どうか楽しんでいただけたら幸いです。
バハトとレントは西棟2階にある迎賓の間、その隣の部屋に辿り着く。
「ネフェルピトー、出てこい」
バハトが暗闇に声をかければ、絶を解いたピトーが姿を現す。右の瞼を閉じた彼女は、バハトによって瞳を抉られた本物のピトーだ。
時間があったおかげか、ピトーは落ち着いていた。右目を失った痛みも薄くなり、しかしコムギを連れ去られた上に自分がどんな目に遭うか分からないからか、表情は険しい。
しかしバハトとレントにとってそんなピトーの事などどうでもいい。レントはごくあっさりと懐から文字が書かれた紙を取り出す。
「説明の必要はないだろ?
この契約書をよく読んでからサインしろ」
命ずるのはバハト。拒否権がないピトーはそれに従う他なく、差し出された紙に目を通す。
そしてギリリと歯を噛みしめた。
ユアの能力である
「……く」
屈辱を食みながらも、ピトーが抗う術はない。バハトに投げてよこされたペンを持ち、己の名をサインする。
今はまだコムギを治療する為の契約が生きているから効果は発揮しないが、それが切れた時に王に忠実なピトーはいなくなり、バハトたちに忠実な元護衛軍が産まれることになるだろう。
その結果を導くサインにバハトは満足そうに頷き、レントは意地が悪そうにあひゃひゃと笑う。
「さて。これから場所を移して治療をして貰うが、お前は治療が終わるまで俺以外の人間を害することを禁ずる」
「……わかった」
もはや自分ではどうともならないと、半ば諦めの心境でピトーは答える。もしも隙があれば当然突くが、バハトもレントも思った以上にピトーを警戒している。完全に操作しきるまで、彼女に対して隙を見せる様子は無さそうである。
「じゃ、コレ持っておいて」
地面に落ちていたバハトの右腕をピトーに投げつけるレント。それを受け止めたピトーを確認しつつ、ピトーのすぐ側まで近づく2人。
そしてレントが右手でバハトを、左手でピトーを掴んで息を止める。いかなる存在にも感知されない能力である
「
瞬間移動の効果も持つその能力を発動し、その場から消える3人。
討伐軍も護衛軍も、宮殿から3人が去ったことに気が付くことはできないのだった。
◇
「ぷはぁ」
止めていた息を継ぎ、
「おかえりなさい」
声をかけるのはポンズ。粗末な椅子に座り、この作戦中ずっとただただレントにオーラを送り続けていた彼女は、やはりというか少し疲れていた。
「ただいま、ポンズ」
「戻ったよ、母さん」
「一度帰ってきたその子から話は聞いていたけど、ずいぶんと思い通りに話が進んだみたいね」
にこやかに言うポンズに、笑って答える2人。連れてこられたピトーだけは油断なく周囲の観察をしているが、未だにレントが左腕で彼女の肩を掴んでいる為に、隙は限りなく少ない。それでも情報収集はやめられないのか、ピトーは周囲を観察して確認する。
木造の掘っ立て小屋といった雰囲気を持つ建物で、ガラスのない窓から外を見れば鬱蒼と木が茂っている。植生からして、現在地は東ゴルトーに間違いは無さそうだ。東ゴルトーでは廃棄された小屋など珍しくもない。ここはその中の一つであると看破する。
部屋の中に目を移せば、まず目を引くのは普通のベッド。廃墟といえるこの小屋の中では普通のベッドというのは逆に珍しく、綺麗なシーツなどは目を引いてしまう。そこで寝かされているのは金髪の少女で、すやすやと寝息を立てている。
「ユアの様子はどうだ?」
「問題なしよ。今目を覚まされても困るから、睡眠薬を吸ってもらったけど」
同じくユアの方に視線を向けていたバハトが問い、ポンズが答える。そこでピトーはベッドで眠る少女の名前をユアだと初めて認識する。役に立つかは分からないが、覚えていて損はあるまい。
次に視線を移した先にいるのは、白い服をきて白い帽子を被った女性であるポンズだ。彼女が腰かけている椅子は廃墟であるここに見合ったボロさであり、近くに置かれたテーブルもやはりボロボロだ。そのテーブルの上に安そうなカップが置かれており、中から湯気がでている。
お茶を飲みながらゆっくりしていたと言わんばかりのポンズだったが、それも仕事がなければの話だ。彼女は少しだけ伸びをして体をほぐすと、右手をかざして透明なハチミツ瓶を具現化する。その内部には当然ながら蜂の念獣であるハニーがいた。
「
じゃ、やるわよ」
「頼む」
ポンズの言葉に頷くバハト。そしてポンズはバハトに近づくと、彼の首に瓶の口を当てる。
「
そしてハニーはバハトの肌に吸い付き、その牙を彼に突き立てた。
どくどくとその牙から具現化した薬物を送り込むハニー。
「はい、完了」
そしてほんの数秒ですべき事は終わる。ポンズは
「どう? 分かる?」
「……いや、全然」
「そりゃそうだよね」
ポンズの言葉に返事をするバハトと、それを聞いて呆れた声を出すレント。
次の瞬間、ポンズは拳をバハトの腹に叩き込む。多少は加減したその一撃は、しっかりとバハトの腹にめり込んだ。
それを受けてなお、顔色一つ変えないバハト。
「分かった?」
「ああ、分かった。さすがポンズ、プロだな」
「専門分野だから」
クスリと笑うポンズに、優しい笑みを浮かべるバハト。
彼らが何をやっているのか全く分からないピトーは置いてきぼりにされていたが、ここに至ってようやくバハトが彼女に向き直った。
「ピトー、命令だ」
「!」
拒否権がない命令が聞こえてきて、ピトーの顔に緊張がはしる。
そして指示された命令は果たして。
「俺の腹部に死なない程度に致命傷を与え、そしてお前の能力である
もちろんお前が千切った俺の右腕も併せてな」
「え?」
果たして、ピトーには全く理解できない内容だった。
思わず呆けてしまうピトーに、しかしバハトは動じずに命令を重ねる。
「はやくしろ」
その言葉を聞いた瞬間、ピトーの左腕がバハトの腹を貫いた。
◇
己の腹を貫くピトーの腕を、冷めた目で見るバハト。
痛くはない、辛くもない。
(麻酔をしたしな)
さきほど、ポンズに打ち込んでもらった
ふとバハトが周囲を見れば、レントは平然としているがポンズは顔を歪めている。
親しい者が致命傷を負うのを見れば感情が揺さぶられるのは当然の反応といえばその通りだった。むしろこれで平然としているレントの方がどこか壊れている。
もちろん、それは今更の話だが。
「
ピトーの尻尾から治療人形が具現化され、バハトの体に器具を差し込んで治療を始めた。
彼女が貫いたばかりの腹部に覆いが被されて外気を遮断し、傷口を保護する。
彼女がかつて千切った右腕の、塞がった断面を薄く剥がして血管と神経を露出させて繋ぎ合わせていく。
現代医学で最高峰の治療技術や、不可能であるレベルの接合手術をその身一つでこなすピトー。つくづく念能力者というのは規格外だと感じてしまう。
「ピトーはそのまま治療を続けろ。俺たちの会話に混ざるな」
冷たく言い捨てて、ピトーを意識から外す。
地面に横たわって治療を受けるバハト。壁に寄り掛かって両親を見るレント。椅子に座ってカップを口に運ぶポンズ。
「さあ、後半戦の話し合いをしよう」
◇
「まずは今までの経緯はこんなところか」
情報を仕入れられなかったポンズに説明しつつ、自分の中で整理をする為に今までのことを話すバハトとレント。
それを聞いていたポンズは難しそうな顔で話を咀嚼する。
「バハトがトトを吸収して、ピトーの完全操作は目前。王はネテロ会長が決戦の地に運んで、プフとユピーが追った。
討伐軍側としてはユアちゃんとシュートが脱落。ゴンは離脱して、残りのメンバーは宮殿に残って王や護衛軍を迎え撃つ構え、ね」
ちらりとピトーの様子を見れば、彼女の顔色は随分と悪い。王や護衛軍といった自軍の旗色の悪さもその理由の一つだが、情報を広く集めた上で計画に支障なしといった風情の3人に気圧されているのがなんとなく透けて見える。
「問題は
バハトが困った顔で口にする。
「俺が知る未来では、確かに王は薔薇の毒で朽ちるはず。だが――」
「うん。ボクの未来では王は薔薇の毒を克服していた」
「こちらが考える可能性は排除した、つもりだがな」
そう。バハトが危惧するように彼らが全ての穴を塞いだつもりでも、現実ではそんな思惑をするりと抜いてしまうことは十分ありえる。
例えば。王が産まれた直後に師団長のアリを喰ったが、その中に解毒能力を持つアリはいなかったか?
例えば。東ゴルトーの宮殿を攻め落とした際に王は念能力者を捕食したが、その中に原作と違って毒を中和する能力者はいなかったか?
なにせバハトやアサンが産まれて20年を超える時間が経っているのである。どんな蝶の羽ばたきが今現在に影響を及ぼしているのか分かりはしない。
「ただ、問題を解決する単純な方法が一つだけある」
バハトが口にした言葉に、レントとポンズは真剣な顔で頷く。
至極単純な答え。そして、至極難しい答え。
「俺たちが確かに王の首を落としてしまえばいい」
薔薇の毒に頼る必要はない。別の死因を王にくれてやればいい。
できるものならやってみろ、と普通ならば言うだろう。だが、人間にはできなくても英霊にはできるかも知れないのだ。
「素に銀と鉄――」
呪文を唱えるバハトと、それを静かに見守るレントとポンズ。
そしてやがて、数十秒にもわたる詠唱を言い切った。
「――抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
光がほとばしる。その光景を始めて見るピトーは目を丸くして、その奇跡を見つめ続ける。
ほんの数秒が経過し、やがてその場には一つの人影が立ち尽くしていた。青と銀の鎧を身に付けた、金色の髪を持った冷厳なる少女。
「セイバー、アルトリア・ペンドラゴン。召喚に応じ、参上しました」
真面目な表情のまま、真面目な口調で。最優のサーヴァントが名乗りをあげる。
「よくきた、アルトリア」
「私を選んでいただいた事に感謝を、マスターバハト」
バハトの顔にも緩みはない。そもそもアルトリアを今まで召喚しなかったのには訳がある。アルトリアの瞬間火力は高いが、それは魔力放出によるところが多く、魔力燃費が悪いからだ。
しかし、王を仕留めるのに燃費の悪さを言っても始まるまい。魔力を枯渇させてもいいという覚悟でバハトはアルトリアを召喚したのだ。
「いちおう、仕事を明示しておこう。
魔力に糸目はつけない。キメラアントの王の首を落とす、それだけがアルトリアに頼むことだ」
「ええ、承知しています。そして令呪の支援はなし、ですね」
「ああ。令呪の使い道は決まっている。悪いが、令呪のバックアップは無しだ」
時間が経過しても令呪は補充されない為に残るはたった1画。そしてその1画の使い道は決まっている。アルトリアには悪いが、彼女に割く余裕はない。
それに令呪を的確に使うには現場にいなくてはならないが、王とアルトリアとの戦いなんて遠くから見るのも恐ろしい。巻き込まれて死んだらそれで終わりなのである。
そもそもとして、彼らはもう宮殿に戻るつもりはなかった。討伐軍には護衛軍を吸収するつもりだと話したが、あんなものただの建前である。そもそもとしてプフもユピーも、王を救う為にその身を差し出して大きく弱体化するはずである。その上で薔薇の毒もその身体に取り込んでいるのだ。旨味なんてほとんどないのにリスクばかり高い。
「では、出発させていただきます」
「ああ、頼んだぞ。アルトリア」
バハトの声を背中に受けて、アルトリアは小屋から出ていく。
現在地はバハトの記憶を受け継いでいる為、話す必要はない。王はほぼ間違いなく宮殿に戻る為に、そこで待ち構えればいいという話だ。
一直線に宮殿に向かって駆けるアルトリアを見送った後で、ふとバハトの体が楽になった。
「終わったか」
「……」
終了を宣言するように命令はされていなかったピトーは沈黙を保ったまま。
しかしバハトは己の体が回復しきっていたことを感じ取っていた。致命傷だった腹の傷は塞がり、右腕も元通り。そしてポンズに注入されていた麻酔も除去されていた。
そして、己の命を助けた相手を操作する能力を、バハトはアサンから奪い取っていた。右手の小指をピトーにつけるバハト。治療から1分、バハトの命令に従わなくてはならないピトーはそれに抗うことができない。
「
己を際限なく愛させるその能力。それが発動した瞬間、ピトーの表情がとろんと蕩けた。
「あはぁ……ご主人さまぁ」
バハトに傅くピトーを見る3人はドン引きである。
あのピトーが。直前まで警戒心を隠そうともせず、それでも自分が逃れる隙を探し続けていたピトーが。
一瞬でここまで腑抜けになるとは。
「……操作系って、怖いわね」
思わずぽつりと呟いてしまうポンズを責める者は誰もいない。が、すぐ傍で眠る彼女の義妹も操作系である。しかも誰も気が付いていないが、結構これと同じくらいヤバい操作系である。
それはともかくとして、これでピトーは完全に無力化した。そのうえで、彼女をこちら側に引き込めたのだ。
「ネフェルピトー」
「は、ご主人さま」
バハトに声をかけられて、慌てて表情を整えるピトー。だが、さきほどのような締まりはない。バハトに意識を向けられるのが楽しくて嬉しくて仕方がないといった様子である。
「……以降、俺の血族や仲間をよく支えろ」
「このネフェルピトー、身命に代えましても」
あまりに忠実過ぎるピトーに、バハトは思わず気になったことを聞いてしまう。
「もし――」
「は」
「もしも、俺と王だったらどちらを取る?」
バハトは問う。が、ピトーは答えない。
泣きそうな顔で、苦渋に満ちた顔で、しかし返答は問われたそのどちらでもなかった。
「恐れながら申し上げます。ボクでは優劣をつけることはできません」
その答えに、全員が虚をつかれた。バハトも、レントも、ポンズも。
「最愛の人はご主人さまであるバハトさまであることは否定できません。しかし、最も敬愛すべきお方は王なのです」
「「「…………」」」
「選択は、どうしてもできません。もしもこの不忠を咎めるのであれば、どうぞこの命をお取りください」
そう言って平伏するピトー。
己を最も愛させる能力で支配した後でさえ、護衛軍の忠誠は残ったままだった。それほどまでに絶対的な上下関係を産まれながらに刷り込まれているキメラアントという種族。
「大丈夫かな、これ?」
思わずレントが口に出してしまうのも無理はない。順調に作戦通りに進んでいるとはいえ、キメラアントの底力は思っていたよりもずっと高い。
未来を知るというアドバンテージと、それを元に組んだ作戦。それがあったからこそ優位に進んでいる今があるが、もしも耐えきられてしまったら容易に逆転されてしまいそうな恐ろしさを感じてしまった。
まだ勝利は確定していないと、操作されたピトーを見て突きつけられる。
「頼んだぞ、アルトリア」
思わず呟いてしまったバハトを責められる者は、やはりその場にいなかったのだった。
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