森の中で
「お兄ちゃん、おんぶ」
「それくらいなら自分で歩ける。背負うと背中が暑いから嫌だ。それにお前、重いし」
前世で膝を擦りむいて兄におんぶをねだり、けんもほろろに断られたのを思い出す。
兄はそのまま自分を置いて行ってしまった。
嘘泣きだったのが本物になり、ずっと泣いた。
結局どうやって帰ったのか、今も思い出せないでいる。
「なんで今になって前世の兄貴のこと思い出すのよ」
マリエは毒づいた。
今のマリエの状況は前世で兄に置き去りにされた時とはわけが違う。
兄姉に呼び出されてあれよあれよという間に馬に乗せられ、森へキノコ狩りに連れて行かれたと思えば──マリエが馬を繋いであった場所に戻った時、馬はおらず、兄姉の姿もなかった。
マリエは森の中に置き去りにされたのだ。
森といっても猛獣と呼べる動物がほとんどいなかった前世の日本の森ではない。
モンスターと呼ばれる凶暴な生物が無数に生息し、時にはドラゴンのような大型モンスターが棲みついて縄張りを作っていたりもする異世界の森である。
(ああ!もう!ことあるごとに言いがかりつけて意地悪はしてくるし、パシるし、ご飯は横取りするし、挙句こんな森の中に置いてくし!私が何したっていうのよ!)
今世の家族は前世の家族とは大違いだった。
貧乏なくせにプライドだけはやたらと高く、借金ばかりしている両親に、しょっちゅうマリエをいじめる酷い兄姉。
たぶん帰ったところで「お前の分はもうない」と言われて食事にもありつけない。
ここまで邪険にされている理由は実のところ分かっている。
自分は望まれて生まれてきたわけではないからだ。
偶々賭け事で大勝ちして調子に乗った父親が事業を起こしたと思ったら、巨額の赤字を出して失敗。
ストレスを溜め込んだ父親がそれをひたすらに母親の下半身にぶつけ続けた結果、できたのが末娘のマリエだった。
(避妊ぐらいちゃんとしなさいっての!)
転生する前は今世の母親と似たような立場にあったマリエだが、それでも避妊にはちゃんと気を配っていた。
それまでの経験で、望まないタイミングで子供ができることは親子双方にとっていいことなしだと思い知ったからだ。
その経験とはどんなものかというと──
兄が死んでから実家を追い出され、大学を中退して働き始めた頃、職場で出会った自称「駆け出しのバンドマン」と付き合っていたのだが──
見てくれはいいがそれに胡座をかいて努力をせず、それでいて夢だけは大きい。
恋人が一途に尽くしてくれているのに他の女に言い寄られれば鼻の下を伸ばす。
むしろ自分から積極的に他の女に言い寄る。
好きなことだけして楽に人生を送りたいと舐め腐った思考をしている。
息を吸うかのようにギャンブルをし、そして負ける。
定職に就こうともせず酒ばかり飲んで、「俺が売れないのはどう考えても
ざっと挙げただけでも六ヶ条にものぼる問題がある男であり、彼のためにマリエはバイトを辞めて夜の世界で水商売に身をやつした。
バイトしていた頃よりも収入は上がったが、給料は入ったそばから彼に使われて生活費もカツカツ状態。
そしてそれを補うために出勤を増やせば、自分との時間を蔑ろにしているなどと文句を言われる。
だが、そんな酷い男でも別れるに別れられなかった。
反抗などすれば怒って暴力を振るってくるからというのもあるが、彼と暮らしている間は孤独を忘れられたからだった。
いとも堂々たる共依存関係である。
そんな暮らしを始めて一年ばかりが過ぎた頃、マリエの妊娠が発覚した。
それを知った男は責任を取るどころか、さっさと堕ろせと言ってきた。
マリエには受け入れ難い要求だった。せっかく宿った命を勝手な都合で殺されるなど耐えられなかった。
そしてあれやこれや理由を並べてなおも逃げようとする男に、堪忍袋の尾が切れた。
いい加減に目を覚ませ、お前は父親になったんだ、と怒鳴りつけ、拙い言葉で懸命にこれから二人で力を合わせて子供を育てていこうと訴えた。
すると男は次の日から帰ってこなくなった。
お腹の子供共々捨てられたのだと、理解して受け入れるのに一週間かかった。
一人残されたマリエは怒りと恐怖と絶望に苛まれ、何度も堕ろそうかと考えたが、結局できずに子供を産んだ。
元気な女の子だった。無事に生まれてきてくれたことにひたすら安堵した。
子供という自分の命よりも大事なものができたマリエはそれまで以上に必死で働いたが、水商売に身をやつした彼女に仕事と子育ての両立は酷だった。
それまで働いていた店では働けなくなり、マニア向けな店で働いた。
店の仲間たちは時々差し入れをくれたり、マリエが出勤している間子供を預かってくれたりとよくしてくれたが、マリエは自宅での子供との時間を大切にしたかった。
だから店にはあまり出勤せず、安全そうな客を見繕って自宅に連れ込んで稼ぐ、という手を度々使った。
手っ取り早く稼ぐために思いついた手だったが、子供が物心ついてくるとその手も使えなくなった。
いよいよもって切羽詰まったマリエは結局子供を手放すことになった。
追い出されてから久しく連絡を取っていなかった両親に預けたのだ。
それが子供のためになると思った。
本音を言えば子供と一緒にいたかったが、生活に困窮していたのは事実だったし、自分の苦労に子供を巻き込んでしまうのは辛かった。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろうね。ごめんね、────。ごめんなさい」
泣きながら、そう言ったのを転生した今でも憶えている。
その経験がトラウマになってそれ以降、子供ができるのを怖れた。
だが、今世のマリエの両親はそうではない。
なぜか。それは彼らが領主貴族だからである。
領地経営の諸経費と王国への貢献、そして彼ら自身による浪費が上回って大赤字とはいえ、領地から毎月それなりの税収がある。
また、王国から領主の地位を保障されているため、余程の不祥事でも起こさない限り社会的地位を失わず、路頭に迷うこともない。
庶民と違って、「忠告」や「叱責」なんてものもされる機会がない。
貴族社会では他家の家庭環境が劣悪であることなど知ったことではなく、知ったところで悪い噂のネタにしかならない。
下手に口を出したり首を突っ込んだりすれば、返事は「貴殿に当家のことに対して口を出される筋合いはない」である。
だからこそ、自分たちの行いを省みることもなく、改めもしない。
経済的に苦しい状況であるにも関わらず、体裁にこだわって贅沢をし、借金を作り、その借金を返すためにまた新規借入をし──一時の快楽に身を任せて無計画に子供を作り、増えすぎた子供を疎んで冷遇する。
育った環境のせいといえばそうかもしれないが、冷遇される子供からすればたまったものではない。
◇◇◇
(嘆いてたって始まらない。どうするか考えないと)
一通り悪態を吐いていくらか冷静さを取り戻したマリエは森を脱出して屋敷に戻る方法を考えるが──
「──無理ね」
既に森はだいぶ薄暗くなっている。じきに日が暮れるだろう。
そもそも馬を使って来た場所だ。徒歩だとどれだけ時間がかかるか。
「遭難したら尾根に出ろ」
前世で聞いた山登りの鉄則だが、生憎とこの森は平坦な場所だ。
元来た道を辿ろうにもその道が獣道同然の道なき道ときている。
間違いなく迷うだろう。
ならば今は下手に動かず、今夜の寝床と飲み水を用意する方が先決だ。
食糧は取ってきたキノコがある。
(そう都合よく雨なんて降ってくるわけないし──川を探すしかないわね。待った、川といえば!)
屋敷の近くには小さな川が流れていた。
たしかその川は森の方から流れてきていたはずだ。
川を見つけられれば、飲み水を確保でき、下流に向かって進んでいけば森を出られる!
「決まりね!」
方針を決めたマリエは早速寝床を用意する。
あたりに生えている草をむしって周りの木から剥ぎ取ったツタで縛り、布団を作る。
そして肉食獣避けのため高めの木に登り、枝を折って葉っぱを敷き、ベッドを作る。
これで夜の寒さや地面に潜む毒虫から身を守る寝床の完成だ。
「意外にいけるわね」
本格的なサバイバルの知識などないマリエだが、それでも前世の記憶持ちである。
知識量は下手な大人より多いし、理性的な判断だってできる。
チートとは程遠いが、普通の子供とは違うアドバンテージだ。
おまけにこの世界には魔法がある。
水生成魔法を使えば少量とはいえ虚空から真水を召喚して飲むことができ、炎魔法を使えば簡単に火を起こせる。
「魔法ってホント便利ね」
もそもそと火で炙ったキノコを食べながらマリエは呟く。
キノコは淡白な味だったが、ひとまず空腹は満たしてくれた。
「寝よう」
いつの間にか真っ暗になっていた。
ストレッチで凝り固まった身体をほぐしてから、ベッドに横たわり、松明を消す。
疲れていたが、落ちないか、何かが襲ってこないかという不安で寝付けなかった。
眠いのに、眠りたくない──そんな状態から抜け出して眠りにつこうと、星を数える。
「綺麗──」
木の葉の間から見える満点の星空は、さながら無数の宝石を散りばめたかのようだった。
前世でも見たことがあるかないかというような美しい星空。
でも──その下にいる自分は惨めなものだ。
(なんで私はこんなことをやっているんだろう──ただ幸せに生きたいだけなのに──なんで?)
泣きたくなってくる。
転生してもどん底から抜け出せずに、ビクビクしながらその日その日を生きるのに必死な毎日。
どうして自分はこんな目に遭っているのか。いつからこんな不幸と苦労の連続が始まったのか──
「──お兄──ちゃん」
そうだ。──兄が死んでからだった。
そんなことに思い至るがそこでマリエの思考は睡魔によって中断する。
◇◇◇
翌日。
「全っ然分かんない──」
マリエは焦っていた。
川を目指そうにも、その川がどこにあるのか分からない。
木に登って周りを見渡してみても、目に入るのは森の木々ばかり。
何とか元来た道を辿ろうともしてみたが、ますます迷っただけだった。
そうして彷徨っているうちにいつしか太陽が西に傾き始めていた。
「お腹空いた──」
きりきりと締め付けるような腹痛に耐えかねて、マリエは食べ物を探す。
もうこの際選り好みなんてしてはいられない。木の実でもキノコでも何でもいい。お腹に入るものが欲しい。
血走った目で周りを見回すマリエは視界の端に入ったそれを目ざとく見つけた。
「あ、あった!」
倒木に一群れの大きなナメコのようなキノコが生えていた。
食べ物──マリエは駆け寄ってそれを取ろうと右手を伸ばす。
「いぎゃあああああああああ!!」
次の瞬間マリエは激痛に悲鳴を上げた。
ちょっと触っただけで焼けるような痛みが走り、手を離しても全く治らない。
水で洗い流そうとしたが、水が触れただけで骨が粉々に砕けたのではないかと思うほどの激痛に襲われた。
(痛い!痛いよ!助けて!)
誰に助けを求めたのか自分でも分からない。助けを求められる相手など今世にはいない。
それでも、願い、祈り、泣き叫ぶことしかマリエにはできなかった。
誰でもいい、何でもいい、何でもするから──助けて!この痛みを治して!!
そう強く念じた。
同時にそう都合よく助けは来ない、泣いても喚いてもない力は湧いてこない、という諦観が頭をもたげる。
私──ここで死ぬのか。
嫌だ!こんなところで死にたくない!私はまだ幸せになってない!やりたいことだってまだ──
不意に右手を押さえる左手が光ったような気がした。
次の瞬間、気が遠くなるような痛みが引いていく。
目を開けると左手から白い光が出て爛れた右手を包んでいる。
(嘘!?これって──治療魔法?)
痛みを消し去ることはできないようだが和らいではいた。赤く爛れていた指先も熱が引いている。
(私──治療魔法の才能があったんだ──)
この世界に生まれて初めているのかどうかも分からない神様に感謝した。
(この才能を伸ばせば私はここから這い上がれる!いいえ、上まで昇り詰めていける!)
マリエの胸中に野心が芽生えた。
自分の治療魔法の才能が
(やってやるわ!絶対に!私はこの力で絶対に幸せになってやる!)
と、その時だった。
マリエの腹に風穴が空いた。
(──え?)
何が起こったのかも分からないままマリエは呆然と自分の体に空いた穴とそこから流れ出す血を見ていた。
そのまま意識が遠のき──倒れる感覚と一緒に何か白い蝶のようなものがひらひらと舞っているのが見えた。
視界が闇に覆われていく。
最後に聞こえたのは──内容は聞き取れなかったが人間の男の声だった。
毒キノコにはご用心!
一番見たいストーリーはどれですか?
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リビアが方言使う日常系
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マリエの熊狩り
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ユリウスと串焼きの出会い
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ルーデとラウダの喧嘩
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バンデル爺さんの哀しき過去