そんな今日の夕食は、つけ麵大盛りを食べてきました。
では最新話をどうぞ!
「待たせたね」
高級ホテルのスイートルーム、そこがバッテラの指名した場所。先にその場所でソファーに座っていたマチに向かって、訪れたバッテラが声をかけながら入室した。
ルーシェのケータイを窓口としてバッテラと連絡を取り、『敵』を殺したとマチが伝える。その成功報酬としてアサンが約束していたバッテラの恋人の治癒を口実に、彼を呼び出したのだ。
現れたバッテラの背後には2人の男が居た。ボディーガードであろう黒服の彼らは見ただけでその強さが分かる。バッテラと共に、一切の油断を排して警戒していた。その片方が展開する円は半径30メートルは超えていて、さっきまで5階下の部屋から円を繰り出してこの部屋の様子をうかがっていた。十分以上に広範囲の円を使いこなし、俺と同じように隠を被せているので感知は難しい。索敵要員として、流石バッテラが用意した人物と言えるだろう。
その様子を1階にあるラウンジで。ぼー、と座りながら確認する俺。
「初めて会うね、あたしはマチ。名前と顔くらいは知っているでしょ?」
「もちろんだ。君の主が私に雇うように命令した
「ここまで来て隠す意味はないわね。その通りよ」
高層ビルでは円で探られた時に身を隠す場所がない。その事実から、俺自身が潜入するのは諦めた。取引の場所にいるのはマチと霊体化させたディルムッドのみ。
サーヴァントだけで十分過ぎる戦力ではあるし、サーヴァントと感覚共有をすれば監視するのに不都合はない。全くもって俺が足を運ぶ意味がなかった。
「まあ、立ち話もなんだし、座りな。
お茶飲むかい?」
「いや、遠慮しよう」
マチの向かいにあるソファーに腰をかけたバッテラから警戒の様子は消えず、背後に立つ黒服2人は言わずもがな。円で調べた以上、今この瞬間に敵対者は居ないと分かっているだろう。だが、瞬間移動を可能とするのが念能力者。例えばマチを目印に誰かが転移してこないとは限らない。
そして実際にアサンは瞬間移動の能力を隠していなかった。その情報をバッテラが入手していないとは考えにくいし、となれば当然の警戒といえる。
「つれないねぇ。何も仕込んじゃいないよ」
「ハハハ。レディのお誘いを断るのは心苦しいが、話そうとした言葉がお茶と共に喉の奥に引っ込むかも知れないからね。
私はこう見えて臆病で小心者なんだよ」
目だけは鋭いまま、にこやかな笑みを顔に張り付けるバッテラ。本音を見透かせないその口調と表情は流石だ。
『ディルムッド、どうだ?』
『手練れですね、マチでも2人同時に相手にすればバッテラを逃がす隙ができるでしょう。能力如何では敗北もあり得る。
ボディーガードもマチも、その実力は正確に測っているはず。バッテラの様子から見て、黒服から何らかの情報の受け渡しがあったのでしょう。彼も最初よりか幾分落ち着いています』
ひとまず逃げられる算段がついたから余裕も出る、道理だ。
現状は様子見。お互いに更に情報を仕入れる為、マチとバッテラは会話を続けていく。
「祝杯をあげられないのが残念だが、君たちの目的が達成できたことを嬉しく思うよ」
「じゃあお茶で祝杯を、どうだい?」
「遠慮する」
カップを持ち上げて脚を組み、ウインクするマチ。お茶目だな。バッテラは変わらずに軽やかに躱し、会話の主導権を渡さない。この辺りの話術は流石である。恋人を治療するという
ディルムッドに観察させつつ、様子を窺い続ける。
「つれないねぇ。まあいいさ、そろそろ本題に入ろうか」
マチの言葉にバッテラの目尻がほんの少し、そして強く鋭利になった。自らの資産全てを消費しててでも為そうとした悲願、真剣にならない訳がない。
「覆面者、アサンは本当にいったいどこで調べたのやら。私の恋人、マリアについては私の安全以上に気を使っていたのだがね」
「隠そうと思えば思うほどに目立つことはあるもんさ」
「ふふ、なるほど。シングルの情報ハンター、バハトを殺せる筈だ」
急に俺の名前が出てピクリと反応してしまう。ディルムッドから見たマチは微塵も動揺を表に出さなかったのは流石だ。
「知っていたのかい」
「半々だったがね。賞金首を懸けさせられたから、バハトがアサンの『敵』か近しい仲間かのどちらかだとは思ったが…。
いくら調べてもバハトの後ろにいる黒幕を掴めなかった。つまり、バハトがアサンの『敵』だ。
そしてどうやってか知らないが、バハトもグリードアイランドに入っていたのだろう。現実世界でも掴めない情報ハンターの居所、しかもシングルをよく捕捉できたと褒めるしかない」
バッテラがアサンをベタ褒めしている、褒め殺し作戦か。まあ、下手にアサンやマチに機嫌を損ねるよりかは良い手かもと知らなければ思うが、マチは今俺に操作されているし。これまでで一番マチが怒りを表に出すのを我慢しているように思える。
震えそうになる唇を奥歯で噛み殺し、軽やかに声を出すマチ。ディルムッドは気が付いたが、黒服の2人は気が付かないか。
「ところでバハトがシングルとは?」
「ん、ああ。君たちはグリードアイランドに入っていたから知らなかったのか。
バハトは幻影旅団の情報を暴いた功績によって星が贈られた。死ななければ情報のシングルハンターだった男だよ、君たちが制したのは」
幻影旅団の念能力を暴いたのは決め手であって、5年間に及ぶ地道な活動も評価されたと思うけどな、多分。それもなく幻影旅団の情報だけ持って行っても評価はされないと思う。
「フン。星持ちがあんなザコとはね」
マチが軽蔑したように言うが、悪手。本心から明らかにずれた言葉に、嘘があることは容易に読み取れる。ディルムッドはいいとして、バッテラの後ろにいる黒服に気取られたのは痛い。
ディルムッドが黒服の様子を観察し、どこまで読み取られたのかを更に注視する。マチが隙を作り、ディルムッドが場を制する予定だったが。マチに注意が集中しないのならば、作戦を変えなければならない。霊体化して相手に情報が伝わらないディルムッドが、戦いの集中を以って観察する。
『どうだ?』
『どうやら心配は杞憂ですね。バハトは強かったが、ザコと貶したい程度の嘘と思われたようです。むしろマチに対する警戒度は下がったかと』
『殺した相手を認めないならともかく、貶す程度の器だと思われたか。結果オーライだな』
「作戦続行、注意を集めろ」
俺の指示でマチも相手に軽んじられたことが分かったらしい。むしろその程度の器であることを強調して会話を続ける。
それに調子を合わせるバッテラも相まって、黒服2人はマチよりもむしろその周囲に異常が出ないかに警戒をシフトしていた。
瞬間移動をすれば、景色はもちろん気温や気圧、音さえも元居た場所からズレた環境に置かれることになる。それが起こすのはいわゆる召喚酔いと呼ばれるラグ、その瞬間を見逃さずに仕留める為の警戒だ。ちなみにこの召喚酔いをノヴの
さてさて、仕込みはかなりできた。
『ディルムッド、そろそろ仕掛けるぞ』
『マスターのご随意に』
「マチ、3カウントでディルムッドの霊体化を解く。遅れるな。
3、2、1」
ディルムッドは黒服2人のちょうど間に出現した、しかも双剣を振りかぶった状態で。
「なっ!」
「てきしゅ…」
黒服のボディーガードが発する事ができたのは一言ずつ。ディルムッドがその首に鋭く剣の峰を振り下ろした事により、抵抗らしい抵抗ができずに意識を落とす。
それを見たと同時にマチが動く、闘争心を露わにしてディルムッドを睨み、その実標的はバッテラ。途端の修羅場にバッテラは身を硬直させて反応できない。
と、ディルムッドから見て右の黒服が不自然に倒れ込む動きを硬直させた。
「オゲェェェェェェ」
聞くに堪えない声を上げながら、口から黒を吐き出す。黒服のボディーガード、3人目は女。口から吐き出されたその女は一切の躊躇を見せずにバッテラに手を伸ばす。
瞬間移動の能力は、当然ながらこちらの専売特許ではない。バッテラ側がそれを用意しているのも当然である。
それを防ぐ為に、マチをフリーにしておいたのだ。
「はっ!」
「ぐぅ…!」
ディルムッドから標的を黒服の女に変えたマチは、バッテラに伸ばした右腕の骨を叩き折る。
だが、触れば勝ちだと言わんばかりに黒服の女は左腕までバッテラに向かって伸ばす。それをディルムッドが余裕を持って叩き落とし、隙を見せた女の腹にマチが拳を突き込んでその意識を落とした。
マチだけならば、もしくはディルムッドだけならばバッテラの逃亡は成功しただろう。それを阻止してこの場を制する事ができたのは、やはり霊体化を解く場所を自由に選べるサーヴァントの便利さが大半を占める。
「な」
ここにきてようやくそんな言葉を発したバッテラの腕をマチが掴み、ディルムッドの剣がその首筋に当てられる。
「動くな」
「動かない方が賢明ですよ、ジェントルマン」
ドスの利いたマチの脅し、清廉なディルムッドの警告。それを聞かなくてもバッテラは動けなかっただろう忘我だ。
現状を理解したバッテラは、喉を震わせて声を出す。
「嵌められたのはいい。だが、こんなにあっさりと私が負けるとは」
「へぇ、負けを認めるんだ?」
「――認めぬ訳にはいくまい。私はここから打てる手は、何もない」
呆然としつつも現状を的確に把握するバッテラに、マチがニィと底意地の悪い笑みを浮かべる。
「そうか。どっかの大病院の3815番の部屋を押さえた意味はなかったかい?」
マチの挙げた数字に、青かったバッテラの顔色が更に青白くなる。そこは彼の命よりも大事な恋人がいる場所。
「――何が、目的だ」
「レディ、精神的にとはいえ捕虜を嬲るのはよくない」
掠れた声に脅しは十分だろうと理解したディルムッドが助け舟を出す。
彼はバッテラを安心させるように優しい声で語り掛ける。
「心臓に悪い真似をして申し訳ない、ジェントルマン。しかしこれはこちら側の正当な怒り、しなければならない最低限の報復でした。平にご容赦を」
「馬鹿な、これほどの脅迫をアサンがするのが正当だと? 護衛を奪われ、身動ぎ一つできないこの現状が」
「ああ、そうだ。お前がアサンと組んだからこそ、バハトはここまでしなくてはならなかった」
マチの言葉に、バッテラは目をむいてマチを見る。
「――お前、アサンを裏切ったのか」
「違うね、あたしはアサンに操作されていたのさ。奴が死んで、解放してくれたバハトに恩返しをしている。
これはそのうちの一つ」
怒りが沸騰せんばかりのマチの瞳を見て、バッテラがゴクリと唾を呑み込む。
この怒りが向けられたことを想像したのだろうが、残念ながらというかマチはそんな八つ当たりをするようなキャラではあるまい。その怒りを向けられることは多分ない。
程よくマチが場を凍らせて、ディルムッドが解凍する。そんな役割が既に出来つつある。
「さて、では私はいったん戻らせて貰いますよ。
このジェントルマンにマーキングは終わりました、いつでもこの首を刎ねることは可能になったと宣言させていただきます」
ディルムッドがそう言葉を残し、再び霊体化をする。傍目には瞬間移動によって現れ、そして瞬間移動で去ったようにしか見えないだろう。
つまり、マーキングを終えたという言葉を残した以上、いつでもバッテラの側に現れてその場を制圧可能だという含みを持たせた訳だ。
「……いちおう忠告しておくけど、逃げない方がいいわよ。次はマジで殺すから」
「逃げないさ。例え私が逃げきれても、マリアの命はないだろう」
ここまで厳重にチェックをかけられれば、一周回って冷静になるらしい。バッテラはむしろ肚が据わったと言わんばかりに冷静さを取り戻していた。この胆力は流石である。
「それで私を生かしておくという事は、目的は私の命ではないだろう? バハトは私に何をさせたいのかね?」
「それをあたしが言ってもいいんだけどね、時間は節約しよう。移動中にバハトから直接聞きな」
「と、言うと?」
「アンタの恋人の治療を前提とした以上、下にリムジン位用意しているのでしょう?
そこへ向かうわよ」
「……そのリムジンで、どこへ向かう気だ?」
「当然、アンタの恋人のところ」
驚きと疑惑に目を見開くバッテラに向かって、疲れたような顔でマチが言い捨てる。
「バハトは本当にお人好しよ、こんな目に遭っても助けられる命は助けたいんだって。
アサンが高値を付けたアンタの恋人の治療、バハトが条件次第でやってもいいってさ」
リムジンに乗り込んだバッテラとマチ、ついでに霊体化したディルムッド。
それを見届けてから、たっぷり20分以上。暇つぶしに用意した本を終わりまで読み、注文した紅茶とケーキを腹に入れてから、俺はようやくホテルの外に出る。
そして眼前に停まっていたリムジンのドアをコンコンコンと叩く。すぐにドアが開いた。
「お待たせ、マチ」
「早い方でしょ」
「…………」
白々しい会話をしつつチラリと様子をうかがって、無駄に終わった時間の空白に一つの作戦が失敗した事を認める。ここで時間を置くことでバッテラを焦らせるつもりが、彼に動じた様子は一切ない。大富豪と呼ばれるのに恥じない精神力だ。
「適当に流してくれ」
「構わん、出せ」
俺の指示に一瞬戸惑った様子を見せた運転手だが、バッテラの指示には迷いなく従って見せた。静かにゆっくりとリムジンが発車する。
乗客に車の動きを一切感じさせないその技術は素晴らしい。それはともかくとして、だ。
「長くなるかもしれないから、マチ。お茶を淹れてくれ。俺はお茶を淹れるのが下手なんだ」
「あいよ。ま、あたしもそこまで上手くないけどね。
バッテラ、アンタも飲むかい?」
「……いただこう」
この期に及んでお茶の一杯に何を仕込まれても誤差だと思ったのか、今度はバッテラもお茶を飲むらしい。
その言葉を聞いて、くっくと厭らしい笑みを浮かべてやる。
「……何かね?」
「ホテルじゃお茶は飲まなかったのに、今度は随分とあっさり飲むんだな」
「! お前、どうしてそれを……」
「情報ハンター舐めんな」
絶句するバッテラに、強めの戦慄を植え付けておく。
マチから何か情報を受け取ったと思ったのか、彼女をチラリと見てすぐに冷静さを取り戻したが。
やがて温かいお茶がそれぞれに配られ、少し場違いな良い薫りがリムジンの中に漂う。
「安心しな、水も茶葉もこの車にあったものさ」
「いただこう」
真っ先にカップを持ち上げて口をつけるバッテラ。
なんというか、先がほとんど見えないジャングルでずんずんと無防備に進んでいるような感じさえする。割り切っているのかなんなのか。思わずくすりと笑みがこぼれて、ついでに俺もカップを傾ける。
それぞれが喉を湿らせたところで、俺は最初に注文を出す。
「まずは運転席とこちら側を仕切って貰おうか。交渉が決裂した場合、死ぬ人数が一人減る」
「承知した」
バッテラが手元のコントローラーを操作すると、運転席の後ろから壁が上がってこちら側と運転席を遮断する。
「これでこちら側の様子は運転手に漏れることはない」
「そうである事を祈るよ、命は大切だ」
ディルムッドを助手席に送り、運転手におかしな挙動がない事を確認。ここで小細工はしてないと思ってもいいだろう。
さて、それではお話を始めようか。
「まずは自己紹介だ。もう知っているとは思うが、シングルの情報ハンター、バハトという」
「バッテラという。世界有数の大富豪だと自負しているよ」
ここでいう大富豪とは、純資金の多さを指す。個人が扱える金の大きさがその指標だ。
例えばバッテラは先のヨークシンオークションで個人資産の半分を失ったとされるが、十年かそこらの年月でその負債は解消されるだろう。もちろん消費をしなければ、だが。彼は彼なりの金脈があり、そこから金を回収できる。そうして結実した実であるリアルマネーの大きさが彼を大富豪足らしめているのである。つまり現状を正確に表すならば、半年前まで世界有数の大富豪だったが正しい。今の彼の資産は半減しているのだから。
逆に彼がオークションで支払ったお金は、ヨークシンという町のものだ。そこから市長などが自由に使えようが、公的に彼のお金でない以上はもちろん市長が大富豪と呼ばれる訳がないのである。そこから誰が幾ら着服するのか知らないが。
まあ、どうでもいい話ではあるか。
「まずは前提条件から始めようか。
バッテラ、お前が俺の首に10億の賞金を懸けた。事実だな」
「うむ、事実だ」
迷いなく首を縦に振るバッテラ。今更そこをごまかしても仕方がないし、こちらの心証を悪くするだけだ。
とはいえ、10億懸けて俺を殺そうとした事は事実。
「これがお前が俺に対する負債の1つだ。続けて、俺を殺すと理解していながらアサンにグリードアイランドを使わせた、これが負債の2つ目」
「そのどちらも君に対する私の負い目と言えるだろう」
事実は事実として受け入れて、頷くバッテラ。話が早くて助かる。
「そしてそんな目に遭わされた俺が、お前の最大の希望である恋人の治療をするということ。負債の3つ目だな」
「…………」
ここにきて本当にそんなことができるのかという不審の目に変わる。
悪くないタイミングだ。まだ現実に起こっていない事を事実と認めないのは熟練の交渉人といえる。
「それら3つの負債を、たった1つだけ俺の願いを聞いてくれるだけでチャラにしよう。これはそういう交渉だ」
「……その願いとは?」
「まだ秘密だ」
つまり白紙の小切手を切れという話である。とはいえ、彼は現状俺に殺されても全く文句を言えない立場だ。
いやまあ、彼ほどの地位にある者を殺せばいくらハンターライセンスを持っているとはいえ、恐らく罪には問われるだろうが。それでも賞金首にまでされたのだ、報復として殺すくらいの覚悟はできている。
「…………」
沈黙するバッテラ。確かに彼は殆どの金銭は惜しくないだろうが、それでも守らなければならない最低限の金というものはある。例えばグリードアイランドのクリア報酬として用意しなければならない500億だったり、彼の影響下にある雇っている者の生活を守る維持費だったりだ。彼は全ての資産を手放すつもりだったとはいえ、仕事を無くす者へのアフターケアを考えていなかったとは思えない。そんな金まで俺にせびられたらどうしようという心配は理解できる。
だが、選択権は殆どない。懐から1枚の誓約書を取り出し、バッテラの前に置く。それには既に俺のサインが為されていた。
「これは?」
「サインした者を、その内容の通りに操作する誓約書だ。俺を含めてな。
俺の要求はただ1つ、これにお前がサインをすること」
「しなければ?」
「殺す」
サインをしなければ、俺に対する負債は残ったまま。それは間違いなく死に値する負債なのだ。
自分の死を宣言されたバッテラは顔色を変えずに誓約書に目を通す。
それはバッテラの願いを1つ俺が叶えたら、俺の願いをバッテラが1つ叶えるというもの。
「それにサインをする事で負債を1つ減らし、更に俺に願いを言うことで負債を1つ減らしてやる。願いで恋人の治癒を願うかはお前の勝手だが」
「…………」
例えこれでバッテラが俺の死を願っても意味がない、願いを叶えなくても俺にペナルティーはないのだ。そんな舐めた事を言うならば遠慮なく殺すし、バッテラも言葉の裏を読めない程バカではないだろう。
そして操作されるという事は、願いを叶えた後の俺の要求が死ねというものであっても彼は従わなくてはならない。
「……聞かせて貰いたい。私に対する要求はなんだ?」
「お前はそれを聞ける立場か?」
「ああ、立場だ。
ここまでお膳立てを整えたんだ、お前は私に絶対に通したい要求があるのだろう? できれば殺さずに操作して、させたいことが」
――この野郎、この土壇場でどこまで冷静なんだよ。
歯を食いしばる事を必死に耐えて、しかし強くなる視線は止められない。
「ならばそのほんの隙間だけ、私の立場がある。
これによってお前の操り人形になれば、どんな外道をさせられるかも分からない。
私の死によってそれが食い止められるのならば、喜んで死なせて貰おう」
「めんどくさいねぇ」
イライラしたマチの声が響く。バッテラは余裕を崩さないが、俺は一気に血の気が引いた。
「バハトの命を狙って……それがテメェの言える言葉か!」
「マチ、やめろ!」
針を取り出したマチが、それを彼の目に突き刺す寸前、俺の制止が間に合った。
バッテラの眼前でその針が止まる。それを見たバッテラがどっと冷や汗を流していた。
「――どうしてだい、サインするのに目は1つでいい、腕も一本あればいい。
そして脚はいらないだろう?」
「もう一度言う。マチ、やめろ」
強くいい、しぶしぶと元の場所に戻るマチを見届ける。
殺意さえ込めてバッテラを睨むマチだからこそ、納得していないのがありありと分かる。
「――あんまり挑発してくれるな、バッテラさん。あんたが思っているより、現状はシビアなんだ」
「……っ! それでも、だ。例え拷問を受けようとも、できぬサインはあるものなのだ」
「よく言ったな爺、望み通り「マチ」」
チィと下品に舌打ちをしながら、それでもマチは針を仕舞わない。
まずい、もう臨界点を突破する。
「分かっている、外道な事をする気はない。
腹を割ろう、俺は大富豪バッテラの金脈から何から全てが欲しいんだ」
金を寄越せと言うのは簡単だ、幻影旅団のように現金を全て奪うのはここまでくれば難しくない。バッテラを殺すなり操作するなり、手段は幾らでもある。
しかし彼が築き上げた金脈や情報網といったものは、やはり彼が一番うまく扱えるのだ。彼自身がいなくても機能するようにはしているだろうが、やはりバッテラがいるに越したことはない。
「俺や、俺の仲間たちがハンターとして活動する為の恒久的なバックアップ。
それが俺の願いだ」
「それを証明するものは?」
「お前、いい加減にしろよ? 別にお前じゃなきゃいけない理由はないんだぞ?」
そろそろ本気でイライラしてきた。なんでここまでバカにされつつマチを止めなきゃいけないのか、歯止めを失いつつある。
バッテラは、そんな俺を見てふと笑う。
「なるほど、嘘ではなさそうだ」
「…………」
余裕をなくして本音を測る、俺がバッテラに仕掛けてできなかったこと。それをバッテラは逆の立場で成し遂げた。
イライラは消え、清々しい敗北感が胸に込み上げてきた。
演技の笑みではなく、己を確立した男に向ける尊敬の念で浮かんだ笑みで、俺は一言問いかける。
「答えは?」
「サインをしよう」
あそこまで渋っていたのが嘘のように、至極あっさりとバッテラは誓約書にサラサラとサインを書く。
迷いを無くした俺は、次の一言によっては本気で殺すなり拷問をするなりを選択するつもりだった。その紙一重をあっさりとすり抜けるバッテラという男。
今度は心から言える、流石である。
しかしまあ、俺もマチも交渉という点でまだまだなのかも知れない。
未だに怒りが収まらない様子のマチを見て、くすりと笑う俺。
そんな俺を見て、ディルムッドがフフフと笑うのだった。
ちなみに小説頑張るとは、他の小説も含めて頑張るという意味ですので悪しからず。
いつも誤字報告・感想・高評価、ありがとうございます。
本当に励みになっております。