の確認をしておけ」
監督の言葉に2つのチームとベンチ要員の観客の3通りに移動していく。試合形式が最も心躍るというのは誰でも同じこと。気合いの入った表情、楽しげな表情、それぞれにテンションを上げながら、マネージャーから手渡されたビブスを頭から羽織る。いつも通り、ボクもそれを受け取ろうとして――
「待て、黒子。お前は今回、こっちチームだ。後半から出すから準備をしておけ」
監督が指し示したのは、2,3年チームだった。先輩たちがホッと安堵のため息を吐いたのを感じる。反対に1年チームはその顔を引き攣らせた。
「おいおい、マジかよ……。テツヤが相手とか勘弁して欲しいぜ」
「ずいぶんと弱気だな、灰崎」
コート内で体をほぐしながら、緑間君が疑問を呈した。
「たしかに黒子の能力は驚異だが、オレ達ならば対応できるのではないか?初見ならばともかく、手の内を知っていれば」
しかし、灰崎君の顔色はすぐれない。忌々しそうに吐き捨てる。
「この中じゃ、オレが一番テツヤとは長い。アイツは手の内なんざ、まったく晒しちゃいねーよ。まだまだ出し惜しみしてやがんだ」
初対面で彼の目を欺いた『幻影の(ファントム)シュート』を思い出したのだろう。ブルリとかすかに身体を震わせる。理解不能の現象の回想により、彼の背筋を戦慄が走り抜けたようだ。困惑を浮かべる緑間君だったが、それ以上の詮索はしなかった。
ジャンプボールを制したのは紫原君だった。中学生離れした身長で、あっさりとボールを赤司君へと繋ぐ。そこからの速攻。先頭を走り抜けるのは灰崎君である。追いついた相手の先輩との一対一。そこで繰り出すのは、自身の持つ最良のドリブル。
――左右に小刻みに幻惑するハーキーステップ
「おらあっ!」
気合一閃。完全に身体の泳いだ相手を抜き去り、先制のレイアップを決めた。悔しげな表情を切り替え、続いて攻撃に移るは先輩チーム。
「チッ……だから、オレの技を使うんじゃねーよ」
虹村先輩が忌々しげに吐き捨てる。ドリブル突破による速攻を試みるが、その動きは明らかに精彩を欠いていた。灰崎君の才能――『強奪』の効果である。
「ハハッ、もらうぜ」
その隙を見逃す灰崎君ではない。甘くなった手元をはたき、スティール。硬直する虹村さんと対照的に、灰崎君は余裕げな笑みでカウンターを仕掛けていく。抜群の身体能力+技巧的なドリブル。現時点における、帝光中のエース級に彼は君臨していた。
「っと、下級生相手にダブルチームとか。格好悪くね?」
「うっせえ、黙ってろ」
即座に追いついてきた虹村先輩と、もうひとりによる複数でのマーク。それは単独では止めきれないという意思表示であった。昨年度の全国最強のダブルチームを抜ききる技量はない。あくまで彼の才能(センス)は発展途上なのだ。だが、いまの彼だからこそできる利点もある。
「ほらよっ、青峰」
「了解っと」
――青峰君へのパス
完全に才能が開花していないからこそ可能な、パスという選択肢。自身の能力に絶対の自信を持つ中学時代後期の『キセキの世代』には考えられない、本来絶無の選択肢。それを今の彼らは使うことができるのだ。まあ、当たり前のプレイなんだけど。
そこからトリッキーなドリブルで相手を抜き去る。帝光中を1年から3年まで全て合わせて考えたとき、エースと呼べるのはこの二人。その2大エースの連携は脅威そのもの。一方のマークが厳しければ、もう一方が貫く。こと速攻において、両方を止めるのは困難を極めるのだ。
「おおっ!1年が連続で決めたぞ!」
「後輩相手にいつまでもやられっぱなしかよ!しっかりしろ!」
コート外から声が飛ぶ。試合をしている先輩達も、下級生に負けていられないと一層ギアを上げていく。
「あっちゃ……悪い、カバー頼むわ」
奮起した先輩の意地のドリブル突破。常人離れした『敏捷性(アジリティ)』を使いこなせていない青峰君は、残念ながらディフェンス面においてやや難があるようだ。そのままインサイドへと切れ込み、ミドルレンジでのシュート体勢に入る。
「ちょっと~。オレしかいないじゃん」
カバーに出る紫原君。巨体ゆえに動作がわずかに遅れるが、その長身を生かして何とかブロックに跳んだ。しかし、それはフェイク。その脇をあっさりと通され、ゴール下の味方に渡る。そのまま上級生のスコアに2が追加された。
「さすがですね。積み重ねた仲間同士の連携。豊富な試合経験から導かれる的確な状況判断。ここでしっかり決めてきましたね」
キャリアを生かした落ち着いた攻め方だ。
「ねえ、テツ君はどっちが勝つと思う?」
いつの間にか隣に座っていた桃井さんが問いかける。少しだけ考え、言葉を返す。
「6:4で青峰君たちでしょうか。このミニゲームに関して言うならば」
「あー、そうだよね。短期決戦ならスタミナ不足は関係ないもんね」
「確かに先輩達は穴もないですし、高いレベルで安定した性能をもっています。ただし、一点特化の尖った性能は彼らを上回っている」
それも現時点で、である。青峰君と灰崎君の突破力しかり、紫原君の身体性能(フィジカル)しかり、そして緑間君も――
「さあ、落ち着いて行こう」
周囲を見渡しながらの赤司君の声がコート上に響く。その平静そのものの声音は、聞いている者の焦りを消失させる。天性の支配力、それをたった一言で感じさせた。
「赤司、こっちだ」
直後、ノールックで放たれた青峰君へのパス。そこからのドリブル突破を予測し、相手チーム全体に緊張が高まる。しかし、予想を裏切ってのハイポストへと切り裂くようなパス。連携によって紫原君へとボールが繋がった。リングまでは少し距離があり、跳躍をしながら空中で反転する。その分だけ、普段よりも高さが低い。同時に跳んだ相手のCとの勝負。ほぼ互角かと思いきや――
「なんてね~。ミドちん、パス」
反転の勢いを利用して、まさかの外へのパス。誰もがリバウンドやカウンターの準備に備えていた。その予想を覆す連携は、緑間君をノーマークにする。準備は万端。受け取ったボールを構え、淀みない流れでシュートモーションに入る。
「ナイスパスなのだよ、紫原。ノーマークならば、――外すなどありえん」
天高く投げ上げられたボールは、かすりすらせずにリングを通過した。ノーマークでシュートモーションを崩されなければ、9割以上の確率で3Pを決める。中1の段階でこの超常的な精度。やはり、どう考えても実渕玲央にシューターとして劣っているとは思えない。なぜ、緑間君が敗北したのか……。
「全中本選、思いのほか楽しめそうですね」
そのくらいの不確定要素、まぎれがあった方が面白い。どうせボクがいる以上、最後には勝ってしまうのだから。
覚醒していない『キセキの世代』だからこそできる連携を駆使した試合展開。のちに崩壊するチームとしての戦い方がそこにあった。わずかに1年が優勢なまま、拮抗した試合が続き、ついに選手交代の笛の音が鳴る。
「黒子、出番だ」
「うえっ、終わった……」
監督の言葉にうなずくボクと、嫌そうにしかめ面でうめき声を上げる灰崎君。試合の流れを変える六人目(シックスマン)が先輩チームに投入されるのは、実はこれが初めて。ミニゲームにおいては、負けている方をフォローするのがボクの役割だ。つまり、この1年目の全中本選を目前にして、彼らの帝光中における下克上が成ったということ。
歴史上よりも早い、『キセキの世代』の台頭。全国の舞台で始まる伝説の再来を待ち遠しく思い、ボクは胸の高鳴りを押さえきれなかった。