懐飯
夏休み。
領地の浮島、その波止場で俺はベンチに座って待ち人を待っていた。
「暇だな──」
思わず呟く。
オリヴィアさんとアンジェリカさんは温泉、ルクシオンも実家で立ち上げている工場に行ってしまっているので、話し相手もいない。
待ち人、というのは俺が雇った密輸業者である。
勘違いしないで欲しいが、別に禁制品を入手しようとしているわけではない。
ただ前世で好物だった食べ物を作るための原料が欲しいだけである。
前世では当たり前のように手に入れられたものがこの世界にはない。
♪はぁご飯がねぇ!お出汁もねぇ!醤油もお味噌も作ってねぇ!油揚ねぇ!豆腐もねぇ!そもそもお米も大豆もねぇ!俺ァこんな世界嫌だ~俺ァこんな世界嫌だ~
そんな替え歌まで作ってしまったくらいだ。
だが嘆いているばかりではない。
この間ルクシオンが白米とお吸い物を用意してくれたし、これから到着するであろう密輸業者からは大豆と海苔が存在するとの報せを受け取っている。
既に畑と養殖場はルクシオンに用意させてあり、密輸業者の到着を待つばかりである。
その密輸業者とは──
「おーい!リーオーン!」
雲を乗り越えて近づいてくる飛行船から俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
「やっと来たな。ベルのやつ待たせてくれやがって」
そう、俺が雇った密輸業者とは運び屋のベルことアラベラである。
◇◇◇
半年ほど前。
ルクシオンを手に入れる旅から帰還し、学園入学の準備と領地の開発とバルトファルト領への投資が始まって間もない頃。
俺は親父のお抱えの御用商人たちとの商談でバルトファルト領の港にいた。
退屈で面倒なので、いくらかの確認事項を片付けた後は親父に丸投げして波止場をブラブラしていたら、御用商人たちの飛行船とは違う船がちらほらいるのが見えた。
御用商人を通じて建築資材やら飛行船やら魔石やらを大量に購入しているので、その噂を聞きつけて商売にやって来たのだろう。
これから情報が広まればどんどん景気が良くなりそうだと思っていると、不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「よう、久しぶりだなリオン」
声の主を見て俺は言葉を失った。
「どうしたんだよ?冷えちまったパイでも見るような顔して」
「お前──ベルか?」
「そうだぞ?船泥棒に遭って、アンタに拾われて、小さなボートで2人っきりで大空を旅したベルだぞ」
言い方が妙に冗長だがたしかに声も顔も体つきもベルことアラベラその人である。
ただ──
「いや、お前変わりすぎだろ。一瞬誰だか分からなかったぞ」
目の前にいるベルは俺が見知ったベルとはだいぶ違う。
ラフなポニーテールだった髪は左右で長さの違うショートヘアになり、髪の色も彩度が上がって暗めのマゼンタ色になっていた。
ついでに洒落た三角帽子まで被っている。
「フッフッフ、女子3日会わざれば刮目して見よ、だぜ?」
芝居がかった仕草で宣うベルに俺はツッコミを入れる。
「いやそれ男子じゃなかったか?それよりお前、その髪はどうしたんだよ?正直どぎついんだが?」
「酷いな!?そこそこ流行ってる色だぜ?」
──流行りね。うん、分からん。
というか、染髪技術があるってことはもしかして、攻略対象男子の色鮮やかな髪もそういう色に染めてるのか?
「あーしはナウでヤングでトレンディなイイ女だからよ。新しいモンに目がねえのさ」
──何言ってんだコイツ?確かに若くて流行に敏感ではあるのだろうが、良い女とはとても思えない。というか、良い女って自分で言ってる時点でどうかと思う。
まあ、いいや。ツッコんでも多分無駄だし。
「で?ここにいるってことは貸しの件だろ?」
要件を切り出すと、ベルは破顔した。
「覚えてたか!それは結構!さあ、利子4ヶ月分と合わせて2352ディアきっちり返してもらおうか!」
「はいはい。これでいいか?」
俺は札束をポンと渡す。
しかし、ベルは受け取っても下がるどころか、更に近づいてきた。
「確かに受け取りました。それとなんだけど、この前デカいクライアントがお縄になって仕事が減っちゃってさ。このままじゃ金欠になりそうなんだ。ここで運びの仕事があるならちょこっとあーしに回してくんない?何だって運ぶぜ?」
そんなの答えは決まっている。
「断る」
「おーありがとう!助かるよ!」
「聞こえなかったみたいだな。もう1度言おう、断る。わざわざお前に運ばせるものなんてない!」
するとベルは涙目で俺の両肩を掴んで揺さぶってきた。
「頼むよ!お願いしますよ!一晩抱かれてあげてもいいですからぁ!」
──枕営業やめろ。
バルトファルト家に運び込まれる物は発注を受けた御用商人が一括して購入し、運んでくるのだ。自営業の運び屋が入り込む余地などない。
「いらん!他を当たれよ!てか揺さぶるのやめろ!」
途端に揺さぶるのをやめたベルはしおらしくなって絞り出すような声で言った。
「──それができたら苦労しないよ。パパもクライアントと繋がってたってんで豚箱にぶち込まれたし。あーしが頼れるヤツなんてもういねえよ──」
「──は?お前──それ本当かよ?」
ベルは頷く。
コイツの親父は一体何をやらかしたのか。
「何があったんだ?」
「マリファナの非正規品を密輸してたんだ。あーしらみたいな学も才能もねえ貧民街のドブネズミにはそれくらいしか稼げる仕事がねえ。それも今回の摘発で全部オシャカさ。リオンの所に行けばそんなのとは違う仕事が貰えるかもしれないと思ったけど──無理だったか」
辛そうなその顔を見ているとどうにもいたたまれない。
俺はそういう顔をしてるヤツを見るのが嫌いなのだ。
「──しょうがないな。バルトファルト家で雇うのは無理だけど俺個人で雇ってやるよ」
途端にベルは怖いくらいの笑顔に戻り、鼻と鼻がぶつかるくらいに顔を近づけてきた。
「それマジ?雇ってくれんの?」
「お前、切り替え速すぎねえか?」
ドン引きする俺にベルはからからと笑う。
「あっははは!あーしがそうしおらしく悲劇のヒロインやるわけないだろ?で、何を運ぶんだ?武器か?珍味か?それともクスリか?」
コイツの話はどこが嘘でどこが本当なのか分からなくて困る。
しかもコイツが挙げた品目、全部密輸品じゃないか。
「まあ──珍味の類だろうな。俺が欲しいのは──」
◇◇◇
桟橋に見知った飛行船が接舷する。
船長は様変わりしても飛行船は変わっていない。
ベルと一緒に俺のボートでこの船を追跡して取り返したのは、今となっては懐かしい思い出である。
──二度は御免被るが。
タラップが下ろされ、ベルが大きな木箱を抱えて下りてきた。
ベルが運んできたのは期待を上回る物の数々だった。
「どうよ!南方で買い付けた希少な豆だぜ?それとこっちは緑の茶木と例の水草だ。それとな──」
ベルは大豆やら茶木の苗やら海苔らしきものやらを脇に置くと、木の箱を開けて小さな瓶を1本取り出した。
「コイツは魚醤っていうやつらしいぜ?リオンが言ってた醤油に似てるんじゃないか?」
魚醤!?そんなものがあったのか?
瓶を開けてちょっと指先に垂らして舐めてみる。
醤油とは違うが、懐かしい旨味が口に広がる。
「ああ、そうだな。これ──美味いな」
「え?ちょっと?泣くほど?」
ベルがドン引きした顔で指摘してきた。ついつい涙ぐんでいたらしい。
でも仕方ないと思うんだ。
こっちの世界に生まれてからロクな飯が食えてない。
朝は堅いパンに目玉焼きとお粥かスープ、お昼はパンだけで夜はシチューとかパイとか。おまけに調味料は塩やハーブくらい。
日本人の俺にはあまりに酷だった。
これはあの憎き浪費家揃いのゾラの一家のせいでもあるが、食文化の違いが大きい。
この世界の主食はパンで米や大豆を食べる文化はないのだ。
「リオンさん?その人誰ですか?」
不意に聞こえてきた優しい声が俺を感傷から引き戻した。
見るとオリヴィアさんとアンジェリカさんが立っていた。
ベルが俺を泣かせたと思ったのか、アンジェリカさんは少し表情が険しい。
「ああ、こいつはアラベラ。俺の──御用商人!」
咄嗟に嘘を吐いた。さすがに密輸業者などと言うわけにはいかない。
「御用商人?随分と若いのだな」
アンジェリカさんが訝しむような視線を向ける。
それに対してベルはあろうことか、不敵な笑みを浮かべて挑発的な言葉を繰り出した。
「若い、それがどうしたと言うのでしょうね、貴族様。冒険者として旅をし、それなりに修羅場も潜り抜けてきたリオン様が他の者を差し置いて選んだのが私です。私を疑うということはつまり──リオン様の目を疑うということになりますが?」
おい馬鹿やめろ!アンジェリカさんを怒らせるな!首が飛ぶぞ!
内心大慌ての俺だが、アンジェリカさんは涼しい顔で俺に問うてくる。
「そうなのか?」
「──はい、そうです」
俺はそう答えるしかなかった。
本当は元旅仲間の情に絆されてなし崩し的に雇ったのだが、それを言っても誰も得はしない。
「──そうか。何を買ったのだ?随分と珍しい物のようだが」
アンジェリカさんは特に追及するでもなく、ベルが持ってきた品物に興味を示した。
さて、わざわざ密輸業者を雇ってまで手に入れた珍しい食品についてはどうやって説明したものか。
「えーっと、これはですね──」
◇◇◇
夜。
バルトファルト家の厨房で俺はフライパンと睨めっこしていた。
フライパンの中には細かく刻んだ玉葱とベーコンと卵と白米が混ぜこぜになって湯気を立てている。
領地から持ってきたしゃもじで切るように混ぜる。
──そろそろ頃合いかな。
ベルが持ってきた魚醤を入れる。
そもそも俺が厨房で料理しているのも、アンジェリカさんが魚醤の使い道を知りたがって、俺の好物を作るためだと言ったら、自分も食べたいと言い出したからである。
両親に、ニックスに、ジェナに、フィンリーに、オリヴィアさんとアンジェリカさんと、大人数分作ったせいで、魚醤の瓶の中身は半分程に減ってしまった。
またベルに発注しないとな。
少し味見してみる。
うん、完璧だ。俺にとっては。
「じゃあこれ、取り分けて運んでください」
所在なげに待機していたアンジェリカさんの使用人たちに配膳をお願いし、俺は厨房を離れた。
「何だこれ──美味い!」
「何ていうのかしら──言葉にできないけど美味しいわね」
「リオンさん、料理もできたんですね!」
「これは見たことも食べたこともないな。どこの料理だ?」
両親が絶賛し、オリヴィアさんがまた俺に対する幻想を上乗せし、舌が肥えているであろうアンジェリカさんでも目を丸くするその料理。
その名も──
「
前世では1人暮らしだったから料理だってそれなりにしていた。
朝はご飯と味噌汁がジャスティスな俺だが、手っ取り早く作れて美味しく腹を満たせる炒飯も大好きで晩飯によく作った。
「ちゃーはん?聞いたことがないな。どこで知ったのだ?」
「ああ──旅の途中で外国人の商人に教えて貰ったんですよ」
嘘である。
この世界のどこを探しても炒飯なんてないだろう。
だが前世の記憶を頼りに作ったなんてとても言えない。
「私も作り方知りたいです」
オリヴィアさんが目を輝かせている。
断るなんてできるわけがない。
「簡単だよ。今度教えてあげる」
◇◇◇
バルトファルト領から少し離れた浮島と呼ぶにはあまりに小さい小島にベルは飛行船を繋ぎ、甲板で夜食の包みを開いた。
「ベル。今回の報酬とこれは個人的な礼だ」
そう言ってリオンは報酬と一緒に大きな葉に包んだチャーハンなる料理を渡してきた。
わざわざリオンの領地からバルトファルト領にまで来させられた理由はこの料理を渡したかったからのようだった。
夜食にちょうどいい大きさだったので夜に食べることにしていた。
「本当に──不思議なやつだな」
ふっと笑いを漏らすとベルは葉を開けてリオンがくれた料理をひと口食べてみる。
「──美味いや」
こんな軽い夜食としてではなく、豪勢に夕食として食べられるリオンの家族と彼についていた2人の令嬢を羨ましく思う。
「本当に──貴族って何なの──」
ベルにとって貴族とは自分たちのような貧乏人を便利な道具としていいように利用して使い捨て、その犠牲を知りもせずにのうのうと生きている者たちだった。
アンジェリカに対して挑発的な言動をしたのもその鬱屈した感情の現れである。
でもリオンは他の貴族とは違った。
元々貴族らしからぬ気質を持っているとは思っていたが、報酬に加えて自分で作った料理までくれた。
だからこそ、羨ましい。あんないい貴族の傍にいられる者たちが。
──自分はビジネス上の関係でしかいられないのに。
「でもまあ、贅沢だよね。あんないいクライアントと縁ができてるだけでも」
そう自分に言い聞かせるように呟き、夜食の残りを腹にかき込むベルだった。
ベルにとってのリオン?リオンにとってのリビアみたいな存在です。