楽しんでいただけたら幸いです。
意識を失ったトトが地面に倒れ伏す傍らで、バハトとユアは抱きしめ合う。
だが、それも長くは続かない。バハトの服にじわりとユアの血が滲み移り、彼女はガクリと首がうなだれる。意識を失ったのだ。
「! ユアァ!!」
それを見たナックルがユアに向かって駆け寄る。彼に何が出来る訳でもないが、しかし何もせずにはいられなかった。
先ほど見たユアの容体は確実に致命傷に類するもので、つまり何の治療もしなければ確実に命を落とす。いや、それすらも手遅れかも知れない。致命傷を負った、ということは。治療の甲斐もなく落命するということも十分にあり得るのだ。
バハトはそんなユアを地面に横たえ、左手を中空にかざす。とある指輪が填められた、その左腕を。
「ブック!」
そう呪文を唱えたバハトの左手の先にはバインダーが浮かんでいた。グリードアイランドで得たクリア報酬のうち、バハトが回収したものは全て未使用のまま残っている。
彼は手早く一枚のカードを取り出し、その効果をこの場に現した。
「ゲイン! 対象、ユア!」
それは如何なる怪我や病でも即座に癒す効果を持った、一つの奇跡。荘厳なる神秘の気配を纏った乙女がその場に現れ、ユアに向かって軽く息を吹きかけるとその姿を消していく。
時間にしてほんの数秒。たったそれだけの時間をもって、ユアの傷は完治した。青白かった頬には赤みが差し、ゆっくりと穏やかに呼吸をしながら眠っている。
「ユア……?」
何が起きたか分からないナックルはバハトに警戒しながらもユアに近づき、首に指を当てて脈と体温を測る。
それでユアが健康的で全く問題がないと判断した後に、ナックルは立ち上がって目の前にいたバハトにメンチをきった。
「テメェが…ユアの兄貴のバハトかオラ?」
「そうだ。俺がシングルの情報ハンター、バハトだ」
冷静に言い返すバハトに、ナックルの額に青筋が浮かんだ。
「今更どのツラ下げてこの場に現れたんだよテメェはよ。ユアが、ゴンが、ポンズが、キルアが、どれだけ心配したのか分かってんのか?」
「そうだな。俺の仲間達には頭を下げなきゃならない。誠意が必要というなら、しっかりとした説明も添えなくちゃいけないな」
だが、とバハトは続ける。
「話に聞いた風貌によると、お前はナックルだろ? 俺の仲間じゃない以上、お前に何か語る義理はない」
冷たく言い放つバハトに、しかしナックルは揺るがない。
その言葉が聞きたかったと言わんばかりに引く。
「……仲間に誠意を見せるって言葉、忘れるんじゃねーぞ」
「忘れない、忘れるものか」
苦い顔をするバハト。
これはバハトの罪だ。仲間よりも命の恩人であり息子でもあるレントを取ったバハトの咎。
もっともナックルは知らなかったようだが、ポンズには説明済みである。ウー市でレントがポンズを捕らえた後、レントはポンズをバハトの元まで連れて行った。そこでバハトがレントと共にポンズを説得したからこそ、ポンズは二重スパイのような汚れ仕事を引き受けたのだ。
それはそれとして、ナックルは傷が癒えたユアの事を見やる。
「ところでユアを治した、ありゃなんだ? テメェが強化系だとして、癒しの能力にも限度ってモンがあると思うが」
「アレは大天使の息吹、グリードアイランドの戦利品でユアのものだ」
バハトが言った通り、大天使の息吹はユアが指定したグリードアイランドの報酬だった。彼女がどのように使う予定だったかは分からないが、瀕死の重傷だったユアに向かってバハトが使ったのは間違いのない判断だっただろう。
一方でナックルは頭に疑問符を浮かべるのみ。
「グリードアイランド? 戦利品?」
「……知らないならあとでめくっておけ」
ビーストハンターがグリードアイランドを知らないのは仕方のない話ではある。
とはいえ、丁寧にバハトが説明する義理もないし、している場合でもない。ここはまだ戦場なのだ。
ゆっくりと2人の元に寄ってきたレントがユアを抱き上げる。
「クルタ、ユアのことは頼んだ」
「了解。って言っても、ポンズのところに送るだけだけど」
あひゃ、と笑ってレントは
ナックルがそれを黙って見逃したのは、ポンズに届けるという言葉を聞いたから。未だにポンズの姿が見えないあたり、彼女は後方支援の役割に徹しているのだろう。
(なら、そっちの方がいい)
トトとの戦いでユアが見せた美しい笑み。それを思い出せば、こんな地獄のような戦場から一刻も早くユアは脱出するべきだと判断したのだ。
ハンターに危険を冒すな、とは言えない。だが、ユアはもっともっと自分というものを大切にしてから命を懸けるべきだと、そう思えた。まだ幼い彼女は、人生というものを味わうべきだと。
ユアとレントが消えたその場で。さてと、と2人は動き出す。
「オレはシュートを迎えに行かなくちゃならねぇ。瀕死の重傷だしな。そしてユピーの負債が増えるのを待つ」
「俺はピトーに用がある。ヤツを黙らせる土産も手に入った」
そう言ってバハトは意識が戻らないトトの身体を担ぎ上げ、ピトーがいるであろう迎賓の間を見上げる。
ピトーは現在コムギの治療中であり、ゴンがその監視をしている。身動きが全く取れないピトーだからこそ、煮るも焼くもバハトの匙加減一つ。無論、ただで済ませるつもりもない。
「じゃあな」
「テメェとは気軽に挨拶をかわす仲じゃねぇよ」
どこか楽しそうに放たれたナックルの言葉を聞きながら、バハトはピトーの元に向かうのだった。
◇
「え」
迎賓の間に入って来たバハトを見て、ゴンは絶句した。
キメラアントの巣で無残な姿を晒したバハト。彼が片腕をなくしたとはいえ、しっかりと両の脚で歩いていたのだから。
「バハト……?」
果たして目の前にいるのは本当にバハトなのか。その疑問を拭いきれないゴンは凝で彼を見つつ、困惑しながら観察する。
そんなゴンを見てくすりと笑うバハト。
「見知った相手でも再会したら凝。ちゃんと成長しているな、ゴン」
それはグリードアイランドでバハトが教えた念の基本。遠くに目を凝らすように、自然に『凝』をすることの難しさを説いたのは他ならぬバハトである。
ゴンは間違いなく彼がバハトだと確信するが、しかしそれでも疑問は湧き出る。今この場にいるバハトが本物だというのならば、キメラアントの巣で回収してペイジンに移したズタボロのバハトは何だったというのだろうか?
その問いを聞かれるまでもなく理解したのだろう。バハトは左腕で抱えていたトトを手放す。意識のないトトは頭から地面に落ちるが、それを気にするものはもちろんその場に居ない。
そしてバハトはポケットから小さくなった風呂敷を取り出し、それを広げる。
この場には右腕を失ったバハトと、満身創痍のバハトの2人が存在した。
「クルタ、頼む」
「あひゃ、了解。
いつの間にか部屋の隅に潜んでいたレントがそう言った瞬間。満身創痍のバハトがぐにゃりと形を崩し、肩口が千切れた右腕に変化した。
ゴンはレントに気が付かなかった訳ではないようで、目を丸くして彼を見る。
「――クルタ」
「NGLでバハトを見つけた時、彼は右腕を千切られた瞬間だった。ボクは彼の右腕を
「そして俺は命を救われたクルタに協力することにした。結果、仲間であるゴンたちを騙す形になってしまったのは本当に申し訳ないと思っている」
そう言って真摯に頭を下げるバハト。
ゴンはバハトに言いたいことをグッと呑み込み、次に聞くべきことを聞く。
「じゃあ、カイトは?」
「俺はそのままクルタに連れられて逃げることしかできなかった。だが――」
「悪いが、もう一人の男を連れ出す余裕はなかったね。期待していたのならご愁傷様だ」
小馬鹿にしたような口調のレントを窘めるように睨みつけるバハト。それを理解しつつ、レントはあひゃひゃと軽薄に笑う。彼はこういう性格なのである。
ゴンはそれらを見つつ、それなら決意は変わらないと覚悟を決めなおす。
「遅れたけど、無事でよかったよ、バハト」
「ありがとう。そしてすまないな、ゴン」
「なら、後はカイトを治すだけだね」
そう言ってピトーの方を見るゴン。一緒になってバハトとレントもピトーを見れば、彼女の顔色は随分と悪い。
ピトーの視線の先には意識を失ったトトがいた。彼女はコムギを守らなければならないのに、もっとも頼りにすべき仲間であるトトの敗退は全く想像もしていなかったようだ。
加えてここにはトトを破ったであろうバハトとレントがいるし、増えた敵はトトを倒すほどの猛者。ピトーにとってみれば、味方が減って敵が増えたことになる。しかも現在進行形でピトーの念が使えないとなれば、丸裸も同然だ。
「さて、と」
わざとらしく言うバハトに、ピトーはびくりと体を震わせる。
ピトーは拷問を受けることも殺されることも微塵も恐れてはいない。ただ、王の命を果たせずにコムギが死ぬことがただただ怖かった。
バハトが一歩前に踏み出すと同時、ピトーはその場に平伏しながら慌てて声を出す。
「ま、待って…待ってくれ!!」
ピトーの声を無視し、バハトはもう一歩踏み出す。
全く止まる様子のない敵に、ピトーは心の余裕をなくして狼狽する。
(ボクを殺せばゴンとの取引が無効になると言うか? ヤツはゴンと仲間みたいだし、効果はあるかも――。
否、下策。ゴンも既に我慢の限界だ、少しでも脅すようなことを言えば逆効果になりかねない!)
どうする、どうする。焦るピトーだが、解決案は全く出ない。
そうしている間にバハトはピトーの前まで歩みを進め、そこで足を止めた。
「まずは顔をあげろ、ネフェルピトー」
バハトの命令に遅滞なく従うピトー。現状、彼女は眼前の敵に従う以外に手段はない。
そして顔をあげたピトーの前には、座り込んだバハトの姿が映っていた。
「まずは俺を覚えているか? ピトー?」
「――NGLで、ボクが壊した、男」
「半分正解。さっきそこで会話した通り、俺はギリギリでクルタに救われた。右腕は千切れたが、壊されちゃぁいない」
バハトが何を言いたいのかさっぱり理解できないピトーは、彼の言葉に耳を傾けることしかできない。
「それを恨んでいるかっていえば、まあ恨みはある。腕一本だ、軽くはない」
「っ――!!」
その恨みを晴らす方法は簡単だ、念を使えない今のピトーを殺すことなんて容易いだろう。
更にコムギを救えないとなればそれはピトーにとってこの上なく無念な最期になる。復讐としては申し分ない。
(ま、このピトーならコムギを治す死者の念を遺しそうだがな)
そう思ったバハトだが、黙っておく。バハトにとってコムギは心底どうでもいい。彼女は王が大事にしている少女であるという
ピトーがコムギを救わなくてはならない。それこそを最大限に利用する。
「どうしてゴンがお前と戦っていないのかもクルタから聞いて理解している。
が、それはゴンの問題だ。俺が右腕の恨みを晴らしても、誰に文句を言われる筋合いがないのは分かってもらえるよな?」
「待って! 待ってくれ。
待って、下さい……」
ピトーはしおらしく懇願の声を絞り出す。
「なんでも、なんでもします。アナタの言う事は何でも聞きます。恨みを晴らすというのなら、気が済むまでボクをグチャグチャにしてくれても構いません。
ですが、お願いします。コムギを、ボクが今治療している少女を治すほんの数十分だけの時間をボクに下さい」
トトという戦力をなくした今、ピトーは頼み込むことしかできない。願い乞うことしかできない。それは護衛軍という実力者にとっては情けないというしかない醜態。
だが、ピトーはそれに一切の恥がない。王の主命を果たせないことこそ最大の醜態であり、比べればそれ以外など芥も同然。天秤にかける価値すらない。
それを確認することこそ、バハトの目的であったのだが。
「時間を寄越せと。お前はそう言うんだな?」
「……はい」
「お前の治療の能力は、他にオーラを回せないだろうことは予想がつく。そうじゃなきゃここまで無抵抗であるはずがない。
つまり、敵である俺にとって今が最大の
それを見逃せと?」
「…………はい」
改めて言語化されるととんでもない話であり、普通の感性を持っていれば頷くはずもない。例外があるとすれば底抜けの善人か、相手が万全の状態でないと満足しないバトルジャンキーか。
ゴンからすればコムギを傷つけたのは討伐軍側だという負い目がなくもないが、バハトは討伐軍ではない。となればコムギが死にかけているのもバハトに責任は全くなく、守るべき者を守れなかったキメラアント側の失態というだけ。
バハトにとって、この瞬間にピトーを殺さない理由も理屈も皆無である。
だからこそ、どんな無茶でも通せるというもの。
「――条件次第だ」
それを聞いたピトーは信じられないと言わんばかりに目を見開いた。
通るはずのない懇願だと分かっていた。自分に恨みがある相手に対して無理を言っている自覚があった。
なのに、条件によっては自分の希望を聞くという。
「何でも! 何でもします!!」
ピトーにとって
バハトは邪悪な笑みを隠し、何食わぬ顔でレントに合図をする。
「クルタ、アレを」
「了解」
レントはポケットから折りたたんだ紙を取り出す。
ユアをポンズの元に運んだのがレントだった訳は、実はここにあった。バハトやレントはユアの能力である
しかしその能力を使うにはユアのペンが必要で、まさか一時的にとはいえ意識がないとはいえ母の形見のペンをユアから無断で借りる訳にもいかない。となればコルトピの能力である
こういった経緯で、レントが
現状、ピトーを殺すのは容易い。最悪、放っておいてもゴンが彼女を殺すだろう。
だが、
悪魔のように狡猾に。しかしそれでもさりげなく。レントはその紙をピトーに差し出した。
「ボクとバハトが出す条件はただ一つ。
その契約書をよく読んでからサインをしろ」
言われた通りにピトーは渡された書類に目を通す。
その内容は要約すると。
バハトとクルタはピトーがコムギの治療を1回止めるまでは、コムギにもピトーにも一切の危害は加えない。
代わりにピトーはバハトが指定する1人を治療し終わり更にその後1分後まで、バハトの言う事に絶対服従すること。
ただ、それだけだった。
「先に言っておく。この契約書にサインをすれば、その契約を遵守するように自分で自分を操作することになる。
契約を抜け出すことは――できないとは言わないが、極めて困難だ」
挑戦的な笑みを浮かべたレントがそう言う。既に彼の分のサインは為されており、後はピトーとバハトがサインをすれば契約は完了するようになっていた。
そしてもちろん、ピトーに選択肢はない。
「分かった。ペンを貸してくれるか?」
「いいぜ」
バハトが安っぽいボールペンを取り出してピトーに渡す。
彼女は折れていない左手でさらさらと自分の名前を書き、まだサインをしていないバハトの為に契約書とポールペンを彼に返す。
受け取ったバハトは残った左手で書きにくそうに自分の名前をサインして、それでも以って
「これで契約は完了した。せいぜい悔いの無いようにな」
勝ち誇ったようなバハトの声に、しかしひとまずコムギの安全を確保したピトーはやや表情を柔らかくして頷くのであった。
誤字報告、感想、高評価。本当にありがとうございます。
心底励みになっおります。